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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


幸せの白いモコモコ。
●微笑ましい依頼
 阿雲紅緒(あぐも・べにお)はマウスを操る手を止め、クスリと笑みをこぼした。
 ゴーストネットで、次のような書き込みを見つけたのだ。

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[777]お願いしますっ!!
投稿者:竹本恵

えと、その、あうう、なんて書けばいいんだろ?
ゴメンなさい、掲示板に書き込みするのなんて初めてだから緊張しちゃって(泣)。

あたしは竹本恵、高校二年生です。
今日書き込みしたのは、みなさんにどうしても相談したいことがあったからです。
それというのも実はあたし……ドジなんです! それも普通ドジなんかじゃなくて、ギネスブックに載っちゃうくらいのドジなんです!!
何もないところで転ぶし、財布は今年だけで三回も落としたし、テストのマークシートは必ず一列ずれるし、コンビニでバイトすればうっかりプリンまで温めちゃうし、とにかくもう失敗を数え始めたらキリがありません。
自分だけならともかく、おかげで友達にまでいつも迷惑かけてばかりだし……。

でもそんなとき、あるウワサを聞いたんです。
飼っているだけで幸せになれる不思議な生き物がいるらしいって。
その生き物の名前はケサランパサラン。なんでも白くてモコモコした綿毛みたいな姿をしているそうです。
もちろん、ただのウワサかもしれません。でもあたし、それでも信じてみたいんです。その生き物さえいれば、自分のドジも少しはマシになるんじゃないかって。
お願いです! どなたかあたしといっしょにケサランパサランを探してくれませんか?

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 ゴーストネットはインターネットカフェ『ゴーストネットOFF』の掲示板だ。オカルト系の情報が集まる掲示板で、奇妙な出来事に関するウワサや依頼でいつもにぎわっている。
 紅緒もたびたびこの掲示板を訪れては、おもしろそうな依頼を探していた。あるいは暇つぶしのために。あるいは特別な能力を秘めた魅力的な男女とお近づきになるために。
 ここしばらくはどうも食指を動かされる依頼が少なかったのだが、どうやら今回は久しぶりに大アタリのようだ。
「何だか可愛らしいっていうか、微笑ましいっていうか」
 文章を読んでいるうちに自然と目を細めてしまう。つたない文章の中からも、少女の人の好さと一生懸命さがひしひしと伝わってくる。紅緒は上機嫌だった。
 ただ……。
「ケサランパサラン、ね」
 もちろんウワサでは知っている。だが信じられないほどの長い刻をこの世界で過ごした紅緒でさえ、本物のケサランパサランを見たことはなかった。
 いや、正確には人々が具体的に何を指してその言葉を使っているかわからないという言い方が正しいかもしれない。つまり定義がアバウトすぎるのだ。
 ケサランパサランを飼っているという人間には何度も会ったことがあるが、たいていの場合は動物の毛のかたまりやカビの一種を勝手にそう呼んでいるにすぎなかった。
 だがその一方で。
 紅緒はたしかに知っていた。ケサランパサランと同じ条件を満たす存在を。白くて綿毛のような外見を持ち、持ち主の願いを叶える力を持つ存在のことを。
 でもはたして本当にあの存在を教えてしまっていいのだろうか。もし恵が邪まな思いを抱けばあるいは……。
 紅緒の眉間に深いシワが刻まれる。
 しかしそれはほんの一瞬のことだった。
「まあいいか、それは恵ちゃん次第だもんね」
 紅緒は考えることを放棄して再び陽気な笑顔を浮かべた。そう、いつものように。
 考えない。考えてはいけない。すべては気まぐれに、なるがままに任せればいい。それが紅緒の哲学だった。考えるには、自分たちにはあまりも時間がありすぎるから。
「恵ちゃんのほかに、どんな子が集まるのかなぁ」
 紅緒はさっきまで考えていたことなどすっかり忘れた様子で楽しそうにつぶやき、恵と連絡を取るために返信ボタンをクリックした。
 
