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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・名も無き霧の街 MIST>


至宝の行方

------<オープニング>--------------------------------------

 神に祈る気持ちとはまさにこのことか。
 敬虔な信者であるヒルベルト・カーライルは、机に両手を置きぴくりとも動かない。深く眉を寄せ美貌を歪めている。その様子は荒行に耐える修験者のようでもあった。
 国の至宝とも謳われる微笑を持つ法王。アスラン・イヅスの姿が消えたのである。
 血相を変えた教会のシスターが、ミスト・ガーディアン−−−MGの本部に駆け込んで来たのが午後の三時。
 ヒルベルトは朝の祈り会でアスランの姿を見た。
 普段通りさざやかな声で聖言を唱え、人々の祈りを天井へと送り届けていた。あのアスランが……。
「猊下……どうかご無事で……」
 胸に秘めていた思いが、唇からあふれ出す。
 祈り会は早朝、午前五時に行われる。
 その空白の時間。まだ幼い法王猊下はどうしていたのだろうか。
「ヒルベルト様、申し分けにくいことが……」
 ぴしりと白を基調に、金のアクセントの利いた軍服を着こなした、MGの隊員が部屋に入ってくる。短く整えられた黒い髪をぴしりと撫でつけた男だ。
「アスラン様の寝室から怪盗紳士の予告状が発見されました」
「内容は」
「至上の輝き頂戴致します。以上です」
 近隣を騒がせている怪盗紳士。そのスマートな手口から一般人にファンまで持つという。一般人とは始末に終えない。規律による平和に満足せず、カオスの中にあっては規律を望む。
「奴は犯行前に必ず予告状を出す。なぜ今になって発見される……」
「失礼します!」
 隊長室に青年が走り込んできた。肩が荒い呼吸で上下している。
「教会側が捜索を開始したようです」
 ゆっくりとヒルベルトは立ち上がった。
「法王猊下は我々の手で必ずお助けする。遅れを取るな!」
 どうかご無事で。
 ヒルベルトは何度目かの祈りを捧げた。
 神と人との間におわす法王の不在。この祈りは空まで届くのだろうか?



「それでお終いかな、ユミラ」
 リヒト・サルカは静かに手を挙げ、ユミラの言葉を終わらせた。
 法王アスランが消えたことに気づいてから、一時間が経過しようとしている。その間に教会内はおろか、法王庁全体からリヒトの私室、侍女の宿舎のシーツまで剥がして捜索させたが、アスランは見つからなかった。
 アスラン付きの女官であるユミラから子細な報告を受け、リヒトは椅子から立ち上がった。
「リヒト様?」
 真っ青な顔でユミラも立ち上がる。
「ユミラ、上着を」
 リヒトは短く命じた。
 ユミラは部屋の隅にすっ飛んでいき、リヒトの丈の長い上着を抱えてくる。
 袖を通させた。
「ミスト・ガーディアンに通達を。アスラン猊下をお探しする」
「外へ、出られるんですか……? リヒト様」
「ああ。もう内部に隠れてらっしゃるとは思えないからね」
 リヒトは目を瞑る。
 至宝と呼ばれるアスランの微笑みを……取り返さなくてはならない。


×


 天窓からさらさらと午後の光が落ちてくる。光の柱の中にきらきらと小さな羽のようなものが舞っていた。龍堂玲於奈が一歩動くたび、羽のダンスはリズムを変える。
「よいしょっと……」
 積み上げられていた本を動かし、咳き込んだ。無数に埃が上がりカビの臭いが鼻を突く。
「すごいね……どれぐらいぶりなんだい?」
「三年はしていなかったと思います……」
 部屋の反対側では、サーニャが口元にハンカチを当て、窓の埃を拭き取っていた。雑巾の吹いた面を玲於奈に向ける。
「真っ黒です!」
「はいはい」
 例の如くふらりと教会を訪れると、なにやらサーニャが右へ左へと忙しそうにしている。教会の屋根部屋の掃除をしているというので、手伝いをかって出たのだが。向こう側と違い掃除機もない。かなりの重労働だった。
「本は虫干しをしましょう」
 玲於奈が整えた本の山を、サーニャが持ち上げる。
「重いよ?」
「大丈夫でっす……あ、きゃっ!!」
「そう来ると思った」
 倒れそうになったサーニャを片手で支える。
「庭に並べとけばいいだろ?」
 彼女が持てなかった本を片手で持ち、玲於奈はウインクを一つ。それから下へと続く階段を降りていった。
「ご苦労様です」
 礼拝堂へ降りると、この教会の主である老婆マリィが居た。瞳の輝きは若さを止めているが、杖なしでは歩けないほどの年。ゆっくりと並んだ長椅子を雑巾で拭いている。
「後でお茶にしましょうね。カズンが色々持ってきてくれたんですよ」
「カズン?」
 先日の財布スリ事件を思い出した。カズン・ハッシュは玲於奈の顔を見て、すぐに財布を返した。サーニャに返さなかったのはからかい半分だったのかもしれない。この街と日本では通貨が異なるらしく、中身に興味がなかったようだ。
 褐色の肌に光を集めたような銀髪、くるくるとよく動く瞳。度々教会に顔を出す。何度か言葉を交わしたこともあった。教会は憩いの場でもあるらしい。ダウンタウンの人々も神を愛しているのだろう。
「それって盗んできたものじゃ……?」
「本人はそう言っていますけれど」
 マリィは瞳を動かした。笑みに細めたのか、悲しみに伏せたのかはわからない。
「……マザー?」
 教会の入り口から、今にも消えそうな問いかけが流れてきた。
「ユミラですか?」
「マザー……っ!」
 ぱっと少女が走ってくる。マリィに跪き、はち切れたように泣き出した。ダウンタウンには珍しく上等な布を使った洋服を着ている。禁欲的な長いスカートを履き、全身をローブで覆っている。顔もフードで隠していた。
「どうしたんだい」
 近くの机に本を置き、玲於奈はマリィとユミラを見比べる。マザーと呼んでいたが、マリィの娘だろうか。それにしては年が離れている、十八歳ぐらいだろうか。
「ユミラ?!」
 騒ぎを聞きつけたらしく、サーニャが出てくる。そして、少女の肩を揺さぶった。
「駄目じゃない! 早く戻って!」
「でも……法王様が、法王猊下が……」
「人に見られたらどうするの?!」
「サーニャ、落ち着きなって」
 手を上下させ、玲於奈は合図を送る。不満げな色を残しつつ、口を閉じた。
「お茶を用意してくださる? シスター・サーニャ」
 マリィに頷き、席を外す。玲於奈もサーニャに続いた。何かあったようだった。


