|
九首島 前篇『忌神家の血族』
発端
「あれが――ココノツトウ……かい?」
強い潮風が甲板を吹き抜ける度に、口にした煙草の先端が赤く、火を灯す。連絡船から前方に孤島を見据えながら、男は、親子ほど年の離れた隣の青年に、訊ねた。
「ええ。『九』つの『首』の『島』と書いて、『九首島(ココノツトウ)』――不慣れな方には、少しばかり不気味な名ですよね。ええ。でも――それが、私が生まれた島の名です」
成る程、海上に見えるその島影さえどこか不気味に映るのは、このどんよりとした天気の所為だけではあるまい。確かにその名には、何かしら因縁染みたものを感じざるを得ない。そして事実、島名の由来には、ある種の因縁が関与していたのだった――。
接岸した連絡船から、ボーダーシャツの青年が、港の灰色のコンクリートに降り立った。振り返って伸ばしたその左手に、細く白い女性の手が添えられる。薄緑のキャミソールを着た若い女性が青年の胸元へと跳び込むその脇を、黒いジャケットを小脇に抱えた長身の中年男が一跨ぎに渡り降りた。
「狭い島のことですから、家までそう掛かりませんよ」
青年の案内で出迎えの黒い乗用車に三人が乗り込む――その、向こう。
別の乗客が、赤紫の風呂敷に包まれた、何か壺でも入っているかというほどの箱を、次々と連絡船から運び出す。二十代半ばくらいだろうか――離れ目にも目立つ、白いスーツの男性。もう一人はやや年上の、こちらは少しばかり冴えない、サラリーマン風の男。妙な組み合わせの二人連れの乗客が、一つ、また一つ、箱を陸揚げする――まだ一つ。もう一つ。
車が海沿いの道路を抜けて暫く行くと、一際大きな、古い日本家屋が見えてきた。島特有の潮風避けの白い土塀が周囲を巡る、幾棟かの平屋と土蔵からなるその大屋敷が、島一番の分限者――「忌神(インガミ)家」である。
「お帰りなさい、准一(ジュンイチ)さん」
車から降りた青年――「忌神 准一」を、三十代前半といったところだろうか、結い上げた黒髪の美しい、喪服姿の女性が出迎えた。だが、准一が彼女に言葉を返すより先に、奥から別の声が掛かる。
「准一やい。お前ぇ、何ちゅう女子(おなご)ぉ連れのぉて来たが。そがぁな肌着みてぇなモン着たりこして。風(ふう)が悪りぃ」
玄関脇の縁側から、座してその甲高い声を投げたのは、細枯れた老婆であった。
「見っとも無いとは何ですか、婆(ばば)様。今時、和服しか着てないこの家の方が珍しいのです。それに、この人は電話でも話した――」
「――あの、初めまして。『麻生 久美(アソウ クミ)』です」
准一に続いて車から降りた若い女性――彼の婚約者の久美は、長い髪を揺らし、緊張気味に頭を下げた。だが、老婆は、
「あぁ、風が悪りぃ、風が悪りぃ」
と繰り返しながら、屋敷の奥へと入って行ってしまった。すると、先の出迎えの女性が、久美の方へ小声で語る。
「久美さん、気に為さらんといて下さいね。こんな田舎では、貴女のような格好の方は珍しいものだから。それに、御館様のこともあって、少しばかり気難しくなっていらっしゃるの――」
東京へ出た准一が、久し振りにこうして帰郷したその訳は、亡くなった御館様――祖父の、葬儀の為である。祖父「忌神 一騎(イッキ)」は年老いてなお剛毅な人で、息子――准一の父――が訳あって跡を継げぬ状態にあることも手伝い、生前は老当主として忌神家を一手に仕切っていた。しかし、数年前に家の裏手の「九首明神(ココノツサマ)」の石段で転げて足を折ってからは、すっかり寝たきりになってしまい、夏風邪をこじらせて、呆気(あっけ)なくという言い方はあれだが――人の最期というのはそんなものなのか――逝ってしまった。
「――あ、御免なさい、挨拶がまだね。うち、准一さんの上の兄の妻で、『博美(ヒロミ)』と言います。どうぞ宜しくお願いします。――で、そちらの方が、例の東京の病院の……?」
