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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:憑き物
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜4人

------<オープニング>--------------------------------------

「まったく。急に呼び出したかと思えば‥‥」
 不機嫌そうに、草間武彦が煙草を銜えた。
 午後語の喫茶店。
 テーブルを挟んで正面に座るのは、髪を短く刈り込んだ青年だ。
 浅葱祐司(あさぎ ゆうじ)という。
 高校時代の同期で、いまは中学校の教師をしている。
「そんなこといったってよぅ‥‥」
「情けない声をだすな。その外見は虚仮威しか?」
 いささか意地悪な口調で草間が言う。
 筋肉質な身体と厳つい顔。
 組織的自由業者すら裸足で逃げ出すよう外見の浅葱が、実は気の小さな男であることを怪奇探偵は知っていた。
 中学生たちに軽く見られぬよう、細心の注意で「強い男」を演出していることも。
「だいたい、そんなもんは祐司の指導力の問題だろ」
「それを言われるのが一番キッツイなぁ」
 心底、困った顔をする教師。
 いまの教育思想では、学級崩壊も校内暴力もいじめも不登校も、すべて教師の責任ということになる。
 要するに、指導力不足、欠陥教員のレッテルを貼られるわけだ。
 教師とは、本来、教育技術者である以上のことを求められる筋合いなどないはずだが、どうやら文部省や教育委員会の考えは違うらしい。
 家庭、境域制度、環境、問題は幾らでもあろうに。
 責任を押し付けられる現場の教師こそ、よい面の皮である。
 人間の集団があれば、トラブルが生じるのはむしろ当然だ。
 そんなものまで教師のせいにされては堪ったものではない。
 自然、教師の姿勢は事なかれ主義に傾く。
 トラブルが起きないように。問題が知られるように。
 教師失格のレッテルなど貼られたくないないのだから。
 本末転倒もよいところだ。
 だが、現場経験のない腐れ官僚どもが教育を牛耳っている以上、この手の馬鹿げた押しつけがなくなることがない。
「‥‥たから、武彦の力を貸して欲しいんだよぅ」
「まったく‥‥」
 呟きながら、草間が腕を組む。
 現在、浅葱の担任する学級には一人の問題児がいるという。
 暴力的だとか、授業妨害をするとか、そういうことではない。
 とにかく落ち着きがないのだ。
 一つのことに集中できず、きちんと話を聞くこともできないらしい。
 まるで、狐か狸でも憑いているように。
 もちろんそんな状態だから成績だって悪い。
 このことで、浅葱は幾度も教頭や教務主任から叱責されている。
 指導力不足の烙印を押されるのも時間の問題だろう。
 切羽詰まった中学教師は、藁にもすがる思いで旧友に連絡を取ったというわけだ。
「俺には教育のことなんぞわからんぞ」
「判ってるって。だから、憑き物の方でなんとかして欲しいんだ」
「‥‥お前までそんなこと言うか」
「頼むよ。怪奇探偵どの」
「その呼び名はヤメロ」
「まあまあ」
 などと言いつつ、恭しく草間のタバコに火を点ける浅葱。
 視界の一端にそれを映しながら、怪奇探偵は思考の海に漕ぎ出していった。
 憑かれたといっても、いったい、なにが憑いているのか。
 狐? 狸? それとも別の何か?
 喫茶店のBGMが、耳道をくすぐる。
 軽快な音楽が、何故か魔女の吹き鳴らす笛のように、探偵の心を苛立たせていた。





