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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・名も無き霧の街 MIST>


至宝の行方

------<オープニング>--------------------------------------

 神に祈る気持ちとはまさにこのことか。
 敬虔な信者であるヒルベルト・カーライルは、机に両手を置きぴくりとも動かない。深く眉を寄せ美貌を歪めている。その様子は荒行に耐える修験者のようでもあった。
 国の至宝とも謳われる微笑を持つ法王。アスラン・イヅスの姿が消えたのである。
 血相を変えた教会のシスターが、ミスト・ガーディアン−−−MGの本部に駆け込んで来たのが午後の三時。
 ヒルベルトは朝の祈り会でアスランの姿を見た。
 普段通りさざやかな声で聖言を唱え、人々の祈りを天井へと送り届けていた。あのアスランが……。
「猊下……どうかご無事で……」
 胸に秘めていた思いが、唇からあふれ出す。
 祈り会は早朝、午前五時に行われる。
 その空白の時間。まだ幼い法王猊下はどうしていたのだろうか。
「ヒルベルト様、申し分けにくいことが……」
 ぴしりと白を基調に、金のアクセントの利いた軍服を着こなした、MGの隊員が部屋に入ってくる。短く整えられた黒い髪をぴしりと撫でつけた男だ。
「アスラン様の寝室から怪盗紳士の予告状が発見されました」
「内容は」
「至上の輝き頂戴致します。以上です」
 近隣を騒がせている怪盗紳士。そのスマートな手口から一般人にファンまで持つという。一般人とは始末に終えない。規律による平和に満足せず、カオスの中にあっては規律を望む。
「奴は犯行前に必ず予告状を出す。なぜ今になって発見される……」
「失礼します!」
 隊長室に青年が走り込んできた。肩が荒い呼吸で上下している。
「教会側が捜索を開始したようです」
 ゆっくりとヒルベルトは立ち上がった。
「法王猊下は我々の手で必ずお助けする。遅れを取るな!」
 どうかご無事で。
 ヒルベルトは何度目かの祈りを捧げた。
 神と人との間におわす法王の不在。この祈りは空まで届くのだろうか?



「それでお終いかな、ユミラ」
 リヒト・サルカは静かに手を挙げ、ユミラの言葉を終わらせた。
 法王アスランが消えたことに気づいてから、一時間が経過しようとしている。その間に教会内はおろか、法王庁全体からリヒトの私室、侍女の宿舎のシーツまで剥がして捜索させたが、アスランは見つからなかった。
 アスラン付きの女官であるユミラから子細な報告を受け、リヒトは椅子から立ち上がった。
「リヒト様?」
 真っ青な顔でユミラも立ち上がる。
「ユミラ、上着を」
 リヒトは短く命じた。
 ユミラは部屋の隅にすっ飛んでいき、リヒトの丈の長い上着を抱えてくる。
 袖を通させた。
「ミスト・ガーディアンに通達を。アスラン猊下をお探しする」
「外へ、出られるんですか……? リヒト様」
「ああ。もう内部に隠れてらっしゃるとは思えないからね」
 リヒトは目を瞑る。
 至宝と呼ばれるアスランの微笑みを……取り返さなくてはならない。


×


御崎月斗は仲良く並んだ背中を眺め、手を振るのをやめた。地下へと続く階段を降り、東京へ向かう。仕事終了の充実感と懐の暖かさに、月斗は自然笑ってしまった。
 一週間ほど前、コンビニに行って来る、とルームウェアにビーチサンダル姿の娘が出ていった。数分で戻ると思っていたのだが、一週間たっても戻ってこない。父親は以前から娘が見ていたという夢を手がかりに、月斗に捜索依頼を出した。娘が見つかったと連絡すると、父親はMISTまで迎えにきたのだ。
 水入らずにしてやりたかったし、弟に頼まれたお土産を買っていない。別々に帰ることにした。
「さーて、何を買って帰ろうかな」
 ハワイだったらチョコレート、ベルギーでもチョコレート。そういった定番がこの街にあるかどうか。月斗の住んでいる地域とは明らかに違う文化らしく、珍しいものもたくさんある。珍しいものばかりなので、逆に選ぶのが大変だ。
 月斗は職人小道と呼ばれる一帯を歩く。職人の工房が軒を連ねている、狭い道だ。金属を叩く音や、楽器の調律音、親方が弟子に指示を飛ばす声などが一つのうねりのように耳に来る。買い付け商人が大きな荷物を背負って歩いていた。
 馬車の車輪がつけた、溝のような跡を踏んで歩く。街道と違って石畳ではない。
 ショーウィンドウから工房を覗き、陳列されている装飾品を見る。この工房はガラス細工を作っているようだ、葡萄を持った乙女のガラス像があった。
「壊すな、あれは」
 綺麗だが諦める。
 やはり食べ物のほうがいいだろうか?
「道を空けろ!」
 怒鳴られ、むっとしながら道を空ける。目の前を馬が走り抜けていく。
「危ねーなあ!」
 馬に蹴られたら死んでしまう。恋路も邪魔していないのに。
 白い丈の長い上着を翻させ、馬上には青年が居た。同じような服装の若者が四人続く。どうやらグループらしい。馬の尻に鞭を当てながら去っていく。
「大丈夫?」
 同じように道を空けた女性が、月斗に話しかける。
「ああ。何だあいつら?」
「MGよ。いやに騒がしいわね」
 長いスカートを揺らしながら、女性も歩き出した。
「あ、ちょっと! お土産探してるんだけど、どっか良いものないか?」
「そうねぇ。護符石なんてどう?」
 聖アルア教会という場所で売っているらしい。高名な神官が祈りを捧げた鉱石だという。雑貨屋で売っているクリスタルよりは効果がありそうだった。
「石にお菓子でいいか……」
 目的地に足を向けた。


