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そして、白き世界
●オープニング【0】
刹那――世界は変化した。今まで『草間興信所』だった空間が、ソファとテーブルだけをその場に残して、四方に地平線の見える白き空間に変わってしまったのだ。草間が木製の大きな三角形をした台に彫られた3つの溝に、青き指輪の載った正方形の台、紅き指輪の載った十字架の台、緑の指輪の載った真円の台をはめ込んだ直後の出来事である。
「……何だ、ここは? また妙なことになったのか?」
訝る草間。まあ、至極当然な反応である。しかし、この場合違っていたのは、その質問に対してきちんと答えることの出来る者が居たということだ。
「ようこそ、時空の狭間へ」
その声に振り向くと、いつの間にやら白いドレスを着た黒髪の女性が姿を現していた。草間には見覚えのない女性だ。
「私の名はヴェルディア、時に関わりし者。この世界に訪問者があるのは、どのくらい振りなのでしょうね」
にっこり微笑むヴェルディア。草間は黙ってヴェルディアの話を聞いていた。
「この世界に足を踏み入れた訪問者に対するルールはただ1つ。私の出す3つの問題に正解を出すこと……それが出来なければ、元の世界に戻ることは叶わないでしょう」
ヴェルディアはそう言って、続けて3つの問題を出した。
(1)3リットルの容器と5リットルの容器がある。この2つを使って1リットルの水をはかろうとする場合、どのようにすればよいか。
(2)JRで東京駅を出発して、同じくJRの新宿駅へ向かうまでの間に、2度同じ駅を通ることなく山手線内の駅を全て通過したい。どのような経路を取ればそれが可能か。ただし山手線内の駅の定義はJRに準ずるものとし、使用出来る路線は山手線・中央線・総武線の3つに限るとする。
(3)毎秒3メートルの風が東から西へ吹いている時、時速40キロで南から北へ走る電車がある。電車は時速35キロで西から東、時速45キロで北から南、時速45キロで西から東と速度や進路を変えていた。この最中、風は当初と全く変化はなかった。やがて電車は時速50キロで南から北へ走るようになっていた。ではこの時、風の吹く方向は当初と変わらず、毎秒5メートルの強さに変わっていたのであれば、この電車の出す煙はどうなっているか。なお、電車の車両は山手線に準ずるものとする。
「人数が多いので、1人1問、ただ1度しか答えられない……ということにしましょうか」
ふと思い出したようにヴェルディアがつぶやいた。草間が皆の方に振り返った。
「……だとさ。まあ、本当に問題が解けたなら、言ってみるがいいさ」
●広がる地平線【1】
「地平線……右を見ても左を見ても、地平線……」
志神みかねがぼんやりとした目で呆然と地平線を眺めていた。もはや驚きといったレベルを通り越えてしまったようである。
そして何気なく空を見上げてみた。空は白く……遥かに高かった。
「みかねお姉ちゃん、どうしたですかー?」
久々に草間興信所に遊びに来ていたラルラドール・レッドリバーが、少し背伸びしてみかねの目前でひらひらと手を動かした。
「……帰れるのかなあ……」
情けない声を出すみかね。反応が帰ってきたことからすると、精神の糸は辛うじて切れていないようだ。
ヴェルディアを除き、この場に居るのは草間の他に8人。それだけ居ればみかねの他にもパニックに陥りそうなものだが、肝が据わっているのか慣れているのか、落ち着いたものであった。
「お代わりいただけますかしら?」
高橋敦子が空になったグラスを差し出した。シュライン・エマがペットボトルのキャップを開け、そのグラスへジュースを注ぎ入れてゆく。
「あ、すみません。僕も……」
そこに思い出したように空のグラスを差し出したのは、糸目に眼鏡の温厚な青年、道明寺裕哉だった。シュラインは裕哉のグラスにもジュースを注ぎ入れた。
「もうついでだから、空でなくても欲しい人は言って」
シュラインが皆にそう尋ねると、ほぼ全員から手が上がった。上がってないのはみかねともう1人だけ。
そのもう1人、冷泉院柚多香はいつの間にやらヴェルディアのそばに立っていた。
「初めまして。私、冷泉院柚多香といいます。若輩ながら、竜神を勤めさせていただいています」
深々とお辞儀する柚多香。礼には礼で返すのが礼儀。ヴェルディアも柚多香に対し、深々と頭を下げた。
「時に……初めてお邪魔いたしましたが、ここはどういった空間なのでしょうか?」
きょろきょろと周囲を見回しながら、柚多香がヴェルディアに尋ねた。多くの者が気にかかっていた質問である。
(……調整用の空間だから何もないのかな?)