博美は、車から降りたもう一人の同行者である背の高い男に、視線を移す。男が軽く会釈を――
「きゃああああああッ!!」
突然、建物の中から、女性の悲鳴が上がった。
その尋常でない響きに、准一が、追って男が、屋敷へと駆け込む。
「誰かあッ! 誰かああああッ!!」
女の悲鳴に導かれ、入り組んだ屋敷の中を、奥の大広間へ。
――ばたんッ。
半開きの襖を、准一は勢い良く開け放った。
――立ち上る線香の匂い。
――足元の畳にへたり込んだ、若い女性。
――奥に、菊や燈明で飾られた白い祭壇。
――その前に立つ、揃いの黒のワンピースを着た、双子の幼女。
「義姉(あね)さんッ、何んしたがッ!?」
慌てている准一は、自分が島言葉に戻っているのも気付かず、女性を抱え起こす。
「御館様の……御館様の……ッ!」
同行していた男が、低い鴨居を潜るようにして、准一の前に歩み出る。そのまま、広間の奥へ。その鋭い視線の先には、通夜を控えた祭壇の、横たわる老当主の遺体。
立ち止まった男、の隣――並び立つ双子が准一の方を向く。同じ形の、同じ無表情な顔で、交互に口を開く。
「准兄やん、ココノツサマの祟りじゃ」
「准兄やん、ココノツサマが祟ったが」
「御館様が亡くのぉてオツトメが絶ぇ――」
「――ココノツサマが蘇げぇったんじゃ」
そして、二人同時に。
『御館様の頭――のぉなってもうたで』
第一章 奥座敷
向かって右手前から、眼鏡を掛けた中年女中「茂田井(モタイ)」。三年前に事故で死んだ次男「一成(イッセイ)」の未亡人であり、老当主の首消失に最初に気付いた「美穂(ミホ)」。その幼い双子の子、「優子(ユウコ)」と「愛子(アイコ)」。准一達と同様に、東京から帰郷した長女「菜々子(ナナコ)」と、その夫「金山 賢(カナヤマ ケン)」。そして、一番奥の中央に、亡くなった老当主の妻である祖母「昌子(マサコ)」。次いでテーブルの左側を奥から、精悍な顔立ちの長男「一真(カズマ)」。その妻であり、准一達を出迎えた「博美」。そして、三男の「准一」と婚約者の「麻生 久美」。最後に、先ほど准一達を車で運んで来た使用人の「西村(ニシムラ)」。
「これで、全員の話ぃ聞いたか――」
警察署の無いこの島に、急ぎ船で渡って来た刑事の一人が言った。
別室での個別の聞き込みを終え、忌神家の面々が一堂に会した大広間。無論、奥に座す祖母昌子の背後には、先のまま、祭壇と共に老当主の遺体が横たわっているのだが、さすがにその消えた頭部付近には白い布が覆われている。
「いや、もう一人、この家には居るはずだろ――親父さんがよ」
刑事の背後から、声が掛かる。最後に聞き込みを受けて戻って来た、長身の、細身のスーツを着た男。
親父――その言葉に、一同が視線を伏せた。暫くの沈黙――やがて、長男の一真が口を開いた。
「貴方は――」
「俺は、『陣内 十蔵(ジンナイ ジュウゾウ)』――東京で、私立探偵をやっている」
「探偵?」
一同が、見定めるように、その探偵を名乗る男に視線を這わせた。
「あ、あの――」
准一が、中腰に立ち上がる。
「――前から言っていた、父さんの件なのですけれど、やはり、ちゃんとした病院で見てもらった方が良いと思って。ええ。それで、私の通っている東京の病院の先生に相談しまして――」
その医師というのが、以前、別の事件で出会った陣内の知り合いであった。
ところで、准一達の父親の「一徳(イットク)」というのが、十年程前に妻を自殺で失って以来、何をするでもない鬱の状態であって、土蔵の一つを改装した中に軟禁状態で暮らしている。一族はそれを「奥座敷」と称し、風が悪りぃ――つまりは外聞が宜しくないと隠しているのだが、狭い島のムラ社会で隠し通せるはずも無く、島衆の間では暗黙の事実となっている。
