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赤い衣の吸血鬼
■オープニング
その客が訪れたのは、朝から雨が降り止まないそんな日の午後だった。
それはまだ若いカップルで、結婚してつい二ヶ月にしかならないのだという。
小柄な女の方は秋吉水代(あきよし・みずよ)21歳、瞳の大きな愛らしい少女のような女性だ。そして彼女の肩を抱くようにしていたのは、22歳の眼鏡をかけた見るからに優しそうな夫、秋吉雄輝(あきよし・ゆうき)である。
彼らは草間探偵の前に腰掛けると、ゆっくりと語りだした。
「実は僕は国山家という財閥と言われる家に生まれ育ったのです。長男ですし、家を継ぐために教育され、大事に育ててもらってきました。
けれど、彼女と出会って…恋に落ち、…しかし家族は誰も彼女との結婚を許してくれなかった。それで半年前家を出て、彼女と二人の生活を始めました。
最初は苦労も多かったけど、今はとても幸せです…」
彼は頬を赤らめ、はにかむように微笑んだ。
「…それはよかった」
草間は苦笑して返した。まさかノロケを聞かせるために来たわけではないだろうな。
雄輝はその表情を見て、あわてて話し出した。
「ところが…一つ問題がありまして。
僕には許婚がいたんです。国山家の遠縁にあたる家柄の娘なのですが、僕が知らないずっと昔から決められていて。
彼女は少し変わっていて、多分他にもらいてがないのかもしれません。…いや、けして彼女のことを悪く言うわけではなくて…彼女はとても綺麗な方ですし、ただ、あまり人前に出るのが好きじゃなく、一日中部屋に閉じこもっていることと、とても赤い色が好きなんです」
「赤い色…?」
草間が尋ね返すと、水代が旦那を庇うように続けた。
「本当に赤い色が大好きな方なんです。着ている服も、髪の色も、それに部屋もドアも窓も全部赤く塗って…」
「…それで依頼というのは」
なかなか話が見えてこない。草間はしびれをきらしたように夫婦に問いかけた。慌てて夫の方が語りだした。
「僕達が結婚したことが国山家に伝わってからしばらくして、彼女は失踪したんです。
まだ見つかっていません…それにその頃から最近僕らの住んでいる家の周りで猫が殺されたり、犬が殺されたり…次々と悪い事件が続いて…。
そして先日、こんな手紙がきたんです」
雄輝は上着の胸ポケットから一枚の便箋を取り出した。
それは白い便箋に赤い血のような文字でこう書かれていた。
『裏切り者の雄輝さんへ
あなたのことをお慕い申し、お恨み申し上げております。
この憎しみで燃え上がりそうな肉体はもはや鬼となりはて、あなたの命を頂戴し共に地獄に下ることのみを願う日々でございます。
9月8日、あなたの元に参上つかまつります。それまでは愛する奥方様の身の上を案じられるがよろしいかと思います。 紅乃』
「しかも殺された動物は皆血を抜かれいたんです。…あの人はきっと本当に鬼になって、雄輝さんの命を奪おうとしてるんです。どうか…助けてください」
深く頭を下げる水代と、雄輝を前に草間探偵は表情を固めていた。
■9月6日正午
「そういう人の恋路を邪魔する人にはお仕置きが必要だよねー!」
興信所には頻繁に来客があるのだが、月見里千里(やまなし・ちさと)もたまたま遊びに来ていた客の一人だった。
長い髪の綺麗な今時の女子高生である。彼女は大きな瞳を素直に怒った色に変え、秋吉夫妻の隣に腰掛けた。
「まあ気の毒な話だと思うがな」
そう呟いたのは真名神・慶悟(まながみ・けいご)だった。派手な金髪に片耳だけのピアス。ついでにホストのような派手なスーツ。軽く千里に睨まれながらも、その隣でそっと煙草に火を点す。
「古い因習が導いた…彼女にとってみれば可哀想な結果だ」
「そうなんです」
雄輝が慶悟にうなずいた。
「…彼女には悪いことをしたと本当に思ってはいるのですが…どうしようもなくて」
「…その結婚が決まったことを、紅代さんに直接話したりはしてないのか?」
草間探偵が雄輝に尋ねる。雄輝は頷いた。
「さすがに…もともとあまり会ったことはなくて…。最後に会ったのは中学生の頃だったですし。さっきも言いましたが、彼女あまり家から外に出ない人なのですよ」
