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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


調査コードネーム:黄薔薇廃園の序曲 < 復讐の三女神3 >
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :ゴーストネットOFF


■オープニング■

畏敬の念を起こさせるものには何であれ
嫉妬がつきまとうのが常である
      ――ある無名作家のギリシア悲劇より

 窓の外は町が白く見えるほど太陽の光がきつく、誰しもが暑さにうんざりした顔をしているというのに、ここゴーストネットOFFの中、はいつもと同じように薄暗く、そしてクーラーのききすぎで肌寒かった。
 こういう処から自然破壊が進んでいくんだろうな、などと似非エコロジスト的にぼんやり考えながら、視線を先ほどから変化のないディスプレイに向ける。

【[666] 懲らしめましょう! 投稿者:荒江めぐ 投稿日:2002/07/1x(Fri) 04:06:06 】

 もう"Fulies"を放っておけません!
 このままでは仲間も私もあの緑の目の魔術師、ティシポネに殺されてしまいます!
 お金は幾らでも出せます!
 どうか私の変わりに、彼を懲らしめてもらえませんか?
 彼は今週末にホテル「La Papessa」で開かれるテトラシステム主催のネットワークイベントに出現します。
 そのチャンスを逃すとまたどこかへ逃げてしまかもしれません!
 色んな力を合わせれば、きっと勝てると思います!
 参加してくれる人はメールください。

「と、言われてもね」
 薄くなったアイスティーでとりあえず喉を癒す。
 Fulies――天才的なハッカーの集団にして、人外のモノに対立し憎しみからなる復讐を行う苛烈な者達。
 とはいえ、事情も話さず依頼をしてくる(しかもメールは匿名のフリーアドレスだ!)に加勢する義理はない。
 確かに「幾らでも出せる金」に心引かれないではないが、どうもうさんくさい。
 グラスの中で溶けかけている氷をストローでつつく。
「あ、このホテル最近出来たところだね」
 夏らしく水色のリボンに衣替えした雫が、イベントの開催されるホテルの名前を指さしながら肩越しにのぞき込んだ。
「最上階に、天井も壁も全部クリスタルガラス張りの空中庭園があるんだって、オープン前から有名なんだよ」
 ページをジャンプして検索エンジンからそのホテル「La Papessa」のページを表示する。
 ギリシャ神殿をモチーフにしたデザインの白い豪奢なホテルが表示される。
 庶民にはあまり縁がなさそうだな。と苦笑していると、ふいにドアが開いて、運送配達員の青年が汗を拭きながら入ってきた。
「瀬名雫さんにお届け物です」
 営業スマイルそのままにいうと、青年は両腕で抱えるのも困難なほど大きな……おそらくは200本以上はある……黄色い薔薇の花束を差し出した。
 薔薇の香りが無機質で冷たいクーラーの風にのって、なにかの予兆のように室内を満たす。
「わあ、ありがとう。何のお祝いだったかな? もらっていいの?」
 物好きがいるんだなぁ。と配達員が出ていくのをみていると、雫が笑顔を浮かべながら自分の顔を見つめて言った。
「え?」
「え? って。……これ、依頼主あなたの名前だよ☆」
 雫がひらめかせたメッセージカードには、確かに自分の名前と……ホテル「La Papessa」の招待券が入っていた。
 薄く女神らしい女性の透かしが入った招待券を眺めながら、ふと思い出す。そういえば、黄色い薔薇の花言葉は「嫉妬」だったな。と。
「あ・ら・い・め・ぐ……ね」
 くしゃりと前髪をかきあげる。
 はてさて。
 罠にかけられようとしているのは自分なのか。
 ――それとも別の「誰か」なのか?


