|
ブルーガーデン
(シナリオ名:『誘う青』よりノベル化)
<オープニング>
九月の夜天には十六夜の月があった。
深夜の日比谷公園、大野外音楽堂。
白石の舞台にSTEINWAY&SONSのコンサート・グランドと一人の青年がいる。
青年が鍵盤に片手をおいた。
しんとした闇にピアノの和音が響く。
ヴェルディの歌劇だ。
ピアノが歌いはじめる。
“八月の白い花は
いくつの美しい嘘をついているのだろう
わたしの愛するあの人が
死んでしまったのも見ているだろうに
その悲しみさえ知らないふりをして
咲き誇るのだから・・・”
ふと、曲がとぎれた。
青年は立ち上がる。
白石の舞台の中央に、なにかを見たから。
(月光?)
舞台に蒼く光る環。
闇にひっそりとうかびあがっている。
青年はピアノからはなれ、その環の淵に立つ。
その環は蒼い水面のようにゆらめいている。
青年が誘われるように足をふみだすと。
まるで深い井戸のように青年の体をのみこんだ。
声さえなく青年は消えた。
後の舞台にはピアノだけがのこされている。
<ライブラリー・カフェ>
東京を秋嵐がふきぬけていく。
樹健太が空を見上げると、空の高層にすじ雲がたなびいていた。
時期は9月の半ばであり、すっかり秋の空気である。
「時間に遅れそうだ」
健太はあわてていた。
現在、草間興信所でアシスタントのアルバイトをしている。
担当のシュライン・エマと会うため、待ち合わせをしていたのだが、
その時間に遅れそうだったのだ。
場所は地下鉄日比谷線の出口のほど近い、カフェである。
目抜き通りを一筋、入った静かな通りがあった。
白い鉄筋コンクリート2階建てビルが見える。
この建物が約束の住所なのだ。
大きな看板はない。
しかしガラス窓に白いマーカーでside;bとある。
目的地だった、1階は観葉植物店で2階がカフェであるらしい。
外づけの階段を上り、木のドアを開けた。
静かな店内だった。
大きな窓、壁際には天井までの書架があり、
グラフィックの洋書やヨーロッパのファッション誌が気軽の読めるようになっている。
部屋の中央には大きく長いローテーブルがある。
ちょうど学校の図書室のようだ。
その店の窓際で、エマが軽く手をあげた。
「こっちよ、」
「すみません、遅くなってしまって」
「かまわないわ、依頼者もまだ来ていないもの。
それにこの店ならば私も飽きない」
黒縁テーブルにはA3版のフランス語のハードカバー。
エマはライターでもあるのだった。
文章の栄養になる書籍がこのカフェにはさぞ多いだろうと思われる。
「都市怪談と呼ばれる話は多いけれど、
また今回も不思議なお話ね」
エマはジェイ・ブルーの瞳を上げた。
ロングヘアを金のバレッタで頭の後ろにまとめている。
シェルエッグのVネックニットに黒いスレンダージーンズ。
ラフな服がいつも似合う人物であった。
健太がむかいのイームズのアームチェアにすわる。
店員が注文をとりに来たので、黄金桂茶をホットで頼む。
もうあたたかいお茶が美味しい時期なのだ。
「日比谷公園で人が消失をしてしまうというお話ですね。
今回の依頼者も、仕事仲間のピアノ奏者の青年が消えてしまったので、
探し出してほしいという事でした」
「日比谷公園か。
古い公園であるし、なにか過去があるのだと思うわ。」
今回の行方不明事件の噂を総合すると、以下のようになる。
まず夜、日比谷公園にある野外音楽堂に異世界への扉が現れる。
その扉は白石の舞台に現れ、青い輪の姿をしている。
そしてその輪に足を踏み入れた者は異世界へのみこまれ、
こちらには戻ってくることができない。
いずれも月のある晩に事件は起こる。
「誰かが人をさらうために悪意で行ったことでしょうか。
それならばオカルトの研究者を探した方が早いかも」
「結論が早すぎるわ。
もう少しゆっくり考えてみましょう。
まず日比谷公園の歴史からよ」
その時、店員が黄金桂茶の器をトレーで運んで行った。
白釉の湯呑に金の茶が湯気をたてている。