「成る程」
草間は気の毒そうに頷いた。
「ねぇ」
客人を含め、紅茶を人数分運んできたシュライン・エマがテーブルに盆を置きながら、草間に訪ねた。
草間興信所のアルバイト等雑用をいつもこなしてくれている女性だ。彫りの深いキリっとした美人で、草間探偵とは……なんて噂も絶えない。
「さっきの手紙、もう一度読んでくれる? 台所にいたから聞き取れなくて」
「私読むーっ」
千里が立候補して、草間の手の中にあった手紙を横取りするように奪うと、それを声に出して読み始めた。
「お、おいっ、こらっ」
草間は諌めたがもう間に合わなかった。
何度読んでもおぞましい手紙にそれは思えた。
背筋が寒くなるような戦慄に全員が捕らわれていく。
部屋の隅の本棚の前で、何かめぼしい本を借りようときていたラウラ・M・オーカーと沙倉・唯為(さくら・ゆい)の二人も、手紙を読み上げている千里の声に動きを止める。
「なんだか…期日までに奥さんをどうにかしようっていう風にも読めるわね」
シュラインが呟くように言った。雄輝が頷く。
「私もそう思います。紅代がもし妻を襲ったりしたらたまらない…」
「実際に犬や猫が殺されているわけだし、警察にも通報しておいたほうがいいんじゃないかしら?」
「それは…もう行ってみましたが、相手にされませんでした…」
雄輝はかぶりを振りながら俯いた。
「犯人が紅代さんっていう確証もないですし、変質者や子供の悪戯の可能性も強いだろうという話になりまして…」
「そう」
「日本の警察ってこれだから駄目なんだよねー!」
千里は不満げに大声で言うと、ソファから立ち上がった。
「じゃあその日まであたし、水代さんの護衛するねー。みんなはどうする?」
千里に見つめられ、一同はちょっと驚いた顔をする。草間が続けた。
「おまえさん学校は?」
「こんな女の人の一代危機だよ! 学校なんて行ってる場合じゃ…」
「駄目だ」
草間はコホンと咳をする。隣でシュラインもこくこくと頷く。千里はえー、と不満げに言って眉を寄せた。
「俺が行こう。期日までの警備は任せてくれ。…それと、おまえは、学校が終わってから来るといい」
「はーい。ってよく考えたら今日、土曜日じゃない」
土曜も日曜も学校は休みだ。7日はさすがに月曜で学校があるが、7日の何時に訪れるのかはわからない。もしかすると、夜の0時だったりするのなら泊り込めばいいだけの話。
やったぁ♪と喜ぶ千里に一同は少し困った視線を送った。
「じゃあ、あたしと真名神さんが秋吉さんちの警備。シュラインさんと草間さんがご近所の探索。…でお兄さんたちはどうする〜?」
まだ本棚の前にいたラウラと唯為に千里は視線をやる。
ラウラは色香たっぷりなスタイル抜群の大人の女性だ。黒髪に染めた髪にロングチェーンのピアスが輝いている。
唯為は名前は女性のようだが、武道家のような筋肉質でしなやかな体を持つ男性だ。彼らは自分達に話が回ってくると思っていなかったのか、しばらく視線を合わせて考えてから、くすりとラウラが微笑んで千里に答えた。
「…その何とも悪趣味なお嬢さんのお宅でも調べてみようかしらね」
「じゃあ紅乃さんの家に話に聞きに行くんだね・・っと☆ はい、分担図完成。草間さんあげるねっ」
千里はカラーペンで書き込んだ調査分担図を、草間に返すとにっこり笑った。
「お前ってやつは…」
草間は苦笑する。どうも女の子を叱るのは苦手だ。
■9月6日 午後
夏の名残の風が吹く。
ラウラ・M・オーカーと沙倉・唯為は、秋吉夫妻から教わった番地を訪ね、関東でも有名な高級住宅街の一角を訪れていた。
そこは明治に建てられたという、広い敷地を誇る和風のお屋敷だった。
茅葺の屋根と漆塗りの柱の前に二人は立ち、ゆっくりと呼び鈴を鳴らした。
最初に出迎えたのは家政婦だった。
「あの…私たち、秋吉雄輝さんの友人なのですが、紅代さんのことをお伺いしたくて来ましたの」
ラウラが恐る恐る彼女に尋ねる。
60歳くらいの老婆である家政婦は、眉をひそめ、彼らをじろじろと見つめた。
(知り合いにはさすがに見えないか)
ラウラは小さく苦笑する。
ドイツ人で、スタイル抜群の色香漂わす美しい女性のラウラに、妖を戦うことを古くから生業としてきた一族の若い当主の唯為。