●先行き不安な作戦会議
 そして当日、集ったメンバーは恵をふくめて四人だった。
「あの、今日はよろしくお願いしますっ」
 身体がふたつに折れるくらい深々と頭を下げたのは、依頼人の竹本恵だ。
 高校二年生だそうだが、小柄な身体のせいでパッと見は中学生くらいに見える。小さな顔の中で黒目がちの大きな瞳がひときわ目立つ。かなり可愛い顔立ちだと言ってもいいだろう。左右で結んだ髪の毛がウサギの耳みたいだ。
「わ〜、紅緒様もいらしてたんですねぇ」
 梦月はうれしそうな声をあげた。集まったメンバーの中に、以前にも同じ依頼に参加したことがある阿雲紅緒(あぐも・べにお)の姿があったのだ。
 ちなみに今日の梦月はオーバーオールに麦わら帽子とナップサック、さらには虫取りアミまで装備した、夏休み小学生ルック。コーディネイターはいつものごとく兄の龍之介だ。最初は彼もついて来る気だったようだが、直前に愛しの三下から電話があってそちらに飛んでいった。
「お久しぶり、梦月ちゃん」
 自称謎の人である紅緒が、長身をかがめ梦月にニッコリと微笑みかける。意外にも可愛いもの好きの彼にとって、梦月はすでにお気に入りの存在のようだ。
「はいはい、あいさつはそこまでそこまで。それより早く話を先に進めんと」
 二人の間に割って入った関西弁の少女は、天宮寺天音(なんぐうじ・あまね)。わずか十六歳の高校生にしてギャンブルで自らの生計を立てる、生まれながらの天才ギャンブラーだ。
「で、ええと、阿雲さんやったっけ?」
「紅緒って呼んでよ、天音ちゃん」
「……じゃあ、紅緒さん。これからどうする気なん?」
 いきなり名前をちゃん付されてムッとしたのか、天音は紅緒を軽くにらみながらたずねた。
 一行は今、とある山のふもとに来ていた。紅緒がそこを待ち合わせ場所に指定したのだ。
「もちろんみんなで山登り。天気もいいし、可愛い子ばかりだし、ボクって幸せ者だね」
 どこまで本気なのか、紅緒が全員の顔を順番に見回してからウインクする。
 免疫がないのか、恵はポッと頬を染めてうつむいた。
「あんなあ、マジメにやる気がないんなら、うちは――」
「あ〜、でもでも私も賛成ですぅ。ウサギさんの毛とか、タンポポさんとか、とにかく兄様たちも山に関係あるんじゃないかってそう言ってましたから〜」
 梦月がのんびりと紅緒をフォローする。
「ほら、梦月ちゃんもこう言ってることだし。恵ちゃんは、OK?」
「は、はい!」
 紅緒に急に話をふられて、恵が慌ててうなずく。
「じゃあ決まり。ケサランパサラン目指して、出発進行!」
「オーです〜」
「お、オー!」
 紅緒は陽気に宣言してそのままマイペースに歩き始めた。
 恵と梦月も次々とそのあとに続く。
「ああもう、うちも行けばいいんやろ、行けば!」
 天音も仕方なく紅緒たちを小走りに追いかけた。

●いきなり、遭難?
「なあ、なんかおかしいんとちゃうか?」
 山登りを始めて一時間ほど経ったとき、不意に天音が立ち止まって言った。
「さっきから人影が全然見えへんし、どんどん道もけわしくなってるし」
 そう言って不安げにあたりを見回す。
 たしかに天音の言葉どおりだった。一行が最後に登山客とすれちがったのは、もう20分近くも前のことだ。それに途中までは地肌が見える登山道があったのに、今は足下がすべて草で覆い隠されてしまっている。
 だが天音の疑問に、紅緒は平然とこう答えて見せた。
「あれ、言わなかったっけ? ボクたち、もうとっくに登山道を外れてるよ」
 一瞬の沈黙。続いてパニックが起きる。
「え、あの、それってもしかして」
「私たち、迷子さんなんですか〜?」
 恵と梦月がおたおたオロオロとその場を行ったり来たりする。ちなみに梦月が一往復する間に恵が二往復半。テンポはちがうがこの二人、意外と行動パターンは似ているかもしれない。
「言わなかったやあらへんやろが! なんですぐ引き返さへんねん!?」
 ただひとり正気の天音が、紅緒に怒りをぶつける。
「まあちょっと落ち着こうよ。ほらほら、怒ると可愛い顔が台無しだよ?」
「これが落ち着いてられるかい! とにかく急いで戻らな!」
「でもボクたち、ケサランパサランを探しに行くんだよね? たぶん普通に人が歩いてる場所になんかいないと思うんだけど」
「あ……」
 天音がハッと息を飲む。
 おたおたオロオロ組の二人も、その言葉にピタリと足を止めて紅緒を振り向いた。
「大丈夫、女の子に野宿なんかさせないから。ボクを信じてついて来てよ、ね?」
 紅緒が安心させるようにニッコリと微笑んでみせる。
 もしかしたら紅緒には何か心当たりがあるのかもしれない。
「あの、あたし紅緒さんにお任せします。でも、ひとつだけ、みなさんが危ない目に会うのだけは、あたし……」
「大丈夫。ボクがついてる以上、誰にもケガなんてさせないよ」
 紅緒の答えに恵はホッと笑みを見せた。
「はあーい、私も紅緒様について行きます〜」
 梦月が元気に手を上げて宣言する。
「天音ちゃんはどうする? キミが嫌なら引き返すけど」
「……竹本さんが決めたことやろ。ならうちは文句あらへん」
 天音もしぶしぶ了承する。
 とりあえず、これで満場一致だ。
 一行は紅緒の案内で、さらに山奥へと進むことになった。

