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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


牛鬼の花嫁

Opening 牛鬼の花嫁

 それは空も高くなった秋の始め。
 今日も草間興信所は何やらワケの分からぬ駆け込み寺と化していた。

「牛鬼?」
 そして興信所の主、草間武彦は訊き慣れないその科白に眉を顰めていた。目の前のソファに腰掛けるのは白無垢の着物に身を包んだうら若き女性。
 名を――椿<つばき>と云った。
 椿は膝の上にちょこん、と手を丸め、小さく首を縦に振る。細くしなやかな筈の手が、アカギレで見るにも痛そうだった。
「牛鬼様にお会いしとう存じます」
 震えるような声だったが、そこには女の秘めがたい意思が含まれていたかのように思われる。
 女の話はこうだった。

――全国各地に牛鬼伝説は存在するが、椿の云う牛鬼は三重県・父ヶ谷の淵に「いた」、牛鬼である。
 顔は鬼の形相、体は牛といった……西洋で云うところのミノタウルスに相当するだろうか。
 近くの村に伝わる牛鬼伝説は「牛鬼退治」として脈々と受け継がれている。
 その昔。山の奥の奥に存在する淵の近くで山仕事をする為に小屋を作って働いていた衆が夜な夜な、恐ろしげな音を聞いた。地を這うような地鳴りのような……何処か淋しげな音だったと云う。
 人間とは兎角臆病な生き物だ。得体の知れぬモノに対しては底知れぬ恐怖と醜さを露呈する。
 そして椿はその牛鬼の花嫁だった。それは村の者から見れば、『囮』とも云われる存在だったのだ。

「牛鬼様は…村の者に怯え恐れられ……そして、喜五兵衛<きごべえ>殿の銃に撃たれて淵に消えもうした……」
 女の手に大粒の涙が一つ落ちた。コチコチコチ……壁に掛けられている時計の針の音がやけに大きく響く。
「一つ、お伺いしてもよろしいですか?」
 草間は人差し指と中指で眼鏡をスッと上げると奥で僅かに光を点す。
「牛鬼に……仮に会ったとして、貴方はどうなさるおつもりですか? 貴方、実体化してはいらっしゃいますが、元は霊魂ですよね。既に肉体は無いはず…」
 流れるように美しい黒髪が草間の科白にピクリと揺れた。重ねていた手に僅かに力が込められる。
「よく…お分かりになりましたね…そうです、私の肉体はもうありません…。牛鬼様が撃たれたと訊いた後に、牛鬼様が落ちた淵に身を投げもうした…」
「村の人間に無理やり決められた婚約ではなかった、と?」
「初めは無理やりです。嫌でした…恐ろしいと思いました。…ですが、牛鬼様に会って、瞳を見た途端、恋に落ちました」
 女は顔を上げた。その反動で頬をつーっと一筋涙が零れた。
「死ねば牛鬼様に会えると思いました。ですが、死して霊魂となり数百年。未だに牛鬼様に会えませぬ…」
 光を受け入れぬ黒い瞳と整った顔立ち。椿は人を捨てていた。
 このまま彷徨えば村人を祟る怨霊と化すか……それとも夜叉となり堕ちるかのどちらかだ。
――また厄介なのが来たもんだ……
 草間は頭をポリポリと掻いて、煙草を1本咥え、ライターを弾く。

「おい、何かと面倒な一件だが…頼まれてくれないか? 三重県ってぇと遠いし、話に訊く牛鬼淵とやらも大層な場所らしいが、ちょっとした登山とでも考えれば……」
 肩越しにこちらを振り返った草間の科白は真面目に頼んでいるのやらふざけているのやら……。兎にも角にも、この厄介ごとを自分の手から早く他人の手に委ねたいらしい。
「あー…それと。訊いての通りだから、牛鬼を探すヤツとこのお嬢さんの傍に付くヤツと二手に分かれろよ…と、まぁお前たちには蛇足だったかな」
 ふぅ、と吐き出した紫煙がそのまま空気に吸い込まれていく。その様を視線で追うと、椿はぽつり、と零した。

「牛鬼様は何をしたわけでもない…そもそも、何故、外見が異形故に『悪』として裁かれる? 綺麗な顔をして鬼のような所業を繰り返す者はこの世に溢れかえっておるのに……」

――『何故』、と。

 その声は何処となく淋しげで無常に満ちていた。


Scene-1 色なき風

――さぁさ此処へ来てたもれ。我の渇きを癒してたもれ。
 心の底から沸き上がる、と云えばいいだろうか。最近、やけに頭が痛い。頭の中がスパークする度に聞こえる声が実に腹立たしく、男はクシャリと前髪を掻き上げた。
 霊魂となった女の魂ほど、厄介なものはないと思う。
 男は――沙倉唯為はサングラスの奥から広がる風景を何処ともなく眺望し、アクセルを軽く踏んだ。愛車――The BMW Z3 roadsterが腹に響くエンジン音を立てると、風が黒髪と赤い小さな石の付いたシルバーチェーンのネックレスを攫って空を舞う。
 光を受け入れぬ漆黒の瞳の女――椿。彼女はその瞳でもって全てを拒絶していた。椿をそうさせる原因はなんなのだろうか? 牛鬼への狂った愛情から来るものなのだろうか……。
 唯為は脇に見えた重々しく連なる塀と重厚な木門を確認すると、それの向側に車を寄せる。ガチャ、と音をさせてドアを開けると、表札を仰ぎ見た。

