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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


秩序世界
●序
「最近、急速に増え続けているです」
 そう言って、男は名刺を草間に渡しながら言った。そこには『交通課:秋永・鉄夫(あきなが てつお)』と書いてあった。
「この一ヶ月だけで、5倍。5倍ですよ。逆橋交差点だけでの交通事故が、今までの5倍なんですから」
「はあ……」
 多少興奮気味の秋永に押されつつ、草間は頷いた。秋永の話によると、交通事故の原因はどれも交通違反をしていた者達なのだという。例えば、信号無視をした車が人をはねた。しかし、実際に救急車で運ばれたのはその信号無視をした車の運転手であり、はねられた筈の人は全くの無傷だという。
「今までに事故にあった人のリストです。参考までにお渡ししますよ」
 秋永はそう言って紙の束を草間に渡した。かなりの量がある。
「こんなにも事故が起こったんですか?」
「ええ。尤も、擦り傷程度の軽い事故から、死亡者が出るほどの大きな事故まで様々ですけどね」
 草間は「ふむ」と頷き、ぱらぱらとリストをめくった。
「事故者たちは、皆声を揃えて言っています。『女の子を見た』と。だけど、私には一回も見たことが無いのです」
「ほう、女の子、ですか」
 草間の目が、鋭く光った。全ての原因は、そこにあるのかもしれない。
「お願いします。逆橋交差点の謎を解いてください。でないと、毎日駆り出されて大変なんです」
(本音はそれか)
 草間は苦笑しながら「分かりました」と答えた。秋永が帰っていくと、早速依頼書を作成する。
『逆橋交差点交通事故発生原因の究明』と題名をつけて。

●逆橋交差点
「女の子か」
 そうぽつりと呟き、真名神・慶悟(まながみ けいご)は目の前の交差点を見つめた。現在、午後4時。何の変哲も無い交差点。だが、ここで事故が多いのは納得できた。交通量は多い上に、見通しが余りよくない。交通違反者でなくても、事故を起こしてしまいそうな場所のようにも見える。
「まずは、件の女の子から探すか……」
 慶悟は逆橋交差点を霊視し始めた。「水気金気……陰気を奉じて迷えし者を見出さん……」と呪を唱えつつ、真っ直ぐに逆橋交差点を見つめる。途端、空気が変わった。慶悟は懐に入れてあるライターを握り締め、構えた。ライターの火は、簡易結界を貼る事も可能にする。また、熱と光は陽の気を持つ。逆橋交差点が事故の多発する陰の気を持つものだという事は容易に想像できている。ならば、その逆の属性である陽の気で対抗する事が有効な手段の一つであるのだ。
 突然の変化は、すぐに目に見えた。周りの景色が全て時を止めていた。慶悟は時の止まった空間内に入ってしまったのだ。ライターを持つ手が、より一層強く握られる。
「誰?」
 声が、した。鈴を転がすかのような、澄んだ声。慶悟はその声に真っ直ぐ交差点を見つめた。少女が立っていた。長い黒髪を靡かせ、額に赤いリボンをし、それと同じ色のワンピースを着た少女がちょこんとそこに佇んでいたのだ。黒い瞳は、真っ直ぐに慶悟を見つめているものの、その目には何も移していないかのように……虚ろだった。
(これが、事故者の見たという少女)
 慶悟は少女を目の前に、動けないでいた。少女は慶悟の返答を待たずに口を開く。
「誰?……誰だっていい。どうだっていい。……私、あなたを呼んでいないもの」
「お前は、誰だ?」
「どうだっていい。誰だっていい。そうでしょう?」
「そんな事は、無い」
 慶悟は否定し、少女を見つめる。
(何故、この少女の目はこんなにも虚ろなのだ?)
「そう。……ねえ、なら聞いてみるのだけれども」
 少女はそう言って、ゆっくりと慶悟に近づく。
「秩序は美しいし、無秩序は醜い。なのに、どうして皆秩序を愛さないの?」
「秩序……」
 慶悟はそれだけ言うと、口を噤む。少女は続ける。
「私は色々なものを、たくさんの場所を見てきた。そうして、気付いたの。……秩序は美しく、聡いもの。でも、何故か無秩序と言う醜く愚かしいものが蔓延っているのだという事に」
 少女の見た目は、12歳くらいであった。それ以上でもそれ以下でもないような、幼い外見。それに似合わない言葉に、慶悟は不信に思う。
(本当に、少女なのか?)