×


「彼女は?」
 台所に、お湯が沸くしゅんしゅんという規則正しい音が溢れる。玲於奈はティーポットを洗い、中に茶葉を入れた。カズンが持ってきたというクッキーをサーニャが用意している。
「ユミラ。私の友達で、法王庁で猊下付きの女官をしています」
「そんな貴人がよくここまで」
「何かあったのでしょうね……」
 曇った横顔。玲於奈はわざと軽い調子で続けた。
「よければ聞かせてくれないかい?」
「彼女と私は、昔、聖アルア教会で修行をした仲です。彼女は才能に溢れ、女官になりました。私はアルアよりもマリィの信念に惹かれ、教会を出ていった人間です。一緒に居るべきではないんです」
「エリートシスターと破門されたシスターってことかい」
 こくりと頷く。玲於奈は湯をポットの中に注いだ。
「アルアは何もしてきませんが、我々の教会を憎々しく思っています。我々との交流がしれたら、彼女も……」
「街に慣れたといってもその辺はまだわからないね。同じ宗教なんじゃないのか?」
「玲於奈さんの街では、様々な宗教が肩を並べているそうですね……信じる神は同じでも、向いている方向が違うというか……アルアの偉い方は神を金儲けの道具としてしか見ていません。そんなの許せない」
 だから老婆のマリィと若いサーニャ、たった二人しかこの教会にはいないのか。一度だけ聖アルア教会に行ったことがある。観光名所でもあるらしく、カズンに案内されたのだ。絢爛な装飾が施されたアルアから、この傾きかけた教会に移動してきた二人の並々ならぬ決意。
「どこも大変なんだね。あたしも知ってるよ、信者から金を絞りとって喜んでる馬鹿教祖とかさ」
 ポットからカップにお茶を注ぐ。紅茶だったらしく、赤い。紅というよりは透明な血のようだった。カップの中でくるくると渦が巻く。
「宗教は水のようなものですからね」
 紅茶の水面を眺めながら、サーニャは零した。

