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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・仮面の都 札幌>


調査コードネーム:函館  〜邪神シリーズ〜
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :界鏡線シリーズ『札幌』
募集予定人数  :1人〜4人

------<オープニング>--------------------------------------

「海上封鎖だぁ!? 貴官、起きたまま寝言を言う癖でもあるのか?」
 三浦陸将補が、素っ頓狂な声をあげる。
 もっともであろう。
 海上自衛隊による北海道の封鎖など、にわかに信じられるようなことではない。
 報告した部下が頚をすくめる。
 上官の驚きは理解できるが、かといって事実が変わるわけでもない。
「‥‥海自が北海道そのものを押さえようとしているなら‥‥」
 冷静さを取り戻し、三浦陸将補が軍用地図に見入る。
 ただ、深く考える必要などなかった。
 明治維新の頃から、北海道に対する戦略は変わらない。
 空戦という要素を省いた場合、北の大地の死命を制する場所は限られているのだ。
 すなわち‥‥。
「函館‥‥か」
 津軽海峡を扼する港町は、文字通り北海道の玄関口だ。
 本州から最も近いこの都市を押さえる事が、攻防いずれにしても重要なキーポイントである。
 三浦陸将補としては、必ず守り切らなくてはならぬ場所であった。
 同時に、敵にとって最優先の攻略課題となるだろう。
 それにしても、まさか自衛隊同士で戦火を交えることになろうとは。
 ほろ苦い表情が浮かぶ。
 やはり、嘘八百屋からの情報通り、海上自衛隊は邪神陣営の総本山ということになってしまったらしい。
 信じたくないことではあるが。
「兵力を函館に集中する。本部戦隊の到着までは、八雲基地の戦力でもちこたえさせろ。
それから、嘘八百屋にも連絡だ。協力を要請しろ」
 感傷を振り切るように、淡々と指示を飛ばす。
 幕僚たちが頷く。
「住民の避難を最優先だ。どちらにしても市街戦になる」
 このあたりの冷静さは、さすがに若くして栄達した人間であった。
 敵は(不快な単語だが)必ず上陸を企図してくる。
 艦砲による攻撃で街を破壊しても意味がないからだ。
 となれば、兵力でも兵質でも劣る陸上自衛隊は、地の利を活かした拠点防衛戦を展開するしかない。
 兵站ルートの確保も重要だ。
 やるべき事は多々ある。

「本夕1600もって作戦開始とする。必ず勝って生き残るぞ」



※邪神シリーズです。
※バトルシナリオです。推理の要素はありません。
※水上雪乃の新作シナリオは、通常、毎週月曜日と木曜日にアップされます。
 受付開始は午後8時からです。

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函館

 雨が降っている。
 鉛色の空から、泪にも似た雫が落ち、人間たちの服と髪を濡らす。
 あるいは、心までも。
 函館。
 観光都市として栄える北海道の玄関口。
 かつて、明治という元号か使われていた頃、蝦夷共和国軍と新政府軍が最後の死闘を演じた因縁の都。
 そしていま、上陸を企図する海上自衛隊と、それを打ち払う陸上自衛隊の間で、熾烈な戦闘が展開されていた。
 歴史を繰り返すように。
 守る側は旧守の陣営。攻める側は進取の陣営。
 それも、そっくり同じだ。
「せめて、結果だけは歴史とはちゃうかたちにしたいもんやな」
 藤村圭一郎が呟く。
 弁天台場に設置された、陸上自衛隊の前線基地である。
 掲げた双眼鏡に映るのは、続々と上陸してくる魚人たちだ。
「やっぱり、人間はおらんな‥‥」
 頷く。
 おそらく、人間の隊員は既に殺されたか喰われたか。
 あるいは、脅されつつ艦内業務に専念しているか。
 いずれにしても、前線に出てくることはないであろう。
「武器持ったまんま、こっちに寝返るのが目に見えてるからなぁ」
 藤村の言葉は正鵠を射ている。
 化け物の言いなりになって、自国の都市を攻撃するほど海上自衛隊は柔弱ではなかろう。
「城島とかいうやつもツライとこやな。なまじっか近代兵器抱き込んだせいで、逆に身動きがとれへんやろ」
 黒い瞳に嘲笑を浮かべる占い師。
 海上自衛隊、否、邪神の軍勢はたしかに強い。
 だが、攻城戦というものを、まるで心得ていないようだ。
 要所を堅守してゆけば、充分に互角以上の戦いができる。
 まして、こちらには百戦錬磨の三浦陸将補もいる。
 滅多なことでおくれを取るはずがない。
 穏やかな信頼を込めて本陣を見遣る。
 とはいうものの、戦闘が長引けば長引くほど、それに比例して犠牲も増大するものだ。
 なるべく早く決着をつけたい。
 一応、腹案があるにはあるのだが‥‥。
 しばしの思案の後、占い師は自衛官の一人に声をかけ、本営へと歩き出した。