※水上雪乃の新作シナリオは、通常、毎週月曜日と木曜日にアップされます。
 受付開始は午後8時からです。




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憑き物

 過酷な暑熱から解放された大地が、一息ついているようだ。
 夜。
 わずかに下がった気温を楽しむかのように、一斉にネオンライトが点灯する。
 この国の首都の片隅。
 特筆するのも馬鹿馬鹿しいほどの小さな探偵事務所がある。
 参集したメンバーを眺め、
「と、いうわけだ。みんなはどう思う? 意見を聞かせてくれ」
 探偵が問うた。
 半面がネオンの明かりに照らされ、極彩色に染まっている。
「この時点ではなんとも‥‥少なくとも本人を見てみないことには」
 慎重に答えたのは、背中までの黒髪を持つ女性だ。
 名を長谷川豊という。
 まるで男のような名前であるが、誰のどんな名前も本人の責任ではない。
 まったく、子供の名を付けるのは親の大いなる特権である。
 美佳とか理香とか、平凡な名前でないだけまし、とでも思うしかないだろうか。
「せやな。いま決めつけるのは危険ちゃうか? 中学生ゆうたら、勉強以上に気になることの一つや二つ、あってもおかしないやろ」
「不規則な生活をしているから学業に身が入らない、という可能性もあります」
 藤村圭一郎と草壁さくらも頷いた。
 そもそも、憑き物などという話はにわかに信じられない。
 なにかしらの事情があると考えるのか普通だろう。
 とはいえ、
「その浅葱先生っていう人も情けないわね。中学校の教員がこのくらいのこと一人で解決できないでどうするのよ」
 腰に手を当てて言う豊の意見も、もっともだった。
 教師が自分の生徒のことで、いちいち探偵に相談していたら、それこそ指導力を疑わざるをえない。
「心霊の仕業にしてしまいたい、という思いがあるのかもしれませんね」
 金髪の美女がぽつりと補強する。
 草間が嫌な顔をした。
 旧友はそんなに柔弱な男ではない、と、言いたかったのかもしれない。
「まあ、ちょっと待ってよ」
 恋人の様子に苦笑を浮かべ、シュライン・エマがフォローする。
「一つの可能性として言うんだけど。寄生虫って線は考えられないかな?」
 それは、たしかに意表をついた意見だった。
 一人を除いて驚いた顔を見せる仲間たち。
「‥‥広東住血線虫‥‥だな」
 唯一驚かなかった男が、確認するように言った。
 巫灰滋である。
 赤い瞳が、思慮深げな光を放っていた。
「そうそう。それそれ」
 大きく頷きつつも、シュラインが不審顔をする。
 積極果敢な黒髪の浄化屋にしては、慎重な態度である。普段ならば、まずは会って話を聞こう、くらいのことは主張するであろうに。
「どないしたんや? 灰滋?」
 事務員同様、気にかかったのか、占い師が訊ねた。
「‥‥何でもない。それより寄生虫のことだろ?」
「そうだったわね。ええと‥‥」
 そう言い置いて、シュラインが説明を始めた。
 広東住血線虫とは、ネズミやカタツムリから感染する寄生虫である。もちろん、それらが触れた野菜などからも感染する。
 人間の体内に侵入した寄生虫は脳や脊椎で成長してゆく。
 その過程で軽度の障害を引き起こすのだ。
 といっても、人間とカタツムリでは代謝系がまるで違うので、広東住血線虫が長く生きることはありえない。
 死に至った例も、日本では一件しか報告されていない。
 症状としては、落ち着きがなくなる、集中できなくなる、猛烈な頭痛に襲われるなど。
「たしかに、かぶってるのがあるわね」
「しかし、その寄生虫が原因なら、その童の家族なども同じ症状がでるのでは?」
「どっちにしても医者の領分やなぁ」
 豊、さくら、藤村の順で感想を漏らす。
 寄生虫が原因ならば、事態は比較的簡単だ。
 問題の少年に精密検査を受けさせ、適切な治療を施してもらう。
 それで万事解決するだろう。
 浅葱教諭が責任を感じる必要もない。
 めでたしめでたし、というやつだ。
「でも、少し突飛すぎないですか? シュラインさま」
 さくらが指摘した。
 べつに自説に拘泥するつもりはないが、寄生虫というのは飛躍しすぎているように思う。
 生活習慣の乱れが引き起こしたと考えた方が、現実的ではあるまいか。
「‥‥広東住血線虫の症例報告は三七七件だ‥‥一九六九年からいままで‥‥」
 相変わらずぼそぼそと告げる巫。
 発言内容には重大な示唆が含まれている。
 さすがはジャーナリストというべきか、きちんと下調べをしているのだ。
 だが、発言はともかくとして、やはり様子がおかしい。
 首を傾げる占い師と事務員。
「どうしたのですか? 巫さま?」
 声に出して訊ねたのはさくらだ。
「なんでもねぇ‥‥どっちにしても問題のガキに会うのは明日だろ。詳しい時間とか決まったら連絡してくれ。遅刻しねぇで行くから‥‥」
 そう言って、事務所を後にする。
 黙然と見守る一同の中で、
「はい。遅刻しないできてね」
 と、豊だけが明るく手を振った。
 これは、情感に乏しいゆえではなく、彼女が浄化屋と面識がないからだ。
 様子がおかしいといわれても、なにがおかしいのかわからない。
 もっとも、黒髪の大学院生にしてみれば、草間を除く全員が初対面なのだが。
「まあ、とにかく明日その子に会ってみましょ。結論を出すのはそれからの方がいいわ」
 やや気まずくなりかけた空気を、シュラインの声が吹き払った。
「そうですね」
「せやな。こっちでも、なんぼか下調べしとくで」
 さくらと藤村も帰路につく。
 怪奇探偵と二人の美女が、事務所内に残された。
 両手に花の状態のはずだが、草間の表情は苦い。
「巫のヤツ。一体どうしたんだろうな‥‥」
 珍しくそんなことまでいう。
「武彦さん」
 シュラインが口に出したのはそれだけだった。
「判ってる。詮索はルール違反だな。すまなかった」
 恋人の表情を見ながら謝する探偵。
「謝ってもらうような事じゃないけど‥‥」
 優しげな微笑を浮かべる青い目の事務員。
 誰だった、知られたくないことの一つや二つはある。
 探偵とは、その知られたくないことを暴く職業なのだ。
 だからこそ、必要最低限以上の詮索はしない。それが暗黙の了解だった。
 大人だって悩んだり失敗したりするんだから、子供だって悩むよね。
 豊が考える。
 賢者の弁というものだったが、大学院生の唇は言葉を紡がなかった。
 大都会の明るい夜が、窓越しに三人の男女を見つめていた。