×


 四人はお茶を囲みながら、会話を持つことになった。マリィの話では、玲於奈の助けが必要かもしれないということだ。よそ者の玲於奈も日がたつほどに彼女達からの信頼が強くなっている。困ったことがあったら、まず彼女に、なんてサーニャが言うほどだ。
 筋肉隆々で肉食獣のような玲於奈に、ユミラは戸惑い気味だった。が、玲於奈の瞳に称えられた優しく包むような、女性特有の光を見出し口を開いた。
 ユミラはこの街で絶大な影響力を持つ宗教の体現、法王が失踪したことを語った。頂点がさらわれるなど教会の汚点。ユミラが話すということは、玲於奈を信じると決めたのだろう。
「で、法王を捜せばいいのかい?」
「そうです」
「法王っていってもまだ子供だろうからね。逃げ出したくもなるだろうに」
「……違います」
 頭の上に?マークが出る玲於奈。
「法王猊下が教会を抜け出すのは、予め決まっていたことなのです」
 繊細な作りのユミラの美貌が曇る。
 法王庁では、以前からアスランを廃して新しい法王を掲げようとする動きがある。理由はアスランが自分の意見を持つようになったこと、人気がありすぎることだ。傀儡ではない法王は必要ないと、数人の枢機卿が暗躍するようになった。教会への人気の集中を苦々しく思っていた、王族側の貴族と結びつき、力を強めている。
 それらの手から離れさせ、アスランに休息を取らせる、というのが今回の目的だったらしい。命の危機を日々感じる生活は、重いストレスとなる。毎日薄い氷しか張っていない海を渡っていたような気分だったのだろう。
「怪盗紳士の予告状は?」
「リヒト様が怪盗紳士に依頼をしていたのです。法王のご休息に同行し、身を守るとことを。世間的に法王が脱走するわけにはいきません。不在が私たち、一部の人間以外に知られた場合、あの予告状を発見するという手はずになっていたんです」
 リヒトと言えば、法王直属の部下だと聞いている。
「で、なんで泣いてたんだい」
「……」
 また、ユミラの蒼い瞳から涙がぽろぽろと落ちた。
「猊下は……姿を消してしまわれたのです。紳士様とはぐれてしまったようで……」
「とんだ手落ち」
 ふーっと玲於奈は溜息を落とした。
「はぐれたのか、はぐれさせられたのか……何にせよ法王を見つけて法王庁へ戻すまで、あんたは安心出来ないんだね?」
 思い切り頷く。
「お礼は、私の出来る限りでしたら……」
 これはもしかしたら。
 教会同士のいざこざの突破口になるかもしれない。普段から世話をしてくれている−−−しているのかもしれないが−−−サーニャたちへの恩返しになるだろう。
 それに。
 この献身的な少女が法王のために胸を痛めている。陰謀渦巻く教会内で、どれほど彼女が戦ってきたのか、法王を守ってきたのか。考えてしまうと、手を差し伸べずにはいられない。
「法王ってのはどんな人なんだい?」
「才知に溢れ、慎ましやかで……人に嫌われるような方ではありません。どうしてあの方を殺そうと思えるのか、不思議でなりません。あの方はそう……人知れず深い森の中に佇む、湖。受動的で穢れを知らず、優しく包み込むよう。風を受けゆったりと波うつように物腰静か愛に溢れ、他者を傷つけない。人は乾いた動物のように、彼の方の慈しみを受け、癒され潤い……」
 玲於奈はユミラの前に手を出し、言葉を止めさせる。ノンストップで賛美しそうな勢いだった。


×


 まずいかもしれない。
 玲於奈の印象はそれだけだった。法王と怪盗紳士がはぐれてしまった場所が、ダウンタウン、しかもその中でもとびきり治安の悪い場所だったのだ。
 マリィの教会から廃マンション群は比較的安全な場所だ。カンデンツァと呼ばれるストリートキッズチームのテリトリーなのである。リーダーはカズンであり、主に市街地での窃盗で生計を立てている。その他ダウンタウンの何でも屋もしているらしい。
 法王が消えた場所は歓楽街。怪しげな店が軒を連ねている場所だ。スクリューという売春や麻薬の売買を主としているチームのテリトリー。ギャング予備軍のような子供がわんさかいる。子供特有の無鉄砲さと残酷さがある分、大人よりも始末に終えない。
 スクリューの人間に会ったことはない。カズン経由で良からぬ噂ばかりが耳に入る。情報は有るので道に迷うことは無かったが、一歩進むごとにどっしりと圧し掛かるような空気を感じた。
 すえた匂いが充満する店と店の間には、まだ幼さを残す少女達が立っている。いわゆるタチと呼ばれる売春婦だ。ああやって客が来るのを待っている。売春婦以外女性はいないらしく、誰もかれもが玲於奈を不思議そうに眺めている。珍しいものでも見るような視線が肌に刺さる。
 突然、文字通り爆発するような笑い声が響いた。下卑た笑いだ。
 不信に思い騒ぎの中心へ移動すると、ゴミ捨て場の近くで喧嘩が起こっているようだった。黒や赤といったダーク系の服を着た青年が、円を作っている。円の中心には年端も行かない少年と、おびえた様子の青年がいる。少年は青年を守るように、敵を睨み付けていた。
「お仲間か」
 少年の服装と、ダウンタウンに似つかない気品のある青年。どうやら街の人間ではなく『外』の者らしい。知らずに迷い込んだのかもしれない。自業自得と言ってしまえばそれまでだが。
「出すモン出しゃ許してやるってんだろー」
 上手く呂律が回っていない。薬が頭まで回っているのだろう。
「五月蝿いな……」
 『外』の人間、しかも自分よりずっと年下の人間に見下され、黒服たちに怒りが走る。
「ぶっ殺してやる!!」
「ボキャブラリー少ないんじゃないの?」
 少年のその一言が引き金となり、黒服たちが襲い掛かる。黙っていられなくて、玲於奈は手近な男の肩を掴み、放り投げた。空を飛んできた仲間が身体に激突し、数人がふらつく。
 と、黒服たちが一人残さず倒れてしまった。
「あら?」
 何事もなかったように、少年は服の埃を落す。そしてちらりと玲於奈を見た。小学生かいいところ中学生程度だ。黒髪の一房だけが金色なのは、ファッションなのか生まれつきなのか。
「何か用? おばさん」
「助太刀しようかと思ったんだけどね、必要なかったみたいだ」
「ふーん。ありがとう。一応」
 一言少なくすれば、問題ない人生を送れそうな少年だ。
「……アスラン?」
 もう大丈夫だ、と言いたげに振り向いたが、先刻まで後ろで守られていた青年の姿がない。少年は回りを見、顔色を変えた。
「どこ行ったんだ。知らない? おばさん」
「ごたごたの間にどこかへ行っちまったんじゃないか。友達同士で観光かい」
 友達というのは年が離れているが、兄弟にしては似ていない連れだ。
「ってアスラン? アスラン法王?」
「ちょっとした知り合い」
「……探さなきゃやばいね」
「同感」
 少年が両手を肩幅に広げると、玲於奈の横を突風が幾筋も走り抜けた。
「あいつらが探してくれるとして。あんた誰」
「あたしは玲於奈」
「月斗」
 ぶっきらぼうな答えを、怒号が遮った。やられた黒服が仲間を呼んだらしい、十人ほどがナイフなどを手に走ってくる。
「面倒だねぇ」
 玲於奈は道に生えていた街灯をひっこぬいた。月斗が目を見張るのがわかる。金属製の街灯をバッドのようにし、まとめて七人を殴る。そして残っていた黒服に投げ付けた。
「ほら! とっとと行くよ、喧嘩はごめんさ!」
 促され、月斗は走り出した。黒服が発する罵りも追いつかないほどの俊足だ。
「マジぜってー殺すからなクソガキ!!」
「テメェらの顔覚えたからな!!」
「マワしてやるぜクソアマ!!」
 くるりと玲於奈が振り向く。
 黒服たちは黙った。