×


 おかしい。
 教会だというのに、そわそわして物々しい。空気全体がぴりぴりと肌に刺さる感じだ。
 最初にこの街で動いた時と、今日、ずいぶん雰囲気が違う。娘を捜していたときは、のんびりとしていた。職人小道でのMGたちと、この教会内の空気。
 何かあったようだ。
「今日は一般の方の見学はできません」
 入ろうとしたら、白いローブ姿の老婆に止められた。
「どうして?」
「清掃中です」
 有無を言わせないような、ぴしゃりとした答えだ。もめるのも馬鹿らしいので、踵を返す。
 教会の巨大な扉が左右に開く。中から、神官らしき人間がぞろぞろと出て行った。
「?」
 緊張に口をぎゅっと閉じ、不安そうに当たりへ視線を飛ばしている。神官たちは道道へと散っていった。
「教会もMGも、何やってんだ?」
 ちょっとした悪戯心と、興味を持つ。前回の依頼は調査だけで、正直暴れたり足りない。月斗は掌に十二神将の迷企羅を呼び出す。迷企羅は翼を広げ、教会の屋根を超えて行く。教会の裏側には、神官たちしか入ることの出来ない法王庁があると聞いていた。教会の対応を見るに、ことを隠したいようだ。情報を集めるなら法王庁以外ない。
 戻って来るまでやることがない。
 散歩をするつもりで、ぶらぶらと歩き出した。目的も決めずに足の赴くまま進む。
 いつ戻ってくるのかな、と空を仰いだ瞬間。太陽が二つになったように、閃光が降ってきた。すぐに目を押さえるが、瞼ごしに焼くような光を感じる。
「なんなんだよ、今日は!」
「出たな! 確保だ、確保ー!!」
 馬の爪が石畳を蹴る音がした。今回は予め道を空けておく。小道と違って道幅も広いので、怒鳴られることもない。先刻みたMG達とは違うグループのようで、戦闘には大女が立っている。二メートルは超すような身長で非常に目立った。
 風とともに走り抜けていく。
 北斗の視界ぎりぎりの場所で、馬が止まった。大女に似合う大声が聞こえる。
 興味を覚えて近づくと、MGに二人の人間が追われている。犯罪者か、それとも追っている事件に関係のある者なのか。見学をしてからどちらに加勢するか決めよう。
「うわっ!」
 追われている少年のから炎弾が放たれる。道の脇にあった井戸にぶつかった。井戸水が瞬時に水蒸気に変わり、狭い井戸の中に収まり切らなくなる。内側からの膨張に絶えきれず、井戸が爆発した。辺りに破片や水がばらまかれる。
 蒸気で視界が悪くなる。足に金属片がぶつかって、痛みが走った。井戸の一部だろう。
「逃がすなっ!」
 逃げ去っていく人影にMGは食い下がる。馬の腹を蹴り、追いかけていった。
「……ひえー……」
 全壊した井戸から、水柱が吹き出ていく。しぶきは太陽光を受け、虹色に閃いていた。