「だから、私は決めた」
「決めた……?」
 慶悟の問いに、少女はにやりと笑う。おおよそ感情の篭らない、虚ろな笑み。深淵の中にあるかのような、黒い瞳は何も写してはいない。時の止まっている風景は勿論の事、目の前にいる慶悟でさえも。
「この世は、無秩序で溢れている。醜く愚かしい、無秩序。それは正されるべき。美しく聡い秩序のあるものに」
 少女の顔には笑みは既に浮かんではいない。ただ、虚を抱いたまま黒い目で宙を見つめているままだ。
(秩序、無秩序)
 いずれも、少女が使うにしては難しい言葉だ。真に少女は意味を理解し、使っているのであろうか。甚だ疑問だった。それでも、少女は言葉を紡ぐ。慶悟の不信感など、興味が無いかのように。
「だから、無秩序を私は憎む。無秩序は正されないといけない」
 少女の手が、振り上げられる。慶悟ははっとして辺りを見回す。時の止まった空間の中で、携帯電話を片手に運転する男がいた。今は時が止まっているために、男の動く気配はない。だが、確かに男は携帯電話を使用しながら運転をしているのだ。
(つまりは、違反者!)
 慶悟はそう判断してライターに火をつけて五芒星を描く。火で宙に描いた、簡易結界。それは男を取り囲み、他の干渉を不可能にするものだ。だが、少女は怖じた風もなく手を振り下ろした。ただ、それだけであった。
「くっ!」
 時が、紡ぎ始めた。携帯電話を使っていた男の車がふわりと浮き上がったのだ。車は大きくバランスを崩して一回転しそうになる。だが慶悟の結界が作用して、寸前で車はバランスを持ち直す。結局45度回転しただけに留まった。
「何だ、あいつは……」
 慶悟は半分呆然としながらもその光景を見ていた。圧倒的な力。それは無秩序を秩序に変えるだけの力を持っている……そう思えてくるまで。車から運転者が必死の思いで出てくる。遠くから、救急車とパトカーのサイレンが聞こえてきた。
(あいつは、違反者を全てこうやっていたというのか?一体、何故?)
 依頼書をぱらぱらとめくる。まずは、秋永に会って話をしてみるのが有意義なのかもしれない。そんな事を考えている間にも、救急車とパトカーが現場に到着する。軽症ですんだにしろ、事故を起こしてしまった男が運ばれていく。それを見て、慶悟は依頼書を強く握り締める。
(……止められなかった……!)
 それは悔しさだった。完璧に止められると思っていた。反対の属性である火を使って結界を作れば、完璧にあの事故は起こらないと思っていたのだ。悔しさが、こみあげる。
「くそっ!」
 慶悟は毒づき、ガードレールを蹴る。そして、ふと気付く。ガードレールが凹んでいたのだ。誰かの拳によって、べこっと凹んでしまっている。
(ガードレールを凹ませるとは……大した怪力だな)
 半分呆れつつも、慶悟はそこを後にする。悔しがるよりも、今は交差点の事故を減らす方が先だと判断したのだった。

●行動開始
 翌日、午前十時。慶悟は秋永に連絡を取り、話をする事を約束する事が出来た。とある喫茶店を指定され、そこで慶悟は待っていた。秋永によると、もう一人草間興信所から派遣された調査員とも約束をしているので、一緒にどうぞ、との事であった。
「もう一人……か」
 慶悟はそう呟き、煙草に火をつける。
(もう一人が誰であっても関係の無い事だ。せいぜい、こちらの邪魔をしてくるような輩でない事を祈るだけだ)
「お前は……」
 声が聞こえ、慶悟は顔をあげる。そこには銀髪と青の目を持った男が立っていた。
「確か、真名神・慶悟と言ったな」
 眉間に皺を寄せつつ、男は言った。
「ああ。あんたは確か影崎・實勒(かげさき みろく)だったか。……秋永氏との約束は、あんただったのか」
「ふん」
 實勒はそう言って、仕方無さそうに慶悟の前に座った。
(相変わらずの横柄な態度だ)
 慶悟は思わず苦笑する。そこに、秋永が現れた。どこにでもいる、中年男性といった印象が持たれる。
「お待たせ致しました。何分、すぐに仕事ができるものでして」
 秋永はそう言って椅子に座る。コーヒーを頼み、慶悟と實勒に向き直った。