無闇に危険視するのは考え物だが、精神障害者を病院という治療の第一歩へ赴かせるには、時に困難が付き纏うもので、已む無く病院のスタッフや地方自治体の職員が強制的に搬送することがあるのも、また今日の現状である。そうしたことを出来るだけ避けようと、説得による速やかな移送を行う専門の警備会社も存在するが、一徳の場合は抵抗や暴力的な行動がある訳ではなく、そこまで大掛かりになる必要は無い――かといって、病院や自治体が動くには距離が遠すぎる。
そこで、その知り合いの精神科医師から、陣内に紹介があった。
以前、警察官だったころには、犯罪者の他県移送なども行ったことはある陣内だったが、対象が精神障害者ということであれば、もしもの場合とは言え、やはり力に頼るのはどうかという部分もあった。だが、差別的な一徳の現状を聞いて、半ば憤慨気味に依頼を受けたのだった。
そういう訳で、それまで誰もその名を口にしようとはしなかった父の存在。それでも、陣内の口からその名が出てしまったものだから、仕方なしに刑事を連れて一真が「奥座敷」の方へ向かった。だが――
――ど、ど、ど、ど、ど。
慌てた足音と共に、一真が駆け戻って来た。
「『奥座敷』が開きょおる! 親父が逃げたが!」
第二章 箱屋
「うあああああッ!!」
新たな悲鳴が上がったのは、一徳を探す為に、一同が屋敷内に散らばって暫くのことだった。
第一発見者は、長女菜々子の夫である賢。発見されたのは、先ほどまで皆が居たその大広間で、夫の遺体に寄り添うように血まみれで倒れた、祖母昌子の首無し死体だった。ほんの僅かの間であった。
一族、警察共に、更なる大騒動となったが、結局、屋敷の中にも外にも一徳は見付からず、同様に一騎や昌子の首も発見できなかった。ただ、使用人が日頃使っていた庭木剪定用の大鋏が納屋から無くなっていることが分かっただけで、そのまま、通夜は中止となった。
奥座敷の錠は、昼に女中が食事を持っていって以来、誰も確認していなかった。しかも、女中の茂田井自身も、扉を開けた足元にそっと膳を差し入れるだけが常であって、奥に引きこもった一徳の姿を見た訳ではないという。だが、中から開けることは出来ないし、食事にも手を付けた跡があったので、これは茂田井が閉め忘れたのだろうと、そういうことになった。茂田井も、閉めたつもりではあったが、絶対かと言われると自信が持てない――と、そう答えた。
さて、通夜の弔問客の代わりに、その夕過ぎ、妙な男達が現れた。
一人は白の、もう一人はグレイのスーツを着た二人組。両手に二つずつ、二人で計八つの、風呂敷に包まれた箱のようなものを持っている。
准一が一真を呼ぶと、玄関脇で「ココノツサマ」がどうとか「オツトメ」がどうとか、何やら言葉を交わし、一真に案内されて客間の方へ上がっていった。
残された准一と久美の元に、煙草を挟んだ手で右のこめかみの辺りを押えながら、眉根をしかめた陣内が歩み寄る。
「どうされました陣内さん、頭痛ですか?」
初めて訪れた婚約者の家で大変な目に遭いながらも、自らの気をしっかり保とうとするかのように、久美は努めて冷静に訊ねた。
「いや、大丈夫だ。それより――今のは確か、連絡船で同乗だった奴等じゃねェか?」
「ええ。どうやら、『箱屋』と呼ばれる方々だったようです」
そう言って、准一はこんな話を始めた。
安土桃山時代――異国の伴天連(宣教師)を乗せた船が、島に漂着。島民は彼を快く迎え入れ、伴天連は島に住み着いた。ところが、その伴天連の正体は、夜毎島民を襲っては生血を啜る恐ろしい鬼だったのだ。初め島民達は恐れたが、遂には決起――伴天連本人と、彼に帰依して血の宴を繰り返す八人の島民の首を刈り、その九つの死体を燃やした。
