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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


白物語「幕」
------<オープニング>--------------------------------------
「あぁ…解った。後で連絡する」
チン、と短い鈴の音を立てて受話器を受け止めた黒電話を睨みつけていた草間は、長い沈黙の後で漸く煙草に手を伸ばした。
「悪い知らせですか?」
渋面の草間に恐る恐る声をかける…草間は「あぁ」と、紫煙越しに天井の角を見つめながら答えた。
「高校の演劇部から…本番の練習中に主役の部員が消えたので探して欲しいという依頼があったんだがな。調査に行った二人もやられたらしい」
室内がざわめく。
「悪いが、誰かもう一度出てやってくれるか。そいつらの回収も含めて…くれぐれも、気をつけてくれ」
緊張に引き締まる空気に、草間はふと思いついた表情でもう一つ条件を提示した。
「行方不明になったのはロミオとジュリエットが一組ずつか…迎えに行く奴は浦島太郎でもピノキオでも月光仮面でもいい。好きな役柄に扮して行けよ」
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 私立東青学園の講堂、その舞台の袖で、西園寺嵩杞は衣装をためつすがめつ見ながら出番を待っていた。
「最近の子は体格がいいんですねぇ…」
嵩杞の長身に合うサイズは難しく、ようやく丈が合ったかと思えば幅が余るという事態に、小道具係の女子生徒が急いで詰めてくれた衣装である。
 スイ・マーナオは小柄故にサイズに問題はなかったようである…その種類を除けば。
 失踪したという演劇部員、その状況の再現に必要なのは…舞台とロミオとジュリエット。
 嵩杞がロミオならスイはジュリエット。当然といえば当然の配役だが、赴いた先で初めて聞いた草間の指示にスイの怒りが爆発した。
「何で俺がジュリエットなんだッ!?」
一見美少女の苛烈な怒りに、それを伝えた演劇部顧問はしどろもどろになるのが気の毒で…というのもあって、嵩杞は顧問に加勢する。
「スイさん、先生も居なくなった生徒達が心配なんですよ」
「だからって何で俺が女役なんだよ!」
元々に女の子に間違えられるのを嫌うスイである…まるで胸がない事を主張するような着流し姿に、下駄、愛用の長煙管を銜えてどこからどう見ても男としか思えない也を常にしていても、初対面の男性に「女の子?」と問われてしまう悲しい29歳であるが、そんな勇気の要る質問をして地に倒れずに済んだ輩を嵩杞はあまり拝んだ事がない。
 故に、女の子に間違えられるも何も、女の子にしか見えない衣装を纏うなど、以ての他というスイの気持ちもよく分かる…が、ここは是非とも折れて貰わなければならない。
「スイさん…二人を助けようにも判断材料が少なすぎますよね。だからといって、諦めてしまっては親御さんも、同じ部の仲間もご友人も悲しまれるでしょう…それもたかが服一枚を厭うたが為、というのではあまりに情けなくはありませんか?」
微妙にスイの男気をくすぐる方向性で嵩杞は言葉を続ける。
「私たちの元にこの依頼が舞い込んだという時点で、二人を助け出すという可能性が託されたも同然です…私には、その希望と期待を無碍のする事は、とても…」
沈痛な面持ちで目を伏せた嵩杞に、スイが憮然と口を開く。
「俺だってドレスじゃなきゃ協力しなくもねェけどよ…」
それなら、と嵩杞は顔を上げた。
「あぁ、分かりました。ならスイさんがロミオで私がジュリエットを務めましょう…いいですよね」
突然水を向けられた顧問が慌てて頷くが、それを制したのはスイだった。
「ちょっと待て嵩杞!………ドレスを着るのか?お前がか?」
「勿論ですよ、そう聞こえませんでしたか?」
嵩杞は無邪気……を装った笑みをスイに向けた。
「キスシーンはロミオからでしたよね?楽しみにしてます」
ここで冷静に考えみよう…二人の身長差を考えると…スイ・ロミオが嵩杞・ジュリエットに口吻をしようとした場合、間違いなく台が要る。もしくはジュリエットに抱き上げてもらう。二つの選択肢しかない。