 いまさら確認するまでもないことではあるが、日本の中学校には夏期休業という制度がある。
 いわゆる夏休みだ。
 東京都内の学校では、期間は四〇日ほど。
 一ヶ月少しの間、学校から解放されるわけだ。
 生徒は。
 教師ということになると、そこまで気楽な身分ではない。
 一般的に教員は休みが多くてよいなどと思われているが、大きな誤解である。
 公務員の一つであるのだから、公務員なりの休日しかないのだ。
 休業中は授業がないものの、色々と雑務がある。
 たとえば部活動の顧問などをしている教員ならば生徒の管理をしなくてはならないし、何かあったときに備えて準備も整えなくてはならない。
 それでも、生徒たちに対応するのは我慢できるのだ。
 本当に苦痛なのは、校長や教頭や教育委員会の相手を務めることだろう。
 ほとんどの教師は、生徒たちを教え導くために奉職したのであって、上司の機嫌を取るために教職に就いたのではない。
 生徒のためなら喜んで身を削るが、くだらぬ上司のために犠牲になるのはお断りだ。
 まあ、これが現場教員の偽らざる本音だろう。
 人間というものは、地位が昇り権限が増大するにしたがって、視野の狭窄化を引き起こすものらしい。
 誰のための学校か、という基本的な命題を忘れている責任者のなんと多いことか。
 とくに五〇代後半の連中。
 仕事は倦怠期に入り、ひたすらに安定した老後のみを追い求めている。
 これが聖職者かと思うと、もはや怒る気すら起きない。
 生まれてくるときに親や性別は選べないが、職業の選択は自由意志であろう。
 教育に飽いたのなら、辞めれば良いのだ。
 そうすれば、現場の採用枠も広がり、若く鋭気に富んだ清新な人材を雇えるのに。
 理想論かもしれない。
 だが、教職にあるものが理想を追求できぬとしたら、どうやってこの国の将来を担う人材を育てるのだ。
「まあまあ。落ち着いて」
 豊が両手を拡げ、ようやく浅葱教諭の舌が回転を止めた。
 話しているうちに興奮してきたらしいが、そんなことを探偵たちに語られても困る。
 だいたい、暑苦しい角刈りの男が暑苦しく理想を語るなど、聞く方の身にもなってもらいたいものだ。
 さくら、藤村、シュラインも苦笑している。
 どうやら浅葱という男、悪い人間ではないようだが、鬱陶しいことこの上ない。
 一世代前の熱血教師といったところだろうか。
「しかし、悪かったな。呼び出させてしまって」
 草間が口を開く。
 夏休みに学校に呼び出されるなど、普通の生徒は吉事とは考えない。
 怪奇探偵自身の過去の記憶がそう告げている。
「ところが、以外と簡単だったんだ。真面目な生徒なんでな。武彦と違って」
「ほっとけ」
 その少年――三上智哉(みかみ ともや)――は、わりと素直な生徒で、呼出にも簡単に応じたという。
「じゃあ、性格的には問題ないんだな?」
 巫が確認し浅葱が頷く。
 グレているわけでもなく、反抗的なわけでもない。
 ただ落ち着きと集中力に欠けるだけだという。
「なるほど、な」
「なにを納得しとるんや? 灰滋?」
「どうも昨日から様子がおかしいですよ?」
 藤村とさくらも心配顔だ。
「なんでもない。ちょっと気になってることがあるだけだ」
 答える浄化屋。
 なんでもない、とは、人類が言葉を発明して以降、最も説得力のない台詞である。
 むろん、占い師も骨董屋店員も説得されたりしなかった。
 なにか言いつのろうとする。
「待って。来たみたい」
 押しとどめたのはシュラインだ。
 超聴力を有する彼女の耳は、近づいてくる少年の足音をしっかりと捉えていた。
「まずは、本人の話を聞きましょ」
 さりげなくなだめる。
 なんだか、らしくない役回りを演じているような気もするが、たまにはよかろう。
 調停役に回るのも悪いことではない。
 恋人の旧友のため、ひいては三上少年のためだ。
 一度しかない学生時代である。
 後悔のないようにすごしてほしいものだ。
 ごく微量のほろ苦さを込めて、思う。
 と、シュラインの肩に草間が右手を置いた。
 穏やかに笑っている。
 なにも言わない。
 青い目の美女も、どうしたのかなどと問わなかった。
 互いだけが判っていればよいことである。
「あっついなぁ。気温、七度くらい上がったんじゃない?」
「いやいや。一〇度は上がったやろ。俺、暑いの苦手やねんけどなぁ」
「では、間を取って一七度上昇、という解釈でいかがでしょうか?」
「間とってねえぜ。それ」
 仲間たちがからかい、探偵と事務員が頬を染めた。
 やがて、教室の扉が開く。


