コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


記憶の蝶

執筆ライター  :織人文
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜5人

------<オープニング>--------------------------------------

 「記憶を探してほしいのです」
小谷和也と名乗った男は言った。一見して、50代半ばぐらいだろうか。風采の上がらない男で、身なりにも構わないのか、白髪混じりの髪は、ぼさぼさだった。
 事務所のソファに、背を丸めるようにして座り、話す。
「ああ、記憶といっても、私のじゃありませんよ。私の、最愛の女性――妻の瑠璃子の記憶です。一番幸せだったころの、妻の記憶を結晶化させたもので、瑠璃色の蝶の姿をしています。まるで、夢のようにきれいなものですよ」
小谷は、その姿を脳裏に思い描くように、目を細める。
「それなのに、夢中になって眺めていて、うっかり逃がしてしまってね。……ああ、そうそう、もしも見つけたら、捕えてこれへ入れて下さい」
言って、彼は傍に置いてあった、小さな丸い虫かごを手に取り、草間の方へと掲げて見せた。銀細工の、繊細な作りのもので、その中に瑠璃色の蝶がいるところは、さぞや絵になるだろうと思わせる。
「これには、特殊な魔法が掛かっていましてね。記憶の蝶は、この虫かごでないと、捕えておくことができないのです」
 言うだけ言うと、小谷は「お願いします」と草間に頭を下げ、銀細工の虫かごを置いて、立ち去って行った。





