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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム: 花硝子箱
執筆ライター  : 東みやこ
調査組織名   : 草間興信所


<オープニング>

春弥生、見渡せば 草も木も花ざかり。
バラ色の衣着て、空は舞うあのあたり。

草間興信所は明治期に建てた煉瓦館である。
古さを尊ぶかぼろさを嘆くが、それは住人の心次第である。

ところがどちらとも心を決めずに、飄と住みつづける住人がいた。
興信所の所長の草間武彦である。
今日も骨董物の革張りのソファで、依頼主の話を聞いている。

依頼主は60代の男性だった。
老眼鏡のむこうにある目が優しい。
名を森志郎といい、職業は花職人である。
西洋薔薇が日本に輸入される以前の、日本固有の薔薇を専門に咲かせる専門家だった。

「私が依頼をしたいことは人探しです。」

志郎はテーブルに手がかりを置いた。

小さな美しいガラスの箱である。
そしてガラスにはやわらかな白い薔薇の花弁がうめこまれている。
薔薇のガラス板で作られた小箱だった。
とても美しい品であり、珍しい品でもあるだろうと予測がつく。

志郎はガラス箱を開ける、中にはセピア色の紙。
薔薇の花弁をしぼった色水で書かれているのだろうか、
繊細な筆でハイネの詩篇が二行、書かれている。

「50年前、この箱には私の心を救った薔薇の種が入っていました。
この花を贈ってくれた少女を探していただきたい」

「少女、ですか。」

「はい。50年前は少女でしたが、現在は私と同じ年でしょう。
彼女に会いたくて、私はずっと一人で探していたのですが、
どうしても探せなかったので、専門の方に依頼をしました。」

草間はふと黙った。
自分にはそれほど霊感はないと思っている。
ただ、多く不可思議な依頼に接していれば、体験で身につく勘がある。

(このガラス箱、)

なにか不思議な気配が宿っている気がするのだが。
とりあえず草間は依頼を引き受けた。



<BAR:ケイオス・シーカー>


花が咲くころの風を花風と記すという。

樹健太がそのバーを訪問した日も、そんなやさしい風が吹いていた。
健太は草間興信所のアシスタントのアルバイトだ。
本日は所長の草間武彦に指示をされて、バーをたずねるのだ。

そのバーに依頼解決を引き受けてくれた人物がいるという。

バーは千代田区神田神保町にあった。
皇居のお堀際にある白い建物の4階が住所だ。
名をケイオス・シーカーという。

「すみません・・・」

白いドアについたアルミのバーを押して入った。

(あ)

まずBGMがきこえた。
スカルラッティのピアノ。

店内は広い。
時間が夕方早いせいか、客の姿はなかった。

オフホワイトの壁に大きなアルミ枠の窓。
床はライトベージュの木肌。
窓際には透明樹脂のカウンターテーブルにラパルマのスツール。

スタイリッシュな白の店であるがその白さが目に痛くはない。
壁や床に灯された照明が空間をやわらかくしている。

「いらっしゃいませ、草間興信所の樹健太さんですね。
私が待ち合わせの九尾桐伯です」

健太が声の方向をふりむくと、グレイッシュのカウンターがあった。
そのむこうに声の主がいる。

「こんにちは、あれ、この店で九尾さんが働いているのですか?」

「はい。私が店主です。」

このバーはただの待合せ場所だと思っていたので、健太は驚いた。

「草間さんからは電話をいただいています。
 今日は顔あわせですね。」

カウンターのスツールをすすめられる。
すっかり恐縮して言われた通りに腰を下ろした。

目の前に九尾が微笑んでいた。

きれいな緋色の目。
髪は長く緩いウェーブで、後ろに束ねている。
すっきりとした長身にテラードのシャツ、袖の半ばを銀のバンドで止めていた。

デザイナーハウスのモデルでないことが不思議なほどの容姿だ。

(九尾さん、バーのマスターだから人当たりがいいのは当然かもしれなけれど、)
(もしホストをしたら、もてて大変そうだなあ)
(俺なんかいつも高校生と間違われるし…)

