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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


東京怪談・草間興信所「ファーストラヴ」

■オープニング■
 その女性の態度はいくらそこが探偵事務所であっても少々規格を外していた。
 事務的に依頼を託していくものもいれば涙ながらに己の境遇を訴えていくものもいる。そして木邑ゆりと名乗ったその女性のように怒っているものもいる。
「人間じゃないよねーっつーかもし生物学的にホモサピエンスでも資格剥奪よね人間名乗る」
 探偵事務所で気炎を吹き上げる人間は決して少なくない。だが不気味な低い笑い声を上げ、膝の上に置いた拳をきつく握りしめて恨み言を吐き出すとまでくると流石に規格外だ。おまけに恨み言は『実は余裕あんじゃねーの?』と突っ込みたくなるほど妙に複雑というか語彙豊富だ。
「やっぱりこれってば犯罪よね激しく。うふふふ…って事はなんかかなり正当防衛っていうかそんな感じよね!」
 ここまで来ると恨み言を通り越して立派に呪いである。
 草間はゆりの恨み言を遮るべく口を開いた。
「それで?」
「プール専門のストーカーって犯罪通り越してるわね」
 おとなしくして笑っていれば誰もが美人の太鼓判を押すだろう整った顔を恨みにゆがませてゆりは低く笑う。
 バイト先の町営プールに現れるストーカー討伐。それが木邑ゆり(女子大生独身)の出してきた依頼だった。

■本編■
「…えーと依頼内容の確認をしたいんだけど…」
 シュライン・エマ(しゅらいん・えま)は早くも腰が引けていた。常識人の端くれであるところの他の面子も同様である。
「討伐」
 語尾を微妙に跳ね上がらせ依頼人木邑ゆりはにっこりと微笑む。手元で藁人形らしきものを拵えている辺りもう末期だ。そもそも末期だったのかもしれない。『討伐』を『興信所』に依頼してくる辺りで既に。
 しかし被害状況など詳しく聞いておかないことには話が始まらない。しかしなんかこー…話しかけるのは怖い。なにかとてつもなく怖い。
 かなり尋常でない状況の依頼人からまず依頼内容を聞き取る。それがこの依頼の最初の苦行であるようだった。

 ゆりのバイト先の町営プールは町営と言うだけに本当にただプールだった。幼児用の浅い小さなプールと、競泳用の50mプール。波も滑り台もなければ飲食店の一つもない。
 よって客はと言えば小さな子供連れの奥様方や小中学生。子供が主である。
 ストーカーと言えば男、しかも成年がセオリーだ。このプールの客層とは合致しない。
「と、言っても」
 エマはぐるりとプールを見渡してため息を吐いた。
「極一般的なストーカーとも思えませんけど」
「ひゃ!」
 ひやりとした感触がいきなり頬に押しつけられて、エマは思わず悲鳴を上げた。反射的に振り返るとそこに九尾が缶のお茶を差し出しながら立っている。エマはジロリと九尾を睨み付け、しかし礼を言ってよく冷えたそのお茶の缶を受け取った。
「…ストーカー…って言うか」
 エマは細い指を顎に当てうーんと唸った。九尾も苦笑してエマの隣に並ぶ。
「立派な怪異現象ですけどね」
 言って肩を竦めた九尾にエマも大きく頷いた。
 かなり普通ではない状況の依頼人から聞き出した被害状況は、依頼人の状況同様かなり普通ではなかった。
 視線を感じて振り返っても誰もない。ロッカーに匿名の手紙が毎日のように山ほど入っている。その辺りまでは一般的ストーカーの被害だがその後が奮っていた。
 視線を感じた辺りは毎度ぐっしょりと水に濡れている。届けられる手紙も同様に重いほどに水を吸っている。トドメに仕事を終えて着替えにロッカールームに行くと、持参した下着やらタオルやらがぐっしょりと水に濡れていると言うのだ、無論ゆりの分だけ。それがもう二週間以上も続いていると言う。
「まあ、だからああも切れてるんだろうけど」
 怪異現象である事をゆりは認めたくなかったのだ。ストーカーと思い込むことでどうにか自らを納得させてみても状況は変わらない。追いつめられてテンパった、というのがあの切れっぷりの真実だろう。無論泣き喚くより切れるという辺り生来の性格も多分にあるのだろうが。
「そうですね。でも正しくは『切れてた』でしょう?」
 二人は顔を見合わせ、同時にプールサイドへ視線を投じた。
 おとりついでにバイトに精を出すゆりの傍らに志堂・霞(しどう・かすみ)がぴったりと寄り添っている。どうやら妙にゆりを気に入ったらしい。それに勇気付けられているのかはたまた単に居直ったのか、ゆりは概ね言動に平静を取り戻していた。
 プールの中には征城・大悟(まさき・だいご)が迷彩模様の短パン一丁で臨戦体勢を整えているし、監視員のバイトに潜り込んだ七森・拓己(ななもり・たくみ)もまた目立たないようにではあるがゆりとその周囲に注意を払っている。
 そしてエマと九尾の二人もこうして客を装ってプールサイドでスタンバイしている。後は現れてくれるのを待つばかりだ。
「解決じゃなくって討伐が依頼だってとこが厄介と言えば厄介ね」
 そう言って肩を竦めたエマに、九尾もまた同意するように頷いた。
 ざわりと周囲の空気が沸き立ったのはちょうどその時だった。
「なに…、この音は?」
 子供の声とも、子供が立てる水遊びの音とも、それは違って聞こえた。

