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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


東京怪談・草間興信所「情熱の歌」

■オープニング■
「ハバネラ?」
 草間の問いかけに依頼人はこっくりと頷いた。そのわずかな仕草で肩口で切り揃えられた黒髪がさらりと揺れる。
「ハバネラです…カルメンの…」
 青ざめた顔に必死の表情を浮かべ、少女は真っ直ぐに草間を見返した。
 それだけで胸が騒ぐ吸い込まれるように澄んだ大きな瞳と、その黒髪がこの少女の何よりの武器だろう。
「もう三日になります。校内放送から毎日毎日です。伴奏だけのハバネラが聞こえて来るんです」
 言って少女は身を震わせた。その目には、いやこの場合は耳にはだろうか、そのときの光景が蘇っているのだろう。
「…無茶なお願いだということは分かっています。ですがどうか、お願いします」
 咲子と名乗った少女はきっと草間を見据えた。どこか気弱げにも見える顔に精一杯の決意を湛えて。
 依頼を終えて帰っていく咲子を見送りもせずに、草間はぷかりと煙草を吹かした。
 歌劇カルメン。その余りにも著名な一曲ハバネラ。
 我が儘で気まぐれで、情熱的で逞しい女が、堅物の伍長に誘いをかける歌。その伴奏が校内放送から聞こえてくる。それ自体はいい。いやよろしくはないがまあ草間としては構わない。
 だが、
『お願いです、あの伴奏に歌声を返してあげて』
「何だこの依頼は?」
 草間は眉間に皺を寄せた。

■本編■
 歌声は返らない。何故なら…

 依頼人の学校は繁華街からは少し離れた場所にある、瀟洒な建物だった。正しくはいくつかの瀟洒な建物の内の一つ、である。エスカレーター式の学校の高等部校舎が指定された場所だ。
 これは少し話を簡単にし、そして同時に難しくした。
 大学がある分多少年かさの人間が入り込んでも目立たない。但し怪しい風体の人間は町中以上に衆目を集める。大部分が若者なのだ、若者は物見高いと相場は決まっている。
 そこで一行は二手に別れていた。
 三人は(真名神・慶悟(まながみ・けいご)、高山・湊(たかやま・みなと)、志堂・霞(しどう・かすみ)の三名)依頼人と接触すべく高等部へ、一人(シュライン・エマ)は大学図書館へ。落ち合う場所と時間を決めてそれぞれが行動を開始した。

 ふと気付くと、連れである二人の気配がない。神経を研ぎ澄ませ周囲を探っても、それらしい能力者の気配は一向に感じられなかった。ただぽつりぽつりと稀薄な生徒たちの気配があるばかりだ。
「…?」
 小首を傾げた霞はそれでも躊躇う事無く校舎の中を闊歩していた。非常事態ではあるのだろう。だが現状に悪意を感じない。少なくとも己の感知出来る範囲に悪意を持つものの存在はなかった。
 柔らかな声が霞の鼓膜を震わせたのは、いくつかの教室を見て回った、その後だった。
「…草間興信所の方ですか?」
 その声と同時に感じたのは、声と同じく柔らかで小さな、本当に希薄と言って構わない少女の気配。
「…咲子、か?」
 問いかけにこくりと頷く気配があった。