――『十桐』

 頑なに閉ざされた門はまるでアイツのようだと思う。まぁそれは致し方なし、と云えばそうなるだろうか。男は車のフロントボディに腰を預け、更に塀の奥へと視線を転じる。古びた櫻が今日も淑やかにそびえていた。
「…………」
 今年は猛暑だった故か、櫻の葉は些か萎れていた。僅かにそよぐ風に葉は揺れ、唯為の黒髪も揺れる。懐かしい……何故かそんな匂いのする風だった。空は薄水色を白くのばしたような遠いもので、一筋に向かう飛行機雲がちょうど十桐邸の上空を斜めに横切っていく。消えかけていくそれは空気に溶け込むようだ。美しく儚く……夢の如く。

 ふと、前方で木の擦れる音が漏れ、誘われるように唯為は視線をそちらに向けた。ギギーと引き摺るような古の都を彷彿とさせるような音だった。
 そして開かれた両門の間から姿を見せる。銀髪の男。露と同じく消えてしまいそうな、そんな印象を受ける。

「遅いヤツだ。置いてくぞ」

 唯為は吹っ切るように口元に笑みを貼り付けた。藤色の羽織を引っ掛け、こちらに向かって歩いてくる――十桐・朔羅<つづぎり・さくら>はワザと視線を合わせずに、足元を見やる。朔羅の後ろで門がまた引き摺るような音を立ててその道を閉ざした。
「定刻通りだ。サルじゃあるまいし、そう急くな」
 カラリカラリと下駄を引き摺って、男の前を通る。相変わらず派手な車だ、と嫌々そうに吐き捨てると助手席のドアを引いて身を入れた。その様子に唯為やれやれ、と肩を竦めて見せる。
「では、行くか」
 自身も運転席に座ると、サイドブレーキを下ろしギアを入れ替える。アクセルを何度か踏み込むとスポーツカー特有の排気音が唸り、それと共に車は発進した。オープンカー故に風が非道く心地いい。
 朔羅は頬を掠める風に身を委ねると静かに瞼を閉じた。


「一体、何を考えている?」

 高速5号池袋線を南に下りながら、唯為は先ほどから黙している朔羅に声を掛けた。普段から口数は多く無いが、今日はいつにも増して寡黙に何かを考えているような気がする。
「別に……常人と違うものを持ち合わせているだけで、周りからは異端として扱われ、排除される。今も昔も、人とは変わらんものだ、と思ってな」
 朔羅はぶっきらぼうに答えると妙にさめざめと流れる景色を見据えた。それを訊くと、窓に左肘を引っ掛けて右手でハンドルを操作する唯為は小さく溜息を落とす。
「で? 牛鬼伝説の真相は分かったのか」
「いいや…」
 首を横に振ると、
「文献自体は見つかったが、如何せん記述が少なすぎる。それに……」
「それに?」
 唯為が問い掛けると朔羅は表情を変えずに言葉を紡ぐ。
「椿の……牛鬼の花嫁の記述が一切なかった」
 車は都心環状線に移り、霞ヶ関ジャンクションで下の道へと降りる。信号待ちでストップした所で、唯為は内ポケットから煙草を取り出し、火を点けた。
「やはりか」
 サングラスを外してサイドボードに置き、代わりに灰皿を手前に引き出す。
「やはり、とは…? 初めから信じてなかったと云うわけか」
 朔羅は相変わらず表情を崩さなかったが、漆黒の左目と僅かに光が差した右目が彼の内面を鮮やかに彩る。その様子に唯為は僅かに口元を歪ませ、煙草を口に運んだ。「青いな」と朔羅に諭すかのように……
「人なんてもんはな。信ずるに値する部分は10の内1つあればいいもんだ」
「…………」
「特に愛に狂った女なんてモノは、話半分でも聞き過ぎだ」
 ふぅ、と大きく息を吐くと、白煙がゆらゆらと立ち上る。唯為は信号が青に変わった所でギアを入れ替えて、アクセルを踏んだ。再び走り出した車の中で朔羅はチラリ、と唯為の表情を仰ぎ見る。この男は色んな意味でスレた発想をする。何が彼をこのように変貌させたのか、否、このような形にならざるを得なかったのか。……それは朔羅も気づいてはいる。
「…………」

 草間興信所の近くの路端にキッと僅かなブレーキ音をさせて車を停車すると、朔羅はドアを開けた。車の後ろを回って歩道までやって来ると無言のままに背を向ける。
「朔羅」
 既に足を進めている男に窓に肘を掛け、煙草を咥えたままの唯為は声を掛けた。
「朔羅。椿にあまり同情するんじゃないぞ……気をつけろよ」
 思わず目を丸くさせた朔羅の表情をまるで読み取ったかのように、男は口元に笑みを貼り付け肩越しに振り返る。窓に置いていた左手を軽く上げると、
「じゃあな」
クラクションが煩わしくなる雑踏の街・東京と朔羅に暫しの別れを告げるかのように赤いボディの愛車を発進させた。