と思いかけたら、心が暗くなった、やめよう。

話の糸口を探していたら、九尾からさりげなく話しかけられた。

「何かお好きなお酒がありましたら、つくりますが」
「えーと、」

九尾の背後にあるベージュの棚には、美しい酒瓶がすっきりと並んでいる。
しかし健太には酒の種類には明るくない。

「すみません、俺、よくわからないのでおまかせします。
 できればアルコールの強くないものを」

「承りました。それでは春にふさわしい飲み物を」

透き通ったカクテルグラスが用意される。
ごくシンプルで飾りはないが、上質のクリスタルの。
この店のようなグラスだった。

グラスにキューブアイスがいれられた。
カクテルを注ぐ前に器を冷やしておくのだろう。

「カクテルはお酒のにがみが苦手だという方にも美味しいはずです。
だってカクテルの起源は紀元前のエジプトでビールに蜂蜜をいれたことなのですから」

「そうなんですか」

「カクテルは楽しいですよ。
ブランデーやウイスキーに、他のアルコールを加えると、まるで別の酒になる。
無限に新しいアルコールを作り出せます。」

そういう九尾は楽しそうだった。
本当に酒が好きな人なのだとわかる。
聞くと、珍しい酒があると聞くと、遠方にも出むいて味わうのだという。

それから健太は店に話をうつした。
バーはカウンターだけの狭い店だけかと思っていたと言うと。

「ああ、そういう一坪カウンターだけのお店もありますね。
でも私の店は違います。
一人でもお酒が楽しめる場所にしたかったのです。」

「カウンターだけだと、いけないのですか?」

九尾はすこし笑ってみせた。

「カウンターには必ずマスターがいるでしょう。
そこでは一人になれない。
それに私は、バーの常連だけが和める店は好きではないのです。
ここはお鮨屋のカウンターではなく、静かにお酒を楽しみ店なのですから」

健太はなるほどと思った。

窓際のテーブルからは皇居の森の四季一望できる。
今は千鳥が淵の桜が見事だという。

「すてきな店ですね」

感想を言うと、九尾は微笑んだ。

「ありがとうございます」

隙のない完全無欠の笑顔である。
女性でなくても、どきりとする。

(しかしこの人も、それをわかっているのだろうな)
(罪な人だなあ)

などと忙しく考えている間に、カクテルが支度されていた。

ステンレス製のシェーカーのボディに、クラックドアイスとリキュールと透明シロップが加えられる。
シェーカーのボディにトップをはめると、九尾は宙でふる。
シェークするフォームも優美なものである。

健太が見とれている前でシェーカーを下ろすと、用意をされていたグラスに中身が注がれた。

冷たいグラスに美しい桜色の酒がある。
炭酸が発砲をしていた。
九尾はその白い繊細な泡の上に、桜の花弁を一枚、落とす。

「どうぞ冷たいうちに楽しんでください。」

そっとグラスに口をつけた。
リキュールのベースに、チェリーのシロップ。
プレーンソーダで酒のにがみがおさえてある。
のせられた桜の花弁は奈良の銘木からとりよせたものだという。