ただでさえ、その二人が並んで立っているのも、違和感を感じさせるくらいなのだから。
だが、そんなことをこちらが気にしても仕方が無い。ラウラの小さな躊躇を察したのか、先に唯為の方が切り出した。
「本当に紅乃さんはいなくなったんですか?」
唯為も訪ねると、家政婦はため息をついた。
「あなたたちはどなたですか?紅乃お嬢様のことをお尋ねに、雄輝さんのご友人がいらっしゃるとは思えません」
「どういう意味です?」
ラウラが尋ね返そうとすると、奥から近寄ってくる足音が聞こえてきた。
「百江さん、何事ですの?」
そこにいたのは黒い着物を着た上品な中年の女性だった。百江と呼ばれた家政婦は彼女を振り返り、「おお、いけませんいけません」と呟いた。
「この人たちが紅代お嬢様のことを知りたいといってきたものですから。…お断りをしていたところでございます」
「…紅乃のこと?」
彼女はラウラと唯為を繰り返し見つめた。
「あなたがたはどなたですの?」
「雄輝さんの友人です」
唯為が答える。女性はきっと二人を睨むようにして答えた。
「…うちの娘がストーカーになって、雄輝さんにご迷惑をおかけしているという話を調べにいらしたのね」
「そういうわけではありません」
ラウラが彼女に答えた。
「そういうわけではありませんけど、もしそうなら彼女の行為を止めさせなければならないと思っていますわ」
「…」
女性は黙り込んだ。そして「ついてらっしゃい」と門の中へと戻っていった。
山之口紅乃。23才。
それは可憐なお嬢様であったに違いない。奥方と夫は一人娘の彼女をとても可愛がり、非常に愛した。
だが父親を早くに亡くし、彼女はその頃から部屋にこもりがちなおとなしい少女になっていた。
赤を好む癖は幼い時からのことだった。
着物を買ってあげても、洋服を選ばせても必ず真っ赤なものばかり選んでしまう。赤は赤でも深紅。ワインのような赤がいちばん好き。
カラーリング剤で、長くて美しい黒髪を、突然赤に染めてしまった時はさすがに周囲を驚かせた。
だがそれよりずっと前から、彼女の部屋は赤い住宅、赤い家具、赤いシーツに赤い口紅。終いにはドアや壁も全部赤で塗ってしまっていた。
「この部屋でございますの」
廊下の突き当たりにある、赤くペンキで塗られたドアの中を見て、ラウラと唯為はさすがに息を飲んだ。
そこはまさしく赤に塗りつぶされた空間があった。
「こんな風にしないと落ち着かないといって…」
奥方は深くため息をついた。
この部屋に住んでいた住人は、確かにどこか狂っているのかもしれない。そう思えた。
ラウラは窓際にあった机の引き出しをそっと開いた。
そこには赤いノートが入っていて、何の気なしにぺらぺらでめくるとそこには殴り書きのような文字が赤いペンで書かれている。
『殺してやる 殺してやる 殺してやる 呪い 呪い 呪い』
「…いい趣味ね、ほんと…」
ラウラは苦笑する。
彼女の職業はサイコセラピストである。この異常者の感情も解析することはできる。
色に限らず、ものに限らず、人はひとつの物や事柄に執着する癖を持つことがある。熱狂的なコレクターや、度の過ぎる潔癖症もこれに当たる。
彼らは強い強迫観念につきまとわれているのだ。「そうしなければならない」。その意味や、周囲にどのような好奇の視線で見られているかなどということも気にしてはいられない。
彼女は「自分の身の回りに赤いものを飾る」という強迫観念を持っていたのか。
「こんな風に、赤い色を好むようになったきっかけがあったのですか?」
ラウラが医師の視線で、奥方を見つめた。
奥方は悲しそうな表情をして、頷いた。
「死んだ主人も赤い色の好きな人でした。主人は紅乃を赤く着飾らせるのが好きで、紅乃も主人に愛してもらうために、いつも赤いものを選んでいたのだと思いますわ」
「そうですか…」
内気でおとなしい自分を表現するのが、あまり上手ではない少女。
ラウラの心にそんな少女の姿が浮かんだ。
彼女は父親に微笑んでもらいたくて、父の好きな色をいつも選んだ。その色を纏えば、父はとても嬉しそうだった。
その父がいなくなっても、愛されたいから赤を纏う。赤を纏えば、亡き父の愛に満たされている気分になれる。…そうすれば寂しくない。