 その上…嵩杞のドレス姿。似合う似合わないの問題でなく、思考がその可能性を拒否する。想像が全くつかない。
「………待て!」
早速準備を、と顧問に話を持ちかける嵩杞にスイの制止がかかった。
「逆で…最初の配役でいい……けどな!」
主張と真逆の譲歩に、スイは渋面の極みだ。
「やるからには完璧なジュリエットにするからな!?テメェ、手ェ抜きやがったら殴り飛ばすぞ!」
スイの言い分を嵩杞はふわりと笑って受け止めた。
「分かってますよ、スイさんの事ですから」
作戦成功、である。
 という紆余曲折を経て、スイのドレス姿を存分に拝めるとご機嫌の嵩杞である。
 想い人は、露台を模した大道具の影に隠れて未だ姿を見せない…が、立ち働く男子生徒が、時折頬を張らしていたり目の回りに隈を作っていたりするので、その出来映えやかくや、と楽しみにしている。
 その頭上のスピーカーから、静かなピアノ曲が流れ出した…第二幕の始まりである。


 突如、彼は自分たちの置かれた状況…空間の広がり、空気に含まれる夜気が与える齟齬に眩暈を覚えた。
 気圧が変わった時のような耳鳴りがする。
 広がる夜天、茂る緑や花の草いきれ、散策路に沿って続くそれは人の手の入った庭の物だ。
 多分、彼が乗り越えたとされるであろう壁の向こうから、ロミオの名を呼ばわる声ずしたが
それも程なく遠ざかって行った。
「人の痛みを知らぬ者ほど、その傷跡を嘲笑う…なるほど、こういう事ですか」
マキューシオに揶揄られたロミオが洩らす台詞に続けて、嵩杞は己が置かれた状況を理解した。
 何某かまでの判断はつかないけれども、舞台の上から物語を模した世界に移行させられ、登場人物が姿を消す。
 単純だけれでも、正直意表を突かれた展開ではあった。
 木立の間に見える邸宅…これがキャピレット邸であろう、とあたりをつけ、嵩杞はジュリエットの…スイの部屋を探して建物へ向かう…先に恋人達の語らいとは決して言えない怒鳴り合いの声が聞こえた。
「そんな事言ったった、俺にだってここが何処かなんてわかんねーんだから仕方ねーだろ!」
「男ならどうにかしてみなさいよ!この甲斐性なし!」
腹式呼吸を使って人目憚らぬその応対は、地上とベランダの中間点で激突していた。
 直線の近道に木立を割った嵩杞は、控えめに声をかけた。
「田中良文くんではありませんか?」
穏やかな物腰の青年に声をかけられ、田中、と呼ばれた…ロミオの扮装をした少年はギョッと振り向いた。
「あ、アンタ…誰だよッ!」
精一杯に胸を張ってみせる田中の虚勢に、嵩杞は穏やかな微笑みで応えた。
「学校側からの要請で、貴方方を探しに来た者です…生憎と名刺を持参しておりませんが、個人病院を経営しております西園寺嵩杞といいます。無事なようで何よりですね。」
問診するまでもなく、あれだけ元気に怒鳴り合っていれば健康も不健康もありはしない。
 ベランダの上、ジュリエット役の高木郁子もこちらに背を向け室内に視線をやるのに、スイも上手く入り込めたと見える…口元が綻びそうになるのを意志の力で押さえ、嵩杞は田中に状況を説明する。
「あなた達が、学校の舞台から姿を消してからもう3日になります…私たちはその調査を依頼され、失踪時と同じ状況を作ってみたのですが、何か心あたりはありませんか?」
「ねえよ!」
田中は視線を逸らして吐き捨てた癖、次には縋るような目を向けた。
「なぁ…、ここ何なんだよ、俺が聞きたいよ、3日…3日ってどういう事だよ!」
言葉は返さず、静かに首を横に振る嵩杞に、田中の顔が泣きそうに歪む。
「どうやったら帰れんだよ…」
「ここで…ここに来てから何か特別な事はしましたか?」
嵩杞の問いに、俯いたままで田中が答える。
「何にも…してねぇ。高木と怒鳴り合ってただけで」
「ロミオとジュリエットの本筋に関わる事は何も?」
頷く田中に、嵩杞はベランダを仰いだ。
「スイさーん!」
「あんだよ」
ベランダに姿を現したスイに、ロミオ達は思わず息を詰めた。
 白いドレスは華奢な身体に沿い、欠けた月光が淡く弾いて縁取る…真珠で編まれたネットに纏められた髪は鬘と分かっているが、整えられた髪の幾筋かが艶やかに白い額に落ちかかる様、黒目がちに大きな瞳に星が煌めくようで見惚れるなと言う方が無茶だ。
「すっげぇ可愛い…」
嵩杞の心を代弁した田中の呟きは、だが、ヒールの応酬で迎えられた。
