|
調査コードネーム:旅館 『紫野』
執筆ライター :紺野ふずき
調査組織名 :月刊アトラス編集部
募集予定人数 :1人〜5人(最低数は必ず1人からです)
------<オープニング>-----------------------
「息抜きよ息抜き! 社員旅行、決まり! 三下君、ここ手配しといて」
うだるような残暑にだれている月刊アトラス編集部で、麗香は三下に一枚の広告を差し出した。安い紙質の手書きチラシで裏には何も書かれていない。表のインクが微かに滲んでいる。
『一泊二食付き四千円! 格安で泊まる長野の天然温泉宿』
真っ赤な血文字のようなソレは、見るからに怪しい。住所は無く旅館名と電話番号のみで、ひっそりと最下段に『出ます』と添えてある。
何が……と三下は思った。
「……お言葉ですが、編集長。このチラシ……。今日の折り込みですか?」
「毎々新聞よ。何か文句ある?」
「いえ、その。同じ新聞を取ってますが、僕の所には──」
ジロリと一瞥。麗香の冷たい視線が三下に突き刺さった。爆発物に点火の恐れを感じる。三下は慌てた。
「い、いえ! 何でもありません! すす、直ぐに手配します!」
壮絶に怪しいですけど! とは言えない。そんな三下を尻目に麗香は「そうそう」と付け足した。
「いつもお世話になってる彼らに彼女達、今回は参加『可』だから、一緒に声をかけておいてくれる? もちろん旅行代はこっち持ちだから気にしないでって」
「は、はあ……」
麗香の颯爽とした後ろ姿を見送って、三下はもう一度チラシに目を通した。どの角度から見ても怪しい物は怪しい。そしてこの血文字はどうにかできなかったのか。
「出ます……って……編集長ぉ〜……」
情けない声を出しながら三下は受話器を手に取った。
-----------------------------------------------------
旅館 『紫野』
── 東京発長野行き ──
『一泊二食付き四千円!
格安で泊まる長野の天然温泉宿
旅館 紫野
0×××─××─××××』
出ます。
「出るんです」
三下は例のチラシを取り出して言った。血文字風、格安旅館案内。
「碇……壮絶に怪しすぎるぞ……」
クールな陰陽師が微かに眉を潜めた。その言葉に誰もがやはり眉根を寄せる。
一同は長野行き新幹線『あさま』の発車ホームに集結していた。今回の旅行にゲストとして呼ばれたのは六人。
神社仏閣好きの温厚カメラマン大角御影(おおつのみかげ)。秀麗なる翻訳家にして幽霊作家のシュライン・エマと、若き陰陽道の伊達者、真名神慶悟(まながみけいご)。数百年の時を彷徨う闇医者レイベル・ラブに、巨躯に髭、全国行脚の大阿闍梨、浄業院是戒(じょうごういんぜかい)。そして最後は長い髪を揺らした『安楽寺』の住職、影崎雅(かげざきみやび)だ。
一同はベンチの一つを陣取り、手際よく『チラシ』の分析を進めていくレイベルの膝元を覗き込んでいた。ルミノール反応、残留思念、呪術穿孔跡、圧力による紙質繊維の変化。細い指は踊るように動く。だが霊的な反応や事件を思わせる結果は何も得られなかった。
白地に赤文字の五行。何が怪しいのか。どこが怪しいのか。どの辺なのか。この辺か。そこか。とにかくどこからどう見てもすこぶる怪しい。太い、赤い、汚い、赤い。手書きというよりむしろ指書き。殺人現場に残されていればダイイングメッセージだと思うようなソレ。雅は苦笑を浮かべた。
「そもそもこの折り込みは本当に新聞に入ってたやつなのか? 碇女史の事だから、今イチ信用できないよなぁ」
「そうね。それに『出る』って一体何が出るのかしら。怪奇心霊系サイトにこの旅館の噂はなかったんだけど」
と、シュラインも女らしい肩をすくめてみせた。その輪の後ろで三下は一人佇んでいる。何とも不安気な様子だ。気が付いた御影が笑いかけた。
「でも四千円は安いよね♪ 『出る』って言っても、野生の動物かもしれないし、豪華な食事の事かもしれないよ? そう考えて楽しく行こうよ」
救世主登場。
「……まぁ、この安さからしてアッチ系であることは間違いなさそうだけどね」
