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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・名も無き霧の街 MIST>


至宝の行方

------<オープニング>--------------------------------------

 神に祈る気持ちとはまさにこのことか。
 敬虔な信者であるヒルベルト・カーライルは、机に両手を置きぴくりとも動かない。深く眉を寄せ美貌を歪めている。その様子は荒行に耐える修験者のようでもあった。
 国の至宝とも謳われる微笑を持つ法王。アスラン・イヅスの姿が消えたのである。
 血相を変えた教会のシスターが、ミスト・ガーディアン−−−MGの本部に駆け込んで来たのが午後の三時。
 ヒルベルトは朝の祈り会でアスランの姿を見た。
 普段通りさざやかな声で聖言を唱え、人々の祈りを天井へと送り届けていた。あのアスランが……。
「猊下……どうかご無事で……」
 胸に秘めていた思いが、唇からあふれ出す。
 祈り会は早朝、午前五時に行われる。
 その空白の時間。まだ幼い法王猊下はどうしていたのだろうか。
「ヒルベルト様、申し分けにくいことが……」
 ぴしりと白を基調に、金のアクセントの利いた軍服を着こなした、MGの隊員が部屋に入ってくる。短く整えられた黒い髪をぴしりと撫でつけた男だ。
「アスラン様の寝室から怪盗紳士の予告状が発見されました」
「内容は」
「至上の輝き頂戴致します。以上です」
 近隣を騒がせている怪盗紳士。そのスマートな手口から一般人にファンまで持つという。一般人とは始末に終えない。規律による平和に満足せず、カオスの中にあっては規律を望む。
「奴は犯行前に必ず予告状を出す。なぜ今になって発見される……」
「失礼します!」
 隊長室に青年が走り込んできた。肩が荒い呼吸で上下している。
「教会側が捜索を開始したようです」
 ゆっくりとヒルベルトは立ち上がった。
「法王猊下は我々の手で必ずお助けする。遅れを取るな!」
 どうかご無事で。
 ヒルベルトは何度目かの祈りを捧げた。
 神と人との間におわす法王の不在。この祈りは空まで届くのだろうか?



「それでお終いかな、ユミラ」
 リヒト・サルカは静かに手を挙げ、ユミラの言葉を終わらせた。
 法王アスランが消えたことに気づいてから、一時間が経過しようとしている。その間に教会内はおろか、法王庁全体からリヒトの私室、侍女の宿舎のシーツまで剥がして捜索させたが、アスランは見つからなかった。
 アスラン付きの女官であるユミラから子細な報告を受け、リヒトは椅子から立ち上がった。
「リヒト様?」
 真っ青な顔でユミラも立ち上がる。
「ユミラ、上着を」
 リヒトは短く命じた。
 ユミラは部屋の隅にすっ飛んでいき、リヒトの丈の長い上着を抱えてくる。
 袖を通させた。
「ミスト・ガーディアンに通達を。アスラン猊下をお探しする」
「外へ、出られるんですか……? リヒト様」
「ああ。もう内部に隠れてらっしゃるとは思えないからね」
 リヒトは目を瞑る。
 至宝と呼ばれるアスランの微笑みを……取り返さなくてはならない。

×

 教会内の広い通路に、リヒトの靴音だけが響いていく。
 静まりかえった通路内は静かだった。
 この法王庁の主が消えたとしても、この空間の静けさは変わらないのだ。だが、両脇にずらりと並ぶ幾つものドアを開ければ、たちまち狂気じみた喧噪にぶつかるだろう。
 そのざわめきが、本当に法王への気遣いから来るものかどうかは疑問だとリヒトは思う。法王庁で実際の権力を握る十一人の枢機卿の思惑とは全く無関係に、アスランという少年は法王になった。ただの傀儡だとタカをくくっていられたのも初めのうちだけ。アスランはその容貌と、ごく僅かな人間だけが身につけることが出来る穏和なカリスマで、たちまちのうちに人気者になってしまったのだ。
 至宝と呼ばれる笑顔に計算はない。それは、アスランの側にずっと居たリヒトが一番知っている。
 飾られるだけの存在ではなくなりつつあるアスランを、枢機卿たちはそれほど好ましくは思っていないはずだ。だが、まだ誤解がある。
 アスランを動かしているが、このリヒトだという誤解。枢機卿達はアスランを廃するよりはリヒトから遠ざけることを望むだろう。
 何しろ、史上稀に見る人気を誇る美貌の法王なのだから。
 リヒトは苦笑する。自分の顔に指を触れた。
「外へ行くのか」
 柱の影に隠れるように、誰かが立っている。リヒトは頬に触れていた指を下げた。
 大人三人が手を伸ばさなければ一周出来ないような太い柱に、黒衣の男がもたれている。異様に鍔の広い黒い帽子に、二本の白いラインがある以外は黒一色の長衣を纏っている。長い金色の髪を、一本に編んで背中に垂らしていた。
 鍔に遮られ、彼の表情を伺うことは出来ない。リヒトは彼が柱から離れて目の前に立ち塞がるのを待った。
「猊下をお探ししないとね」
 リヒトは目を細めた。
「どうしてお前がこんなところにいるんだい」
「今日は退屈でな。リヒト殿下のお手伝いでもしようかと思った」
 男は突っ立ったまま言う。大きくスリットの入った長衣は、法王庁が支給しているものだ。
 公式悪魔祓い師――エクソシストの、ネロという男だった。
 最強にして最凶と言われる、腕は立つが非常識に乱暴な男だ。比較的細身だが背が高く、立ち塞がられると威圧感がある。
 法王の側近であるリヒト。ミスト・ガーディアンを率いるヒルベルトなどとは比べるべくもない低い地位にある男だが、彼がこの街の安寧を保つために多大なる貢献をしていることは間違いない。
 その分、争いの種も撒いている男ではあるのだが。
「エクソシストの出番はないよ」
「オレは非番だと言ったろう」
「そうかい。じゃあついておいで」
 リヒトはネロの横を通り過ぎる。
 男は素直にリヒトの後の従った。
「リヒト」
 通路の終点にある巨大な扉に手をかけたリヒトの背中に、ネロが声を掛けた。
「ゾロア卿、ウィルズ卿、それからモラボラ卿には気を付けた方がいい。手駒を動かしていたぞ」
「お前はアタマが悪いくせに抜け目がないね」
 リヒトは扉を開いた。
「暴れる理由が見つかりそうだったからな」
 光が差し込んでくる。リヒトはネロを振り返った。
「お前が暴れずに済むといいね」

