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<PCシナリオノベル(シングル)>


八月聖夜
(シナリオ『クリスマス・教会・天使の話』よりノベル化)

<OVER TURE 序曲> 


聴こえますか
わたしがあなたへ伝える歌
覚えていますか
はじめて心をわけあえた日
あの日、世界はやさしくなった
楽園はいらない
あなたがいればすべてが光に生まれかわる…

天才ソプラノ歌手ラフィエル・クローソー
2003年8月24日、マキシシングルCD『precious』世界同時発売決定
以下、クラシック専門誌Aeolian modeインタビュー記事の抜粋

・現代を代表するソプラノ歌手、天使の歌声の代名詞であるラフィ。
そのあなたが無名の作曲家、神谷の歌をカバーするのはなぜ?

『カミヤの歌が美しく、私が歌いたいと感じたからです。』

・しかし神谷は学校でクラシックの正統な教育も受けていません。
それどころかメジャーでCDを販売もしていない。
神谷の曲はコンビニエンスストアにおかれたサイバーカプセルから配信され、
購買者が自身のハンディフォンにダウンロードして聞く、雑多な音楽です。
音楽ともいえないかもしれない。
ファーストフードならぬ、インスタントのファーストミュージックです。
クラシック業界ではラフィの才能の浪費だとの声も強いようですが。

『音楽家の評価には教育も経歴も、CDの売り上げ枚数も必要ありません。
音楽を分野で差別するのですか?
それに街で求められている音楽こそが、真に人が愛している曲だと思います。
今回、私がpreciousを歌うことにより、
世界中の人々へカミヤの音楽を伝えることができることを光栄に思います。』

以上、ソプラノ歌手ラフィエル・クローソーによるインタビュー。

加えて『precious』は昨年のクリスマス・イブに、
当日限定でサイバーカプセルから配信をされた音楽である。

作曲者神谷が交通事故で亡くした恋人へ贈った曲として知られている。

神谷はクリスマス・イブ以外に『precious』を配信することを許可しなかった。
神谷は恋人へイブに世界へラブソングを放送することが約束であったからだ。

しかしラフィエル・クローソーのCD発売は8月である。
8月に歌うことを許した神谷に何の心の変化があったのか、興味がある部分。

なお、今回のラフィエル・クローソーのCD化には神谷がアレンジメントに全面協力をしている…。


月刊Aeolian mode 8月号 
ラフィエル・クローソー『precious』発売に関する記事より



<TUNING FORK 音叉>


2003年7月。
東京都西新宿、オールマン通り。

その通りは中古レコード店街として知られている。
小さなビルにいくつものレコード店が雑居をし、専門店街になっている。

ビルの前にはEP版アナログレコードを積んだワゴンが出されていた。

そのワゴンを物色する人物が、二人。

一人目は30歳ほどの青年、名を草薙竜介という。
そして肩には上絹で縫われた刀包を下げていた。
その紫苑の包には、草薙の名刀、青竜がおさめられている。

二人目は少年にも少女にも見える金の瞳の子供で、名を歩という。
首には紫苑の紐で水晶の勾玉がある。

「お、3枚で1000円だって。」

「竜介さん、せっかく購入をしてもオーディオ装置がないでしょう。」

「きれいなジャケットを床に並べておくだけでもいいだろ」

竜介さんと呼ばれた方が、ワゴンのジャケットを選びだした。 

歩はやれやれと肩をすくめる。
竜介の部屋はまた片付かなくなるだろう。

歩は竜介を待つ間、通りをながめることにした。

季節は盛夏である。
街路樹の青楓の葉が日に透けて輝く。
その葉も巽風になびいていた。

「・・・誰かが泣いている」

ふと、歩の感覚にふれた泣き声。

誰かに追われている者がいる。

追われる者にも追う者にも、霊力がある。
音叉のように共鳴をする。

歩は瞳を閉じる。

声の方向は通りのはずれだ。

目をあける。

すると竜介が目の前にいた。
歩がなにかを察知したことに気づいたのだ。

「竜介さん、誰かが救いを求めています」

「オッケー。それなら俺達の出番だ。
さっそく行って助けてこようぜ」

二人は走り出した。

新世紀、東京。
その都を滅ぼそうとする組織がある。

組織名は『虚無の境界』、boundary of nothingness.
彼らの目的は全人類を滅亡させることにより霊的なビッグバンを起こす事だ。
その爆発により人類は進化、新世界が生まれると狂信していた。