■ゴーストネット SIDE:B■

 武神一樹・寒河江美雪・内場邦彦の三人がメガエラの書き込みを発見した数時間後。
 街はすっかり夜の帳に覆われていた。
 窓越しには排気ガスと二酸化炭素で汚れた空を、プラチナのナイフのように苛む高層ビルが白々と輝いている。
 きっと今夜も不況をぼやくサラリーマン達が、夜通しの残業をやっているのだろう。
(この夜すらも人工的な街のどこに、黒狼様はいらっしゃるのかしら?)
 深く濃い、あの里の森の香りを懐かしんでいるのだろうか。それとも、全てを科学の名の元に変えて行こうとする人間を哀れみ、あるいは憎しんでいるのだろうか。ひょっとしたら、里を滅ぼした何者かと戦っているのかもしれない。
 風見璃音がつきない想い、届かない想いを切なげなため息にして、表そうとしたその時。
「ALT+F4を押すと……おっ、うぃんどうというものが消えたぞっ! おい、璃音! どうすればいいんだ」
 と、至って現実的かつ素っ頓狂な声が見事なまでに璃音の感傷をぶち壊した。
 もしこれが昼間なら、即刻注目の的になっていただろう。
 それぐらい黒月焔の声は、大きく、そしてアクセントがおかしかった。
 舌打ちをして、窓から視線をそらし焔をにらむ。
「もうっ!」
 と、璃音が憤りを言葉にするが、言われた本人は燃えさかる高炉の炎のように紅く輝く瞳をきょとん、と見開くだけである。
 最近になってひげを伸ばし始めたのか、以前に逢ったときよりも野性的な強さを感じさせる顔が、今は母親に叱られた子供のように、おずおずと璃音の表情をうかがっている。
 顔に彫り込まれた精巧な細工の龍の刺青すらも、どこかしょげているようにように見えた。
 断罪の十字架や虎人の少年の事件で共に戦い、その時の冷酷な迄の強さを、力を感じさせる強い瞳を知っているが故に、焔の情けない表情は璃音を脱力させた。
「む、操作をまちがってしまったのか……へるぷはALT+Hだったかな」
 再びパソコンの画面を見ながら、四苦八苦の独学を開始する焔に、璃音は呆れからなるため息をついた。
 現代人に生きるからにはパソコンの一つも覚えなければ、と常日頃から自分でおもい、ついでに彼が経営するバー『ルナ・ライト』の常連客からもくどくどと言われた焔は、最近よくゴーストネットにあらわれては、そこら辺の人間を捕まえてパソコンを練習するようになっていた。
 当然、同じようにゴーストネットを利用している璃音と顔を鉢合わせない訳もなく。ついでに言えば見知らぬ他人より、見知った人に聞く方が気安いのか、璃音はあっさりと焔に捕まってしまったのだ。
 かつての事件で危ないところを救って貰ったりもした訳だが……。
 何か言ってやろうと口をひらきかけて、璃音は言葉を失った。
 焔が適当に操作したインターネット・ブラウザーに表れた一つの記事に視線が集中する。
「……メガエラからの招待状」
 荒井めぐ−ARAIMEGU−メガエラ。のアナグラムを一瞬で見抜き、つぶやく。
 メガエラ……嫉妬の怒り。
(人外の者や異能力者に対する嫉妬って所? ……もっともFuliesだってよっぽど人間離れしているけど)
 文面を読み、裏に隠された真意を探りながら苦笑する。
 一体なにに嫉妬するというのだ。
 第一このアナグラムが正しければ、メガエラがティシポネを害そうとしているに他ならない。
 どういうことなのか。仲間割れなのか、それとも自分たちを誘い出す罠なのか。
「ん? 変な書き込みだな。そういえば雫が変な招待状が来たと言っていたが?」
 首を傾げ、背後からディスプレイをのぞき込む璃音を見上げる。
 Fuliesについて、焔も何も知らない。という訳ではなかった。
 妖を憎み、復讐し、消すと言われるハッカーの集団。
 しかし、実在するとは思っていなかった。インターネットに流れる無責任な噂。東京という巨大都市にまとわりつく根拠のない伝説……口裂け女のようなモノと取りあう気になれなかっただけだ。
(ふむ?)
 璃音の次のリアクションを探ろうとした時、場違いな迄に明るい声がした。
「やあ、キミもボクと同じサイトを見ているみたいだね」
 焔のつぶやきを聞き取ったのか、がら空きのゴーストネットに存在する第三の客。完全に二人の意識野から外れていた青年が、至近距離で笑いかけてきた。
 実際、何故いままで彼を意識しなかったのか、と二人は苦笑せざるを得なかった。
 地のもっとも深いところから丁寧に掘り出された金を、長い時間をかけて紡いだように繊細で光のごとく輝く髪。
 ビスクドール……陶磁器人形のように非の打ち所のない完璧な白さを持つ肌は、触れてみたいと思わずにいられない綺麗さで。
 何より、璃音や焔と同じく、内包する力により輝き続ける深紅の瞳。
 均整の取れた体は、流行にあまり影響を受けず……つまり長い間多くの人に好まれてきた、俗に英国ドレープスーツと呼ばれる、シャープな仕立てのスーツにつつまれている。
「ふむふむ。Fuliesの招待状ね、こいつは素晴らしい! 退屈しのぎには丁度良い、かな?」
 右の手で焔の肩を、左の手で璃音の肩を軽く叩いて笑ってみせる。
「Fuliesって復讐の女神達が由来だよね。とすると荒井めぐは「Araimeg」で「Megaira」のアナグラムだ」
 目を輝かせて、青年は母親に初めての薔薇を送る少年のような無邪気で喜びにあふれた表情をしてみせた、謎を解くのが楽しくてしょうがない、といった気配を隠そうともしない。