●はじまりは握手から
 紅緒は道なき道を、鼻歌まじりの上機嫌で迷うことなく突き進んでいく。
 どこを目指してるのかはわからないが、紅緒にはたしかな目的地があるようだ。
 注意が必要な場所は必ず事前に紅緒が教えてくれるので、危険はほとんどなかった。
 もっともそれでも恵は何もない場所で転んだり、吸い寄せられるように水たまりにはまったりとウワサにたがわぬドジっぷりを披露していたが、まあこれはいつものことだそうなのであまり気にする必要はないだろう。
 それよりも問題だったのは、天音のことだった。彼女はこれまでに二度紅緒と衝突し、そして結果的に二度とも言い負かされる形になってしまっている。
 やはり気まずいのか、天音はひとりだけ少し離れた場所を歩いていた。
「あの、南宮寺さん」
 そんな天音に、不意に恵が自分から声をかけた。
 ゴクリと大きくつばを飲み込み、真っ赤な顔で天音にこんなお願いをする。
「あの、あの……手をつないでもいいですか?」
 次の瞬間、身の危険を感じたように天音はズザッと1mはあとずさった。
 怖いものでも見るような目で恵をまじまじと見つめる。
「あ、いや、その、ちちちがうんです!」
 天音が何を想像したのか思い当たり、恵は慌てて胸の前でブンブンと両手を振った。
「そうじゃなくて、だから、あの……そうだ! ほらあたし、さっきからいっぱい転んでるじゃないですか! おまけに蜘蛛の巣に顔は突っ込むわ、ススキで手は切るわ、なんだかもうひとりだけ大騒ぎで。それで、南宮寺さんに手をつないでもらえば安心かなー、なんて……」
 どうやら恵は恵なりに、なんとか天音を孤立させない方法を考えていたようだ。しどろもどろになりながら、必死に自分のドジっぷりを力説してなんとか天音の関心を引こうとする。
 さすがに意表を突かれすぎたのか、天音はしばらくポカンと恵を見つめて……それからプッと吹き出した。
「……ゴメンなさい、変なこと言っちゃって」
 恵は真っ赤になってシュンとうつむいた。
 そしてそのままスゴスゴと紅緒と梦月の方に引き返そうとしたそのとき。
「待ち、恵ちゃん」
 天音が必死に笑いをかみころしながらその背中を呼び止めた。初めて恵の名前を呼んで。
「しゃあないな、うちの手でよかったらいくらでも貸したるわ」
 天音は目尻を指先で軽く拭い、恵に右手を差し出した。
「天音さん」
 恵がうれしそうに天音の名を呼び返し、差し出された手を両手でギュッと握りしめる。
 そして次の瞬間――二人の身体がまばゆい光を放った。
 続いて軽い衝撃波が同心円上に広がっていく。
「あわわわわ〜」
 梦月は麦わら帽子を飛ばされそうになり、慌てて両手で頭を押さえた。
 紅緒までが珍しくハッと驚いたような表情で二人を見つめている。
 だが……それだけだった。
 空はあいかわらず気持ちよく晴れ、鳥たちも元気に鳴いている。何かの封印が解けたわけではないし、荒ぶる神が降臨した気配もない。とりあえずタイムスリップの可能性もなさそうだ。
 もちろん天音と恵の二人もピンピンしている。
 ただやはり何かが自分の身に起きたことだけは感じているようで、二人はそれぞれ手のひらを見つめながら、いつまでもパチパチとまばたきを繰り返し続けていたのだった。