 アスランに酷く似ていると言われる美貌が、酷薄に笑った。
 
 
×


 ミスト・ガーディアンの動きがおかしい。
 昼間から酒を振る舞うのが普通のバーから、大通りが見えた。
 中央公園へ続くメインストリートに面したバーは、店の半分がガラス張りで明るい。穏やかな陽光を浴びながらの酒も、この街に限っては悪くないと帝仁璃劉は思うようになっていた。
 中央公園では、異邦からやって来たという大きなサーカス遊園地が展開されている。中央にサーカステント、その周囲には移動式の様々な乗り物が並べられていた。
 この街では「外」と呼ばれる東京からやって来た璃劉から見れば、アトラクションはどれも古めかしく子供だましなものだ。何しろ、メリーゴーラウンドが一番のハイテクアトラクションだというのだから笑わせる。
 ストリートを通り過ぎるのも殆どが馬車だ。一日中バーカウンターに座って大通りを眺めていても、自動車を見かけることはない。
 異世界めいたこの街を、璃劉は気に入っているのだった。
 サーカス遊園地に浮かれた街で、先ほどからMGの様子がおかしい。妙に緊張した雰囲気を漂わせながら、足早に街を歩き回っているのがよく判った。
 祭りの雰囲気に浮かれた住民は、普段とは違って神経質になっている様子のMGには気づかないらしい。璃劉はドライマティーニを飲み干し、カウンターから離れた。
 コインを指で弾く。璃劉の肩をコインが通り越し、ガラスに当たってからんと音を立てる。
「またのお越しを」
 無表情なバーテンがそう言った。


×

 界境線を乗り継いでやってきた街は、華やかな喧噪に包まれていた。
 どうやら降りる場所を間違えたらしい、と気づいたのは改札を出てからだった。
 細かな煉瓦が敷き詰められた通りに、古めかしい洋風の町並み。天薙撫子は困り果て、道の途中に立ち止まった。
 上機嫌の若い男女や子供達が、大きな通りを真っ直ぐに進んでゆく。向こうには何があるのだろうか。
 撫子はやってきた道を振り返る。興味はあるが、今日は用事があって家を出てきたのだ。寄り道はまた今度でもいい――。
 後ろを振り向き、撫子はぽかんと口を開けた。駅の改札へと向かう道が、消滅していた。彼女の目の前にあるのは、街の終わりらしい森であった。
 界境線では、時折こういう事が起こる。そういう噂は聞いていたが、まさか自分がその現象に行き会うとは思っていなかったのだ。
「困りました」
 撫子は頬に手を添える。今日は、実家と友好関係にある神社の助っ人巫女として出張する筈だったのだ。
 アルバイトが確保出来なかったということで、わざわざ巫女服を着て出かけてきたというのに。これはあんまりだ。
 撫子はポケットから界境線の時刻表を取り出す。
 その表面は、真っ白になっていた。
「今日はもう、駅には行けないということなのですね」
 ひっそりと溜め息を吐く。
 だが、足掻いてもしょうがない。この時刻表だけが、界境線が動く明確な時間を知っているのだ。
 帰ってから事情は話すとして、少し歩き回るとしよう。
 街に漂う浮かれた気分が影響したのか、撫子は生真面目な普段を忘れ、通りを歩き始めた。
 
×

 駅の改札は無人だった。
 田舎の方によくある、無人駅。岬鏡花にはそこがそうとしか見えなかった。
 広々とした改札口から、愛用のバイクを押し出す。床はコンクリート敷きで、駅員がいないことを除けばごく普通の駅と大差ない。
 界境線。奇妙な街へと続くと呼ばれるその路線の駅にしては、拍子抜けするくらい普通だと言えた。
 鏡花はバイクに跨る。木製の小さな駅を飛び出した。
 強い風が吹き付けてくる。鏡花は瞬きし――
 バイクを急停車させた。
 地面に下ろした足に、硬い煉瓦の感触がある。
 西洋風の町並みが、目の前に広がっていた。
 後ろを振り返る。
 そこには道はなく、鬱蒼と茂る森だけが広がっていた。
「なるほど、ね」
 鏡花は頷く。一筋縄ではいかない街のようだった。
 細かな煉瓦を敷き詰めた通りには、あちこちに小さな露店が出ている。その上に広げられている品物も、鏡花には用途の判らないものばかりだ。
 とりあえず目的地を目指さなければならない。
 鏡花はズボンのポケットから、封筒を引っ張り出した。
「ミスト・ガーディアン本部 ヒルベルト・カーライル」
 そう、表書きしてある。鏡花の所属する組織からの紹介状だった。
「何か、お困りのことはございませんか……なんて、営業みたいね」
 鏡花は唇を尖らせる。指令は、MGを率いるヒルベルトに貸しを作ること。あまりに漠然としていて、どうしたらいいのか見当がつかない。
 とりあえずは、ミスト・ガーディアン本部とやらに行ってみることだ。鏡花は封筒をポケットに押し込んだ。
 
×

 MGに混じって、妙な動きをしている者がいる。璃劉は中央公園へ向かう道を逆に辿りながら、周囲を眺めた。
 行く手にある街灯の下で、屈強な男が数人、MG隊員を横目で見ながら何か話している。ここがダウンタウンならば何か犯罪の臭いでもしそうだが、男達はそういうカンジには見えなかった。
「……!」
 璃劉は男の一人が小指に嵌めている指輪を見て、更に疑問を深める。法王庁の紋章入りの指輪だった。
――法王庁とMGがそれほど友好関係にないとは知っていたが……あれはまるでMGの目を盗んでいるようだな。
 璃劉は内心で首を傾げる。と、MGの一人に駆け寄っていった少年がある。
 こちらも小指に法王庁の指輪。格下なのか、地味な法衣を着て息を切らしている。MGの耳元に何事か囁き、頷き合うと共に何処かへ走っていってしまう。
 妙だった。
 不穏な男達の方は、それをひっそりと見守っている。何か囁き合い、追跡するようにMGを追い始める。
 好奇心が刺激されるのを感じた。教会とMGの小競り合いにしても、首を突っ込んでおいて損はなさそうだ。
 璃劉の脳裏に、先日一度だけ見た法王猊下の肖像画が浮かぶ。至宝と呼ばれる微笑みをたたえた、若干18歳の青年法王。どんな育ち方をすれば、あのような笑みが浮かべられるのか。
 そこに、少し興味があった。
 運が良ければ、遠目からでも法王猊下とやらのお顔を拝見出来るかもしれない。璃劉は親指をぺろりと舐めた。
 聞き出すのは、訳知り顔のあの男達がよさそうだった。
 