「そもそも「Fulies」が許せないのに「ティシポネ」を名指しというのがおかしいし、ティシポネ君が緑の瞳をしてるなんて普通しらないよ?」
 歌うようにリズムをつけ、豊かな抑揚で淀みなく言い切る。
「罠だね」
 きっぱりと言い切り、腕を組み、一人納得したように頷いてみせる。
「……ていうかアンタ誰?」
 青年の余りの勢いに、言葉を挟み込めなかった璃音は焔が同時に同じ言葉を言う。
「謎の人」
「は?」
「ああ、それで都合が悪ければ阿雲紅緒と読んでくれたまえ。いや、いや、遠慮はいらない。仲良くやろうじゃないか」
 数年来の友人にするように、紅緒は璃音と焔の肩を抱いて笑う。
 天衣無縫・縦横無尽・奇想天外。
 国語の試験もかくや。三つの四文字熟語がこれまた同時に璃音と焔の脳裏に浮かんだ。
 驚く二人を、児戯めいた瞳で見やりながら、紅緒は190センチはあろうかという長身を、これ以上ないというまでに見事にあやつり、芝居がかった礼をしてみせる。
 その仕草の一つ一つに目を奪われてしまうのは、紅緒の外見が人ならざる輝きと美しさに満たされているからか、それとも、この躁病とも思えるハイテンションがどこまで行き着くのか、という好奇心からなのか。
 いずれにしても、今や場の主導権はしっかりと紅緒に握られている。という事だけは確かだった。
「にしてもLa Papessa、女教皇、なんて変わった名前のホテルだね。女教皇の象徴する意味は知性と慈悲……「嫉妬」の女神には似つかわしくな……」
「ちょっとまって! ひょっとしてあなた……ええと、紅緒さんも来るつもり?」
 両手をあげ、さらに言葉を続けようとする紅緒を制しながら璃音が叫びあげた。
「当然だけど? それが何か?」
 さらり、と言われ璃音はまるで酸欠の金魚のように口をぱくつかせる。さらに追い打ちをかけるように、目を瞬かせるだけだった焔が口の端を引き上げ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「面白そうだな。俺もちょっくら見に行ってみるか」
「アンタまで! 自分が呼ばれた訳でもないのに行くつもり?!」
「行く、ツ・モ・リ」
 からかうように最後の単語を一言ずつ区切りながら言うと、焔は紅緒を視線を合わせ意味深な笑いを交換する。
 こんな面白い事象に関わらずにいられるか、とお互いの瞳が語っていた。
 「好奇心」といった、当人達に取っては大まじめな、事件の当事者である璃音にとってははた迷惑でしかない感情によって、男達はしっかりと結びつけられていた。
「しかし、メガエラか。ギリシャ神話の復讐の女神「妬む女」……黄薔薇の花言葉は嫉妬。言葉どおりだな」
 半分諦め、そして半分は心強い仲間(?)が出来た事による安心感からか、今までにこのゴーストネットを介して発生した「Fulies」の事件を璃音が説明し終わると同時に、焔が目を細めながらつぶやいた。
「であればFuliesの一員の筈だと思うが」
 しなやかな筋肉がついた長い指をぱちん、とならして焔は肩をすくめた。
「果てさて、嫉妬してメガエラがティシポネを陥れようとしているのか、それとも罠か。舞台となるホテルも気になるな」
 La Papessa――秘められた意味には「エジプト神イシス」の秘法。
 密儀宗教――あるいは何かの儀式が行われようとしているのか。
 いずれにしても先に下調べが必要ではある。イベントとかそういうモノには詳しくないのでその知識も必要である。
「ひとまず、このテトラシステムとイベントの詳細についてコネを使って調べてみようか」
 焔の考えを読んだかのように、紅緒が提案する。
 コネ、と言ってそう簡単に見つかるのか、と聞き返そうとして焔はやめた。
 着ているスーツの仕立ての良さから、ソレぐらいのコネの一つや二つ、持っているだろう事が推測できたからだ。
 ブランドモノなどの世俗的な品ではなく、英国の大貴族が何世代も利用してきた店で作られたであろう、仕立ての品だと、素人目にもすぐわかる。世界で一着だけの品をつくらせ、さらにさりげなく自然に着こなすのは、並大抵の「金持ち」に出来ることではない。
 謎の人、と言って見せたが。確かに、「謎の人」という言葉以外、彼……阿雲紅緒を形容する言葉がみつからない。
「いずれにしても、後は行ってみるしかないね」
 戦うことにやぶさかではないけれど、と結論づけながら紅緒が言うのを聞きながら、璃音はじっとだまってディスプレイを見つめていた。
 ティシポネ……アキは黒狼……璃音の運命の人につながる手がかりを持っている。
 いや、違う、とかぶりを降って遠い夜を思い出す。鏡の魔術が見せた一瞬の煌めきを。
(少なくとも黒狼様が生きていて……人の世界に降りている事を教えてくれた。それにメガエラがアキの言っていた人かもしれない)
 関わるなと言われたが、ここまでまきこまれちゃどうしようもない。
(大丈夫、月の女神は私の味方)
 月に祈るように、地上の恵みをたたえる狼たちの遠吠え、その司たる銀狼族の娘を見捨てるような真似はするまい。
「まずは会場でアキに会って事の次第を説明してもらわなきゃ」
 異能者を一掃する為の罠かもしれない。
 しかし、この書き込みが真実ならティシポネの危機に他ならない。ならば、助けたい。アキには借りがあるのだから。