●天音、ノックアウト
「まあまあこれは〜」
「なんだか大変なことになってきたねぇ」
 紅緒と梦月はちっとも大変そうに見えない、のどかな顔でうなずき合った。
 だが実際には状況はなかなか大変、もとい「大いに変」なことになっていた。
 あの握手以来、恵と天音の立場がまるっきり逆転してしまったのだ。
 とはいっても性格の話ではない。
 恵はあいかわらず気弱な小動物で、握手以来すっかり天音になついているようだ。
 一方の天音もあいかわらず大胆で思い切りがよく、あれこれ文句を言いつつも何かと恵の世話を焼いている。
 だが、それなのに。
 恵は急に失敗をしなくなり、代わりに考えられない不幸が天音を襲い始めたのだ。
 とにかく転ぶ。おもしろいように転ぶ。恵に注意を呼びかけた次の瞬間、当の天音自身がその同じ場所で自信満々に転ぶ。
 泉のほとりで休憩を取っていたら、となり同士に座っていたはずなのに、天音だけが頭に鳥のフンを絨毯爆撃された。
 さらに恵がうっかり蜂の巣を落としたときは、蜂の大群がなにを血迷ったのか天音だけを執拗に追いかけ回してきた。
 でもそんなのはまだ序の口だ。さっきなどみんなが平気で渡り終えた吊橋が天音の番になって突如ブチ切れ、あやうくクリフハンガーするところだった。
 とにかく天音を襲う災いは、時間と共にあきらかにエスカレートしてきていた。
「ありえへん、うちほんまは悪い夢でも見てるんとちゃうやろか」
 天音がうんざりとした顔でため息をもらす。
 次の瞬間、実に、実に久しぶりに恵が転んだ。浮石につまずいて足を取られたのだ。
「恵ちゃん、大丈夫か!?」
 そう言いつつも恵に駆け寄る天音の顔がどこかうれしそうに見えたのは、だから仕方ないことだったのかもしれない。やっと本来の「正しい」関係に戻れたような気がしたのだ。
 だが、しかし。
「うわあ、綺麗です〜」
 梦月が歓声を上げる。浮石の裏に、親指大のキラキラ光る結晶が付着していたのだ。
「へえ、水晶だね」
 紅緒が感心したように言う。
 石の裏に付着していたのは、たしかに水晶だった。しかも蝶の羽根のように二本の結晶が根元で結合した、いわゆる日本式双晶と呼ばれる水晶の中でも珍しくて貴重なものだ。
「す、水晶やて、んなアホな……?」
 天音が唖然として振り返る。
「でも石さんもいっしょだと重くて持てないですねぇ」
 梦月がそう言ったとたん、その石がふわりと空中に浮き上がった。
「え、何? 何が起きたんですか?」
「あわあわ。みなさん、伏せて下さあい」
 梦月がそう言って自分もペタンと地面に伏せた瞬間、石は爆発するように砕け散った。あとには水晶の結晶だけが残される。
「も〜、乱暴はダメですよ、蘇芳」
 再びゆっくり空から降りてくる水晶を受け取りながら、梦月がプクっと頬をふくらませる。
 梦月にだけ見える守護鬼、蘇芳が強引に石から水晶を取り出したのだ。
「やっぱし悪夢や、絶対……」
 誰もが梦月に注目していたそのとき、かすかなつぶやきが聞こえた。
 それと同時に天音がぱったりと前のめりに倒れる。
「あ、天音さん!?」
 恵が慌てて天音を抱き起こす。
 おそらく石の破片がまともに直撃したにちがいない。気絶した天音のおでこには、しっかりとたんこぶができていたのだった……。