×

 街の中央当たりに位置する公園に、どうやらサーカスが来ているようだった。
 はしゃいでいる子供達を笑顔で見渡しながら、撫子は道を歩いていた。行く手には、繊細で豪華な建築物が見える。尖った先端には大きな鐘が釣り下げられており、教会か何かのようだとあたりをつける。
 反対側に位置する王宮よりは小さいが、教会はかなりの規模を有しているらしい。近づくにすれてその大きさが実感出来る。撫子はあの美しい教会の中には入れないものかと考えていた。
 教会の方から、何か黒いものが歩いてくる。その異様さに、撫子は足を止めた。
 周囲の子供達もそれに気づいたらしい。騒いでいた子も急に静かになった。
 魔女のような黒い鍔広帽子を被った、背の高い青年だ。二本の白いラインが腰の辺りに走っている他は、一切が黒ずくめだった。
 その横に、右肩留めのマントを羽織った少年が居る。
 撫子は興味を引かれ、人混みに紛れて彼らに近づいた。
 マントを羽織った少年の方は、不機嫌そうな顔をしていた。男と共に、撫子がいるのとは反対方向へ歩いていってしまう。
 迷わず後を追った。
 美しい少年だった。
 神々しいまでに美しい少年というのを、初めて見た。アッシュカラーの髪を肩の辺りまでのばしており、裾の長い白い服の上に華麗な紋章を染め抜いたマントを羽織っている様は、絵本に出てくる王子のようだった。
 と、男が少年の方へ手を伸ばす。
 彼の肩を掴み、細い路地へと押し込んだ。
「まあっ」
 撫子は小さい悲鳴を上げる。男は細い路地の壁に少年を押しつけ、覆い被さるように身体を近づけている。
「乱暴はやめなよ」
 少年の声が聞こえた。その声に怯えはない。
「そのお前の余裕がおかしいんだ。アスラン大事のお前が、何故しゃあしゃあとしれいられる。オレだって不安なのに、おかしいだろう」
「アスラン猊下とお呼びしろ。仕方ないな、お前が不安なんて珍しい言葉を口にするなんてね」
「これでも法王庁の人間だ。アスラン……猊下には、人並みの敬意を払ってる」
 撫子はそろそろと二人に近づく。かなり小声で喋っているようだが、内容は聞こえる。
 法王……不安? どういうことだろうか。
「アスラン猊下はご無事だ。今回の件は……」
「待て」
 男が低い声を出す。
 撫子の目の前に、突如男が立ち塞がった。
 素早く路地に引っ張り込まれ、撫子は悲鳴を上げそうになる。その口元を、華奢な指が覆った。
「……『外』の人間のようだね」
 すぐ目の前に、少年の美貌がある。我知らず胸が高鳴るのを感じた。
「聞かれたな」
「お前がこんなところで聞くからだよ」
 男の不機嫌な言葉を、少年がぴしゃりと打ち消す。そっと撫子の口から手を放した。
「今の話、聞いたね」
 困ったような顔で言う。撫子は仕方なく頷いた。
「あの、法王って? あの教会にいらっしゃる方ですか」
「……当たり前だ」
「正確には、あの教会の裏手に広がる法王庁にいるお方だ。知らないのかい」
 少年が呟く。撫子は慌てて頷いた。
「困ったな……。僕たちはその法王庁の人間なんだ。今、とても大変な事が起きていてね。極秘任務中で……君に聞かれたことはちょっと問題がある」
「黙らせるか」
 男がなんでもないことのように言う。大きくスリットの入った上着の中に手を差し入れ、何かを掴みだそうとする。
 その手を少年が握った。
「やめろ。血の臭いをさせたりしたら、猊下には近づけさせないぞ」
「オレを猊下に会わせてくれるということか」
「秘密を守るならね」
「ふん」
 男は唇を歪める。撫子から手を離した。
「観光中かもしれないが、暫く僕らと一緒に行動してもらえるかな。そうでなければ、しばらくの間幽閉させてもらうけど」
「ご同行します」
 撫子は頷いた。少年がふと表情を緩める。
 美しかった。
「ありがとう。今、法王猊下が失踪されてる。僕らは猊下を探している途中なんだ」
「で、アスラン……猊下は」
「安全なところにいる。ネロ、僕らは枢機卿やヒルベルトが猊下を見つけないようにほどよく攪乱するのが仕事。うまくいったら、会わせてあげよう」
 男が帽子を直す。撫子はちらりとのぞいた顔を見た。
 中中整った容貌の青年だった。思ったよりもずっと若い。
 どうやら、この男は法王猊下とやらに会いたいようだ。撫子は穏和で神々しいおじいさまを想像する。
「僕はリヒト。こっちはネロ。あなたは?」
「天薙撫子と申します」
 撫子はちょこんと頭を下げた。
 