グラスに桜を満たすなど、なんとも粋だった。

「九尾さん、完全無欠な方ですね」

すっかり感心をして言う健太に、さすがに九尾は苦笑をした。


<薔薇の箱>


「私はお酒が好きなだけですよ。
それでは草間さんからの依頼の件の相談をしましょうか。」

「ところで九尾さんは草間所長と、どういう知合いなのですか?」

「草間さんは当店のお客様で、稀に来店くださいます。
そして面白い話をきかせていただくのです」

その縁で、花硝子箱の依頼を知ったのだという。

「もしかしたら私は依頼者の森志郎氏が探す少女を、知っているかもしれません」

健太が立ち上がるところだった。

「本当ですか?」

「ええ、でもその前に私に問題の花硝子箱を見せてください。
それから森氏から事情を伺ったレポートも」

健太は言われた通りにジェラルミンケース(興信所から借りたものだ)をカウンターに置いた。
ケースのふたをあける。

硝子箱は赤いベルベッドの布にくるまれてあった。
健太が布をとく。

白い薔薇の花びらが閉じこまれている硝子の箱。

「拝見します」

九尾が両手でとった。
箱を開けるが、九尾が観察をしているのは薔薇の花弁そのものであるようだ。

「やはりそうでしたか、この薔薇はこおりゆきです」

「氷雪…」

「すでに絶滅をした薔薇です。
50年前も希少種で、苗をもつ者はほとんどいなかったと思います。
個人のごくわずかな蒐集家が栽培をしていた種です」

健太は思い出して、ジェラルミンケースの内側にしまわれていたファイルをとりだした。
森志郎から聞き出した情報が書かれている。
そして氷雪の撮影された写真と、思い出の少女の似顔絵スケッチがつけられていた。

「でも氷雪は、森さんの実家に古くから育成されていた薔薇だったそうです。
しかしある日、突然、薔薇がなくなったとあります。」

「なくなった?」

九尾に聞き返された。

「ええ、なくなったそうです。
そして時が過ぎたある日、この花硝子箱と薔薇の種が返されたそうです」

健太は言ってから黙った
あれ、なにか変だ。
九尾がため息まじりで言う。

「たぶん、森家の氷雪はその少女に盗まれたのでしょう。
そして硝子細工と種になって戻ってきた」

「でも森氏は、氷雪が盗まれたとは言っていませんでした。」

なくなったとは言っていたけれど。
九尾がつづける。

「おそらく森氏はその少女を許したのでしょう。
だから氷雪が盗まれた、とは言わないのだと思いますが…」

心を救ってくれた薔薇。
その薔薇をもってきた少女を探してほしいという森志郎。

「どうやら森氏にさらに真相を聞かなければならないようですね。
しかしその前に、私達はこの氷雪の少女に会いに行きましょう。」

九尾ははっきりとそう言った。



<アイス・ホワイト>



「なぜ、この少女を知っているのですか」

「その前に氷雪の性質についてお話ししましょうか。
氷雪は万能の薬草でもあります。
氷雪の根を他のものと合成をすれば、悪い毒にも良い薬にもなるのです。
だから古代から日本では珍重され、乱獲されてきた。
根を使うものだから、根こそぎなくなってしまうのです。」

九尾が氷雪を知っていたのは彼らしい理由があった。
氷雪を使用しての酒が、どれほどの美酒になるか味わってみたかったのだという。
そして伝説の薔薇について全国を探していた。

「つい以前のことです。
氷雪を所持しているという噂の男の館をたずねました。
名は神楽といい、年は私と変わらない程に見えました。
その神楽は錬金術師でした」

「錬金術・・・」

非金属を黄金に変えるための学問である。
その研究の過程で、たくさんの不思議な学問も起きた。
人形に命を宿す。
永久にとまらない機械をつくる。
など真剣にその学問で研究された。

