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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


記憶の蝶
執筆ライター  :織人文
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜5人

------<オープニング>--------------------------------------

 「記憶を探してほしいのです」
小谷和也と名乗った男は言った。一見して、50代半ばぐらいだろうか。風采の上がらない男で、身なりにも構わないのか、白髪混じりの髪は、ぼさぼさだった。
 事務所のソファに、背を丸めるようにして座り、話す。
「ああ、記憶といっても、私のじゃありませんよ。私の、最愛の女性――妻の瑠璃子の記憶です。一番幸せだったころの、妻の記憶を結晶化させたもので、瑠璃色の蝶の姿をしています。まるで、夢のようにきれいなものですよ」
小谷は、その姿を脳裏に思い描くように、目を細める。
「それなのに、夢中になって眺めていて、うっかり逃がしてしまってね。……ああ、そうそう、もしも見つけたら、捕えてこれへ入れて下さい」
言って、彼は傍に置いてあった、小さな丸い虫かごを手に取り、草間の方へと掲げて見せた。銀細工の、繊細な作りのもので、その中に瑠璃色の蝶がいるところは、さぞや絵になるだろうと思わせる。
「これには、特殊な魔法が掛かっていましてね。記憶の蝶は、この虫かごでないと、捕えておくことができないのです」
 言うだけ言うと、小谷は「お願いします」と草間に頭を下げ、銀細工の虫かごを置いて、立ち去って行った。







 龍堂玲於奈がその森にたどり着いた時、日はとっぷりと暮れていた。
 東京を出たのは、夕方の5時ごろ。夏の日はまだ明るく、車で小一時間程度のこの森へは、充分明るいうちに着けるはずだった。だのにこんな時間になってしまったのは、途中、溝に車輪二つを落とし込んで困り果てているバンの家族連れを助けたりしていたせいだ。
 彼女は、そういうのを見ると、放ってはおけない性質(たち)だ。それに、彼女にはバンどころか、それが2トントラックだったとしても、一人で溝から助け出してしまえるだけの尋常ではない怪力がある。バンを溝から上げてやり、あれこれと後のことを手伝ってやって、家族連れと別れた時には、さすがに長い夏の日も暮れ始めていた。
 日が落ちてから入った森の中は、うっそうとして、薄気味が悪い。頭上をおおう木々に遮られて、月の光も届かなかった。
「くそっ! あんなとこで、道草食うんじゃなかったよな」
レンタカーの運転席で、彼女はぼやく。
 彼女がここに来たのは、仕事のためだ。街の掃除屋である彼女は、草間興信所に持ち込まれた、記憶を結晶化させた蝶を探してほしいという、奇妙な依頼を引き受けた。依頼内容に、嫌なものは感じたものの、彼女の場合、仕事を選り好みしていられる状況にはない。
彼女は、尋常ではない怪力によって失われる膨大なエネルギーを補うために、大量の食べ物を必要とする。その食費を稼ぐために、こうして日夜、仕事に励んでいるのだ。
 もっとも、この仕事を引き受けた時には、彼女はもっと簡単に決着がつくと考えていた。蝶はおそらく、記憶の本来の持ち主の元に行くはずだ。ならば、その持ち主――小谷和也の妻、瑠璃子の所へ行ってみればいいと。ただ、問題は、その人が生きているのか死んでいるのかということだ。
「それで、あんたの奥さんは、今どうしているんだい?」
今朝早くに家を訪ね、訊いた玲於奈に、小谷は、妻は5年前から行方不明なのだと告げた。
 小谷によれば瑠璃子は、5年前、かつて隣に住んでいた男と不倫の末に駆け落ちして、姿を消したのだという。だが、だとしたら、記憶はいったいいつ抜き出され、結晶化されて蝶になったのだろうか。矛盾を指摘する玲於奈に、小谷はしかし、黙り込んだまま、そのあたりの事情を語ろうとはしなかった。
 しかたなく玲於奈は、小谷から聞き出した名前や住所を頼りに、瑠璃子の身内や友人、はては、元・隣人の男にまで会って話を聞いた。この元・隣人は、瑠璃子の行方不明後、一年もせずに別の街に引っ越していた。
 だが、瑠璃子の行方を知る手掛かりは、何も得られなかった。ただ、その話ぶりから察すると、彼女の身内や友人たちは、皆、すでに彼女が死んだものと諦めている様子だった。
 ほとんど一日を徒労に費やして、玲於奈は、捜査方針を変えることにした。
 小谷が、妻との思い出の場所として話していた森へ行ってみることにしたのだ。それが、今いるここだった。

