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<PCシナリオノベル(シングル)>


三力士
 事務所が揺れている。
 なんだろう?
 最近話題の東海大地震だろうか?
「‥‥そんなわけあるはずないんだけどね‥‥」
 パソコンのディスプレイから視線をドア方向に移し、シュライン・エマが溜息をついた。
 突発性地震の原因は承知している。
 したくはないが、させられている。
 だからこそ、なんとかしなくてはならないのだ。
 握りしめた拳に力を込める碧眼の美女の前で、扉が開かれる。
 打ち破るかのような勢いで。
 草間興信所。
 冠された名前が示すように、彼女はこの事務所の経営者ではない。
 たとえ会計のすべてを握っていたとしても、所長の肩書きをもつ人間が別に存在している。
 名を、草間武彦という。
 怪奇探偵の通り名で知られる男だ。
 柳眉するどく精悍で、知識と経験を兼ね備えたナイスガイ。
 まあ、そこまでいうと誉めすぎだが。
 ようするに、いま、シュラインの前に立っている飽食したトドのような男とは、似ても似つかぬ良い男のはずだ。
 はずなのだ。
 それなのにそれなのにそれなのに。
「‥‥また買ってきたのね‥‥武彦さん」
 内心の涙をひた隠しながら、掠れた声を絞り出す。
「すまんでごわす。どうしてもやめられんでごわす」
 武彦と呼ばれたボンレスハムが応える。
 鹿児島弁で。
 マリアナ海溝より深いシュラインの溜息。
 彼女は人間を外見で判断するような愚劣さとは無縁であったが、それでも、ものには限度というものがあろう。
 恋人がトドというのも、かなりの勢いで嫌だ。
 それに、草間だけならともかくとして、所長の義妹たる零までハムになっているのは、見るに忍びなさすぎるというものだ。
「零ちゃん‥‥あなた食事を採る必要ないでしょうに‥‥」
「ごっつぁんです。美味いでやめられんでごわす」
「あぁぁ‥‥」
 シュラインの嘆きが、ベルリンの壁のような肉壁に反射する。
 清楚な少女が、ハムになった上に怪しげな鹿児島弁まで使うとは‥‥。
 見せられない。
 こんな姿、誰にも見せられない。
 ちなみに強権を発動させたシュラインが事務所の営業をストップさせたのは三日前のことである。
 以来、すべての依頼を断り、面会者を追い払い、興信所は蟄居中の武家屋敷みたいに静まりかえっている。
 むろん、そんなことをすれば収入は断たれてしまうが、どのみちこんな状態では仕事などできないので、これは仕方がない。
 二頭のトドを人目に晒しては、事務所の存続自体が危うくなる。
 とはいえ、いつまでも営業を停止していられるほど草間興信所の会計は豊かではないのも確かだ。
 可及的速やかに事態を解決し、草間と零を元に戻す。
 それしかあるまい。
 こうして、シュラインの孤独な戦いは幕を開けたのだ。
「待っててね‥‥零ちゃん、それに武彦さん。私が助けてあげるから‥‥」
 悲壮な決意を胸に、ふたたびパソコンと向かい合う蒼瞼の美女。
 知ってか知らずか、トド兄妹がインスタントラーメンを貪り食っていた。
 はふはふ言いながら。


 もともと、とある食品会社の調査を始めたことから、今回の悲劇は端を発している。
 より正確には、大石食品という会社の『力士らーめん』という食品についての調査だ。
 人気沸騰中のインスタントラーメンで、あまりの味の良さに一度食べたら虜になってしまい、他の食品は採らなくなるという。
 にわかには信じられない話である。
 この味の調査をするため、怪奇探偵が動き出したのだが‥‥。
 世に『ミイラ取りがミイラになる』という警句がある。
 総天然色見本として例に挙げるべき存在が、草間兄妹だ。
 秘密を探るために試食した二人は、見事なまでに囚われた。
 以後、兄妹の体重は増え続け、現在に至るわけである。
「‥‥やっぱり直接のりこむしかないか‥‥」
 あらかたの資料をプリントアウトしたシュラインが呟く。
 普段の彼女なら、このような粗雑なプランは絶対に立てない。
 より慎重に、より確実に。
 モットーというより、怪奇探偵の薫陶だろう。
 しかし、現状はいささか異なる。
 頼みの綱である草間の頭脳は、件のラーメンに支配されているし、口をついて出る言葉も意味不明な鹿児島弁だけだ。
 まったく当てにできないのである。
 となれば、すべてシュライン一人でやるしかない。
 黙々と装備を調える。
 暗視ゴーグル。黒装束。足首に括りつけたコンバットナイフ。
 長く美しい黒髪はひとまとめにして後頭部で縛る。
 現代版くのいちといったところだろうか。
 ただ、腰に差しているのは忍者刀ではなく、軍配団扇であるが。
 いくつかの傍証から、彼女自身が選び出した切り札だ。
「‥‥じゃあ‥‥行ってくるから」
 ソファーで眠り込むトド兄妹にちらりと視線を送り、キーを手に取る。
 乗用車の鍵ではない。
 追跡用に新規購入したオートバイの鍵だ。
 ガレージに降りたシュラインを赤と黒にカラーリングされた『カタナ』が、訓練された軍馬のように出迎えた。