「それで、私に聞きたいことというのは?」
 實勒はちらりと慶悟を見、口をあけた。
「事故が、増えているそうだな」
「ええ」
「それは、この一ヶ月だけの事なのか?それとも、もう少し前からの事なのかどちらだ?」
 秋永は少し考え、慎重に答える。
「一ヶ月だけの事、といって間違いはないでしょう。それまでも事故がおきていないと言えば嘘になります。もう現場を見られたかとは思いますが、逆橋交差点は何と言っても見通しが悪い交差点ですから」
「だが、この一ヶ月で飛躍的に事故数が増えた?」
 慶悟は逆橋交差点を思い返し、尋ねる。秋永は神妙な顔で頷く。
「そうですね。異常な数と言えるでしょう」
 實勒は手帳にメモをし、次の質問を口にする。
「何かきっかけと言えるような事故は無いのか?」
「そうは言われましても……ふと気付くと事故数が増えていた、としか申し上げられないのですよ」
 秋永は困ったように答える。實勒は「ふん」と言って何かをメモしている。
(確かに、きっかけ的な事を断定するのは難しいだろう)
 慶悟は密かに納得する。
「俺からも尋ねたいことがある。女の子だ」
「女の子……?事故者が悉く見ているという?」
「そうだ。女の子が事故の被害者になったという事が、無かっただろうか?」
「それならば、草間さんに渡したリストの方にあると思いますが……」
「そうじゃない。……できれば、写真などがあればいいのだが」
 秋永は少し考え、口を開く。
「女の子を、捜そうとしているのですか?」
「ああ」
「ならば、あなたは女の子を見られたのですね」
 秋永の問いに、慶悟は頷く。ちらりと實勒の方を見ると、實勒は不愉快そうにじっと会話を聞いているだけだ。
(幽霊とかの類は信じていないのでだろうな、あの顔では。……かといって、全否定も出来ないのだろう。苦労症だな)
 慶悟はそう考え、小さく笑う。それに気付いて實勒の眉間はますます深く刻まれてしまう。慶悟は慌てて緩んでいた口を元に正す。
「どのような女の子でしたか?」
 秋永は興味深そうに尋ねてきた。
「長い黒髪を靡かせた、12歳くらいの少女だ。赤いリボンを額につけ、赤いワンピースを着ていた」
 慶悟は上をみあげ、少女の風貌を思い出す。
「印象的だったのは、その少女の目が余りにも虚ろだった事だ。何も瞳に写さぬ、空虚な印象を受けた」
 その言葉に、實勒の顔色が変わった。
「空虚、か。……私の受けた印象とは随分違うな」
「え?少女を見たのか?」
 慶悟の問いに、實勒は不愉快そうに答える。
「私はその少女を醜悪なものだと感じた。何とも醜い少女だと」
(醜悪とは、大きく出たな)
 實勒の言葉に、偽りがあるのだとは思わない。人それぞれの見方があるのであろうから。だが、實勒の受けた印象と自分の受けた印象は随分違ったものになっている。それが不思議だった。
(確かに、同じ少女を見ているはずだ。それなのに、全く違う印象を受けているとは……何かしらの意図が働いているというのか?)
「女の子でしたら……あ、ちょっと貸してください」
 秋永はそう言って依頼書を慶悟から借りて、ぱらぱらと捲った。そして、とある場所を開いて慶悟と實勒に見せた。写真は無いものの、そこには12歳の少女のデータが乗っていた。名前は、乃木・真実(のぎ まみ)。事故が起こったのは丁度三週間前。車のスピード違反によるもので、真実は違反など何もしてはいなかった。全面的に悪いのは、相手の車であった。
「……成る程」
 實勒はそう言って何かしらのメモをまた取る。慶悟はそこにあるデータを見て、確信する。自分の見たあの少女は、この真実なのだと。根拠などは無い、直感。
(これで、事情は多少なりとも分かった。彼女は確かに無秩序によって殺されてしまったのだ。ならば、無秩序を憎んでいても仕方の無い事だ。ならば、次はあの少女と話をするか……)
 少女と話をする。その事が慶悟に小さな疑問を生む。あの虚を抱く少女と、まともに話をする事が果たして可能なのだろうかと。そしてまた、少女には似つかわぬ言葉使いと力にも疑問を抱く。
(本当に、相手は少女なのか?少女一人なのか?)