×


 情報収集から戻ってきた迷企羅を肩で休ませる。そして報告を受けた。
「法王失踪、秘密秘密……怪盗紳士予告状!」
 ぱぱっと羽を開いたり閉じたりする。
「自分から消えた可能性もあるな……息抜きか?」
 だとしたら、ダウンタウンに向かう可能性がある。息抜きで出かけるとしたら、普段の居場所より遠いところを選ぶだろう。月斗は迷企羅一人を残し、他の神将達を街中に放つ。何か有れば連絡がくるだろう。
「権力も持っているみたいだし、恩を売るにこしたことはないよな」
 法王の顔を知らないのは痛いな。と心のなかで思った。市街地の捜査は他の奴らに任せて、自分はダウンタウンに行くことにする。
 市街地と違って雑多で薄汚れている町並み。墓標のように団地が規則正しく並んでいる場所もあったが、部屋のほとんどは人が住めるような状態のものではなかった。屋根は落ち壁は腐り、階段には錆びが浮いていた。廃マンション群の間を歩いていると、笑い声がした。気配を殺しながら近づく。
 数人の少年少女に囲まれ、おろおろしている青年がいた。
「『外』の人間かな」
 わからないと迷企羅は首を傾げる。ダウンタウンに不釣り合いな青年だ。目鼻立ちに気品が漂い、服装も小綺麗。何よりはかなさが強く、貧民街では暮らせなさそうだ。市街地の人間が紛れ込んだのか、それとも何も知らない観光客か。
 自分より年下の連中相手なのだが、青年は顔を真っ青にして今にも倒れそうだ。自分の身に降りかかった不幸をどうしていいかわからないようだ。
 きゃははっと少年達が笑う。おもしろがって青年を小突き始めた。猫がネズミをいたぶるのに似ている。背中を押されて倒れた青年の手を、赤毛の少女がブーツで踏んだ。
「さ、法王猊下。お仕事の時間でちゅよー」
 全員がどっと笑う。
 猊下? あいつか?
「想像と違うな……」
 若くありながら教会をまとめ上げているのだ、凛とした青年だと思っていた。だが目の前の法王は、嵐に耐えている一輪の花のよう。
 赤毛がポケットから小ぶりのナイフを取り出す。
「迷企羅」
 そっとささやくと、迷企羅が羽ばたく。子供達の後頭部を順に殴っていった。
「何?!」
 見えない何かに襲われ、ばたばたと倒れていく仲間。赤毛は怪訝そうな顔をし、当たりを探る。
「誰かいるの?! きゃっ!」
 迷企羅が赤毛の腹にタックルをした。ずるずるとその場に倒れる。
「大丈夫か?」
 地面に転んだままの法王に、月斗は話しかける。顔を上げた法王は、澄んだ形の良い瞳に恐怖を満々と称えていた。
「怪我はないかって聞いてる」
「え。あ、はい」
 手を貸すとやっと起きあがった。服に付いた埃を払う。
「ありがとうございます」
 馬鹿丁寧にしっかり頭を下げられた。大人しそうで人の上に立つ人間だとは思えない。
「あんた、アスラン?」
「はい」
 身分も隠さずこっくり頷く。
「……なんで襲われてた」
 まず何を聞くかと考えたが、当たり障りのないものにする。
「お金を出せと言われて、差し上げたかったんですけど、何も持っていなくて。怒らせてしまったみたいです。僕が至らないばかりに、彼らにいやな思いをさせてしまった……」
 月斗に向けられていた瞳が、涙で濡れる。なめらかな頬を水晶のような涙が滑り落ちた。
「ってかそこで泣くか!? 普通!!」
「え?」
「怖かったとかで泣くならまだわかるけど……」
 年より幼く見えるが、突然泣くなんて。精神年齢も低いようだ。しゃくり上げながら袖で頬を拭く。
「ごめんなさい……」
「俺に謝っても」
「そうなんですか?」
「そうなんです!!」
 漫才か、これは。
 誰がこんな弱々しい人間を、治安が悪いとされるダウンタウンに連れて来たのだ。自分一人とは思えない。市街地から廃マンション群までは結構歩く、その間にアスランだったら七回は襲われているだろう。七回襲われても生きているなど、確率的におかしい。
 アスランは膝を折り、倒れている子供たちの体に触れる。
「良かった。気絶しているだけみたいだ」
「手加減したしな……悪いことは言わない、とっとと法王庁へ戻った方がいいぜ」
 目標が見つかったので、十二神将達を呼び戻した。
「どうして僕が法王だって知ってるんですか?」
「さっき自分で返事しただろ……」
「隠してたのに。君はすごい人だね」
「いやだから……」
「でも、僕はまだ戻ることはできないんです」
「人の話聞け!」
 イライラする。月斗は怒鳴った。アスランの体がびくりと震える。もう涙目になっていた。
「ここは危ない場所なんだ、あんたみたいなやつがちょろちょろ出来る場所じゃない。帰るんだ!」
 月斗はアスランの手を握り、引っ張る。何やら口にしているアスランを無視し、そのままずんずんと歩いた。
 心配で放っておけない。こいつを法王庁まで連れ帰らないと、夜も眠れなさそうだった。立っているのがやっとという印象の法王なんて、どうかしている。これの笑顔が至宝だと? 街の連中はおかしいんじゃないか。
「君、名前を教えて」
「月斗」
「ツキト」
「月斗」
「えっと……月斗」
 正しい発音に、満足げに頷いた。
「………リヒト、元気かな………名前が君に似てる」
「誰? 友達?」
 トしか似てない。
「友達か…そんな風に考えたことなかったけど。そうだといいな」
 やっとアスランが笑みを見せた。
 愛くるしく微笑まれ、胸が高鳴った。恋愛感情ではなく、子猫や子犬がすり寄ってきたきたときのような、説明できないただ純粋な好意。体の奥底から喜びが溢れ出しそうになった。
 さすが、国の宝とも言われる法王。
 これほど美しく可憐に微笑む人間が、この世に存在したなんて。愛という字が人の形になったような、奇跡の法王。
 月斗も認める気分になった。
「なぁ、家出なのか?」
「紳士に一緒に来てほしいと言われたから、来ただけだよ」
「………俺が一緒に来いって言ったら、ついてくるのか?」
「ええ」
 そうだ、今も付いてきている。
 断るということを知らないのだろうか。さすが純粋培養、世の中に敵が存在するという意識がないのだ。
「どうして一人なんだ」
「はぐれちゃって……」
 はぁっと大げさに溜息をする月斗。こんなへろへろしたのを一人にするなんて。
「ねぇ月斗? 僕、なんだか……」
 ちらちらと周りを見る。
 すえた匂いが充満する店と店の間には、まだ幼さを残す少女達が立っていた。いわゆるタチと呼ばれる売春婦だ。ああやって客が来るのを待っている。売春婦以外女性はいないらしく、誰もかれもが二人を不思議そうに眺めている。珍しいものでも見るような視線が肌に刺さる。
 突然、文字通り爆発するような笑い声が響いた。下卑た笑いだ。
「怖いんだけど……」
「道、間違えたな」
 さらりと呟くと、アスランが震える。手をつないでるから、よくわかった。
 背後の気配から、数人が後ろを歩いているのがわかる。振り返らずに歩く。難癖をつけられないためだ。背後の人数が徐々に増えている。
「あの、何かご用ですか?」
 馬鹿。
 子羊が狼に挨拶してどうする。
「アスラン!」
「?」
 なぜ怒られたかわかっていないようだ。不思議そうに月斗を見る。
「通行料払ってもらおうかと思ってよーここ、俺らの場所やし?」
「そうなんですか。知りませんでした」
 困った顔をするアスラン。本気でお金を払うつもりらしいが、持ち合わせがないはず。
「後ほどでかまいませんか?」
「金がないのかぁ?」
 後ろを歩いていた人間は、黒や赤といったダーク系の服を着た青年たち。ユニフォームかもしれない。人数を増やし、月斗とアスランを囲んだ。
「嘘つくなよ、綺麗なカッコしてんじゃん」
「金ないなら目でも内臓でもいいんだぜぇ?」
「出すモン出しゃ許してやるってんだろー」
 上手く呂律が回っていない。目線もちらついている、何か薬物を使っているのかもしれない。
「五月蝿いな……」
 『外』の人間、しかも自分よりずっと年下の人間に見下され、黒服たちに怒りが走る。
「ぶっ殺してやる!!」
「ボキャブラリー少ないんじゃないの?」
 少年のその一言が引き金となり、黒服たちが襲い掛かる。月斗は配下を呼びだし、黒服達に攻撃を仕掛ける。正当防衛だろう。
 と、通行人の一人が手近な男の肩を掴み、放り投げた。空を飛んできた仲間が身体に激突し、数人がふらつく。
 怪力。
 しかも投げた通行人は女性だった。大根でも持つように投げたのだ。
 そいつら以外の黒服は、全て神将によって地を舐めさせられた。
「助太刀しようかと思ったんだけどね、必要なかったみたいだ」
 通行人は両肩を上げる。筋肉隆々の女性だ、これなら人間も投げられるかもしれない。服装から同じ『外』の人間だとわかる。
「ふーん。ありがとう。一応。……アスラン?」
 もう大丈夫だ、と振り向いた。
 いない。
「どこ行ったんだ。知らない? おばさん」
「ごたごたの間にどこかへ行っちまったんじゃないか。友達同士で観光かいってアスラン? アスラン法王?」
「ちょっとした知り合い」
「……探さなきゃやばいね」
「同感」
 今日はこき使って悪いな、と謝罪してからまた仲間を放つ。遠くに行っていないだろうから、すぐ見つかるはずだ。
「あいつらが探してくれるとして。あんた誰」
「あたしは玲於奈」
「月斗」
 ぶっきらぼうな答えを、怒号が遮った。やられた黒服が仲間を呼んだらしい、十人ほどがナイフなどを手に走ってくる。
「面倒だねぇ」
 玲於奈は道に生えていた街灯をひっこぬいた。月斗は目を見張る。金属製の街灯をバッドのようにし、まとめて七人を殴る。そして残っていた黒服に投げ付けた。
「ほら! とっとと行くよ、喧嘩はごめんさ!」
 促され、月斗は走り出した。黒服が発する罵りも追いつかないほどの俊足だ。
「マジぜってー殺すからなクソガキ!!」
「テメェらの顔覚えたからな!!」
「マワしてやるぜクソアマ!!」
 くるりと玲於奈が振り向く。
 黒服たちは黙った。