 勝敗の帰趨を分けるものは、正確な情報と確実な伝達である。
 兵力差や補給能力の差をひとまず置くと、より多くの情報を握っている陣営が勝つことになる。
 効果的な攻撃と防御をおこなうことができるからだ。
 逆にいうと、戦場においてはミスの少ない方が勝利する。
 当然のことなのだが、戦況が激しくなればなるほど、この条件が成立しがたくなるのだ。
 情報は錯綜し、現場は混乱し、上層部は判断に迷う。
 それが、現実の戦場というものだ。
「第三中隊は豊川埠頭の守備に回れ! 敵は分断策に出てくるぞ!!」
「大森浜に第七中隊を差し向けろ! 山を迂回した『こんごう』が上陸作戦を展開しようとしている!」
「緑の島は放棄しろ! 弁天台場からの集中射撃で、敵を一掃するんだ!」
「上磯方面と森方面にも連絡。戦車を並べて防御壁を築きインスマウスどもを近づけさせるな、とな。補給路を分断されたら終わりだぞ!!」
「第一および第四中隊は千代台公園に集結! 合図あり次第、万代埠頭の敵を蹴散らせ!!」
 ところが、五稜郭要塞跡に設置された本営に座する三浦陸将補の指示は的確を極め、常に先手を取り続けていた。
 至近に控える幕僚たちが、なかば軍神に対するような信頼を視線に込める。
 むろん、三浦は神でも超能力者でもない。
 彼の判断には、きちんとした根拠があるのだ。
 すなわち‥‥。
「はい。敵は中央埠頭から上陸は断念したようです。万代埠頭に兵力を集中するよう指示が出ております」
 携帯電話を通じて、次々ともたらされる情報であった。
 情報源は、海上自衛隊の司令部だ。
 誤認や誤報のあるはずもない。
 裏切りではなく、味方の斥候が既に潜入しているのだ。
 それは、真っ白いネズミである。
 小さな躰に、これまた小さなポシェットをかけ、生意気にもネズミサイズの携帯電話を手に持っている。
 激戦の中でこんな表現を用いるのも奇妙な話だが、可愛いことこの上ない。
 場所は、敵の橋頭堡となっしまった函館ドック跡。
 ネズミの正体は、草壁さくらの化身である。
「危険になったら、すぐに逃げろよ」
「危険? 私が?」
 不敵に口調をつくり、ネズミが胸をそらす。
 大人の掌よりも小さな躰が、自信と覇気ではちきれそうだった。
 魚人どもになど負けるはずがない。
 それどころか、八つ裂きにして冥界の門の内側に叩き込んでくれよう。
 そう。
 さくらは怒ってるのだ。
 無辜の民衆を巻き込むような、邪神の眷属どもやり方に。
 人間の組織を乗っ取るような卑劣さに。
 今回に限り、手加減してやるつもりはまったくない。
 腰に手を当てて、気概を示す。
 ネズミだが‥‥。
「でも‥‥いまにして思えば、奈菜絵さんたちは、まだ堂々としていました‥‥」
 ふと、そんなことを考え、慌てて首を振った。
 一方のエゴイズムを否定したからといって、他方のエゴイズムが肯定されるものでもあるまい。
 奈菜絵は奈菜絵なりの打算と野心に基づいて戦っているはずだ。
 その途中経過として、城島陣営と相争ったに過ぎない。
 どちらが覇権を握ったとしても、人類にとって輝かしい未来図になるわけがないのだ。
 人類の歴史は人類のものだ。
 それ以外の存在が介入してはいけない。
 だからこそ、さくらの一族もひっそりと生きてきた。
 此度の戦も、あるいは出過ぎたことなのかもしれない。
 それでも‥‥さくらは護りたかった。
 この地に住まう人々を。
 そして、骨董品について熱く語ってくれる恋人を‥‥。
 愚劣だろうか?
 だが、愚劣でない戦いなど歴史には一つも存在しない。
 愚かさゆえに胸は熱くなり、心を焦がす。
 それで良いのではないか、と、さくらは思う。
 この愚かさを失ったとき、人の歴史からは炎熱と光彩が失われ、時代は灰色の闇に沈むだろう。
 と、ネズミの形をしたさくらが首を振った。
 どうも思考の迷宮の中に迷い込んでしまったようだ。
 いま彼女が考えるべきは、人類の行く末についてではない。
 目前の戦闘に勝利を収めるべく、最大限の努力をはらうことである。
 調べなくてはいけないことが幾らでもあるのだ。
 たとえば、海上自衛隊の兵はインスマウスどもがつとめているとして、実戦指揮に人間の幹部たちが顔を揃えているのは何故か。
 やはり、組織というものは上から腐り始める、ということだろうか。
 邪神の元で栄達しようとする輩がいるのかもしれない。
 嘆かわしいことだ。
 注意深く、さくらは耳を澄ませた。