そして、その父の次に愛したのは、ほとんど会ったこともないけれど、許婚の約束をしているという雄輝という青年。
彼女は憧れにも似た気持ちで、彼との結婚を空想し続けていたことだろう。
けれどそれが果たされなかったことを知った時、落胆し、精神に異常をきたした…
(そんな可能性もあるか)
ラウラは息をつく。
(本人に会ってみなきゃ、本当に狂っているのかどうかなんて、断定は出来ないわね)
「それで、いつ彼女は消えたんだ?」
唯為がその背後で奥方に尋ねていた。
「…雄輝さんの駆け落ちがわかった日の次の日でしたわ。…確かちょうどひと月前…」
「そう…彼女の資金は?」
「……」
奥方はうつむいた。
唯為が厳しい視線で見つめると、その視線におびえたように奥方は小さな声でつぶやく。
「あの子の口座に500万円ほど振り込みました…多分、残高はその倍はあると思いますわ…」
「…ほぉ」
唯為は呟いた。
■9月6日 夕方
「これからどうする?」
唯為に尋ねられ、ラウラは「そうね」と白く長い指を顎に当てる。
唯為とラウラは山之口の家を出て、駅前の洒落た喫茶店に場所を移していた。今、聞いてきたばかりの情報を簡単なレポートにまとめるためである。
「その紅乃お嬢さんが現れるのは明後日のことだしね、今日は一度家に帰るわ」
「そうか。俺は秋吉家に行こうかと思う。今、聞いてきたのも報告しに行かなきゃだしな」
「お願いするわ。私、こういう症例が他になかったか調べてみようと思うのよ」
ラウラは長い髪にふと手を触れながら、唯為に微笑んだ。唯為は了解だ、と頷いた。
「それにしても…」
唯為が思い出したように小さく噴出す。
「何よ」
ラウラが唯為を見つめると、唯為は笑いながら答えた。
「あの家政婦のおばあさんに会った時のお前さん、今にも爆発しそうで怖かったよ」
「だって失礼じゃないの」
ラウラは失礼だわというように、唯為を睨みつけた。唯為は、まあな、と答えながら、だが俺がいなかったらきっと態度悪くて門前払い食らってたかもな、と皮肉のように続けた。
軽口を叩きあう和洋の美男美女カップルに、喫茶店内の他の客達がすっかり目を奪われていることには、二人は最後まで気づかなかった。
■9月7日 朝
ラウラはその朝、秋山夫妻の住む町、赤山団地のバス停に降り立っていた。
昨日の夜、唯為から受けた電話で、他のメンバーからの情報なども聞いていた。
シュラインと草間探偵は、紅乃が住んでいたウィークリーマンションをこの町で発見したらしい。
その部屋は惨憺たる有様だったそうだ。赤に包まれた部屋の中には、子犬や子猫の死体が山と詰まれ、床には魔方陣のようなものが書かれていたという。
秋山夫妻の家には、慶悟と千里が共に生活するようにして警護しているそうだ。
唯為もまたその家の側の警備をするために、今日は家の周囲で警戒をしているはずだ。
唯為と連絡を取り合いながら、ラウラは動物が傷つけられたという事件について調べることにした。
赤山団地の付近では、すっかり有名になっている話であるらしく、団地内のスーパーで簡単に近所の人の話を聞くことができた。
「1丁目の佐藤さんでしょ、それに3丁目の河野さん、他にも5丁目でも2件あったのよね〜」
「今までに殺されたのは全部ペットだったのですか?」
ラウラがメモ帳を片手に聞くと、集まっていた主婦達は顔を見合わせあった。
彼女達には、婦人雑誌の編集員という風に話してあった。
「野良猫も死んでたって話を聞いたこともあるわね〜」
一人の主婦がラウラに頷いた。
「なんでも毒餌を先にまいて、それを食べて死んだのを拾ってきて血を抜いて捨てるって話よ」
「え?」
ラウラはふとメモに書き記す指を止めて、主婦を見た。
「毒餌?」
「そうそう。だからこのあたりの人はみんな、庭にペットを出さないようにしているのよ」
他の主婦がラウラに声をひそめて告げた。
「誰かが、家の塀ごしに毒の入った餌を投げ入れるっていう噂があってね」
「…そうなんですか。ありがとう…」
ラウラは少し茫然としたように頷いた。
死んだペットの血を抜くのは、生き血とはいわない。
もし犯人が彼女なら、何の目的があったというのだろう?