 歌声は帰らない。声の持ち主がもう返らないのだから。


 誘われるままに霞は一つの教室へと入った。顔に当たる日差しが、そろそろ夕暮れである事を霞に教える。
「ここ、か?」
「教室なら、どこでもいいんですけど」
 咲子は苦笑した。その室内に他に人の気配はない。つまりここが都合がいいということなのだろう。人気がないのならおあつらえ向きである。霞は傍らの咲子の気配へと顔を傾けた。
「少し、聞かせて貰えないか?」
「なにをですか?」
「何故、そんなに歌声を取り戻したい? そこまで思いつめるほど」
 それがそもそも霞がこの依頼を受けた理由だった。なにがこの少女をそこまで追い詰めているのか、それが分からない。
 咲子は声を立てずに微かに笑んだ。
「取り戻したいのは私じゃないんです。ただ一瞬の幸せを、その時だけ確かに自分へ向けられていた思いを…取り戻したいのは私じゃありません」
「…言い方を変えよう。何故、取り戻してやりたいんだ?」
「…それは…」
 咲子は口篭もった。重ねて霞が問いかけようとした、その時だった。
「…あ…?」
 黒板の上に設えられたスピーカーから、たどたどしいピアノの音が流れ出す。霞は眉根を寄せた。
「これが…?」
「はい。ハバネラです」
 こっくりと咲子が頷く。霞はすぐに周囲に神経を張り巡らせた。確かに微弱だが、その音には何らかの『力』を感じる。あまり良いものとも思われない『力』を。
 霞が差し伸べた手の中に、小さな音を立てて光刃が出現した。迸る力の感触を確かめ、霞は咲子へ向直った。
「…この音の力の源を俺が絶っても…後悔しないか?」
 しかし咲子はきっぱりと首を振った。
「そんな依頼はしていません」
「だが、この音は…」
 胸が騒ぐ。それだけのことだが、それが良いこととは霞には思えなかった。
「切ない、音でしょう?」
 ピアノだけのハバネラは、その独特の力強いメロディーに反して確かに酷く頼りなく、そして切ない。霞はこっくりと頷いた。
「…探しているんです、この音は。ねえ、おかしいでしょう? 自分が失わせたのに、それは誰より自分がわかっている筈なのに、それでも求めてるんです」
 意味がわからずに小首を傾げる志堂に、咲子はクスリと小さく笑い声を立てた。笑っていると言うより泣いているような気配をその身から漂わせて。
「……そして私も。あの歌声は大嫌いなんです、出会わないでくれれば良かったのにと、何度も何度も思ったわ。ええ、失われた時には快哉を叫びたくなったくらいに。でもね…」
「でも?」
「願いを、かなえてあげたいと思ってしまうの。…彼が悲しむくらいなら」
「咲子?」
 ふっと音が掻き消える。まだ曲は途中だと言うのに。そして同時に霞の前から、咲子の微弱な気配も消える。
「…咲子!?」
 呼ぶ声に応えはない。
 霞は教室の外へと踊り出た。そして力の限りに、声でもそして感覚でも咲子を捜し求めた。しかし咲子は何処にも居ない。
 一旦戻るしかなかろうと校舎を出た霞はそのとき初めて気付いた。顔に当たる日差しは咲子と共に教室に入ったときよりも高い。それどころかこの日差しは南中時間のものに等しい。
 僅かに感じた時間が実に丸一日もの間の出来事であったのだ、と。
 霞は事務所へと急いだ。尋常な事態ではないことは、確実だった。

 さて他の一行はと言えば頭を抱えていた。
 草間がつてを使って(どこぞの編集部だ)手に入れた生徒名簿にも「咲子」の名を持つ女生徒は見つからなかった。ただし現在はの話だが。明治からの歴史を持つ学校では、いくらなんでも過去の生徒すべてを把握は出来ない。
 事務所を使っての作戦会議に草間が胡乱な視線を投げかけてきていたが誰もそれに構いはしなかった。報酬は草間から受け取るがその元々の出所は依頼人である。まず依頼ありきで草間の都合などは二の次だ。
 学校を探っても特に何もない。どの生徒に聞いても『ハバネラ』など聞いたことはないと言う。カルメンに関わりのあるものなど音楽室の隅で埃をかぶっていた音楽史の分厚い書籍程度。霊的な気配はどんな学校にも必ず漂っているものだが、その『どんな学校にも』の域を出るほどのものでもない。
 依頼そのものが、曖昧に過ぎる。冷やかしの依頼と取れないこともない。だが、確かに咲子はこの事務所を訪れ、そして準えたようにその学校で人が死んでいる。幾度も。エマの調査がそれを裏付けていた。
 ハバネラ。歌劇カルメンを知らずとも誰もが一度は耳にしたことのある著名な曲だ。カルメンはハバネラを歌いドン・ホセに誘いをかける。ホセはカルメンの虜となり仕事も婚約者も、おおよそ己の持つ全てを擲ってカルメンに尽くすが、カルメンは新しい恋へと走ってしまう。復縁を迫るホセは逆上の果てにカルメンに刃を突き立てる。
 まるで準えたように。
「わからないわね」
 乏しい資料を前にうなっていた一同はそのエマの声に顔を上げた。エマはソファーの背もたれに身を預け虚空を睨んでいる。
「意味がわからないわ。伴奏に歌声を返すってその意味が」
「確かにな」
 真名神は大きく頷いた。
 また下りかけた沈黙に、一石を投じたのは湊だった。
「ねえ、もう実践するしかないんじゃないの?」
「実践?」
「どういうこと?」
「だからさ、学校で歌ってみるの。『ハバネラ』をさ」
 真名神とエマは思わず顔を見合わせた。
 確かにそれはここで唸っているよりもよほど建設的だ。
「エマ」
 真名神に名を呼ばれ、エマは少し嫌そうに眉根を寄せる。
「それは…まあ歌えるわよ、どうにか」
『ハバネラ』は列記としたオペラのアリアだ。誰にでもまともに歌えると言う代物ではない。だがエマならば歌える。音と声に関してはエマはエキスパートだ。
 じっと真名神と湊に見つめられたエマはややあってからやれやれとばかりに頭を振り立ち上がった。
「…わかったわよ。歌うわ。……なんだか何かを下手に刺激しそうで嫌なんだけど」
「では他にどうするか当てでもあるのか?」
「ないから歌うって言ってるのよ」
「そうと決まったら行こうよ。俺他にバイトもあるし、そんなに時間かけてられないしさ」
 頷いて真名神が立ち上がった。その時だった。
 バン! と激しい音を立てて安普請のドアが開かれる。開いたドアへ息せき切って飛び込んできたのは今の今まで姿を消していた志堂霞だった。霞は呼吸を整える間さえ惜しんで切れ切れの声で叫んだ。
「…咲子が、咲子が消えた!」
 室内に息を飲む音がはっきりと響いた。