「神楽は不老不死の薬品をつくるために、その氷雪を入手しているという噂がありました。
結果を言えば私は氷雪をゆずってはもらえませんでしたが」

九尾は言葉を切る。

「その訪問をした館には少女がいました。」

九尾はファイルに目を通した。
少女のスケッチがある。

「彼女に間違いないと思われます」

「しかし、森さんの探す人物は50年前に少女でした。
現在は少なくとも60代のはずですよ」

「そうなのです、その点がすっきりしないのですよ。
私達の知らない不思議な事情でもあるのか」

その神楽の屋敷は世田谷の桜新町にあるという。
明日の訪問を九尾と約束して、その日の顔合わせは終わった。



<不老と不死>



翌日。
樹健太は九尾と約束をした桜新町駅のロータリーにいた。

健太が九尾を待っていると、ふと道行く女性達のささやき声。
姿のきれいな男性とすれちがったという小声話だ。

思いついてその方向を見ると、やはり九尾がやってくるところである。

オクスフォードパンツと赤いレイヤージャケット。
その赤が九尾の瞳の緋と似合っている。

「おはようございます。
九尾さん、スーツとか着てくるのかと思いました」

「まさか、フォーマルな服は店内だけですよ。
それに今回は軽装な方がいい」

「なぜです?」

「たぶん、戦闘になるからです」

恐ろしい台詞をあっさりと言うので、健太は言葉の意味を理解するまで3秒ほどかかった。

「はい?」

「脅かすつもりはないのですが、たぶん、戦うことになるでしょう。
神楽という男、謎が多いのです。
新桜町の館は昭和初期のものであり、主の当時の写真を調べました。
例の少女の兄にあたる人物です。
この神楽もまた昭和初期から姿を変えていません」

その意味を健太はゆっくり考えた。

「つまり神楽も年をとっていないという事ですか。
もしかしたら本当に不老不死の薬の製作に成功をしたのかも!」

九尾は首を横にふった。

「早計すぎますよ、健太君。
とにかく少女に会ってみましょう。」

九尾を追って健太は歩いた。


<薔薇の館>


世田谷区桜新町は大正から昭和にかけて整えられた住宅地である。 

当時、主に中流以上の家庭が住んだことから、
現在でも高級住宅地として知られていた。

神楽の屋敷はその桜新町でも、最も古いエリアにあった。

邸宅が並ぶ中では、ごく小さい敷地であった。
しかし古色の煉瓦塀にぐるりを囲まれた、趣のある家屋である。

戦前は製薬会社を興していた家だという。

「ちょっと中をのぞきます」

健太は塀のむこうをのぞきこんだ。
庭には薔薇園があった。
きちんと手入れをされている。

家屋は擬洋風作りであるらしい。
窓には白ガラスに青い小鳥の清楚なステンドグラスがはまっている。

「正面から行っても神楽は少女と会わせないでしょう。
私が少女を見かけたのも偶然からでしたし。
それでは行きますよ」

その言葉が聞こえた時には、九尾は片手だけで塀をのりこえて、庭の芝生に片ひざをついている。
健太もあわてて庭に降りた。

「裏庭の薬草のガラスハウスで見かけたのですが」

白蓮の花の下を通り、裏庭に出た。

ごく小さなガラスの家。
そのグリーンの鉢が葉をのばす中に、人影があった。

黒髪に白い肌。
クラシックなレースの付襟のワンピース。
あのスケッチの少女だとわかった。

少女からこちらが見えたのだろう。
目を丸くしている。

ガラスハウスの扉を出てきた。

「あなた方はどちら様・・・?」

九尾が微笑んで言った。

「私達は草間興信所の者です。
森志郎さんという方から、あなたを探し出すように依頼を受けました」

少女はあっと言ったきり、両手で口をおおった。
そして何度もうなずく。

「志郎さんが、そうでしたか、それであなた方が」

少女の名は永子と言った。
姿の年齢は15歳。
ある事情で年がとれずに、50年間、そのまま若い姿なのだという。



<永久少女>


神楽の家の裏庭には白蓮の花が盛りであった。

黒土におおらかな花弁が散りしいている。

永子は健太達に告白をしていた。

「私は半世紀前、ある病気になっていました。
治らない病で、ほどなく死んでしまうはずでした。
けれどドイツに留学をし、帰国をした兄が、言うのです。
奇跡の薬を作ってみせると」

それは錬金術を下敷きにした、薬品開発だった。
永子の兄はドイツから、様々な奇書や骨董の人形を持ち帰ってきたのだ。
ドイツ人錬金術師のデカルトの遺品を珍しさで買い取ったのだという。