■9月7日 夕方
やがてラウラは一本の電話を受けて、秋吉家に急遽向かうことになった。
それは、夫人の水代が、家の郵便ポストに仕掛けられたカミソリによって怪我をし、その際に水代からのメッセージつきのカードがそこにあったという話だった。
それまでの情報収集で得たデータをしても、何の目的で犬や猫達が殺されたのかまだ解せないままであったが、紅乃は今夜にでも襲ってくるかもしれないのだ。
「よぉ」
声をかけられて、ラウラが振り向くと、そこには唯為が立っていた。
「機嫌悪そうな顔ね」
ラウラが苦笑する。唯為は「ああ」と頷いた。
「相変わらず目撃者はいないな。あんな目立つ格好をした女が、どうして目撃されないんだか。変装をしてる可能性もあると思うか?」
「…無いと思うわ」
ラウラは長い髪をさらりと風になびかせて、唯為を見つめた。
「強い強迫観念に彼女はとらわれているはずよ。自分に暗示をかけて、狂ってしまえるほどのね。…赤への強迫観念を脱ぎ捨てて、冷静に変装をして忍びいるなんて、出来ないでしょう」
「…俺もそう思う」
唯為もゆっくり頷いた。
だが、それでは他に誰か犯人がいるのだろうか。
その可能性も、今の段階では認めるわけにはいかない。しかし、その可能性も頭の中に置きつつ、全力でこの家を、あの夫妻を守らなくてはならない。
二人は視線を見合わせ、強く頷くと、ゆっくりと玄関に向かった。
秋山家の居間では、他のメンバーが既に集まっていた。
シュライン、千里、慶悟、それに怪我をしたショックで気分を悪くした夫人はソファで寝入り、それを看病する夫もそこにいた。
唯為は部屋に入ると、ソファに腰掛けつつ、苦笑するように言った。
「まあ…とんでもないお嬢様だな。恋人には遠慮したいが、オトモダチには中々楽しめそうじゃないか」。
「少しやりすぎね」
ラウラがソファで長い足を組み、千里から差し出されたグラスの中のオレンジの液体を見つめながら呟いた。
「まったくだな」
慶悟も苦笑する。
「もう絶対許せないー!!」
千里は夫人が怪我をした場所に居合わせただけに、怒りは心頭である。あんな姑息な手段で怪我をさせるなんてやりすぎ!
台所から運んできたジュースを配り終え、お盆を抱えたまま開いている席に腰掛けると、足をばたばたと動かす。
集められたデータを見れば見るほど、彼女はすっかり人間であることをやめてしまいたいらしい。
怪我をしたこととショックで具合の悪くなった水代は、彼らがいるダイニングのソファベッドで、夫の雄輝に付き添われて眠っていた。怪我はたいしたことはない。それよりも恐ろしいのは、紅乃がこの家の門にまでやってきていたということだ。明らかな敵意を秘めて。
「そういえば…」
シュラインはそれらの経過の書かれた紙を見ながら、ふと首をかしげた。
「…マンションの床に書かれていた魔法陣は、なんというかこうチャチなものだったのよね。未熟というか、物まねというか…」
部屋には悪魔に関するさまざまな書籍が散らばっていて、その一つのページに付箋がつけられていた。そのページは悪魔を呼び出す魔法陣が描かれた場所だった。
だが緻密なそれを、ビニールテープを画鋲で止めて書いてあったのである。そのイラストのまま描けるものではない。
床には何度もそれらを書いたあとがあった。最初はチョークで描き、血によってそれが流れてしまったので、あとからビニールテープを使う方法を思い至ったのだろう。
「悪魔でも呼び出して、恋人の命を奪ってもらうつもりだったか…?」
慶悟が苦笑する。
「彼女はそのつもりだったのかもしれないけど…」
シュラインも軽く唇をゆがめて頷く。多分あれでは来ないでしょうね。
その道に関してはまったくの素人だが、素人でもそう思えてしまうほどのできばえだった。多分紅乃の絵画や技術の成績は『2』以下に違いない。シュラインは思った。
「動物の血で床を汚して、呼び出した悪魔にさらわれてたりしてな」
唯為が苦笑する。
「ああ…それと」
シュラインは嫌なものを思い出したように口にする。
「ペットショップの領収証もたくさん転がっていたわ。…日を変えてね、毎日毎日…子犬や子猫を飼ってきては持ち込んでいたみたい」