●不幸は続くよどこまでも?
「霊波が共振しちゃったんだね、きっと」
「霊波ぁ?」
 聞きなれない言葉に天音は眉をひそめた。そのとたん、おでこにズキリと痛みが走る。
 天音はあれからまもなく意識を取り戻していた。幸いケガもただの打撲ですんだようだ。ただそれでもやはり、痛いものは痛い。天音のたんこぶは今ではかなり大きくなっていた。
 ちなみに梦月と恵の二人は、そんな天音のために川までタオルを濡らしに行っている。
「霊波は、そうだね、簡単に言えばその人の生命力みたいなものかなあ。単純に体力だけの問題じゃなくて、精神力とか運も全部ふくめた、生きるための力って感じかな」
「運やて!?」
 その言葉に、天音がすかさず食いつく。
「そう、それでその霊波はひとりひとり波の形や大きさがちがうんだけど、でもときどきあるんだよね。キミと恵ちゃんみたいに、お互いの波と波がピッタリかみ合う組み合わせが。ジグソーパズルのピースを例えにするとわかりやすいかな? で本題なんだけど、そんな二人が接触すると霊波の共振が起きて――」
「共振が起きて!?」
「やっぱり、霊波がドバッと相手に流れちゃうみたいだね。強い方から弱い方に」
 できれば聞きたくなかった答えに、天音はガックリと肩を落とした。
 でもこれで先ほどまでの異常なツキの逆転も説明できる。自分は文字通り恵に運を吸い取られてしまったのだ。
「あ、あかん、うちの人生、もうおしまいやぁ」
 天音はこの世の終わりとばかりうちひしがれた。
 だがそんな天音に、紅緒が笑いながら助け舟を出す。
「そんな顔しなくても平気平気。しばらくすれば勝手に戻るものだから」
「ほ、ほんま? あとどれくらいで!?」
「そうだねー、一週間ってとこかな。慣れればもっと短くなるけど、今回は初めてだし」
「い、一週間もこのままなんか……」
 もちろんずっとこのままよりは何百倍もマシに決まってる。ただそれでもやはり、今の天音にとって一週間は永遠と呼べるほど長い時間に思えた。
 天音はそれからずいぶん長い間、ああでもない、こうでもないとひとりでブツブツつぶやいていたが、やがて何かを思いついたようにバチンと両手を打ち合わせた。
「そや、紅緒さん! ケサランパサランで恵が幸福になったら、必要なくなったうちの運もすぐに戻ってくるんとちゃうか!?」
「うーん。まあ、そういうことになるかな」
「よっしゃああ! 首洗って待っとけや、ケサランパサラン!!」
 たぶんケサランパサランに首はないだろうが、天音はそんな些細なことまったく気にならないくらい、かすかに見え始めた希望に鼻息を荒くしていた。
「天音さま〜、紅緒さま〜」
 そのとき、のんびりとした声を響かせて梦月が戻ってきた。
 となりにはもちろん恵の姿もある。
「天音さん、もう動いて平気なんですか?」
「平気や平気、今のうちは猛烈に燃えとるんや!」
 調子にのっておでこをポンと叩いてみせる。……痛かった。やはり世の中には、気合だけではままならないこともあるようだ。慌てて恵から濡れタオルを受け取る。
 おでこに気持ちよさそうにタオルを乗せる天音を見て、恵はクスリと微笑んだ。
「天音様、これは蘇芳からですぅ」
 梦月はそう言って天音に両手を差し出した。
 広げたブタさん模様のハンカチの上に、赤い小さな果実を山盛りに持っている。
「さっきのおわびだそうですう。木苺、すごくおいしいそうですよ〜」
「へえ、これが。うち初めてやわ」
 天音がひとつぶつまんで口の中に放り込む。
 だが。ドキドキして見守る梦月の前で、天音は複雑な顔をして首をかしげた。
「……なあ、木苺って苦いもんなん?」
 梦月はキョトンとして恵と顔を見合わせた。
「ああこれ、木苺じゃなくて蛇苺だね。あんまり食べない方がいいよ」
 横からヒョイと覗き込んだ紅緒がこともなげに言う。
「すす、すみません! あたしも初めて見たんでわからなくて」
「もう蘇芳、まちがえちゃダメじゃないですかあ!」
「でも平気だよ。苦いだけで毒はないからね」
「え、そうなんですか? よかったですう」
 おたおたする梦月と恵を紅緒がなぐさめる。
 二人はその言葉を聞いてホッと胸をなでおろした。
「いや、うちはちっともよくないんやけど」
 そんな言葉が天音の喉元まで出かかる。
 天音は蛇苺をジャリジャリと噛みしめながら改めて心に誓った。
 絶対、必ず、ケサランパサランをつかまえてこの不幸地獄を脱出してみせると。