難病の薬はそのコレクションの中の奇書にあった。
製作をした物は、人の難病が治癒する薬。

完成には氷雪の根が必要だった。

「森家が代々、秘蔵をしている花だとまで兄は調べました。
だけれども温室の奥深くにあり、入手はできなかった。」

永子の言葉がとぎれた。
九尾がごく自然につなぐ。

「その氷雪を永子さんは取りに言ったのですね」

「・・・はい、私が志郎さんに近づき、友人となり、屋敷の温室に入りこんだのです。
自分が死んでしまうことが怖かったのです」

永子がつぶやいた。

「そして薬は完成し、あなたの病は治癒した」

少女がこくりとうなずいた。

「けれど、その時、そのせいでとりかえしのつかない事をしてしまいました。
いいえ、私が不老になった事ではありません。
氷雪を奪った事で、志郎さんに」

永子がか細い声で告白をした。

その当時、志郎の母が病で死にかけていたのだという。
死ぬ前に婦人は氷雪の咲く姿が見たいと望んでいたようだ。

しかし知らずに永子は、その氷雪の鉢植を持ち去ってしまう。
花はなくなり、志郎の母は希望を叶えずに死んでしまった。

「私、そのことを知った時、自分のためになんて事をしてしまったのかと。
氷雪は根を失い、もう鉢植えでは返せませんでした。
せめてのこった花弁をうすいガラス板で押し花をして、箱を作りました。
とれた種と詩をその箱にしまい、返しました。
私にはそれしかできることがなかったのです。」

その後、永子の薬にも副作用があることがわかった。
それは病を治癒する薬ではなかったのだ。
ほんの加減でできてしまったらしい、不老不死の薬だった。

「以来、私は年齢を重ねません。
しかしそれもまた私への罰なのだと思い、耐えています。
父も母もすでに死にました。
兄さんも人が変わってしまったように、口をきかないのです。
ただ兄さんも年をとらないようだから、
たぶん、あの薬を再び作って飲んだのでしょう」

ほとり、と少女の涙が地面に落ちた。
健太は不器用にハンカチをすすめる。

「泣かないで」
「ありがとう・・・」

九尾はしばらく考えていたようだったが、つづけた。

「私も神楽氏には会いましたが、彼はあなたの兄ですか?」
「え?」

永子が目を見開く。

「もっと短く質問をすると、彼は人間なのかと聞いているのです」

「ええ・・・姿が変わらないのは、私も同じですから。
だからまた不老不死の薬を作り、今度は兄が含んだのだとばかり。
けれど急に陰気になってしまい、人とも会わずに、部屋に閉じこもっているばかりなのです。
そして私も人に会わせたがりませんでした。
私が他の人と話すと、とても怒るのです。
今では家に訪れる人もありません。」

九尾が黙る。

「私は不老不死の薬が、偶然に二度もできるとは思いません。
永子さんの時は、本当に神が与えた確率だったのです。
それに二度も作ることができれば、三度目も可能。
当時、このお家は薬品会社を興していたのでしょう。
もしそんな万能薬が開発できれば、とっくに発売していたはずです。
しかしそんな噂は何も聞いていません」

