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<記憶消去屋>
草間の元へ、一組のカップルが訪れていた。
神経質そうな背の高い青年は、この暑いのにグレーのスーツをきっちりと着こんでいる。
上着を脱ぐどころかワイシャツのボタン一つ緩めず、血走った目で草間の正面に座っていた。
その隣には、ひどく線の細い女性が座っている。
抜けるように肌の色が白い。切れ長の瞳は理知的だが、全体的に痩せているので精気がないように見える。
白いサマードレスを纏い、人形のように静かに座っていた。
――『彼女』を取り戻して欲しい。
それが、青年の方が持ってきた依頼だった。
「目の前に、ええと、いらっしゃるようですが」
「こっちは三和ヨウコ。僕は西島ジュンです」
「はあ」
苛立ったような青年の言葉に、草間は肩をすくめる。
睡眠不足でカルシウムとビタミンCも足りていないように見える。
「ヨウコは、僕に関する一切の記憶がないと言っているんです。僕たち、結婚を前提に3年も付き合ってきました。結婚式はあと一月後なんです。ところが、彼女は一週間前、突然僕を知らない、結婚も知らないと言い出しました!」
西島と名乗った男は、ドンと草間興信所のテーブルを叩いた。
「まあ、落ち着いて」
草間は指の間に挟んだ煙草に火を付けることも出来ず、とりあえずそう言った。
「それで」
「彼女は、僕以外の事は全て覚えているんです。一緒に勤めていた会社。これは今でも勤めていますが、そこの仕事や人間関係は何の問題もなくこなしている。だが、僕のことは覚えていないと言う!」
西島はもう一度テーブルを殴った。
「僕を知らない、僕を拒絶する彼女なんて、彼女じゃありません。僕は彼女を問いつめました。そして、日記を見つけた」
「あの……この人、私本当に知らないんです……なのに、合い鍵を持っていて」
三和と紹介された女性が、か細い声を出した。
どうやら、やつれているのはこのヒステリックな男性の問いつめに一週間耐え続けた結果のようだ。
「私が会社に行っている間に、勝手に日記を見て……返してくれないんです」
「そりゃ西島さん、非常識ですよ」
草間は流石に眉を顰める。西島は草間を睨みつけた。
「何を言うんだッ! 僕らは交換日記もしていた! これから結婚して、何もかも見せ合う仲になる予定なんだ。日記くらい」
「でも私、この人を知らないんです」
「君は黙っていろ」
西島は三和を睨みつけた。三和は哀しげに眉を顰め、片手で顔を覆って俯いてしまう。
肩が微かに震えていた。
「これが日記です」
「いえあの、見るわけには」
「ここを」
草間の言葉を無視し、西島は日記を開いた。
最後のページの日付は、先週の火曜日。つまり、今から一週間と一日前、ということになる。
――こんな事、忘れてしまおう。記憶消去屋に、こんな記憶……彼の記憶なんて、消してしまって貰おう。
綺麗な女文字で、そう書かれていた。
「彼女は、僕の記憶を消しに行った! 許せるはずがないじゃありませんか。僕との記憶のない彼女なんて、彼女じゃない」
「西島さん、あの」
「手がかりはこれだけなんですが、彼女はこの記憶消去屋とかいう場所に行って、僕の記憶を消した……いいや、奪われたんだ。彼女が僕とのことを忘れたいなんて思うはずがない。草間さん、彼女の記憶を取り返して下さい」
西島が三和ヨウコを引きずるようにして連れ帰った後、草間はようやく煙草に火を付けた。煙を肺に吸い込む。
「記憶消去屋って、何ですか?」
常駐事務員の野田桃子が、草間の肩を叩いた。
「俺も噂しか聞いたことがないんだが。何でも、都下にある店なんだ。そういう名前かどうかは知らないがな。裏の情報じゃ、望んだ分の記憶だけ、綺麗に消す力があるそうだ」
「そうなんですかー。でも私、女の人の方に同情しちゃうな。なんだか神経質で嫌な感じの依頼人」
桃子がため息をつく。
「ま、仕事はするさ。取り戻せるものなのかどうかは知らないがな」
×
ほっそりとした指が、額に当てられている。
少し硬い掌は、男性のものにしては柔らかく、中性的な印象だった。
美しい銀色の髪を肩に流した男性が、ヨウコの方に微笑みかける。