その茶をとにかくすすってから、エマを促した。
「あの公園は明治36年、西暦では1903年に開園した日本初の西洋式公園よ。
大花壇や噴水もある公園は、当時、皆無だったの、珍重されたわ。
その後の時代は都心に樹木が少なくなってしまい、
木々の多い日比谷公園は大切にされている、都会のオアシスね」
エマはつづける。
「けれどそれ以前は、その土地に何があったのかしら」
「何って?」
「都内の公園は、はじめは華族や士族の庭園であった場合が多いわ。
徳川藩士であった柳沢吉保の六儀園から港区の乃木公園は旧軍の将軍まで、
ほとんどが名士の所有物であったの。
その後、寄付されて公園になった。」
「なるほど。それならば日比谷公園も、以前は何か別のものであったわけですね」
「そうだと思うわ。
謎の青い輪がオカルトのような人工物であったとしても、
その場所に以前、何があったかで正体がわかるのではないかしら」
日比谷公園の過去を調べよう、という点で話がまとまった時に、
新たな来店者があった。
待ち人の依頼者の少女である。
久樹リサという。
リサは歌手なのだ。
<ビューティフル・バード>
久樹リサはイームズチェアに深く腰を下ろした。
ふわふわの髪も瞳もセピア色だった。
全体の色が夢のようにあわいイメージがある。
年は15歳、清楚な美少女だ。
Tenga.Asumaというデザイナーハウスの白いパフスリーブのブラウスに
オーベルジーヌのフレアーワンピース。
靴は磨かれた黒のラメである。
セピアの髪は白いオーガンジのリボンに黒のベルベットをかさね、
ふんわりと結っている。
久樹リサは、開口一番に言った。
「お金なら、いくらでも払うわ。
早く銀原さんを探し出して頂戴」
言ったきり、運ばれたピーチアプリコットの香茶に心をうつし、こちらを見ない。
いくら依頼者であっても、ずいぶんな態度だ。
リサは健太も知っているほどの歌手で、すでにCDアルバムを何枚も発売し、
そのすべてがロングセラーになっている。
コンサートのチケットも、即日完売することで知られている人気歌手だった。
しかし礼儀がない。
思わず健太はエマを見たが、エマはこの少女を面白そうに観察している。
「わかったわ、探してあげる、リサの大好きな銀原さん」
エマが言ったら、リサが白磁器のレースカップ、音をたてて置く。
顔を赤くしてエマを見た。
「好きだから探す依頼をしたのではないわ!
仕事であの人のピアノが必要だから、それだけよ」
それだけよ、と言うものの、すっかりリサは不意をつかれてしまい、
ワンピースの布をいじっている。
そういう様子がとてもかわいらしい。
「銀原さんが消えた日のことを、話してくれるかしら」
こく、とリサがうなずいた。
すっかり大人しくなっている。
それとも本当はこちらが自然なリサなのだろうか。
大人ばかりの場所で仕事をするから、つい強い様子に出てしまうのかもしれなかった。
リサが銀原の写真を預けた。
物静かな青年がそこにいる。
<消えたピアニスト>
「銀原さんが消えたのは、先週の十六夜の晩。
日比谷公園の野外音楽堂の舞台でピアノの練習をしていたのだと思う。」
その舞台で、来週、リサのコンサートがあるのだという。
銀原はそのためのリハーサルのために、深夜の時間をピアノの練習のために通っていたという。
公園の管理事務所には許可を得ての事だった。
「いつも午前零時前には、ピアノと舞台の鍵を帰すために管理事務所に来るのだけど、
先週は来なかったのですって。
不思議に思った管理者が、舞台に行ったら、ピアノはそのままで銀原さんはいなかった」
以後、本日まで銀原は行方不明になっている。
「私も銀原さんも、日比谷公園の行方不明の怪談は聞いていたわ。
だから危険だって止めていたのに、銀原さん、いつも練習に通っていて」
リサの声が細くなった。
「その銀原さんは、とても久樹さんの歌を大切にしていたんだね。
だからピアノの練習も熱心だった」
リサがうなずく、きっと責任を感じているのだ、表情が重い。