ニッコリ。
鬼登場。人がいいのか悪いのか。涙を流す三下と、どこまでも朗らかな口調の御影に、雅と是戒は苦笑した。
「でもまぁ、つれてってもらう身分だから、何があってもモンクは無しだ。出るなら出るで、それも楽しませてもらおうじゃないの」
「うむ。儂もこんな話でもなければ、電車やバスになど乗るまい」
是戒は集合場所が改札前であった事に、人知れずホッとしていた。そうでもなければ通り方の解らぬ改札に立ち往生しただろう。二人の話を聞いて慶悟がフと笑った。
「これも日々精進の賜物か……陰陽の巡りに感謝する」
したり顔。一行は思わず吹き出した。
それにしてもメンバーの中に足りない顔がある。この旅館を選んだ張本人、麗香がここにいない。シュラインが三下に訊ねた。
「はい、あの……。編集長は急な取材が入って……」
──あの女。生け贄となった一行の思いを乗せて『あさま』は片道一時間と四十分の信州路へと出発した。
── 旅の醍醐味、食い道楽 ──
『牛にひかれて善光寺参り』という言葉がある。その昔、牛に轢かれるとこの寺に屠られて参った。
「違います」
ガイドがお約束の最中、月刊アトラス編集部の一行はここ長野県長野市善光寺へと来ていた。荘厳にして雄大。本堂は国宝に指定されているっぽい。社員旅行とはつまり、宿付きの呑み会と読む。よってそこにあるのが国宝でも大根でもあまりアトラス社員には関係がなかった。列車の中のビールが効いたのか、空いているベンチで居眠りをする社員もちらほらと見受けられる。
今回の旅のゲストメンバー達は、そんな中でもそれなりに楽しんでいた。正門で御影のシャッター音が軽快に響く。
「すごいなあ、壮観だなぁ! ここのご本尊は確か阿弥陀如来でしたよね」
饒舌になっている御影に「うむうむ」と頷いているのは是戒だ。二人とも善光寺を満喫しているようだ。そしてその輪とは別に満喫している男が一人。ハトと戯れている楽しげな男、三下。
「皆さあぁん、見てくださあああい! ほらああ、すごいと思いませんかああ」
ああ、すごい。戯れているというより、襲われている。頭に二羽、肩に九羽、靴の上に二羽。都合十三羽を乗せ、すぐ横にいるハトのエサ売りに、三下は追加の小銭を出した。
「おじいさん、もう一つエサを下さい」
おばあさんだろ? 傍で聞いていた慶悟と雅は思った。面白いから訂正せずに遠ざかる。おばあさんはにこやかな顔で怒っていた。気がつけ三下。グッバイ三下。
その喧噪とはよそに、木陰のベンチでは絵になる女性陣、レイベルとシュラインが談笑していた。手にしたおみくじを互いに覗き込んでいる。古の地に咲く二輪の華とでも言った所だろう。その後ろを三下が走り抜けて行った。数羽のハトが彼の背中を追っている。ハトに好かれたらしい。良い事だ。
一行はそれからガイドの話を聞いたり聞かなかったり、むしろ聞かなかったりしながら、闇の道『大伽藍』に足を踏み入れ、参道で土産を横目に『おやき』をつまみ食いした。男女問わず野沢菜が一番人気のようだ。昼は善光寺界隈でも有名な老舗の名店『今ムラそば』で蕎麦の風味豊かなコシのある麺に舌鼓を打ち、お腹が一杯になった所でバスに乗り込み長野市を後にした。
そこからバスに揺られる事三十分。果樹畑に実る青い栗や林檎を眺めつつ、満腹感にうたた寝や束の間の休息を味わった後、隣の市『小布施』で古い町並みを堪能。珍しい照明を取り扱った博物館などを流し見、名物『栗ソフト』を味わった。
随所で鳴っていた御影のシャッター音は、フィルム数にして六本分。史跡建造物が五割。旅の何気ないシーンが三割。誰かが何かしらを食べている光景が何故か二割も占めた。旅とはそういうものである。
そしていよいよ問題の旅館『紫野』へと向かって、バスは山道へ入った。どんなボロ屋敷が待ちかまえているかと思いきや、そこに佇んでいたのは以外にも、江戸時代を思わせる優美なる佇まい。創立二百年、当主八代目の老舗旅館だった。
笑顔で出迎えた女将はバスから降りてきた一向に深々と頭を下げる。何かが出るような暗さは感じられず、他の従業員の態度も気持ちがいいほど整っていた。