確かに。
確かにそうである。
不老不死の薬ならば、いくら値を上げても売れたであろうに。

「これは私の考えですが、二度目の奇跡はなかったのです。
不老不死の薬は永子さんでおしまいでした。」

永子がおびえたように肩を抱いた。

「それならば、私がずっと兄と思っていた彼は、何?」

九尾は言いかけたが、やめて健太の腕をひっぱり地面にふせさせた。

音もなく滑空してきたものは、神楽と思われる人影だった。
永子を抱き奪うと、滑るように屋敷の扉へ飛翔していった。
扉の奥へ消える。

「九尾さん、今の何ですか、飛んでいましたけれど!」

「永子さんの兄上でも、たぶん人間でもありません」

「人間でない?」

「とにかく永子さんを助けに行きます。 やはり戦闘になりそうだ」

しかたがない、といった程度の風情で扉へ駆け出した。
赤いジャケットのすそをひるがえして。
健太も慌てて立ち上がり、九尾につづく。



<無機の孤独>



黒い杉材の館は窓覆いが閉じられていた。
陰気に暗い。

九尾は廊下を駆け抜ける。
集中力があるのだと思う。
動きに迷いがない。

「書斎にいると思います、以前、私が訪問をし通された部屋です。
そこが神楽の研究室のようでしたから」

螺旋階段を二階へ駆け上がった。

立派なオークの扉が書斎らしい、九尾がはねあける。
健太もつづいた。

黒いベルベットの絨毯に大きなデスク。
デコレーションキャビネットには舶来物の酒瓶が並んでいる。

そして逆光の窓を背に神楽がいた。
腕に永子をとらえて、首筋に銀製のペーパーナイフをつきつけている。

「神楽、永子さんをはなせ!」

健太が叫ぶ。
九尾が健太を手で制した、そして話しかける。

「神楽と自称をする者、私はおまえの名前を知らない。
しかし正体は検討がつく。」

九尾が静かにつづけた。

「おまえは人形だね。
デカルトが研究をし、命を宿そうとしていたフランシーヌ人形だろう。」

過去、デカルトは研究室で他殺された。
しかし研究室は内側から鍵がかかり、密室だった。
部屋にはこのフランシーヌしかいなかったという。

「デカルトはフランシーヌにより殺害されたのだ。
当時、そういう噂がたったと聞き覚えている」

そのデカルトのコレクションを、珍しさで買い上げたのがドイツ留学中の永子の兄である。
フランシーヌはただの人形のふりをして、この屋敷に運びこまれた。

「・・・それじゃあ、兄さんは」

永子が呆然とつぶやいた。

「フランシーヌ、おまえは永子さんの兄を観察し、同じ顔を密かにつくり、入れかわったのだ。
そして自分が兄のふりをして、今、そこにいる」

永子が恐怖にたえきれずに悲鳴を上げた。
フランシーヌが口をあけた。
何か金属がきしむような嫌な音がした。

「私ハ永久ヲ生キル命ダ。
静カニ過ゴスコトノデキル場所ガ欲シカッタ」

「だからこの屋敷を選んだわけか。
しかし永子さんは無関係だ、解放をしてやれ」

「ダメダ。永子ハ私ノモノダ、彼女ハ永遠ダ。
私ダケシカフサワシクナイ・・・」

「永子さんは永遠じゃない。
おそらくもう一度、氷雪で薬を作れば、不老不死を解く薬だって開発できるだろう。
その氷雪は今、森家の温室で咲き誇っているはずだ。」

もう一度、薬を作る。
そうすれば永子は不老不死の呪いから解かれる。

「その花の持ち主が永子さんを探している。
私は彼に頼むだろう。
新しい薬のために氷雪を提供してくれと」

ぎり、と機械の音がした。

フランシーヌが永子を抱いたまま、窓から落ちようとしているのがわかった。

九尾は瞬間で人形達の前へ駆け出た。
刹那、手首から鉄線をくりだした。
鋼の鉄線だ。

そしてフランシーヌの首にまきつける。
ぎりりという摩擦音。

フランシーヌの人形の腕がゆるみ、永子が床に落ちる。
健太が腕をかして永子を立ち上がらせた。

「健太君、キャビネットの酒を」
「了解!」

ガラス戸を明けて、片端から酒瓶を取り出し、フランシーヌへ放りなげる。
瓶が砕けて人形が酒に染まった。
たちこめるブランデーの匂い。

「フランシーヌ、さらばだ」

九尾の瞳が見開かれた。
緋の瞳。
瞬間、人形の姿が紅蓮の炎で染まった。

そして人形が焼き滅びていった。


<灰は灰へ>


その日のうちに。
桜新町の神楽の屋敷へ、依頼者の森志郎を呼んだ。

神楽を擬態していたフランシーヌ人形を焼き滅ぼした後、
九尾は一連の出来事を電話で説明し、そうしたのだ。

今、永子と森志郎は50年ぶりに再会をし、庭で話している。

その様子を九尾と健太は二階の書斎の窓から見ていた。

