コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


バードメン!

バードメン> ものすごいヒミツなんだが…私は自由に空を飛べるんだ!
なつめ  > …へぇ。凄いね。
バードメン> 信じてない? 自由に飛ぶのは君の夢じゃないのかい? 
なつめ  > うーん…まぁそうだけど。
バードメン> なら、今夜零時に君を迎えに行く。夜間飛行を楽しませてあげるよ。
なつめ  > え…別にいいよ。
バードメン> では、今晩零時に。約束だ。
3.30:バードメンさんは退室しました。
3.35:なつめさんは退室しました。

「マジで来ると思います?」
草間興信所のソファに腰掛けて、夏目勝(ナツメ・マサル)はダルそうに言った。「まさかとは思うけど俺、HNになると女名になるから。ストーカーじゃねぇよな? って。」
 彼は自分を24歳、留年しながらも今年漸く専門課程に進んだ大学で航空力学を学ぶ学生だと言った。今朝方、息抜きの為チャットしていた所、話が盛り上がって最後まで残っていたのが彼とバードメンと名乗る人物であったらしい。
「それに俺、ラジコン飛行機の話してたし。…けど、迎えに行くってちょっと引くッスよね。」
「若いのにラジコンとはなかなかだな。自分で作ってるのか?」
 煙草を片口に咥え、片手にペンを持ったまま草間は言った。ラジコンは…特にRC飛行機は案外子供だけの遊びではない。凝り出したら何百万と掛かることもある大人の遊びでもある。
「まぁ。元々は死んだ俺の爺さんが…戦中に飛行機乗りだったんだけど…凄く凝ってたんス。子供の頃良く手伝ってたり、紙で作ったの貰ったり。紙でもやり方によっては結構本格的なのが出来るわけで。」
 割と淡々としていた横顔にほのかに青年らしさが灯り、草間もそれに惹かれるようについ膝を乗り出した。
「そういえば俺も昔駄菓子屋で紙の奴を買ったな。切り抜いて割り箸にくっつけてゴム巻いて…結構飛ぶんだあれは。」
「いやそんなんじゃなくて、もっとキチンと設計図を引いて…。」
 話がズレ掛けたその時。2人の後ろから声が掛かった。
「お兄さん。お仕事を下さい。」
 それは草間が拾ってきた…もとい全力を挙げて預かっている妹(仮)の草間零。
「設計図か。なんだか面白そうだな。」
「お兄さん。お仕事を下さい。」
 言いつけられてもうすっかり家の片づけを済ませてしまった彼女は、物足りなくてこうして興信所まで出てきたのだ。だが全く話を聞かない草間に、無表情な顔をして繰り返す。
「お兄さ…。」
「あ〜もう、分ったよ。」
草間は夏目との会話を中断して、頭を掻きながら妹の方を振り返った。「今この人との話を終えるから、その後でな。」
 こくりと頷いて零は隣でじっと話を聞いていた。
 どうやら夏目の依頼は、今夜零時のその時に、自分を守って欲しいということ。たかだかチャットの会話程度の事で大の男が興信所にまで…と少し気恥ずかしそうにしていたが、彼は散々雑談した後で帰り際にこう言った。草間と話せて楽しかった。そしてそのせいで思い出した事がある…と。
「そういえば今日は、爺さんの命日だったな…って。」
 扉を出て行く夏目の後姿を見送り、草間は何本目かの煙草に火をつけなおして呟いた。
「ありゃぁ…『誰が迎えに来るか』薄々ながらもわかってる口ぶりだったな。」
 でなけりゃこんな怪奇探偵のトコに来るわけ無いか。と。