 姿を見せた少年に、特筆すべき点はなかった。
 少なくとも外見上は。
 どこにでもいそうな、ごく平凡な中学生である。
「えーと、私たちはスクールカウンセラー協会の見習いカウンセラーなの」
 適当なことを豊が言った。
 まあ、探偵、しかも怪奇事件なども扱う怪しげな探偵だ、などと名乗るよりは、遙かに穏当で常識的である。
 さらにいえば、大学院生が交渉役を務めるのにも理由があった。
 年齢である。
 さすがに、中学生と探偵たちでは歳が離れすぎているのだ。
 最年少で、しかも女性である豊がメインに話した方が、なにかと効率的だろう。
 それでも九才の年齢差があるが。
 藤村や巫や草間は問題外。
 さくらとシュラインは、髪や瞳の色で少年を萎縮させる可能性がある。
 神経質なまでに細心の注意を払っているだ。
「あ、こんにちは♪ きれいなおねーさん☆」
 ぺこりと少年が頭を下げる。
 子供っぽい仕草ではあるものの、悪意は感じられない。
「それでね。いま、中学生の心理について研究してるんだけど、協力してくれるかな?」
 穏やかに懇請する。
 とにかく、追い詰めたり脅しつけたりしては逆効果だ。
 たとえ憑き物があるとしても、短兵急な行動はできない。
 母体になっているのは、一四才の少年の肉体なのだから。
 後遺症が残らぬように留意しなくては。
「うん。いーよー」
「ありがた。じゃあ、お名前から教えてくれるかな?」
 簡単な人定質問からはじめる。
 仲間たちの瞳に宿る光が鋭さを増した。
 カウンセラー的な能力をも有する占い師の藤村。
 天狐に関して造詣が深いさくら。
 そして種々の難事件怪事件に挑み解決してきた探偵たち。
 少年の言葉、仕草、表情、すべてのものから原因を探ってゆく。
 十数分が経過して、まずは金髪緑瞳の女性が首を振った。
 憑き物はいない、という確認である。
 頷く仲間たち。
 もともと懐疑的ではあったが、改めて明確になったわけだ。
 となれば、いよいよもって、別の原因を探らねばならない。
「はい。ちゃんと話を聞いてね」
 もう幾度目になるかわからない台詞を、豊が口にする。
 三上少年の集中力の欠如は、たしかに特筆に値するものだった。
 大学院生の容姿に始まり、服装やアクセサリー、仲間たちの仕草や外の景色まで。
 ころころと興味の矛先が変わる。
 こちらの話も、聴いているのかいないのか。
 むしろ、大学院生はよく我慢していると言って良いだろう。
 否、忍耐強いのは彼女だけではない。
 最も短気なはずの浄化屋も、黙然と事態を見守っている。
 なにか勘付いているな。
 藤村と草間は、期せずして同じ感想を抱いた。
 四本の視線が巫に集中する。
 やがて、赤い瞳に沈毅光をたゆたわせた野性的な青年がゆっくりと口を開いた。
「なあ、三上くん。君が一番自慢できると思っていることはなんだ?」
 穏やかな口調。
「えと‥‥遊び帝のトレカを全部持ってることー」
 少年が答える。
「そうか。それはすごいな」
「うん☆」
 微笑する浄化屋と嬉しそうに笑う少年。
 さくらとシュラインが顔を見合わせる。
 個人的にも巫と親しい二人である。
 強烈な違和感に襲われていた。
 極論すれば、なにか憑いているのは浄化屋の方ではないのか、という思いだろうか。
 二時間に及んだ会見が終わり、少年が帰宅してゆく。
 教室は、ふたたび討論の場となった。
「ふぅ。あんまり実りのある話し合いじゃなかったわね」
「そう嘆くこともないで。豊はん。灰滋がなんぞ気付いてるみたいやから」
「まあ、な」
「昨日から判ってたの? 灰滋?」
「なんとなくピンときていたんだ。確証はなかったけど」
「さきほどの質問と回答で、ある程度の結論が得られた、ということでしょうか」
「ああ」
「で? どういう結論?」
 質問の集中砲火を浴びながら、巫がゆっくりと答えた。
「AD/HD、だ」
 と。