 昨日止められなかった事故を思い出し、慶悟は自問する。
(秩序と、無秩序。少女は本当に自らの考えにその言葉を用いているのだろうか)
 ふと生まれた疑問は、際限なく慶悟に深みへと誘っていく。12歳という余りにも幼い年齢。虚を持っている少女。ならば、その虚に知識を与える事が可能なのではないだろうか。しかも、簡単に。
(そこら辺りも調べてみた方が良いな)
 慶悟は密かに決心する。
「おや、もうこんな時間ですか」
 秋永が時計を見て言う。時刻は既に11時を指し示していた。秋永は口にしていなかった、冷めたコーヒーを一気に飲むとお金を置いて去っていった。
「……律儀な奴だ」
 ぽつりと實勒が呟いた。慶悟は苦笑しながら頷いた。
「確かに」
 實勒は書いていたメモを懐にしまい、自らも頼んでいたコーヒーを口にした。すっかり冷めてしまったコーヒーに、實勒は怪訝そうに眉を顰めた。
「これから、どうするつもりだ?」
 慶悟も實勒につられたようにコーヒーを口にし、尋ねた。實勒はコーヒーカップを置いて、口を開く。
「これから現場とやらに行ってみる。あまり気は進まないのだがな」
「気が進まない……か。確かに」
 慶悟はそう言って考え込む。虚を抱く少女と、その背後にいるかもしれないもの達。気が進まない。
「そうだ、お前に頼み事があるのだが」
(珍しい)
 改まる實勒に、慶悟は続きを促す。
「もしも私の愚弟に会っても、私が今回の件に関わっている事を内緒にしていて欲しいのだ」
「愚弟?」
「影崎・雅(かげさき みやび)の事だ」
「え?何故」
 慶悟の問いに、實勒は心から不愉快そうに眉を顰める。先程の冷めたコーヒーを口にした時とは比べ物にならないほど深く刻まれた、皺。
「面倒な事は、極力避けるに越した事は無い」
 真面目な顔で言う實勒に、思わず慶悟は苦笑した。
(そんなに毛嫌いしているのか)
「分かった。なるべく喋らないようにする」
「なるべく、では無い。絶対に言うな」
 強く念を押し、實勒は立ち上がった。レシートと秋永が置いていったコーヒー代を手に取り、レジにさっさと向かう。慶悟の分も払っておいてくれるようだ。
「口止め料?」
(まさか)
 思わず生まれた考えに、慶悟は思わず吹き出した。何とも似つかわない行動だろう。
(それにしても……少女の背後にいるもの達の可能性か。まずは現場付近を見る方がいいのかもしれない)
 慶悟はそう考え、立ち上がる。向かう先は、現場付近。

 慶悟は逆橋交差点周辺をぐるりと歩く。霊視をしつつ歩くが、特に変わった事はない。只一つ、全ての霊道が逆橋交差点に向かっている事を覗けば。
「何故こんなにも逆橋交差点に集中しているんだ?一体あそこに何があるというんだ?」
 注意しつつ、歩みを続ける。
「だからね、逆橋交差点はこの世とあの世を繋いでいるんだって」
 突如、耳にそのような言葉が飛び込んできた。話をしているのは、女子高生二人だった。「やだぁ」とか「マジで?」とか何度も言いつつも、顔には恐怖の欠片もない。慶悟は思わず立ち止まって耳を澄ます。
「何かねぇ、おじいちゃんに聞いたことあるのよ。この逆橋っていうのはあの世とこの世の境の川……何だっけ?」
「三途の川?」
「そうそう、それそれ!それに架かっている橋の事を指しているんだって」
「じゃあ、今噂になってる女の子ってあの世から橋を渡って来たって事?」
「そうじゃないの?」
「うわー、嫌ぁね」
 女子高生達は互いにふざけあいながら去っていく。慶悟はその話を反芻し、自分なりの分析をし始める。
(なるほど、だから逆橋か)
 この世からあの世に渡る橋を、逆に渡る場所だから「逆橋」。納得感が駆け巡る。