<プロローグ>

 空気が徐々に秋めいて来たその日、草間武彦は興信所のソファに座った3人の男女を横目に、上階にある彼の自宅へと内線電話を掛けていた。
「零、ちょっと降りて来い」
電話の相手は彼の妹、草間零。故あって突然出来た妹だものだから、最近になってそれを知ったお客の中には、珍しがって是非会いたいと言う者もいる。「お客が来たぞ。しかもお前に手土産付きだ」
 彼とて一年中をこの部屋で寝起きしているわけではない。他にマトモな住処を持っているのだ。そこから呼び出されて降りてきた零はきょとんとした顔をしたが、そこにいた3人の姿に気付くと微笑んでお辞儀をした。
「草間零です。珈琲になさいますか?それとも紅茶になさいますか?」
 基本的に応用の利かない特殊な人間である零は、草間武彦に一番最初に言いつけられた通りの対応をする。だが既にテーブルの上にしつらえられた珈琲とケーキを見て、困惑した様子を見せた。
「今日はいいんだ。もうシュラインが淹れてくれたからな」
 そう言うと草間はソファに座った一人の細身の女性を指差した。
「こんにちは、零ちゃん。体の調子はどうかしら?」
「幸い大変快調です。有難うございます」
 ひらひらと手を振ったシュライン・エマに、零は深々と頭を下げた。彼女の事は知っている。この部屋の片付け方を教えてくれたのは、時々ここでバイトをしている彼女だからだ。彼女が居なければ零は、どの書類を何処に仕舞うのかさえ分っていない草間に相当苦しめられた事だろう。
「2人は零に会うのは初めてだよな。紹介しよう。ウチの妹だ」
そして草間は零をソファに座らせると言った。「こっちの若いのは今野篤旗(イマノ・アツキ)君。大学生だ。そっちの少し若いのが遠野和沙(トオノ・カズサ)君」
「酷い紹介の仕方ですね」
そう言ったのは遠野と呼ばれた黒髪の男だ。彼は微かに笑って手に持ったガーベラの花束を零に差し出した。「少女を引き取ったとお聞きしましたが、薔薇ではなくて良かった様子ですね」
 言葉通り、零はまだ年若く薔薇というよりは野に咲く花の方が似合いそうな可憐な少女だった。
「これは大変痛み入ります」
 生まれた時代のせいか零の言葉は時代がかっており、遠野は少し面食らった様子である。
「このケーキもお前にだそうだぞ。全員で頂いてるが。ほら、お前も早くそこに座って食え」
 零は食物でエネルギーを補充するわけではないが、物が食べられない訳でもない。こくりと頷くとソファの片隅に腰掛けた。
「零ちゃんは年幾つなんや?」
 と、柔らかな京都なまりで尋ねたのは今野だ。彼は携帯で草間に呼び出され、大学の授業が終わると直ぐにここへ駆けつけてきた。毎日の学業が忙しいはずの彼だが、一体どのように暇を作っているのだろう。通常の成績は保っている様子なので、余計に不思議である。
 零は答えた。
「大戦中に作られましたので、今は四十…」
 言いかけた言葉を、草間が慌てたように奪う。
「十四! 十四だろうお前は。ははっ!」
「いいえ私は…」
「十五? 十六だったか? だがまぁそんな事はどうでもいいだろ、な?」
 草間がソファの後ろに回って今野の肩をきつく掴んだ。
「痛たたっ、何しはるんですか、もぉ」
 その様子を見たシュラインは笑いを隠し切れないように横を向き、遠野は考えるのは止めておこうと言わんばかりにケーキを一口、溜息を付いた。

***

「…と、まぁ今回の依頼内容はこんな所だ」
パティスリー・ルシェのケーキと珈琲を飲み終え寛ぐ3人に向かって、相変わらず煙草を手放さず草間武彦は言った。「お迎えは今夜零時だって話だ。急ぎで悪いな」
 その言葉に納得したように頷いたのは遠野。
「成る程。珍しいと思いましたよ。草間さんが私に依頼を持って来るなんて」
「その通り。でなけりゃ頼むか、掃除屋」
 草間は言ったが、目元と口調にはからかうような色が浮かんでおり、掃除屋と呼ばれた遠野も微笑して肩を竦めて返す。草間は今野とシュラインに向き直って言った。
「彼は早い話が何でも屋なんだが…報酬が高すぎてな。興味が無ければ梃子でも動かないし」
「そやったら、今回は興味ありありゆうことですね」
 今野が屈託無く笑って遠野に話しかける。遠野は決してとっつき易そうな気配の持ち主では無かったが、諸諸事情があれど健康で健全に育っている今野にはまだ、遠野が負う影は掴みきれていないようで、今は怯む様子も無い。そんな今野に遠野は微笑んだ。
「そう。草間氏はああ言うけれど、私は別にお金が目当てではないのですよ。気に食わない依頼を断るのに利用してるだけでね」
 今野が噴出して草間の横顔をちらりと覗くと、彼は苦虫を噛み潰すような顔をしていた。 
「遠野、シュラインと今野君は幾度か依頼を一緒にこなしてる」
草間は一つ呼吸を置いて言った。「どちらも頼りになるから、いざという時は寄りかかれよ」
 意味深な台詞にシュラインは微かに訝しげな顔をしたが、当の遠野は軽く頷くだけ。
 だが草間はまだ心配そうな顔をして、それから依頼書に目を落とし、煙草の煙を吐き出した。
「ま、皆大体検討が付いてると思うが、今回相手にするのは多分…」
「十中八九、夏目氏のお爺さんだと思って間違いないでしょうね」
 という遠野の言葉に、今野が嬉しげに頷いた。
「あ、やっぱり遠野はんもそぉ思います? 僕もそうかなて思うとったんです」
だがそこで表情を引き締める。「けど万が一ちゃうかっても困るし、一応警戒はせな」
「その通り。用心するに越した事はないですね。けれど問題は相手が一体何をしにやってくるのかという事」
「そしてどう守るかよ。何が起こるにしてもここに居ちゃ依頼人を守る事は出来ないわ。移動しましょうか。もう9時だもの」
 シュラインはヤニに煤けた壁時計を見上げて言い、そしてソファの隅でひっそりとまだケーキを食べていた零に話しかけた。
「もし良かったら零ちゃんも一緒に行かない? 気晴らしになるかもしれないわよ。…ね、いいでしょ武彦さん」