「そんなの可哀想だよ!…ひどーいっっ!!」
千里が叫んだ。
「あら?」
ラウラがシュラインを見つめる。
「…この辺りに殺されて捨てられていたのは、この一帯で飼われていたり住み着いていた子犬や子猫よ」
「えっ」
シュラインは素直に驚いた表情で彼女を見つめた。ラウラは頷いてみせる。
「小鳥は?」
千里が尋ねると、それも近所に住む老婦人が大切にしていた小鳥らしいと唯為が告げた。
「盗んだり買ったり…いろいろか」
慶悟が苦笑した。
「矛盾かも知れないわね」
ラウラが言った。
「もしもそのお嬢さんが、悪魔を呼び出すために動物を殺したのなら、小鳥を殺したり、この家のまわりで犬や猫を殺したのは何のためかしら?」
「…家に持ち込む前に出会った犬や猫は殺して、血液だけ持ち帰ったとか…?」
千里が難しい顔で答える。
「でも小鳥もいるんだよねぇ…」
千里はつぶやいた。小鳥から血を抜いてもたいした量ではないだろうし。
「何か別の目的があったか、もしくは殺すことに興味があるのか、それとも別の犯人なのか…」
慶悟が唸るように呟いた。
だが、矛盾があるのは分かったにせよ、このままでは時間ばかりが過ぎてしまう。
紅乃は今夜来ると予告したのだ。…今夜のことをまず考えよう。
「まだ他に考えることはある。紅乃はどこにいったんだ? 呼び出した悪魔にさらわれたか?」
シュラインが首を振って否定した。
「まさか。…まだ早いわよ。雄輝さんの命を狙うっていう彼女の望みは、まだ果たされていないわ」
「…私は」
今まで黙って聞いていた雄輝が、ぽつりとつぶやくように言った。
「私の命はどうなってもいい…。元はといえば私が悪いのです。でも水代だけは守って欲しい…」
「…任せてください。お二人ともきっとお助けしますから」
シュラインは彼を見つめ、強く頷いた。
時計を見上げる。
既に外の景色は暗くなりつつあった。
「飯でも食うか。…今夜は長くなりそうだ」
唯為が呟いた。
■決戦
時計がもうすぐ12時を指そうとしている。
千里はその時計を見上げ、ぴりぴりと感じる寒気にそっと自分の体を抱いた。
何かが近づいてくる予感がしていた。
その肩を背後から優しく触れて、シュラインが微笑む。
「そろそろね」
「…そうだね…」
千里は赤い皮のスーツに着替え、拳をぎゅっと握ってみせた。
「人の恋路を邪魔する奴なんか…」
許さないんだから…。でも、この待っているという時間だけは慣れなくていやだなあ。
ダイニングに集まった関係者達も、緊迫した空気に包まれているのか無言で互いの顔を見詰め合っているようだ。
ボーンボーンボーン。
十二時を示す鐘がなり始めた。
千里が息をひそめたその時。パリン。パリン。パリン。と小気味よく窓ガラスが割れていくような音が遠くから聞こえた。
否、建物の反対側から、一枚ずつ窓を叩き割っているような音だ。
「…見てくるっ。二人はそこから動かないように」
夫婦に告げてから、慶悟が立ち上がり駆け出した。
だがすぐに戻ってくる。
「まやかしだ。この部屋から出ないほうがいい」
「えっ」
ガラスの割れる音は家のあちらこちらで聞こえた。しかしすべて窓の外側からの音である。
「部屋からみんな出るな。…窓を開けたりしないように…」
慶悟が低く呟く。唯為が察して、慶悟に答えた。
「札の効果だな。紅乃という女、家に入れずに困ってるのか」
「ああ、そうかもな」
慶悟は頷く。そして、ダイニングの窓の向こうの庭先に視線を向けた。彼女は多分ここに来るだろう。そこからしか、雄輝と水代の姿を覗くことは出来ないからだ。
家中を響かせていた騒音は、やがておとなしく静まっていった。
「止まったわね」
ラウラが呟く。部屋の中央のソファの上で、身を寄せ合うようにして座っていた夫婦が、ほっとしたように息をついた。
「まだ終わりってことはないだろうけど…」
そのラウラの言葉どおり、次は玄関のチャイムが高らかに部屋に響いた。
続けて何度も何度も。近所への騒音になるのではないかと思うくらいに、チャイムは音は鳴り止まない。
「しつこいな」
唯為が眉を寄せる。