(乃木・真実……と言ったか。あの少女の背後にいるとしたら、逆橋交差点で事故死した者達とあの世から逆に渡って来た者達である可能性があるな)
 慶悟はそう考え、煙草に火をつける。白い煙が空へと立ち昇っていく。
(今夜あたり、あの少女ともういちど話してみるか)
 夜を選んだのは、その方が交通量も少ないだろうという見解からだ。昼間、交通量の多い時に少女と接触して違反者の事故を誘発しては意味が無い。ともかく、今大事な事は少女と接触して話をする事だ。
(霊道を一旦閉じておいた方がいいかもしれない。……膨大な数だが、一時ならば大丈夫だろう。話をしている最中に邪魔が入っては敵わんからな)
 慶悟はそう考え、逆橋交差点の方に視線を移した。そちらに向かっている霊道達。交通事故という無秩序によって命を失ってしまった、秩序を愛していた人々。それらは今、橋を逆に渡って現世にやってきている。乃木・真実という少女を表に立たせ、無秩序を正すという名目で無秩序に復讐をしている……。慶悟にはそんな風に思えて仕方が無いのだ。
「そう考えてしまうのも仕方が無いのかもしれん。所詮人間なのだからな」
(しかし、だからといってそれが許されるという訳ではない。無秩序を正すという名目は、ただの復讐としか思えぬ。つまりは、ただのエゴなのだ)
 慶悟は煙草の煙をふう、と吹く。白い煙は空へと立ち昇っていく。
「復讐など、馬鹿げているものだと気付かせなくては」
 誰に言うわけでもなく慶悟は呟き、その場を後にする。一度家に帰り、符を大量に持ってくる必要があった。少女と接触するほんの数時間……否、ほんの数十分でも良いのだ。それだけの時間、霊道を閉じて他の霊からの干渉を避けておけばそれで良いのだ。少女の張る結界……あの時間の動かぬ空間が出現する前に事前に自らの結界を張っておく必要もあるだろう。全ては、今夜。
「そろそろ、解き放たれてもいい頃の筈だ」
 慶悟は呟く。そう、解き放たれるべきだ。現世への執念というものから。

●少女
 午後11時。慶悟は逆橋交差点の周りをぐるりと回り、霊道を順に閉じていった。
(これで他の霊の干渉は受けぬ筈)
 そう考え、少女に会うべく逆橋交差点に辿り着く。そこには、今まさに車に乗ろうとしている金髪と緑の目を併せ持つ女と、見覚えのある黒髪と黒い目を持つ男がいた。男の手には竹刀が握られている。
(何と戦うつもりだ?)
 慶悟は疑問に思いつつも、近付いて声をかける。
「おい、何をしている?」
 その声に、女と男が振り返る。
「お、慶悟君じゃないか。奇遇だな」
 影崎・實勒の弟、影崎・雅である。女の方が不思議そうな顔で慶悟を見てきた。
「草間興信所からの調査員だ。真名神・慶悟という」
 慶悟がそう言うと、女はにっこりと笑った。
「レイベル・ラブ(れいべる らぶ)だ。これから、少女と接触しようと思うのだ。良かったら一緒にどうだ?」
「接触?」
「ああ。……充分に注意してくれ」
 レイベルの言葉に、雅は苦笑しながら言う。
「それはこっちの台詞だよ。充分に注意してくれ」
「おい、どうする気なんだ?」
 慶悟の問いかけに、雅は苦笑したまま答える。
「これから、彼女は無免許運転をするんだ。文字通り、少女との接触だ」
「危険だ」
 きっぱりと慶悟は言い放つ。だが、レイベルはにやりと笑っただけで何も言わない。
「無駄だよ、慶悟君。彼女は何を言っても実行する気だから」
「そうは言ってもな、危険すぎる」
 接触だけならば、自分が少女を呼び出してもいいのだ。別に違反を犯してまで接触をする必要など無い。
「心配はいらない。少女と確実に接触するのはこれが一番手っ取り早いのだ」