×

「いないっ!?」
 ようやく発見したミスト・ガーディアン本部で、鏡花は素っ頓狂な声を上げた。
 受付のカウンターに一人だけいた若い男が、渋面で頷く。
「申し訳ない。現在我々MGは取り込み中なんだ。勿論ヒルベルト隊長も出られている」
「大将も出てるって時に、あなたは何をやってるの」
「留守番がいないと、非常の時に困るだろう。僕だって出たいんだ」
 柔らかな金髪をキレイに整えた男が唇を尖らせる。ジャニーズ事務所にでもいそうな甘い顔立ちの美少年だ。町中で見かけた、白と金の制服を着ている。
「出たいなら出ればいいでしょ。非常事態なら。何よ非常事態って。遠くから来た人間の相手も満足に出来ないくらいの非常事態なの」
「非常事態を連呼するな。とても大変なことが起きているんだ」
「だから、その大変な事って何よ。火事か泥棒?」
「そんな規模の小さいことじゃない! 怪盗紳士に法王猊下が誘拐されたんだ!」
 男がカウンターを叩いて怒鳴る。
「……誘拐」
 鏡花が問いかけると、男はパッと口を押さえた。
「忘れろ」
「法王猊下って、アスランとかいう男の子のことね? 法王っていうんだから、そりゃ相当偉いんだろうけど」
「偉いとか偉くないという問題じゃない。法王猊下は、この街の宝だ」
「そのお宝を取られちゃったなんて、間抜けねあなたたち」
 言ってはならないことを言った、という顔で男は黙っている。鏡花はじりじろと男を見た。
「ところで、それがガーディアンの服装?」
「省略するときはMGが正式だ」
「ああそう。で、それがMGの服なのね」
「これが我々ミスト・ガーディアンの制服になる」
「ヒルベルトってヒトもそういう格好してるの? どんなカンジなのよ」
「ヒルベルト様かヒルベルト隊長とお呼びしろ。隊長は、この制服に肩にMGのこの十字の模様が入っている。背が高い金髪の方だ」
「背が高い金髪って、あなたもそうじゃない。他に特徴はないの?」
「精悍な方だ」
「抽象的ね」
「隊長のお顔を知らない方が悪い」
 焦れたように、隊員の男は言った。
 鏡花はムッとして言い返す。
「おあいにく様。私はこの街の人間じゃないの。MGなんてちっぽけなグループの隊長の顔なんて知らなくて当然」
「貴様、我々を侮辱すると許さんぞ!」
 男がカウンターを殴りつける。
 鏡花はこれ見よがしに肩を竦めてそっぽを向いた。
「お前のような無礼なヤツを、隊長に会わせるわけにはいかない! 帰れ!」
「用事があるのよ。こっちも仕事なの」
「関係ない!」
 男は顔を真っ赤にして言う。しっしっと犬でも追い払うように手を振った。
「ミスト・ガーディアンが名門のぼんぼんばっかりのお遊び集団だってのが、身にしみて判ったわ」
 鏡花は言い放つ。男がくるりと背を向けた。
「帰れ」
「帰るわ」
 鏡花はカウンターから離れ、乱暴にドアを閉めた。
 
 
「ボルス」
 不愉快な女を追い返したボルスは、奥からかけられた声に飛び上がった。
「誰か来ていたのか」
「相談などではありませんでした、隊長」
 細身で長身の男が入ってくる。奥は留置所になっていた。
 金髪をやや長めに伸ばしている。ぴんと張った背筋に、きびきびした動きが精悍な美青年である。
 ミスト・ガーディアンを統べる隊長ヒルベルト・カーライルであった。
「そうか。全く、雑魚ばかりを捕らえてきてもしょうがないというのに……。また出てくる。そうだボルス。猊下の事は誰にも気づかれていないだろうな?」
「は……はい!」
 ヒルベルトの問いに、ボルスは青くなって頷く。
 すでに心は猊下探しに向かっているのか、ヒルベルトはボルスの表情には気づかない。顎を捻りながら、「出てくる」と言った。
 遠ざかるヒルベルトの背中に敬礼をし続け、ボルスは溜め息を吐いた。
「くそう、あの女め!」
 自分の失敗を棚に上げ、そう毒づいた。
 
×

「法王猊下がさらわれた……とな」
 璃劉は男の額から手を離す。
 男のからだがずるずると道に崩れた。
 二人の男が、薄汚い路地にのびていた。いくら問いかけても口を割らないので打ちのめしたのだ。
 多少荒っぽかったが、いい情報が手に入った。法王アスランが失踪し、MGと教会のリヒトが彼を捜しているという。しかし、その機に乗じて、側近リヒトからアスランを奪ってしまおうとたくらんでいる枢機卿が三人。男達はその三人の部下だった。
 リヒトかヒルベルトに伝えて恩を売るのも一興か。
 璃劉は白目を剥いて倒れている男二人をじろりと見下ろす。何食わぬ顔をして路地から出た。
 MGの動きは時間が経つにつれて慌ただしさを増している。

×

 鏡花は壁にビラを貼り付けた。
「親愛なる怪盗紳士へ。本日0時、中央広場にてお持ちしています。……装甲淑女」
 鏡花の字で、ビラにはそう書いてある。鏡花は満足げに頷いた。
 怪盗紳士――この街ではアイドル並といってもいい人気を誇る、怪盗の名前だ。呪われたブルーダイヤの盗難、魔物が封じられていた絵画の盗難・破棄など、庶民とは無関係で華やかな活躍をする彼の盗みは、殆ど庶民のエンターティメントと化している。このビラを撒くだけでかなりの騒ぎになることは間違いない。
 人出の多い中央公園で、三四十枚ばかり撒いてこようと思っている。法王を怪盗の手から奪い取れば、それだけでヒルベルトに対する貸しになるではないか。名案だ。
 自分の思いつきに感心しながら、鏡花はバイクに跨った。
「お嬢さん」
 少し離れたところでビラを見ていたらしい青年が、にこやかに声を掛けてきた。
 大きめのズボンをサスペンダーで吊り、縦縞のシャツを来ている。ベレー帽を横にかぶった、お洒落な青年だった。街の人間のようだ。
 明るい焦げ茶の髪はやや長く、年の頃なら二十代前半だろう。上品な雰囲気だった。上流階級のぼんぼんが、私服でサーカス見物といったところか。
「外のヒトだね? ダメだよ、夜0時なんて。怪盗紳士は出てきやしないと思うな」
「あら、どうして」
 青年の後ろに、地味な服を着た青年がいる。前髪を下ろしているので、こちらの顔はよく見えなかった。
「日暮れと共に、街には霧が出る。霧の時間は魔物の時間だ。出歩こうなんて人間はいないし、よしんばいたとしても翌日には骨で発見される」
 青年はにこにこと堪える。鏡花は唇をヘの字に曲げた。
「なるほどね」
 前髪を下ろした方の青年が、ふらりと何処かへ歩いていく。鏡花はそれを横目で見ながら、帽子を被った方の青年に問いかけた。
「来ないかしら、怪盗紳士」
「さあ、どうだろうね。この装甲淑女って女性が可憐なレディだったら、助けに来るかも知れないよ」
「これ以上はないくらい可憐で美しいレディなのよね」
「そうなんだ」
 青年は面白そうに笑う。鏡花は肩を竦めた。
「まあいいわ。ありがとう、お兄さん」
「いえいえ、どういたしまして」
 鏡花は青年に手を振り、バイクを発進させる。
 とりあえず、ビラをまけば何か反応はありそうだ。庶民の殆どは、怪盗紳士の名前にあんなに敏感なのだから。
 