 腰に軍配を差したライダーが漆黒の闇を切り裂いて奔る。


 大石食品。
 社長、大石山倉之助が一代で築き上げたカップ麺業界の雄である。
 とはいえ、
「まるっきり町工場よね‥‥儲かってないのかしら?」
 シュラインが呟くとおり、たいして立派な社屋をもっているわけではない。
 少し甘めに点数をつけて、三流企業というところだろうか。
「っと、油断は禁物。気を引き締めてかからなくちゃ」
 自らの頬を軽く叩く。
 警戒していてなにもなかったときは笑い話で済む。
 しかし、警戒を怠って何かあったときは、残念ながら笑えないのだ。
 暗視ゴーグルを装着したくのいちが、音もなく移動を開始した。
「赤外線探知システム‥‥」
 青い瞳の半分ほどを赤い線が満たしている。
 考えるまでもなく、警報装置に直結しているだろう。
「‥‥素人にしては気合いの入りすぎた警戒ね‥‥」
 薄く笑ったシュラインが、一気に跳躍した。
 見えている赤外線など恐れる必要はない。
 真に恐れるべきは見えざる敵。
 すなわち、慢心と怯懦だ。
 隠形のように身を潜めつつ、軍配持参のくのいちが駆ける。
 目指すは味の秘密を握るであろう研究室のみ。
 そこで、恋人を元に戻す方法を探るのだ。
 財政基盤や正体などを調べる必要はいささかもない。
 明確に目的意識を持ち、それを達成したら躊躇せず撤収する。
 草間や友人たちから幾度となく教わったことだ。
「意外に近代的ね‥‥」
 ごく容易に内部への侵入を果たしたシュラインの前には、オートメーション化された工場が展開されていた。
 まるで軍需工場のようだ。
 なぜかマワシを締めた警備員の姿も、ちらほら見える。
 しかも、どういうわけか全員がよく肥えている。
 壁に張り付き、天上裏を這い、気配を殺しながら進む。
 製麺工場そのものには用はない。
 研究室を探すのだ。
「それにしても‥‥二四時間体勢で動いてるなんて‥‥」
 内心で呟く。
 とても人間業とは思えない。
 機械を導入し、作業効率の上昇を図っているといっても、最終的な味を決めるのは人間の舌だ。
 そのあたりはどうなっているのだろう?
 疑問を抱きつつ先を急ぐ。
 やがて、彼女の前に意外極まる光景がひろがった。
 おそらく、研究室だ。
 様々な機材から、なんとなく判る。
 青い目の美女の脳細胞は、現実を受けとめることを拒否していた。
 およそ良識ある人間とは相容れないものが、研究室内に鎮座ましましている。
 曰く、土俵だ。
 もしここが両国国技館か神社の境内なら、べつに珍でも妙でもないが。
「それに‥‥あれ‥‥なにしてるの‥‥?」
 土俵の中央部では、三名ほどの力士が四股を踏んでいる。
 噴き出す汗が暑苦しい。
 否、暑苦しいだけならまだしも、どうやらその汗は研究員たちによって採取されている。
「今日も良い脂がデルでごわす」
「力士ラーメンもますます美味くなるでごわす」
「もっと太目を増やすでごわす」
 意味の判らぬことをほざく力士たち。
「脂‥‥美味しくなる‥‥太目‥‥?」
 口のなかで反芻するシュライン。
 まさか!?
 天啓が閃く。
 旨いと評判のカップラーメンには、あの連中の汗が調味料として使われている!?
 理解は生理的嫌悪を伴った。
 あまりにも嫌すぎる結末である。
 ああ‥‥食べなくてよかった‥‥。
 彼女の感想ももっともだ。
 しかし、この、やや失調した安堵感が落とし穴となった。
 思わず漏れた溜息が、彼女が期待したものよりずっと大きかったのだ。
「なにものでごわす!?」
 誰何と共に、力士が排気ダクトに駆け寄る。
 見つかった!!
 理解は行動に直結した。
 素早く体勢を入れ替え、排気口を蹴りつける!
 力ずくで引きずり出されては勝機などない。
 膂力が違いすぎるし、そもそも数が違う。
 寡をもって衆にあたるには奇襲を旨とせよ。
 古代の兵法書にもある。
 機先を制することが大切なのだ。
 強烈な蹴りをまともに喰らい、力士の一人が吹き飛ぶ。