何もなくこんな世界が存在するとは思えない。そこには何らかの要因があると考えるのが自然だろう。
「先程も申しましたが、ここは時空の狭間。時間の流れに存在する隙間の集合体……パラレルワールドという言葉はご存知でしょうか?」
ヴェルディアは柚多香のみならず、この場の全員に向かって言った。
「確か、多次元的平行世界でしたかと」
エルトゥール・茉莉菜が静かに答える。
「次元って、アニメに出てくる銃の上手なおじちゃんのことですか?」
ラルラドールがきょとんとした表情で言った。シュラインがくすっと微笑み、ラルラドールにも分かるように説明した。
「つまりね、色んな自分が居る世界が他にもたくさんあるってことよ。例えば、お土産を買ってきた自分が居る世界と、買ってきてない自分が居る世界があったりとか」
「……僕、お土産買ってきたですよ?」
ちらりとテーブルの上を見るラルラドール。分厚い時刻表に並んで、イギリスの酒と、何故かマカデミアンナッツが置かれていた。
「イギリスに家があると聞いたが……そういや、何でマカデミアンナッツなんだ?」
草間がラルラドールに尋ねた。
「ついでにニュージーランドにも行ってきたですー」
「ハワイじゃないのか?」
「あら、草間知らないの? マカデミアンナッツは、ニュージーランドでも生産されてるのよ。バリのマカデミアンナッツがニュージーランド製だったって、こないだサリィが話してたから、確かよ」
そう答えたのは室田充だった。が、今日の充の姿は、本来の姿しか知らない人間が見たなら目を丸くしたかもしれない。何故ならば、ヘアスタイルは銀髪のストレートロング、身にまとっているのはファーのついたやや派手目で地面に引きずる程に裾の長いドレス、顔にはきっちりとお化粧をしていたのだから。俗にドラァグクイーンと呼ばれる格好だ。ちなみに口紅の色は、この秋の新色であった。
「そうなのか、充?」
「ア・ン・ジェ・ラ☆」
充――アンジェラは人指し指を草間の唇に軽く押し当てると、悪戯っぽく微笑んだ。
「ま……まあ、どこ製だろうと、今は関係ないことだったな。すまない、続けてくれ」
草間は複雑な表情を浮かべ、話を元へと戻そうとした。
「その、パラレルワールドがどうしたんですの?」
茉莉菜がヴェルディアに尋ね返した。
「時間の隙間は、パラレルワールド間に存在しているのです。ごく僅かな隙間も無限に積み重なれば、それは無限の空間となります。その結晶がこの世界……時空の狭間なのです」
淡々と説明するヴェルディア。何だか分かったような分からないような説明である。
「それはいいんですけれど、ヴェルディアさん」
説明を終えたヴェルディアに、茉莉菜が声をかけた。
「何でしょう」
「時空の狭間なんて言う割りには、ずいぶん現世的な問題をお出しになるんですわね」
くすりと微笑む茉莉菜。言われてみれば、出題された問題は水をはかる物や電車の経路と問うような物で、時間に関係あるとは言い難い。辛うじて3問目が関係してる程度か。
「まあ、大昔の人は、世界の理を解くために、数学や天文学を生み出したそうですから、関係ないとは言い切れませんけれど」
「御不満があるようなら、問題を変えても構いませんが」
ヴェルディアがにっこりと微笑んだ。慌ててみかねが口を挟む。
「ああっ、止めてください〜! これで十分です〜っ!」
変更され分からない問題でも出された日には本当に帰れないかもしれない。それゆえにみかねは必死だった。
「……ではこのままでよろしいですね?」
意志確認をするヴェルディア。代表して草間が答えた。
「ああ、あの3問で構わない」
草間を含む9人は、テーブルを囲んでソファに座り直した。
●『答え』の定義【2】
何にせよ、1人1答では1問ずつ確実に解く必要がある。デタラメに答えを挙げてしまえば、たちまち誰も答えられなくなってしまうからだ。