×


 御崎月斗は異能力者であり、十二神将を使役できるらしい。先刻横を駆けぬけた風はそいつらだったようだ。随分有能な生き物らしく、法王を見つけたら連絡をくれるそうだ。
 黒服連中に見つかったらまた喧嘩になる。玲於奈はいったんマリィの教会へ戻ることにした。月斗も同行すると言った。法王と友達関係らしく、心配そうに時折爪を噛んだ。
「お客様?」
 月斗を見、サーニャは嬉しそうに微笑んだ。おもてなしやお客が大好きなのだ。お茶を入れます、と台所へとんでいく。
 二人は長椅子に座り、教会の中央壁に飾られている神像を眺めていた。ユミラが神像に跪いて祈り歌を奏でていた。宗教語か何かだろう、意味はわからないが、心地よい歌声だ。
「観光かい」
「仕事」
「偉いね」
 法王を取り巻く状況を説明すると、月斗は苛立ったらしい。両足をぶらぶらと揺する。
「気に入らないな。枢機卿も、怪盗紳士も。いらなくなったら処分するだとか、仕事失敗するだとか」
「手厳しいね」
 玲於奈は様々な仕事をこなしてきている。護衛の難しさや世の中の成り立ちも知っている。が、月斗はそれで納得できないらしい。子供らしいえばそれで終わりかもしれないが、生来正義感が強いのだろう。そんなものだと訳知り顔で、すべてを流す子供よりはよほど良い。
「家出、つきあってやろうと思ったのに」
 月斗は法王ではなくアスランに触れから出る言葉なのだろう。本当に友達の心配をしている、友達の役に立ちたいと思っている。ただそれだけの横顔だった。
「!」
 音の方向へ兎が耳を向けるように、月斗が立ち上がった。教会に空気が渦巻く。十二神将が旅だったときと同じ質感の風。
「アスラン!」
 月斗の視線の先、教会の出入り口。先刻襲われていた青年の姿があった。法王も月斗を見止めたらしく、ぱっと笑顔を見せる。どさくさでわからなかったが、可憐な顔立ちだった。青年というには幼さが残っており、大人しそうだ。空気に溶けてしまいそうなほど繊細な線で描かれた、一個の花びら。そんな印象。
 と、すてんと転けた。教会の敷居につま先を取られたらしい。
「……痛い……」
 法王の隣に、『外』の人間らしき女性が立っていた。彼女が手を貸す。そうしなければ一生倒れていそうだ。
「ありがとうございます」
 愛くるしい微笑み。胸が高鳴った。恋愛感情ではなく、子猫や子犬がすり寄ってきたきたときのような、説明できないただ純粋な好意。玲於奈は体の奥底から喜びが溢れ出しそうになった。
 さすが、国の宝とも言われる法王。
 これほど美しく可憐に微笑む人間が、この世に存在したなんて。愛という字が人の形になったような、奇跡の法王。
「法王様! アスラン猊下っ!」
 歌をやめ、弾かれたようにユミラが駆け出す。
「よくぞご無事で……」
 ユミラは法王の手の甲に唇を寄せる。
「ユミラ? どうしてここに……」
 玲於奈が法王に近づくと、一緒にいた女性が間に立つ。守るようにだ。
「あんたも『外』の人間かい? 法王様の知り合いか、それとも……」
「璃音は私を助けてくれた方です。敵ではありません」
 法王の言葉に、ユミラが立ち上がる。そして何度も璃音に礼を述べた。
「無事でよかった、アスラン。襲われたりしなかったか? 枢機卿は?」
「僕もよくわからない……。ごめんね、月斗」
 どうやら法王は僕と私を無意識に使い分けるようだ。年下である月斗の前では僕と言っている。月斗とアスランは外見年齢の差こそあれ、月斗が保護者のようだ。
「襲われた? 枢機卿?」
「あんた、何も知らないのか」
「わたくしからご説明いたします……申し遅れました、法王庁で猊下様にお仕えしております、ユミラです」
「……そうしてくれるとありがたいわ」
「きゃっ!」
 全員の視線が、教会の奥へ流れる。ティーセットを盆に乗せた、サーニャが立っていた。
「……大変、ティーカップの数が足りないわ……」
「それだけで悲鳴を上げるんじゃないよ。何かと思うじゃないか」
「ごっごめんなさい!」
 玲於奈の注意に、シスターは頭を下げる。もちろん、盆からはティーセットが滑り落ちた。盛大にカップが割れる。
「あーあ……」
 呆れたように、月斗は漏らす。
 完璧にお茶は飲めないようだ。