●願いを叶えるもの
「あ、あかん、ほんまに死ぬ……」
 天音はよれよれの姿でつぶやいた。
 さすがにもう大きいのはないだろう。そう油断していたのが甘かったかもしれない。
 イノシシがパワフルでタフなだけでなく非常に執念深い獣だということを、天音は今日初めて知った。もうTVでウリ坊を見ても決して可愛いとは思うまい。
 この夏に熊と格闘した女子高生は、たぶん日本中を探しても天音ひとりだろう。間近に見た熊の肉球の色を、天音はたぶん一生忘れることはないだろう。
 まあどちらも紅緒と蘇芳が間一髪で助け出してくれたので、実際問題としてはカスリ傷ひとつ負っていなかっりするのだが、それでも精神的な疲労は計り知れない。
 天音は不覚にも、今では恵に肩を借りてどうにか山道を歩いているさまだった。
「紅緒様、まだ着かないんでしょうか?」
 蘇芳が何かと助けてくれるとはいえ、梦月もさすがに少し疲れを感じ始めていた。
 すでに陽は傾き、西の空がうっすら黄金色に染まり始めていた。この山に入ったのはちょうどお昼ごろだ。途中ゴタゴタがあって時間を無駄にした部分があるにしても、帰りのことを考えればもうほとんど時間は残されていないはずだった。
「うん? もう着くところだよ、ほら」
 紅緒はなんでもない口調でそう言った。
 全員がハッとして紅緒の視線を追う。その先には、何にもさえぎられることのない大きな空が広がっていた。一行はいつのまにか山頂まであと一歩のところに来ていたのだ。
 山頂は平らなスペースになっていた。しかもほぼ完全な円形で、真上から見ればきっと何かのステージのように見えるに違いない。それでいて人間の手が加えられた形跡がまったくないのが不思議だった。
 地面はいちめん丈の短い草で覆われている。夕陽を浴びて黄金色に染まった草の海は、まるで天然の絨毯のようだ。
 誰もがしばらくの間、目の前に広がる不思議な空間を無言で眺めていた。
「あ、天音さん、あれ!」
 不意に声を上げたのは恵だった。
 恵の指さす先で、草の海から何か白いものがフワリと空中に浮かび上がった。かすかな輝きを放ちながら空中を漂うその姿は、まるでウワサに聞いた――。
「梦月、借して!」
 そう言うが早いか梦月から虫取りアミをひったくると、天音は宙に身を躍らせた。着地と同時に虫取りアミを横薙ぎに振るう。アミは正確な軌道を描いて宙に浮かぶ物体を捕らえた。
「やったですう、天音様!」
 梦月がぴょんぴょんジャンプして歓声をあげる。
 だが次の瞬間、天音は足下の草の海がゾワリと動き出すのを感じた。
 いや、天音だけではない。梦月も、恵も同じ感触を味わっていた。
 山頂いちめんを覆う草の海が、まるでひとつの巨大な生物のように波打ち始めたのだ。
 そして草の海が津波のように大きくうねり、そして――ポン!と弾けた。まるで、クラッカーでも鳴らしたみたいに。
 おそるおそる目を開けた天音は、思わずハッと息を飲んだ。
 いたのだ。さっきアミで捕らえたのと同じ白くてフワフワした物体が。何千、いや何万という数の白くてフワフワした物体が空中を漂い、視界すべてを覆い尽くしていた。
 天音はようやく理解した。さきほどまで見ていた草の海は、本物の草などではなかったのだ。このフワワフたちが無数に集まって、草のように見えていただけなのだ。
「もしかして、これがみんなケサランパサラン……」
 恵が呆然とつぶやく。
「はああ、すごく綺麗です〜」
 梦月はただただ目の前の幻想的な光景に感動していた。
「なんやの、こいつら……」
 天音はアミの中に捕らえた不思議な物体をまじまじと見つめた。
 それは天音の目には、光そのものに見えた。そう、ゆらめく白い光のかたまりだ。フワフワと綿毛のように見えたのは、その表面が常に一定ではなく、膨らんだり縮んだりしながらゆらゆらと移ろいでいるからだ。
「あ、待ってえ! どこに行くんですかあ?」
 梦月が慌てたように手を伸ばした。
 だだ空中を漂うだけだったフワフワたちが、タンポポの綿毛のように飛翔を始めたのだ。風に流されているのではない。まるで自らの意思で行き先を選ぶかのように、すべての方向に広がり拡散しながら空高く舞い上がっていく。それはまるで、巣立ちの瞬間のように見えた。
「いまだ何物にも定まらず。ただその内に可能性あるのみ」
 それまで黙って様子を見守っていた紅緒が、不意に歌うような声で言った。
「この子たちは『未』。未は新月の晩に生まれ、満月の晩に自分が何になるのか決める。だから今はちょうど、出発の時間ってわけ」
「未、ですかあ?」
 梦月が小首をかしげる。
「あるものは花になる。あるものは虫になる。あるものは魚になる。あるものは鳥になる。あるものは獣になる。あるものは人になる。でも今はまだ何物でもない。何になるのかさえ決まっていない。だから、『未』。まあ、『マナ』とか別の名前で呼ぶ人もいるみたいだけどね」
「あの、ケサランパサランとはちがうんですか?」