血の饗宴は途絶えたかに見えた――だが、これより九年九ヶ月九日ごとに九人の祟りは蘇り、その度に九人の島民が命を落とした。
ある年の祟りの日、旅の陰陽法師「忌神 一龍斎(イチリュウサイ)」が島を訪れた。話を聞いた一龍斎は九人の祟りを「九首明神(ココノツサマ)」として祀り、これを封じた。以来、この島を「九首島」と呼ぶ――。
「じゃあ、忌神家は――」
陣内の言葉に、准一が頷いた。
「この家は、一龍斎の子孫の家系なのです。そして、代々の忌神家当主は、九年九ヶ月九日ごとに、ココノツサマ封印の儀式である『オツトメ』を行ってきました。もっとも、オツトメとは実際どんなことをするのか、当主以外、私も含めて家族の者でさえ知らないのですが。ただ、オツトメの時には、『箱屋』と呼ばれる人が八つの箱を持って当家を訪れるのです。私も一度だけ、前回のオツトメの時に箱屋の人が来たのを見たことがあったのですが、その時はもっと高齢の別の方でしたので、連絡船で顔を見かけただけでは分かりませんでした。ええ」
道理で、どこか警察の捜査も歯切れが悪かったはずだ――陣内は、得心がいった。
島に来てまだ半日と経たないが、島の人間達の忌神家に対する別格的扱いは、肌を刺すように感じられていた。
九首島の土地は狭い上に痩せていて耕作に適さず、島民の多くは漁業で生計を立てている。忌神家はその最有力の網本であるから、ある種の権力を持っていることは確かだろうが、本質的な権威はその血筋そのものにこそあったのだ。
島を救った忌神家の血筋――繰り返す儀式によって、色褪せることなく再確認されるその権威。
それは、自治体だとか警察機構といった近代的なシステムを超えた、影の特権者として、島に深く根ざしていた。
不意に、陣内は気が付いた。
「だが、その『箱屋』って奴が来たってことは――」
「ええ。実は――今日がその、オツトメの日なのです」
と、その時、
「准一、ちょぉ付き合うてくれるけぇ――」
玄関から、一真の声がした。見ると、例の八つの箱が並んでいる。
「――けぇから、『オツトメ』に参るけん」
第三章
二人で計八つの箱を持ち、その風呂敷に懐中電灯を挟んで、九首明神へ至る暗い夜道を、一真と准一が歩いて行く。
九首明神は忌神家のすぐ裏手にあるのだが、小山の上なので、やや遠回りに迂回し、更に石段を登らなければならないので、少しばかり時間が掛かる。
その石段の手前辺りに来た時、不意に一真が口を開いた。
「……准一、お前ぇに言っておかにゃならねぇことがある。大切なことじゃけん、覚悟して聞けや」
突然の言葉に、やや困惑しながらも、准一は、
「ええ、はい」
とだけ答えた。
数秒の沈黙――そして、一真は告げた。
「――おめぇ、本当ぁ忌神家のモンじゃねぇけんの」
「!?」
一瞬、どういう意味かも分からず、准一は立ち止まった。
「え……あ――」
言葉に詰まる准一が、何かを言おうとしたその時、
――がさあッ!
脇の茂みから、何かが襲い掛かった。
「危ねぇッ!!」
准一の背後からも声がした。
――気付いた時、そこには、陣内にかばわれるように倒れた准一と、何者かに包丁で胸を刺されている一真の姿があった。
更に次の瞬間、陣内によってその何者かが投げ倒され、地面に押さえ込まれた。その顔に思わず准一が声を上げる。
「賢さん!?」
陣内には死者の念を読むという能力がある、そして、副作用としての苦痛に耐えながらも昌子の念を読み取った陣内は、准一と一真の後を尾けた。なぜなら、その彼が読み取った犯人とは、一真だったのだ。ところがである、彼は今、こうして倒れ、それを襲ったのは賢であった。
陣内自身にも訳が分からぬその横で、一真は准一に何かを伝えようとして、そして、吐血と共に息を引き取った。
続
|
|
|