<お迎えです>
「ここじゃなんだからさ」
 大学の寮に住むという彼は、割と出来のいいマンションの前で彼等の到着を待っていた。どうやら学友達には今夜起こり得る出来事については相談していないらしい。自分とさほど変わらない年齢の『探偵』たちを見て彼は一瞬驚いたような顔をしたが、それでも友人と偽って寮内に入れるのはためらったようだった。ちょっと移動しましょう、と言われて今野、シュライン、遠野とそして小さな零は、夏目に連れられて少し大きめの公園へやって来ていた。
「迎えに行くて、言われたんやて?」
 ベンチに並んで座った二人は年こそ違えど同じ位の身長で、今時の若者らしく背が高い。
「そう。けどネットで俺の居場所が分かるとは思えなかったし、考えすぎかとも思ったけど…」
 言いよどんだ彼は言葉の裏に何かを隠している様子だった。それを察したシュラインは向かいのベンチから彼に声を掛ける。
「いいのよ。はっきり言っても私たちは変に思ったりしないわ。慣れてるから」
 夏目はその言葉に、ちょっと考え込んだ様子を見せてから頷いた。
「迎えに来るのは、爺さんのような気がするんッス。今日は爺さんの命日だし、チャットで話してた内容も思い当たるフシが一杯あって。例えば複葉機はロマンだとか、めちゃくちゃ熱く語ったり、RC(ラジコン)飛行機もやけに爺さん好みの物を作ってたり…」
 彼はシュラインにはやや丁寧な言葉で返した。どうやら女性にはそれなりの態度を示すらしい。
「ただ趣味が合うだけではなくてですか?」
 一人だけベンチの傍に立ち、何気なく辺りを警戒している遠野の言葉に、夏目は自信なさそうに頷き答えた。
「そこまで詳しいなら、フライトシュミレーションゲームとかの話もしたいし、今の飛行機についてもって思うでしょ? でもそうなるとちっとも乗って来ない。まるで今のことはさっぱり分らないって感じで」
 遠野と今野は話を理解している様子だったが、シュラインは珍しく眉を顰めた。
「ねぇ零ちゃん、何を言ってるのか説明してくれない?」
 こっそりと、傍に居た小さな少女に話しかける。
「私は第二次世界大戦中に作られましたので、詳しくはご説明できませんが、データから申しますと複葉機が全盛であったのは一次大戦中になります。RCやゲームについては…」
そこで彼女はちょっと気弱な顔を見せた。「今後勉学に励みますので」
「あっ、あら、いいのよ。分らない事もあるわよね」
 シュラインは落ち込んでしまった零を盛り上げようと慌てた様子を見せる。
「でも相手がお爺さんなんやったら、大丈夫ちゃうの?」
 一方質問を続ける今野の言葉に、夏目は驚いたように声を上げた。
「ちょっと待ってよ。ウチの爺さんはもう何年も前に死んでるんだぜ? そしたら来るのはコレじゃないか」
彼は胸元で両手を垂れ下げた。「怖い事は無いけど…迎えに行くって、あの世かも…」
「成る程。あなたの心配はつまりそこなんですね」
 守って欲しい、の意味を察して遠野が言った。
「夏目はんのお爺さんはどんな人やったん? …まさかとは思うけど、夏目はんの事嫌っとったわけちゃうでしょ」
 今野は尋ねた。彼は自身が相当なお爺ちゃん子である故、まさかそんな事はあって欲しくない。それに草間から断片的にではあるが聞いた話によれば、そのような気配も無かった事であるし。
「ウチの爺さん? 名前は正之助っつって、勿論仲良かったよ。ウチが共働きだった事もあって、小さい頃は良く遊んでもらったな。空軍にいて、話す事って言ったらそればっかり。…晴れた日に、基地の飛行機が一斉に飛び立つと、太陽に反射した翼が銀に光ってまるで鰯の群れみたいに見える…だとかそんな話をよくしてたな」
 夏目の瞳もどこか遠く、空を自由に飛ぶ飛行機の姿を追う少年のように輝いていた。
「ええお爺ちゃんやんか。…したらきっと、お迎えに来るなんて事はあらへんよ」
「ですね」
「そうよ」
 安心したような今野の言葉に他の2人も頷き、まだ不安げではあったが夏目も肩の力を抜く。
 だが言葉とは裏腹に、草間興信所の一行はまだ警戒を完全に解いたわけではなかった。
 皆が腰掛けたベンチの直ぐ脇には遊歩道に囲まれた大きな池があり、その脇を植え込みと木が巡っている。街灯とその向こうに白々と町の明かりが見えた。
 静かに零時が迫って来る。興信所の面々も夏目自身も、きっとこれから何かが起こる、そんな予感を感じていた。
「もう直ぐ月が…昇りますね」
 遠野のその言葉が終わるか否か。
 東の空に町の明かりとは別の輝きが見え始め、一同が見詰めるうちにどんどん大きく明るくなり、やがて池の上にすっかり姿を見せる。ガスの掛かる空であったが、今夜は快晴だ。
「満月だったのね、今夜は…」
 まるで蕩け落ちそうなほど美味しそうな色合いの月は、夜空から切り取ったかのようにはっきりと縁を見せ、数日来雨の降らない乾いた空気と埃のせいか、酷く大きく彼等の目に映った。
 と、その耳に何処からか微かに響いてくる、機械音。
「…プロペラの音です…」
 零が言い、月に向かってに目を向けた。
「え?何も見えへんよ」
「直ぐに見えてきます。あれは…中島の九五式2号水上偵察機」
 今野に向かって言った零の言葉が終わるか終わらぬかの内に、その機影は明らかなものとなってきた。月を背景に、一直線にこちらへ向かってくる複葉のシルエット。その下には船型のフロートが羽と機体に計三艘はっきりと見える。
「ホンマに来た……」
 不謹慎ではあるが、ぐんぐんと近づいてくる機体を前に今野は胸を高鳴らせ声を漏らした。背筋がぞくぞくするのは、霊的な温度を感じているからだけではない。微風に揺れる湖面に機影が映る。そして流石に度肝を抜かれているシュラインと、何を考えているのか普段通りの整った顔でその光景を静観している遠野たちの目の前で、滑るように着水した。
「眩暈がしそうよ」
 半ば諦めたようなシュラインの声がする。
 座席は前後に二つ。月明りに光る機体は淡い朱色に染められ、腹側は銀の波を模り塗られている。シャープで洗練されたフォルム。そして溢れるようなエンジンとプロペラの音の向こうで、立ち上がった人影に、夏目勝の呆然としたような声が上がった。
「…爺さん…」
 翼を伝い歩いてくるその人はがっしりとした顎に整えられた白い髭を持ち、丸ゴーグルの下に見える眼差しは、飛行機について語っていた時の夏目にそっくりだった。
「迎えに来たぞ。さあ、行こう」
 湖畔に立ち竦んだ彼に差し伸べられた手は力強く、だが声は遠くから聞こえる。
「だけど」
 夏目は後ろを振り返った。その目には興奮と期待と、それから僅かな不安が垣間見える。
「だけどとは何だ。男に二言は無いと教えたはずだろう」
「俺一緒に行くなんて言ってねぇよ」
「『別にいい』と言ったではないか」
「ちょっと待って!」
 言い合う2人の間にシュラインは身体を割り込ませた。彼女も女性にしてはすらりと背の高い方であったが、この堅固な身体つきをした老人は見上げなければ顔を見ることが出来ぬほど。昔はさぞかし女性の目を引いたであろう。
「どこに連れて行くつもりなの? まさかあの世じゃないでしょうね」
 と、至極当たり前の事を尋ねようとしたシュライン。だが遠野がそれを遮ったのはその時だ。
「大丈夫ですよ、シュラインさん。この人からは悪い波動を感じません」
彼は夏目を元気づけるよう彼に笑いかけた。「だから大丈夫だ。命を取られる心配はない」
 その言葉を聞いて祖父・正之助は夏目に雷を落とした。
「ばか者! 血のつながった肉親を疑うとは何事だ!」
「でも」
「でもじゃあない! 早く来なさい」
 どうやら夏目という男は、かなりの問題児であったようだ。まぁ正之助もそこが可愛いかったのかもしれないが。
 だが引きずられていく夏目の目には、涙がうっすら喜びの浮かんでいた。
 そして飛行艇は、飛び立つ。