■La Papessaのロビーで■

 白い大理石の柱が、吹き抜けであるロビーの天井を支えている。
 思考を邪魔しない程度に流れる音楽が、人々のざわめきと混じり合いどこか遠い異国の祈りの歌のように聞こえる。
 空調設備はどこにあるのかわからないように隠されていたが、温度や湿度を完璧に管理していた。
 その為に途方もない電力を使い、汚れた空気は遠慮なくホテルの外へ吐き出され、環境を踏みにじっていたが、そんな事を気にする人間など、このホテルのどこにもいなかった。
 どうしてそんな些細な事を気にする必要がある?
 気になるなら外へ出なければいいのだ。それだけの事が許されていた。それだけの金と権力がある者だけが宿泊を許される長期滞在型の高級ホテル。それが「La Papessa」であった。
 長身を優雅に長椅子にもたれかけさせながら、紅緒はホールで落ちつきなく周囲を見渡す背広の男に、けだるげに手を振って見せた。経済界に顔の利く広告会社で専務を務めている男だ。今日は彼の上司……会長のおつかいとして、阿雲紅緒に「La Papessa」の資料を届けにきたのだ。
 背広の男は紅緒の姿を見ると、驚き、萎縮しながら封筒を渡そうとする。
 さらに、紅緒の横で退屈そうにアイスティーを飲んでいた黒月を見て、驚きに目を見開く。
 紅緒一人でも得体がしれないのに、さらに顔から首、夏らしくはだけたシャツの合間から龍の刺青をのぞかせている男がいれば、訳が分からなくなるのも仕方ない。
 最も刺青といってもやくざがやるような陳腐なものではなく、視線を引きつけずに居られないような精巧かつ芸術的なものなのだが、現代日本においてはいささか目立ちすぎではある。
 さらに二人とも女性の視線を引きつけてやまない、並ならぬ容姿の持ち主であるから、萎縮するなというのがどだい無理な話である。
 書類をわたし、つまらない社交辞令をどもりながらのべる男をつまらなさげに見送ると、紅緒はくすん、と鼻の奥で笑った。
「キミとボク。どういう関係に見えたんだろうね?」
「……少なくとも恋人出ないことだけは確かだな」
 子供のように身をかがめ、上目遣いで自分をのぞき込んでくる紅緒の額をこづくと、その手から書類を取り上げる。
「ふむ。なら妥当に友人と言ったところかな?」
「いつから俺とてめぇが友人になったって?」
「今だ。今からだ。ボクが決めた。キミとボクは実は出会う前から友人だったんだ」
 追いつめた獲物の反応を楽しむ子猫の瞳で、紅緒は焔をみる。陽気もここまで来ると躁病に近い。もっとも本当に陽気なのか陽気を装っているのか微妙な所ではあるが。
 手にした資料をめくりながら、焔はこめかみを押さえる。
 滞在型高級ホテルにソフトウェアメーカーのネットワークイベントとは不似合いだと思ったが、何のことはない。このホテル自体がテトラシステムの系列に収まっているのだ。さらに言えば、璃音が言っていたティシポネとかいう奴がイベントのメインである講演を執り行うという。
(全てが仕組まれた罠か。それとも仲間割れか)
 答えは曖昧なまま一向に出てこない。
「そういえば、聞いたことがある。テトラCEO(最高責任者)の通称……「残酷な女神」だとか言っていたね」
「残酷な女神……女なのか?」
「あるいは「最後の天才」ってね」
 紅緒の――やたらと話題が飛びまくる――話をまとめると、こうだった。
 テトラシステムはアメリカ合衆国、カリフォルニア州サンフランシスコ湾南岸サンノゼ――通称シリコンバレーに突如として現れた企業だという。
 徹底した少数精鋭、つまり世界的に「天才」と賞される人材を金に糸目をつけず引き抜き、独自開発した情報集積システム「エリュシオン」のデーターとあまたの数式を駆使し、経済状況を確実に分析・投資し、たった3年の間に業界屈指の企業へと成長したのだ。
 テトラが有名になったのはそれだけではない。
 CEO(最高責任者)であるキアラ・レン・フォーサイトの存在がそもそも有名だったのだ。
 数学者の父と言語学者の母の間に生まれ、13才で情報工学の博士号を取得しネットワーク機器大手のライドル社開発主任であったという。
 その才能はコンピューターと数学方面に限定されていたが、紛れもなく彼女は天才であった。
「15年前かな? インターネットから自動的に情報を集積・記録・分析するプログラムの「エシュロン」の開発に携わったりとか、とかく超が付く大天才。テトラの「エリュシオン」はエシュロンすら凌駕する情報集積機能があって、「エリュシオン」に解らない事はないとまで言われているらしい。まだ開発段階で限定した人間しか使用を許されてないらしいけれど」
 架空の生徒に講義するように、細く白い指先で、空中に文字を刻んでみせる。
「で、そのキアラがなんで「残酷な女神」なんだ?」
「ああ、そうそう。それはね「才能を殺す」という悪癖があるらしいんだ」
「才能を殺す? 自分だって人並みの才能をもってやがる癖に、他人の才能を妬んでいるのか?」
 怪訝な顔をした焔の問いに、紅緒は唇を三日月の形に歪めて片目を閉じて見せた。
「いや、パトロンとして彼女ほど「才能」を投資する人間はいない。ボクが知ってるだけでもかなりの「将来有望な天才」がテトラシステムかあるいはキアラ本人の資金援助を受けている。だけど、その先が問題なのさ」
 将来有望な天才に投資する。
 才能を開花させるのに最高の環境、最高の条件を常に提示し続ける。
 しかしある日それは突然途切れる。何の前触れもなく、連絡もなく。
「見捨てられた天才は、未来を見失いそしてその才能を殺されてしまうってね……いろんな噂はあるけどね。援助するのに飽きたとか、新しい天才にすぐ気移りするとか……才能に嫉妬しているとか」
「嫉妬か……」
「あ、そうそう。テトラシステムってFuliesの本拠地って噂でも有名なの知ってた?」
「馬っ……鹿ぁ! 先にそれを言え! てことは何か? ここは敵の腹の中ってことか?!」
 慌てて立ち上がった焔に向かって目を見開いてみせると、紅緒は咳払いを一つして場違いな事この上ない一言を口にした。
「キミ、ホテルのロビーで大声を出すなんて紳士として誉められた事じゃないよ?」と。
 そのあと焔がこの得体のしれない「謎の男」の頭をしたたかに殴りつけたのは言うまでもなかった。 