×


 黒服連中に見つかったらまた喧嘩になる。玲於奈が休むのにちょうど良い場所を知っているらしく、それに従った。はいったんマリィの教会へ戻ることにした。
 アスラン、大丈夫だろうか。
 側にいても弱々しくて不安なのだ、離れたらどうにもならない。早く見つけてこい、と念じる。
「お客様?」
 月斗を見、シスターが嬉しそうに微笑んだ。お茶を入れます、と台所へとんでいく。ちょうど良い場所というのは、今にも倒れそうな教会だった。ダウンタウンにも教会があるのか。
 二人は長椅子に座り、教会の中央壁に飾られている神像を眺める。神像に跪いて祈り歌を奏でている少女がいた。宗教語か何かだろう、意味はわからないが、心地よい歌声だ。長いスカートに長いローブと、いっさい肌を見せない禁欲的な服装をしている。
「観光かい」
「仕事」
「偉いね……法王とはただ知り合っただけ?」
「どうして聞く?」
「……いい状態じゃなくてね。彼は」
 法王庁では、以前からアスランを廃して新しい法王を掲げようとする動きがある。理由はアスランが自分の意見を持つようになったこと、人気がありすぎることだ。傀儡ではない法王は必要ないと、数人の枢機卿が暗躍するようになった。教会への人気の集中を苦々しく思っていた、王族側の貴族と結びつき、力を強めている。
 それらの手から離れさせ、アスランに休息を取らせる、というのが今回の目的だったらしい。命の危機を日々感じる生活は、重いストレスとなる。毎日薄い氷しか張っていない海を渡っていたような気分だったのだろう。
「怪盗紳士の予告状は?」
「リヒトって男が作らせたらしいよ。保険のために」
「気に入らないな。枢機卿も、怪盗紳士も。いらなくなったら処分するだとか、仕事失敗するだとか」
「手厳しいね」
「家出、つきあってやろうと思ったのに」
 いや、アスランは今どこにいても安全じゃない。もし外の、たとえば自分の家などにかくまえば……? 
「!」
 音の方向へ兎が耳を向けるように、月斗が立ち上がった。教会に空気が渦巻く。十二神将が戻ってきた。お土産を持って。
「アスラン!」
 月斗の視線の先、教会の出入り口。アスランの姿があった。向こうも月斗を見止めたらしく、ぱっと笑顔を見せる。
 すてんと転けた。教会の敷居につま先を取られたらしい。
「……痛い……」
 法王の隣に、『外』の人間らしき女性が立っていた。彼女が手を貸す。そうしなければ一生倒れていそうだ。
「ありがとうございます」
「法王様! アスラン猊下っ!」
 歌をやめ、弾かれたように祈っていた少女が駆け出す。
「よくぞご無事で……」
 少女は法王の手の甲に唇を寄せる。
「ユミラ? どうしてここに……」
 玲於奈が法王に近づくと、一緒にいた女性が間に立つ。守るようにだ。
「あんたも『外』の人間かい? 法王様の知り合いか、それとも……」
「璃音は私を助けてくれた方です。敵ではありません」
 法王の言葉に、ユミラが立ち上がる。そして何度も璃音に礼を述べた。
「無事でよかった、アスラン。襲われたりしなかったか? 枢機卿は?」
「僕もよくわからない……。ごめんね、月斗」
 心配させて申し訳ないと思っているらしい。
「襲われた? 枢機卿?」
「あんた、何も知らないのか」
「わたくしからご説明いたします……申し遅れました、法王庁で猊下様にお仕えしております、ユミラです」
「……そうしてくれるとありがたいわ」
「きゃっ!」
 全員の視線が、教会の奥へ流れる。ティーセットを盆に乗せた、シスターが立っていた。
「……大変、ティーカップの数が足りないわ……」
「それだけで悲鳴を上げるんじゃないよ。何かと思うじゃないか」
「ごっごめんなさい!」
 玲於奈の注意に、シスターは頭を下げる。もちろん、盆からはティーセットが滑り落ちた。盛大にカップが割れる。
「あーあ……」
 呆れたように、月斗は漏らす。
 完璧にお茶は飲めないようだ。
 教会関係者は謝ることが多いのだろうか……。