『虚無の境界』は霊的なテロを実行し、世界を滅ぼそうとしている。
しかしその『虚無の境界』の脅威に対抗をする超国家組織があった。
その組織はInternational OccultCriminal Investigator Organization、
IO2と呼ばれている。

そして草薙竜介と風見歩は、IO2のメンバーだ。



<SOUND FIERD 音場>


歩の導いた場所は、ペンシルビルの屋上だった。

錆びた外付けの鉄階段を10階分、かけあがる。

小さなコンクリートの屋上。
手すりの白いペンキははげていた。

その手すりに追いつめられている少女がいる。
頭上には一羽の大烏。

「竜介さん! あの烏は霊体です。
 誰かが作り出した人工物です」

歩の指さした先。

大烏が翼をひろげていた。

カラスといっても、それは鷲のように巨大だった

明らかに天然自然の鳥ではないことがわかる。

嘴で少女の手から白銀のCD-ROMを奪おうとしていた。

竜介はうなずいて、駆け出す。

駆け出しさまに肩の絹布をといて、刀を手にもちかえた。
鞘ごと握る。

その竜介の霊力を察知したのだろう。
大烏はばさり、と羽ばたき、竜介と剣を認めた。
そしてすぐに上空に飛翔をし、逃げる。

しかしその脚には、白銀のCD。
大烏は目的だった物を奪い、ゆうと大空へと消えていった。

あとには少女がのこされている。

「大丈夫か?」

「・・・大丈夫でないです、大切なお使いの物をとられてしまったもの」

「ま、命が無事だったのだから、それだけでも運に感謝をするんだな。
あの大烏は霊体で、力も知能もあるタイプだ。
その気になれば殺されたかもしれない」

「でも、あのCDをとられてしまったら、わたし」

少女は竜介を見上げた。

きれいな少女である。

あわい空色の瞳。
小花の刺繍入りのノースリーブワンピース。
のぞいた白い肩の肌色は透きとおるようだった。
首には細いチョーカーをしている。
そのチョーカーは透明な光を帯びているように見えた。

歩がおいついてきて、竜介と並んだ。
少女を見つめ、そしてチョーカーを見つめる。

「君は、ふつうの人ではないですね」

歩の言葉に、少女はうなずく。

「ええ、私は他の世界からお使いに来たの。
私はあなた方の言葉では天使と呼ぶと思うわ」

少女は言った。
そして自身をエリカ・ウインと名乗る。



<MUSICAL SOUND 楽音>


ペンシルビルの鉄階段に三人は座り込んだ。

ちょうどビルが太陽をさえぎり影になっているし、
涼しい風がふいている。

話しあうにはよい場所である。

「俺達はIO2という組織のメンバーだ。
科学で測れない不思議な力や現象があることも知っているし、
この世界とは別の世界があることも、理解ができている。
だからエリカの言うことも信用ができるさ」

「ありがとう。
でも、本当は私の世界のことは秘密なの。
こちらとあちらを往来することは、一部の者にしか許されないわ。
それにこちらの人があちらに行ってしまえば、二度と帰ることはできない。
でも恐ろしい世界ではないし、人がいつかはいく世界よ。」