Scene-2 神々の口

「牛鬼? アンタまた面白いこと聞くなー」

 車一台通ればギリギリな程の車幅に、下は川だというのにガードレールもない道。そこの脇で腰をくの字に曲げ、バケツと鎌を持って歩く老婆を唯為は引き止めた。
 後ろから、もしくは向こうから車がくれば、対向するだけでも大変なものだが、唯為はこの村に入って――厳密に云えば村の一番奥のとある地域に入ってからは、1台の車とも対向してはいなかった。もう少し時期が遅ければ紅葉狩りや登山の観光客で少しは人気もあるのだろうと考えられるが、如何せん残暑も残る中途半端なこの時期にワザワザこんな山奥にやってくるのは特別な目的のある者か、変わり者しかいないのだろう。
 車を止めれば鳥の鳴き声と川のせせらぎしか聞こえない、そんな場所だった。
「そう、牛鬼の話と父ヶ谷…牛鬼淵への道を聞きたいんだが」
 唯為は車から降りて、モンペ姿に日本手拭をホッカブリした老婆に再度尋ねた。田舎の年寄りに限った話ではないと思うが、どうも話が上手く伝わらない気がする。勿論、目の前のこの老婆とて例外ではない。
「牛鬼なんてまー。大層なこと聞きなさる。ん? アンタどっから来たんや?」
――阿呆。質問しているのはこっちだろう…さっさと答えんか。
 ともすれば緋櫻で一発バッサリと斬り捨ててしまいそうにもなるが、漸く発見した情報源である。この老婆を逃したら、今度はまたいつ他の人間に会えるか…。
「東京から来た。牛鬼淵へ行きたくてな……」
 珍しく冷静な唯為はそういって煙草を1本吹かす。
「ほー…東京から。エライ遠いとこから来なさって。牛鬼淵はホレ、父ヶ谷にあるよ」
――阿呆。それはさっき云っただろうが。
 ぷかーと煙を燻らす唯為は車のドアに僅かに体重を預けた。目の前の老婆がよっこらせ、と生垣に腰を降ろした為だ。
「アンタ、その車で行くつもりかい。父ヶ谷は鎖で入れんのに」
「鎖?」
「あーアンタ等みたいな余所さんが入ってきて自然を荒らすっから村が鎖を掛けて入り口を塞いどんのよー」
 老婆はカラカラと陽気に笑う。
「牛鬼淵は父ヶ谷の奥さね。地図にゃー載っとるかもしらんがホントにあるかは分からん淵やわ」


 そうして男は砂利と云うか崖が崩れたような切り立った道を黙々と歩いていた。
 老婆の云った通り、父ヶ谷の入り口には太い鉄鎖が張ってあり、車での進入は不可能だった。まぁ、4WDのジープでも無い限り、この山道を車で登ることはまず無理だ。左は直滑降の剥き出した岩盤、右は谷……しかも50mは有にある崖だ。落ちればひとたまりも無い。
――朔羅を連れてこなくて正解だったな。
 唯為は視線を山から谷へと巡らし、小さく溜息を吐く。もっとも、自分がやって来たことですら微妙に後悔をし始めていた。何せ、携帯電話も入らない、とんだ秘境だったからだ。
――しかしまぁ、たまにはのんびり自然を満喫するのも悪くない、か。
 ジャリジャリと靴が石を噛み、その音がやけに大きく聞こえる。時より、「ピ〜ヒョロロ〜」と鳶が優雅に鳴きながら空を舞い、それを待ち侘びたかのように風が抜ける。
 この場所には『時間』という観念が無い。そんな気を起させる空気と風だった。躯に伝わるのはまさしく第六感的な波動で、原始の祖先達がアニミズム――自然界のあらゆる事物には精霊や神々が宿り、この世に起こりうる現象はその働きによるもの――信仰が芽生えたのも無理はない、と思う。
『帰りたいと願う場所』
 人間が年おくと土を触りたくなるのも、自然に触れ合おうとするのも、こう云った本能の中に埋め込まれた何かが人を突き動かす…――考えれば恐ろしいことだ。

 東京に比べて少し肌寒い風がまた黒髪とスーツの裾を揺らした、その時だった。
 藤色の袋に包まれた我が分身、『緋櫻』が僅かな呼応を示す。
「……?」
 乗用車1台分程の幅の剥き出した道を上へ上へと唯為は登っていた。かなり歩いた為に、谷は益々遠くなっている。
――牛鬼『淵』と云ったな……まさか、ここらから谷へ降りねばならんのか。
 ちょうど先ほどから両脇に雑木林が現れ、遠くなった谷への傾斜は何とか歩ける――と云っても一歩間違えれば転げ落ちねばならぬ程の角度なのだが――と男は見て取った。緋櫻の呼応も少しずつ大きくなっている。
「スーツが汚れるのは勘弁だが……仕方あるまい」
 唯為はやれやれ、と小さく肩を竦ませると、緋櫻を担ぎ方向転換をする。目の前に続く山道ではなく……獣しか通らぬ谷への道。そう、牛鬼淵への道。