慶悟はドヤドヤと足を進める一行の最後尾で、式神を数体放った。周辺、館内、その走査の為だ。玄関ではメンバー五人が立ち止まっていた。是戒の背中に尋ねる。
「どうした?」
「うむ、番頭が」
八人。現番頭が「どうぞ」と頭を下げる。その後ろで七人の番頭が頭を下げる。どうやら先代の霊らしい。総勢八人の番頭が一斉に頭を下げた。
シュラインと御影を筆頭に、アトラス社員や旅館の関係者には見えていない。害もなく旅館の守護的存在のようだ。駆除や浄化の対象ではないだろう。だが……
「見事な幽霊屋敷だな」
レイベルの呟きに二人の僧と陰陽師が頷いた。
── 番頭八人衆 ──
時にして午後四時。夕飯と称した大宴会まで後二時間。部屋割りも決まり一行は男性四人と、女性二人に分かれた。
まずは是戒が動き出す。番頭の話を聞きに行くという声に、御影が続いた。
通路を行くと番頭がロビー脇で仲居と話をしているのが見えた。声をかけると彼女は軽い会釈をして下がって行った。
「いかがなされましたか?」
と、番頭総勢八人が一斉に首を傾ける。御影は是戒の横で館内の写真を撮っていた。
「うむ。あの『チラシ』について聞きたい。送り主は番頭、お主か? 『出る』とあったが、一体何が出るのだ? 見た所……」
是戒は背後の七人をジッと見つめた。ジッと見つめ返される。仕事熱心ないい顔をしていた。
「これといって悪い気は感じんが」
現番頭はフーっと息を吐き出した。伏し目がちに首を振り黙り込む。御影は覗き込んでいたカメラから目を離した。
「……やっぱり何か出るんですか」
番頭は沈黙している。七人の番頭も沈黙している。総勢八人の番頭が沈黙している。現番頭が言った。
「言えません……まだ」
だからそれを聞いてるんですけど……。二人沈黙。
是戒は刈り込んだ髭を撫でた。どうしたものか。番頭はそれ以上の質問を避ける為か、そそくさと頭を下げ総勢八人で行ってしまった。
「旅館のチェックでもしましょうか」
「うむ。仕方ない、番頭の話は諦めて足で探すとしよう」
二人はやれやれと顔を見合わせた。
── 目に見えぬ従業員 ──
「タチの悪い奴が出たら、まとめてごっそり浄化させてもらうけどな」
言いながら雅は部屋に用意されていた名物『栗らくがん』を頬張った。渋目に入れたお茶が美味い。慶悟の前には飛ばした式神が、戻り始めていた。テーブルの上に座り込む小さなそれを、ジッと見つめる。シュラインとレイベルが打ち合わせに来て合流した。
「番頭の他にもまだいるな」
「じゃあ、それが出るっていう?」
シュラインが問う。いいや、と慶悟は首を横に振った。
布団の上げ下ろしに精を出す者。絨毯敷きの廊下を掃除する者。風呂場のタイルを磨く者。全てここで働いていた従業員の霊だ。この旅館はかなり愛されているらしい。皆イヤな顔一つせず死して尚、ここで働いている。
レイベルがシュラインに言葉を足した。
「邪気を放つ者はいない。周りには見えていないし、害も無いよ。出るとすれば別の何かだろう」
用の済んだ式神が慶悟の合図で姿を消す。宴会まで一時間半。やはり足で探すしか無さそうだ。四人は部屋の外へと繰り出した。
── 宴 ──
何もいない。何も感じない。一体何が出るというのか。一行はその疑問を抱えたまま、酒の席へと突入した。
強いとは言え、やはり変化は現れる。宴もたけなわ、会場を占領していられるのも残り僅かの午後九時前。カメラマンの口調、態度がガラリと変わった。のんびりとしていたそれは滑舌よく軽快に推理を展開していく。