×


 ことの流れをまとめながら璃音に説明し、玲於奈は最後に問う。
「何はともあれ、法王庁へ戻るべきだ。そうだね?」
「戻ったら殺されるかもしれないのに? 行かせられない」
「彼は法王なんだよ」
「俺の友達だ」
 お互い立っている場所が違う。答えは出ないだろう。玲於奈は法王としての立場と義務、責任を重んじている。そして、アスラン自身がそれられに立ち向かうことを望んでいる。逆に月斗はアスランの身を案じ、危機へ近づけさせたくない。
「猊下、あなたはどうしたいの」
 黙りこくったままのアスランに、璃音はそっと声をかける。
「……僕は……」
 長い睫毛を伏せ、足下を見つめる。
「………」
 突然、玲於奈が椅子から立ち上がった。そしてうんと両手を上へ伸ばす。固まっていた背中の筋肉をほぐす動作だ。
「そう急がなくてもいいよ。どうせ霧の時間が近い。戻りたくても朝まで無理さ」
「霧の時間?」
「あんたら知らないのかい。この街には霧の出る時間がある。その間は魔物の時間、とてもじゃないけど出ない方がいい。わかったかい、月斗、璃音」
 子供に説明するような口調だ。月斗はへーっと声を上げた。
「そろそろ腹が減ったね……夕食はどうするんだい、サーニャ」
 あのティーセットをおしゃかにしたシスターだ。
「手伝っていただけませんか? 今日は人が多いので」
 全員は快くその申し出を受け入れた。
 さぁ忙しくなる。
 かなりの人数が教会に集まっている。作るのも一仕事だろう。
 玲於奈とサーニャを追いかけて、台所へ移動した。石作りの竈などがあり、電化製品は一つもない。文化の違いから当然といえば当然だが、食事を作るが大変そうだ。月斗は積まれている薪を見る。
 移動して、貯蔵庫らしき地下へ続く階段を覗く。
「手伝うことある?」
 地下室にはサーニャと玲於奈が居る。
「タマネギ切ってくださいます?」
 キャンプみたいだな、と月斗は付け足し、網袋に入ったタマネギを受け取った。
 まな板の上にタマネギを出し、ナイフを取る。家事はそれなりにこなすが、タマネギは苦手だった。目が痛くなるのだ。弟の一人が、これぞ完全防備! と言いつつ水泳ゴーグル装備で切っていたのを思い出す。
 残念ながらここにゴーグルはない。仕方ない、とまな板へ向かう。
「よく切れるやつだったらいいんだけどな……」
 茶色の皮をむき、みずみずしくつるつるしたタマネギに包丁の刃を立てる。ざ、とこすれ合う音と共に円形が半円になる。悪くもなく良くもない切れ味。きっと目にしみるだろう。
「これは何?」
 月斗の後ろに立っていたアスランが首を傾げる。
「……目が痛いよ」
「タマネギだからな」
「タマネギ? こんな形をしているんだ。知らなかった」
「初めてみるのか!?」
 思わず振り向いてしまう。
「料理されたあとしか知らないから……」
 慣れた手つきでタマネギを切っていく。スープに入れるらしいので薄く切る。とろとろに溶けそうで、でも少し残っている程度の大きさが好きだ。珍しい生き物でもみるように、背中にアスランの視線が刺さる。
「ぼーっと突っ立てるなら、何かしたらどうだ?」
「何かって……」
「えーっと……これ、捨てて」
 アスランはタマネギの皮を宝物のように掌に乗せる。使命感に燃えた瞳でゴミ箱へ歩いていった。
「変なやつ」
「野菜クズはゴミ箱じゃないですよ、お庭に捨てるんです」
 今度は逆方向へ歩いていく。サーニャに言われたようだ。月斗はにやっと笑いながら、リズム良くタマネギを刻んでいく。鼻歌交じり。
「見付けたぞ!!」
 勝手口から声がした。外で喧嘩でもしているのだろうか。勝手口の向こうはこの教会の菜園になっていると聞いたが。
「やりやがったな!」
 やったらしい。
 会話だけでは良くわからないが。とんとんと刻み、器へ。まな板のスペースが空いたところで新しいタマネギに取りかかる。
 弱いのに向かってくるのは元気なのか馬鹿なのか。
「馬鹿にすんじゃねー!」
 相手の声が聞こえない。一方的に怒っているようだ。
「出てきやがれー!!」
 北斗はむきたてのタマネギを握り、外へ走った。
「うるせー!!」
 タマネギを投げた。めちょっと黒服の頭にぶつかる。精神的ダメージが大きかったらしく、一時静まる。昼間もめた黒服が、教会を見つけたらしい。
「玲於奈、何の騒ぎだよ」
「昼間の連中」
「畜生! タマネギ投げられたのなんて初めてだぜっ!」
「投げたのも初めてだ」
 玲於奈にしか聞こえないほどの小さな声で、月斗も言う。胸を張る。
 菜園と道の間には木で作られた高い柵があった。間から相手は見えるものの、入って来られない。だから外側で黒服がぎゃーぎゃーと言っていたのだ。見れば十人ほどがいきり立っている。
「食べ物は大事にしなきゃいけないよ」
「法王猊下がこちらにいらっしゃるというのは本当ですか?」
 目深にローブを着た、しゃがれ声の男性が、黒服をかき分けて前へ出てきた。
「馬鹿の情報も少しは役に立つようですね……法王庁の者です、お迎えにあがりましたとお伝えください」
「猊下がこんな汚い教会にいるとお思い?」
 男はほっほっほ、と老獪に笑った。
「わたくしは幼い頃より猊下にお仕えしていたもの。猊下のお考えは手の取るようにわかりますとも。さ、お伝えください」
「だから……」
 月斗が言葉を止め、振り返る。裏口の側に老人が立っていた。
「お邪魔いたします」
 慇懃に頭を下げる。
「伐折羅! 真蛇羅!」
 指先で印を組む。月斗の周りに突風が巻き起こり、巨大な犬と虎が現れる。二匹が大地を蹴ると同時に玲於奈も老人へ近づく。
「不法侵入だよ、爺さん!」
 玲於奈が細く枯れ木のように年老いた体に、鉄拳をお見舞いする。空気を殴ったような手応えのなさに、手を引いた。
「ほほほ……なかなかおやりになる」
 老人の左手の甲が二匹に向けられると、壁が現れたように犬と虎が後方へはじき飛ばされる。
「何をしているんですか!」
「おお、猊下。ご無事で」
 大げさに老人が頭を下げる。
「イズルド……」
 走ってきた法王に、イズルドは礼を取る。
「お迎えにあがりました。さ、法王庁へ」
 差し出された手に、法王は一歩下がる。
「どうなさいました? まさか、あやつらに何やら吹き込まれたのでは?」
 見るからに法王の顔は青ざめている。
「……君は……どうして? だって……」
「アスラン、下がれ!」
 月斗の召還した巨大な龍が、イズルドへ白い炎を吐く。
 松明のように老人が燃え上がった。火だるまがゆくりと法王へ手を伸ばす。
「君は……死んだはずなのに……」
 崩れ落ち、骨さえ残さず灰になる。まだ熱の残る灰に法王はそっと触れた。
「……」
 貧血でも起こしたのか、法王もその場に崩れ落ちた。