「唯為か?」
 意を決して唯為が雑木林を下ろうかと道の脇に差し掛かると、父ヶ谷に入って初めて人の声を聞いた。しかも何処かで聞いたことのある低い声だ。
 唯為は緋櫻を担いだそのままの姿で視線だけを呼ばれた方向へ向ける。
「お前も来てたのか」
 肩に黒のジャケットを引っ掛けて、軍用ブーツをザッザと音を立てて上ってくる男――シルバ・J・レインマンだ。その姿はまるで何処かの軍人のようで唯為とはまた異なった洗練された瞳と躯。
「入り口に派手な車が止まっていたから、まさか、とは思ったが……」
 そう云ってシルバは笑った。こんな山奥に深紅のBMWとは不釣合いもいい所。当然のリアクションだろう。
「まぁな。牛鬼淵とやらにハイキングだ」
 口の端を吊り上げ、唯為は肩を大業に竦めて見せる。
「何だな。1人だったら遭難したときヤバイかと思っていたが、これで一安心だ」
 揶揄った口調でシルバがそれを返すと、唯為は全くだ、と嗤った。そして視線を先へと戻す。
 目の前を防ぐような雑木林を抜け、そして更に谷を北上し、その先が目指す牛鬼淵だ。
――緋櫻が僅かに震えたように思えたのは気の所為だっただろうか。


Scene-3 道なき道のその果てに

 シルバと合流し、谷へと下った唯為は東京に残してきた朔羅と椿のことが妙に気になった。胸騒ぎと云うほど大した代物ではなかったが、どうも嫌な予感がする。
 角が取れていない岩がゴロゴロとしている川岸を2人は黙々と上流を目指していた。所々に大きな流木が無造作に転がっており、何処か原始的な香を2人に与える。
 牛鬼淵とやらは地図上ではこの先にあると云う。ただし、地元の人間でさえも訪れたことがない秘境の地。そこで牛鬼を見つけ、椿を救うとなると中々骨の折れる作業だろう。
 唯為は震える緋櫻を諌めるように強く握り締め、足元から視線を前に上げた。閉ざすような森林が川縁ギリギリまで迫っており、行く手を徐々に狭めている。
 すると男は前方の大きな岩の下に小さな影を見つけ、目を細めてそれを凝視した。猿や物の怪の類ではない――
「おい」
 唯為は僅かに先を行くシルバを呼び止める。男は、ん?と肩越しに唯為を振り返ると、唯為は顎でしゃくって前を見ろと促した。
 その影はこれまた自然に相応しくない男だった。厳密に云えば、肩から揺らめく侍を連れた男。アルマーニの濃いグレーのスーツを上から下までバシっと着こなし、知的な雰囲気を纏う男だった。
「お前も来てたのか」
 同じくスーツに身を包む唯為とは対照的にボタンを上まで留め、ネクタイも締められている。何処か排他的な雰囲気を醸し出す――綾小路・獅王丸<あやのこうじ・しおうまる>。唯為とシルバは彼の姿を見つけると獅王丸と同じような表情をして肩を竦めて見せた。考えることは3人とも同じだったらしい。
「結局、3人ともこっちに来たってワケか」
 赤い小さな石がついたネックレスを静かに揺らして唯為はやれやれ、と息を吐く。
「……となると椿には朔羅しか付いていないのか?」
 シルバの科白に優雅に煙草をふかし始めた2人は、つと動きを止めた。先日の草間の態度からして、あの男が今回の一件から逃げることはあっても協力するとは考え辛い。
 あの猪突猛進、周りは全然見えてませんな椿のことだ。朔羅の目を盗んで再びこちらに舞い戻るという可能性も無きにしも非ず。
 3人が思わず顔を見合わせ眉間に皺を寄せる中、その上空では相も変わらず鳶がのどかに鳴いていた。まるで嵐の前の静けさを物語るかのように優雅に――くるくる、くるくる、と。


Scene-4 踊子

 流石にこのままではヤバイと感じ取った3人は、取り敢えず携帯電話が繋がる麓の村まで1人引き返すことを決めた。東京にいる朔羅と連絡をとって、椿が大人しくしているなら問題ナシ。椿が消えたと云うなら気を引き締めて止めねばならぬ。
 ただ、問題は誰が戻るか、なのだが……。
「俺が戻ると云いたい所だが、牛鬼のツラを拝まないで、もう一度あの山道を引き返すのは遠慮させて頂きたい」
「戻っても構わないが、覇紅がいないと牛鬼は見つけられんと思うが」
 2人は同時にシルバを仰ぎ見る。まるで「オッサン、お願いします」と云った感じに……。
「…………」
 確かにシルバが戻るのが一番早いだろう。格好も去ることながら、元軍人の彼と残りの2人とでは経験に雲泥の差がある。
 シルバはやれやれ、と大きく息を落とすと、ここで2人に別れを告げることにした。