 闇の中を、降りて歩く気にはなれず、ほとんど無理矢理に車を森に乗り入れ、進んで来た。だが、それもこのあたりが限界だ。溜息をつき、彼女は、ハンドルに両手をかけて、その上に顎を乗せた。車は停止しているものの、エンジンはつけっぱなしだ。クーラーを切りたくないのはむろんだが、光源がなくなるのは、もっと嫌だった。当人は認めようとしないが、彼女は幽霊が大嫌いなのだ。こんないかにも出そうな場所で、たった一人、真っ暗闇ですごすなど、まっぴらだった。
 早く蝶を見つけて帰ろうとばかりに、彼女は、後部座席に積んで来た、ミネラルウオーターのペットボトルを手にすると、エンジンをつけたまま、車外に出た。
 予定ではもう少し奥まで行くつもりだったのだが、とりあえず、ここで蝶を呼ぶ方法を試してみることにした。車のライトの届く、ぎりぎりのあたりまで、ペットボトルの水を撒く。それが済むと、彼女はそそくさと車内に戻った。
 最初は緊張して、蝶が現れるのを待っていた彼女も、時間がたつうちに、昼間の疲れた出て来たのだろうか。いつの間にか、眠ってしまっていた。そして、その眠りの中で、夢を見た。

 夢の中で、玲於奈はその森の広場のような場所にいた。夜ではない。昼間だ。頭上をおおう木々によって、強い陽射しは遮られ、渡って来る風が涼しい。その風にざわめく梢の音が、更に涼しさを誘っていた。
 彼女の前には、小谷に見せてもらった写真と同じ、白いブラウスと紺のフレアスカートに身を包んだ瑠璃子が立っていた。長い黒髪に色白の、日本風美人だ。
『あんた、小谷瑠璃子さん?』
『ええ。……ごめんなさい。夫が、おかしなことをお願いしたために、迷惑をかけてしまって……』
瑠璃子はうなずき、微笑んで言った。
『別に、あたしのことはいいよ。仕事なんだし。でも、あんた、どうしてここに? 他の人たちが思ってるように、やっぱり死んでるのかい? ここで、死んだのかい?』
かぶりをふって問う玲於奈に、瑠璃子は少しだけ困ったように、首をかしげた。
『そうね。ここでではないけど、肉体的には、《死んだ》と言っていいんだと思うわ。でも、私の心は生きている。蝶の姿をした《記憶の結晶》の奥底に、あの人が望んだのとは別の記憶として……』
『別の記憶?』
『ええ。あの人が……夫が望んで結晶化してもらったのは、あの人が幸福だったと信じているころの私の記憶。それは、ほんの数年分のもので、私にとっては、その後も、あの人と一緒だった記憶は、どれもみな幸福な記憶なのに、あの人は、そうは思っていないのよ』
 玲於奈は、彼女の言葉に、元隣人との不倫の話を思い出した。
 当人も、身内も、事実無根だとする噂。だのに、小谷だけが信じている噂。
『あんたは、旦那さんを愛してるんだ?』
ふと思いついて、玲於奈は問うた。
『ええ』
柔らかく、周囲に吹き渡る涼風のように微笑んで、瑠璃子はうなずいた。
『でも、あの人は、私があの人を愛しているんだってことを、信じてくれなかった』
 玲於奈は、黙って彼女の話を聞いていた。妻の愛情を信じられなかった男。その男だけが信じている、元隣人との不倫。そして、行方不明になったまま、5年も消息がわからないままの、男の妻。
(案外、身内の勘ってやつは、これで馬鹿にならないのかもしれないねえ……)
玲於奈は、胸に呟く。そして、訊いた。
『どうして、逃げ出したんだい?』
『……あの人が、記憶の蝶の深いところにいる私に、まったく気付かなかったから、かもしれないわ』
少し考えた後、瑠璃子は言った。
『そのことに、焦れていたのかもしれないわね』
『なんなら、あたしが伝えてやろうか? あんたが、そこにいるんだってことを』
低く溜息をついて、玲於奈が言った。だが、瑠璃子はかぶりをふる。
『いいえ。……たぶん、あなたの言葉を信じないわ。他人の言伝を信じるぐらいなら、とっくに、私に気付いていると思うもの』
『それもそうか……』
思わず呟いた玲於奈に、瑠璃子はクスリと笑う。
『あなたに会って、話を聞いてもらえてよかったわ。なんだか、すっきりした。結局私は、誰かに話を聞いてもらいたかっただけなのかもしれないわね。ありがとう』
言って、彼女はかろやかに身をひるがえした。
『あ……!』
玲於奈は、思わず追いすがろうとした。だが、唐突に、風景がぼやける。夢が、終わろうとしていた。