男性は、指をヨウコの額から離した。
「これでいいですよ」
男性は静かに囁く。薄暗い室内には、仄かに草の香りが漂っている。
アロマセラピーなどの店特有の、野草と花の香りが混ざり合った不思議に柔らかい香りであった。
「ここは……」
ヨウコは椅子から立ち上がり、部屋の中を見回した。
鳥籠のような一室だった。アーチを描く竹の枠組みが、ヨウコと男性を取り囲んでいる。その籠の外側に暗幕が垂らされ、明かりは天井から下がった金属製のランタンだけだ。
不思議と暑さは感じなかった。
占い師の部屋。そんな言葉がしっくりくる。
男性は微笑みを絶やさず、暗幕の一部をめくってくれた。外へ出ると、そこは洒落た民家の一室であったようだ。
――そうだ、ここは……『時間旅行』だわ。
ようやくヨウコはそれに思い至る。会社のすぐ側にあった小さなハーブのお店。それが、『時間旅行』だ。
そして、この男性は店長ではないか。
「どうしたのかしら、私、ぼうっとして」
ヨウコが頬を赤らめて呟くと、銀髪の店長は優しく微笑んでくる。
「いいんですよ。少しリラクゼーションをしただけですから。嫌な思いはなくなりましたね?」
「はい」
ヨウコは素直に頷く。そうだ、何か苦しい思いを抱えて自分はここへ来たのだ。
そして、アロマセラピーを受けた。
気分はすっかり軽くなっていた。
「また、苦しくなったらいらっしゃい」
すでに人気の無くなった店内を行くヨウコに、店長はそう言った。
×
シュライン・エマは、三和ヨウコから受け取った日記に目を通していた。
早朝まで本職の方に掛かりきりになっていたシュラインは、いつもの時間より二時間ほど遅れて興信所へ出てきたのだ。欠伸をかみ殺しながら、事務所の階段を上ろうとしたところで、一組の男女に出会った。
嫌がる女性の腕を乱暴に掴んで、早足に階段を下りる男性。珍しいものでもないが、放っておけるほど見慣れているものでもない。
しかも、男性は階段を下りきると、女性の両肩を掴んで揺さぶり、一方的にしかりつけることまでしていた。
シュラインは見かねて声を掛けたのだ。
何者だと問われ、この上にある草間興信所の人間だと答えると、男性は何かを誤解したらしかった。突如態度を改め、彼女をお願いしますなどと言い出す。
どうやら依頼人らしいとシュラインが察すると、男性は女性をシュラインに押しつけ、会社へ行くと言って去ってしまったのである。
一度事務所へ行き、事情を聞いてから、シュラインは彼女――三和ヨウコと共に、近所にある喫茶店へと移動したのである。
西島から返された日記を、ヨウコはシュラインに見せてくれた。
日記の内容には、これといって役に立つような要素はなかった。日付だけが入れられた日記は、誰と何処に行ったという事が無味乾燥に書かれているだけで、彼女の心の動きは全くと言っていいほど描かれていない。
シュラインは日記を閉じて、ヨウコに返した。
ヨウコはテーブルの上に置かれた日記を暫くぼうっと見つめていたが、ふとシュラインの顔を見上げた。
「私の記憶って、戻った方がいいって思いますか。シュラインさん」
小さな声で問いかける。シュラインは眉をひそめ、ぬるくなったコーヒーに口を付けた。
「私には判らないわ。でもね、結婚だって間近に控えてるんだから、西島さんの焦りも判るの。ちょっと乱暴すぎるとは思うけど……。ヨウコさん、西島さん以外の記憶があるのなら、この記憶消去屋っていう人に関する記憶はあるんでしょう?」
ヨウコは上目遣いにシュラインを見、大人しく頷いた。
記憶消去屋――。草間から聞いた話では、人の記憶を消したり戻したりということが自在に出来る裏社会の人間である、という事だった。ただ、どこかの組織に属しているということもないようで、「記憶消去屋」という名前が知れている割には情報の少ない人物であるという。