「うーん、そうかもしれないし、ちがうかもしれない。少なくともこの子たちは何も食べないしね。でも白くて綿毛みたいで願いを叶えられる存在って、ボクはこの子しか知らないから」
 おずおずと問いかける恵に、紅緒は軽く肩をすくめてみせた。
「この子たちが、お願いを聞いてくれるんですかあ?」
「まあ、そんなとこかな。ええとそうだなー、うん、恵ちゃん! どれでもいいから近くにいる子を見つめて、願い事をしてみてくれる? 今一番叶えたい願い事を、心の中で強く」
「え、あ、はい!」
 急に指名されて驚いたのか、恵はうわずった声で返事をした。
 すぐに紅緒に言われたとおりに、近くに浮かんでいた未をじっと見つめ始める。
 次の瞬間、未はまばゆい光を放ち――消滅した。
「うん、今のでOK。ちゃんと叶えられたはずだよ」
「ちょ、ちょっと待ちいや! そんな簡単な方法で願いが叶えられるんかいな!?」
「内容によっては、もっと大量の未を必要とするみたいだけどね。でも基本はいっしょだよ」
 天音はゴクリと唾を飲んだ。
 すでにほとんどの未は飛び去ってしまったが、でも今ここに残っているぶんだけでもどれだけの願いを叶えられるのか……。これはもう、奪われた運を取り戻すどころの騒ぎではない。
「さ、それじゃ本番。さっそく恵ちゃんのドジを治しちゃおうよ」
 紅緒が恵をうながす。
 だが恵は動かなかった。恵はじっと何かを考え込んでいるようだ。
 やがて恵は重い口を開き、紅緒にこう問いかけた。
「あの、さっきの子はどうなったんですか? 光ったそのあとに――」
「消えたよ。未は可能性の結晶みたいなものだから。何かを実現すれば、消える」
「そんな、死んでしまったんですの?」
 梦月は今にも飛び立とうとしている一匹の未を見つめた。この綺麗で不思議でフワフワとした存在が失われてしまったのだと思うと、とてもとても悲しかった。
「さっきも言ったけど、未はまだ何物でもないんだ。だからそういう言い方が正しいかどうかはわからないけどね。……恵ちゃんは、それが気になるの?」
「だって、あの、この子たち、本当なら花になれるかもしれないんでしょう? 虫にだって鳥にだって、それに人にだって! 自分の幸福のためにそれを横取りするなんて、そんなの……」
「でも恵ちゃんはドジを治すためにケサランパサランを飼うつもりだったんだよね? 消えるのは可哀相だけど、連れて帰って閉じ込めるのは平気なの?」
 問い返す紅緒の口調には、責めるような響きは欠片も感じられなかった。
 だからこそ、恵は自分の考えの甘さを余計に強く思い知らされたような気がした。
 恵は何も言えなくなってしまい、うつむいてギュッと唇を噛んだ。
「……なんてね」
 紅緒は小さくつぶやいて舌を見せた。
「ゴメンゴメン、ちょっと意地悪だったね。もちろん恵ちゃんが好きに決めていいんだよ。自分のことなんだからさ」
「……紅緒さん」
 恵がハッとして紅緒を見つめる。
 紅緒はそんな恵にニッコリと微笑んで言った。
「ただその前に、ひとつだけ言わせといてもらうね。ボクは今のままの恵ちゃんも可愛いと思うし、すごく好きだよ。そんなふうに優しくて一生懸命なところが、特に。もちろん、ドジな部分もふくめてね」
「はい、はあーい、私も恵様、大好きですよう。今度はぜひ、二人でモコモコのウサギさんを見に来ましょうねえ」
「紅緒さん、梦月ちゃん……」
 恵の目にじんわりと涙がにじむ。
「ちょちょちょ、ちょっと待ちいな!」
 思わぬ展開に慌てたのは、天音だった。
「あんた、ほんまにそれでええの!? あとから後悔せんよう、よー考えんと。ほら、フワフワかてこんだけたくさんおるんやから、ちょっとくらい協力してもろてもバチは当たらんて」
 自分自身の問題でもあるだけに、天音は必死だ。恵のドジが直らなければ、あと一週間もこの不幸地獄をさまよい続けることになってしまう。
「あの、ありがとう、あたしのことそんなに心配してくれて。でもやっぱりあたし、花や鳥や人がたくさん生まれた方がきっとうれしいから、だから……。ゴメンね、ありがとう天音さん」
 恵は目の端に涙をためてニッコリと天音に微笑んだ。
 恵は天音が必死なのはあくまで恵自身のためだと信じているようだ。まるで疑いのない、本当にうれしそうな笑顔だった。
 恵は自分が天音の運を吸い取っていることをまだ知らない。こうなったら本当のことを話してしまおうか、そんな考えがチラリと天音の意識をかすめる。恵のことだ、そうなれば必ずドジを治そうとするにちがいない。……自分のためではなく、天音のために。
 だが天音はまた理解していた。もしそうすれば自分に向けられたこの笑顔は、もう永遠に失われてしまうということも。
「あーあ、うちもヤキがまわったもんやわ」
 天音は深々とため息をもらした。
 地面にかぶせていたアミを無造作にひっくり返す。開放された未が、あと残りわずかになった他の仲間たちといっしょに夕焼けの空にフワリと飛び立っていく。
「さようなら〜」
 梦月がいつまでも手を振りながら、それを見送っていた。