「誰がどれを担当するか……よね。皆、どれを担当する?」
シュラインが他の8人の顔を見回した。皆の希望を聞いてから、自分は一番回答者の少ない問題へ回ろうとしていたのだ。しかし、他の者が希望を出す前に、草間がそれを制した。
「……ちょっと待ってくれ。答える時は誰に向かって言うんだ?」
「そりゃあ、あの本当に暇な女神様にでしょう? アタシに言ってどうするの?」
『本当に』の部分を長めに強調して言うアンジェラ。
「だよな。だったら……ここで確実と思われる答えが出るまで、答えを向こうに話さなければいいということだよな」
その草間の言葉に、皆の視線が集まった。確かにそういう解釈も成り立つ。
「確かめてみるか」
言うが早いか、草間がヴェルディアに答えの解釈を尋ねた。
「確認するが、答える時は誰か1人がそっちに答えを言えばいいんだな? それで1答と数えるんだな?」
「ええ」
短くきっぱりと答えるヴェルディア。草間の言う解釈でいいようだ。ならばぐっと有利になる。
「聞いての通りだ。出せる意見はどんどん出してくれ」
改めて皆に言う草間。全員が頷いた。
「では問題を解く前に、少し気を落ち着けましょうか。出すのが遅れましたが……差し入れです」
柚多香が傍らから箱を取り出した。箱の上部に『アーモンドシュークリーム』と書かれたシールが貼られていた。
柚多香は丁寧にシールを剥がして箱を開けると、中からカリカリのアーモンドシュークリームを1個取り出して、みかねの前に差し出した。
「どうぞ」
「あ……いただきます……」
みかねがアーモンドシュークリームを手に取って、はむっと1口かじった。
「あっ……美味しい」
先程までのぼんやりとした目はどこへやら、一瞬にしてぱちっと目が開いていた。
「皆さんも、どうぞ」
柚多香はみかねの反応に満足げに頷くと、他の者にもアーモンドシュークリームを手渡していった。
「美味しいですねえ、これ。僕も今度買おうかな」
ほやっとした笑顔を浮かべ、裕哉が味の感想を述べた。
●手を動かして【3】
「1問目は簡単だから、草間さんでも解けるでしょう」
敦子がそう言ったのは、皆が一通りアーモンドシュークリームを食べ終えた時だった。そしてそのまま軽く目を閉じて思索に入る。恐らくは他の問題でも考えるつもりなのだろう。
で、その名指しされた草間だが、じっとテーブルの上のグラスを見つめていた。
「こういう問題は、実際に手を動かしてみた方が分かりやすいんだよな」
「問題に近い感じですよねえ、このグラスとそのグラス」
裕哉が空になっていたグラスを2つ指差した。高さが不揃いのグラス2つ、しかしその比率はほぼ5対3。ちょうどよい大きさであった。
「なら、誰かやってみるか?」
草間がそう言うと、ラルラドールが真っ先に手を挙げた。
「はい、僕やってみるですー☆」
にこにこ笑顔のラルラドール。グラスを2つ受け取ると、ラルラドールは奇妙な行動に出た。
「んしょ……んしょ……」
何故だか分からないが、ラルラドールは5リットルに見立てた大グラスの中に、3リットルに見立てた小グラスを入れようとしていた。だが小グラスの底の大きさが大グラスの口の大きさとほぼ同じため、僅かに入っただけで止まってしまっていた。
「はうー……入らないですー」
「何をしようとしてたんだい?」
柚多香が優しくラルラドールに尋ねた。
「上げ底にしてからお水入れて、ひっくり返そうと思ったです。でも入らないです……」
しゅんとなるラルラドール。柚多香が慰めるように、ラルラドールの頭を撫でてあげた。
「容器がどんな形でも、5リットルと3リットルの容器であれば1リットルはかれるというのが、答えとしてきっと求められていることよね。特定条件下ではなく、普遍的な答え」
シュラインが問題の意図を読み取ろうとしていた。