『あのチラシは明らかに旅館の関係者が、自らの手で投函したもの。人気のない早朝のポストに入れるのは容易いはず。新聞に挟むのも然り。では何故そんな事をしたのか。アトラスのメディアとしての力を利用したかったからに違いない。見たところ、旅館自体のサービスはいいし、従業員の統率も優れている。問題があるとすれば客足。平日だとしても、空いている部屋が目立ちすぎる。老舗という肩書き上、サービスの質を落とす事ができないとしたら、この入りでの切り盛りはキツイ。企業にとって一番かさばるのは経費。その中で最初に削る事を考えるのは、人件費に広告宣伝費。でも、広告費を落とすとなれば、それはつまり客足を遠のかせる事にもなる。売りにしたい情報を、知らせる事ができなくなる。かといって中途半端な宣伝では効果はあまり期待できない。地元誌や地方誌で宣伝されても欲しいのは他県の客のはず。と、なれば全国規模で展開する大きな力が必要となる。でもまともな方法では莫大な掲載料がかかってしまう。そこで今回のようなたくらみを考え出した。アトラスという雑誌を選んだ理由は、関係者の誰かにファンがいて、扱う記事や体質をよく知る者がいたとか。まあ、そんな理由だと思う。とにかく、あの簡単な紙一枚で興味を引く事が出来るならしめたもの。場合によっては記事にしてもらえるかもしれない。失敗したとしても往復の電車賃ほどのリスクだけ。……では、一体何が出るのか。答えはこのチラシの中に最初から隠されている。つまり出るのは──』
「天然温泉!」
別人と化した御影はズバリ一言で言い切った。無理のない、いかにもな話だ。なるほどとシュラインは頷く。ほぼ同じ量の酒を二人は飲んでいたが、御影の豹変ぶりに対してシュラインの見た目に変化は無い。テキーラ三本という過去の記録はダテじゃないようだ。が?
「そでなら全ての辻妻があうわね。幽霊、じゃなたったら狐や狸の類かと思ったんなけど」
呂律が回っていなかった。それが常に冷静なシュラインに何気ない可愛さを加えている。おっとり屋と、そつ無き美女の対照的な酔いの違いだ。
しかしどんなに杯を重ねても全く変わらない者もいる。是戒だ。楽しく酒を呑む事に徹している。声の大きさも豪快な笑いも変わらない。その是戒と面と向かって酒を酌み交わしているのは意外にもレイベルだ。体液の全てをアルコールに置換え、代理代謝を行いながら飲み続けている。ありとあらゆる祝福と呪いを受けた結果、死なない体を手に入れた彼女ならではの飲み方だろう。『底抜け』の文字を二人して背負っていた。
「うむ、なかなかやるのう!」
「大した事じゃないよ」
そしてゴクリ。レイベルは空になったグラスを置く。ドシャ。グラスが割れた。何気なく酒をつがれて乾杯。ガシャ。グラスが割れた。酒を継ごうとしたビンの口で相手のグラスがバリ。グラスが割れた。どうやらレイベルは密かに自制が利かなくなっているらしい。電柱をへし折る怪力が溢れている。
「俺よりすごいんじゃないか?」
是戒の隣で二人のやりとりを見ていた雅が苦笑した。だが、そんな雅にも確実に酔いの効果が現れてきていた。日本酒三本以降は未知の領域と言っていた雅だが、すでにテーブルの上には五本目の日本酒「月桂山」が乗っていた。
時々、宴会場で働く仲居の霊に向かって、刺身に添えられていたキュウリのスライスを飛ばす。普通の者が投げれば素通りするそれは、ペタリと仲居に貼り付き浮遊キュウリとなって彷徨っていた。気が付いたアトラスの社員はしきりと目をこすって、それを見つめている。酔っているんだ、と納得。それを見ていたずらっぽい目で笑っている雅に、一同は「こら」と思いながらも一緒になって吹き出していた。そして──
とうとう真打ちが登場した。ス、と長身が立ち上がる。慶悟だ。沈黙しているカラオケに近づくとマイクを持ち、突然『陰陽道』についての講釈を始めた。
「全てには定めがある……酒の席の酒は呑む為に在るが如く……酒は呑まれる為に在り、俺がこの場に在る以上、俺はそれを呑まねばならない……悪障有るならばそれを正し、誅する……それに同じ……これが摂理というものだ……」
拍手喝采。皆、酔っていて講釈の内容を把握していない。三下が慶悟の前に正座して目を輝かせていた。
宴はさらに一時間延長され、アトラス一行は『旅館内のスナックで追い酒派』と『温泉派』に分かれて去った。ゲストメンバー達はもちろん『温泉派』である。シュラインは急事の際の水着を忘れなかった。