 やわらかな風が吹き渡る森の中に、御崎月斗は立っていた。
 どう見ても、まだ小学生――12、3歳ぐらいだろう。小柄な体にハーフパンツとタンクトップ、その上に、七分袖のパーカーをまとっている。黒髪は、一部だけがなぜか金色で、そこだけ長く伸ばしていた。健康的に焼けた小麦色の肌をしているが、その目には、妙に大人びたものがあった。
 彼は、この年ですでに十二神将を従えるほどの陰陽師である。インターネット上に自分のHPを持ち、それを通じて退魔系の依頼を引き受けている。今回の仕事も、そんな中の一つだ。もっとも、メールして来たのは、依頼人本人ではなく、草間興信所の所長、草間武彦だった。
 月斗が依頼人の小谷和也に会ったのは、今朝早くだった。草間興信所で、記憶の蝶を捕まえるための虫かごを渡された月斗は、一目見て、それに特殊な術が使われているのを察した。だから、依頼人にも興味を持った。こんな術を使うぐらいの相手だ。普通の人間ではないだろうと。
 だが、小谷はごく普通の人間だった。いや、その人相風体からは、どちらかといえば、社会不適応者といった、ある意味「普通以下」の風情すら読み取れる。同時に、月斗は草間からのメールを見て持った第一印象「記憶を閉じ込めようとする人間なんて、ろくなもんじゃない」というそれが、当たっていたことを感じた。
 もっとも、相手も草間興信所から頼まれたと言って現れたのが、こんな子供だったことに驚いていたようだった。それでも、彼の質問に躊躇なく答えたのは、逃げた蝶を見つけてほしい一心だったのだろう。
 月斗が訊いたのはむろん、小谷の妻、瑠璃子のことだ。死んでいるのか、生きているのか。生きているのなら、どこにいるのか。
 返って来た答えは、行方不明で何もわからない、という言葉だった。
 5年前、瑠璃子は当時隣に住んでいた男と不倫の末に駆け落ちして、行方をくらましてしまったのだという。当然、警察にも捜索願いを出したが、いまだに見つかっていないらしい。
 小谷家を出た月斗は、ジャーナリストの叔父に連絡を取って、小谷瑠璃子のことを調べてもらった。それによれば、瑠璃子と元・隣人との不倫は事実無根のものらしい。それもあって、警察はまともに小谷の主張を受け取っていないようだ。そして、瑠璃子の身内や友人たちは、すでに彼女が死んだものと諦めているらしい。
 これで結局、瑠璃子の居所をつきとめて蝶を捕えるという案は捨てざるを得なくなった。残る手掛かりは、小谷が話していた、瑠璃子との「思い出の場所」だった。それが、今、彼がいる森だ。東京から車で小一時間ほどの山の中腹にある。小学生の彼は、当然ながら車の運転などできないので、電車とバスを乗り継いでここまで来た。さほど高額ではなかったが、どちらもしっかりと領収書をもらってあった。後で、必要経費として草間に請求するためだ。
 うっそうと木々の生い茂る森の中は、照りつける夏の陽射しを遮り、比較的涼しい。煩く鳴く蝉の声もしない。ただ、渡って来る風に揺れて、梢がざわめいているだけだ。
 森に入った途端に、月斗はそこに記憶の蝶がいる気配を感じた。自然の動植物にはあり得ない、異質な、術によって成り立つものの気配だ。それは、あの虫かごから感じたのと同じ種類のものだった。
 彼は、森の中を歩き回り、その気配を感じる範囲を確かめながら、木々の根方に、呪符を挟んだ小枝をさして行った。それを終えると、呪符で囲まれた大地の中央に立ち、真言を唱える。
「ノウマク・サンマンダ・ボダラ・マリシエイ・ソワカ!」
途端、常人の目には見えないが、呪符で囲まれた空間に、結界が作られた。これで、蝶の逃げ道はなくなった。
 まるで、そのことを察したように、風の途絶えた空間に、木々の間からふわりと蝶が飛び出して来た。アゲハほどの大きさだ。小谷が言っていたとおり、瑠璃色の美しい蝶だった。内側から鈍く光っているようにも見える。
 そして、その蝶の傍に、一人の女性の姿があった。白いブラウスと、フレアスカートに身を包んだ、色白の長い黒髪をした日本風の美女――小谷の妻、瑠璃子だった。今朝、見せられた写真とそっくりだ。結界の中に閉じ込められたことで、記憶の蝶の中にあった姿が実体化されたのだろう。
『あなた、変わったことができるのね』
瑠璃子は、面白そうに月斗を見詰めて言った。怯えた様子はない。
「陰陽師だからな、これでも。言っておくが、この結界から逃げるのは無理だからな」
言って、月斗は彼女をしげしげと眺める。恐れも怯えもなく自分を見詰め返して来る様子といい、必死な逃亡者という感じではない。それに、小谷は、結晶化されているのは、「妻の一番幸せだったころの記憶」だと言っていたが、目の前の女性は、何か違うような感じもする。
「あんた、本当に小谷瑠璃子さんか?」
『ええ、そうよ。……私は、記憶の蝶の底に沈んでいる、もう一つの記憶。あの人が気づいてもいない、真実の私の記憶よ』
『真実の、記憶?』
『ええ』
もう一度うなずいて、瑠璃子は言った。
『私は、あの人を愛しているわ。でも、あの人は、それを信じてくれなかった。私は、その信じてもらえなかった記憶なの』
月斗は、ふと小谷が言っていた5年前の、隣家に住んでいた男と瑠璃子の不倫の話を思い出した。警察も、元・隣家の男も、事実無根だとする話。だのに、小谷だけが信じている話。そして、行方不明になったまま、5年間もその消息の知れない瑠璃子。
(案外、身内の勘ってのは、馬鹿にならないものかもしれないな……)
叔父が調べてくれた、瑠璃子の身内や友人の反応を思い出し、胸に呟く。そして、訊いた。
「どうして、逃げ出したんだ?」
『……あの人が、記憶の蝶の深いところにいる私に、まったく気づかなかったから、かもしれないわ』
少し考えた後、瑠璃子は言った。
『そのことに、焦れていたのかもしれないわね』
「ふうん」
曖昧にうなずいて、月斗は少し考え、言った。
「なあ、なんなら、あんたの旦那、あいつの記憶も抜き取って、あんたと同じように、蝶にしてやろうか。俺ならできるぜ。そしたら、同じ記憶の蝶同士だ。今のあんたにも気づくかもしれないぜ」
 それは、小谷に会う前に考えていたことだった。面白そうだと思ったからにすぎないが、小谷に会ったら、そんな気はなくなっていた。だのに今、それを口にしたのは、おぼろげながら、瑠璃子が、嘘は言っていないと感じたせいだ。彼女は、こんな風にされても、あの貧相な男を愛しているらしい。
 だが、彼女はかぶりをふった。
『ありがとう。でも、いいの。あの人は、きっと、どんな姿になっても、気づかない。人間って、そういうものじゃない? 目が見えていても、自分の見たいものしか見ないものよ。それに――』
彼女は言葉を切って、薄く笑った。
『あの人が、私と同じものになったら、あの人、幸せになってしまうじゃない。世の中のしがらみから解放されて、本当に楽になってしまう。それは少しだけ許せないの。私を信じなかった罰に、あの人は、年老いて、寿命で死ぬまで、ずっと現実の世界で生きるの。生きなければいけないのよ』
「なるほど」
月斗は、大人びた仕草で、肩をすくめた。
「なら、戻るんだな?」
『ええ』
うなずいて、瑠璃子は微笑んだ。
『私、結局、誰かに自分の話を聞いてほしかっただけなのかもしれないわ。あなたに会えてよかった。ありがとう』
 言葉と共に、彼女の姿はふっとかき消えた。そして、瑠璃色の蝶が、月斗の肩先にふわりと舞い降りる。月斗は、黙って銀細工の虫かごの扉を開けた。蝶は優雅にその中へと飛び込み、中央の繊細な銀の止まり木に羽根を休めた。
 月斗は、それを見やって扉を閉めると、小さく吐息をついた。
 やがて、結界を解き、呪符を全て抜き取って燃やしてしまうと、彼は虫かごを手に、森を後にした。

