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<PCシナリオノベル(シングル)>


草間探偵の優雅な一日
●参上、そして惨状
 ある日の草間興信所――入口の扉のノブがゆっくりと回りかけ、途中で止まる。ややあって、ガチャガチャと音が聞こえてきた。そしてガチャンと鍵が開き、一気にノブが回された。
 静かに扉が開かれ、カーテンの閉まったままの事務所に、背丈の高い細身の女性が姿を見せた。やれやれといった様子で女性がつぶやく。
「ふう……今日は依頼人の予定な……」
 女性の言葉が、不意に止まった。言葉だけじゃない、視線も1ケ所で止まっていた。事務所の奥にあるスチール机に向かって。
 それはここの主である草間武彦の机だったが、その上は山のような書類で覆われていた。それだけならまだしも、書類の上に電卓やら煙草等を置いているのだから始末が悪い。
「3日来なかっただけでこれなの?」
 女性――シュライン・エマは眉をひそめ、他の場所へと視線を向けた。さらに表情の険しくなるシュライン。
 ソファの上には汚れ物と思しきワイシャツが数枚脱ぎ捨てられている。テーブルの上の灰皿には山のような吸殻が。また、飲みかけの珈琲が入ったままのカップが2つと、缶詰の空缶と、スープの少し残ったカップラーメンまで乗っている。ゴミ箱の惨状に関しては……今さら説明する必要もないだろう。
 極度の潔癖性の人間ならば、この場を破壊したい衝動に襲われたことだろう。シュラインは潔癖性という訳ではないが、さすがにこの状況には呆れ返っていた。
「たく……急な依頼人が来たら、どうするつもりだったのかしらね」
 溜息を吐くシュライン。入口に鍵がかかっていたことから推測すると、今日は依頼人が来る予定はなかったのだろうが、シュラインが言うようにいつ飛び込みで依頼人がやってこないとも限らない。それなのにこの有り様では、せっかくやってきた依頼人も思わず回れ右して帰ってしまうことだろう。ただでさえ、事務所の経済状態はよいとは言えないのだ。これ以上悪化させる訳にはいかなかった。
「とりあえず、ねぼすけさんを起こしてこないとね。片付けはそれからだわ」
 シュラインは腕時計を見た。時刻は間もなく朝9時を指そうとしていた。

●Wake up!
 カーテンと窓を開けると、シュラインは奥の階段から3階へと上がっていった。草間の住居は事務所の上、3階にあるのだ。
 勝手知ったる他人の家――という訳でもないが、シュラインは慣れた足取りで3階に上がると、すぐに草間の寝室へと向かった。
 勢いよく、寝室の扉を開くシュライン。本来なら起こさぬよう静かに開けるべきなのかもしれないが、本気で眠っている草間がこれくらいで目を覚まさないのは過去の経験からシュラインは知っていた。確かにその通りで、シュラインが寝室に入ってきても草間は全く目を覚まさなかった。軽い寝息が聞こえてきている。
「武彦さん、いつまで寝てるの? もう朝なのよ」
 シュラインが普通に草間に声をかけた。が、身動きする様子すら見られない。
(まあ、これで起きるとは思わなかったけど)
 すぅ……と息を吸い込むシュライン。それは次のための準備行動だった。
「起きなさい、武彦さん!!」
 シュラインが低音かつ大きな声で、草間を起こしにかかった。
「むぅ……むぐ……餃子10人前でタダか……親父一丁……」
 しかし草間は寝言をつぶやき、寝返りを打っただけ。目覚めた様子は見られなかった。
(あーあ……今日は重傷だわ。仕方ないわね)
 たいていの場合なら今ので起きるのだが、今日の草間は深く眠ってしまっているようで、シュラインは仕方なく第3段階へと移行することにした。
 シュラインは草間のベッドへと近付いた。正確には草間の耳元へと。至近距離から、高音で叫んでやろうというのだ。これをやれば100%、いや120%目覚めるのは過去の経験から間違いない事実だった。
 片膝をベッドへと乗せるシュライン。ベッドが軽く軋む。そしてシュラインは草間の耳元に顔を近付けて、叫ぼうとした。
「た……」
 と、その時だ。草間が突然シュラインの身体をつかみ、ぐいと抱き寄せたのは――。

●その距離、数センチ
「きゃぁっ!」
 シュラインが短い叫び声を上げた。気付くと、シュラインの顔は草間の顔のすぐ真ん前、間近にきていた。
「た……武彦さん?」
 少しどぎまぎしながら、シュラインは草間に声をかけた。頬に朱が差していた。
「…………」
 草間は両目を閉じたまま、何も答えない。ただシュラインを抱き寄せている両腕の力が、少し強くなっただけで。
(……武彦さん……)
 そっと両目を閉じるシュライン。このままなすがままになってもいいかな――なんてシュラインが思い始めたその時だった。
「……アケミ……」
 ぼそっとつぶやく草間。一瞬にして、シュラインの頭に血が昇った。
 べち。
 シュラインが何とか引き抜いた手が、草間の顔面をクリーンヒットした。間髪入れず、叫ぶシュライン。
「いい加減に起きなさいよ、武彦さん!!」
 至近距離から叫ばれ、さすがに草間も飛び起きた。
「わっ! ん? ん? 何だ?」
 きょろきょろと室内を見回す草間。シュラインはベッドから離れると、近くに脱ぎ散らかされていた比較的汚れてなさそうな衣服を草間に向かって叩き付けた。
「ほら、さっさと起きる! 今着てる物は脱いで、それに着替えて! 洗濯しなくちゃいけないんだから!!」
 両手を腰に当て、草間を睨み付けるシュライン。草間はシャツのボタンに手をかけようとして、ちらりとシュラインを見た。
「なあ」
「何?」
「その……下着もか?」
「……今さら慣れたわよ。ほら、さっさと出す!」
「わ、分かった! 出すから、外で待っててくれ!」
 きっぱりと言い切ったシュラインに対し、草間が慌てて答えた。言われた通り、寝室の外へと出ていこうとするシュライン。扉を開け外へ出ようとして、不意に草間の方を振り返った。
「ああ、そうだ。武彦さん……『アケミ』って、誰かしら?」
 シュラインはにっこりと微笑み、バタンと扉を閉めた。目は、決して笑っていなかった。