「素直に考えればいいと思いますよ。たぶんああだと思いますが」
柚多香がぼそっとつぶやいた。どうやら答えが頭に浮かんでいるようだ。
「あー、僕も何となく分かったような気がします」
にこにこと裕哉が言う。ひょっとすると、下手に制限がついてない分、簡単な部類だったのかもしれない。
「そうよね、素直に考えるとああしてこうして……」
2度ほど指を動かしながらシュラインが言った。
「やってみるか?」
草間がみかねに声をかけた。ドキッとするみかね。
「えっ、あのっ……私がやってもいいんですか?」
草間はみかねの質問に答える代わりに、無言で空のグラスを2つ差し出した。こうなるともうやらざるを得ない。
「お水の代わりにジュースよね。はい☆」
アンジェラがみかねにペットボトルを手渡した。みかねはキャップを開けながら、小声でつぶやいた。
「間違ってたら、すぐに言ってくださいね……」
みかねはごくっと唾を飲み込んでから、作業を開始した。
まず小グラス一杯にジュースを注ぎ入れる。それを全て大グラスへと注ぎ入れる。この時点で大グラスには3リットルのジュースが入っており、小グラスは空である。
みかねはちらっと他の者の顔を見た。柚多香とシュラインが小さく頷いていた。
再び小グラス一杯にジュースを注ぎ入れるみかね。今度もまたそれを大グラスへと注ぎ入れる。だが途中で大グラスは一杯になってしまう。この時点で大グラスには5リットルが入っている。そして小グラスに入っているのは……。
「使ったお水が3リットルの容器2杯分だから……6リットル。5リットルの容器が一杯だからそこから5を引いて……」
指折り数えながら計算するみかね。皆は黙ってその様子を見つめていた。
「残っている3リットルの容器の中身が1リットル……?」
みかねが自信なさげに皆の顔を見回した。すると柚多香が小さく拍手をした。
「恐らくそうでしょう。僕もそう考えましたから」
そしてシュラインや裕哉を見る柚多香。2人とも異議を唱えない。同じ考えだったようだ。
「じゃあ、解答を頼むな」
草間に指名され、柚多香がヴェルディアに対して第1問の答えを言った。
「御名答。簡単だったかもしれませんね」
ややあって、ヴェルディアが静かに微笑んだ。第1問、無事にクリアだ。
●東京発、新宿行き【4】
続いて第2問に取りかかる一同。山手線をよく利用する者にとっては、馴染みのある問題だろう。
「山手線内の定義って、駅名の看板に、何か記号の書いてある駅のことですよねえ、たぶん」
裕哉はそう言って、一杯に注がれたままの大グラスから、小グラスへとジュースを注ぎ直した。そして小グラスをラルラドールとみかねの中間へと差し出した。大グラスはそのまま裕哉の口元へと運ばれてゆく。
「……飲んでもいーですか?」
ちらりとみかねを見るラルラドール。みかねは少し思案してからこう言った。
「半分こする?」
「はいですー☆」
にぱっと笑ってラルラドールが答えた。
「これはわたくしには簡単ですわね」
自信ありげに言う茉莉菜。何しろ仕事で都内をしょっちゅう移動しているのだから。しかしそれを言えば、アンジェラも同様であった。
「数学はメンドクサイからアタシパスしたけど、このくらい簡単。いつもお世話になってるもの」
頬にかかった髪を直し、ニッと微笑むアンジェラ。その間にシュラインが、分厚い時刻表をパラパラと捲っていた。念のために、山手線内の定義を確認するためだ。
「載ってたわ。山手線全駅と、千駄ヶ谷、信濃町、四ッ谷、市ヶ谷、飯田橋、水道橋、そして御茶ノ水。これが山手線内の駅って定義だわ」
シュラインが都区内の路線図を指差して言った。今挙げた駅を通る路線だけ、太線で引かれていた。
「ヴェルディアお姉さんは山手線乗ったことあるですか? 僕、時々乗るですよ」