×


 ことの流れをまとめながら璃音に説明し、玲於奈は最後に問う。
「何はともあれ、法王庁へ戻るべきだ。そうだね?」
「戻ったら殺されるかもしれないのに? 行かせられない」
「彼は法王なんだよ」
「俺の友達だ」
 お互い立っている場所が違うので、答えは出ないだろう。玲於奈は法王としての立場と義務、責任を重んじている。そして、アスラン自身がそれられに立ち向かうことを望んでいる。逆に月斗はアスランの身を案じ、危機へ近づけさせたくない。
「猊下、あなたはどうしたいの」
 黙りこくったままのアスランに、璃音はそっと声をかける。
「……僕は……」
 長い睫毛を伏せ、足下を見つめる。
「………」
 突然、玲於奈が椅子から立ち上がった。そしてうんと両手を上へ伸ばす。固まっていた背中の筋肉をほぐす動作だ。
「そう急がなくてもいいよ。どうせ霧の時間が近い。戻りたくても朝まで無理さ」
「霧の時間?」
「あんたら知らないのかい。この街には霧の出る時間がある。その間は魔物の時間、とてもじゃないけど出ない方がいい。わかったかい、月斗、璃音」
 子供に説明するような口調だ。月斗はへーっと声を上げた。
「そろそろ腹が減ったね……夕食はどうするんだい、サーニャ」
「手伝っていただけませんか? 今日は人が多いので」
 全員は快くその申し出を受け入れた。
 さぁ忙しくなる。
 シスター三人に、法王、璃音に月斗。自分はしかも大食である。食事を作るのも一仕事だ。
 玲於奈はサーニャとメニューを相談しつつ、台所へ移動する。
 冷蔵室代わりの地下室に入り、野菜や肉を運び出した。
「珍しいね」
 肉の固まりを見、玲於奈は笑う。
「それもカズンが持ってきてくれたんです」
「……どうしてそんなに、色々くれるんだ?」
 問いながら、なんとなくわかった。この教会には行き倒れ寸前の乞食たちもやってくる。シスターは迷わず食べ物を振る舞ってやるのだ。ここに送ることで、不特定多数の人々の血肉にしたいのだろう。玲於奈もその恩恵を受けた一人だった。
 以前、玲於奈がサンドイッチを食べていた時、カズンんは嬉しそうに見ていたものだ。玲於奈が市街地で買ってきたものだが、食べるものがあるのはいいことだ、と喜んでいた。
「あの子達世代は、親が飢饉で……だからでしょうね」
「手伝うことある?」
 地下室を月斗が覗き込む。
「タマネギ切ってくださいます?」
 キャンプみたいだな、と月斗は付け足し、網袋に入ったタマネギを受け取った。
「スープに肉、パンか。サラダも作るかい?」
「お願いします。私はお肉を焼きますね」