「誰が可愛いだと!?もっぺん言ってみやがれテメェ殺すぞ!」
いや、もう言えない。
 さくっとヒールが額にささった田中は、稀代の美少女の姿を見たのを最後に夢の世界へ旅だってしまった。
「えーと…本筋を進めてみませんか?何か変化があればここからどうやって脱け出すかの手がかりになるかもしれませんし」
「俺もそう思ってたトコだ…んじゃ嵩杞、まずはそこら辺に隠れてろ」
嵩杞に指示、スイは部屋に目配せすると小さく咳払いをした。
「O Romeo, Romeo! wherefore art thou Romeo?Deny thy father and refuse thy name…」
「ス、スイさん…」
わさわさと隠れていた木陰から出る嵩杞。
「日本語にして頂けませんか?頂いた台本がそうだったので、訳された台詞しか覚えていないのですが…」
「ンだよ、お前。大体日本語に訳されたヤツなんか原文の言葉遊びを無視しまくってるじゃねぇか、シェイクスピアに対する冒涜だぞありゃぁ」
「そこを私に免じて頂きたいんです」
「仕方ねェな…」
仏頂面で仕切り直すスイ。
「さもなければ、せめて私を愛すると…誓言して頂きたい…そうすれば今夜を限りに私もキャピレットの名を捨てて御覧に入れます」
恋に焦がれながらも恥じらいを秘め、想いを月に打ち明けるしか出来ない乙女のなんとも言えぬ好演である。
 そっと己の胸に両手を添え、ロミオの独言を待つスイだが、待てども次の台詞は聞こえて来ない。
「テメェ嵩杞…!」
怒りの声を上げようとしたスイだが、それは壁をよじ登ってベランダに上がって来た嵩杞に続く言葉を失う。
「やぁ、恋の翼というものも、なかなか難儀な代物ですね」
話の筋を全く無視した医師の行動に、スイは額に青筋を浮かべた。
「手ェ抜いたらぶっ飛ばすっつってんだろ!」
しかし拳を繰り出す前に、嵩杞はスイの前に跪いた。
 常ならばその身長差から、スイが嵩杞の顔を見上げるのだが今は全く逆である。
 人間、何故か下からのアングルで攻められると弱い。
「お仕着せの台詞にスイさんへの想いを込めるなど、私にはとても出来ません…」
おいおいおいおい、そう心の内でツッコミながらも見上げる角度で真摯な嵩杞の瞳に動けない…いつの間に外したのか、黒のカラーコンタクトで隠している生来の銀の色が、満月のようにスイの姿を映している。
 気分は蝦蟇の油だ。
「もう朝…お願い帰って下さらない?」
それでも一応は劇の流れに沿おうとしているスイが全く情緒も何もない連想をしているとも知らず、嵩杞は先に田中に靴を投げつけた為に素足となったスイの右足を取った。
 ベランダの手すりに両手をついてバランスを整えるスイを見上げたまま、嵩杞は激情を押さえるが故に静かな声でこう言った。
「ジュリエット…私は何があろうと貴方を置いて行く事はありません。何処かへ行くならば生きて、貴方と共に」
冷えた素足の甲に、仄かな温もりを含んだ嵩杞の唇が触れる。
 スイの鼓動がひとつ大きく打った。
「げ、劇中での約束なんかこれっぽっちも信じねェよ!」
何故頬が熱いのか自分で理解しないまま、スイは嵩杞から顔を背ける…夜で、視界が暗くて良かったと思いながら。
「なら、」
嵩杞はスイを見上げて微笑んだ。
「月にでも、私自身にでもなく…何度でも、貴方に誓ってみせますよ、スイ…」
立ち上がり、細い身体を胸に抱こうとしたその視界…嵩杞の目にはベランダの下で佇むシュラインと春日、スイの目には扉の隙間から顔だけ覗かせた千里と美由姫の姿が入った。
「………ッめぇ!調子に乗ってんじゃねェぞ放せコラァ!」
間一髪で正気に返ったスイが勢いよく嵩杞の腹を蹴り飛ばして無理矢理剥がす。
「お邪魔だったみてぇだよな…」
「放っといて帰りましょうか?」
声をかけ損なって、本来より二割り増しベタ甘なラヴシーンを見せつけられてしまった気分のマキューシオとベンヴォーリオ(&パレス)は、無情にもそう言い放った。
 その間にベランダ上のロミオとジュリエットは決裂…というよりもジュリエットのロミオに対しての一方的な暴行が、激しさを増して第二ラウンドに突入しようとしていた。


 一名を除いてどうにか合流を果たした一同、シュラインが用意していたバスケット…食べやすいように様々な具を詰めたおにぎりを夜食に、ジュリエットの部屋で作戦会議である。