ラルラドールが素朴な疑問をヴェルディアに投げかけた。ヴェルディアは無言で微笑み、肯定も否定もしなかった。
「でも、間違えって乗っちゃうと、途中でどんどん電車が離れてゆくです……」
ラルラドールが言ってるのは、山手線と途中並行して走る京浜東北線のことだ。並行して走ってるからといって行き先を考えずに乗ってしまうと、えらいことになってしまう。
「東京を出て……こっちですか?」
裕哉が路線図の上に指を置き、東京駅からすっと品川方面へ指を滑らせていった。
「そうですわね。東京から有楽町方面行きの山手線で、代々木まで。そこで黄色い中央線……わたくしはそう呼んでいますけど、総武線の秋葉原方面行きに乗り換えて……」
茉莉菜が説明していると、アンジェラがふと口を挟んだ。
「あら? ねぇ、代々木からは中央快速で神田じゃないの?」
「代々木には基本的に赤い中央線は止まりませんわ」
きっぱりと言い切る茉莉菜。確かにその通りで、東京方面に向かう中央線で代々木に停車するのは、早朝と深夜帯程度だった。第1問と同じく普遍的な答えを求めるならば、アンジェラの答えは不完全となってしまう。
「やだわ、勘違いしちゃったわ」
アンジェラが苦笑いを浮かべた。
「代々木で総武線に乗り換えて……どこで中央快速に乗り換えるんですか?」
指を路線図の上で滑らせながら尋ねる裕哉。
「わたくしは御茶ノ水のつもりでしたけど」
「四ッ谷でもいいのよね、これって」
茉莉菜とシュラインが口々に言った。どちらにせよ、乗り換えることは可能だ。
「それで神田に出る……んですよね?」
小グラスを両手で持ったまま、みかねが言った。
「ええ。赤い中央線の東京方面行きに乗り換えてですわね。最後に、秋葉原方面行きの山手線で新宿まで。これで条件を満たしているはずですわ」
裕哉が茉莉菜の言う通りに指を滑らせてゆく。
「なるほど、確かに満たしているようですね」
感心したように柚多香がつぶやいた。これで東京駅を出て、全ての山手線内の駅を通り、新宿駅に到着したことになる。
「じゃあ解答を頼む。しかし何だ、内回り、外回りという言葉を使わないんだな」
草間が疑問を口にすると、茉莉菜は何を言うのかといった表情で草間を見た。
「どちらがどちらだか、直感的に分からないんですもの。そういう言葉は好きではありませんわ」
茉莉菜はそう言ってから、ヴェルディアに対して第2問の答えを述べた。
「御名答。残るはあと1問……一番難しい問題でしょう」
ヴェルディアは淡々と言った。
●真意の見極め【5】
さて第3問に取りかかろうという時、ラルラドールが封の開いたマカデミアンナッツを持って、ヴェルディアの方へとことこと歩いていった。
「チョコ美味しいですよー。ヴェルディアお姉さんも食べるですか?」
笑顔でマカデミアンナッツを差し出すラルラドール。ヴェルディアが身を屈めて微笑んだ。
「ありがとう」
ヴェルディアは1つ摘まみ上げると、ぽいっと口の中に放り込んだ。
「速度? 風速? うう……何が何なんでしょうか……電車の煙って何なの……?」
みかねはこめかみの辺りに指を当て、難しい表情を浮かべていた。完全にお手上げといった様子だ。もしみかねがロボットだったなら、オーバーヒートして煙を吹き出していたかもしれない。
「よく分からないですねえ……寝ちゃおうかな」
裕哉は早々と問題を解くことを諦めて、両目を閉じてソファへと深くもたれかかった。
「……あら、困りましたね」
今までずっと思索していた敦子が、不意に口を開いた。皆の視線が敦子へと集まった。そして次の言葉を待った。
「山手線の車両からは、煙は出ないんじゃないかしら? 車両火災でもあれば別ですけれど。山手線は全線禁煙のはずですしね」
「あ……」
みかねが口を開いたまま固まった。言われてみれば、山手線の車両はSLではない。だのに煙とはどういうことか?