×


 教会の裏庭には小さな菜園がある。少しでも生活の足しになるようにだろう。表ある花壇の植物も、ほとんどが花が美しく食べられる植物だ。
 夕日が取り巻く庭を歩き、注意深く野菜を選ぶ。完全無農薬なので、虫が付いているのもある。夕日を実らせたようなトマトをいくつか取った。
「旦那にも食べさせてやりたいね……」
 やはりスーパーで売っている野菜とは比べ物にならない。固めだが、味がしっかりとしているのだ。見た目が悪いものも多いが、味がよければ問題ない。数個の野菜を籠に入れ、裏口から台所に戻ろうとすると−−−。
「見付けたぞ!!」
 性懲りもなく黒服青年団がいた。しつこさだけは天下一品のようだ。
 菜園と道の間には木で作られた高い柵がある。間から相手は見えるものの、入って来られない。
「あんたら、そろそろ霧が出るから帰りな」
 返事の変わりに、一人が玲於奈に石を投げる。それを片手で受けとめ、投げ返した。強烈な速球が頬にめりこみ倒れる。
「やりやがったな!」
 弱いのに向かってくるのは元気なのか若いのか。
「いい加減にしときなよ」
「勝つまでやめん!」
「……わかった、あたしの負けだ」
 ぱぁっと青年たちの頬が薔薇色になる。が、すぐさま怒りの赤に変わる。
「馬鹿にすんじゃねー!」
「出てきやがれー!!」
 また手に手に石を投げてくる。
「鬱陶しいねぇ」
 人数が揃っている分、強気なのだろう。折れることを知らない不屈の精神。
「うるせー!!」
 裏口から月斗が走ってきて、片手に握っていた皮剥きかけのタマネギを投げた。めちょっと黒服の頭にぶつかる。精神的ダメージが大きかったらしく、一時静まる。
「玲於奈、何の騒ぎだよ」
「昼間の連中」
「畜生! タマネギ投げられたのなんて初めてだぜっ!」
「投げたのも初めてだ」
 玲於奈にしか聞こえないほどの小さな声で、月斗も言う。
「食べ物は大事にしなきゃいけないよ」
「法王猊下がこちらにいらっしゃるというのは本当ですか?」
 目深にローブを着た、しゃがれ声の男性が、黒服をかき分けて前へ出てきた。
「馬鹿の情報も少しは役に立つようですね……法王庁の者です、お迎えにあがりましたとお伝えください」
「猊下がこんな汚い教会にいるとお思い?」
 男はほっほっほ、と老獪に笑った。
「わたくしは幼い頃より猊下にお仕えしていたもの。猊下のお考えは手の取るようにわかりますとも。さ、お伝えください」
「だから……」
 月斗が言葉を止め、振り返る。裏口の側に老人が立っていた。
「お邪魔いたします」
 慇懃に頭を下げる。
「伐折羅! 真蛇羅!」
 指先で印を組む。月斗の周りに突風が巻き起こり、巨大な犬と虎が現れる。二匹が大地を蹴ると同時に玲於奈も老人へ近づく。
「不法侵入だよ、爺さん!」
 玲於奈が細く枯れ木のように年老いた体に、鉄拳をお見舞いする。空気を殴ったような手応えのなさに、手を引いた。
「ほほほ……なかなかおやりになる」
 老人の左手の甲が二匹に向けられると、壁が現れたように犬と虎が後方へはじき飛ばされる。
「何をしているんですか!」
「おお、猊下。ご無事で」
 大げさに老人が頭を下げる。
「イズルド……」
 走ってきた法王に、イズルドは礼を取る。
「お迎えにあがりました。さ、法王庁へ」
 差し出された手に、法王は一歩下がる。
「どうなさいました? まさか、あやつらに何やら吹き込まれたのでは?」
 見るからに法王の顔は青ざめている。
「……君は……どうして? だって……」
「アスラン、下がれ!」
 月斗の召還した巨大な龍が、イズルドへ白い炎を吐く。
 松明のように老人が燃え上がった。火だるまがゆくりと法王へ手を伸ばす。
「君は……死んだはずなのに……」
 崩れ落ち、骨さえ残さず灰になる。まだ熱の残る灰に法王はそっと触れた。
「……」
 貧血でも起こしたのか、法王もその場に崩れ落ちた。


×


「イズルド様……ですか。ええ、先週老衰で」
 ショックに倒れてしまったらしいアスランを、玲於奈はベッドまで運んだ。繊細で壊れそうな体つき、ほとんど筋肉もついていなかった。先刻から眠ったままだが、顔色は悪い。
 ユミラはアスランの額に冷たいタオルを乗せた。
「気に当てられたのかもしれません。死人返しは強烈な術ですから」
「死人返し?」
 心配そうにベッドを覗き込んでいた月斗が、顔を上げる。
「法王庁にはいくつかの禁じられた書物が保管されています。その中の一つに、死体を意のままに操る術があったはず。生前の能力をそのまま使うことができます。イズルド様は法術に長けたお方でしたから……」
「死人を武器代わりにするなんてね」
 吐き気がしそうだ。
「暗殺者ってとこ? 内部の術なら、教会内にアスランの敵がいるって証拠だよな」
 ユミラから与えられた情報はどれも憶測に憶測を重ねたもので、物証に欠けている。これは役に立つかもしれない。証拠があれば、敵対する枢機卿を排除できるかもしれないのだ。
「ここも危ないね。きっと歓楽街のやつらが情報を売ったんだ」
「……う……」
「アスラン!」
 法王が目を開けると、月斗が心配と歓喜が入り交じった声を上げる。
「……?」
 不思議そうに天井や、顔を見ている人間を見つめ返す。
「……ああ、そうか……」
「大丈夫か?」
「うん」
 重そうにベッドから起きあがる。
「本当に、僕は殺されるか……」
「そんなことありません!」
 法王はユミラに頷く。
「不思議だ……。僕は、ユミラやリヒトの話を聞いても、実感がなかったんだ。今だって夢を見ているみたいだよ……」
 掌に視線を落とし、堅く握った。
「神の前で常に正しく在ろうと、生きてきたつもりだったけど……嫌われるようなことをしていたなんて」
「好き嫌いの問題じゃないさ」
 落ち込んでいるアスランの背中を、玲於奈は叩いてやる。
「リヒトはすごい」
 その一言はとても重く響いた。
 リヒトやユミラという忠実な側近が居たからこそ、アスランは長い間政治上の闇を知らずに育ったのだろう。ずっと守られていたのだ、大切な法王を汚さないように、落ち込ませないようにと。返せば彼らはずっと闇の部分と対峙していたことになる。不平も零さず、気づかれず。
「ご飯、出来ましたけど……」
 恐る恐るサーニャがドアをノックした。
「食べれるかい?」
「はい」
 アスランは月斗の手を借りながら、ゆっくり立ち上がった。