 シルバを見送った後、唯為と獅王丸(+覇紅)は先ほどの川を更に北上して、漸く牛鬼淵へと辿り着いた。日の光も翳ったその淵は濃い深緑をしていて、まるで奈落の底のように口を広げて待っているような気を起させる。岩に張り付いた苔とシダがおどろおどろしく全体を包み、当時の人間達が怯えたのも無理はないな、と思う。
 2人は獣道から岸壁へと上りそれを見下ろすと、煙草を1本取り出し徐に火を点けた。
「悪いが、お前。ひとっ走り淵へ潜って、牛鬼様とやらを見つけて来い」
 口から大きく煙を吐き出すと、唯為は本気とも冗談とも取れる口調で獅王丸に云う。
「…貴様、誰にモノを云っている?」
 顔には出ないがこの人も十分短気である。獅王丸はキャメルの瞳を光らせ唯為を睨みつけた。その様子に唯為はククと嗤って肩を小さく竦めて見せると、呼応を更に強めた緋櫻を袋から取り出し、スラリと抜く。
 山という場所は日が落ちるのが頗る早い。獅王丸が腕時計に視線を落とすとまだ16:00pmを少し回った所だった。なのに空は陰り鳥たちは姿を消し、虫たちが盛大に声を奏でている。
――異様だな。
 改めて感じさせられる空気に唯為も獅王丸も第六感が刺激されて仕方が無かった。底から湧き出るような……恐怖だとは決して認めたくはなかったが、体感的に心地いいものではないことは確かだ。
「…………」
――暗闇が増すこれから……牛鬼を見つけるならば新月である今夜が勝負。
 2人は互いに言葉は交わさなかったがそれは痛いほど理解している。燻らせた煙草の煙がリリーンリリーンと啼く虫の音に誘われて消え行く様を眺めると、唯為は人差し指と中指の奥深くで煙草を挟み、それを深く吸い込んだ。

 『…獅王丸殿……女の霊がやって来る……』

 唯為と獅王丸が冷えた風を受けて淵を見下ろしているその時。獅王丸の傍にいた覇紅がユラリと上り、そして淵のちょうど中央の辺りを見据えた。闇が迫ってきている。2人は覇紅の科白に弾かれたように視線をそちらへと向けた。
「椿?」
 水面に立つような……浮かび上がるようにして現れた女は見紛うことなく椿だった。椿の漆黒の瞳は東京で見たあの時とは比べ物にならない程、強い意志を宿している。

『牛鬼様が私の全てです……』

 淵全体を覆うように響く声。闇の淵に白く浮かぶ様は、蓮の花の如く儚く華麗だ。
「牛鬼を探しに舞い戻ったか…」
 獅王丸は半歩前に進み、淵の中心にいる椿を見下ろす。すると、椿は両手を掲げて――まるで踊子のように水面を蹴って軽く飛ぶとそのままスと淵の中へと消えた。
「!」
 虚ろだった椿とはまるで違う……別人のように生き生きと舞うその姿に唯為も獅王丸も言葉を失った。
――やはり、あの女は怨霊の類なのか…? ならばこの緋櫻で……
 唯為は思わず刀の柄を握る手に力を込めた。救える者ならば救ってやりたいとは思ったが、全てを許す菩薩のように甘くも無い。
 唯為と獅王丸は椿が消えた水面に視線を釘つけたまま――それぞれの決意に眼光を密やかに光らせた。


Scene-5 赤く狂う女

 その後、2時間。唯為と獅王丸は椿を探したが、姿も気配さえも見つけ出すことが出来なかった。唯為の『緋櫻』も獅王丸の『覇紅』もパタリと止んだ椿の波動に流石にお手上げ状態である。
 仕方ないので2人は近くの林から枯れ木を拾ってくると、もう直に戻ってくるであろうシルバの目印となるように小さな焚き火を川縁に起こす。パチパチと闇に燻る炎に2人の瞳はユラユラと揺れた。
「唯為」
 予想通り、シルバは別れてから3時間程で戻って来た。しかし、シルバだけでなく東京に残ったはずの朔羅の姿もあり、唯為と獅王丸は眉を寄せる。
「……やはりか」
 椿が牛鬼淵に現れたことをシルバと朔羅に告げると、朔羅は表情を曇らせ東京で椿と交わした会話を3人に話した。
――椿は天涯孤独の身だったと云うこと。
――ずっと村のものに疎外されて生きてきたと云うこと。
――牛鬼が……彼女の全てだったと云うこと。
 そこで、唯為と獅王丸は、なるほどな、と夕刻に見た椿の変貌振りに納得する。不遇の人生の先に見た牛鬼しか知らぬ哀れな女――それが椿……彼女の云い分を頭から信用するワケでもないが、かと云って無闇に責めることも出来ない。
「椿は既に牛鬼淵の中だ」
 獅王丸が視線を闇の淵に向けながら云うと、シルバと朔羅はその先を見据えた。

 火を取り囲む4人の輪。下から浴びる光が赤くそれぞれを染め上げる。
 唯為は揺らめく炎に椿の狂気を見るような気がした。あの女を止めることが出来るのは……自分たちではない、牛鬼の存在だけだ。ぐっと鞘に収めた緋櫻を握り締め、顔を上げると3人とも意を解したようにコクン、と頷いた。
「朔羅、お前の言霊で牛鬼を呼び起こせ」