エリカはその世界で大きな知識のある者、マスターに創られた生命であるという。

少女は白い指先で首のチョーカーにふれた。
透明な光の輪が天使の証であるらしい。

あちらの世界では頭上にのせているのだが、
こちらの世界ではアクセサリーのふりをさせているのだという。

「あの世、というわけか。
確かに俺達にはまだ縁のない世界だな。
で、エリカは天使さんか。」

「そう、でもまだこのお勤めを始めさせてもらったばかり、失敗も多いの。
だけれど、今回はどうしても成功をさせたかった。
マスターに特別に頼んで、お使いに来たのに」

エリカが話しはじめる。

マスターがエリカに頼んだものは、ある楽器の音源であるという。
厳密に言うならば、すでに一世紀前で滅んでしまった幻の鍵盤楽器エオリアの音だ。

その音はある音楽を完成する助けになる。

「神谷という作曲家のプレジャーズという曲よ、知らない?」

「知らん」

あっさりと竜介が言うので、歩が補足をした。

「来月に発売予定のラフィエル・クローソーの新曲ですよ。
今、ウェブでも話題になっているでしょう。」

「ああ、あの美人さんの歌姫か、それなら知っている。
俺もその曲は聴いてみたいと思っていたんだ」

ようやく竜介に合点がいったので、エリカが話をすすめた。

「あの烏にとられたCDが、その音源だったの。
神谷の歌を唄うラフィが、マスターに依頼をして、私が届けることになっていたのに。」

「あれ、ラフィエル・クローソーがどうして、
あちらの世界のマスターさんと知合いなんだ?」

「それは秘密です、ラフィは特別な方なのです、言えません。
本当は私のお勤めの話も、あなた方に話してはいけないのだから」

それからまたエリカはひざをかかえた。

「はやく神谷に届けなければいけないのに、どうしよう。
そうしなければ間に合わない」

エリカはひざを抱えた。
その少女の肩を竜介がたたく。

「そういう理由ならば、CDを探すしかないだろう。
待っていろ、今、ハンディフォンでCDの情報を探すようにメールを送ったから」

竜介がジーンズのポケットからハンディフォンを取り出して見せた。

その時、ハンディフォンの丸いランプが青白く光る。
メールを受信した合図であった。
素早い返信である。

竜介がさっそく、ハンディフォンの小さな液晶画面で、メールを読む。

「このメールは西荻窪で頑固屋という
アンティークショップを経営しているじいさんから。
佐野さんという名なのだけれど、彼、
東京の珍しい物の非合法マーケットにも精通している。」

竜介はエリカにハンディフォンを見せた。

「で、さっそく見つけてくれたらしい。
和久井という男に可能性があるらしい。
和久井は蒐集家だけを相手に、珍しいアナログレコードやCDを販売している。
で、和久井がすこし前、自分のウエブサイトでCDのオークションを始めたそうだ。
タイトルは『神鳥の音楽』…」

エリカは思わず竜介を見つめた。

「その和久井のアパートの住所も教えてくれた。
えーと、灯台下暗し、は本当のことだな。
なんと3件先のアパートだ。
でもそれもそうか、このオールマン通りはレコード音源の聖地だもの。
和久井が住人でも、おかしくはないか。」


それにあの大烏も近所の鳥だったと思えば、納得できる。

自分のテリトリーに入ったエリカのCDに、霊力を感じ、興味をもったのだろう。

竜介と歩は立ち上がり、あわててエリカも続いたのだった。



<REVERBERATION 残響>


和久井はアパートの自室の畳に座り込んでいた。

絶望をしたからそうしているわけではない。
唖然としたから、座っている。

「なんだったんだ、さっきの連中は」

先程、風のようにおとずれ、さっさと去っていた三人連れについてである。

一人は男、二人目は少年のような少女のような子供、三人目は少女。

和久井は寿司屋の配達、という呼び出しで扉を開けた。
自分は寿司を頼んではいないから、配達先が違うと教えようと思ったのだ。

そうしたら、太刀を握った男が扉に押し入ってきた。
そして烏はどうした、という。

確かに和久井は大烏を知っていた。

それは和久井が人から譲りうけた鳥だった。

和久井のアパートの隣室に、ある不思議な少年が住んでいた。

名を環という。

美しい、品のある少年だった。
ふだん、いつも部屋にいる。
外出をする時は、肩に鳥をとまらせている。
鳩や鸚鵡、そして大烏。
見たことのない珍しい鳥の場合もあった。
部屋で鳥を飼っているのだろうか、と思った。
けれど隣室からは鳥の声がまるで聴こえない。

(まるで環君が鳥を作り出しているようだった)

一度、和久井が素性をたずねると、環はおだやかに答えた。
自分は平安期から伝わる古術の研究をしているのだと。

ところがある日、アパートの階段で環が倒れた。

魂をぬかれたように、蒼白だった。
和久井は環に頼まれた連絡先に、このことを伝えた。
そしてすぐに、ダークグレイのエメロードが現れた。
小さなアパートの前に、場違いな高級車が横づけされたのだ。

環はどうやら宮家筋の貴人で、
このアパートにはお忍びで暮らしていたらしい。
環には療養が必要で、アパートを去ることになった。

その時、礼に何か欲しいものがあるかと言われ、和久井はあの大烏を選んだ。

和久井は大烏の主となったが、ペットのように鎖につながなかった。
自由にさせていた。
空を滑空する大烏は、気分がよかったから。

そして大烏は和久井のベランダのダンボール箱を住処にし始める。

烏の習性らしく、街に落ちている珍しい物を拾ってくる。
古い銀の十字架や、アンティークの宝石の指輪や、文庫本ということもあった。

和久井はそれらの戦利品を頂戴することはなく、ほうっておいた。

ところが、つい先程、大烏がCD-ROMをくわえて戻ってきたのだ。

(どんな音楽だろう、と思って)

