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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


記憶の蝶

執筆ライター  :織人文
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜5人

------<オープニング>--------------------------------------

 「記憶を探してほしいのです」
小谷和也と名乗った男は言った。一見して、50代半ばぐらいだろうか。風采の上がらない男で、身なりにも構わないのか、白髪混じりの髪は、ぼさぼさだった。
 事務所のソファに、背を丸めるようにして座り、話す。
「ああ、記憶といっても、私のじゃありませんよ。私の、最愛の女性――妻の瑠璃子の記憶です。一番幸せだったころの、妻の記憶を結晶化させたもので、瑠璃色の蝶の姿をしています。まるで、夢のようにきれいなものですよ」
小谷は、その姿を脳裏に思い描くように、目を細める。
「それなのに、夢中になって眺めていて、うっかり逃がしてしまってね。……ああ、そうそう、もしも見つけたら、捕えてこれへ入れて下さい」
言って、彼は傍に置いてあった、小さな丸い虫かごを手に取り、草間の方へと掲げて見せた。銀細工の、繊細な作りのもので、その中に瑠璃色の蝶がいるところは、さぞや絵になるだろうと思わせる。
「これには、特殊な魔法が掛かっていましてね。記憶の蝶は、この虫かごでないと、捕えておくことができないのです」
 言うだけ言うと、小谷は「お願いします」と草間に頭を下げ、銀細工の虫かごを置いて、立ち去って行った。





 やわらかな風が吹き渡る森の中に、シュライン・エマは立っていた。
 明らかに日本人ではない白い肌に、青い瞳。長く伸ばした黒髪を後ろで一つに束ねて、細身で長身の体に、シルエットが際立つノースリーブのワンピースをまとっていた。切れ長の目の中性的な顔立ちともあいまって、彼女は、そこにそうして立っているだけで、まさに一幅の絵のようだった。目が悪いのか、胸元には色つきのメガネが下がっている。
 彼女がいる森は、今回の仕事の依頼人、小谷和也から聞き出した「思い出の場所」だった。東京から車で小一時間ほどの、山の中腹にある。森に入った時には、煩いほどに鳴いていた蝉の声も今は聞こえない。頭上をおおう木々が、暑い夏の陽射しを遮り、渡って行く風が、梢を揺らす。なかなか、いい場所だった。
 小谷に聞いたところでは、彼の妻、瑠璃子は、5年前に行方不明になっているのだという。彼自身は、瑠璃子は当時隣家に住んでいた男と、不倫の末に駆け落ちしたのだと言っていた。が、シュラインが調べたところでは、瑠璃子は5年前のある日、忽然と姿を消していた。身内の者や友人たちは、死んだものと諦めている様子だ。
 ともあれ、シュラインは、蝶が向かうのは、何らかの思い出のある場所ではないかと考えていた。それで、瑠璃子の行方不明に関して調べた後、ここへ来たのだった。
 シュラインはあたりを見回し、小さく吐息をついて胸に呟く。
(記憶を結晶化させるって何だかヤな感じがするわ……本来自由で、それぞれに尊重されるべきである筈の記憶が美術品のような扱いされてる感が……)
それは、依頼を引き受けてから、ずっと胸にわだかまっていた思いだった。小谷は、当人の承諾を受けて記憶を結晶化させたのだと言ってはいたが、瑠璃子が行方不明である以上、それが本当である確証はなかった。彼女としては、もしも蝶が戻るのを嫌がっているのなら、そのまま逃がしてやりたいと思っていた。それを聞いたら、草間は怒るかもしれないが。
 だが、ともかく蝶を見つけるのが先決だった。
 彼女は頭上をふり仰ぎ、大きく一つ息を吸い込むと、澄んだ高い声で歌い始めた。日本語ではない。ラテン語の、聖歌を思わせる響きのある、厳かな歌だ。
 それは、小谷の家で、かつて瑠璃子が好きでよく聞いていたと教えられた古いレコードの中にあった一曲だった。偶然、シュラインの知っている曲でもあった。音域の広い、やや難解な曲だったが、ヴォイスコントロールに優れた彼女の喉からは、自在に歌があふれ出し、伸びやかに曲を形作って行く。
 歌い終わっても、彼女はそのまましばし、頭上をふり仰ぎ、森に広がる音の余韻に身を任せているようだった。やがて、上げていた頭を下ろし、一つ吐息をつく。そして、彼女は待ちの姿勢に入った。
 一本の木の根方に腰を降ろし、目を閉じて、周囲の音に意識を集中する。彼女の耳は、常人よりも正確に音を聞き分けることができる。その耳と喉の能力が一つになって、彼女に、正確な音の模写能力という才能を与えているのだ。
 だが、どれほど耳を澄ませても、聞こえるのは、さわさわと心地良い、梢の揺れる音ばかりだった。
 やがて彼女は、その梢のざわめきの心地良さに、いつの間にか眠ってしまっていた。そして、その眠りの中で、夢を見た。