 離水した瞬間、それまで湖面に上がっていた飛沫が一瞬の間をおいて静まり、丸みのある翼が皆の目の前でふわりと浮き上がった。それは、幻の機体である事など忘れさせるかのようにリアルで、しかし夢のような光景。
「今野君など、乗ってみたいのではないですか?」
 先刻から一言も話していない事に気付いて遠野が振り返ると、そこには鳥肌を立てて背筋を震わせ座り込んでいる今野が居た。
「ちょっと、どうしたの? 大丈夫?」
 心配したシュラインが近寄ると、今野は噛み合わない歯をがたつかせながら言った。
「こないに強い冷気は初めてや…さ…寒うぅ!」
 勘の良いシュラインは、それだけで納得した様だった。そんな彼女に遠野が軽く答えを促す。
「今野君はどうやら温度に関する能力を持っているそうなんだけれど、霊的な寒さも熱さも私たちよりずっと感じてしまうみたいね」
「そんな彼が、実体化してしかも空を飛べるような霊力の塊にぶつかった、と言うわけですか。それはさぞかし強烈な思いでしょう。…残念ながら、今回は見送りと言う事でしょうか」
 遠ざかっていく飛行艇の機体を見上げながら遠野が言った。
「ホンマその通りですわ…」
 寒気の治まってきた今野がほっと一息ついてそう言った、その時だった。
 それまで脇でじっと静かにしていた零が声を上げた。
「も…もう我慢できません」
「どうしたの、零ちゃん」
 尋ねたシュラインを見上げて、零は空を指差した。
「呼んでいるのです、あの飛行艇が私を」
 そう言って零は両手を空に広げた。今野の背筋がまたもや怖気立ち、彼女の前から離れようと遠野の後ろに隠れる。
 見る見るうちに集まってきたのは、零が呼び集めた鳥の怨霊たちだった。
 怨霊は実体化し、零の背中に輝く大きな翼を作る。
そして彼女は3人を振り返り、言った。
「私は後を追いますが、一緒に行かれますか?」
 どうやら元・心霊兵器である零にとって、あの複葉機は仲間のようなもので、あちらも彼女が居ても立ってもいられなくなるような波動を彼女に向かって放出しているようなのだ。
「…流石は草間氏の妹さんですね…人間業じゃないですよ」
 突然の事に驚きながらも、彼には後でしっかり理由を聞こう、と思いながら遠野は言い。
「僕…は、遠慮しときます。…凍えてまうから」
 気になるけど聞かない事にしよう。答えが怖いから、と思いつつ震えながら今野は言った。
 すると後に残るのはシュライン唯一人となる。
「わ、私…?」
 零に見詰められて彼女は一瞬怯んだが、しかし。
「草間…いえ、兄は『空を飛べるってのはいいなぁ。男のロマンだな』と言っておりました」
「分ったわ。零ちゃん、お願い」
 言うが早いか、零の腕がシュラインの細腰を掴み寄せ、彼女たちは機影を追いかけ空に舞い上がった。