「先生、おかかと鮭取ってくれよ」
本業は医者である、と告げた次の瞬間、若者の間で「先生」の呼び名が定着してしまった嵩杞は、自らの手当…心霊治療ですっかり元通りになった手で、春日におにぎりを渡してやった。
 ちなみにこの二人…というより、スイに対する片思いを同類故に感じ取ったらしい春日が、
「分かるぜ、その気持ち…」
と、妙に親近感を覚えて懐いている。
 そのスイと嵩杞の間に座るのは、春日、決して邪魔をしている訳でなく、不機嫌の極みに嵩杞と口をきこうとしないスイとの橋渡しをしてやっているのである。
 春日を経由して渡された鮭を囓りつつ、スイ。
「演劇部員が元に戻れたってんならいーけどよ」
いつの間にか、姿を消していた高木と田中が無事に戻ったとの報告を聞いて、安心はしたらしい。
「んじゃぁ、このまま劇を終わらせたら俺たちも戻れるって手筈にゃならねぇか?」
春日が指についた米粒を舐め取った。
「んー…でも、このままだとまずくない?」
紅茶を手に美由姫。
「台本通りに進めたらいい…っていうのも解るんだけど…悲しい結末が待ってるんだもの」
 続ける千里はクッションを胸の下に敷いて寝転がり、絨毯の上で足をパタつかせた。
「…ホントに死んじゃうのかなぁ」
「その場合、最初の犠牲者は春日くんね」
シュラインの指摘に春日は「マジッ!?」と慌てて隠し持っていた台本を捲った。
「うわ、格好悪ィ…しかも殺られ損じゃん、俺」
後ろに倒れついでに台本を放り投げる…重要人物だから、という理由で役柄をチョイスした憂き目がここに。
「寸前まで元気なので、死因は出血が原因によるショック死ですね。私が一緒にいますから、死ぬより先に傷口を塞いであげますよ」
心霊治療の権威にそう請け負われても、ちっとも嬉しくない。
「いっそ、ロミオとジュリエットの大筋を変えてしまうのも手段かも知れないわね」
シュラインの言に、注目が集まる。
「喩えば…マキューシオが死ななかったらロミオがティボルトを殺す必要もないし、そうなれば彼がヴェロナを追放される事もない。ジュリエットが無理矢理にパリスと結婚させられそうになってもロミオさえ居ればどうにでもなるわ。二人を駆け落ちさせればもう死ぬ必要もないじゃない?」
「一緒に逃げましょうスイさん!」
スパン!と千里特製ハリセンが嵩杞の額に決まる。
「いい案かもな…悲劇でなくなれば、ロミオとジュリエットは成り立たねぇし。物語の進行を目的に構築された世界ならその存在意義を奪っちまうのが一番だ」
「あ、でもウェディングドレスは着てみたーい♪」
ハイハーイと元気に挙手するジュリエットに、
「女ってそういうの好きだよなぁ」
と眉を上げるジュリエット…にロミオがふと気付く。
「ロミオ、もう一人居る筈じゃないんですか?」
空気が音を立てて凍り付いた。


 結局その日はどうしようもなく、嵩杞、春日の二人は成り行き上、シュライン宅となっているパリス邸へ、スイと千里、美由姫はそのままキャピレット邸に分散して夜明けを迎えた…彼等に衝撃のニュースが飛び込んで来た。
 曰く、『ロミオ乱心!?深夜のモンタギュー邸破壊の謎』の報である。
 役柄上、屋敷を出れないジュリエッツ(ジュリエットの複数形)を残し、連絡係として前日から打ち合わせておいた広間で顔を合わせるなり、彼等は深く深く溜息をついた。
「………死者がなかったのが幸いでしたね…」
フードで顔を隠した嵩杞が言う…モンタギュー邸は倒壊したものの、住人は全て庭に出ていて無事だったとの事…唯一の怪我人は当主で、その理由はロミオに殴られたもの、との事。
「目を離すべきじゃなかったわ…」
「首に縄つけてひっくくっときゃよかった…」
近くに居ただけ、シュラインと春日の後悔は強い…草間の人選を恨みに思わなくもないが、もし内容をひっかき回すのが目的であったというのであれば、この上ない適任だ。
「とにかく私たちで捕まえないと、警察とかに掴まったら…」
今度は留置所が倒壊する。
 このまま野放しにしておくのもある種の手段であるかも知れないが、それはあまりに乱暴だ。
「んじゃぁ…ジュリエットと闘り合うのが目当てなんだからさ。こう特設ステージでも作って挑戦者募集!の看板立てりゃきっと入れ食い…」
投げ遣りながらも有効な手段を掲示する春日の意見を遮って、彼等が座る石段に銀のナイフが突き立った!