ウイスキー七本。日本酒二ケース分。ビールや徳利の数はもはや不明。これがメンバーだけで飲み干した酒の量である。宴会荒らしが『出た』と仲居は女将に告げた。
── 丑三つ時の怪 ──
月も高い午前三時の布団の中。男達は一人を除いて目を覚ましていた。どこかですすり泣きが聞こえるのだ。旅館の中からと言う事は確実なのだが、随分と遠い。是戒がむくりと起きあがった。慶悟も続いて身を起こす。雅はアクビをしながら銀杖を手に取った。御影は完全に寝入っていて全く起きる様子ない。声をかけても揺すっても安らかな寝顔で眠り続けている。気絶に近い。仕方なく三人は置いていく事を選んだ。
一方、女部屋でもその声に耳を傾けている影があった。レイベルとシュラインである。シュラインはすぐに動けるようにと、身支度のいらない姿で横になっていた。レイベルにしても然りのようだ。顔を見合わせ部屋を出る。
通路で五人は顔を突き合わせた。
「行こう」
レイベルの声を合図に、一同は人っ子一人いない暗がりの廊下を進んだ。省エネの為か、ロビーも通路も電気と言えば灯るのは『出口に向かって走る人』緑色の非常灯だけだ。暗い。
「……まあ、こんな時間に部屋の外をうろつくヤツはいないよな」
雅が最後尾で言った。五人は長い直線を歩いた後、どんつきを左に折れ、さらに真っ直ぐの廊下を進んだ。この時間の館内は、スリッパ履きの足音がうるさいと感じる程に静かだ。宴会場脇を抜け、風呂場の前を通り、その間何人かの仲居の霊に会いながら娯楽場へとたどり着いた。古いゲームに卓球台。旅館お決まりの遊具類だ。ゲームの電源は落とされている。その奥の通路にはすでに閉店しているスナックがあった。問題の声はその辺りから聞こえてくる。弱く細い声で、非情に情けない。それはスナック前の男子トイレから漏れていた。
「この声やっぱり……」
シュラインが言った。一同沈黙。トイレの前まで行き、雅が扉を開けた。入って左の奥から三番目。半開きになったドアから、男の声がする。まるで緊迫感もなく一同はトイレに並び立った。
「ほえぇ」
個室に人影。間違いない。三下だ。泥酔しているらしく、壁にもたれて座りこんでいる。かなり辛そうだ。思い切って引導を渡してやりたくもなるが、シュラインの介抱に任せた。彼はその間中、泣きながら自分の不幸を訴えていた。
「僕だって一生懸命やってるんですぅ。編集長に喜んでもらおうと思ってぇ」
ある意味、霊より哀れである。浄化が必要かもしれない。宴会後、スナックで飲み過ぎ途中退席、その後に駆け込んだトイレで、皆に存在を忘れられ、やるせなくて泣いていたらしい。是戒に背負われ、レイベルにクスリを渡されて彼はトイレを後にした。出番の無かった雅の銀杖がシャラリと鳴った。
── 旅館『紫野』 ──
ヒグラシ鳴く快晴の朝。アトラスの一行はロビーに集結し始めていた。朝風呂を堪能したメンバーは、あれだけ呑んだにも関わらずスッキリとした顔をしている。御影を除いて。
「急性アルコール中毒……には見えないが、大丈夫か?」
雅と慶悟の肩を借り、御影は立ち寝していた。顔の血色もよく、単に爆睡中のようだ。例の騒ぎも知らず未だ眠りこけている。三下はと言えば、ロビーに置かれたソファーの上で死んでいた。引導を渡すなら今かも知れない。
一同は送り出す為に現れた番頭を掴まえた。それと一緒に七人の番頭も掴まえる。総勢八人の番頭を掴まえた! 番頭の話。
「すぐにバレてはと、昨日ははぐらかしてしまいまして申し訳ございません。チラシは私が投函しました。この不景気ですし、思い切って今までの宿泊料金を半分に下げたのはいいのですが、皆様のお耳に届かない事には……。かといって広告を出すにも経費がかかりますし。それで夜のうちに列車に乗り、東京にいる三男坊の所で一泊。朝一で出向きまして、そのままトンボ帰りで戻りました。『月刊アトラス』は私の愛読書でして、はい」
頷きながら是戒が言う。
「では、一体何が出るのだ?」
「はい。皆様、すでにそれをお目にされていますよ」
「先代や仲居達の事か?」
「は……?」
慶悟の言葉に、番頭は不思議そうな顔をした。背後の番頭達がダメダメと首を振る。どうやら秘密らしい。一同が沈黙すると、番頭が言った。