 黒い影の一団が疾走する。
 現代に蘇る騎兵隊。
 ただし、跨るのは鋼の馬、オートバイだ。
 五〇名で編成されたバイク兵部隊である。
 護衛艦からの砲撃なく道が荒れていないため、その機動力と攻撃力は些かも減殺されていない。
「函館駅周辺の敵は一掃したぜ。次の指示をたのむ」
 インカムに向かって、野性的なハンサムが口を開く。
 巫灰滋という。
 臨時にオートバイ部隊の指揮を執っている長身の青年だ。
 正規の自衛隊員ではないが、剽悍で献身的な戦いぶりは、自衛官たちも一目置くところである。
 しかも、このとき巫には、彼専属の軍師がいる。
「了解。ハイジ。燃料の方はどう?」
 問いかける声は、女性のものだ。
 新山綾という。
 巫の恋人であると同時に僚友でもある。
「残量三〇パーセントってとこだな。もう一戦くらい軽くいけるぜ」
「んー 無理しないで一度戻ってきて」
「慎重だな」
「余力のあるうちでないと、退却戦はできないからね」
「てことは、ただ戻らせるわけじゃないってことか」
 にやりと巫が笑う。
 恋人の性格はよく知っている。
 普段はのほほんとしていても、難局に立ったときの強さは並みの女性のものではない。
 各国の諜報機関を震撼させた冷血の女帝。
 辛辣で容赦のない戦略家。
 魔女と称されたことすらあるのだ。
 その綾が、ただ補給のためだけに一時退却を指示するはずがない。
「いい? 国道五号線を使って撤退して。五稜郭駅まで退いたら、後はそのまま本営に戻って補給を受けてね」
「五号線? あそこは第二中隊が戦闘中じゃねぇか? そんなところを突っ切ったら‥‥」
「さぞ戦況は混乱するでしょうね。さしあたり、それが狙いよ」
「了解だぜ。ちゃんと作戦通りに動けたら褒美をくれよ」
「ふふふ。情熱の一夜をあげるわよ。じゃ、気を付けてね」
「わかった。そっちも気を付けろよ」
 最後は恋人らしい台詞を投げ合って通話を終える。
 自分の考えを追うかのように一つ頷く。
 綾の構想が、おぼろげながら見えていた。
 おそらく、第二中隊の戦況は芳しくないのだろう。
 状況を混乱させ、その隙に一旦さげさせるつもりなのだ。
 妥当な作戦だとは思うが、それでは戦線に綻びができてしまう。
 そこを突かれたら、厄介なことになりはすまいか。
 危機感のようなものが巫の脳裡をよぎる。
 が、彼は首を振って不吉な考えを払った。
「俺が考えるようなこと、綾が考えてないはずないもんな」
 あるいは、それは「のろけ」に属することだったかもしれない。
 照れくさそうに笑ってから、巫は部下たちを見はるかした。
「五号線を突っ切って本部に戻るぜ。戻ったら昼飯タイムだ。腹減らしておけよ!」
 冗談めかした力強い声が響く。
 部下たちが一斉に鬨の声をあげた。
 爆音を撒き散らし、五〇台の大型バイクが函館の動脈に侵入を開始する。