「それには及ばないよ☆」
「想司テメー、どこほっついてやがった!」
沸点の低い春日が、瞬間沸騰するのに、想司は何故だか噴水の上の像の更に上に器用に立ちながらチチチと人差し指中指を合わせて横を振ってみせた。
「女の子から誘いをかけさせる程野暮じゃないよ僕は♪日時は今日の正午、場所はその手紙に書いてあるから照れずにおいでってジュリエットに伝えてね♪マキューシオ、君の仇はきっと僕がとってみせるからね!迷ってないで成仏してね♪チャオ☆」
「うるせー、まだ死んでねーッ!」
 投げキッスのおまけつきでひらりと身を翻した想司は、警吏の呼子笛を背に引き連れながら逃げ去っていく…なんだか追う気が失せてしまった一同、
「まぁ…正午に会おうって言うんだし…」
とすっかり投げ遣りである。
 ナイフの柄に結ばれた紙…其処に示されるのは町はずれにある大聖堂…。
「投網でも用意するか…」
「麻酔銃があったら便利でしたでしょうねぇ」
「いっそブッチする?」
疲れている。
 美由姫だけは熱心に指定の場所を読むと、不意ににっこりと微笑んだ。
「皆、ちょっとだけ協力してね…私に任せてくれて、大丈夫だから☆」
言いつつ、彼女は乳母の衣装に縫いつけてあったステッキを取り出した…そう、彼女の役柄の設定は、乳母に身をやつした仙女であった。


 そして、約束の刻…。
 教会の正午の鐘と同時に聖堂の扉は押し開かれ、乳母を引き連れたジュリエットが聖堂に姿を現した。
 白い衣装に花嫁のヴェールを目深く被り、紅を引いた口元が緊張によってか引き結ばれている。
「やぁジュリエット♪僕の実力と君の実力、その差が等しくても技の上で貴方が勝るというのなら、その力を存分に僕に見せておくれ☆」
台本と微妙に合っていて合っていないのが味のある想司の台詞である。
 応えるジュリエット。
「実力こそを誇りましょうが、言葉で誇るものではございませんわ…ただ、申し上げる事が出来るのは私の真心とその愛を、貴方に数え上げることが出来るでしょうか?」
「もちろんさ☆」
無邪気に答えた想司が構えを取った、戦闘開始のその一瞬。
 鐘の音に紛れて堂内に侵入を果たしていた四人が、全く同時に想司に打ちかかった。
 ………仮にこれが銃や剣、殺傷力の高い武器であったなら、想司は本能ともいうべき危機回避能力で避けきってみせたであろう。
 が、彼等が手に手に襲いかかったのは、千里謹製「お徳用ハリセンセット 5個入」のひとつひとつであった。
 スパスパスパスパーンッ!繰り出されるツッコミにある意味身体が受け止める事に慣れてしまっている想司の動きが一瞬止まった隙をつき、美由姫がステッキを振り上げた。
「想司くんゴメンねッ!」
律儀に謝る彼女の手にしたステッキの先に可愛く光る星の硝子細工がキラキラと撒く粉が、少年の身体を包み込み、弾けた其処に。
 白い鸚鵡が一羽、一声「ギャー」と嗄れた声で鳴いた。


 さて、囮となった千里、シュライン、スイ、嵩杞、春日のチームプレーに美由姫のお手柄で、無事想司は捕獲された。
 そして念のためと称して、その後鸚鵡と物置に監禁までされた春日の涙ぐましい努力によってマキューシオは存命したままで、何故か苛ついて街をうろついていたティボルトが酒場で喧嘩して留置場に入れられたという事件を最後、幸いこれまで死者は出ていなければ事件も起きていない。
 …が、その翌日、意識を取り戻したモンタギュー家当主の証言によって、家庭内暴力の咎でロミオの国外追放は結局免れる事が出来なかった。
 …今となっては、変えるべき筋書き、残されたのはジュリエットの自殺である。
 まぁ形だけだし、同意の上だし…という事で、一人、お尋ね者扱いになってしまった嵩杞を宥めすかしパリス宅へ向かわせるのに難渋したが、シュラインとスイが無事に式を挙げれば物語世界に矛盾も生じて脱出の糸口もあるだろうという見解は全員が一致した。
 茶番劇とはいえ、唇は大事な人との為にとってあるのという千里の主張に、シュラインに娶られる事になってしまったのはスイである。
 成り行きとはいえ、ロミオとの結婚式は挙げないままに終わっていたが、結婚前の懺悔に赴いた教会で、二人の間に愛があると勝手に盛り上がりまくっているロレンス神父に仮死の毒を押しつけられたスイが神父を殴り飛ばすという一コマもあったが、他に然したる問題はなく、結婚式を翌日に控えたジュリエット達は、乳母の美由姫と共に自室で眠りについていた。