<シュライン・エマ>
「零ちゃんっ!?」
 流石のシュラインもその突然の飛翔には肝を冷やした。足の下の地面の感触があっという間に無くなったかと思うと、突然に視界が開けたからだ。
 高さとしてはほんの数メートルであろう。だが池の周りの木々はそれだけで追い越し、今彼女の目に見えるのは、遠くに光る町の明かり。
「怖くは無いですか?」
 零が耳元で尋ねてくる。シュラインはぎこちなく笑った。
「怖くないと言ったら嘘になるし、」このままじゃスーツが皺になるわね」
 今零がシュラインを支えているのは、その細腰と肩口を軸にした二点だけだ。落とされはしないだろうと思うものの、零の腕は華奢で危うかった。
「それは気付きませんでした。ではあちらに行きましょうか」
 後は彼女の言葉通りだった。あちら、とはつまり夏目正之助の操る機体であり、最大時速3百キロを出すその戦機に、零はシュラインを抱えて飛んだのである。
「………っ!!」
 勿論その時300キロというすさまじいスピードを出した訳ではないが、シュラインは風圧で息を詰まらせ、眼下の明かりが閃光を描いて霞むのを見た。目元にはうっすらと涙が浮かんでいたと言う。
 だがそれはものの数秒。気付くと彼女はゆったりと飛行する複葉機の下段の翼に座らされていた。後部差席には勝が居て、シュラインと零を信じられないものを見た、というように目を丸くして見ていた。
「曲乗りかね?」
 前席に腰掛けた正之助が、爆音の中声を張り上げてシュラインに尋ねる。彼女は後ろで自分を支える零の手を感じながら、無理やりに微笑んだ。
「まぁ、ね!」
 彼女は、掌で風に散る黒髪を押さえ、改めて辺りを見回した。
 都会の夜景は、美しかった。空はガスで曇り、その分町の明かりを映して明るく、その下に広がる光。微かに耳に届くのは町の音。煩いはずのクラクションも、ここならば心地よいBGMのように聞こえた。
「これが…お孫さんに見せたかった光景なの?」
 シュラインは月を背に正之助を見上げた。彼はただ笑い、ぐいとハンドルを引いた。
「え…? き、きゃぁあぁぁああ!!」
 そして飛行艇は背中を地面に向け、見事な一回転を決めた。零に支えられたシュラインが、気を失いかけたのも無理は無い。
 通常飛行に戻った正之助が、シュラインに向かってニヤリと笑った。
「曲乗りというのは、こういうことを言うのさ」
「…実演、とってもあり難いわ…」
 その時だった。シュラインの敏感な耳が異変を捉えたのは。
「…なんだか変な音がするわね」
エンジンの中で何金属の欠片が転がっているような音を立てている。「ねえ、正之助さん?」
 振り返ったシュラインの目が捕らえたものは。
 胸を鷲掴みにして、コックピットに倒れる正之助の姿。
「爺さん!!」
後部座席から勝の声が響く。「嘘だろ…。一度死んだくせに、まだ心臓治ってねぇのかよ!!」
 飛行艇はバランスを失う、そして左右に揺れ、正之助の体重の掛かったハンドルが操作するその通りに、徐々に降下し始めた。
「爺さん! 爺さん!!」
 勝の悲痛な声。そんな中シュラインは零の手を借り、機体を掴みながら全力で翼の上に立ち、彼の身体に手を添えようとする。だがその身体さえももう実体をなくしかけており…。
「嘘…このままじゃ落ちるわ!!」
「…勝…お前が…ハンドルを握れ…」
 快適な空の旅は終わった。彼女は地上に居る2人に、必死の念を送った。
── 助けて!