 けれどそれでも返らない歌声を取り戻したいと願う誰かに…どうぞ返してあげて。


 一緒だったのかと言う問いに、霞は隠す事無くすべてを語った。
 校内に入った途端に志堂は咲子と遭遇した。同時に二人と逸れた。夕暮れの教室で、黒板の上に設えられたスピーカーから確かに『ハバネラ』を聞いたのだ。
『…探しているんです、この音は。ねえ、おかしいでしょう? 自分が失わせたのに、それは誰より自分がわかっている筈なのに、それでも求めてるんです』
 意味がわからずに小首を傾げる志堂に、咲子はクスリと小さく笑い声を立てたと言う。笑っていると言うより泣いているような気配をその身から漂わせて。
『……そして私も。あの歌声は大嫌いなんです、出会わないでくれれば良かったのにと、何度も何度も思ったわ。ええ、失われた時には快哉を叫びたくなったくらいに。でもね…』
「でも?」
 湊の問いかけに、霞は頷きつつ答える。
『願いを、かなえてあげたいと思ってしまうの。…彼が悲しむくらいなら』
「そう言って、そうしたら咲子の気配が消えた」
 どれほど気を巡らせても咲子の気配は見つからなかった。自分だけの手には余る事態に、霞は事務所へと戻って来たのだ。
 霞の話を聞き終えた一同は顔を見合わせた。
 失われた歌声。失わせてしまった歌声。そして彼と、咲子。
「…行くぞ、現場へ」
 真名神の声に、全員否やはなかった。


 歌声の持ち主を憎んでいても。


 どこにでもある恋の結末。
 女は男に飽きた。そして捨てた。男はその現実を受け入れる事が出来ず女に復縁を迫る。勿論それは受け入れられず、男は完全に女に捨てられる。
 そこまでなら、何処にでもある恋の結末。

 門を潜るとまず大学の一号館が見える。そのまま横手に逸れて、大学図書館の脇をすり抜けるとそこに問題の校舎があった。そろそろ日も落ちる頃合、制服姿の人影は少ない。
 生徒玄関からこっそりと校舎に入り込むと、そこには捜し求めていた少女の姿があった。
「…歌声は見つかりましたか?」
 咲子は愛らしい顔でにっこりと笑う。
 霞はその気配に、眉を顰めた。
「…お前は『ミカエラ』なのか?」
 咲子はゆっくりと頭を振った。口元に儚い笑みを湛えたまま。