 翌日。
月斗からの連絡を受けて、小谷和也が草間興信所へやって来た。先日と同じく、なんとなくよれた感じのネズミ色のスーツを着て、髪もぼさぼさのままだ。
 事務所のテーブルを挟んで向かい合った月斗が、蝶の入った虫かごをさし出すと、小谷はまるで、高価な宝石をでも扱うような手つきで、それを持ち上げ、しげしげと中を覗き込む。そして、深い安堵の吐息をついた。
「間違いありません。私の妻の記憶を結晶化した、蝶です。本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げ、大事そうにそれをかかえて、彼は帰って行く。
 その後ろ姿を見送って、月斗は深い溜息をついた。
 昨日も思ったことだが、おそらく、小谷瑠璃子はすでに死んで――いや、殺されているのだろう。夫である、小谷和也によって。だが、瑠璃子は、自分の愛を信じず、自分を殺した夫を、憎んではいない。
 一方で、小谷は、もしかしたら、妻が隣家の男と不倫の末に駆け落ちした、という自分が作り上げた妄想を、本気で信じているのかもしれなかった。そして、妻が自分を愛してくれていたと信じている時間だけを、ああして記憶の蝶に結晶させ、飽かず眺めてくらすことで、自分だけの時間の檻を作り上げて、そこで生きているのかもしれない。
(つまらない話だな)
月斗は、胸に呟き、肩をすくめる。
 大人同士の愛憎など、彼にはとうていわかるとはいいがたい。だが、それでも、愛も憎しみも、前を見て歩いて行けばこそのものだと感じる。だいたい、自分の愛する者を信じられなくなったらおしまいだ。どんなことより優先すべき弟たちを持つ彼は、そう思った。
 だが、どちらにせよ、依頼が完了すれば、自分には関係のない話だ。そう決めて彼は、別のことに考えを巡らせる。草間に対する今回の料金請求の件だ。
(法外な依頼料を請求したら、おっさん、どんな顔するかな)
にやり、と口元をゆがめて、彼は頭の中の電卓に、今回の経費その他を計上し始めた――。

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0778/御崎月斗/男/12/陰陽師】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
こんにちわ、織人文です。
依頼に参加いただきまして、ありがとうございます。
今回の作品は、私の初仕事でもあります。
一人一人、別々の作品に仕上げさせていただきました。
どのキャラクターも個性的で、とても素敵で、書きながら、私も楽しませていただきました。
皆さんにも、気に入っていただけて、楽しんでいただければ、うれしいのですが。
もしよろしければ、お暇な時にでも、感想などいただければ、幸いです。