×


 チキンスープの中に様々な野菜が泳いでいるものが食事の主役だ。それにパンと、香草で焼いた肉。
 マリィが食前の祈りを捧げ、その後食事となった。
「ふーむ……」
 玲於奈は装甲淑女と名乗る招待状を読み、グラスを傾けた。グラスが揺れるたびに中の水がゆらぐ。
 昼間市街地に配られていたというビラだ。親愛なる怪盗紳士へ。本日0時、中央広場にてお持ちしています。……装甲淑女、と記されている。璃音が持っていた。
「行ってみる価値はありそうだね」
「私と玲於奈で行きましょう。法王はここに残っていたほうがいいわ」
「あの……僕……行きたい……」
 消え入りそうな声でアスランが言う。硬いパンを口の中でもごもごと噛み、やっと飲む。
「危険な時間なのに、ヒルベルトやリヒトは来るでしょう? 私がその場にいなかったら、彼らを裏切ることになる」
「アスラン」
 月斗に頷く。
「私は法王庁へ戻ります。枢機卿とは別の戦い方をすればいい。血を流す必要はありません」
 怯えながらもはっきり言った。
 気を失っている間に、様々なことを考えたのだろう。
「そいつらはあんたの安全が第一だろう? 危険な場所に赴いて喜ぶかね」
「御身を惜しんでくださいませ」
「大丈夫だって! 俺が守るから」
 な、と月斗は子供らしい友情で笑った。
「あたし達が先行する、あんたらは後からついてきな」
 子供のわがままに負けた母親のように、玲於奈は苦笑する。
「きついお灸を据えてやったら……法王も今後動きやすいかね?」
「そうね」
「お二人とも怖いことを平気で言うんですねー……」
 サーニャも食べ終わり、食器の上にスプーンとフォークを合わせた。それを見、アスランが食後の祈り文句を神に捧げる。
 食前に彼は祈らなかった。この祈りには、法王としての自分と向き合うという意識が滲み出ていた。


×

 夜闇に紛れ、一団は足早に街を進んでいた。アスランを中心に守るように、そして霧に乗じる魔物の目から逃れるように。長い時間外を出歩きたくはないので予告時間ぎりぎりまで教会に隠れていた、時間がない。幾度か魔物と小競り合いをしたものの、三人とも離れしている。雑魚は問題にならない。
 問題と言えばアスランだ。恐怖になれていない貴人は、魔物の足音だけでも叫びそうになる。敵に自分の存在をアピールするのと同じ。アスランは姿が隠せるように、ユミラの長いローブを羽織りフードで顔を隠している。
「……霧が?」
 初めに気づいたのは璃音。潮が引いていくように、霧が消えていく。先刻まで霧の深さに感じなかった月光が、さぁっと夜を照らす。一枚皮が剥けたように視界がクリアになった。
「霧凪ぎです……。霧が、なくなる時間。一時間か二時間ですけど……」
「好都合だ」
 子羊のように怯えているアスランの背中を、玲於奈が叩く。力強く陽気に、優しく。
 中央公園は、微かにわだかまる霧の中に静かに存在した。
 霧が吹き飛ばされ、白いもやを微かに残している。恐ろしいほど静まりかえった空間。
 残滓の中に、人影があった。月斗たちは身構える。
 ぱっとアスランが走り出した。公園の中心には移動サーカスのテントが設置されている、その近くまで行く。
「アスラン!」
 人影が声を上げる。声質がアスランに似ていた。
「リヒト」
 アスランはリヒトにしがみつく。殆ど身長差のない二人は、しっかりと抱き合う。
「助けてもらったんだ、この方達に」
 しっかりとリヒトのマントを掴んだまま、アスランは三人を示す。リヒトは玲於奈に頭を下げる。リーダーだと思ったのだろう。
「猊下を守って頂いたようだ。このリヒト・サルカ、心から礼を言います。ありがとう」
「おかえり、猊下」
 近寄ってきた青年が、明るい調子でアスランに言う。アスランはほっとして笑顔を見せた。会わない時間が永遠かと思うほど、不安だったのだ。
「はぐれちゃって」
「いやいや、構いませんとも。その美貌がもう一度拝見出来たのですから」
「反省して」
 リヒトがきつい声を出す。クロードはリヒトには見えないように肩を竦めた。
「あれが怪盗紳士?」
 璃音はそっと玲於奈に耳打ちをする。多分ね、といった感じの視線が返ってきた。
「ちゃんと守ってやれよ、こいつ危なっかしくて……」
 軽くアスランを叩く月斗。
「ごめん、月……」
「霧の時間に外に出るとはなっ」
 甲高い声が響く。
 一同はそちらの方を向いた。
 サーカスのテントの脇に、太り気味の男性が立っている。緋色の衣装を着ていた。
「まだ、何か? ウィルズ卿」
 顔見知りらしい。リヒトが疲れたように言う。
「お前達には、ここで死んで貰う」
 太った腹を揺らし、ウィルズ卿は笑った。
「霧の時間に外に出ていては、法王猊下も死ぬしかあるまい!」
 ウィルズがさっと手を挙げる。
 耳をつんざくような吼え声が、中央公園に響いた。
「召還獣か」
 リヒトがアスランを抱きしめて言う。
 二体の魔物が、一同を睨みつけていた。
「一度、痛い目を見なければわからないみたいね?」
 璃音が可愛らしく微笑む。ここで反省させれば、アスランへの攻撃も緩まる可能性が高い。璃音はアスランが教会で襲われたこと、そのときに傍にいなかったことを悔やんでいる。
 今が、力を見せるとき。
「正当防衛だよねぇ、もちろん」
 守ると決めた。
 玲於奈が一歩踏み出す。
「後悔するなよ!」
 月斗の宣誓が合図のように、三人は闇夜に散った。