Scene-6 胡蝶の夢

 ちょうど、淵を見下ろす形となる岸壁に朔羅は上ると、スと人差し指と中指を揃えて口に添え、瞳を閉じた。声にならぬ『声』を唇から空気に伝える。ヒンヤリと辺りを覆った冷気が静かに風を帯び始めると、途端に底から湧き上がるような呻き声が淵全体に響き始めた。

 ウォォオォオォォォォォ……
 ウォォオォオオォオォォォ……

 思わずコチラまでぐっと来そうな…途轍もなく淋しい声だった。岸壁の真下は水面である。そこからまるで朔羅を呼び込むかのように啜り啼く声……。
 その声に共鳴して緋櫻がドクン、ドクン、と息づき始めるのを朔羅の後ろに控えた唯為は気付く。そして、岸壁の左下の出張った岩には覇紅を従えた獅王丸。そして右下の川縁にはシルバが。
『来るな……』
 覇紅が静かに告げると獅王丸が頷く。獅王丸、唯為、シルバの視線が一点に――淵の中央に吸い寄せられた。
「古より宿りし誇り高き牛鬼……我の声汝に聞こゆならば其の姿…我に見せ給へ――」
 朔羅が溶け込むように静かに云い放ち、指を唇から外し空に梵字を書き記す。すると、それが合図だったかのように、淵の中央がきのこ雲のように体積を引き摺り球状に盛り上る……!

「!」

 嵐のような水飛沫と共に現れた巨大な黒い影――般若面に闘牛のような2本の角を生やした顔に巨大な牛の躯。塗り潰したような金色の瞳が煌々と光ると、朔羅を見据えた。
『我を呼ぶのは其方か……』
 耳に届く、と云うよりかは直接脳髄に話し掛けられる。朔羅は小さく頷くと、掲げていた手をゆっくりと下ろした。
「私が貴方を呼んだ。……正確に云えば、貴方の花嫁、椿が貴方を捜し求めて…」
 朔羅はそこまで言葉を紡いではた、と止まった。
 荒れ狂う波が漸く収まり、牛鬼の姿が闇夜に浮かび上がる。それは血の涙を流し、懐には人間の頭蓋骨を抱き、後ろ足の1本はもげてしまっていて、ない。
「……椿の骸か」
 その姿を下から見上げているシルバは呟いた。そう…白骨化した髑髏。それは数百年前に今、朔羅と唯為が上っている岸壁から身を投げた椿の骨。
『椿…椿はもういない……』
 牛鬼の光を宿さぬ金色の瞳から溢れるように赤い涙が溢れ、ぽたり、ぽたり、と淵に落ちる。
『椿……大切な我が娘……』
 4人は牛鬼の科白に言葉を失った。椿は自分のことを『牛鬼の花嫁』と云った。だが、娘…とは?

――私はててなし子でした…。母親が神隠しに会い、気絶して村に戻って来たときには既に私を身篭っていたそうです…。

 朔羅の脳裏に鮮明にあのときの椿の科白が蘇る…。
「では、神隠しにあった椿の母は貴方の子を身篭った…それが椿……」
 
 唯為も獅王丸もシルバも、牛鬼の悲痛な叫びが脳髄に叩き込まれる。
 椿が狂ったように牛鬼を求めたのは……唯一の肉親だった、からか? それとも知らず知らずのうちに…それに惹き付けられたのか……。椿のあの盲目的な愛は…椿は父と知らずに愛し、その命を投げたのか?
――余りに…哀れな……
 言葉が出なかった。

 唯為は徐に瞼を閉じる。椿を止めることが出来るのは、牛鬼しかいない。だが、その牛鬼と椿の間には切っても切れない……――決して1つにはなれぬ愛。
 獅王丸も口を噤んだまま…胸が痛かった。血の繋がった……しかも片方はそれを知らぬ。
 思わず、ぐっと握り締めた拳に力を入れた……その瞬間だった。

 直下型地震のように下からズンッ!と突き上げるような衝撃が走る。その揺れに岸壁の際にいた朔羅はバランスを崩し倒れこみそうになるが、唯為が咄嗟に走り寄り、朔羅の身を抱え上げる。
 シルバも身を低く沈め衝撃に耐え、獅王丸も岩から降り、脇にあった老木を支えに屈んだ。
『獅王丸殿…椿だ……』
 清清と覇紅の声が響いた。そして揺れが収まり、4人が顔を上げたその視線の先――淵の対岸に……白い、真白き牛鬼が現れる。目の前にいる黒く年老いた牛鬼よりは二回り程小さいが……闇に映えるその白さ、輝き、そしてヒシヒシと伝わる慟哭…。
「椿……」
 血の涙を流す牛鬼の瞳は既に光を宿していない。まさか懐に抱く白骨の娘が霊魂の白き牛鬼となって現れるなど、考えにも及ばないだろう。