「九尾さん、あの火を出す力は何ですか?」

先程のフランシーヌ人形は灰ものこらず消えていた。
ただ絨毯だけが黒く焦げていて炎があったことを証明している。

「世間では念発火能力、と呼ぶようです。
今回のような場合には武器になります」

涼しい顔をしてそう説明をする。

「しかし今回は酒に助けられましたね。
フランシーヌ人形を滅ぼせるほどの火勢が維持できるか、わからなかったものですから」

九尾がキャビネットをふりかえった。

九尾が神楽を人形と思ったのは、このキャビネットのウイスキーやブランデーだったという。
いずれも製造が戦前の製品であるのに、まるで触られていない。
ヴィンテージのワインではないのだから、それは不自然と思ったらしい。
事実、神楽の正体は酒の味を知らぬ人形だったのだ。

(九尾さんらしいなあ)

健太も苦笑するしかなかった。

その時、デスクの引き出しを開けた九尾が声をあげた。
手にはハードカバーの帳面がある。
その中身をながめながら言った。

「どうやらあのフランシーヌは自分で不老不死の薬を研究していたようですよ。
その研究成果がここに残されています」

「それなら、永子さんの不老不死を解く薬もあるわけですね」

九尾がうなずいた。
ようやく永遠の事件が終わりそうである。



<エンディング>



千代田区神田神保町、ケイオス・シーカーの店内。
グレイッシュのカウンターには九尾が、スツールには健太がいる。

「それにしてもよかったですね、永子さんの薬も完成するようですから」
「本当に」

その後。
永子は森志郎に50年前の花泥棒を謝罪し、志郎も許した。

志郎自身、永子が花を盗んだと気づいていたらしい。

しかし花は種とガラス箱で返された。
永子ができるだけの償いとわかった。
志郎の気持ちは救われた。
そして永子が永遠の命を持ってしまったという悲しい噂を、当時、聞いたのだという。
森志郎としては、その時以来、永子を恨む気持ちはなくなったという。

半世紀が過ぎた今、永子はどうしているだろうと気になり、会いたくなったらしい。

「けれど森さんも、まさか本当に永子さんが不老不死になっていたとは
思わなかったらしくて、驚いていましたよ」

「それはそうでしょうね。
でも二人が会えてよかった、それだけで充分です」

永子は森が引き取った。

フランシーヌののこした不老不死の薬の研究と氷雪を応用し、
永遠を解く薬も研究、成功の見込みもたったところだ。

そして永子の本当の兄はすでに死亡していた。
裏庭の白蓮の根元から白骨で発見された。
永子が不老不死となり、ほどなく殺されたらしい。

「あのフランシーヌは、どうして人になりかわったんでしょうね。
本当は永子さんを好きになり、ずっといっしょにいたかったのかも。
自分で不老不死の研究をしていたのも、仲間が欲しかったのかもしれませんよ。」

「事件の始まりは、そんな切ない事情であったかもしれませんね。」

九尾は健太の前にカクテルグラスを置いた。

白い酒であった。
基酒はアニス、シュガーシロップがアクセント。
グラスのふちはソルトでふちどられている。

「酒と塩は厄払いの力がありますから、どうか召し上がってください」

もちろん健太はありがたくそのカクテルを頂いたのであった。

ある早春のことである。

END


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
  0332 / 九尾・桐伯 / 男 / 27 / バーテンダー
  
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■         ライター通信          ■
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この作品は私が受注した3作品目の物語です。
バーテンダーというキャラクターの職業を活かせる物語をイメージしました。
ご注文をありがとうございました。
また哲学者デカルトが、フランシーヌという人形を所持し、
スーツケースに入れて旅行にまで携帯していたのは史実です。
以上、念のため。

                 *
当方は依頼されたオーダーに応じた物語を承ります。
キャラクターの小物、服、世界設定まで、どうぞお気軽にご注文ください。
こちらは特に和風は小物、振袖、洋装はゴシックからモダンまでのドレスが得意です。
注文をお待ちしています。

東みやこ