「どうしてそこへ行ったのかは覚えてません。でも、記憶消去屋さんの事は覚えてます。私の会社のそばにある、ハーブ屋さんの店長さんのことなんです。私、ポプリを作るのが好きで、よくそこには行っていたんです。九時までやってるし、あの……好きとかそういうのとは関係ないですけど、店長さんはとても素敵な男性なんです。ええと、六月くらいです。閉店間際まで、お店にいたら、なんだか人目を忍ぶような雰囲気の女性が来て。それで、店長さんに帰りを促されちゃったんです。気になったので、次に行ったときにちょっと聞いてみたんです。そうしたら、記憶消去屋という事を教えてくれて」
「教えてくれたって……」
「僕は記憶が消せるんですよ。困ったことがあったらいらっしゃい。有料ですけれど……って」
ヨウコはふぅと小さくため息をつく。
シュラインは腕を組んだ。
裏社会の人間が、そう簡単に自分の本職をばらすものだろうか。それとも、冗談メカして言ったのか……。
「ヨウコさんは、本当にその店長さんに記憶を?」
「……はい、多分」
ヨウコは頷く。
リラクゼーションを受けたこと、嫌な思いは無くなったろうと確認されたことを話してくれる。
シュラインは腕を解き、伝票を取り上げた。
「判ったわ。それじゃ、そのハーブ屋さんに行きましょう。私がちょっとその店長さんと話をしてみるわ。だって、今のまま放っておいても西島さんはエスカレートするだけっぽいじゃない?」
大げさに肩をすくめてみせる。ヨウコが力無く微笑んだ。
×
東京都府中市に、西島ジュンと三和ヨウコの勤める会社はあった。
その会社から歩いて5分程。駅と会社の中間点あたりに、目的のハーブ屋『時間旅行-Time
Travel-』はあった。
クリーム色のざらついた煉瓦を積み、ドアのすぐ脇に黒いランタンを下げた『時間旅行』は、若い女性が好みそうな雰囲気を醸し出している。府中には学校も多い。夏休み中でもなければ、きっと女子高生などでもにぎわうことだろう。
ドアを開くと、中には甘い野草の匂いが満ちていた。
綺麗に段差を付けた棚に、小さな青黒い遮光瓶が並んでいる。カウンターの奥には、大きなガラスケースにドライフラワーのようなものが詰められて並んでいる。ポプリのためのドライフラワーやサシェ袋などから、ホホバオイルや蜜蝋などの上級者向けのものまでがきちんと並んで置いてあった。
蒼いカウンターの向こうで、高校生くらいの少年が座っている。レジに寄りかかるようにして、参考書らしき分厚い本を読んでいた。
「いらっしゃいませ」
店の奥から、穏やかな声が響く。少年も顔を上げた。
白いブラウスに濃紺のズボンという出で立ちの青年が、こちらを見て微笑んでいる。銀色の長い髪を首の後ろで一つに纏め、右目にだけ片眼鏡をはめ込んでいる。
ほお骨が高く、鼻筋がきりっと通っている。灰色の瞳も優しげな、ため息の出るような美形であった。
「三和さんじゃないですか」
青年は笑みを絶やさずに、ヨウコを見つめる。
「あなたが店長さん?」
シュラインは青年に向かって問いかける。青年が静かに頷いた。
「そうですよ。何かお探しのものがあったらおっしゃって下さいね、お伺いしますよ」
笑みを絶やさず、青年はそう言う。
シュラインは思い切ってこう言った。
「記憶消去屋というのは、あなたのこと?」
「そうですよ」
青年は静かに答えた。その顔からは笑みが消えているが、脅されているという印象はない。
やはりただ穏やかに、立っている。
「何か、消して欲しい記憶がありますか」
青年は静かにそう問いかける。シュラインは首を振った。
「そうじゃないわ。あなたが記憶消去屋なら、消去した記憶っていうのは復活させられるのかしら」
「可能です」
青年は何でもないことのように頷いた。レジの横にいた少年が参考書を閉じ、シュラインたちと店長を交互に見ている。
「三和さんが、そう望んだんですか?」
青年はヨウコを見る。ヨウコは青い顔で立ちつくしていたが、やがてゆっくりと首を振った。
「私はシュライン・エマ。ある方の依頼で、ここに来ました。三和ヨウコさんが消去してしまった記憶を取り戻して欲しい、というのがその依頼の内容よ」
「それはお受け出来ません」
青年はきっぱりとそう否定する。Time
Travelという文字の入った白いデニムのエプロンを外し、たたんで少年に渡す。
「僕は三和さんの依頼を受けて仕事をしました。彼女が望まないのなら、この記憶を守る義務は私にありますね」