 椿は――この地点で既に椿ではなかったのかも知れない。

 白き牛鬼は耳を劈くような雄叫びを上げると、崖から駆け下り真っ先にシルバの方を目掛けて走り込んで来た。
「チィ!」
 想像以上に早いそれにシルバは咄嗟に身を翻し岩を蹴る。そして懐からコルトパイソン357マグナムを取り出すと、徐に銃口を椿に向けた。
「撃つなッ」
 朔羅は思わず抱え込む唯為の腕を払って身を乗り出した。
「今、撃てば椿は本当に物の怪に堕ちゆくだけだ…」
 消え入るような声で朔羅は云った。
 その様子を見て、唯為は小さく舌打ちを洩らす。あれだけ気をつけろ、と云ったのに、朔羅は既に椿に同情を寄せてしまっていた。
 その間にも、呼び止められたシルバはそのままトリガーを引くことなく突進してくる椿を紙一重で避け、何とか手立てがないものか、と流れる景色の中で強く思う。
「獅王丸ッ!」
 シルバが呼ぶと回り込んでやって来た獅王丸が椿の向こう側に現れる。右手を空に掲げると、覇紅が赤い光を放ちながら徐々に姿を変え……スラリと光る太刀へとその身を変化させた。
「可哀相だが、このままでは埒があかない」
 獅王丸は静かに云い捨てると、ギラリ、と刃を光らせて構える。

『牛鬼様が私の全てです……』

 荒れ狂うように暴れていた椿は、獅王丸に標的を変え凄まじいイキオイで走り寄せた。しかし、獅王丸は眼光を光らせ、スとそれを避けると、椿はそのまま唯為と朔羅がいる――己が淵へとその身を投げた岸壁に体当たりした!

 地が揺れる――。
 破壊できそうにもない強靭な岸壁の岩がぶつかったその衝撃で大きく揺れ…亀裂が走りピシピシと悲鳴をあげて、崩れ始めた。
「クッ」
 岸壁の上にいた唯為は脆く割れ始めたそこから朔羅を守るように抱き寄せ、後ろの林へと引く。すると、椿がダメ押しのように、もう一度岸壁に肩からぶつかると再度牛鬼淵が揺れた――!
「朔羅」
 唯為は朔羅の躯をドンッ!…と林の方へ強く押すと自分はその衝撃で落ち行く岩盤と共に足元を滑らし、淵へと――身を堕とす。奈落の淵……落ちれば二度と浮上出来ないと云われる牛鬼淵へ……。
 朔羅は押された反動から木々の下へと倒れ込んだが、弾かれたように上半身を起す。黒い眼には相変わらず口元に笑みを貼り付けて嗤う唯為の姿。
「……唯為?」
 そして――唯為はそのまま闇の淵へと姿を消した。


Scene-7 もう二度と

 まるで雷が落ちたかのような惨劇だった。
 下にいたシルバと獅王丸も噴火のように降り注ぐ岩を何とか避けながら顔を上げると、水飛沫を上げて唯為が淵に落ちる姿を目の当たりにする。
「唯為ッ!」
 シルバが声を上げると、際まで走り寄った朔羅が咄嗟に自分もその後を追おうと藤色の羽織を投げ捨てた。
「止めろッ。飛び込めばお前まで上がって来れんぞ!」
 シルバは云うが早いか駆け出し、朔羅を止めようと崩れ落ち坂道となった岸壁を駆け上がる。
「シルバ。お前はそこから朔羅を連れて引け。椿は私が仕留める」
 そう云って獅王丸が動きを止めた椿に覇紅を光らせる。燃える様な赤い光を発しながら……。

『椿…椿か……愛しい椿か……』

 まるで老木のように微動だにしなかった牛鬼はそこで漸く声を発した。辺りに木霊するように水面までも揺らす。
『椿よ…我は此処におるぞ……此処へ来てその美しい顔を見せておくれ……』

 牛鬼は「我」とは云っても決して「父」とは云わなかった。牛鬼は既に察していたのだろうか……椿に必要なのは父性ではないことを。
『牛鬼様…牛鬼様……』
 岸壁に数度激しくぶつかった所為で、椿の白い肩からは赤い血が滴っていた。しかし、それに何ら気を止めず、漸く…漸く聞こえたその声に椿は大粒の涙を零し――そして真白き牛鬼の姿から人の……純白の花嫁の姿に戻る。
『牛鬼様…ずっとお慕い申上げておりました……』
 椿は巫女のようにフワリと闇に浮かび、牛鬼の傍に近づく。そして牛鬼が白骨の椿の屍を牛鬼淵に沈めるとその手を蓮の様に美しい椿に差し出した。
『どうぞもう…この手を離さないで下さいな……』


Scene-8 星月夜

 どうやら何とか一段落したと察したシルバは朔羅を連れて獅王丸のいる川縁まで降りてくる。黒く底の見えない牛鬼淵――唯為の姿どころか何も見えはしない。
「潜るか…潜るにしても、生きているならもう浮上してきてもいい頃だが……」
 獅王丸が覇紅の術を解いて、岸へと歩み寄る。
「…………」
 朔羅は声が出なかった。あのとき、自分がシルバを止めなければ、自分が早々に身を引けば、唯為は自分を守って崖から落ちるなんてことはなかった……。あれほど自分勝手な感情を引きずらないように…そう決めていたのに。
 思わずここへ来るまでにシルバが云った科白を朔羅は思い起す。その様子を見て、シルバは小さく溜息を吐くと
「俺が懐中電灯を持って潜ろう。それが一番確実だ」
ジャケットを脱ぎ、コルトパイソンをその上に置いた。ペンライトを口に咥え、重そうなサバイバルナイフも外し煙草も取り出す。