 その隙に、シュラインは研究室への侵入を果たした。
 逃亡を図らなかったのにも複数の打算が働いている。
 存在がしれてしまった以上、排気ダクト内にいては行動が制限される。どちらにしても床に降りねばならないなら、これを奇貨とした方がましだ。
 それに、たとえ逃亡に成功したとしても、敵は今後さらに警戒するだろうから次回の侵入は困難になる。
 なにより、恋人とその義妹を元に戻す方法をまだ掴んでいない!
 もはや隠密行動で探ることは不可能となったが、完全に希望が断たれたわけではない。
 社長を人質にして、解毒(?)法を聞き出す手だって残っている。
 右手にナイフを握り、油断なく身構える興信所事務員。
 目前には、三人の力士が立ち塞がっている。
「おなご一人で入り込むとは、なかなか天晴れな心意気でごわす。おいどんは力士隊が一人。阿戸衆」
「同じく、保琉鳥栖」
「阿羅魅守でごわす」
 次々と名乗りを上げる。
「‥‥ダルタニャンはいないの?」
 シュラインが冷然と笑う。
 態度ほど落ち着いているわけではないが、弱みを見せることなどできない。
「四人そろってないと、リシュリウ卿には勝てないわよ」
「よくほざいたでごわす。生きて帰れると思わぬがよいでごわす!」
 阿戸衆の宣言とともに、力士どもが突進する。
 だが、シュラインはいつまでも同じ場所にとどまっていなかった。
 必殺の突撃をかわされた保琉鳥栖と阿羅魅守が壁に激突する。
 鳴動する研究室。
「あぶないあぶない」
 どこまでも小馬鹿にしたような美女の声。
「そんなに肥えてるから動きが鈍いのよ。ダイエットして出直してらっしゃい」
 嘲弄は、しかし嘘である。
 力士の速度は、けっして侮れるものではない。
 むろん、パワーに関しては論評の必要すらなかろう。
 にもかかわらず、あえて挑発するのは相手に冷静な判断をさせないためである。
 三対一の劣勢にあるのだ。
 冷静に行動されては、勝算の立てようもない。
「はっけよい!!」
 高速で移動しつつ、シュラインが奇声を発して右手を掲げた。
 燦然と輝く軍配団扇。
 一瞬、動きを止める保琉鳥栖と阿羅魅守。
「のこった!」
 そして、美女の声と共に凄絶な同士討ちを始める。
 力士の本能を利用した心理作戦だ。
「よし! なんとか上手くいったわね」
「だが、我らが三力士であることを忘れてもらっては困るでごわす」
 耳元で阿戸衆の響き、
「あっ!?」
 と思う間もなく、白い手から軍配が叩き落とされる。
 油断というのは酷であろう。
「これで、終わりでごわす!」
 阿戸衆が高々と手を振り上げる。
 思わず目を閉じるシュライン。
 だが、強烈な一撃は、いつまで経っても落ちてこなかった。
 訝しげに薄目を開けると‥‥。
「武彦さん!?」
 思い人が、阿戸衆とがっぷり四つに組み合っている。
「ごっつぁんです。助けにきたでごわす」
「こっちも任せるでごわす」
 時の氏神というべき草間兄妹の登場。
 おそらく警備を強行突破してきたのだろう。
 身体中が無数の戦傷に彩られている。
 涙が出るほど嬉しいはずなのに、シュラインの唇から零れたのは艶やかな笑いだった。
「さっさと片づけて、解毒法を聞き出しちゃいましょ」
「合点でごわす」
「お任せあれでごわす」
 なんとも暑苦しい戦いが佳境を迎える。


  エピローグ

「なんとか元に戻れたな。礼を言うぜ、シュライン」
「ありがとうございました。シュラインさん」
「‥‥よしてよ。私は職場環境の保全をしただけ。お礼を言われるようなことじゃないわ」
 冷たく言い放つシュライン。
 まあ、安心して怒れる状態になった、というところだろうか。
「さ、事務所に帰りましょ」
 黒髪を風になびかせながら、バイクの方へと歩み去る。
 やや慌てたように社用車のドアノブに手をかける草間兄妹。
 白磁のように冴えた下弦の月が、不器用な男女を見つめていた。
 幸多かれと微笑みながら。



                        終わり