大烏が留守の間に、こっそりとダンボール箱からCDを拝借し、
部屋のコンピュータで再生をしたのだ。

(聴いたこともない美しい音が聴こえてきて)

思わず、そのCDを頂戴してしまった。

そして烏の拾ってきた珍しいCDをほしがる客もいるだろうと思い、
自分のウエブサイトでオークションを始めたのだが。
その後、すぐ、三人連れは部屋に来たのだ。

で。
そのCDは少女の物であり、大烏に奪われたのだという。
事情を知った和久井は、CDを少女に返却をした。

(怒られるかと思ったら)

男はあっさりしたもので、CDを返したならば、それでいいという。
帰り際に、ただ一言、言い残して。

あの大烏は大きな力がある。
そして、その烏は霊力の篭った物にひかれて、集める癖があるらしいとも。
もし烏が人に敵意を表したら、退治をしないといけないらしい。
その時は連絡をくれ、と男は自分のハンディフォンの番号を教えてくれた。

「大烏を退治?時代劇のようだな」

今、部屋には誰もいない。
三人連れは帰ったばかりだし、小さなベランダには烏も戻っていない。
和久井は首をかしげていた。

IO2は非公開組織であり、一般人の和久井には知られていなかったのだ。



<ACT TUNE 間奏>


草薙竜介の車は、中古のアイボリーのメルセデスである。

そのメルセデスは千代田区の内堀通りをイギリス大使館の方向へ進行をしていた。
神谷とラフィエル・クローソーの待つスタジオへとむかっているのだ。

運転席には竜介、助手席にはエリカ、後部座席には歩がいる。
エリカは両手でCDを握っていた。

「あの大烏は、CDに宿っていた霊力に惹かれたのだろうな。
ま、あちらの世界の製品にならば、惹かれて当然だろうけれど」

「しかし、大烏や他の鳥達は何のために研究をされていたのでしょう。
僕はそちらが気にかかります」

「俺も。」

あの和久井の話から出た、環という少年。
平安期からの古術を、何のために研究をしていたのか?
そして正体も不明だった。

(虚無の境界の関係者か?)