■黄薔薇廃園の女神■

 イベントホールに拍手が鳴り響く。
 ティシポネ、つまり榊千暁の講演は(内容は全くわからなかったが)堂に入ったものであったことは確かだった。
 さざ波のように繰り返される拍手の中、寒河江深雪は最前列でため息をついた。
(このまま何事も起こらずに終わればいい……)
 ちらり、と隣にすわる武神や邦彦、そして雫をみる。
 何か会ったときの為に、最前列に座っていた方が良いという武神の意見に賛同して、ホールの一番前左側に陣取っていたのだ。
 しかし、見えざる敵と戦う事はなかったが、睡魔との戦いは困難だったのか邦彦も雫も途中で何度もあくびをかみ殺していた。
 無理もない。専門的な講演に一時間じっとしていれば、大概の者は眠ってしまう。
 武神と深雪が眠らなかったのは一重に精神力と経験が学生である二人に勝っていたからに過ぎない。
 しかしそれも限界だった。
 講演が終わったという安堵感から小さなあくびが漏れた刹那。
 全てが止まった。
 ホールの中央あたりに、光が灯った。
 懐中電灯とか、ライターの光などではない。
 もっとぼんやりとした……けれど周囲の空気を震わせるほど力に満ちた光だった。
「いかん!」
 武神が気づき全ての術を中和させる、彼の能力を発動させようとする。
「死ね! ティシポネ!」
 しかし武神が意志を集中し終えるより早く、光を操る男が叫び悪意を持った光は一直線に壇上に居るアキへと突き進む!
「アキさん!」
「アキちゃんっ!」
 邦彦と雫が同時に叫ぶ、とそれまで落ち着いた研究者の仮面を被っていたアキが目を見開き、光に目を留め。
 そして――まるで殉教者がするように静かに目を閉じた。
 雷が落ちるような轟音。
 そして静寂。
「馬鹿っ! あなたが死んだら私はどうやって黒狼様を見つければいいのよ!」
 甲高い女性の声が響く。しかし、その姿はない。
 変わりに壇上にあり、緑の瞳の魔術師――復讐の女神の名をもつ青年に覆い被さるようにして傲然と立っているのは、月光のごとき白銀の毛皮を持つ狼――風見璃音の獣化した姿だった。
 璃音はアキの肩を染める血と同じ深紅の瞳を怒りに燃え上がらせながら、うなった。
 命を奪おうとする光の刃を、甘んじて受けようとするこの青年の首筋に飛びつき、強引に押し倒したのだ。
 人狼の反応力でなければ、とうてい間に合わずアキは死にとらわれていただろう。
「お、狼だ!」
 イベントに来ていた客が次々と騒ぎ出し、我先へとホールの出口へと殺到する。
 蜂の巣をつついたような騒ぎを横目に、武神達は強引に壇上に上がり光の方向を向く。
 と、完全に目を血走らせた十名程度の男達が予定外だ、といった顔つきで奇妙な一団をみていた。
「知っているって、罠って知ってるって言ったじゃない!」
 鋭い牙の向こうから漏れる声は、どこか悲痛で、仲間を心配する響きに満ちていた。
「知っていたさ。別に罠だからじゃない。いずれにかこうなるだろう事は予測していた」
 肩を押さえながら呻く。
「俺が請け負った「復讐」はいつの日にか俺自身に返ってくるだろうってな」
 自重するように顔を歪め邦彦に向かって片目を閉じて見せる。
「とにかく傷を何とかしないと」
 深雪は鞄の中からハンカチを取り出すと、脈動毎に血をあふれさせるアキの肩口の傷に手を添える。
 目を閉じて手のひらに神経を集中する。と、周囲の気温が急速に下がり、深雪の手のひらがほの蒼く光る。
 そしてその光が触れるや否や、傷から流れ出す血が止まった。
「傷口を凍結させました。でもあくまで応急処置です。早く手当をしないと逆に凍傷にかかるかもしれません」
 凍った傷口をハンカチできつく縛り付ける。
 そうこうする間にアキを狙っていた男達が、壇上へと近づいてくる。
「させんっ」
 武神が一喝するがはやいか、空気の弾ける音とともにホール中の魔力が中和される。
「くそっ、魔力が!!」
「無駄だ。お前達の力は完全に中和された。一切の術も魔法も発動しない。そもそも全てがFuliesのメガエラの罠なのだ。無駄に争い黒幕を喜ばせる必要はないだろう。この場は自分に任せて、その拳を納めてはくれないか」
 ティシポネと男達の間に立ちはだかりながら武神がいう。しかし、怒りに理性を失った襲撃者達の耳には届いては居ない。
「邪魔するな! そいつは俺の仲間を封じこめやがったんだ!」
 人の姿をする魔力が無くなったのか、メガエラの罠によって集められた復讐に猛る者の一人が鋭い牙と黒いコウモリのような羽をむき出しにして全力で向かってくる。
 流石に武神の「異能なる力を中和する」能力であっても、そもそもの姿……悪魔の力を封じることは出来ない。
(何か、しなきゃ!)
 傷つける力ではなく、争うための力ではなく。もっと別の何かを。
 復讐は止めなければならない。アキの死ではなく、目の前に居る男達の死ではなく、もっと別の何かで。
 そう考えながら邦彦は肩掛け鞄の中を探る。
 ――何が出来る? 何の魔力も才能もない自分自身に。
 唇を噛みしめながら鞄の中身をさぐると、両手に少し余るぐらいの袋が入っているのに気が付いた。