<今野篤旗・遠野和沙>
 零が居なくなった事で、漸く体の震えが治まった今野は漸く顔を上げた。全く酷い目にあった、と呟きながらも、落ち着けば空を舞う二人の姿が目に入り、挨拶するかのように翼を揺らす飛行艇の座席に夏目と正之助の姿を見つけて、思わずそれを見送った。
 夏目は無事だ。困惑したような仏頂面はそのままだが。
 零に抱えあげられてじたばたしていたシュラインが、複葉の翼に座らされる姿も見えた。
「…ホンマに来はるんやったら、好物でも用意しておいたらよかったかも知らんですね」
 ぽつりと呟いたその言葉に、遠野が可笑しげに笑って言った。
「本当にあなたは面白いことを言いますね」
 と、その時、突然機体が上昇した。
「あ…危なっ!!」
 叫んだ今野の声に、思わず遠野も空を見上げる。…だが。
 それはどうやら正之助の悪戯だったようだ。機体は見事な宙返りをして見せた。
「もぉ…人騒がせな爺ちゃんやなぁ」
 けれどそんな今野の声に咎めるような色は無く、むしろ嬉し気な雰囲気があった。
 遠野には今野の様子が好ましく思え、珍しく彼から問いかけた。
「あなたは…お爺さん子なのですか?」
 すると今野は頬を軽く掻いて照れくさそうに笑った。
「やっぱり分りますか?」
 そして自分が弓道を嗜んでいる事、それを習わせたのは彼の祖父であったこと、厳しくて優しい祖父を彼がとても尊敬していること…そんな事を、空を舞う機体を見上げながらぽつりぽつりと語った。
「まぁ師匠ゆうかそんな人です。京都に居るんで今でもたまに遊びに行ったりしてますわ」
今野は尋ねた。「所で遠野はんのお祖父さんはどんな方やったんですか?」
「私ですか…?」
 言いかけて、遠野は口を噤んだ。
 その余りにも長い沈黙に、今野が不安を感じ始めた頃、思い切ったように遠野は言った。
「ここがちょっとね…」
とんとん、と左の指で軽く頭を突く。「調子が悪くて。20歳から前の記憶が無いんですよ」
「え…」
 今野の表情が変わる。
「でも私は結構要領が良いもので、こうして生きてますし、困る事も余りありません」
 今野を困らせないようにする為少し声のトーンを上げて言いながら、遠野はなぜ自分がこんな事を言ってしまうのか、不思議に思っていた。目の前に居る青年が余りにも今自分が身を置いている世界と違って見えるからなのか、それとも草間のあの一言があったからなのか、それとも…目の前を優雅に横切る銀色の戦機があまりにも非現実的だからか。
 自分は感傷に浸るような人間ではないと思っていた。この話を聞いて依頼を受けた時には夏目が傷つくような事にならなければ良いとそう思う、それくらいに思っていた。けれどこの気持ちはなんなのだろう。
 その時だった。遠野の脳に鋭い念が飛んできたのは。
── 助けて!
「…ぶない」
彼は、頭を抱えて空を見上げた。「危ない。落ちてくる!」
「なんやて!?」
 2人の目に遠く映ったのは、コクピットに不自然な様子で倒れこんだ正之助の背中だった。