「なるほど、バイク兵を使って撤退の契機を作り、あえて戦線に疎と密の部分を作りましたか。面白いことを考える人間がいるものですね」
 星間信人が呟いた。
 函館市の上空、低く立ちこめる雲の上から戦場全体を俯瞰している。
 この場合に関してのみいえば、視点は神のそれに等しい。
「もし魚どもが突入すれば、千代台にいる二つの中隊が縦深陣に引きずり込んで袋だたきにする。まったく見事としか言いようがありませんが、三浦さんあたりの策ですか‥‥」
 むろん、星間は神ではなく、この作戦が大学助教授の脳細胞から生み出されたことなど知りようがない。
「陸上自衛隊も頑張っているようですが、かろうじて五分五分といったところですね。なにしろ数が違いすぎます。強いていえば、補給線が短いことと、有能な指揮官が揃っていることだけが陸自の有利さですか」
 くくく、と喉の奥で笑う。
 星間にしてみれば、函館、というよりも北海道がどうなろうと知ったことではない。
 彼が嘘八百屋に協力してきたのは、あくまで当面の利害が一致していたからに過ぎないのだ。
 水の邪神の陣営の一角が崩れ去った以上、果たして手を結び続けるメリットがあるだろうか。
 その答が、星間の行動に如実に表れている。
 すなわち、高みの見物である。
 護り手たちと図書館司書では、スタンスが違う。
 いずれは、彼らとも雌雄を決せねばならぬ日がくるだろう。
 したがって、魚どもと人間が削り合うのは、むしろ歓迎すべき事態だ。
 ただ、結果として魚が勝利するようなことがあっては困る。
 北海道を根拠地として勢力が著しく拡大した場合、『名状しがたき教団』の処理能力を越える可能性があるからだ。
 この点、星間は狂信者ではあっても夢想家ではなく、犀利な現実感覚と明哲な打算をもっている。
 陸上自衛隊に負けてもらっては困る。だが、勝ちすぎてもうまくない。
 もっともっと傷付け合い疲弊してもらわなくては。
 現状『教団』の戦力では二つの陣営を相手取って戦うことは不可能だ。質はともかくとして、数が違いすぎる。
 だが、すべての戦いが終結した後、勝者の冠を戴くのはだれか。
「サカナどもはもちろんのこと、三浦さんたちにもわからないでしょうね」
 ふたたびの笑み。
 アルカイックスマイルと呼びれる穏やかな微笑だ。
 最初から戦場に立ち続ける必要はなく、最初から勝ち続ける必要もない。
 思考に共鳴するかのように、狂風が黒い髪をなびかせる。
 乗騎たるビヤーキーが身を震わせた。
 興奮しているのだ。
「戦いたいですか? もう少しお待ちなさい‥‥城島とやらいうサカナの大将の居場所が知れるまで‥‥」
 優しげにいって、軽く風の眷属の首筋を叩く星間。
 黒い瞳は、千年を生きた梟よりも狡猾な光を放ちながら、激戦の渦中にある観光都市を見つめていた。


「緊急連絡。海上自衛隊旗艦が判明せり。護衛艦『みようこう』。城島の定座も同艦にありとの確証を得たり」
 さくらの声が、携帯電話の電波を通じで本部にもたらされる。
 まさしく、指揮を執るものたちが待っていた情報だった。
「よくやってくれた草壁くん。本部に戻って休んでくれ」
「お断りします」
 三浦の労いに、さくらは笑いながら答えた。
「総大将の位置が知れたからといっても、それで私たちが完全に有利になったわけではありません。私はここで地上戦指揮能力を崩壊させて差し上げましょう」
「おい?!」
「援軍は不要ですから。ご心配なく」
 買い物にでも出かけるように、あっさりと言い切る。
 むろん、さくらのいる場所は、ご近所の商店街ではない。
 敵が橋頭堡としている函館ドックなのだ。
 終結している兵力は、最小の数値を採ったとしても三個中隊を下回らない。
 ざっと計算して四五〇体のインスマウスどもだ。
 いかに金髪の美女の戦闘力が高くても、自殺行為である。
「綾!」
 三浦陸将補が待機音を発する携帯電話を握り、側に控える僚友を振り向いた。
「判ってる。わたしが救援に行くから。オートバイ部隊、使わせてもらうわよ」
 軍用地図を見ながら淡々と告げる大学助教授。
 道道八三号線から国道二七八、二七九を経由して道道四五七に入る。距離的にはこれが一番近かろう。
「交通管制の方はよろしく。どの部隊にも道を塞がせないで。それから、弁天台場から可能な限り援護射撃してあげて。一七分間だけ持ち堪えさせれば、あとは灰滋とわたしで何とかする。じゃ、行くわよ」
 言葉の後半は、三浦にではなく恋人に向けたものだった。
「応!」
 右手に霊刀を握り、巫が綾に続く。
 このあたりの措置に、陸上自衛隊の窮状が表れている。
 じつのところ、さくらを援護する兵力など、本営には残されていない。
 だからこそ、金髪の美女は援軍不要と付け加えたのだ。
 知っていたからこそ‥‥。
「絶対死なせないから、さくらちゃん‥‥」
「当然だぜ。一〇分で駆け抜けてやるからな!」
 五〇台のモンスターマシンが、一斉に駆動音をあげる。