×


「イズルド様……ですか。ええ、先週老衰で」
 ショックに倒れてしまったらしい法王を、玲於奈はベッドまで運んだ。繊細で壊れそうな体つき、ほとんど筋肉もついていない。先刻から眠ったまま顔色は悪い。
 ユミラは法王の額に冷たいタオルを乗せた。
「気に当てられたのかもしれません。死人返しは強烈な術ですから」
「死人返し?」
 心配そうにベッドを覗き込んでいた月斗が、顔を上げる。
「法王庁にはいくつかの禁じられた書物が保管されています。その中の一つに、死体を意のままに操る術があったはず。生前の能力をそのまま使うことができます。イズルド様は法術に長けたお方でしたから……」
「死人を武器代わりにするなんてね」
 吐き気がしそうだ。
「暗殺者ってとこ? 内部の術なら、教会内にアスランの敵がいるって証拠だよな」
 ユミラから与えられた情報はどれも憶測に憶測を重ねたもので、物証に欠けている。これは役に立つかもしれない。証拠があれば、敵対する枢機卿を排除できるかもしれないのだ。
「ここも危ないね。きっと歓楽街のやつらが情報を売ったんだ」
「……う……」
「アスラン!」
 法王が目を開けると、月斗が心配と歓喜が入り交じった声を上げる。
「……?」
 不思議そうに天井や、顔を見ている人間を見つめ返す。
「……ああ、そうか……」
「大丈夫か?」
「うん」
 重そうにベッドから起きあがる。
「本当に、僕は殺されるか……」
「そんなことありません!」
 法王はユミラに頷く。
「不思議だ……。僕は、ユミラやリヒトの話を聞いても、実感がなかったんだ。今だって夢を見ているみたいだよ……」
 掌に視線を落とし、堅く握った。
「神の前で常に正しく在ろうと、生きてきたつもりだったけど……嫌われるようなことをしていたなんて」
「好き嫌いの問題じゃないさ」
 落ち込んでいるアスランの背中を、玲於奈は叩いてやる。
「リヒトはすごい」
 その一言はとても重く響いた。
 リヒトやユミラという忠実な側近が居たからこそ、アスランは長い間政治上の闇を知らずに育ったのだろう。ずっと守られていたのだ、大切な法王を汚さないように、落ち込ませないようにと。返せば彼らはずっと闇の部分と対峙していたことになる。不平も零さず、気づかれず。
「ご飯、出来ましたけど……」
 恐る恐るサーニャがドアをノックした。
「食べれるかい?」
「はい」
 アスランは月斗の手を借りながら、ゆっくり立ち上がった。