「皆様、今朝もお召し上がりになられて。創立から二百年。一時も枯れる事なく吹き出し続ける当旅館自慢の──」
『──天然温泉?』
ハア……。誰かがため息をついた。図らずも酔って流した口上がご明察とはつゆ知らず、御影は死人のように眠り続けている。番頭は晴れ晴れとした顔で笑った。
「先ほど、碇様より連絡を頂きまして、事の次第を伝えましたら、そうではないかと笑われて……今後も利用してくださるとか。次の号で掲載もして頂ける事になりました。皆様、よろしければどうかこれからもごひいきに。アトラス関係者様ということで、さらに半額にてご奉仕させて頂きます」
深々と頭を下げた番頭の後ろで、深々と頭を下げる七人の番頭達。総勢八人の番頭に頭を下げられて、是戒が突然笑い出した。
「まあ、よいわ! 何事もないのが一番。機会あればまた利用させてもらおう」
「そうね。旅としては十分楽しかったし」
「これも又巡り……文句は言えないか」
「暴れられなくて物足りない気はするけどな」
シュライン、慶悟、雅と続く。レイベルはやれやれと首を振った。
「三下を助けにきたようなものだな」
ソファーの上で三下が派手なくしゃみをした。
一行は旅館従業員と番頭と、七人の番頭達と他大勢の不可視仲居に見送られて玄関を出た。すでに迎えのバスが待っている。昨日とは違うバスの屋根に、恨めしげな顔をした男の霊が貼り付いていた。邪気がプンプンと漂っている。このまま走れば事故が起きるだろう。御影の支えをレイベルが代わる。不燃焼気味の僧と陰陽師が一斉に飛び出した。銀杖が鳴る。印を切る。喝が飛ぶ。三人の活き活きとした声に、シュラインは肩をすくめて苦笑した。
深い深い空の青。どうやら二日目の旅も快晴に見舞われたようだ。緩やかな風に木々の緑が揺れていた。
終
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 (年齢) > 性別 / 職業 / お酒の効果】
【0028 / 大角・御影/ おおつの・みかげ(24)】
男 / フリーカメラマン
思考・分析・推理・話術能力、シャッキリ冴え渡る
【0086 / シュライン・エマ/ しゅらいん・えま(26)】
女 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
呂律が回らなくなる
【0389 / 真名神・慶悟 / まながみ・けいご(20)】
男 / 陰陽師
陰陽道についての説法が始まる
【0606/ レイベル・ラブ/ れいべる・らぶ(395)】
女 / ストリートドクター
自制が少々効かなくなる
【0838 / 浄業院・是戒/ じょうごういん・ぜかい(55)】
男 / 真言宗・大阿闍梨位の密教僧
見た目も口調も変わらずにとにかく楽しく飲み倒し
【0843 / 影崎・雅 / かげざき・みやび(27)】
男 / トラブル清掃業+時々住職
酔った事はなし。一升ビン3本から先は未踏の領域
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
こんにちわ紺野です。
大変遅くなりましたが、『旅館 紫野』をお届けします。
レイベル様、御影様、初めまして。
シュライン様、慶悟様、是戒様、雅様、いつもありがとうございます。
さて皆様、今回は全編を通してのコミカルと予告通りの
展開となりましたがいかがでしたでしょうか。
テンポを保つ為、いつもの人物描写はカットさせて頂きました。
期待していた方がいらっしゃったらごめんなさい!
流れの方でクスリとでもしていただければ幸いです。
紺野はライター通信下手だと判明しています……。
一人一人の方へ感想を言ってみたいのですが
全く上手にまとまりません(汗)
タスケテー
では、次回からは通常の傾向に戻ります。
何かありましたら紺野までお願い致します。
今後ますますの皆様のご活躍を祈りつつ、
またお逢いできますよう……
紺野ふずき
|
|
|