●恵のお願い
 ようやく一行がふもとまで戻ったころには、日はもうほとんど暮れかけていた。西の空の端にわずかに茜色を残しているだけだ。
「はあ、結局なんやったの、今日は?」
 天音がポツリと愚痴をこぼす。
 恵のドジは少しも直らないまま。おまけに自分は余計な不幸まで背負う始末になったのだから天音の嘆きはもっともだと言えるだろう。
「最初に言ったとおりだよ。今日はみんなで山登り。ほんと、楽しかったねー」
 紅緒があくまで陽気に答える。
「あの、そういえば〜」
 梦月はふと思い出して恵に聞いてみた。
「恵様、あのとき何をお願いしたんですかあ?」
 そう、恵の願いは叶えられたはずなのだ。少なくともたったひとつだけは。
 あのとき紅緒は、恵に今一番叶えたいことを心の中で願うように言った。はたして恵は、何をお願いしてみたのだろうか。
 恵はチラリと天音の顔を見てから、ニッコリと笑ってこう答えた。
「あのね、大切なお友達のケガが治りますようにって」
 そういわれてみれば。
 天音のおでこのたんこぶは、いつのまにかすっかり消えてなくなっていた。

●満月
「よかった、天音ちゃんがいい子で」
 紅緒は誰に聞かせるわけでもなくつぶやいた。
 もっとも聞いている人間など最初からいなかったが。恵たちを送り届けたあと、紅緒はひとりで戻ってきていたのだ。あの山の山頂にある不思議な空間に。
「うん、よかった、天音ちゃんがいい子で」
 紅緒は満月を見上げながらもう一度つぶやいた。
 未が生まれてくる場所は、ここ以外にも世界中にいくつか存在している。紅緒は以前誰かから聞いたことがあった。未を使い果たしたために滅びた国があるということを。未の力に気づいた人々が欲望を満たすために未を消費し続けたのだ。結果、新しい命は誕生の機会を奪われ、大地も空も海もすべてが枯れ果て、国は滅びた。
 もしも恵たちが邪まな思いに取り付かれていれば、あるいはこの国も……。
 紅緒はそれならそれでも構わないと思っていたつもりだった。所詮この世は移ろうもの。どれだけ愛しく思えども、あらゆるものは時と共に姿を変え、ひとつまたひとつと消えていく。いつまでも変わらず残されるのは……ただ自分だけだ。
 でもそうはならなかった。恵は想像以上に素直で優しく、紅緒が望んでいた以上の答えを見せてくれた。そしてそのことをひどくうれしく感じている自分がここにいるという事実が、紅緒には我ながら不思議だった。
 紅緒は自分が本当は何者なのかを知らない。だから自分はまだ何者でもない。それでいて未のようにこれから何かになれるわけでもない。
 だがそれでもいいのかもしれない。今日の経験を通して紅緒は少しだけそう思うようになっていた。たとえ自分が何者でもないとしても、いつかは残される身だとしても、こんなふうに何かを見守り続けていくことは案外不幸なことではないのかもしれないと。
 そう、たとえばこの満月が地上のすべてを見守り続けるように。
 紅緒は携帯電話を取り出した。
 月を見ているうちに、ふとある人の顔が頭に浮かんだのだ。
 三回のコールの後に電話に出た最愛の友人に、紅緒はそっとささやいた。
「おいでよ栖ちゃん、月がとっても綺麗だよ」

Fin
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0655/阿雲・紅緒/男/729/自称謎の人
0684/湖影・梦月/女/14/中学生
0576/南宮寺・天音/女/16/ギャンブラー(高校生)


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■         ライター通信          ■
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こんにちは、ライターの今宮和己と申します。
長い間お待たせしてしまって本当にすみませんでした。
ようやく『幸せの白いモコモコ。』をお届けすることができます。
個性的なPCたちを動かしている間に加速度的に内容がふくらんでいって……自分にはどうやら短いお話は書けないらしいと今回のことであらためて思い知らされています。
この長いシナリオに最後までお付き合いいただいて本当にありがとうございました。

紅緒さん。
今回は多少プレイングとはズレてしまうのですが、お話をまとめるために紅緒さんには案内人の役割をつとめていただきました、勝手なことをしてすみません、ご協力本当に感謝感謝です。
不思議な存在である「未」とからめることで紅緒さんが置かれている立場なども少し掘り下げてみたのですが、いかがだったでしょうか?
ほんの少しでも気に入っていただける部分があれば、本当に幸いです。

ではまた、どこかでお目にかかれることを祈りつつ。
ありがとうございました。