 当然入れた覚えのない品物だ。
 おそらく「鞄」の奇妙な働きによって「何か」が取り出されたにちがいない。
(この際なんでもいい、何かができれば!)
 袋を引っ張り出し、邦彦は口を縛る紐をほどき逆さまにして振る。
 とたんに袋からビー玉やパチンコ玉があふれ出す。
 とてもではないが小さな袋に入っていたとは思えないほど大量の球体が次々に袋からこぼれ落ち、壇上からホールへと、男達の足下へと転がっていく。
「さて、ではこういうのはいかがかな?」
 道化めいた陽気な声がするや否や、ホールが、ホテル周辺すら巻き込んで大地がぐらりと揺れた。
 ステージにいた武神や深雪、邦彦、璃音達も突然の地震に、バランスを取られそうになる。
 当然、床を転がるビー玉の上を走ってきていた男達も地震によってバランスを崩し、バタバタと転び始める。
「なっ」
 驚きのままに声の方向――ステージ脇に目を向けると、金の髪をかき上げながら阿雲紅緒が手を振って笑っていた。
「では次は俺と言った所か」
 紅緒の後ろから悠然とした歩みで黒月焔が現れる。
 白く輝く羽を指の間に差し挟み、その手を高くかざすと、朗々とした声で呪文を詠唱する。
「アトー・ギボル。ルオーラム・アドナイ! かくあれかし信義の王、我が前に戦いの天使を使わせ!」
 羽はひときわ強く輝くと、手のひらに乗るほどの小さな天使の霊体となり、襲撃者たちに向かって突き進む。
 そして閃光となって弾けると、細い魔術の網と変化し襲撃者達をつつみその動きを封印する。
「白魔術など久しぶりだが、こういう事には使えるものだな」
 満足げに微笑みながら、焔はいう。
 龍の刺青がもたらす催眠……龍眼で捕縛することもできるのだが、一つの技にたよっていれば他の技が廃れてしまう。
 完全に捕縛された襲撃者達を前に、次に何をすべきか、何を聞くべきか全員が考えていると、意外な人物が音もなくアキの正面に現れた。
 蜃気楼のようにおぼろげに、人間らしい気配を何一つ感じさせず、透き通る硝子のようなもろい存在感で。
 銀髪と蒼い瞳を持つ少女が――アレクトが立っていた。
「庭園でメガエラが呼んでいるわ」
 形式や礼儀を一切排除した、まるでコンピューターメッセージのように、抑揚のない声でアレクトが告げる。
 アキは舌打ちをすると頭を振り、制止する深雪の手を払いのけて立ち上がった。
「イヤだね。俺はこんな「デモンストレーション」があるとは聞いてなかったが?」
「そんなこと、アレクトは知らない。推測するに、事前にデモンストレーションだと察知していたならば、ティシポネは戦わないのだとメガエラは見抜いていた。だから、計画を秘匿した」
「計画? 単なる内輪争いではないと言うことか」
 アレクトの言葉尻をとらえ、焔が興味深げに聞き返す。
 しかし、アレクトはまるでこの場にティシポネと自分以外いないのだ、と言わんばかりの無関心さで言葉をつづけた。
「これではデータが集められない。この失敗にティシポネにいらだっている」
「はっ、相変わらずの完璧主義な事で」
 非友好的な口調でアキが返す。
 Fuliesとはいえ、仲間意識で集っている訳ではないのだ。と暗に告げているようだった。
 そう、たまたま利害関係が一致している。お互いがお互いの力を利用する危うい均衡の上に関係が成り立っているるだけで、明日、敵になることも委細かまわない。と。
「ティシポネが来なければ、メガエラは客室や他のフロアの防火隔壁をおとして二酸化炭素消火装置を発動させるつもり」
 ――それは火事の際、炎を水ではなく二酸化炭素で消化するシステム。
「人が待避し終えない状況で、隔壁を落としそんな物を発動させれば、窒息死するね」
 どこか他人事のように紅緒が言う。
 戦いも、日々の生活も、そして己の生死すら「実在感」がない紅緒に取って、メガエラの脅迫も通用してはいない。
 しかし、当のティシポネは唇を噛みしめてアレクトをにらんでいた。
「行く必要なんか無いわよ! 手を切っちゃえばいい! こんな事する人の仲間である理由なんてどこにもない!」
 璃音が言う。
「確かにな、脅迫によって相手を動かそうとする人間を「仲間」と認識する必要はないとおもうが」
 否定する事を許さない、底知れない夜の海と同じ深すぎる黒の瞳で武神が静かに制止する。
「最初から仲間だった事なんてなかったが?」
 メガエラを、そして己自身を、世界さえも嘲るような暗い笑いを浮かべ、つぶやくと、ティシポネは怪我をしているとは思えないほどの素早さで走り出した。
「まって!」
 深雪が叫ぶ。と、璃音がその声の残響が消えない間に獣の四肢をしなやかに動かし、銀色の光となってかけだした。
「追うぞ!」
 戦いは未然にふさげたが、脅迫によって相手を……利害関係しか無いとしても……誰かを縛るなどという卑劣な行為は、人より正義感が強い武神に許容できる行為ではなかった。
 第一メガエラの真意は何一つわかっていないではないか。
 床をけり、力強く駆け出す。
 最上階にある、空中庭園へ。
 この茶番をしくんだであろう「嫉妬の女神」を目指して。