 海上自衛隊の士官たちが、次々と倒れこむ。
 まるで、世にも怖ろしいものを見たような表情で。
「兵なくして戦はできぬもの。そして、将なくしても戦はできません」
 誰とも知れない声が、海上自衛隊前線司令部に木霊する。
 一瞬の後、戦装束を纏った美女が、忽然と姿を現した。
 金色の髪。緑玉の瞳。右手にもった天叢雲の剣。
 天照大神の降臨かとも思えるような光景だった。
 これは、さくらが細心の注意を払って演出したのである。
 寡をもって衆にあたるには虚を突くことが肝要。
 古代の兵法書にある。
 呆然と立ち竦むインスマウスどもに、さくらが斬りかかった。
 短いが激しい攻防。
 勝ち残ったのは、やはり機先を制した金髪の美女だった。
「‥‥まずは、九匹です」
 剣を一振りして血脂ををはらう。
 凄絶、としか表現しようのない微笑。
 天性の狩人だけが持つ迫力。
 そう。
 狐とは、膂力と奸智を兼ね備えた猛獣なのだ。
 
 敵部隊が一時的に混乱していることは、守備軍本部から窺い知ることができた。
 さくらが成功したのだ。
 ほろ苦さを伴った認識である。
 だが、どのような形であろうとも、状況を最大限に活用するのが戦術というものだ。
 後悔も反省も、勝利し生き残ってからのこととしよう。
「行け! 藤村!!! 長くは保たんぞ!!!!!」
 無線機に向かって絶叫する三浦。
「任しとき!!」
 威勢の良い返答と、エンジン音。
 彼はいま、有川埠頭にいる。
 戦闘開始以後、長駆して敵の後背を扼する位置まで移動したのだ。
 これが、占い師の腹案だった。
 三〇名の兵士が分乗した五艘のモーターボートが、函館湾の穏やかな波を蹴立てて驀進する。
 一個小隊。
 わずか一個小隊が、藤村の持つ戦力の全てだ。
 ただし、並みの三〇名ではない。
 全員が屈斜路湖攻防戦に参加し生き残った猛者である。
 しかも、今回の戦いでは実戦に参加しておらず、まったくの無傷で疲労度も低い。
 文字通り、虎の子の部隊なのだ。
 一直線に『みょうこう』を目指す。
 限界まで引き絞られた弓弦から放たれた矢のような速度で。
 いままで、味方の苦戦と勇戦を、指をくわえて見ていなくてはならなかったのだ。
 戦意の高さは、どの部隊にも負けない。
「蝦夷共和国軍のアボルダージは失敗したけどな。俺らはそれほど甘くないで!」
 先頭を奔るボートに仁王立ちした藤村が、歴史的事実を交えながら敵艦を睨みつける。
 たしかに、榎本軍の敵艦乗っ取り作戦は失敗した。
 理由は、甲板の高さに差がありすぎて、乗り移り作業に時間を取られたからだ。
 もちろん、モーターボートと護衛艦でも、それは同じことであるが、彼には秘策があった。
 高速で接近するボートに向け、護衛艦が銃弾の雨を降らす。
 こんな小舟相手に魚雷は使えない。
 そこに、陸上自衛隊の有利さがある。
「当たるかいな!!!」
 傲然と胸をそらせる藤村。
 ただのはったりである。
 ボートの操舵手たちは、それこそ必死の努力で銃弾をかわしているのだ。
 命中したら終わりだ。
 だが、それでも占い師は前進をやめない。
 と、藤村の手が腰間の剣を引き抜いた。
 秘剣グラム。
 氷の能力者である彼の力を、幾百倍にも増幅させる魔剣だ。
「行くで!!」
 裂帛の気合いとともに振り下ろす。
 次の瞬間、海水が氷結して『みょうこう』動きを封じる。
 同時に、ボートが高速で持ち上げられる!!
 凍った海水が、さしずめエスカレーターのように五艘のボートを運んでいるのだ!
 これこそ、藤村の秘策であった。
 唖然とする魚人どもの前で、三〇名の斬り込み隊が悠然と甲板を踏みしめる。
「さて、こっからは歴史書に載ってないで! 気引き締めや!!」
『応!!』
 一斉に、自衛官たちが行動を開始する。
 目指すは艦橋。
 狙う頚は、城島ただひとり!!