過去の任務で隅田川の水蛇の件もある。
少しずつ東京の何かが狂わされ始めている…。

しかし竜介は思考を中断する。

まず先にエリカのお使いを解決させなければならない。
エリカはうつむいていた。

歩がそっとたずねる。

「エリカさん、僕は不思議なのだけれど。
神谷さんはプレジャーズをクリスマス・イブにしか販売をしなかったよね。
それがどうして、来月、発売をすることになったの?」

「それは…、どうしようもない理由が、神谷にあったからです。
一日でも早く、プレジャーズの編曲を成功させ、
この世界にのこさなければならない事情が」

エリカがつづけた。

「たぶん、あなた方にはラフィから話があるでしょう」

それきり、エリカは黙る。

メルセデスから目的地が見えてきた。
麹町にある小さな高校校舎だった。

ただ通う生徒が不足し、すでに廃校になり、校舎は閉鎖をされているはずだ。
しかし神谷はその校舎を、自身のスタジオに使用をしている。




<DEAVER 歌姫>


校庭にメルセデスを停車させた。
そばに赤い石楠花が咲き誇る。
草薙達は古い木造校舎の玄関へ入った。

玄関前の中央階段に、人が待っている。

美しい女性である。
金の髪、銀の瞳、白い肌。
透明な空気。
宝石で創られたような人だった。
空気が神々しいのだ。

シンプルな白シャンタンのワンピース姿。
真珠やアクアマリンのビーズで刺繍がされている。

彼女がラフィエル・クローソー。
希代のソプラノ歌手である。

「ラフィ、遅れてごめんなさい。
マスターからのお届け物を持参しました」

その言葉にラフィが自ら階段を下りて、草薙達の前に来た。

「ありがとう、エリカ。
それからよくいらっしゃいました、草薙さん、歩さん」

優雅に微笑まれる。
竜介は照れたように頭をかいたが、つけくわえた。

「まだ自己紹介はしていないのだが。
その様子だと、俺達の今までの行動も話す必要もないか。
すでにお見通しのようだ」

ラフィエルの左腕には、透明な腕輪がある。
竜介は彼女の真の正体を尋ねないことにした。
詮索は無粋なだけである。
ラフィエルはただ微笑んだ。

「あなた方の協力に深く感謝をします。
おかげでエリカも音楽も、救われたのだから。
これでプレジャーズも完成するでしょう。」

階上の過去に音楽室だった部屋に、神谷が待っているという。
ラフィエルに先導をされ、樹の階段を登った。



<RESONANCE 共鳴>


元音楽室に入って、竜介と歩は足を止めた。

グランドピアノやYAMAHAのシーケンサー、
テーブルの譜面やMDの多さに驚いたからではない。

神谷の姿を見たからだ。
竜介と同年輩で、ジーンズとTシャツ姿だった。

しかし車椅子に乗っている。
神谷は竜介達に気づいて、くるりと車椅子をふりかえさせた。

「はじめまして。
 このスタジオまで来てくれて、ありがとうございました。
とても助かったよ。」

神谷は人の良さそうに笑った。
床を車椅子で、草薙達の前に来る。
歩は神谷を金の瞳でそっと見つめた。
そして神谷の病の状態を察知し、目をふせる。

しかし神谷は肩をすくめて笑うだけだ。

「そんな顔をしないで。
今日はいい日だよ、プレジャーズのラフィ用のアレンジが、
こうして完成をしそうなのだから。」

神谷は自分で自身の病を語り始めた。

神谷は先天性の遺伝病があるのだという。
治癒させる医学は、まだない。

その病は体の筋肉を麻痺させ、まず四肢の自由を奪い、
最後には心臓に到達し、死亡に至る。
発病をしたのは今年の1月。

神谷の父も同じ病で死んだ。
だから発病をした時、自分の寿命を悟ったのだという。

「たいした男だな、よく耐えられる」

「わはは、俺もここまで悟るためには時間がかかりましたよ。
でもまだ、死ぬと決定したわけでもない。
もしかしたら、ある朝、急に治癒している可能性もあるわけでしょ?」

それに、と続ける。

「ラフィが俺の音楽を歌いたいと言ってくれた。
世界一の歌姫に必要とされる作曲家の喜びをわかりますか?
その希望だけで命が長くなるのを感じます。
百人の医者がいても、こんなことはできませんよ」

ラフィエルが言葉をひきとった。

「私が彼の病を知ったのは、プレジャーズの編曲の打診をした後です。
私は彼の病を知りませんでした。
ただサイバーカプセルから配信される、
神谷の美しい曲に惹かれたから、彼に依頼をしたのです。」

ラフィエルはprecious.がクリスマス・イブにのみ配信される曲だと知っていた。
しかし神谷の病は、彼を今度のイブまで生かさない。
神谷はそれまでに死ぬだろう。

「そして俺はラフィと相談をして、CDの発売日を8月24日にしました。
だから音楽の編曲の完成を急ぎたかった。
けれど、編曲にはあとひとつだけ、音色が足りませんでした。」

コンピュータの合成では作れない微妙な波長の音。
しかし現在のピアノや他の鍵盤楽器でも響かすことのできない音だった。
神谷とラフィエルが検討した結果、それはすでに滅びたエオリアの音色だと気づく。

「俺が国会図書館で見つけた、明治期の音楽の専門書にエオリアが登場をするのです。
たぶん、そのエオリアが俺のイメージに近い」

そしてラフィエルの力で、エリカにより、そのエオリアの音源が届けられたのだ。

なぜラフィエルにそれが可能であったのか。
その場にいる誰もたずねない。
それは訊く必要のないことだった。
答えはなくても、ラフィエルの愛が損なわれることはないのだから。