 追う者と追われる者、両者を追い立てるように、次々と廊下に防火隔壁で閉ざされる。
 内装で巧みに隠されていたスチールのシャッターが、まるで戯れるようにギリギリの所で、深雪や武神達の背後を閉ざす。
 空調が止められたのか、廊下は不快な熱気に満たされていた。
 完璧な円を描いて上へ上へと続いていく最後の螺旋階段にさしかかる。
 上り詰めた場所が屋上であり、このホテルが誇る空中庭園――メガエラの待つ場所であった。
 ティシポネに追いついていながら、璃音は立ちはだかる事はできなかった。
 人より早い瞬発力と運動力を持つ銀の狼たる今の彼女にとって、ティシポネ――アキの行く手を塞ぐのは造作もない事だった。
 しかし、何故か出来ないまま屋上へと到達しようとしていた。
 天使が戯れる様を模したステンドグラスの扉が押し開かれる。
 気圧の差により、強い風が庭園からホテルの内部に吹き込んでくる。
 そして雪のように舞い散る黄色い薔薇の花びら。
「あら? ずいぶんとたくさんお友達をつれてこられましたのね」
 詩を朗読するかのような、音楽的な声が花びらの嵐の向こうから投げかけられた。
 そこには、一人の女が立っていた。
 緩やかに波打つ黒髪を風に遊ばせ、深く真意を悟らせない闇色の瞳に聖母のような優しげな微笑をたたえ。
 体のラインを忠実になぞる、白いワンピースの裾を揺らしながら。
 このホテルの主にして、メガエラと呼ばれる女性――キアラ・レン・フォーサイトが立っていた。
「このプレゼン、失敗ですわね――まったく、本気で死ぬつもりとは。いつもながら私を楽しませてくれますわねティシポネ」
 年の頃は二十代後半、あるいは武神より年上かもしれない。
 だがちろりと舌をのぞかせ無邪気に言う様は、世間知らずの少女を思わせる。
「何故こんな事をした」
 自分の気分のままにホテルに居る人間を無造作に殺そうとするなど、たとえ脅しであったとしても許せることではない。
 間合いを取りながら武神は問う。女性相手に武を振るう事は避けたいが、そうも言ってはいられない。
「……ティシポネを、アキさんを妬んでいるから?」
 武神の後を追うように、深雪は続ける。長い黒髪が心中の不安を表すように風に乱され、ゆらりとゆれている。
 深雪の言葉に、メガエラは鼻の奥で笑い目を細めた。
「まさか! そうですわね、テトラの最高責任者として、研究者アキのの才能は正しく評価はしています」
 つまり自分に及ぶ所ではない、と暗に指し示しながら、肩に舞い降りた薔薇の花びらをつまんで捨てる。
「人外の者や異能者に対する嫉妬って所?」
 姿勢を低くし、今にも飛びからんばかりの勢いで璃音が聞く。と、メガエラは満足げに頷いた。
「そう。まさしくその通りですわ!」
 目が見開かれ、黒い瞳が恋い焦がれる相手を見つけた時のように潤み、燦然と輝いていた。
「わたくし、恋しておりますの。人外の力に。いいえ、人外の力だけじゃないわ。ピアノを弾く者、スポーツをする者、文章を書く者、もちろん武神さんのように「古」の技術を見抜く者、焔さんのように「アルコールの違い」が解る者、大地をかける獣、空を飛ぶ鳥。全てに焦がれ、愛してますの。わたくしには無い才能ですもの」
 手を叩き、無邪気に喜ぶ。
 しかしその瞳は次の瞬間に恐ろしいまでに冷たく、無機質的な者へと変化する。
「そして同時に憎んでおりますの。――どうしてその才能を命をかけるまでに高められないのか。くやしくてなりませんのよ」
 もっと高みを見たい。もっと強い力を、美しい力を、速い力を見たい。
 究極を目指す欲求と、それをなしえない者達への憎しみ。
 全ての才能に手をさしのべ、育て上げ、しかし、期待した分、裏切られた分強く憎しみを抱く。
 それはどこか歪んだ母性にも似ている。
 ティシポネの願うような声に、紅緒は肩をすくめた。
 確かにわからないでもない。
 どこまでやれば、どこまで行き着けば果てがあるのだろう。と。
 自分で死ぬ事なんてこれっぽっちも考えないのに、心のどこかでいつか誰かが自分に終止符を打ってくれないだろうかと願っている。
 笑って、泣いて、怒って。しかし、その全てに「真実」を見いだせない。感情がこもっているのか、周りが求めるから笑っているのか。それすらも判別できない。
 ギリギリまで、刹那の果てまで言ったら「本当」が見えるのだろうか。この虚無で空っぽで何もない心の奥底に何かが見えるだろうか。
 そう考えて生きていた。
 しかし紅緒はティシポネとは違う。決定的に失えない存在を見いだしているから。空木栖を。
 死ぬのは怖くない。また、生きることに意味はない。
 しかし、生きることをやめた世界に彼はいないだろう。だから自分はここにいる。
 故に理解は出来ても、はいそうですか、と無関心になる訳にもいかなかった。
「じゃあ、ボクの才能を試してみるかい? キミがネットで集めた奴らよりは楽しめると思うよ」
 紅緒はちぎれて飛んできた黄薔薇の花を手に捕らえ握りつぶす。
「それも楽しそうですけれど、時間ですの」
 婉然とわらい両手で髪をかき上げる。
 刹那。
 硝子の割れる耳障りな音、そして機械的な爆音。
 鼓膜を責めさいなむ不快な二重奏。
「ど、どうしたの?」
 怯えたように事態を見つめるだけだった邦彦が、耳を塞ぎながら空をみる。
 そこには。
 空を切り裂く刃を回転させながら、威嚇するようなローダー音で庭園の薔薇を振るわせ、一機のヘリコプターがホバリングしていた。
 ヘリコプターはやがて、庭園の真ん中にある広場に主をまつ獣のように着陸する。
「では、ごきげんようみなさま。このお礼は次の機会にでもさせていただきますわ」
 どこに隠していたのか、小型のケース状の機械を取り出し、そこにあるボタンを押す。
 途端に庭園のそこかしこから、白い煙が吐き出される。
「催涙ガス?!」
 人より優れた嗅覚で事態を察知し璃音が叫び、全員があわてて顔をかばう。
 針で刺されるような小さく鋭い痛みに、目をきつく閉じていると邦彦の耳に一つの声が聞こえた。
「次が最後だ。何故、復讐がいけないのか、どうして復讐を止めたいのか。今度――俺を納得させてみろ」
 低く耳に響く声は、いつかどこかで聞いた声と全く同じで。
 涙をそのままに邦彦は目を開き声の方をみた。
 しかしそこには、ティシポネも――そしてメガエラの姿も何もなく。
 無惨に散らされた黄薔薇の廃園が広がっていた。