 
×


 体が鼓動で揺れる。月に与えられ、内側で育った力が満ちてくる。璃音は奥底から湧き出してくる恍惚にも似た感情を、ゆっくりと全身に行き渡らせた。骨や肌の一切が変化する。はらり、と石畳に璃音の服が落ちた。
「グルルッ……」
 唾液を落とし、喉の奥で唸る魔獣。同じ獣の匂いを嗅ぎつけ、璃音を睨んだ。
「波夷羅」
 そっと月斗が呟く。嵐のような強烈な風が巻き起こり、渦となる。一瞬にして巨大な竜巻は解けたが中に一匹の龍が残った。イズルドを焼き払った神将である。
 一匹が璃音へ走り、もう一方は月斗へ向かう。爪が足場を噛む獰猛な音が響く。
 −−−アナタハワタシニチカイノネ
 言葉を亡くした璃音は、そっと魔獣に呟く。ぐんぐんと近づいてくる。視線と視線が絡み合う。
 銀色狼の双眸が、すっと細くなった。
 走る。
 魔獣とすれ違った瞬間、璃音の牙が相手の喉に喰らいついた。血の匂いと肉を破る歯ざわり。
 −−−サヨナラ
 牙を抜いた瞬間、噴水のように血が湧き出した。赤い飛沫が薄い霧に混じる。遠くでアスランの悲鳴が聞こえた。血に驚いたのだろう。璃音は口元に舌を這わせ、敵の体温を知る。
「やるなぁ」
 狼対魔獣の戦いを横目で、月斗が口笛を鳴らす。波夷羅の口から血にも似た紅蓮の炎が立つ。炎が一直線に魔獣へ放たれた。
「早い!?」
 炎を放つよりも早く、獣が月斗との距離をつめる。獲物を仕留める瞬間を思い描いているのか、瞳孔が開ききっていた。
「気をつけな」
 玲於奈の拳が、開かれていた獣の口内に叩き込まれる。牙が飛び散る。やわらかい内臓をしたたかに殴られ、全身がびくりびくりと震えた。
「体は普通と変わらないんだろ?」
「あ……ありがと」
 指先をふるい、体液を払う玲於奈。月斗は素直に礼を言った。
「……まずいよ」
 クロードの声が響く。
 玲於奈は周囲を見回す。
 霧が、再び発生しようとしていた。
「走れ!」
 リヒトが叫んだ。
「教会までだ!」

 
×

 一同は教会の中に飛び込む。
 玲於奈が乱暴に教会のドアを閉めた。
 霧が、ほんの少しだけ内側に入り込んでくる。だが、それもすぐに消えた。
「はあっ……はあっ……はあっ……」
 今にも倒れ込みそうな様子で、アスランが荒い呼吸を繰り返している。
 リヒトがその肩をしっかりと抱いていた。
 ドンッ!
 扉が乱暴に叩かれる。
 一同が身構えた。
「た、助けてくれ! 助けて下さい猊下! 霧が……霧が!」
 ウィルズ卿の声だ。
「リヒト、入れてあげなくちゃ」
 荒い吐息の間に、アスランがそう言う。
 リヒトはしっかりとアスランを抱きしめ、その髪を撫でた。ふっと璃音は意地悪っぽく笑う。
「5」
 ドアをしっかりと押さえたまま、玲於奈が言う。
「4」
「あ、開けてくれッ! 死んでしまうッ! 猊下ー!」
「3」
 次は月斗だ。全員の考えが同じ方向へ向いている。
「リヒト……」
「2」
 クロード。
「1」
 リヒトが冷たく数える。
 璃音が高らかに吠えた。
 玲於奈は扉を開き、外側にへばりついていたウィルズ卿を内側へと引っ張り込んだ。
「0」
 扉を再び閉める。
 濃密な霧のカケラが、一瞬漂い、溶けた。
 引っ張り込まれたウィルズ卿が、ばたりと床に倒れる。
 同時に、アスランも目を瞑って脱力した。
 
「おかえり、猊下」
 リヒトが心底安心したというように呟く。
 しっかりと法王を抱えたまま、天井を見上げた。
 霧の合間から見えていた月が、天井のステンドグラスから見える。
 ゆっくりと、霧が月を押し隠す。
 リヒトは目を閉じた。
 


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 0778 / 御崎・月斗 / 男性 / 12 / 陰陽師
 0074 / 風見・璃音 / 女性 / 150 / フリーター
 0669 / 龍堂・玲於奈 / 女性 / 26 / 探偵

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■         ライター通信          ■
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「至宝の行方」をお届け致しました。


龍堂玲於奈様。
 
 グループ中一番の年上(?)ということで、サポートに回っていただきました。
 楽しんでいただけたら幸いです。ご参加ありがとうございました。