 クロード・パッシュフェードは目の前のビラをもう一度よく見た。
「0時ねぇ。幾ら美人が待ってても、命が幾つあっても足りそうにない時間だな」
 首を傾げる。
「そう思いませんか、猊下……猊下?」
 振り返り、素っ頓狂な声を上げる。
 庶民の格好をして後ろに付いてきていた筈のアスランがいない。
 女性と話している間に、人混みに飲まれてしまったのだろうか。
「……ああ……これはまずいな。リヒトが怒るな。あれは怒ると怖い」
 サーカスを見に行く行列と、露店に群がる人混みで視界も聞かない。クロードは溜め息を吐いた。
 ビラを掴み、破り取る。びりびりと引き裂いた。
「怪盗紳士は、装甲淑女どころじゃなくなったよ」
 ぽいと紙を放り投げる。
 指笛を吹いた。
 人の耳には聞こえない音が、通りに響き渡る。
 あちこちの家の軒下から、無数のコウモリが飛び立った。
 昼の光に慣れていないのか、よたよたと小さなコウモリがクロードの側に降りてくる。
「やあ、すまないね。猊下を探しておくれ」
 クロードはコウモリの頭を指先で撫でた。

×

 リヒトが空を見上げる。
 撫子は悲鳴を上げた。
 真っ昼間だというのに、沢山のコウモリが空を飛び回っている。
「何だ……霧でも来るのか」
 ネロが帽子の鍔を持ち上げ、仏頂面で空を見上げた。
「違う」
 リヒトが低い声を出す。
「まずいな、これは」
「何がだ」
「こっちの話」
 リヒトはやや青くなった顔で首を振る。撫子は昼飛び回るコウモリの不気味さに、気分が悪くなりそうだった。
「コウモリは嫌いか」
 ネロが問う。
「あまり、好きではありません。ネロ様」
「ふん」
 ネロが低く呟く。
 撫子の肩を抱いた。
「襲ってきたりはしない。だが、怖いならオレの側にいろ」
「え? ……はあ、ありがとうございます」
 撫子は頭を下げる。ネロはただ言ってみただけだとうように、まっすぐ前を向いていた。

×

 黒ずくめの大男と、巫女服の女性。それから法王庁の服を着た美青年という組み合わせは、かなり目立った。
 周囲の人間が大量のコウモリを見て足を止めている。法王庁のマントを羽織った青年は、苦い顔でそれを見上げていた。
 あれが、リヒトか。
 璃劉はすぐにピンとくる。法王の肖像画によく似た面差しで、髪の長さや色は同じだ。
 ただ、法王よりも棘のある美少年ではあるようだった。
「まずいな」
 リヒトが呟く。璃劉は三人に近づいた。
「……行きたい場所が出来た」
 リヒトは連れらしい二人にそう言う。黒ずくめの男が頷いた。
「捜し物の在処は判っているか」
 璃劉は少年に声を掛ける。
 鋭い視線が璃劉に突き刺さる。好戦的ないい目をしていた。
「……お前は?」
「帝仁璃劉だ。お前達が『外』の人間とよぶヤツだな」
「今日は外の人間に縁があるね。捜し物って何のことさ」
「法王アスランだろう」
 璃劉は唇を歪める。リヒトが目を細めた。
「何故それをしっている」
 黒ずくめの男がリヒトと璃劉の間に立ち塞がった。剣呑な目をしている。
「さあな。そんなことよりも、法王をお前から引きはがそうとしている枢機卿がいる、リヒト・サルカ」
「……事情通だね」
「まあな」
 璃劉は頷きもせずにそう言う。リヒトは腕を組んだ。
「情報が漏れすぎだな」
 溜め息を吐く。
「どこか、あてがあるようだったが」
「ないことはないけれどね」
 リヒトは小さく言う。踵を返した。
「楽しそうじゃないか。オレも混ぜてみないか」
「お前を?」
 璃劉の申し出にリヒトが振り返る。
「……好きにしなよ」
 璃劉は頷いた。
 
×

 中央公園に人間が集まっているせいか、高級住宅地である街の西側には殆ど人影が無かった。
 豪奢な家が建ち並ぶ道を歩く。馬車が二台ほど、道を通り過ぎていった。
「何処へ行くんだ」
 ついてきた帝仁璃劉という男が問う。リヒトは答えなかった。
 コウモリが、ここでも飛び回っている。
 行く手に、人影が見えた。
 不穏な空気を漂わせている。リヒトは眉を顰めた。
 小指に、法王庁の指輪。
「……ゾロア卿の手駒だな」
「そうかい」
 ネロの呟きに、リヒトはうんざりした声を出す。
「リヒト・サルカ!」
 リーダー格の男が、リヒトの名前を呼びつけた。
「法王猊下を独占し、横暴の限りを尽くすお前に天罰が下るときが来たようだ」
「横暴の限り、ね」
 リヒトは肩を竦める。
「僕が何をしたっていうのかな」
「自分の胸に手を当てて聞いてみろ!」
 男が叫ぶ。全員が、剣を抜いた。
「脅しか?」
「さあね。とりあえず相手してる時間はない」
 璃劉の呟きにリヒトが答える。
「走れ!」
 撫子の腕を掴み、すぐ脇の路地に入った。
 男達が追ってくる。撫子はリヒトの腕に掴まり、走った。
「ゾロア卿か。鬱陶しいな」
「相手をするな」
 ネロの低い呟きを、リヒトが叱りつける。
 行く手に、大きな屋敷が見えた。
 バラの絡まった黒い門が、一同を迎えるようにゆっくりと内側に開きつつある。
「パッシュフェードの屋敷だと」
 ネロが呟く。
「目的地だ」
 リヒトが門を指さす。
 一同は門の中に滑り込む。
 背の高い従者風の人間が、ぴしゃりと門扉を閉じた。
「ここを開けろ!」
 追ってきた男達が怒鳴る。従者風の人間は首を振った。
「いいえ、そういうわけにはまいりません。こちらは主人のお客様ですので」
 響いた声は女性のものだった。
 わめき続ける男達に、従者は背を向ける。
 うやうやしく、璃劉ら一同に頭を下げた。
「パッシュフェード家へようこそ。お待ちしておりました、リヒト様」