 それは水音に似ていた。というよりも正しく水音だった。
 竜巻に舞い上げられたかのように渦を巻きながらプールの水面から水が巻き上げられていく。エマは目を見張った。
「…な、に…!?」
 巻き戻されるフィルムのように、見えない器に水が満たされていく。下から上へと。水は滑らかに人形を形作った。
 悲鳴を上げて子供達がプールから這い上がってくる。
 我に返ったエマは九尾の目配せに素早く頷いた。九尾は既に指先に得物の糸を巻きつけている。
 純粋に戦闘となってしまえばエマ自身は役には立たない。やるべき事は一つ、恐慌状態に陥るだろう客を出口へと誘導する事だ。
 即座に駆け出すエマの耳に、糸が空を切り裂く音がリアルに響いた。

「…水…」
 傍らのゆりがぼそりと漏らした言葉に、エマは大きく頷いた。
 客の避難も概ね終わった。目の前で展開されている光景を見る余裕も生まれてきているのだ。
「そうね、水、だわ」
 ゆりの振り返った先にあったものも、手紙を重くしていたものも、下着やタオルを使い物にならなくしてくれたものも。
 すべては『水』だ。
「…ちょっと待って、私水にストーカーされてたって言うの!?」
 血走った目を向けてくるゆりから微妙に体をずらして、エマは曖昧に笑んだ。
「まあ、状況的に見れば、ね」
 流石に呆気に取られてかぱりと口を開けて硬直するゆりを気の毒そうに眺めたエマは、一つ首を振ると視線を眼前で繰り広げられている戦いへと投じた。
 征城の放つボールベアリングは当たり前だがその水人間を貫通し、九尾の糸も志堂の剣も水を凪ぐばかりだ。頼みの七森の水使いの能力も相手が意志を持った水では勝手が違うらしい。
「…どーしろって言うのよ、これは」
 エマは額に手を当てて天を仰いだ。流水の構えだのと武道ではよく言われるが、正しく本物の流水だ。押しても引いてもどうしようもない。
「ちいっくしょおおおおおお!!!!」
 絶叫と共に征城が弾いたボールベアリングはまたしても虚しく水を突き抜ける。多少の勢いは殺がれていたが、ボールベアリングは水人間を突き抜けてまともにプールの縁へとぶつかった。
『あいたっ!』
「は?」
 エマは耳を疑った。
 それは意志を持った声に聞こえた。ただし人間のそれではない。くぐもった不思議な旋律。
 エマはゆりと顔を見合わせた。そしてプール縁でプールの中で戦っていた一同を見渡す。他の四人もエマ同様狐に摘まれたような顔をしている。
 最初に動いたのは征城だった。半信半疑の顔のまま、プールの縁に向かってボールベアリングを打ち出す。
『いたあい!』
 ガッという鈍い音に重なるように、またしてもその不思議な旋律が響き渡る。
 一同は恐る恐るそれに倣った。
 それぞれがそれぞれの得物でプールそのものに攻撃を入れる度に『いたあい』『やだよう』だのと不思議な旋律の悲鳴が上がる。おまけに見れば水人間の輪郭が崩れ始めている。
 エマはゆりと再び顔を見合わせ、得物になりそうなものを手にプールサイドへと近寄った。エマは先刻九尾から受け取ってそのままになっていたお茶の缶で、ゆりはパイプ椅子でそれぞれ思い切りプールの縁に攻撃を加える。
『やめてよう、痛いってばあ!』
 最早間違いはない。それはプールの上げた悲鳴だった。