 平均時速一五〇キロメートルで函館の街を駆け抜けたオートバイ部隊は、出撃から八分後には函館ドックに躍り込んだ。
 とはいうものの、あまりの強行軍に一〇名ほどが脱落している。
 それでも巫は速度を落とさなかった。
「脱落者にかまうんじゃねえ! 後で合流できれば充分だ!!」
 苛烈なまでの命令を下している。
 猛将というべきだろう。
 事態は一刻一秒を争うのだ。
 どれだけ速く目的地に到着できるかに、事の成否がかかっている。
「ハイジ! あれ見て!!」
 巫の背に掴まった綾が指をさす。
 次々と撃ち出される炎塊が、浄化屋の目に映った。
 どうやら、間に合ったらしい。
 弛緩しかかる精神を、慌てて引き締める。
 まだ救出に成功したわけではないのだ。
「三騎ほど続きやがれ! 残り連中は援護! いいか、無理すんじゃねぇぞ!!」
 言葉とともにアクセルを握り込む。
「危なくなったら逃げるのよ」
 綾の台詞が風の彼方から響く。

 さくらは戦っていた。
 死戦である。
 己が命のことは、すでに諦めている。
 もう一度、恋人の穏やかな笑顔を見たかったが、いまさらいっても詮なきことだ。
 全力で戦い続け、倒したインスマウスの数は五〇を超えよう。
 だが、敵の数はいっこうに減らない。
 斬り、突き、薙ぎ払い、焼き尽くす。
 剣技と特殊能力と気力のすべてをあげて、戦う。
 むろん、無傷あるはずがない。
 戦装束は各所が破損し、もはや防具としての用を為さない。
 美しい金髪は、半ばが紅く染まっている。
 背中からも、腿からも、腕からも、小さな滝のように出血が続く。
 それでも、さくらの右手は剣を離さなかった。
 否、通常の状態であれば、とうに取り落としていただろう。
 彼女が剣を落とさないのは、剣と右掌を紐で固定しているからだ。
 これならば、握力を失っても戦える。
 不退転の決意。
 言葉にすれば陳腐きわまりない。だが、彼女は心に決めていたのだ。
 けっして後ろには倒れまい、と。
 絶対に退かない。
 たとえ、この身が水の槍に貫かれようとも。
「冥界への道は、私が拓いて差し上げます。快く同行なさってくださいな」
 微笑む。
 それはまるで、冥府の女王にだけ許される微笑。
 インスマウスどもがたじろぐ。
 恐怖という感情があるのかどうか判らないが、危険な迫力は感じることができるようである。
 笑みを絶やさぬまま、さくらが左手を掲げる。
 掌に、紅蓮の炎が生まれ‥‥なかった‥‥。
 既に限界に達しているのだ。
 ‥‥これまで‥‥ですか。あとは何匹道連れにできるか、ですね‥‥。
 不思議なほど落ち着いた心で、さくらは目前に迫った死を見つめた。
 魚人どもが、じりじりと包囲の鉄環を狭めている。