***

『シュラインさん、聞こえますか』
 その時、翼の上に立つシュラインの脳に、まるで無線のように直接語りかける声が響いた。
「遠野…さん?」
 声の主に気付いて、目もくらむようなこの高さから辛うじて下を見下ろすと、今野が大きく手を振っている。
『私達がフォローしますから。大丈夫、落ち着いて。…今そちらはどんな状況ですか』
「正之助さんが倒れたのよ。今は…正之助さんの変わりに勝君が操縦してる。零ちゃんは機体と正之助さんが消えないように力を送ってくれていて…私は…」
『私は?』
「落ちないように必死で掴まってるところよ!!」
 ここで死んだら化けて出てやるわよ、武彦さん!! 彼女は心の中で叫んでいた。
 一方地上では、ゆらゆらと不安定ながらバランスを保ち、まるで鷲のように螺旋を描き徐々に高度を下げてくる複葉機を、じっと見守る二人の姿があった。
「…僕にできる事は…」
 じっと目を閉じ、シュラインと会話をしている遠野の横顔を見て、どうやら彼の力はテレパスかその類のものらしい、とそう気付いた今野は、辺りを見回した。
 その間にも飛行艇はどんどん降下し、気のせいかそのスピードを増す。
「ダメだ…このままじゃ…降りても…」
 轟音の中での勝の呟きに、シュラインが耳をそばだてた。
「降りても…なに!?」
「降りても…滑走仕切れなくて土手に激突する!!」
 その叫びはシュラインから遠野、そして今野に伝えられた。
「遠野はん、僕の力やったら滑走路が作れます…でも今のスピードやったら…間に合わんかもしれん」
 その言葉に遠野が深く頷いた。
「では私が食い止めましょう。…何秒必要ですか!?」
「……10秒!」
「任せてください…今夜は満月です。私の力に制限はありませんよ…」
 そして加速していた機体のスピードが緩む…9秒。
 今野が池に向かって走る…5秒。
 勝が思い切りハンドルを引く、機首が上がる…4秒。
 シュラインの切れ長の瞳が、きつく閉じられる…3秒。
 零がシュラインの身体を抱き寄せる…2秒。
「うあぁぁぁああ!!」
 今野は水に手を直接触れさせ、ありったけの力をそこに注ぎ込んだ。
 池の水が凍り、なだらかな曲線を描く長い氷の壁が、池を越えて遙か先まで伸びた。
「くうっ!!」
 遠野の意識がそこに向かって機体を操る。その額に珠の汗が浮かぶ。…そして…。

 着水した九五式偵察機は水を切って2人の前を走り抜け、氷の壁を半ば登った所で勢いを失い、ゆっくりと…尾翼を後ろに滑り落ちてきた。
「……は…」
 誰のものとも言えない溜息がその場に漏れた。


<空を舞う鳥のごとく>

 プロペラを回す力さえ無くなった機体は、遠野の力を使って接岸された。
 大分疲労した様子のシュラインと、それから夏目勝の姿が見える。しかしそこに夏目の祖父の姿は無かった。消えてしまったのだろうか。
「大丈夫ですか〜!」
 今野の声に、シュラインが力なく手を振り返し、零と一緒に翼を伝って岸に降り立つ。夏目勝も、しびれるほど強く握り締めていたハンドルを放してピットを出、岸で待つ4人の元に、誰も居ないコクピットを振り返り、振り返りながら歩み寄った。
「お帰り」
 差し出された遠野の手に引かれて土手を上がる。
「夏目はん、お祖父さんは…」
 今野の問いに答えたのはシュラインだった。
「着水した辺りで、姿を消してしまったの。…身体を保てなかったのね」
 空の上で何が起きたのか、遠野と今野には分らなかったが、夏目の落ち込んだ様子を見ると、それは今聞くべき事ではないような気がした。
 だが、浪々とした声が響いたのはその時だった。
「良くやったな、勝」
 はっとした5人の耳に、もう一度九五式2号水上偵察機のエンジン音が鳴り響いた。そして回り出すプロペラ。
 振り返った先、複葉の上翼に掴まって立っているのは、夏目の祖父であった。
 体がほのかに光っている。彼はまっすぐに夏目勝を見て言った。
「お前が空を目指してくれて嬉しい。だから今夜の事は、空を選んだお前への餞だ」
「爺さん…?」
 それが、留年して入った専門課程のことを言うのだろうと、勝は察した。
「翼を持った私たちは自由だ。鳥のごとく、強く高く飛べる」
 徐々に、正之助の姿が薄れてゆく。
「まだ及第点をやるには、つたない操縦だったが…」
正之助は興信所の4人にその深く穏やかな目を向けた。「仲間が居る事の大切さも知る事が出来ただろう。…有難う。君たち」
 そして最期に、彼は微笑んだ。
「……消えてしまいました…もう、何処にも居ません」
 零の静かな声が、4人の耳に届いた。