 そのスイが、不意に身体を起こした。
 婚前の緊張…などという巫山戯た事は決してない…それを証拠に、眠りの息のまま深い呼吸が胸を動かしている。
 ふら、と。
 彼は寝台から抜け出すと、ベランダに出た…その端に転がる小さな小瓶…昼間、ロレンス神父に押しつけられ、怒りにまかせて放り投げた仮死の毒が、其処にあった。
 夢に沈んだ瞳のまま、スイはその口を開けると、ほんの一口の暗い液体を喉の奥に流し込んだ。
 細い身体がくずおれ、倒れる。
 手の中から転がり出た小瓶…その意味に、目覚めた千里と美由姫が気付くのは、陽が昇ってからであった。


 一行は松明を手に、キャピレット家の墓所へ赴いていた。
 難を逃れた千里は美由姫と共に男性陣と合流し、シュラインはパリスとして葬儀に出席して未来の妻の死が、確かにその通りであると確かめて戻った。
 状態的に鳥目の想司を肩に乗せ、春日が腹立たしそうに眉を寄せた。
「ったく、何処のどいつか知らねェがどうあっても展開を変えたくねェらしいな…こんな事なら想司を放っといてヴェロナを滅ぼしてやりゃよかった!」
その乱暴な意見に、想司が「ギャ!」と一声鳴いて同意する。
「それより、スイさんを助ける方が先よ」
シュラインが釘を差すのに、千里と美由姫が激しく頷く…三人対一人と一羽ではちょっと分が悪い。
 味方を得ようと嵩杞に顔を向けた春日は、その夜目にも白い顔色に一瞬言葉を失う。
「…大丈夫かよ、先生。ひでぇ顔色だぜ?」
その声に嵩杞は顔を上げ、薄く笑んでみせた。
「いや、どうにもいけませんね。力が及ばない事は、いつでも辛いものですが……」
深く吸った息を吐き出し一同を見回す。
「筋書きのまま進むのであれば、ジュリエットは…スイさんは、一旦私が死ななければ目覚めないでしょう。直接診てみない事に判断はつかないのですが、もしそうなれば…」
揺るがない意志に強まった口調で続ける。
「スイさんが絶対に後を追わないよう、皆さんで止めて下さい」
「ちょっと待って!」
 嵩杞の言に、口々に言い募ろうとした少年少女達を押さえて、シュラインが鋭く声を放った。
「それなら…私を、パリスを倒さなければジュリエットの元へはたどり着けないという事
にもなるわね」
「ここに残っては頂けませんか?」
「お断りよ」
ぴしゃりとはねつけ、シュラインは柳眉の端を上げた。
「わざわざ口にするあたり、ジュリエットの目覚めにロミオの死を代償とする覚悟が出来てるのは分かるわ…でも私たちはは誰一人欠けずに戻る為に来たの」
スラリと腰の剣を抜く。
「どうしてもというなら…私を倒して行くしかないわよ?」
「女性に刃を向けるのは本意でないのですが…」
嵩杞は苦い表情で、それでも剣を抜きはなった。
「安心して…そう簡単に筋書き通りに運ばないようにするわ」
受けるシュラインの白刃の煌めきが空を裂く。
 救いは両人共に剣の心得に薄い所だろうが…それでも鋭利な切っ先が身に触れれば、傷を負わないわけにいかない。
「ど、どうしよう〜ッ」
切り結ぶ両者に、傍観者に徹さざるを得ない四人…否、三人と一羽も辛い。
 特に攻撃の手を封じられている想司は、白い翼で人間達の頭上を高い声で飛び回り、言葉もすっかり鳥語になってしまっている。
 強く舌打ち、春日は墓所の奥に足を向けた。
「今はどうしようもねェだろう!スイが起きりゃ万事解決すんだ!手伝え!」
「でもどうやって…?」
「仙女だろうが、悪い魔女の呪いを解く魔法を考えろ!」
きらきら星のついたステッキを手に、美由姫が春日の後を追いながら首を傾げる。
「えーと…」
「王子様のキス♪」
閃きをそのまま口にする千里。
「あそこで決闘に興じてる王子でどうやって?」
「えー、眠り姫だって結局早い者勝ちなんだし…春日くんがしたらいーんじゃない?」
剣戟の音はそのままに、殺気が重圧と化して背後から襲いかかった。
 冷や汗をかくマキューシオ、折角長らえた命がこのままでは風前の灯火である。
「別の手段を考えよう…」
首の後ろの産毛が逆立つ感覚に身震いし、足を速める。
 墓所の内のじめついた空気を松明の炎が生み出す熱が循環させ、異様な臭気が漂う。
「ここまで忠実に再現しなくてもいいのにね…」
春日と別の寒気で美由姫が身を震わせた。