 ATTENTION DEICIT HYPERCTVITY DISORDER
 略してAD/HD。
 日本語でいうと、注意欠陥多動性障害である。
 単調な作業を継続しておこなうことができない。忘れっぽい。些細なミスをする。考えなしで行動する。時間や物の管理ができない。多弁。落ち着きがない。
 特徴としては、以上のようなものが挙げられるだろう。
 発症の原因は今のところ不明でる。
「ちょっと待ってよ。灰滋。その症例って誰にでもあることじゃない?」
 シュラインが口を挟む。
「見えない障害。そう呼ばれているな」
 巫は直接には答えなかった。
 AD/HDの最も怖ろしい部分は、まさにシュラインが言った「誰にでもあること」なのだ。
 誰にでもあること、ゆえに怠けているだけだと思われる。
 誰にでもあること、ゆえに不真面目だと思われる。
「努力さえすれば誰にでもできそうなこと」ができない障害。
 それがAD/HDだ。
 むろん、昨日今日に登場したものではない。
 日本でいうなら、かつて「知恵遅れ」で一括りされていたのがそれにあたろだろう。
 とくに、この国の体質は伝統的に全体主義である。
「皆と同じようにできない」イコール劣っていると認識されるのだ。
 そのため、AD/HDへの理解度は驚くほど低い。
 叱責されたり軽蔑されたりすることも多く、自暴自棄や鬱病を引き起こす例も枚挙に暇がない。
 どのような病気でも最大の敵は周囲の無理解だという証左であろう。
 本来、AD/HDの治療は不可能ではない。
 適切な薬物療法、心理療法、それに教育的指導。
 これらのもので、症状が軽減することは既に立証されている。
「それを‥‥狐憑きだぁ!? ふざけんじゃねぇぞ! オラァ!!!」
 突然、浄化屋が浅葱の胸ぐらを掴んだ。
 もし藤村とシュラインが慌てて止めに入らなければ、中学教師は殴り飛ばされていたことだろう。
 それほどまでに、巫の怒りは深かった。
 昨夜から様子がおかしかったのは、そのためだったのだ。
 適切な指導もおこなわず、生徒の特性も掴もうとせず、やっていることといえば、個性をローラーで挽き潰す「地ならし」だ。
 人間を、教育を馬鹿にするのも大概にするが良い。
 探偵に解決するより安易な理想論を振りかざすより、先にやらねばならないことが幾らでもあろう。
 ぎりぎりと、奥歯を噛みしめる。
 かける言葉すらなく見守る仲間たち。
 浄化屋がどうしてこれほど怒るのかは判らない。尋ねるべきことではない。
 大気分子すら凍てつくような数瞬がすぎ、
「‥‥巫さま? 先刻、童になさった質問にはなにか意味がお有りなのでしょう?」
 さくらが口を開いた。
 幾人かのものが、逼塞感から解放される。
「‥‥むかし‥‥」
 大きく息をついて、豊が言葉を紡いだ。
「‥‥昔、トーマス・アルバ・エジソンという人がいたの。彼は、学校を放校処分になったそうよ‥‥」
 淡々と。
 巫の豹変は、正直いって怖かったが、いまならその気持ちが判る。
「自作の電気椅子を刑務所にセールスして歩く。普通の神経の人間できることじゃねぇさ‥‥」
 静かな声で浄化屋が応じた。
 エジソン。
 彼もまた、AD/HDだといわれる一人である。
 当時は、今のように精神医学は進んでいない。
 不適格者として放校されたエジソン少年は、自らの興味の赴くままに発明にのめり込み、ついには世界の発明王と称されるに到る。
 ただ、これはむしろ幸福な例なのだ。
 大抵は、名を為さしめぬまま、不出来者の烙印と共に生涯を送ることになる。
『天才とは九九パーセントの汗と一パーセントの閃きだ』
 発明王が遺した名言も、事実を知って読み返せば違う姿に見えるだろう。
 怨嗟の声が聞こえないだろうか?
 努力を認めてくれなかった学校への。
 反骨が見えないだろうか?
 個性を潰す教育への。
「なーる。読めたで。三上少年が、現代のエジソンちゅうわけやな。豊はん。灰滋」
 納得した顔で、藤村が腕を組む。
 やや時差を置いて、さくらとシュラインも手を拍った。
「なるほど‥‥」
「トレーディングカードね」
 膨大な枚数にのぼるであろうトレーディングカードを全種類集めるなど、並大抵の努力でできることではない。
 そう。
 けっして三上少年は努力できない子ではないのだ。
 学業に関係ない、といって片付けるのは、頑迷で無能な教師のすることである。
「俺は‥‥」
 雷に打たれたような顔で、浅葱教諭が立ち竦んでいた。
「アンタは見えてなかったのさ。木を見て森を見ずってヤツだ」
 追い打ちをかける浄化屋。
 がっくりとうなだれる教師。
 そこで、ようやく巫が笑みを見せた。
「ま、反省する心があるうちは大丈夫さ。少し遠いが、俺の知人に心理の専門家がいる。相談してみるこった」
 メモ帳に電話番号を書き留め、浅葱に渡す。
 それだけだった。
 探偵の仕事に精神面のケアは含まれない。
 してもいけない。
 専門家以外が、軽々しく口を挟むべきではない。
 態度で示すかのように踵を返す。
 仲間たちがそれに続いた。
 あるものは拍子抜けした顔で、またあるものは苦笑を浮かべて。
 扉を閉めるさくらの緑玉の瞳に、深々と頭を下げる浅葱の姿が映っていた。