無言で思考をしていたエマが言った。
「とにかく日比谷公園の過去を調べるわ。
すべてはそれからね」
エマがそう締めくくり、今回の顔合わせは終わった。
久樹リサはどうか頼みます、と依頼をして、店を出て行った。
見ると店の外の路面にはパーリーホワイトのBMWが止められている。
これからまたリサは仕事なのだろうと思われた。
<過去>
健太がエマに連れられてむかったのは、永田町であった。
地下鉄半蔵門線の出口の最寄りにある。
すぐ右手に国会議事堂があり、左手には国立国会図書館があった。
「永田町に来るなんて、小学校の社会科見学以来ですよ」
「私も議事堂には行ったことはないわ。
用事があるのは、あちらよ」
エマが指をさすのは、国会図書館の建物であった。
エントランスで身分証明を済ませてから入館をすると、高いふきぬけの空間があった。
黒い石床に赤いウレタンのシステムソファが組まれている。
本など一冊もない。
図書館というよりも、美術館のようだった。
窓に面した庭園にはブロンズの彫刻がある。
「本は地下の書庫にあるの。
ここではカウンターで請求をして、現物を地下から出してもらうのよ」
エマはすぐにカウンターにむかった。
そこの司書とはすでに顔見知りらしい。
挨拶をして、本の請求番号を検索、すぐに取り寄せを依頼した。
いつものことながら、時間を無駄にしない人だと思う。
数分後、目的の書籍が取り寄せられた。
A3版ほどのうすい印刷物だ。
保存具合はいいようだけれど、ずいぶんと古い。
版権元は日本陸軍。
「明治期の日比谷の区史よ。
ごく大雑把な地図で詳細はないけれど、参考にはなるわ」
エマが頁を開いた。
そこには約100年前の区地図が掲載されている。
現在と道路や空地の幅は異なるけれど、それほど今と変わってはいないようだった。
そして日比谷公園のあった土地の地図があった。
その土地は公園ではなかった。
陸軍練兵場とある。
「なるほど、あれだけ広い土地が都心にのこされていたわけだわ」
その連兵場以前は、長州藩の屋敷があったのだという。
エマはそれから手持ちの日比谷公園の地図と連兵場の地図を合わせてから、
別の本を請求した。
今度は陸軍秘史局、という表紙の古い官報である。
「秘史局?」
「この日比谷の連兵場と野外音楽堂の地図を重ねると、
この秘史局の建物があるわ」
「その秘史局は何をしていたのですか?」
「古代の日本から伝わる遺跡の研究と、その兵器への応用」
「オカルトでないですか、それ」
「当時は大真面目だったのよ」
エマは官報をめくっていたが、その手を止めた。
健太に頁を見せる。
そこにあるのは、銀の円盤のようだった。
「これは古代の鏡よ。弥生期の物のようね。
この頃は呪術や祭祀、権威の象徴として鏡がもたれていた。
顔はほとんど映らないけれど、背面には幾何文様や霊獣が彫刻されていて、
美術品としても第一級の価値があるわ。
あの邪馬台国の卑弥呼も鏡を用いていたという説がある」
この鏡は瑠璃鈿鏡という名があるという。
「その鏡は何のために研究をされていたのですか?」
「この世界と異なる世界を結ぶ入り口になるもの・・・、と記されている。
その鏡の力を発現するためには、月の光が必要だ、とも」
思わずエマを見返してしまった。
「どうやら行方不明者の消失した理由がわかってきたわね」
「でも!元のこちら側の世界に戻るにはどうすればいいのでしょう」
「あわてないでよ、きちんと記録がされているわ。
鏡を日光にあてれば、その反射光が扉となり、人は戻ることができる」
とにかくその鏡を探すことが、次の課題のようであった。
エマは資料を返却する。
すぐにタクシーで健太と共に日比谷公園へむかった。
エマはその車中で、ハンディフォンのメール機能で、どちらかへ送信をしている。
「西荻窪アンティーク・ストリートの佐野さん、ほら、頑固屋さんよ」
言われて思い出した、以前、エマと調査を行った時、
行方不明のブローチに関する情報を提供されたのだ。