■エピローグ■

 この店はいつもこうなのだろうか。
 だとしたら一体どこでもうけているのだろうか。
 事件に関わった紅緒と武神、そして店の主である焔以外の者は誰一人としていない。
 気まぐれに店を開けたり閉めたりしているからなのか、それとも、別の仕事……たとえば知己である草間武彦を仲介するような手の事件……の収入があるからなのか。であるならば、どちらが本業……つまり本当の黒月焔の顔なのだろうか、と興味深い目で目の前でグラスを磨く深紅の瞳の青年を見やる。
 いや、と笑う。
 おそらくどちらも彼の顔なのだろう。自分が調停者であり骨董屋でもあるように。
「才能を愛し、才能を憎む……ね」
 武彦の隣で、紅緒が面白そうにブランデーの入ったグラスをはじく。
「ボクは愛するばかりだけどね」
 最も大事なよりどころである青年の、小説家としての才能にも、そして人としての才能にも敬意を払うばかりで、憎むなどできない。
「どこで歪んだのか、歪んでないのか」
 言葉遊びの用に繰り返す。
 利害というよりはむしろ、子供がお気に入りの玩具を大切にし、ある日突然すてるかのように。
 予測しがたい不明瞭な感情。
(メガエラ自身も理解できず、もてあましているのかもしれないな)
「気にすることはない、ああ言ったた以上はしばらくは成りを潜めているさ」
 わざと興味なさげに言い捨てながら、焔は武神の前に冷酒の入った硝子の杯を置いた。
 何気なく杯をとり、武神は苦笑した。
 如何にして調べたのか、それとも偶然なのか。
 涼やかな香りのする液体には、ほんのりと色づいた桜の花が浮いていた。
 ――それは武神と同じ道を歩む女性と同じ名を持つ花だった。
 戦いの労をねぎらう、さりげない焔の心遣いに口元をほころばせる。
 しばらくは。
 今しばらくは休むことも必要なのだと、自分に言い聞かせながら。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0655/阿雲 紅緒(あぐも・べにお)/男/729/自称謎の人】
【0264/内場 邦彦(うちば・くにひこ)/男/20/大学生】
【0599/黒月 焔(くろつき・ほむら)/男/27/バーのマスター】
【0074/風見 璃音(かざみ・りおん)/女/150/フリーター】
【0173/武神 一樹(たけがみ・かずき)/男/ 30/骨董屋『櫻月堂』店主】
【0174/寒河江 深雪(さがえ・みゆき)/女/22/アナウンサー】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、立神勇樹です。
 さて、今回の事件は「エピローグを除いて7シーン」に分割されております。
 今回は各所にこの「復讐の女神」の話の謎を解く鍵が隠されてます。
 残すところあと数回。良い結末になるか、悪い結末になってしまうのかは今後のプレイングにより変わってきます。
 最後までお付き合いくださると幸いです。
 また「なぜこのキャラが、こういう情報をもってこれたのかな?」と思われた方は、他の方の調査ファイルを見てみると、違う角度から事件が見えてくるかもしれません。
 もしこの調査ファイルを呼んで「この能力はこういう演出がいい」とか「こういう過去があるって設定、今度やってみたいな」と思われた方は、メールで教えてくださると嬉しいです。
 あなたと私で、ここではない、別の世界をじっくり冒険できたらいいな、と思ってます。

 黒月 焔様
 参加ありがとうございました。今回は楽しい導入プレイングで、とても笑わせていただきました。
 そのためいつもより軽い? 黒月さんになってしまいましたがいかがでしたでしょうか?
 イメージとはかけ離れているかもしれませんが、また違った一面と笑って下されば幸いです。
 では、次の依頼でお会い出来ることをいのりつつ。