 レイベルは淡々と言い放つ。
(確かにそうだが)
「ならば、せめて先に結界を張らせてくれ」
「何の結界を?」
 雅の問いに、慶悟はちょっと考えながら言う。
「人避けの結界と、あの空間に負けぬ結界を」
 慶悟の意図を察したように、雅はにやりと笑って「成る程」と言った。慶悟は結界を張り、レイベルに合図する。レイベルは頷き、車を発進させた。ふらふらと車が動き出す。慶悟の結界のお陰で、通行人も他の車もいない。
「来るぞ」
 ちいさく雅が声をかけた。それと同時に少女の作り出す空間が展開した。全ての時が止まった、異空間。
「また、あなた達」
 真実が慶悟と雅を見て、呟くように言う。
(やはり、虚を抱いている)
 慶悟はそう考え、じっと少女を見つめた。少女は虚ろな目のまま、今度はレイベルを見る。
「あなた、免許を持ってない。どうして?」
「あなたと出会うためだ、真実」
(名前を知っている?……そうか、そこまで引き当てたのだな)
 慶悟はちらりとレイベルと雅を見る。真実は不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
「何故?たかだかその為に無秩序を犯すというの?」
「そうだ」
 レイベルは小さく笑う。真実の顔から不愉快さが抜けない。そして、手を大きく振り上げた。車がちょっとずつ持ち上がる。まず動いたのは雅だった。手にした竹刀を振りかざし、真実に飛び掛る。真実ははっとしてその竹刀を避ける。慶悟はその隙に車に近付き、符を放って結界を張る。真実の力を無効化させるための結界を。
「邪魔、するの?」
 真実がぼそりと言う。感情の篭らぬ声に、それでも綺麗な声にぞくりとする。
「無秩序は醜く、愚かしい。秩序は美しく、聡い」
 慶悟は何も口にしない。
「どうして分からないの?どうして分かってはもらえないの?」
 雅は何も口にしない。
「人は誰でも知っている筈なのに。どうして当たり前の事をしようとはしないの?」
 レイベルは何も口にしない。沈黙の中に、真実の声だけが響いていく。
「何の為にここにいるかを、どうして誰も分かってくれないの?」
 叫び、だった。真実の心からの叫び。真実は手を振りかざし、再びレイベルの車を持ち上げようとする。だが、車はぴくりとも動かない。真実の顔に動揺が写る。
「やはり、お前の背後には何者かがいたのだな。霊道を通じて、力と知識を与えられたか」
 慶悟が口を開く。真実の顔が歪む。
「やっぱりいたんだな、背後に。成る程、慶悟君は霊道を閉じてきたんだ」
 雅が言うと、慶悟は頷く。真実の顔は、今にも泣き出しそうなほど歪んでいる。
「さて、真実ちゃん。君の言う秩序は、本当にそれでいいのか?」
 雅は真実に問い掛ける。真実は目を見開いたまま、何も答えられずにじっと雅を見つめている。
「お前の秩序、何故に守り通そうとするか?」
 慶悟が真実に問い掛ける。真実はやはり何も答えられずに、今度はじっと慶悟を見つめた。
「秩序とは何か。お前は本当にその秩序とやらを守っているのか?」
 レイベルが真実に問い掛ける。真実は口をぽかんと開けたまま、何も答えられずに今度はじっと車の中のレイベルを見つめた。レイベルは車から出ようとしたが、車のドアが全く動かない。車の時をも止めている空間のせいだ。
「すまんが、ここから出る手立ては無いかな?」
 レイベルが言うと、慶悟は符を取り出して車のドアに貼る。そこだけ空間の干渉を無くしたのだ。がちゃりとドアが開き、レイベルが出てきた。まっすぐに真実の元に歩んでいく。
「なあ、真実。人は愚かしいだろう?人は哀しい生き物だろう?それでもお前が裁きを行うのはおかしいのだ」