「たぶん引っかけよね。電車でしょう?」
シュラインが問題を思い出しつつ言った。第3問では終始ヴェルディアは電車と言っていたはずである。
「この問題、『今の』山手線でいいのね?」
アンジェラが皆に確認するように言った。敦子がヴェルディアの方を向いて口を開く。
「ヴェルディアさん。答える前に1つだけ」
「何でしょう」
「この条件で、この電車から煙は出ているのですか? 『電車』と言うからには、SLのような煙はありえませんから、発煙筒のような物を焚いているのかどうかだけ」
敦子はじっとヴェルディアを見据えて尋ねた。ヴェルディアは微笑みを浮かべたまま、何も答えようとはしなかった。
「……答えが出たようですわね」
敦子が大きく息を吐いた。ヴェルディアが無言だったことが、敦子の想定する答えを裏付けていた。
「答えは『煙は出ていない』でよろしいかしら?」
「面白い答えですね。ではどうしてそう思われたのか、その理由を教えていただけますか」
敦子に言葉に淡々と切り返すヴェルディア。敦子が理由に触れようとした時、むくっと裕哉が起き上がった。目がぱっちりと見開かれていた。
「ああ……ごちゃごちゃとうるせえな、寝てられねえだろ。機関車じゃねぇんだ、電車が煙なんか出るかよ」
先程までとはがらっと口調の異なる裕哉。皆が驚きの視線を向けたが、裕哉は言うことを言ってしまうと再びソファへともたれかかり、眠りの世界へ戻ってしまった。
「……今、彼が話してくれた通りですよ。気動車等でしたらまた話も変わってきますが、山手線は『電車』なのですから」
「そうよ、煙吹くだなんて、そんな電車怖くてアタシ乗ってられないわ」
敦子の言葉の後に、アンジェラが言葉を続けた。
しばらく沈黙がその場を支配した。が、ヴェルディアがにっこりと微笑んだ。
「御名答。よく引っかかりませんでしたね。目先の数字にとらわれず、しっかりと真実を捉えていましたね」
第3問クリアの瞬間だった――。
●そこにある理由【6】
「こっ……これで帰れるんですねっ……」
みかねの全身から一気に力が抜けた。本当はそうでもないのかもしれないが、何だか数日ここに居たような感じがしていたのだ。
「それでは約束通り、元の世界へお返ししましょう」
ヴェルディアは静かに言い、すっと右手を上げた。だがその時、アンジェラの言葉が飛んだ。
「待って、今度はこっちから質問。何のためにこんな手の込んだことしたの?」
「そうだわ。何故この世界への鍵……様々な数字の謎を私たちに出し、ここへ来させるようなことをしてたのかしら?」
シュラインも気にかかっていたことを口にした。ここへ呼ぶのが目的だったとするならば、どうして直接ここへ呼ばずに回りくどいことをしたのか。
するとヴェルディアは右手を降ろして、意外な言葉を口にした。
「私自身は一切何もしていません」
「では、どなたが……」
茉莉菜はヴェルディアにそう言ってから、ちらっと3色の指輪を見た。何か感じる物があった。
「……まさか?」
「思われている通りですよ。全ては指輪の意志です。各指輪が試練を与え……ここへ連れてくるに相応しいと思ったのでしょう。紅き指輪は時間を超え、青き指輪は空間を超えました。緑の指輪は時間と空間から隔絶し……そして、白き世界なのです」
「白と言えば……光の三原色を重ねると、白になるんでしたっけ。そういえば、あの指輪、ちょうど三原色ですね。なるほど」
1人納得する敦子。指輪の色にも、しっかりと意味が存在していた訳だ。
「白はどのようにでも染められる色。すなわち時間においては、まだ見ぬ可能性なのです。時間の隙間のお話は先程しましたね。では、何故時間の隙間が存在するか、分かりますか?」
ヴェルディアは皆の顔を見つめた。答えは返ってこない。
「限りなく小さな確率ですが……考えられぬ方向へ時間が流れることがあります。その際、時間の隙間は新たなパラレルワールドとして変化するのです。時間の流れを止めぬために」
そこまで話すと、ヴェルディアはくすりと笑った。
「少々踏み込んだお話だったかもしれませんね。私も話し過ぎました。そろそろ元の世界へとお返ししましょう……」
ヴェルディアが再び右手を上げ、大きくぐるぐると回転させ始めた……。
●消えた物、残る物【7】
次の瞬間、周囲の風景が一変した。白く何もない空間ではない。いつもの、元の草間興信所へと戻ってきていたのだ。
「帰ってこれた……ようやく帰ってこれたんですねっ!」
よっぽど嬉しいのか、みかねが目を潤ませながら言った。
「帰ってこれたか……」
やれやれといった様子で草間がつぶやいた。さすがに草間も疲れたのかもしれない。
「草間、疲れたの? ……よかったら、アタシが癒してア・ゲ・ル……☆」
パチンとウィンクするアンジェラ。草間がぶるぶると頭を振った。
「て、もちろん冗談よ。それだけやれるなら、十分元気みたいね☆」
笑いながらアンジェラが言った。草間をちょっとからかってみたのだろう。
「……あれー?」
素頓狂な声をラルラドールが上げた。
「マカデミアンナッツ、数が元に戻ってるですよ?」
数を数えるラルラドール。いくつか食べていたにも関わらず、元に戻っているのだ。