なんとしても相手はドアや窓を開けさせたいのだろう。開けてやろうか。
「…どうして入れないのかしらね」
シュラインが呟いた。彼女はもう本当に人ではないらしい…そういうことなのか。
チャイムの音もとうとう止んだ。
『見つけたワ…』
ダイニングにある窓の外に、赤い振袖の着物をつけた女がいつの間にか、そこに立ち尽くし、部屋の中をじっと見つめていた。
『…どうして開けてくださら…ないですの…雄輝さん』
悲しげに彼女が問う。声というよりも、空気を振動させる音。彼女の声はそんな風に心に響いてきた。
雄輝は水代をかばうように抱きしめると、紅乃から目を逸らした。
『雄輝…さん』
「わ…悪かった、俺が悪かったよ! 紅乃さん。だからもうこんなことはやめてくれないか!!」
目をそむけながら怒鳴るように雄輝が叫ぶ。
紅乃は目を細め、その頬に一筋の涙をこぼした。
『…ずっとずっと…愛してキタのに、…なんて…人の世は悲しいの…』
紅乃は窓の向こうで、袖で顔を隠して、身を折り曲げる。
『こんなに悲しくては…もう人には戻れません…』
彼女の体から赤い光があふれ出した。そして袖から再び上げた顔は、それはすでに人のものではなかった。
口は耳元まで裂け、唇は血塗られたように赤く、充血した瞳は大きく見開かれ、赤く染まった髪は逆立ち、わなわなと揺れている。
「…う…うわあああっっ」
雄輝は大きく叫び、背後に逃げようとして、抱いている水代ごと、ソファと一緒に後ろに倒れた。そしてそのままソファの後ろに隠れる。
「哀れな」
慶悟が彼らの代わりに前に出た。片方の手で印を切りつつ、もう片方で符を用意する。
符を数枚、宙に舞わせ呪を唱える。符は瞬間で丈が30センチほどの導師の姿となり、ガラスを抜けて外に飛び出していった。
「捕らえろ」
短く命令する。式神と呼ばれるそれらは、紅乃の動きを制しようと一斉に飛びかかる。
「何っ」紅乃は叫び、長い爪でその式神を払った。だが、式神たちもすぐに体勢を整えて、彼女に飛び掛り続ける。
「次は俺が相手だな」
叫んだのは唯為だった。 唯為は持参していたひとふりの刀を袋から取り出し、ゆっくりと掲げた。
「応援するわ」
ラウラは窓の前に立ち、ゆっくりと鍵をはずした。
「あけるわよ」
「おう」
ラウラがドアを引く。入り込んでくる夜風と共に紅乃の体がが大きく膨らみ、部屋中に溢れるほどの巨大な鬼女の顔が広がった。
「うわあっっっ!!」
雄輝が叫ぶ。
「心配するなっ」
唯為は、ゆっくりと刀を鞘から抜き取り、鬼女にかざした。刀を見たとたん鬼女の表情が凍りつく。
有無を言わさず、唯為はその刀を一気に鬼女の顔に向けて振り下ろした。
その頃、ウィークリーマンションの前で張っていた草間は、ここの場所は断念したほうがいいのだろうか、と考え初めていた。
朝から4箱目にもなる煙草の最後の一本を手に取り、空を見上げたその時、マンションの屋上に人影を見つけた。
それはマンションの屋上にある資材倉庫から出てきたようだった。そしてふらふらと風に吹かれながら歩いている。赤い着物と長い髪が印象的だ。
「…まさか」
草間は走り出した。
『ウギャアアアアアアアアッ』
つんざく悲鳴が周囲に響き渡り、悲鳴を上げながら紅乃は庭の奥まで後退していった。そして、庭の石灯籠のライトに下で顔を抑えて肩から深く息をしている。
彼女を追って、唯為とラウラ、それに慶悟が後を追った。
唯為はもう一度、刀の柄を強く握り、彼女に迫ろうと踏みこむ足に力を入れた瞬間…
「次はあたしの番ー☆」
ふと高いところから声が聞こえた。振り返ると、二階の屋根の上に千里が立っている。
「お、おい危ないぞ!」
慶悟の声も聞こえない振りをして、千里は手のひらを宙にかざす。空中の分子を変質固定し、自らの望むものを瞬時に作り出すことができる。これが彼女の能力だった。
かざした手のひらから光があふれ出し、千里の体を白く発光させた。
そしてその光が消えた時、そこに立っていたのは、青い軍服に美しき金髪の長髪を風になびかせた…まさしく「ベルサイユのバラ」のオスカルだった。