佐野は東京の古い物に関しての博識である。
そして間もなく、メールの返信があった。
ハンディフォンの小さな液晶画面を一読して、エマがうめく。
「まいったわね」
「はい?」
「灯台下暗し。鏡のありかがわかったわ」
そしてタクシーは日比谷公園の入り口に停車をされた。
<日比谷公園>
日比谷公園の植樹も秋をむかえていた。
泰山木も大輪の白い花を咲かせている。
その白い花の間の歩道を野外大音楽堂へとむかった。
もう日没の時刻で、太陽が低い。
今日は催し物がなにもないのだろう。
人の姿はない。
すぐに目的の音楽堂へたどりつくことができた。
小さいがきれいな会場だった。
客席数は450席、舞台は白石作りで、天井はきちんとした反響板の屋根がある。
エマは木製ベンチの間の通路を歩くと、舞台へ片手で飛び乗った。
健太もあわててつづく。
「あったわ」
エマは舞台の壁際まで歩いて行った。
エマは天井の高い部分を見つめている。
健太も見上げた。
そこには、先程の官報で見た物と同じ銀の円盤がある。
エマがハンディフォンの画面を眺めながら言った。
「佐野さんの情報によれば、この日比谷公園も昭和の空襲で被害にあったらしいの。
その跡地を整備している時に、古代の瑠璃鈿鏡が発見をされたそうよ。
その後、この音楽堂を建てる時に、この鏡を記念に供えたのだって。
記念碑と同じね」
「この鏡が異次元の扉を作っていたのですね」
エマはうなずき、舞台から空を見た。
ちょうど西の空が見えた。
「あちらから月が上がってくるでしょう、そしてこの壁の鏡に月光が反射をする、
そして床の反射光が青い輪となり、異次元への入り口ができる、そんなところよ」
「なるほど・・・、あと、行方不明の人を出してあげなければ」
「わかっているわ」
エマは床に爪先立ち、壁にかけられていた鏡をとりはずした。
そして舞台の淵に立ち、沈みかけた日光を鏡に集めた。
月光と違い太陽光は、この舞台の奥まで光がとどかないのだ。
「見て」
エマの持つ鏡の反射光が、通路の床に白い輪をつくった。
そしてすうっ、と人影がうかびあがった。
そこに座り込んでいたのは、リサに預けられた写真の人物である。
ピアニストの銀原だったのだ。
<エンディング>
後日、日比谷野外音楽堂。
今日はこれから久樹リサのコンサートがあるのだ。
舞台にはSTEINWAY&SONSのコンサート・グランドが上蓋をあけて支度をされている。
樹健太は一列目の客席にいた。
となりにはエマがいる。
ピアニストの銀原を救出した礼にと、久樹リサに特等席で正体をされたのだ。
「しかし銀原さん、無事にこちらに戻ってくることができてよかったですね」
「本当に。
でも笑ってすまないこともあるわね。
あちらの世界へ行ったほとんどの人が、こちらに戻りたがらなかったなんて」
瑠璃鈿鏡でこちらの世界への扉を作ったのだが、
意外にも戻ってきたのはごく数人であった。
銀原の話によれば、あちらは永遠に静かな月夜の世界なのだという。
その静寂に癒され、あちらで暮らしたいと望む者の方が多いのだった。
エマはその言葉を了解し、無理にこちらへ人々を戻そうと思わなかった。
そして鏡は貴重な物であったから、上野のゲスナー・ミュージアムへ寄贈された。
館長へ鏡の秘密を伝え、時折は太陽光で扉を作り、
異世界の人々がこちらへ帰りたいようであれば、戻してあげてほしいと依頼をして。
「銀原さんによれば、
陸軍で瑠璃鈿鏡を研究していた学者も、あちらで暮らして天寿を終えたようですよ。
あちらは戦争もなく、きっと理想境なのでしょうね」
「あら、どちらがユートピアかなんて、人によって違うわよ。
だって銀原さんにとっては、こちらがユートピアなのだから。」
健太はうなずいた。
その時、会場で拍手がおきた。
舞台のピアノには、銀原がいる。
そして正面には薔薇色のフレアドレスのリサがいる。
天使のようだった。
銀原にとっては、リサのいる世界が理想境なのだ。
END
|
|
|