「……どうして?私がここにいるのは、無秩序を正す為」
 真実はじっと三人を見ていた。今にも泣き出しそうだ。すでに、秩序と無秩序の意味でさえも理解してはいないであろう。
「あなたは無秩序を犯した。私はそれを正さなくてはいけない!」
 真実はそう言ってレイベルの体を宙に浮かせ、地面に叩きつけた。雅は慌ててレイベルのところに駆け寄った。真実は一応の目的を果たしたと判断し、逃げようとする。
「追え、慶悟君!」
 雅が叫んだ。慶悟はレイベルの様子も気にはなったものの、とりあえずは真実を追う。符を放ち、式神を召還して真実の動きを止めた。
「今後ここでは違反が起こらぬよう、何とかする!お前の言う秩序が守られる形となるだろう!そうなったとしても、お前は満足できないのか」
「煩い」
 真実が言い放つ。そこで慶悟は気付く。
「お前はただ復讐したいだけなのだろう?そして、その思いを手助けする霊達がいた」
「煩い」
「そこでお前は始めたんだ。裁きと言う名の復讐を!」
「黙って」
 慶悟の言葉を振り切るかのように、真実は首を振った。慶悟は溜息をつき、式神によって動きを固められた真実の目線に合わせる。
「お前、そろそろ成仏しろ」
 真実は頑なに口を閉じたまま、式神を振り切ろうともがく。そこに、誰かの気配が現れた。……實勒だ。こちらから見て逆光になるようにし、立っている。
(そこまで影崎と顔を合わせたくないのか)
 慶悟は思わず苦笑する。
「……お前の言う秩序は、矛盾に満ち、統一性の失われたものだ」
 實勒の言葉に、真実ははっとしたように動きを止めた。
「さっきから、そこの男と後にいた二人も言っていただろう?お前はただ、逃げていただけだが」
 真実は小さく震えている。
(真実自身も分かっていた事なのだろう。俺達の言っている事を)
「お前の秩序こそが、無秩序なのだ」
 その言葉が言い放たれると同時に、真実は全く動かなくなった。目を大きく見開いたまま、涙を流し始める。
「そんな事……分かってた……」
 真実はそれだけ言うと、小さく笑った。そこで初めて慶悟は少女が虚を抱いていないと感じた。
「分かってたけど、どうしようも無かった」
 慶悟は溜息をつき、真実に向き直った。真実の目は、既に虚ではない。ちゃんとした意思がある。
(この少女は、もう虚を抱いてはいないのだ)
「成仏しろ。手伝ってやるから」
 慶悟は印を組む。すると、背後からもう一つの術を感じた。恐らくは雅が真実を成仏させる手伝いをしているのであろう。こちらの様子が分からなくても、成仏させようとしている事は察知できたのかもしれない。實勒はただその様子をじっと見ていた。
 そうして、だんだん空間は消えていった。慶悟はそれを確認し、自らの張っていた結界と閉じていた霊道を開放する。すると、川ができる。車の光の川と、霊たちが留まる事なく流れて行く川が。慶悟はふう、と溜息をつく。これで全てが終わったのだと思える。
「終わったな」
 慶悟は後から雅に肩を叩かれ、振り向く。そこにはにやりと笑う雅と、何故か無傷のレイベルがいた。確かに強く地に叩き付けられたはずのレイベルが。何故か無傷。しかも、普通に立っている。まるで先程何も無かったかのように。
「あんた、何故……?」
 慶悟は思わず絶句する。普通の人間なら、死んでもおかしくない状態だった。それなのに、今目の前にレイベルは立っているのだ、平然としたまま。
「や、気にするな。私は実は不死身なのだ」
「は?」
「いやしかし、骨折はしてしまったぞ。もう大丈夫だが」
「骨折?」
(たかだか骨折程度しかしなかったというのか。しかも、もう大丈夫ってどういう事だ?)