×


 チキンスープの中に様々な野菜が泳いでいるものが食事の主役だ。それにパンと、香草で焼いた肉。
 マリィが食前の祈りを捧げ、その後食事となった。
「ふーむ……」
 玲於奈は装甲淑女と名乗る招待状を読み、グラスを傾けた。グラスが揺れるたびに中の水がゆらぐ。
 昼間市街地に配られていたというビラだ。親愛なる怪盗紳士へ。本日0時、中央広場にてお持ちしています。……装甲淑女、と記されている。璃音が持っていた。
「行ってみる価値はありそうだね」
「私と玲於奈で行きましょう。法王はここに残っていたほうがいいわ」
「あの……僕……行きたい……」
 消え入りそうな声でアスランが言う。硬いパンを口の中でもごもごと噛み、やっと飲む。
「危険な時間なのに、ヒルベルトやリヒトは来るでしょう? 私がその場にいなかったら、彼らを裏切ることになる」
「アスラン」
 月斗に頷く。
「私は法王庁へ戻ります。枢機卿とは別の戦い方をすればいい。血を流す必要はありません」
 怯えながらもはっきり言った。
 気を失っている間に、様々なことを考えたのだろう。
「そいつらはあんたの安全が第一だろう? 危険な場所に赴いて喜ぶかね」
「御身を惜しんでくださいませ」
「大丈夫だって! 俺が守るから」
 な、と月斗は子供らしい友情で笑った。
「あたし達が先行する、あんたらは後からついてきな」
 子供のわがままに負けた母親のように、玲於奈は苦笑する。
「きついお灸を据えてやったら……法王も今後動きやすいかね?」
「そうね」
「お二人とも怖いことを平気で言うんですねー……」
 サーニャも食べ終わり、食器の上にスプーンとフォークを合わせた。それを見、アスランが食後の祈り文句を神に捧げる。
 食前に彼は祈らなかった。この祈りには、法王としての自分と向き合うという意識が滲み出ていた。


×


 夜闇に紛れ、一団は足早に街を進んでいた。アスランを中心に守るように、そして霧に乗じる魔物の目から逃れるように。長い時間外を出歩きたくはないので予告時間ぎりぎりまで教会に隠れていた、時間がない。幾度か魔物と小競り合いをしたものの、三人とも離れしている。雑魚は問題にならない。
 問題と言えばアスランだ。恐怖になれていない貴人は、魔物の足音だけでも叫びそうになる。敵に自分の存在をアピールするのと同じ。アスランは姿が隠せるように、ユミラの長いローブを羽織りフードで顔を隠している。
「……霧が?」
 初めに気づいたのは璃音。潮が引いていくように、霧が消えていく。先刻まで霧の深さに感じなかった月光が、さぁっと夜を照らす。一枚皮が剥けたように視界がクリアになった。
「霧凪ぎです……。霧が、なくなる時間。一時間か二時間ですけど……」
「好都合だ」
 子羊のように怯えているアスランの背中を、玲於奈が叩く。力強く陽気に、優しく。
 中央公園は、微かにわだかまる霧の中に静かに存在した。
 霧が吹き飛ばされ、白いもやを微かに残している。恐ろしいほど静まりかえった空間。
 残滓の中に、人影があった。月斗たちは身構える。
 ぱっとアスランが走り出した。公園の中心には移動サーカスのテントが設置されている、その近くまで行く。
「アスラン!」
 人影が声を上げる。声質がアスランに似ていた。
「リヒト」
 アスランはリヒトにしがみつく。殆ど身長差のない二人は、しっかりと抱き合う。
「助けてもらったんだ、この方達に」
 しっかりとリヒトのマントを掴んだまま、アスランは三人を示す。リヒトは玲於奈に頭を下げる。リーダーだと思ったのだろう。
「猊下を守って頂いたようだ。このリヒト・サルカ、心から礼を言います。ありがとう」
「おかえり、猊下」
 近寄ってきた青年が、明るい調子でアスランに言う。アスランはほっとして笑顔を見せた。会わない時間が永遠かと思うほど、不安だったのだ。
「はぐれちゃって」
「いやいや、構いませんとも。その美貌がもう一度拝見出来たのですから」
「反省して」
 リヒトがきつい声を出す。クロードはリヒトには見えないように肩を竦めた。
「あれが怪盗紳士?」
 璃音はそっと玲於奈に耳打ちをする。多分ね、といった感じの視線が返ってきた。
「ちゃんと守ってやれよ、こいつ危なっかしくて……」
 軽くアスランを叩く月斗。
「ごめん、月……」
「霧の時間に外に出るとはなっ」
 甲高い声が響く。
 一同はそちらの方を向いた。
 サーカスのテントの脇に、太り気味の男性が立っている。緋色の衣装を着ていた。
「まだ、何か? ウィルズ卿」
 顔見知りらしい。リヒトが疲れたように言う。
「お前達には、ここで死んで貰う」
 太った腹を揺らし、ウィルズ卿は笑った。
「霧の時間に外に出ていては、法王猊下も死ぬしかあるまい!」
 ウィルズがさっと手を挙げる。
 耳をつんざくような吼え声が、中央公園に響いた。
「召還獣か」
 リヒトがアスランを抱きしめて言う。
 二体の魔物が、一同を睨みつけていた。
「一度、痛い目を見なければわからないみたいね?」
 璃音が可愛らしく微笑む。ここで反省させれば、アスランへの攻撃も緩まる可能性が高い。璃音はアスランが教会で襲われたこと、そのときに傍にいなかったことを悔やんでいる。
 今が、力を見せるとき。
「正当防衛だよねぇ、もちろん」
 守ると決めた。
 玲於奈が一歩踏み出す。
「後悔するなよ!」
 月斗の宣誓が合図のように、三人は闇夜に散った。