「どうして望まないと判るのかしら。あなたはその内容を知ってるの? ヨウコさんは依頼人に責められてすっかり疲れているのよ」
シュラインは青年の言っていることが真っ当であると判った上で言葉を重ねた。
ヨウコにそれを思い出させるのは酷だとしても、仕事を請け負ったシュラインはその記憶の内容を知って依頼人に知らせるという義務がある。それを、ヨウコに戻す戻さないはまた別の問題だ。今は。
「知っていますよ。ただ、彼女が何を望んで僕に記憶の消去を依頼したのかは知りません。聞かないことにしていますから」
カラン。ドアにつけられたカウベルが鳴る。
大柄な男性が、店内へ入ってきた。
×
帝仁璃劉というその男性は、シュラインが立候補する前に西島ジュンの依頼を請け負った人物だ。
「何だ、一歩出遅れたな」
そう不快でもない様子で腕を組む。別のルートから、記憶消去屋の店に到達したのだろう。
「いらっしゃいませ。あなたも、お客ではないようだ」
記憶消去屋の青年が、困ったように呟く。
「残念ながらな。お前が記憶消去屋か」
「はい」
青年は先ほどと同じ調子で頷いた。隠すつもりもないようだ。
裏社会の人間という雰囲気のない人物であった。
と、帝仁は記憶消去屋ではなく、レジにいた少年に興味を示したらしい。
何事か問いかけながら近づく璃劉の前に、青年が立ち塞がる。
「あの……神楽くんは、店長の弟さんなんです」
ヨウコがそっと説明する。
神楽。その名前に何か聞き覚えがある気がした。
帝仁と青年がにらみ合った瞬間、奥へと続くドアが開かれた。
「なんじゃ、やかましいのう」
やや高めの男性の声が響く。
店の奥へと続くドアから、一人の男性が姿を現した。
切れ長の一重の目に、細い眉。長い金髪を肩のあたりで一つに纏め、じろりと店内を見回す。
帝仁に目を止め、柳眉をつり上げた。
「貴様……!」
帝仁を睨みつける。
「ここが、貴様らの根城か」
帝仁が吐き捨てた。
「秋生、こやつらは客なのか」
「副業の方のね」
消去屋が呟く。男がううと唸った。
「ふぅむ。この場で殺してくれようかと思ったが、ならば仕方あるまい。よい女もおるしの」
シュラインの方をちらりと見る。中中の美形ではあるのだが、何処か不穏な空気を纏っていた。
「僕は奥へ行くから、店番よろしく」
消去屋はそう言い、シュライン達を手招いた。
店の奥へと招き入れる。
廊下を進んだ先の部屋は、異様な雰囲気だった。
大きな鳥籠が部屋の半分を占めている。
鳥籠には暗幕が垂らされており、中は見えない。
籐椅子とテーブルが、部屋の残り半分を埋めている。
消去屋は一同に椅子を勧め、部屋の隅にある冷蔵庫から瓶を取り出し、カップについで配った。
「結論から言いますと、三和さんが望まない限り、記憶をお返しすることは出来ません」
席に着いた消去屋が言う。
「一度返して貰って、相談して、また消して貰うということは可能かしら」
シュラインはカップに口を付けてからそう言った。
冷たい飲み物はマスカット風味で甘酸っぱい。美味しかった。ジュースか何かだろうか。
「それは、エルダーフラワーのコーディアルです。エルダーフラワーの酢漬けを砂糖で煮詰めたものです。美容にいいですよ。お気に召したら、表で売ってますからどうぞ」
消去屋は静かにそう言い、
「返すのにもまた消すのにも相応の料金を払って頂ければ可能です。ただ、全ては三和さんが望めばの話です」
「私は……嫌です」
ヨウコは小さく呟いた。
「そういうわけにもな」
帝仁が腕を組む。コーディアルに手を付けるつもりはなさそうだ。
「何をそんなに嫌がる理由があるんだ?」
ヨウコは帝仁の言葉に俯いた。
「あなた方は、記憶を消去したいと思ったことがありますか」
消去屋が静かに問いかける。
シュラインは首を振った。苦い経験や辛い思い出も沢山ある。だが、その全てが今の自分を作る要素である以上、それを消してしまうのはためらわれる。
「私が消したのは、三和さんの恋人の記憶全てです。あなた方はその人の依頼でここに来られたんでしょう。ですけれど、愛し合った恋人なら、彼女が記憶を消去してしまった理由を考えるんじゃないでしょうか。戻せと叫ぶ前にね」
消去屋は入り口の方に視線を投げた。