 夢の中でも、シュラインはその森の中にいた。
 彼女の前には、小谷に見せてもらった写真と同じ、白いブラウスと紺のフレアスカートに身を包んだ瑠璃子が立っていた。長い黒髪に色白の、日本風美人だ。
『もしかして、小谷瑠璃子さん?』
『ええ。……ごめんなさい。私を探しに来てくれたんでしょう?』
瑠璃子はうなずき、微笑んで訊いた。
『ええ。でも、あんたは何? 結晶化されたという、記憶の中の瑠璃子さんなの?』
問い返すシュラインに、瑠璃子は言葉を探すように、首をかしげた。
『そうね。記憶には違いないわ。でも、私は、あの人が《蝶に結晶化することを望んだ記憶》ではないわ。その奥底に沈んだ、別の記憶よ』
『別の記憶?』
『ええ。あの人が……夫が望んで結晶化してもらったのは、あの人が幸福だったと信じているころの私の記憶。それは、ほんの数年分のもので、私にとっては、その後も、あの人と一緒だった記憶は、どれもみな幸福な記憶なのに、あの人は、そうは思っていないのよ』
シュラインは、彼女の言葉に、5年前、隣家に住んでいた男との不倫の話を思い出した。
 元・隣家の男も、身内も、事実無根だとする話。だのに、小谷だけが信じている話。
『あんたは、旦那さんを愛してた?』
ふと思いついて、シュラインは問うた。
『ええ』
柔らかく、周囲に吹き渡る涼風のように微笑んで、瑠璃子はうなずいた。
『でも、あの人は、私があの人を愛しているんだってことを、信じてくれなかった』
 シュラインは、黙って彼女の話を聞いていた。妻の愛情を信じられなかった男。その男だけが信じている、元隣人との不倫。そして、行方不明になったまま、5年も消息がわからない、男の妻。
(案外、身内の勘って、これで馬鹿にならないものなのかもね……)
シュラインは、口元に皮肉な笑みを刻んで、胸に呟く。そして、訊いた。
『どうして、逃げ出したの?』
『……あの人が、記憶の蝶の深いところにいる私に、まったく気付かなかったから、かもしれないわ』
少し考えた後、瑠璃子は言った。
『そのことに、焦れていたのかもしれないわね』
『もし、戻るのが嫌なのなら、このまま逃げてもいいのよ』
シュラインは、依頼を引き受けた時に思ったことを、口に出してみた。瑠璃子が、本当に逃げ出したがっているようには見えない。だが、この状態がいいとも思えなかったからだ。
『ありがとう。でも、いいの。だって、私はあの人を愛しているんですもの。結局は、あの人の傍以外、戻る所なんてないの』
クスリと笑って瑠璃子は、かぶりをふった。
『そう……。なら、何か伝えたいことは? なんなら、伝言ぐらいできるわよ』
『いいえ。それもいいわ。何を言っても、あの人は、あなたの言葉を信じないでしょうから。他人からの伝言を信じるぐらいなら、私の存在にも、とっくに気付いていたはずだもの』
もう一度かぶりをふって、瑠璃子は笑った。
『本当は、私、誰かに話を聞いてほしかっただけなのかもしれないわ。あなたに会えてよかった。おかげで、すっきりしたわ。それと、素敵な歌をありがとう』
言って、彼女は軽やかに身をひるがえす。長い髪とスカートの裾が、ふわりと揺れた。
『あ……』
シュラインは、慌てて追いすがろうとした。だが、瑠璃子の姿は風に溶けるように消え、あたりの風景も、静かに揺らぎ始めていた。