×

 リヒトは仏頂面でソファに座り込んでいた。
 撫子は出されたお茶を味わいながら、彼を見ている。お茶は甘い香りのする美味なもので、もし売っているならおみやげに買って帰りたいと思った。
「謝っているじゃないか」
 リヒトの正面に、優しそうな青年が座っていた。
 クロード・パッシュフェードというこの青年は、町の中でも歴史の古い家の御曹司だと言う。
「土下座してもらおうかな」
 リヒトが仏頂面を崩さずに言う。
「アスランがダウンタウンにいるなんて……僕は貧血を起こしそうだよ、クロード」
「でも、安全は安全だよ。ユミラもそばにいるしね」
「そういう問題かな」
「そりゃ、違うけれどさ」
 困り果てた様子で、クロードは言う。不機嫌なリヒトも怖いことは怖いが、更に恐ろしいのはネロだ。撫子のすぐ後ろ辺りに、ネロはここに通されてからずっと突っ立っている。
 立たれているだけで怖い。撫子は溜め息を吐いた。
 しかも、隣に座っているのはなんだか怖い雰囲気の自分と同じ「外」の人間だ。折角美味しいお茶を頂いていても、これでは心が安まらない。
「君を怒っても仕方がないね。場所が判っているなら、今から迎えに行くよ」
「霧が出ますよ」
 ここまで案内してくれた従者が言う。ネロと同じくらい背の高い女性だった。人形のようにドアの横に立っている。
「もうじきです」
「リヒトは霧もそんなに怖くないかもしれないけど、猊下を歩かせるわけにはいかないだろう」
 クロードがのんびり言う。リヒトは舌打ちした。
「ああ、あとそうだ。猊下たちは今夜0時に中央公園に来るみたいだよ。僕に合流するために」
「なんだって?」
「このビラ」
 クロードはきれいに折りたたんだビラをテーブルの上に置く。一同はそれを覗き込んだ。
 装甲淑女という人物から、怪盗紳士への手紙だ。中央公園周辺でばらまかれたものを従者が拾ってきたのだという。
「猊下は僕の正体を知らないからさ。これしか合流する道はないって思ったようだね」
「『ようだね』じゃない。それなら今から行っても同じじゃないか」
「うーん、それがそうでもないんだ。ええとね、霧予報士のところに今まで行っていたんだけど、ダウンタウンはもう霧の中なんだ。今夜は霧が出るのが早いみたいだよ。そのまま迎えに行こうと思ったんだけど、ほら僕も命は惜しいし。で、相談してみたら、今夜丁度0時あたりに霧凪ぎがあるんじゃないかっていう話」
「霧凪ぎ?」
 撫子が問う。
「霧が、なくなる時間があるんだ。一時間か二時間、夜中にね。その時間はMGがパトロールをしたりする。非常に危険な時間だけど、霧の時間ほどじゃないから、急病人とかはその時間に動くんだ」
「この装甲淑女というヤツが、それを見越してコレを書いたというのか」
 ネロが口を開く。クロードはけらけら笑って首を振った。
「それはないと思う」
「だがまあ、好都合といえば好都合だな」
「そうだね。不幸中の幸いかな、クロード」
「だから、悪かったと言ってるじゃないか」
「アスランを0時に中央公園へ迎えに行く。霧の時間の前にここへ戻ってくるよ。長いこと消えてると問題あるからね」
 リヒトはソファから立ち上がった。

×

 街の中をバイクで流しながら、鏡花は肩に十字のマークがついている男を捜した。
 だがMGの制服は、少しずつアレンジがしてあったりして中中「これだ」と思う男は見つからない。
「やっぱりアスランを探しちゃった方が早いかなぁ。怪盗紳士をおびき出す前に見つけられたらそれが一番よ……ね!?」
 歩道を歩いていた男性が、突如鏡花のバイクの目の前に飛び出してくる。
 鏡花は慌ててブレーキをかけ、男性を避けようとハンドルを切る。
 耳障りな擦過音が辺りに響いた。
 バイクが横倒しになり、鏡花は弾き飛ばされる。
「何よっ!」
 鏡花は肘と膝を煉瓦で擦ってしまい、痛みに顔をしかめる。
 起きあがり、立ち塞がった男を睨みつけた。
 鍔広帽子に、腰の辺りに白いラインの入った黒い服を着ている。牧師のような妙な格好だった。教会の人間というやつだろうか。
「なんだ、これは。女」
 両手に細身の剣のようなものを構えたまま、男は尊大に言い放つ。
「バイクよ」
「やかましいな」
「そりゃそうよ。バイクだもの」
 男がじろりと鏡花を睨む。
 底冷えのするような目だった。
「何あなた。MG?」
「エクソシストだ」
 ぷ、と小さな笑い声が聞こえる。鏡花はそちらを向いた。
 美しい刺繍のしてあるマントを羽織った、驚くほど美しい顔立ちをした美少年がこちらを見ている。その後ろには、何故か「外」の人間が二人いた。
「ネロがMGだったら街が滅びそうだ」
「オレはMGの方が暴れられていいがな」
 男は低く呟く。鏡花は起きあがり、埃を払った。
「エクソシストは、ヒトの乗り物の前に飛び出すのが仕事なの」
「悪魔が取り憑いた人間から悪魔を除去するのが仕事だ」
「じゃあ、なんで私の前に飛び出したりするのよ」
「目障りだから、壊してやろうかと思ったんだがな」
「ネロ様」
 巫女服を着た女性が男に声を掛ける。
「それ、高価なものなんですよ」
「オレが知ったことか」
「お嬢さん」
 マントを羽織った少年が鏡花に近づいてくる。
「このビラを撒いていたのは、あなた?」
「そうよ」
 少年が手にしたビラを見て、鏡花は頷く。
「なるほど、『外』のヒトだね」
 少年が頷く。
 