「凄かったんだぜ。ゴキャゴキャッ!とか言わせながら治したんだもんな」
 ぶる、と身震いしながら雅は言った。その時の様子を思い出してしまったのかもしれない。
 混乱する頭で、慶悟はふと気付いた。いつの間にか實勒の姿が消えてしまっていたのだ。
(徹底してるな)
 慶悟は背伸びした。ともかく今は、混乱する頭を落ち着けたかった。とりあえずは、この逆橋交差点から遠く離れた所で。

●結
「終わった」
 翌日午前9時半。そう言って、慶悟はラーメンの汁を啜った。お気に入りのラーメン屋である『らーめん麻生』。
「よ、慶悟君」
 ラーメンのどんぶりを持って誰かが慶悟の隣に座った。雅だ。
「ああ、あんたか」
 額に浮かんだ汗を拭き、慶悟が答えた。
「すっかり気に入ってもらえたようだな」
「おかげさまで」
 ここは、雅が美味いラーメン屋だと慶悟に勧めた所だった。既に慶悟も行きつけの店となっている。二人は食べ終わると勘定を済ませ、草間興信所に向かう。手には報告書を持っている。
 ドアを開けると、草間がにこやかに待っていた。雅がひらひらと報告書を振った。
「よ。報告書届けに来たぜ」
 雅はそう言って報告書を草間に渡し、レイベルに気付いて手を振った。慶悟もそれに続いて草間に報告書を渡し、レイベルに気付く。
「それで……その……何ともないのか?」
 慶悟は言いにくそうにレイベルに言う。レイベルは首を傾げながら「何が?」と尋ねる。
「体だ。……大丈夫か?」
「心配性だな、慶悟は。大丈夫だ、この通り」
 レイベルはぶんぶんと腕を回してみせる。
(怖いな……このまま腕が飛んで行きそうじゃないか)
 思わず慶悟は心配をしてしまう。
「そうそう、君達にお知らせがあるんだが」
 三人の目が草間に集中する。
「逆橋交差点は一応の決着をつけた。だが、あそこは霊道の集中している所なんだろう?」
「そうだ。なるべくならば、あそこを見張っていた方が賢明だな」
 草間の言葉に、慶悟が頷く。それを待っていたかのように草間は笑う。にやりと。
「そこで一週間に一度、交代制で見に行って貰う事になった」
「「「は?」」」
 三人の目が点になる。草間は実に嬉しそうに言葉を続ける。
「それがねぇ、秋永さんが是非君達にと言ってるんだよ。良かったねぇ。頼りにされて」
「それは構わんが……」
 慶悟がそう言うと、レイベルが手をあげる。
「それに手当ては出るのか?」
 草間は困ったように目を逸らす。
「……お昼くらいは出してくれるそうだよ」
 沈黙。慶悟と雅は顔を見合わせて溜息をつく。只一人、レイベルだけがにこにこと笑っていた。
「おお、そうだ。交代制だと言ったな」
「ああ」
 レイベルはそっと草間に何かを耳打ちする。雅の方をちらりと見て。
(何だ?)
 慶悟の疑問をよそに、レイベルから何かを聞いた草間はぷっと吹き出してレイベルに耳打ちする。そして草間は眉間に皺を寄せる。それに思わずレイベルも吹き出す。
(ああ、もしかして影崎の兄の事か?)
「おいおい、内緒話するなよ」
 雅が突っ込む。それを受けて、またもやレイベルと草間が吹き出してしまった。慶悟はその様子を察して「くく」と小さく笑う。
(間違いない。影崎の兄の事だ!)
「何だよ、一体」
 雅だけが首を傾げ、不思議そうに呟くのだった。

<依頼完了・交代制見張り付>


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 0389 / 真名神・慶悟 / 男 / 20 / 陰陽師 】
【 0606 / レイベル・ラブ / 女 / 395 / ストリートドクター 】 
【 0843 / 影崎・雅 / 男 / 27 / トラブル清掃業+時々住職 】
【 0965 / 影崎・實勒 / 男 / 33 / 監察医 】

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■         ライター通信          ■
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お待たせしました、こんにちは。霜月玲守です。今回は私の依頼を受けて頂き、本当に有難うございます。
今回は個人的に新しい試みとして、どれだけバラバラに動けるか、という事をしてみました。如何でしょう?
そして、申し訳ありません。いつも私の依頼のオープニングは分かりにくいことだろうとは思うのですが、今回更に輪をかけて分かりにくいものだったろうと思います。自分の好きなように書いたらこんな事になってしまいました。
ですが、みなさまそれにも勝るプレイングで逆に安心しました。有難うございます。

真名神・慶悟さんはいつも通りの素敵なプレイングでしたね。こんな分かりにくいオープニングであそこまで読み込んでいただけるとは思ってませんでした。
ともかくキーワードは少女。それを読み取って頂いて嬉しかったです。有難うございます。
ただ、確約を出来なくてごめんなさい。確約するまえに少女が成仏してしまったので、確約をする意味があるかどあうか迷ってしまってこういう事に。
ですが、見張りは慶悟さんの考えですね。慶悟さんのプレイングは、いつもアフターケアもばっちりでびっくりします。素敵です。

さて、今回はいつもにも増して4人の方それぞれのお話となっております。宜しければ他の方の話も合わせて読まれると、さらに深く読み込む事ができると思いますので是非。

ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。
それでは、またお会いできるその時まで。