 ハッと目覚めて、玲於奈はあたりを見回す。そこは、眠ってしまう前と同じ、レンタカーの中だった。時計を見れば、ほんの数分が過ぎただけである。
「あ……!」
時計から顔を上げ、車外を見た彼女は、目を見張った。車のライトの光の中を、一匹の蝶が舞っている。
 彼女は、慌てて車外に出た。手には、小谷から渡された銀細工の虫かごを下げている。蝶は、彼女に気付いたかのように、ひらひらとこちらに寄って来た。小谷の話にあったとおり、瑠璃色の蝶だ。大きさは、アゲハ蝶ぐらいか。
 蝶は、玲於奈の肩先に、ふわりと止まった。
「帰るつもりなのかい?」
玲於奈が尋ねると、蝶はうなずくように、ゆっくりと一度、羽根を動かした。玲於奈は、虫かごの扉を開けた。蝶は、再び舞い上がり、その中に入ると、中央にある繊細な銀の止まり木に羽根を休めた。
 それを見やって、虫かごの扉を閉め、玲於奈は一つ、吐息をついた。

 翌日。
 玲於奈からの連絡を受けて、小谷和也が草間興信所へやって来た。先日と同じく、なんとなくよれた感じのネズミ色のスーツを着て、髪もぼさぼさのままだ。
 事務所のテーブルを挟んで向かい合った玲於奈が、蝶の入った虫かごをさし出すと、小谷はまるで、高価な宝石をでも扱うような手つきで、それを持ち上げ、しげしげと中を覗き込む。そして、深い安堵の吐息をついた。
「間違いありません。私の妻の記憶を結晶化した、蝶です。本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げ、大事そうにそれをかかえて、彼は帰って行く。
 その後ろ姿を見送って、玲於奈は深い溜息をついた。
 昨夜も思ったことだが、おそらく、小谷瑠璃子はすでに死んで――いや、殺されているのだろう。夫である、小谷和也によって。だが、瑠璃子は、自分の愛を信じず、自分を殺した夫を、憎んではいない。
 一方で、小谷は、もしかしたら、妻が隣家の男と不倫の末に駆け落ちした、という自分が作り上げた妄想を、本気で信じているのかもしれなかった。そして、妻が自分を愛してくれていたと信じている時間だけを、ああして記憶の蝶に結晶させ、飽かず眺めてくらすことで、自分だけの時間の檻を作り上げて、そこで生きているのかもしれない。
(あたしには、とうてい耐えられそうにない世界だけどね)
胸に呟き、肩をすくめることで、そのやりきれない感情にかたをつけると、彼女は立ち上がった。
 今日もまた、街の掃除屋としての仕事が、彼女を待っていた――。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0669/龍堂玲於奈/女/26/探偵。街の掃除屋】

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■         ライター通信          ■
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こんにちわ。織人文です。
依頼に参加いただきまして、ありがとうございます。
今回の作品は、私の初仕事でもあります。
一人一人、別々の作品に仕上げさせていただきました。
どのキャラクターも個性的で、とても素敵で、書きながら、私も楽しませていただきました。
皆さんにも、気に入っていただけて、楽しんでいただければ、うれしいのですが。
もしよろしければ、お暇な時にでも、感想などいただければ、幸いです。