「リヒト!」

 低い男の声が響いたのは、その時だった。
 少年がさっと振り返る。
 緋色の法衣を着た男が立っていた。
 痩せた、眼光ばかりがするどい男だった。あご髭を長く伸ばしている。
「……ゾロア卿」
 少年が溜め息を吐いた。
 男の後ろに、背の低い太った男がいる。こちらも緋色の服を着ていた。
「ウィルズ卿も。ご機嫌うるわしゅう。何かご用ですか」
 痩せた方がゾロア、太った方がウィルズというらしい。
 棘のある口調で少年は挨拶した。
「お前が法王猊下を私物化しているから、排除してやろうと思ってな」
 痩せた方が言う。リヒトと呼ばれた少年が溜め息を吐いた。
 リヒト・サルカ……。この少年が。
 鏡花は少年を見つめる。法王に瓜二つだと言う側近か。
 何処かで見たような気がした。
「猊下はお前にばかり頼って、我々を信用せんではないか」
「してますよ。アスラン猊下は枢機卿方々を信頼しています」
「ふん、どうだか。どんなに良案を出しても、お前が握りつぶしているのではないのか」
「まさか。僕は政治に興味はありません」
「法王は枢機卿のものであるべきだ……」
 太った方が低く呟く。リヒトが眉を跳ね上げた。
「彼は誰のものでもない」
 不穏な空気が流れる。
 鏡花の前に立っていた男が、突如リヒトと男達の間に立ち入った。
「これは、枢機卿殿らのお言葉とは思えない。法王猊下をもの扱いとは」
「……い、いや……ネロ、お前には関係のないことだ。下がれ」
「いいえ」
 男が手にした細身の剣を摺り合わせる。きりきりという耳障りな音がした。
「勿論、枢機卿殿らの本心からのお言葉ではありますまい……。悪魔が憑いているぞ」
 男が喉で笑う。
「祓わないとなぁ……」
 じろりと男達を見た。
「人数がいるね。手伝おうか、ネロ」
 リヒトが眉根を下げる。少し微笑み、男の横に立った。
「な、何を……リヒト……」
「すぐに祓って差し上げますよ、ウィルズ卿ゾロア卿」
 リヒトの肩に、剣呑な空気を纏った男が手を置いた。
「面白そうだ。手伝おう」
「わたくしも、助太刀いたします」
 男と巫女服の女性が言う。ネロと呼ばれた黒衣の男が、女性に剣を片方渡した。
「お借りします」
「乱暴にしても壊れん」
「はい」
 女性が頷く。
 なんだか面白そうだ。とりあえず、法王を守る方に加わった方がよさそうだと、鏡花は判断する。
「じゃ、私も」
 ぱっと挙手した。
 
×

「リヒト、気でも狂ったのか!」
 ゾロア卿が唸る。リヒトは目を細めた。
「狂っているのはそっちだろう。すぐ楽にしてあげるよ」
 底冷えのする目だった。璃劉は嬉しくなる。
 リヒトの周囲の風が急速に冷えていくのが判る。
「いくぞ」
 ネロが低く唸る。
 走った。
 枢機卿二人を守っていた男の一人が剣を抜く。ネロの細身の剣と剣がぶつかりあい、火花を散らした。
 剣を抜いた男二人が、リヒトと璃劉にも向かってくる。
 男一人の服が、ぼろぼろに裂けた。
 むき出しになった二の腕や肩口、胸にも赤い筋が走る。
 血は流れず、ぱくりと肉が口を開けている。
 璃劉は向かってきた片方に踵落としを食らわせた。
「流血沙汰はダメだぞ、ネロ」
「わかっているさ」
 ネロが頷く。男のみぞおちに膝を叩き込んだ。
「ごめんなさい」
 撫子が小さく謝る。
 一人の首筋に刀の柄を叩き込んだ。
 男が呻き、足元に崩れる。
「く、くそっ……」
 ウィルズ卿が真っ青になったり真っ赤になったりしながらそう叫ぶ。
 リヒトは彼に向かって一歩踏み出した。
 ウィルズ卿が背を向ける。ネロが追いすがった。
「殺すなよ」
「地下牢に放り込んでやる」
「……名案だ」
 リヒトは頷く。
 ネロと撫子が二人の枢機卿を追って走り出した。
 
 
×
霧が晴れていく。
 リヒトが真っ先に立ち上がる。壁に寄りかかっていたネロが続いてドアに向かう。
「気が早いなぁ」
「お前が言わないでくれよ」
 リヒトは目頭を指先で押さえてそう言う。優雅に紅茶など飲んでいたクロードが肩を竦めた。
 夜のクロードは、洒落たシルクハットに燕尾服、大きな宝石の握りがついたステッキという出で立ちだ。
 テーブルの上に置いてあった仮面を手に取り、目元だけを隠す。
「それじゃ行こうか」
「馬車を出します」
 控えていた御者風の女性が答える。すぐに部屋から出て行った。
「霧の時間って、本当に静かなんですね」
 撫子は窓の外を見ながら、そう呟いた。
「死に絶えたように音がしないな」
 璃劉が頷いた。
「それはそうさ。完全密閉した場所にみんなこうやって閉じこもってるんだから。この家はカーテンは開けてあるけど、締めてある家が殆どだからね」
「怖いんですね、霧の時間って」
「ああ」
 ネロが頷く。あまり怖いとは思っていない様子だが、生まれたときからこんな時間があれば、慣れもするのだろう。
「撫子さんは、ここで待って貰っていてもいいけれど」
 リヒトが振り返って言う。撫子は首を振った。
「わたくしも、アスラン猊下に会ってみたくなりました」
「そうか」
 リヒトが頷く。
 ドアから出て行った。
 
×

 中央公園は、微かにわだかまる霧の中に静かに存在した。
 霧が吹き飛ばされ、白いもやを微かに残している。恐ろしいほど静まりかえった空間に、不安そうな馬の鼻息が響いた。
「ぼっちゃま」
 女性がクロードに声を掛ける。クロードは馬車から飛び降りて、うぅんと伸びをした。
「先に帰っていてもいいよ。ここからだと、何かあっても逃げ込むのは教会が近いし」
「教会内に馬車は入れられないよ」
「ほら、リヒトも意地悪言うし」
「意地悪じゃないよ」
 従者の女性は素直に頷き、馬に鞭をくれる。
 馬車の足音が、ゆっくりと遠ざかっていった。
 ダウンタウンの方角から、人影が複数近づいてくる。
 アスランを守るように、一人の少年と二人の女性が、脇に侍っていた。
「アスラン!」
 リヒトは声を上げる。それに気づいたアスランが、ぱっと顔を上げて駆け寄ってきた。
「リヒト」
 アスランはリヒトにしがみつく。
 殆ど身長差のない二人は、しっかりと抱き合った。
「助けてもらったんだ、この方達に」
 しっかりとリヒトのマントを掴んだまま、アスランが付いてきた三人を示す。
 全員が「外」の人間のようだ。リヒトは一番年かさの女性に頭を下げた。
「猊下を守って頂いたようだ。このリヒト・サルカ、心から礼を言います。ありがとう」
「おかえり、猊下」
 近寄ってきたクロードが、明るい調子でアスランに言う。アスランは驚いたように怪盗紳士姿のクロードを見つめた。
「はぐれちゃって」
「いやいや、構いませんとも。その美貌がもう一度拝見出来たのですから」
「反省して」
 リヒトがきつい声を出す。クロードはリヒトには見えないように肩を竦めた。
 