ドアが開かれ、西島ジュンが飛び込んでくる。その後ろから、落ち着き払った様子で一人の少年が続いた。小学生だろうか。
「お前が記憶消去屋か!? 彼女の記憶を早く返すんだ!」
西島は飛び込んで来るなり、帝仁を指さして怒鳴る。
帝仁がうるさげに手を振った。
「誰が記憶消去屋だ。それはこっちだ」
消去屋を指さす。西島が消去屋に掴みかかった。
素早く近寄ってきた金髪の男が、西島の腕を掴んでねじり上げる。
「秋生、お前の客は素行が悪いの」
憮然とした調子で言い放つ。消去屋は椅子から立ち上がろうともせず、西島を見上げた。
「あなたが、三和さんの恋人ですか」
「婚約者だ」
西島がもがきながら叫ぶ。ヨウコがシュラインの腕にすがりついた。
乱暴なこともされたのだろうか。すでに西島への信頼などかけらもない様子のヨウコである。
「考えたんだけれど、消去屋さん」
シュラインはヨウコの手の甲をぽんぽんと叩いた。
「堂々巡りをしてしまいそうよね、このままだと。西島さんは記憶を戻して欲しい、ヨウコさんはそれを望んでない。でも、一月後には結婚が迫ってる。三和さんと西島さんには席を外してもらって、私たちが内容を聞いて、どっちかを説得する形を取るって言うのはどうかしら」
「三和さんさえそう望むのなら」
消去屋はヨウコに微笑みかける。
ヨウコを西島が睨みつけた。
「あの……お任せします。私は覚えていないけれど、その理由を……シュラインさんに話して頂けますか? それで、シュラインさんが思い出すべきだと思ったなら、私思い出します」
「見込まれたものだな」
帝仁が揶揄するように言う。シュラインは彼を軽く睨んだ。
「費用はどなたが持ちますか」
消去屋が西島を見やった。
「このお二人とその少年に、話をしましょう。三和さんの記憶を戻したということで。記憶を戻す分の費用は頂きますし、実際に記憶を戻すことになればもう一度頂きます。それでよければお話しますよ」
「……幾らだ」
西島が吐き捨てる。消去屋は西島の耳に口を近づけた。
何事か囁く。
西島の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「な……まさか、ヨウコが……?」
「払って頂けますか」
西島の動揺など知らなげに、消去屋は淡々と言う。西島は青い顔のままヨウコを見た。
「いや……記憶は……戻さなくていい……」
「ちょっと、西島さん」
シュラインはつい口を挟んでしまう。
彼女が記憶を消去した理由が何であれ、ここまで憔悴するほど責め立てた挙げ句、「戻さなくていい」とは身勝手が過ぎる気がしたのだ。
「ほほ、これのことか」
西島の腕を掴んだまま、金髪の男性が甲高い声で笑った。彼の肩口に何か見えるとでもいうのか、くすくすと笑っている。
「では、三和さんと別れて下さいますか」
「何を言うんだ……僕は、彼女とこれから新しい記憶を作って行く。それでいい……一からやり直したい」
西島の腕を男が離す。西島はヨウコに近づき、その手を取った。
「責めて悪かったね、ヨウコ。でももういい……あんなこと忘れて、僕とやり直そう。忘れていた方がお互いの幸せになる事だって、あるよ」
消去屋がヨウコの背後にゆっくりと回る。
彼女の眉間に、人差し指をトンと置いた。
「これで、いいですか? 三和さん」
囁く。
ヨウコの目に精気が宿った。
立ち上がる。
西島の頬を、思い切り張り倒した。
×
「さて、種明かしはどうしましょうか。三和さん」
頬を押さえてへたりこんでいる西島を見下ろし、消去屋が言う。
ヨウコは怒りに顔を赤くしながら、椅子に座り直した。
消去屋が、入り口付近に突っ立っていた少年を見る。奥から椅子を出してきて、彼に勧める。
「君も草間興信所の人なんだね。話を聞く権利があると思うよ」
少年は椅子に座った。
「お話します。こんなに話が大きくなるなんて思わなくて……。ごめんなさい、皆さん」
ヨウコはぐいと飲み物を飲み干すと、丁寧に頭を下げた。
そして、話し始めた。
西島には、ヨウコと全く同じ期間付き合っている女性がいた。そして西島はヨウコとの結婚を決めてからも、ずるずるともう一人の女性と交際を続けていたのだ。