否、オスカルに扮した千里だ。宝塚で見るよりずいぶんと小柄のはまあご愛嬌である。
「仲睦まじき二人の間に咲いた、薔薇の花を散らすような無粋な輩!! 覚悟するがいい!」
千里はレイピアを構え、屋根から飛び立った。
レイピアの切っ先が紅乃を狙う。紅乃は長い爪のついた白い腕でそれを払い続けたが、ふとよろけて地面に倒れた。
「とどめは、これよー!」
千里の手のひらがまたしても天を向く。
光の焦点に現れたのは、巨大な白樺の十字架だった。
千里はそれを紅乃の頭上へと移動させた。そして、落下させる。
「うわあぁぁ」
紅乃が顔を伏せる。十字架が彼女の体の上に落ちかからんとしたその瞬間、紅乃の姿は空中に霧散するように消えていた。
「や…やったの?」
千里は呟いた。
唯為が刀をしまう音がして、ラウラが優しく屋根の上の千里に呼びかけた。
「よくやったわね」
「終わったな…」
慶悟が呟く。
ようやくこの家に平和が戻ったのだ。
彼らは実感した。
部屋で夫妻を守っていたシュラインの携帯が、静かな空気の中に鳴り響いた。
彼女は電話をとり、草間の報告を聞いた。
そして、それを彼らに伝えようかしばらく迷った。
マンションの屋上にいたのは間違いなく紅乃だった。
紅乃はとりつかれたように自分の無いようにマンションの屋上を歩いていたが、突然ショックを受けたように悲鳴を上げて、屋上の柵を乗り越え外に出た。
そしてしばらくぼうっとしていたかと思うと、もう一度大きく悲鳴を上げ、崩れ落ちるようにマンションから落ちていったのだという。
草間は助けようとしたのだが、間に合わなかった。
救急車を呼び、運ばれていったが…だが、とても…。
あの鬼女は、彼女の生霊だったのか、それとも、彼女の鬼の分身だったのか。
今となってはわからない。
そして、何故か彼らの心には、何かがまだ「終わっていない」そんな気がしてならないのだった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086 シュライン・エマ 女性 26 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
0165 月見里・千里 女性 16 女子高生
0389 真名神・慶悟 男性 20 陰陽師
0733 沙倉 唯為 男性 27 妖狩り
0974 ラウラ・M・オーカー 28 サイコセラピスト
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■ ライター通信 ■
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こんにちわ。大変お待たせしていたしました。
「赤い衣の吸血鬼」をようやくお届けできます。大変長いお話になってしまいました。
いつものことですが…ごめんなさい。(汗)
真名神さん6度目のご参加、いつもありがとうございます。(前回も6度目と書いてましたね。数え間違いでした、本当にごめんなさい)
シュラインさんも3度目のご参加、ありがとうございます。
月見里さん、沙倉さん、ラウラさんは初めまして。お会いできて嬉しいです。
シリアスと血まみれ路線をまっしぐら!! のつもりで書いてみました。
しかも、もう少し続きそうです。
近いうちに続編を出す予定ですので、この事件のことをさらに調べてみようと思われた方は、ご参加頂けると、とても嬉しいです。
またちょっと情報量が多いので、この辺りの説明を希望ー!という方は、恐れ入りますが私のHP「鈴猫堂」の掲示板などに質問を投げかけていただければ、
答えられる範囲で答えます。
たとえば、「紅乃は資材倉庫で何してたの?」とか。
資材倉庫で違う魔法陣書いてました。自分の部屋は動物の死体ばかりあって腐臭がして本人としても居づらかったのでしょうね(^^;
こちらの魔法陣も下手っぴで悪魔は来そうにありません。
それではまた違う依頼でお会いしましょう。
参加ありがとうございました。 鈴猫
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