エリカは前に進み出て、両手でCD-ROMを差し出した。
神谷も両手で虹色のCDを受け取った。

「ありがとう」

エリカは何度もうなずいた。
泣きながら、そうしていた。
神谷もいつしかもらい泣きをしていた。

ラフィエルも竜介も歩も、ずっとその場所を動かなかった。




<RECORD 記憶>


すでに日没は過ぎている。
 
元音楽室では神谷が、曲の最後の調整をしていた。
マッキントッシュのデスクトップ画面にエオリアの音波を表示させて、
楽曲と合成をさせている。

部屋のソファには、エリカと歩が居眠りをしていた。
走り回って疲れたのだろう。
その二人の体にラフィエルが毛布をかけてやっている。

竜介はといえば、部屋のワンボックスの冷蔵庫を物色していた。
ケルシュビールの黒瓶を発見すると、さっそく栓をぬいて口につける。

「草薙さん、あなたに恋人はいますか?」

モニターにむかったままの神谷が、ふとたずねた。
竜介は背後のソファの歩をふりかえってみせる。

「歩が大人になるのを、待っている最中。」

「あはは、あなた、ずいぶん気が長いですね」

「いい女を得るには、簡単にはいかないってこと。
まあ、歩は俺が惚れこんだ先輩の子供でもあって、
とにかく大切な子なわけ」

「なるほど。 でも、そういう運命の相手は、必ずいますよ。
俺にもいましたから」

神谷が過去形で語る相手が、precious.を贈った恋人だ。
すでに交通事故で死んだ相手だ。

「彼女はこの高校で知り合った同級生でした。」

この小さな高校校舎は神谷の母校だった。
そして音楽室は、とても思いで深い場所であるのだ。

「俺が発病をしても、正気でいられて自殺をしないのは、ラフィのおかげです。
でも死ぬことが絶望でないことがわかるのは、あいつのおかげかな」

「おかげ?」

「死ぬことは怖いですよ、でも俺はあいつにまた逢える気がする…、不思議ですが」

「魂は永遠、か。そういう希望も悪くないと思うぜ」

「でも、とっくに生まれかわっていて、他の男を見つけていたりして」

二人の男は大笑いをした。

その深夜だった。
とうとう神谷のアレンジメントである新しいprecious.が完成をする。



<SOLO ソロ>


その晩は満月だった。

高校校舎の屋上に、オーディオシステムが運び込まれた。
二基のスピーカーが立てられ、神谷がチューニングをする。

その後、エリカや竜介達が見守る中、
完成をしたpreciousのMDがオーディオに挿入された。

神谷が指先で再生スイッチを押す。

その喜びの音楽は、澄んだエオリアの前奏ではじまった。

ラフィエル・クローソーが立っている。
服に刺繍をされたビーズが、月光をうつしてきらめいていた。
歌が始まる。

・・・聴こえますか
わたしがあなたへ伝える歌
覚えていますか
はじめて心をわけあえた日
あの日、世界はやさしくなった
楽園はいらない
あなたがいればすべてが光に生まれかわる

この街の夜の底で
神を求めてのばしていた手
今はあなたを救うためにさしだしたい
もし望みが叶うならば
永遠に贈られたいものがある
金の月よりも
銀の鳥よりも
ルビーの薔薇が咲く
ラピスの宮殿よりも
なによりもあなたがほしい
あなたにそばにいてほしい・・・


その新しい歌が生まれたことを確認して、エリカは帰っていった。
肩に白い翼。
頭上に光る輪。
ゆったりと少女がとびたつ。

見送る神谷達の頭上に、白い羽毛が舞った。
八月の雪のように。



<TONAL CENTER 終止音>


天使のお使い事件について
風見歩の日記より

・・・その後、8月24日にラフィさんの新しいpreciousは発売されました。
全世界で大きな売り上げと記録をしたこと、
またその優しい歌声は人々に喜ばれたということだけを記録しておきます。

あちらの世界の天使、エリカさんは新米のお使い人としてがんばっているようです。
またどこかで会うことがあるかもしれません。

また新宿のアパートでレコードを販売している和久井さんは、
霊体の烏と仲良く同居しているようです。
いい人だと思います。
しかし環という少年については謎のままです。

作曲家の神谷さん。
CD発売後も、ずっと生きようと希望をもっていました。
しかし秋の初めに静かに亡くなりました。
葬儀には参列をしませんでしたが、安らかであればいいと願います。

そしてソプラノ歌手、ラフィエル・クローソーさん。
声楽家として世界を活躍しています。
いつかまた会うことができればいいと思います。
そんな幸運がまたあればいいのですが。

新宿の南口ビルに設置をされたハイビジョン画面で、
プレジャーズのプロモーションフィルムを見ることができます。
銀と真珠を刺繍した薔薇色のドレスで唄うラフィさんは、
女神のように美しかったです。

(もしかしたら、本当に天使か女神かもしれないのですが、
こういうことはずっと秘密にしておこうと思います。)

竜介さんはといえば、ラフィさんからサイン入りのCDを贈られてご機嫌です。
部屋にオーディオセットを揃えようかと言っています。
しかし僕としては、あの散らかった部屋に
そんな余裕はあったかと心配になりますが・・・。

それでは以上で日記を終わりにします。
明日は東京が平和であればいいと願っています。

END