そして、彼女は妊娠した。
彼女は西島に妊娠のことを告げ、結婚したいと申し出たという。しかし、西島はこれ幸いとばかりに堕胎を命じ、関係も切ると言い出したのだそうだ。
彼女は、ならば一人で生むと決め、西島の前から去ったのだが、西島は彼女を見つけ出した。後から認知などで揉めてはたまらないという気持ちがあったのだろうか。それは、ヨウコには判らない。
彼女は強引に堕胎させられた。
ヨウコは彼女自身から話を聞き、それを知ってしまった。それが一週間前だ。
ヨウコは記憶消去屋を名乗る店長――秋生に相談を持ちかけた。そして、思わせぶりな日記を作成、秋生に記憶を消して貰い、西島がどういう態度を取るかを見ることにしたのだ。
ジュンくんは、反省してなかったんですね。
ヨウコは少し哀しそうに、そう締めくくった。
×
エルダーフラワーのコーディアルを一瓶購入し、シュラインは新宿の草間興信所に戻った。
すでに夕方である。あたりは涼しくなり始めていた。
興信所の階段を上り、「ただいま」と言いながらドアを開く。
中途半端にエアコンの効いた事務所の中に、草間武彦だけがいた。
退屈そうに、デスクの上にスポーツ新聞などを開いている。
いかがわしい記事が載っているところを開いているが、読んでいるかは定かではない。
「おかえり」
気怠げに顔を上げた草間の手元から、シュラインはその新聞を引ったくった。
丁寧にたたみ、マガジンラックに押し込む。
「仕事、終わったわよ」
「ご苦労さん。記憶消去屋には会えたのか?」
「ええ。とーーーーーーーーーーーってもいい男だったわ」
力を込めてそう言い、シュラインはソファの座り込んだ。
「スポーツ新聞のアダルト欄なんて読みそうもない人だったわね」
「男がこういうのを見て、やらしいことばっかり考えてると思うなよ? こういうのはな、女子高生がベッカムのポスター見てキャーなんて言ってるのと同じくらいピュアな気持ちで見てるんだぞ」
「どうだか……」
シュラインは肩をすくめる。
お茶でも飲もうと立ち上がった。
「あ」
給湯室へ向かう途中で足を止める。
「武彦さん、私以外の人を妊娠させてやしないでしょうね」
「ンなっ!?」
ガタンと音を立て、草間がデスクから立ち上がる。
「『私以外』だぁ?」
シュラインに近づこうとして、マガジンラックに向こうずねを思い切りぶつけて悲鳴を上げる。
「冗談よ」
「心臓口から出かけたぞ、今ッ! 大体、美味しいところすっ飛ばして妊娠なんてされてたまるか。指一本触れてないじゃないか」
「あら〜。ピュアな女性は、やらしいこと考えながら肩触られただけで妊娠しちゃうのよ?」
シュラインはくすくす笑いながら、草間に流し目を送る。
草間は憮然とした顔でそっぽを向いた。
「でも、私が知らないウチに何かしでかした心当たりがあるなら、早めに白状しといた方が身のためよ?」
「ない! 断じてナイ!」
草間が大声を張り上げる。
シュラインはくすくす笑いながら、給湯室へ入った。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086 / シュライン・エマ
/ 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
0781 / 帝仁・璃劉 / 男性 / 28 / マフィアのボス
0778 / 御崎・月斗 / 男性 / 12 / 陰陽師
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■ ライター通信 ■
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「記憶消去屋」をお届けしました。
今回は戦闘ゼロという事で、全編個別で書かせて頂きました。
他の方のシナリオにも目を通して頂くと、各PCの細かな動きが更に判ります。
シュラインさん
非戦闘ネタで難易度も低かったので、ある日のシュラインさん状態になりました。
楽しんで頂けたなら幸いです。
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