「霧の時間に外に出るとはなっ」
 甲高い声が響く。
 一同はそちらの方を向いた。
 サーカスのテントの脇に、太り気味の男性が立っている。緋色の衣装を着ていた。
「……ウィルズ卿」
「抜け出したか」
 ネロが憮然とした調子で言う。
「枢機卿に逆らうような愚かなエクソシストはお前だけだぞ、ネロ」
「まあ、そうかもしれないな。枢機卿に出せと言われて出さないワケにもいかないか」
 リヒトが溜め息を吐く。
「まだ、何か? ウィルズ卿」
「お前達には、ここで死んで貰う」
 太った腹を揺らし、ウィルズ卿は笑った。
「霧の時間に外に出ていては、法王猊下も死ぬしかあるまい!」
 ウィルズがさっと手を挙げる。
 耳をつんざくような吼え声が、中央公園に響いた。
「召還獣か」
 リヒトがアスランを抱きしめて言う。
 二体の魔物が、一同を睨みつけていた。
「一度、痛い目を見なければわからないみたいだね」
 リヒトが低い声を出す。
「いいわよ。あなたたちは猊下を守って」
 明るい声を出したのは鏡花だった。
「ここの人が枢機卿に逆らっちゃまずいなら、私がやるわ」
「イイトコ取りだな」
 璃劉が低い声で笑う。
「オレも少し暴れたいところだ」
「では、わたくしも」
 撫子も凛とした声を出す。
 ネロが撫子に向かって剣を一本投げた。
「お借りします」
「好きに使え」
「はい」
 撫子は頷いた。
 
×

 鏡花は、体内に埋め込まれた寄生装甲を展開する。
 装甲が全身を覆うのと、巨大な魔獣が目前に迫るのとが同時だった。
 魔獣の鼻先に鏡花は蹴りを繰り出す。魔獣は跳躍し、それを避けた。
 口から炎の塊を吐き出す。璃劉が一瞬炎に包まれた。
 璃劉が上着を脱ぎ捨てる。ばさばさと軽く全身を叩くと、火は消えてしまう。
「少し熱いな」
 余裕のある様子で、璃劉がそう呟く。
 横合いから、撫子が飛び出した。
 身体を低くし、細身の剣をすくうようにして振り上げる。
 魔獣の肩口に切っ先が潜る。
 赤い血液が煉瓦の大地に広がった。
 獣が咆吼する。
 撫子は素早く後退する。
 獣が鏡花に突進してくる。
 眉間を狙い、鏡花は拳を叩き込んだ。
「三人がかりでやるほどのこともないか」
 璃劉が呟く。
 上着を獣に投げつける。
「お返しだ」
 獣が炎上した。
「グォォォォォオオオオン!」
 獣が絶叫し、煉瓦の大地を転げ回る。火は毛に絡まりつき、いつまでの獣の肌にまとわりついて離れない。
 肉と毛が焦げる嫌な臭いが周囲に満ちた。
「……まずいよ」
 クロードの声が響く。
 鏡花は周囲を見回す。
 霧が、再び発生しようとしていた。
 しかし、獣がまだ生きている。鏡花が獣に視線を投げた瞬間、霧が迫ってきた。
 霧の中から、無数の細長い手が見える。鏡花達を掴もうと伸びてくる。
「走れ!」
 リヒトが叫んだ。
「教会までだ!」
 走り出そうとした撫子に、獣が飛びかかってくる。
 撫子は身体を屈め、その攻撃を避ける。
 これでは走っていけない。
「ちっ」
 獣は焼けただれた臭いを発散させながら、璃劉に向かってゆく。
 璃劉の手が、獣の頭を掴んだ。
「女は見るな」
 ネロの手が、すんでのところで撫子と鏡花の視線をそれから逸らせる。
 ばん、と何かが爆ぜる音がした。
 獣の頭が弾けた様子を想像し、撫子は気持ちが悪くなる。
 ネロの手が、撫子の腰を掴んで抱き上げた。
「お前は足が遅そうだ」
 走り出す。
 後から、璃劉達も走ってくる。
 先頭を、アスランを庇っているリヒトとクロードが走っていた。
 
×

 一同は教会の中に飛び込む。
 ネロが乱暴に教会のドアを閉めた。
 霧が、ほんの少しだけ内側に入り込んでくる。だが、それもすぐに消えた。
「はあっ……はあっ……はあっ……」
 今にも倒れ込みそうな様子で、アスランが荒い呼吸を繰り返している。
 リヒトがその肩をしっかりと抱いていた。
 ドンッ!
 扉が乱暴に叩かれる。
 一同が身構えた。
「た、助けてくれ! 助けて下さい猊下! 霧が……霧が!」
 ウィルズ卿の声だ。
「リヒト、入れてあげなくちゃ」
 荒い吐息の間に、アスランがそう言う。
 リヒトはしっかりとアスランを抱きしめ、その髪を撫でた。
「気にしなくていい。ネロ、5カウント」
「5」
 ドアをしっかりと押さえたまま、ネロが無表情な声で言う。
「4」
「あ、開けてくれッ! 死んでしまうッ! 猊下ー!」
「3」
「リヒト……」
「2」
「いいぞ」
「1」
 ネロが扉を開き、外側にへばりついていたウィルズ卿を内側へと引っ張り込んだ。
「0」
 扉を再び閉める。
 濃密な霧のカケラが、一瞬漂い、溶けた。
 ネロに引っ張り込まれたウィルズ卿が、ばたりと床に倒れる。
 同時に、アスランも目を瞑って脱力した。
 
「おかえり、猊下」
 リヒトが心底安心したというように呟く。
 しっかりと法王を抱えたまま、天井を見上げた。
 霧の合間から見えていた月が、天井のステンドグラスから見える。
 ゆっくりと、霧が月を押し隠す。
 リヒトは目を閉じた。
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 0852 /  岬・鏡花  / 女性 / 22 /特殊機関員
 0781 / 帝仁・璃劉 / 男性 / 28 / マフィアのボス
 0328 / 天薙・撫子 / 女性 / 18 / 大学生(巫女)

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■         ライター通信          ■
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「至宝の行方」をお届け致しました。

御崎鏡花様。
市街地をバイクで走って思い切り目立ち、謎の男性に目の前に立ち塞がられてみるというカンジでしたが、ご満足頂けたでしょうか。今回は戦闘員さんが多かったので、活躍の場が非常にバラけてしまいました。NPCも実戦向きでしたし(汗)楽しんで頂けたなら幸いです。ご参加アリガトウございました。