「妙ですね。アーモンドシュークリームの数も元に戻ってるんですが」
首を傾げながら柚多香が言う。箱の中に、アーモンドシュークリームが当初の数だけ入っていた。
「ジュースもですわ」
さらりと言い放つ茉莉菜。見るとペットボトルの中身も、満杯に戻っていた。
「時空が乱れたのかしら……?」
この不可思議な現象にシュラインも首を傾げていた。
「わーい、シュークリーム、もう1度食べられるですー☆」
ラルラドールは、素直にもう1度アーモンドシュークリームを食べられることを喜んでいた。
「むにゃ……シュークリーム? 僕も食べたいですねえ……」
ひょこっと起き上がる裕哉。口調も当初と変わらずのんびりしたものであった。
「どうぞ。もう1度食べてください」
柚多香が皆にアーモンドシュークリームを配ってゆく。
「あら」
と、敦子が何かを見付けたのか、声を発した。
「指輪が消えてますわ」
それを聞いて、皆が一斉に指輪のあった場所を見た。3色の指輪は全て台座ごと消え失せていた。しかしその代わりに置かれていた物が1つ――大粒の白い玉であった。
「これは……真珠か?」
指先で摘まみ上げ、しげしげと見つめる草間。指輪の代わりにこれが置かれていたのだから、そこには何らかの意味が込められているのだろう。そういえば、真珠は白である。
「まあいい。記念として取っておこう」
そう言って草間は、真珠を金庫の中へと仕舞うことを決めた。
今もその真珠は、草間興信所の金庫の中に大切に仕舞われている。
【そして、白き世界 了】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 整理番号 / PC名(読み)
/ 性別 / 年齢 / 職業 】
【 0033 / エルトゥール・茉莉菜(えるとぅーる・まりな)
/ 女 / 26 / 占い師 】
【 0076 / 室田・充(むろた・みつる)
/ 男 / 29 / サラリーマン 】
【 0086 / シュライン・エマ(しゅらいん・えま)
/ 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト 】
【 0152 / ラルラドール・レッドリバー(らるらどーる・れっどりばー)
/ 男 / 12 / 暗殺者 】
【 0196 / 冷泉院・柚多香(れいぜいいん・ゆたか)
/ 男 / 20代半ば? / 萬屋 道玄坂分室 】
【 0249 / 志神・みかね(しがみ・みかね)
/ 女 / 15 / 学生 】
【 0482 / 高橋・敦子(たかはし・あつこ)
/ 女 / 52 / 会社社長 】
【 0646 / 道明寺・裕哉(どうみょうじ・ゆうや)
/ 男 / 18 / アルバイター 】
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■ ライター通信 ■
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・『東京怪談ウェブゲーム』へのご参加ありがとうございます。本依頼の担当ライター、高原恵です。
・高原は原則としてPCを名で表記するようにしています。
・各タイトルの後ろには英数字がついていますが、数字は時間軸の流れを、英字が同時間帯別場面を意味します。ですので、1から始まっていなかったり、途中の数字が飛んでいる場合もあります。
・なお、本依頼の文章は(オープニングを除き)全7場面で構成されています。今回は展開上皆さん同一の文章になっています。
・今回の参加者一覧は整理番号順で固定しています。
・お待たせしました、指輪シリーズの最終回をお届けします。しかし、時間についての高原の考え方が少し出たような気もしますね。
・この指輪シリーズの問題のレベル、全体的にどうだったんでしょう。今回のシリーズの場合、能力でどうにかなると言うよりは、かなりプレイング内容が問われることになったのではないかと思いますが。まあ、たまにはこういった類の依頼があってもいいでしょう。
・依頼公開時には『1人1答』と書いてありましたが、結果的に複数の解答に触れている方がそれなりに居ましたので、予定を変更させていただきました。申し訳ありません。ですので、答えるべき問題がプレイングと異なっている方も出ています。
・さて、東イベ9まで1ヶ月ほどとなりましたが、高原は全日参加する予定でいます。もし当日来られる方が居ましたなら、どうぞよろしくお願いしますね。
・シュライン・エマさん、29度目のご参加ありがとうございます。はい、今回が白でした。そういえばこのシリーズは全て参加でしたね。代々木の件は、きちんと伝わりましたのでご安心を。カレー粉は魔法の粉ですとも。ちなみに鍋をした後でカレーを作るというのは、実際にあるんですよ。
・感想等ありましたら、お気軽にテラコン等よりお送りください。
・それでは、また別の依頼でお会いできることを願って。
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