 壁面には寝台の如く長方形に穴が穿たれ、死出の旅路には重かろう、壮麗な衣装を纏った遺骸が数多横たわり、その時の流れを己が身で現す。
 ジュリエットの骸はその奥津城の最奥、神の象徴を前に蓋のない棺に横たえられていた。
 胸の前で手を組み、乙女の象徴である白い百合に埋もれた姿、白い装束は清純なままに儚く散った彼女…基、彼の聖性を象徴するかのようである。
「あ、スイさんいーなー。あたしもちょっと寝てみたかったかも」
羨ましそうな千里だが、
「千里ちゃん、でも周り死体だらけだよ?」
との美由姫の指摘に慌てて首を左右に振った。
 如何にリアリティのある劇の小道具とはいえ、腐臭まで忠実に再現されて痛んだ代物と一つ屋根の下(?)は勘弁だ。
 瞼を閉じるスイの首筋に指をあてる…当然の如く脈はない。
 ロレンス修道士が使用したと言われる毒は未だに確定されておらず、その毒性によって対処の仕方も代わるだろう、が。
「今は悠長にンな事してる場合じゃねーんだ」
春日は固く組まれたスイの手をほどくと、その胸に両手を重ねて置いた。
「時間的にゃ薬は切れてるハズなんだ。とっとと目ェ醒まさないと西園寺にヤられるぞオラ!」
死体(死んでないが)に鞭打つ言葉で、春日は強くスイの胸を押した。
 等間隔に15回。自発呼吸が始まらないのを確認し、また15回。
 心臓マッサージを続ける春日に、千里も美由姫も手を貸したいのだが…。
「やっぱり…人工呼吸?」
「あたし、唇はあの人とだけって決めてるし…」
頬を染めて日本人特有の譲り合いの精神を発揮している場合でもない。
 その時、頭上を飛び回る想司が烏めいた声で鳴くのに、美由姫はポン、と手を打った。
「想司くーん、そろそろ人間に戻ってくれるー?」
軽くステッキで円を描いた軌跡に光の粉が散り、それは鸚鵡の姿を捉えて弾けた。
 天井近くで人の姿に戻った想司は身体を捻って体勢を整え、手足を地面について衝撃を逃すとスタスタと美由姫に詰め寄った。
「ヒドイよ美由姫ちゃん!」
「えーん、だってああしないと想司くん止められないじゃないー」
弁明する美由姫に向かい、想司は大きく首を振った。
「そういう問題じゃないよ!魔女っ子が魔法を使うのに呪文を使わないなんてそんなの邪道だよ!おかしいよ!メグちゃんやサリーちゃん、先人が積み上げてきた歴史に申し訳がたたないと思わない!?」
焦点は其処か。
「……つ、次から気をつけるから」
訳の分かったような分からないような主張にとにかく同意を示し、美由姫は入り口を指差した。
「西園寺さんと代わって来て欲しいの。お医者さんだからきっといい方法を考えてくれるわ」
「それより聞いてよ、僕の偉大なる発見!」
想司は胸を張った。
「ここ、天井がある!」
そりゃあるさ。誰もが墓所の中でそう心の内でツッコミを入れまくる。
「空もあの高さ以上は飛べないんだ!」
ガツッと、投じられた短剣は、天井まで行き着かず、空中に突き立った。
「講堂の天井も…あの位じゃなかった!?」
千里の指摘に彼等はスイを抱え上げると入り口に向かってダッシュした。


「先生!シュラインさん!」
「やぁ君たち。」
「どうしたの?あなた達」
呼びかけに穏やかに答える二人だが、鍔迫り合いの真っ最中だったりした。
 とはいえ男女の体力差からシュラインの息は上がりかけている…が、それも声を操る彼女の無駄のない呼吸法だからこそ、長時間、嵩杞と渡り合えていたのである。
「この世界、全部舞台の上だけで成り立ってます!」
美由姫の声に、嵩杞とシュラインは笑みを交わした。
「完全に閉じられた世界ではないという事ですね…少なくとも、客席に向かって開いている」
「………そういう事!」
全く同時に飛びすさって距離を取った。
 劇中の世界に取り込まれて度々、シュラインの耳には布が風を含んではためく音が届いていた…そう、今も。
「想司くん、あそこにナイフを!」
「任せて☆」
鋭い銀の軌跡が空を裂き、シュラインの示した箇所、支えを失った布が垂れる形で夜空が三角に折れ、その向こうに天井の木目が見えた。
「千里ちゃん、鋏出せる?」
「おっけー、美由姫ちゃん♪」
乞われるまま鋏を創造り出した千里は、大振りのそれの閉じた刃を握って差し出した。
 美由姫が軽く瞼を閉じ、両手を組む…と同時、ふわりと。