●山のような仕事、あるいは雑用
 シュラインの仕事は、草間を起こして一件落着という訳にはいかなかった。
 まずは汚れ物の洗濯。それと並行して、台所の洗い物。洗濯物は、洗濯機に放り込んでしまえば停まるまでは時間が出来る。その時間を有効利用しない手はなかった。
 台所の惨状も他の部屋とどっこいどっこいで、シュラインはかなり手こずる結果となってしまった。カップにこびりついた珈琲は、なかなか落ちないのだ。
 それでも何とか台所を片付け終えた所で、ちょうど洗濯機も停まった。乾燥機という上等な物はここにはないので、1枚1枚天日干しである。シュラインは洗濯物を抱えてベランダに出ると、パンパンとしわを伸ばして物干竿に洗濯物をかけていった。
「あ、柄パン……」
 柄模様のパンツを持ったシュラインの手が止まった。正直言って、趣味がよくない模様だ。
(安いから買ってるのか、趣味で買ってるのか微妙な所だわ)
 パンツをしっかと握り締めたまま溜息を吐くシュライン。シュラインとしてはこういう柄のパンツは止めてほしい所だが、本人が買ってきてる以上は仕方がない。シュラインは後で草間にそれとなく注意することを心に決め、洗濯物を干す作業を続けた。
 洗濯物を干し終えると、次に事務所の掃除。シュラインはそれも終わらせ、ようやく朝食となった。といってももう正午近く、朝昼兼用の食事となってしまった。
「はい、武彦さん。よく噛んで食べて。その方が、頭が目覚めるの早いから」
 シュラインは目玉焼きにベーコンとほうれん草のソテーを添えると、焼き上がったトーストと共に草間の前に出した。申し訳ないと思ったのか、珈琲だけはさすがに草間が自分で準備していた。
 もそもそと朝食に手をつける草間。言われた通りよく噛んで食べてはいるが、味については何も言わなかった。まあそれはいつものこと、シュラインは慣れていた。
 シュラインは自分の分も食事を用意すると、ソファに腰掛けて食べ始めた。シュラインにとって、ちょっとした休憩時間であった。
(食べ終えたら食器を洗って……やっと事務の仕事にかかれるわね。先週の事件をまとめて、アトラスにも連絡取って……ああ、何でこんなにやること山積みなのぉ?)
 食事の手を止めて、シュラインは深い溜息を吐いた。草間がそんなシュラインを、心配そうに見ていた。

●草間なりの気遣い
「……なあ、シュライン」
 ふと草間がシュラインに声をかけた。顔を上げ、草間の方を向くシュライン。
「何?」
「ちょっとそこの棚を開けて、中にある物を出してくれないか?」
 草間が壁際の棚を指差した。シュラインは言われるままに立ち上がり、棚のそばへとやってきた。
(もう、このくらい自分で動いたらいいのに)
 そんなことを考えながら、シュラインは棚を開けた。そこに入っていたのは、プラスチックケースに入った指輪だった。ついているのは真珠だろうか。
「武彦さん、これ……」
 ケースごと指輪を取り出し、シュラインが草間の方を振り返った。
「あー……この間、ターゲットを尾行してる最中に、やむなく買うことになったんだ。俺が持っていても仕方ないから、お前がもらってくれないか?」
 視線を窓の外へと向けながら草間が言った。
「その何だ……いつも面倒かけてることだしな」
「……いいの?」
 シュラインがそう尋ねると、草間は小さく頷いてから珈琲をぐいと飲んだ。
「ありがと、武彦さん」
 にっこりと微笑み、受け取るシュライン。ソファに戻り、しげしげとケースを眺めていた。そしてくるっとケースをひっくり返し――シュラインの目が点になった。そこには値札がついており、『¥1000』と記されていたのだ。
(……どこで買ったか、何となく分かった気がするわ)
 そういえば、秋葉原の駅前でこういうのを売っていたような気がする。が、シュラインは落胆する訳でもなく、むしろくすっと微笑みを浮かべた。
(武彦さんらしいわ)
 シュラインにとって値段の大小よりも、自分を気遣ってくれている気持ちの方が嬉しかった。例えやむなく買うことになった物だとしても、そんな些細なことは問題ではなかった。
 シュラインはバッグにその指輪を仕舞うと、壁にかかっている予定表に目を向けた。予定表は真っ白で、何も書かれていなかった。
「武彦さん! あの惨状だったら暇はあったんでしょ? 予定表くらい書き込んでおいてよ……ほら、ぼーっとせずにさっさと書く!」
「せっかくの穏やかな日なんだがなあ……」
 シュラインの言葉に、草間が重い腰を上げて予定表へと向かった。
 依頼人の来ない草間興信所は、散らかりようは酷いものの、極めて穏やかな時間が流れていた。
「穏やか?」
 ぼそっとつぶやくシュライン。……いや、あなたにとっては穏やかじゃないんですけれども。

【了】