 それでも歌声を待つ誰かを愛しているから。


「そうですね。多分私がその役です」
「…実話、なのか?」
 霞は目の前の咲子の気配を捉えたまま周囲を伺った。そこには他の誰の気配もない。一緒に来たはずの三人の気配もだ。恐らくは今の霞と同じ…彼らもまた一人で咲子と対峙しているのだろう。妙な確信があった。
「さぁ…もう忘れてしまいました。忘れてしまうくらい長く、あの人は求め続けているんです。あの女を」
「…咲子」
 霞はポツリとその名を呼んだ。この少女は人間ではない、最早。嘗てはそうであったのだとしても。
「実話ですよ。あの人はあの女を選んで私を捨てて…そして捨てられてあの女を殺しました」
 ホセはハバネラを歌うカルメンに魅せられて婚約者を捨て、カルメンに走る。その婚約者の名をミカエラという。霞が先ほど咲子を呼んだ名だ。そしてそれを咲子は否定しなかった。
「ホセも…死んだのか」
「はい」
 咲子の顔に苦痛が浮かぶ。はっきりとしたその気配に閃くものがあったが、霞は黙って咲子の答えを待った。
「私が、殺しました」
 そして恐らくは自らも命を絶ったのだろう。確かに生者にしては咲子の気配は余りにも微弱だった。
「…咲子」
「なんですか?」
 不思議そうに、咲子は小首を傾げてみせる。艶やかな髪が揺れ、そしてほつれもせずに元の場所に戻る。
「ここで妙に暗示的な殺人が起き続けているのは…」
 その続きを、霞は飲み込んだ。何故だか、言うことが出来なかった。
「いいえ」
 咲子は頭を振りきっぱりと否定した。
「あの女はこの学校に居ました。あの人は…ここで、待っているんですあの女を。その呼び声がハバネラになって…誰かの耳に届いてしまうんです」
 多分、私たちの物語があまりにも『カルメン』だったから。そう言って、咲子は悲しげに目を伏せた。
「聞こえる人は…多分あの人に似ている人…あの人になってしまう人…」
 カルメンを殺してしまう男。情熱の果てに。
「俺も…なのか?」
「あなたには私が聞かせました」
 そうですね、と言って咲子はふっと遠い目をした。
「…私の仕業って言えるのかも知れません。もしかしたらこんな悪霊に成り果てる前にあの人を止められたかもしれません、でも私は止めませんでした」
「何故?」
「…カルメンの歌声を求めないドン・ホセを、見たかったからかもしれません」
 咲子を捨てた男に似た、咲子を捨てない男を。
「だけど…もう嫌なんです、あの女が何人死んでもそれは構いません、だけど…あの女を求め続けてるあの人を、これ以上私見ていられない…」
 咲子は顔を両手で覆った。実態ではないはずの体が小刻みに震え、押し殺した嗚咽が聞こえてくる。
「あの人は私が連れて行きます。だからせめて…あの人の望みをかなえてあげたいんです」
「それがおまえからホセを奪った女でも、か?」
 咲子は涙に濡れた顔を上げ、儚い笑みを浮かべた。
「…それが、あの人の望みなんです」


 はっと我に返った霞は咄嗟に周囲を窺った。いつの間にか教室に移動している。他の三人も同じようで、驚いたような顔で周囲を見回しているのが窺える。
 夕日の差し込む教室に、たどたどしいピアノの伴奏が響き出す。
 咲子と共に聞いた、あの切ない音が。
「エマ」
 真名神に名を呼ばれエマは溜息を吐いた。息を吸い込み、エマは歌いだした。
 美しいアリアの旋律が、エマの唇から流れ出す。
 それはホセの恋の始まりの歌。カルメンがホセに向けた、最初の歌。
 情熱の歌。


「…ねえ…」
 校門前、別れる直前に湊が凄まじく切羽詰った声を出す。
「…バイト代…でるわけ、これ?」
 一同は目を瞬かせて顔を見合わせた。
 幽霊からの依頼。幽霊の懐に金銭などというものがあるのだろうか?
 真名神が硬い顔でエマを凝視する。
「………エマ」
「…私に言わないでくれる?」
「…流石に無償だと困るな、俺も」
「困るどころの騒ぎじゃないって。俺ボランティアしてるわけじゃないんだし」
「………まあ、このところ妙な事件続きで懐もどうにかなってるだろうし、うちのボスが…なんとかするんじゃない?」
 本当か? という実に疑わしげな視線を受けてエマは曖昧に笑って肩を竦めた。
 霞は一人校舎を振り返った。
 あの少女は確かにそこにいた。儚げに笑んで、自分を裏切った恋人を思いつづけながら。
 あの旋律を、報われない思いを抱えた二人がレクイエムに出来るのならばそれでいい気がした。
「…咲子…」
 呼んだ名にもう応えが返ることはない。それに満足した。同時に、どこか切なかった。


 ホセの恋の始まりの歌。それはホセの最も幸せだった瞬間。
 情熱の歌を、彼へ。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0935 / 志堂・霞 / 男 / 19 / 時空跳躍者】
【0923 / 高山・湊 / 女 / 16 / 高校生アルバイター】
【0389 / 真名神・慶悟 / 男 / 20 / 陰陽師】

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■         ライター通信          ■
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 参加ありがとうございます、里子です。継続して参加していただけるとホント嬉しいです。
 カルメンって言うのは今はオペラが有名になりすぎてますけど、元々は小説でその小説も実話を元に書かれたお話だそうです。
 ちょーっと洒落にならない実話なんですけども。
 今回はカルメンの後日談のようなお話になってます。咲子はあんな事になってしまいましたが。<苦笑

 今回はありがとうございました! また機会がありましたらどうぞよろしく。