 銀の鋏が浮き上がり、覗く木目の端から一直線に夜空をザクザクと切り裂いた。

 そして。

 支えを失った空が落ちると同時、彼等は自分たちの立つ場所が舞台である事に気付いた。
 切り落とされた深紅の緞帳は舞台に落ちて波打つ。
 窓の外はもう暗い。
「なんか一週間くらい劇やってた気がするけどよー…今日、何日だ?」
春日が最も現実的な問いを誰となしに向ける…時刻は午後7時を少し回ったあたりだが、壁にかかるアナログ時計に日付表示はない。
「俺、ちょっと行って聞いて来るわ…先生、早く受け取ってくんねぇ?意外と抱き心地悪ぃんだよ、コイツ」
抱えたままだったスイを嵩杞に預け、ニヤ、と笑う。
「ま、先に言っといてもいいよな。ごちそうさん」
金の瞳に印象深い光を宿し、春日はひらりと舞台を飛び降りた。
 意味を問う間はなく、嵩杞は腕の中で身じろぎしたスイに安堵の息を洩らした。
「……嵩杞か?」
「あぁよかった、スイさん…どこか痛い所はありますか?吐き気は?頭痛は?この指、何本に見えます?」
真っ先に健康状態を確かめようとするのは医者の職業病とも言えよう。
 が、儚げな風情に美少女にしか見えないスイは、己の固めた拳を目線の位置まで掲げてしばし眺めると、腰に手を回して彼を支える嵩杞の顔に裏拳を叩き込んだ。
 赤い軌跡(?)に後ろにのめる医師に、周囲は唖然と声がない。
 その間に嵩杞の腕から抜け出したスイは、衣装にそぐわぬ仁王立ちで声を荒げた。
「舌の根も乾かねぇ内に約束破ろうとしやがって!」
「約束って…」
ベランダのシーンで交わした、共に生きるというその約束。
「でもあれ、スイさん劇の中での事なんか信じないって…」
「俺が信じようが信じまいが、そこを押し通してこそが約束ってモンだろうが!よっく覚えとけ!」
無茶苦茶な理屈を主張し、嵩杞の胸倉を掴んで息がかからんばかりの距離に顔を引き寄せた。
 その繊細な美貌に宿る、それよりも鮮烈な感情の…笑顔。
「今度、テメェを犠牲にしようとしてみろ…生きてよーが死んでよーが関係ねぇ!叩き起こしてその愚かしさ身体に直接叩ッ込んでやるから覚悟しやがれ!」
見事な裾捌きでいて足音も荒く、スイは言いたいだけ言うととっとと舞台を後にする。
 一人残されて呆然としつつ……何処か幸せそうな医師に、一部始終を見守っていた衆目は呆れを滲ませた声を揃えてこう言った。
「ごちそうさま」

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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ロミオ
【0424/水野・想司/男/14歳/吸血鬼ハンター】
【0829/西園寺・嵩杞/男/33歳/医師】
ジュリエット
【0165/月見里・千里/女/16歳/女子高校生】
【0821/スイ・マーナオ/男/29歳/古書店「歌代堂」店主代理】
マキューシオ
【0867/神薙・春日/男/17歳/高校生・予見者】
パリス&ベンヴォーリオ(二役)
【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
乳母(仙女)
【0515/加賀・美由姫/女/17歳/高校生】

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■         ライター通信          ■
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受注を確認してみましたらあらあら不思議。ロミオとジュリエットが二組出現していたという真夏のミステリー…。
またしてもお待たせした上納期ギリギリな北斗に御座います…その上、読むのが…かなり大変な分量だと思われますので覚悟の上でお読みくださ…ってライター通信に目を通す頃には多分、読破済みですね(苦笑)
いやもう今回かなり弾けた詰め込ませて頂いていると思います。コメディ有り、シリアス有りで少しでも楽しんで頂けたらいいな、と心から願う…と同時に、思った活躍が出来ていなかった方には真に申し訳なく(汗)
どうぞ苦情・提言ございましたらお気軽のご意見をお寄せ下さいませ。

ご参加ありがとうございました。
それでは、また時が遇う事を願いつつ。