『ごめんなさいい…』
 水人間はプールサイド近くの水面に正座してえぐえぐとしゃくりあげていた。
 今の今まで戦っていた相手だが、この様子は戦意を喪失させるには十分すぎる。
『僕、このプールの九十九神なんですうぅ』
「…道具なんかが100年経つと化けるとかっていう、あれ?」
 小首を傾げる七森に水人間はコクコクと頷いた。
『100年も経ってませんけど、僕意志が生まれちゃったからそれでいーんです。三丁目の留蔵くんもそーだったっていってましたから』
「トメゾウ?」
 エマの問いかけに水人間はまたも頷いて答えた。
『銭湯の九十九神くんです』
「なにいい!? 銭湯!? くんだと、男か!? 畜生羨ましいじゃねーか!」
「黙りなさい」
 興奮して吼える征城の後頭部を缶ジュースで殴りつけ、エマは肩を落とした。
「それで? なんでストーカーなんかしたの?」
『ストーカーなんかじゃないです! 僕、おねえさんに名前を付けて欲しかったんです』
 真剣な声で水人間は言った。その顔はまっすぐにゆりに向けられている。
『僕の意志が生まれたのはおねえさんのおかげなんです。見てるだけでドキドキして眠れなくなって…』
 旋律が真摯な意志を伝える。
『おねえさんが僕を生んでくれたから、おねえさんに僕の名前をつけて欲しかったんです。留蔵くんもそうしたって言ってたし』
 真剣に、必死に言葉を紡ぐ水人間に、一同は顔を見合わせた。一人どうやら状況を理解できていない志堂が後ろからゆりの細い体を抱き寄せる。
「きゃあっ!」
「しかしゆりは俺の恋人だし」
「あんたも黙んなさい」
 缶での一撃と肘鉄を食らって志堂が沈黙する。心なしか水人間の頬がぷうっと膨れた。
『今日だって暴れる気はなかったんです…ただその人がおねえさんに触るから…かっとして…』
 一同はゆりと志堂と水人間を見比べて溜息を吐いた。
「…まあ、男としちゃ触りたくなるのも無理ねえとは思うけどよ。このねえちゃん性格は置いとけば一回お願いしたいくらいにはイケてっし」
「だからゆりは俺のだし」
「半裸に近い女に気安くさわんじゃないっ!」
 征城と志堂とゆりが繰り広げる漫才に、水人間はずいっと身を乗り出した。
『ええ、僕にちゃんと体があったら是非一回お願いしたいです!』
「おう、性格は兎も角な!」
「なんなのその性格ってえのは!」
「だから俺の…」
 収集が付かなくなりかけた会話に割り込んだのは七森だった。
「…ねえ、名前つけて欲しいって言うのはいいんだけど…それならなんで下着とかタオルが濡れてたの?」
 その言葉に一同ははたと気付いたように水人間を見据えた。
 視線はいい、手紙もまだいい。だが更衣室は…一体何故だ?
『えっと、それは…おねえさんが身につけてたものだと思ったら匂いとか嗅いでみたくなって…僕が手に取ると濡れちゃって…』
「…立派にストーカーって言うのよそれは」
 一同が振りかぶった得物をプールの縁へと叩きつけたことなど言うまでもない。

「…疲れた…」
 エマは報告の為に事務所へ戻る道すがら幾度もへたり込みそうになった。
 いくら夏でもプールまで色気づかなくともいいではないか。
 とりあえず酒でも飲んで忘れよう。
 聞き出した九尾の店への道を思い浮かべ、エマは深く嘆息した。

 因みにゆりがプールに付けた名前は『権六』と言う。
 三丁目の『留蔵』くんの名付け親もゆりと似たような被害にあっていたことは疑い得ない。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0662 / 征城・大悟 / 男 / 23 / 長距離トラック運転手】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0332 / 九尾・桐伯 / 男 / 27 / バーテンダー】
【0935 / 志堂・霞 / 男 / 19 / 時空跳躍者】
【0464 / 七森・拓己 / 男 / 20 / 大学生】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、参加ありがとうございます。里子です。
 夏! ってことで軽めのお話を目指してみました。ええもう、外は暑いですから爽やかに水辺でコメディを!
 いや…実質ストーカーにあったら軽くも何も無いんですけど。女としては。
 次はもう少し重いものにもチャレンジしてみたいな、とか思います。
 今回はありがとうございました!