<エピローグ>
「腑に落ちない事が一つだけあります」
帰り道、そう言ったのは零だった。彼女は不審気な顔をした4人を見上げてこう言った。「夏目さんは、正之助さんが所属なさっていたのは空軍だと仰いました。でもあの95式偵察機は…確か海軍のものです」
「じゃあ、どうして?」
 シュラインの疑問に答えたのは夏目自身だった。
「ウチの爺さんはね…本当は…飛行機に乗った事は一度も無かったんスよ」
 余りに意外な呟きに、一同は驚いて彼を見る。夏目は目を落とし、夜道を歩きながらポツリポツリと語った。
「爺さんは弱視だったんス。それに確かに空軍に所属していたけれども、それは第二次世界大戦が始まってからの事で、やっぱり飛行機には乗れなくて。…それ以前は工場で飛行機を作っていた設計士だった。戦中の事は余り話そうとしなかったけれど、精魂込めて作った飛行機で人が死んでいくのを見るのは、きっと辛かっただろうと思う」
 バカだね、と夏目は皆を振り返って少し寂しそうに笑った。俺も設計希望なのに、運転させてどうするんだろうね、と。
「きっと、誰よりも飛びたかったのは、お爺さん自身だったのでしょうね…自由に、空を」
 遠野は言った。自由、と言う言葉にはなぜか胸が痛む。
「でも、どうしてお祖父さんはあの飛行機…いや、飛行艇を選ばはったんやろ」
「それはあれが爺さんの好きな複葉で、ついでに複座の偵察機だったからだと思うッス。争いごとの嫌いな人だったんで」
 その言葉に不思議そうな顔をした一同に、零が説明を加える。
「偵察機というものは、余程の事が無い限り相手に攻撃をしないものなのです。文字通り偵察が目的なので装備も少ないですし」
「成る程」
 遠野が呟く。ともあれこれで全ての謎は解けたという訳だ。
「それじゃ、俺はここで」
夏目勝は、寮の前に立ち止まり、軽く皆に頭を下げた。「依頼料は後で草間さんとこに持って行きますんで」
「死に掛けた代償は大きいわよ」
 シュラインのからかい半分、本気半分の言葉に、貧乏学生である彼は肩を竦めた。
「空を飛んだ事でチャラになりませんか」
「ならないわよ!!」
 彼女の声に、今野と遠野の笑い声が重なる。

 もう後数時間もすれば、夜が明ける。
 空には鳥が飛び立つ。
 今日も、強く、高く。

<終わり>
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0751/遠野和沙(トオノ・カズサ)/男/22/掃除屋(なんでも屋)】
【0527/今野篤旗(イマノ・アツキ)/男/18/大学生】
【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
※ 申し込み順に掲載させていただきました。
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
『バードメン!』これにておしまいです。いかがでしたでしょうか。
今野さん、シュラインさん。今回も参加してくださって有難う御座います。
そして遠野さん、初めての参加、有難う御座います。選んでくださって有難う御座います。ライターの蒼太と申します。(PC名で失礼致します)
今回は、普段やっている完全個別のエピローグが無かったのですが、すみません、無い方が余韻が残るのではなかろうかと、考えては見たもののやめてしまいました。ここに簡単ながら書いて見ますと、今野君は飛ぶ事に少し憧れ、乗れなかった事を悔しがったであろうし、遠野氏は自らの過去の記憶と『自由であること』について思いを馳せつつ、もっと草間氏の依頼を受けてもいいかな、と思ったかもしれませんし、シュラインさんはまっすぐ興信所に帰り、草間さんに「死に掛けちゃったのよ!?」と文句を言いつつ零ちゃんと部屋の掃除をした事でしょう。
…やっぱり、書いた方が…あ、いや…。
そして皆さんオープニングから内容を頑張って推察してくださって有難う御座います。PLさんたちの考えるストーリーはいつも私の想像を超えていて、楽しませていただいています。
今回も「おお、この手が」「こんな感情の流れが」「こんな思い出が」と色々読めてかなり嬉しかったです。
ただ、今回のものは余りにも先を予想できる状態、つまり皆さんの想像を狭めるオープニングになってしまったのではないかと、そこが私にとっての反省点です。
次回、もっとがんばります! もしご縁がありましたら、またお付き合いいただけると幸いです。
では、また一緒に物語を作って行きましょう!
蒼太より