 
×


 体が鼓動で揺れる。月に与えられ、内側で育った力が満ちてくる。璃音は奥底から湧き出してくる恍惚にも似た感情を、ゆっくりと全身に行き渡らせた。骨や肌の一切が変化する。はらり、と石畳に璃音の服が落ちた。
「グルルッ……」
 唾液を落とし、喉の奥で唸る魔獣。同じ獣の匂いを嗅ぎつけ、璃音を睨んだ。
「波夷羅」
 そっと月斗が呟く。嵐のような強烈な風が巻き起こり、渦となる。一瞬にして巨大な竜巻は解けたが中に一匹の龍が残った。イズルドを焼き払った神将である。
 一匹が璃音へ走り、もう一方は月斗へ向かう。爪が足場を噛む獰猛な音が響く。
 −−−アナタハワタシニチカイノネ
 言葉を亡くした璃音は、そっと魔獣に呟く。ぐんぐんと近づいてくる。視線と視線が絡み合う。
 銀色狼の双眸が、すっと細くなった。
 走る。
 魔獣とすれ違った瞬間、璃音の牙が相手の喉に喰らいついた。血の匂いと肉を破る歯ざわり。
 −−−サヨナラ
 牙を抜いた瞬間、噴水のように血が湧き出した。赤い飛沫が薄い霧に混じる。遠くでアスランの悲鳴が聞こえた。血に驚いたのだろう。璃音は口元に舌を這わせ、敵の体温を知る。
「やるなぁ」
 狼対魔獣の戦いを横目で、月斗が口笛を鳴らす。波夷羅の口から血にも似た紅蓮の炎が立つ。炎が一直線に魔獣へ放たれた。
「早い!?」
 炎を放つよりも早く、獣が月斗との距離をつめる。獲物を仕留める瞬間を思い描いているのか、瞳孔が開ききっていた。
「気をつけな」
 玲於奈の拳が、開かれていた獣の口内に叩き込まれる。牙が飛び散る。やわらかい内臓をしたたかに殴られ、全身がびくりびくりと震えた。
「体は普通と変わらないんだろ?」
「あ……ありがと」
 指先をふるい、体液を払う玲於奈。月斗は素直に礼を言った。
「……まずいよ」
 クロードの声が響く。
 玲於奈は周囲を見回す。
 霧が、再び発生しようとしていた。
「走れ!」
 リヒトが叫んだ。
「教会までだ!」

 
×


 一同は教会の中に飛び込む。
 玲於奈が乱暴に教会のドアを閉めた。
 霧が、ほんの少しだけ内側に入り込んでくる。だが、それもすぐに消えた。
「はあっ……はあっ……はあっ……」
 今にも倒れ込みそうな様子で、アスランが荒い呼吸を繰り返している。
 リヒトがその肩をしっかりと抱いていた。
 ドンッ!
 扉が乱暴に叩かれる。
 一同が身構えた。
「た、助けてくれ! 助けて下さい猊下! 霧が……霧が!」
 ウィルズ卿の声だ。
「リヒト、入れてあげなくちゃ」
 荒い吐息の間に、アスランがそう言う。
 リヒトはしっかりとアスランを抱きしめ、その髪を撫でた。ふっと璃音は意地悪っぽく笑う。
「5」
 ドアをしっかりと押さえたまま、玲於奈が言う。
「4」
「あ、開けてくれッ! 死んでしまうッ! 猊下ー!」
「3」
 次は月斗だ。全員の考えが同じ方向へ向いている。
「リヒト……」
「2」
 クロード。
「1」
 リヒトが冷たく数える。
 璃音が高らかに吠えた。
 玲於奈は扉を開き、外側にへばりついていたウィルズ卿を内側へと引っ張り込んだ。
「0」
 扉を再び閉める。
 濃密な霧のカケラが、一瞬漂い、溶けた。
 引っ張り込まれたウィルズ卿が、ばたりと床に倒れる。
 同時に、アスランも目を瞑って脱力した。
 
「おかえり、猊下」
 リヒトが心底安心したというように呟く。
 しっかりと法王を抱えたまま、天井を見上げた。
 霧の合間から見えていた月が、天井のステンドグラスから見える。
 ゆっくりと、霧が月を押し隠す。
 リヒトは目を閉じた。
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 0778 / 御崎・月斗 / 男性 / 12 / 陰陽師
 0074 / 風見・璃音 / 女性 / 150 / フリーター
 0669 / 龍堂・玲於奈 / 女性 / 26 / 探偵

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■         ライター通信          ■
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「至宝の行方」をお届け致しました。

御崎月斗様。
 
 今回は普段より子供らしく描いてみました。法王とも仕事というよりは友達関係です。
 楽しんでいただけたら幸いです。ご参加ありがとうございました。