 しかし、シルバがブーツを履いたまま、水辺リに足を進めると――ブクブクと前方から泡が盛れ、思わず3人の視線はそこに釘付けとなる。
 その小さな泡は徐々に大きくなり、そしてシルバは咥えていたペンライトを手にし、そこへ光を当てると、黒い影が浮上してくるのが分かった。
「ぷはッ!」
 イキオイよく水から頭を出したのはこれから捜索される筈の――唯為。
 プルプルと頭をかぶり振って、大きく息を吐くと、顔を上げこちらを向いた。
「何、3人揃って立っている?」
 唯為は軽く掻いて岸まで泳ぐと、纏わりつく水を鬱陶しそうに振り切り水辺から上がった。
「テッキリ死んだかと思ったが」
 獅王丸はヤレヤレ、と安堵の短い溜息を落とす。すると、唯為は盛大に肩を竦めて見せ、
「阿呆が。誰がこんな所でくたばるか」
水を含んだ重いスーツのジャケットを脱ぎ、豪快に雑巾絞りをした。勿論、相変わらずの笑みを貼り付けて。
「ん? ウチの可愛い子は何て顔してんだ」
 唯為はジャケットを肩に引っ掛けて、視線を朔羅に向けると――朔羅は白い頬に一筋の涙を流していた。
「…………」
 滅多に表情を変えない朔羅のその涙に唯為は一瞬戸惑ったが、すぐに仕方ないな、と笑う。そして朔羅に歩み寄ってぽんぽん、と母親が子供をあやすようにそっと頭を撫でた。


Epilogue 一人、そして二人

『これからは牛鬼様の目となり、この世に留まれるぎりぎりまで傍にいることにします……』

 正気に戻った椿は、牛鬼の肩にチョコンと乗り、幸せそうに微笑んだ。
 椿は己が牛鬼の子だということには気付いていない。先ほどの記憶も曖昧にしか覚えていないようだった。
 椿は牛鬼の血を引いている。恐らく霊魂となっても、半永久的に牛鬼の傍にい続けられるだろう。今後の2人の問題は当人同士で解決するのが一番だ。
 牛鬼は相変わらず厳しい顔とおどろおどろしい雰囲気を身に纏っていたが、彼の心は腐った人間より数倍も慈愛に満ち、驚くぐらい澄み切っていた。

――1つの嘘で1人の女の幸せが生まれるのならば、それもまた一興なり。

 そうして2人は地鳴りのような音を立てながら闇の牛鬼淵へと消えた。


「まさか、お前があんな顔してくれるなんて思ってもみなかったな」
 唯為は朔羅の藤色の羽織を肩に引っ掛け、ククっと喉の奥で嗤った。先行く朔羅としては弱みを握られたみたいで腹立たしいことこの上ない。
「…黙れ。一度死んで来い」
 プイ、と顔を背けてスタスタと歩く。その後ろ姿に唯為は「おーおー」と肩を竦めると苦笑いを零して、朔羅の手を握って引き寄せた。
「ありがとな」
 そう小さく囁くと、2人を包むように秋の冷えた風が空を舞い、黒髪と銀髪を優しく揺らす。
 秋はもうその色を鮮やかに彩っているようだった。


Fin


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0733 / 沙倉・唯為(さくら・ゆい) / 男 / 27 / 妖狩り】
【0579 / 十桐・朔羅(つづぎり・さくら) / 男 / 23 / 言霊使い】
【0900 / シルバ・J・レインマン / 男 / 35 / ブラックリストハンター】
【1004 / 綾小路・獅王丸(あやのこうじ・しおうまる) / 男 / 32 / 天才外科医師】

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■         ライター通信          ■
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* こんにちは、本依頼担当ライターの相馬冬果です。
 この度は、東京怪談・草間興信所からの依頼を受けて頂きありがとうございました。
* 今回の依頼は三重県・父ヶ谷に実際に残る『牛鬼伝説』をモチーフとして
 執筆しております。
 ですが、あくまでモチーフはモチーフであって、依頼用にかなり脚色を
 加えておりますので、その点はご了承下さいませ。
(話の通り『椿』や『牛鬼の花嫁』は伝説には一切存在しておりません)
* 物語の全容も含めて、椿や牛鬼に対する感情、行動、進展度などは、
 他の参加者の方のノベルにも目を通されますとより一層楽しんで頂けると思います。

≪沙倉 唯為 様≫
 再びお会い出来て嬉しいです。ご参加、ありがとうございました。
 今回は沙倉さんらしさが出せないのではないか…と色々試行錯誤でしたが、
 冒頭個別のドライブシーンと父ヶ谷へ入るシーンは、かなり気張って
 執筆させて頂きました。如何でしたでしょうか?
 それでは、またの依頼でお会い出来ますことを願って……
 
 
 相馬