  エピローグ

「‥‥結局、なにもできないんだね。私たち」
 ぽつりと、豊が言った。
 黒髪がサラサラと風になびく。
「そう、だな‥‥」
 野性的なハンサムが応じる。
「そう言いなさんな。人が人を救うなんて大それた事や。俺らは、ちょっとでも手助けできれば、それでええんやないか?」
 優しげな声で藤村がまとめてみせる。
 なんとなく、普段の占いを想像させるような雰囲気だった。
「そうですね。完全ではないですが解決には違いありません。お祝いに、パッといきましょうか」
 さくらがこのような提案をするのは珍しい。
 あるいは気付かぬうちに、金髪の美女もストレスを溜めていたのだろうか。
「いいわね」
「賛成だ」
「ご馳走になるで」
 もう、この件についての話は終わりである。
 引きずるのは怪奇探偵の流儀に反するし、なにより、彼ららしくない。
「お財布は、あちらです」
 にっこりと微笑んださくらが呼び指す方向には、なにやら話し込むカップル。
 四人の視線を浴びて、ようやく事態に気付いたシュラインと草間が、困ったような顔で笑う。

 どこまでも広がる青い空に入道雲が浮かんでいた。
 夏は、まだ終わらない。




                        終わり

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/ シュライン・エマ /女  / 26 / 翻訳家 興信所事務員
  (しゅらいん・えま)
0914/ 長谷川・豊    /女  / 24 / 大学院生
  (はせがわ・ゆたか)
0134/ 草壁・さくら   /女  /999 / 骨董屋『櫻月堂』店員
  (くさかべ・さくら)
0146/ 藤村・圭一郎   /男  / 27 / 占い師
  (ふじむら・けいいちろう)
0143/ 巫・灰慈     /男  / 26 / フリーライター 浄化屋
  (かんなぎ・はいじ)

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■         ライター通信          ■
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お待たせいたしました。
「憑き物」お届けいたします。
すごく重いテーマの暗い暗いのお話です。
ラストシーンは、ちょっと明るめに作りましたが。
お客さまの推理は当たりましたか?
楽しんでいただけたら幸いです。


それでは、またお会いできることを祈って。