 艦上の戦闘は、地上のそれに比して激烈なのもではなかった。
 まず、艦内にいる敵の数が少なかったのだ。
「予定通りや」
 にやりと、藤村が笑う。
 敵は、函館の占領に自信を持っていた。同時に、絶対的な命題でもあった。
 だからこそ、総力戦を展開したのだ。
 旗艦とはいえ、警備が薄くなるのは如何ともしがたい。
 そこまで読みとったからこそ、占い師は強行突入を企画したのだ。
 なぜ読めたのかといえば、要するに現実感覚の問題である。
 かつて榎本武揚が考えたように、北海道は独立国としての条件を備えている。
 食料自給率も高いし、天然資源もある。
 そしてなにより、首都東京からの距離も遠い。
 島だというのも好条件だ。
 城島も、同じところに目をつけたのだろう。
 それは、ごく真っ当な戦略眼なのだが、クリアしなくてはいけない問題もある。
 すなわち、現状でも北海道は天然の要害だということだ。
 攻撃を仕掛けられるポイントは限られるのだ。
 函館、釧路、小樽、室蘭。
 せいぜいがそのくらいである。
 他を攻撃しても、じつのところ、あまり意味がない。
 大都市から遠く、橋頭堡としても補給基地としても用を為さないからだ。
 そして最重要なのが函館である。
 このあたりの事情は、明治の頃と変わらないのだ。
 したがって、城島は全力を挙げて函館を押さえようとするだろう。だが、都市機能を破壊しては意味がないから、攻撃は白兵戦が主体になる。となれば、インスマウスどもは可能な限り攻略戦に参加させるはずだ。
 そう藤村は読んだ。
 そして、それは的中していた。
 占い師以下、四名の兵士が環境に躍り込んだとき、城島を守るインスマウスは、三匹しかいなかったのである。
「覚悟しいや!」
 藤村がグラムを突きつける。
 だが、城島は娘である奈菜絵より柔軟だった。あるいは卑劣だった。
「防げ!」
 インスマウスどもに命を下し、脱兎の如く逃げ出す。
 舌打ちする藤村。
 嘲笑に値する城島の行動だが、戦術的判断としては正しい。
『みょうこう』を放棄しても、他の艦に司令部を移すだけで事は足りるのだ。
 頭目の存在こそ、城島陣営の拠なのだから。
 扉に駆け寄る藤村の前に、インスマウスが立ち塞がった。
「どけゆうても、聞かんやろな」
 静かに言い放って魔剣を構える。
 時を費やすわけにはいかない。
 と、インスマスの顔面に火花が散った。
 銃撃である。
「行ってください。藤村隊長! ここは自分たちが!!」
「すまんな! 借りとくで!」
 譲り合いをしている時間はない。
 藤村は後も振り返らずに走り出した。
 そして、愕然と立ち竦むことになる。
 甲板で占い師を迎えたのは、潮の香りではなかった。
 強烈なまでの腐臭と血臭である。
「なんや? これ?」
 死屍累々。
 そう表現するしかないような状況だ。
 鋭利な刃物で斬られたようなインスマウスども。だが、その傷口はぐずぐずと腐っている。
 中央部には、おそらく城島の死体。
 仮定形なのは、人定のために必要な要素が欠けているからだ。
 服装や体型から推察するしかない。
 つまり、
「動物かなんかに、クビ食いちぎられたみたいやな‥‥」
 と、いうことである。
 だが、人間の頚を食いちぎる事ができるほど動物が、この艦に乗っていたとは思えない。
「オッサン‥‥あんた、誰に殺られたんや‥‥」
 占い師の質問に、むろん、城島の死体は答えなかった。
 傷口から噴き出した血が、降りしきる雨に洗われてゆく。


「おなかを壊しますよ。そんなものを食べたら」
 上空。
 黒い髪の青年が、笑いながら乗騎に注意を与える。
 ビヤーキーが、その口にくわえているのは、かつて教授という敬称で呼ばれていた男の生首だ。
「メス魚の骨肉の争いに終止符を打ってやる形になったのは不快ですね‥‥」
 喉の奥から笑声が漏れる。
 言葉ほど不快に思っているわけではない。
 まあ、結果としては、まずまずというところだ。
「次はアナタの番ですよ、メス魚。くそ汚れた腹から、臓物をえぐり出してあげましょう」
 怖ろしげなことを言う。
 もちろん、冗談などではない。
 次に奈菜絵と会ったときには、寸分違わず実行してやるつもりである。
 慈悲というものだ。
 せいぜいあの世では仲良く暮らすがよかろう。
「ふふふ。どうせ、この世に身の置き所などないのですから」
 愉快そうに笑う。
 やがて、哄笑は津軽海峡方面へと遠ざかっていった。
 立待岬の先端に捨てられた城島の恨めしそうな生首が発見されるのは、翌日の事である。