 ハッと目覚めて、シュラインは、あたりを見回した。
 慌てて腕時計を見る。木の根方に腰を降ろしてから、さほど時間はたっていない。
 彼女がホッと息をついた時、ふと風が止んだ。彼女は何かの気配を感じて顔を上げる。その目の前に、瑠璃色の蝶がふわりと舞い降りた。アゲハほどの大きさの蝶は、内側から鈍く光っているかのようで、たしかに小谷の言葉どおり、美しかった。
 軽く目を見張るシュラインの肩先に、蝶は止まった。
「戻るのね?」
シュラインは、念を押すように尋ねる。それへ答えるように、蝶はゆっくりと一度だけ羽根を動かした。彼女は、傍に置いてあった銀細工の虫かごを取り上げると、扉を開けた。蝶は迷うことなく、優雅に中に飛び込み、中央の繊細な銀の止まり木に羽根を休める。
 それを見やってシュラインは、小さく吐息をつくと、扉を閉めた。

 翌日。
シュラインからの連絡を受けて、小谷和也が草間興信所へやって来た。先日と同じく、なんとなくよれた感じのネズミ色のスーツを着て、髪もぼさぼさのままだ。
 事務所のテーブルを挟んで向かい合ったシュラインが、蝶の入った虫かごをさし出すと、小谷はまるで、高価な宝石をでも扱うような手つきで、それを持ち上げ、しげしげと中を覗き込む。そして、深い安堵の吐息をついた。
「間違いありません。私の妻の記憶を結晶化した、蝶です。本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げ、大事そうにそれをかかえて、彼は帰って行く。
 その後ろ姿を見送って、シュラインは深い溜息をついた。
 昨日も思ったことだが、おそらく、小谷瑠璃子はすでに死んで――いや、殺されているのだろう。夫である、小谷和也によって。だが、瑠璃子は、自分の愛を信じず、自分を殺した夫を、憎んではいない。
 一方で、小谷は、もしかしたら、妻が隣家の男と不倫の末に駆け落ちした、という自分が作り上げた妄想を、本気で信じているのかもしれなかった。そして、妻が自分を愛してくれていたと信じている時間だけを、ああして記憶の蝶に結晶させ、飽かず眺めてくらすことで、自分だけの時間の檻を作り上げて、そこで生きているのかもしれない。
(これも、一つの愛の形なのかしら。でも、やっぱり、あまりいいことには思えない……)
思わず、胸に呟く。小谷夫妻のあり方は、あまりに閉鎖的だと彼女には感じられたのだ。だが彼女は、依頼を終えたからには、これ以上、彼らに関わる権利がないことをも知っていた。
 小さく肩をすくめて、彼女は立ち上がる。
「武彦さん、何か飲みます?」
奥に声をかけると、アイスコーヒーという声が返って来た。それへ答えて、二人分のアイスコーヒーを入れるべく、彼女は台所へと立って行った――。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】

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■         ライター通信          ■
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こんにちわ。織人文です。
依頼に参加いただきまして、ありがとうございます。
今回の作品は、私の初仕事でもあります。
一人一人、別々の作品に仕上げさせていただきました。
どのキャラクターも個性的で、とても素敵で、書きながら、私も楽しませていただきました。
皆さんにも、気に入っていただけて、楽しんでいただければ、うれしいのですが。
もしよろしければ、お暇な時にでも、感想などいただければ、幸いです。