 目前に迫っていたはずの死神の鎌は、さくらの上に落ちてこなかった。
 数体のインスマウスが、爆発四散する。
 こんな芸当のできる人間を、さくらは一人しか知らない。
「新山さま‥‥?」
「ぎりぎりセーフね。無茶するんじゃないわよ」
 怒ったような綾の声が、なぜか懐かしく響く。
「あ‥‥」
 さくらの膝が崩れた。
 緊張の糸が切れたのだろう。
 やや慌てて巫が支える。
「すみません‥‥巫さま‥‥」
「すまんと思ったら無茶なことはやめてくれ。俺が武神のダンナに殺されちまう」
 冗談めかして言う。
 不器用ではあるものの、気を遣っているのだ。
 小さく微笑するさくら。
 体中の傷が、痛みの大合唱をしている。
「‥‥この辺の敵を一掃したら、頃合いを見て退くわよ。タイミングを間違わないでね」
 冷静に綾が告げる。
 友人を傷付けた魚人どもは万死に値するが、現有戦力での戦闘は困難だ。
 まして負傷者もいる。
 牽制しつつ本部か前線基地まで撤退するのが上策だろう。
 浄化屋も頷く。
 目先の勝利にこだわっても意味がない。
 思い定めたように、貞秀を引き抜く。
「いくぜ‥‥」
「悪いけど、わたしも全力でいかせてもらうわよ」
 続いて、綾も構えた。
 マルス神とアテナ神のようだ。
 こんな場合なのに、さくらはそんなことを考える。
 傷のせいかもしれない。
 苦笑を浮かべてみる。
 緑色の瞳が、果敢に戦うカップルを捉えていた。
 やがて、その瞳もゆっくりと閉ざされてゆく。
 とにかく、少し眠りたかった。


 さくらが目を覚ましたのは、本部脇に併設された治療用テントの中であった。
 心配そうに覗き込む友人たちの姿が目に映る。
 と、ふいに皆の姿が滲んだ。
 傷のためではなく、感情ゆえに。
「‥‥ずきさま‥‥戦況‥‥は‥‥?」
 我ながら情けない。
 もう少し気の利いたことを言えばよいのに。
 軽い自己嫌悪が襲う。
 問いかけられた男が困ったような表情を浮かべる。
 安堵なのか、怒りなのか、よく判らない。
 結局、男は何も言わずに外を指さした。

『敵軍の指導者たる城島の死亡が確認された! 以後、順次、掃討作戦に移る!!』
 拡声器を通した三浦陸将補の声が響いている。
 海上自衛隊の叛乱部隊は、函館攻略に失敗し、指導者を失うという最悪の結果を現出した。
 街を守りきった陸上自衛隊の損傷率は約五四パーセント。
 死者の数だけでも七〇〇名に達した。
 勝利の代償である。
 これを大きいととるか小さいととるかは、個人の感覚に委ねるしかない。
 ただ一ついえるのは、城島陣営によって北海道が支配されるという悪夢は、夢のままで終わったということである。
 痛みを伴う悪夢ではあったが。

 いつの間にか雨が上がり、戦の爪痕に虹が架かっていた。
 勝利を祝う、天からの贈り物のように。




                        終わり



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0377/ 星間・信人    /男  / 32 / 図書館司書
  (ほしま・のぶひと)
0134/ 草壁・さくら   /女  /999 / 骨董屋『櫻月堂』店員
  (くさかべ・さくら)       with天叢雲
0146/ 藤村・圭一郎   /男  / 27 / 占い師
  (ふじむら・けいいちろう)    with秘剣グラム
0143/ 巫・灰慈     /男  / 26 / フリーライター 浄化屋
  (かんなぎ・はいじ)       with貞秀

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■         ライター通信          ■
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お待たせいたしました。
「函館」お届けいたします。
えーと、モチーフになっているのは函館戦争です。
ですから、航空戦力は登場しません。
違和感をお感じになるかもしれませんが、なにとぞお許しください。
楽しんでいただけたら幸いです。

それでは、またお会いできることを祈って。