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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


金木犀の君(きみ)

「薫る季節になってきたわね」
 珍しくぼんやりとしながら碇麗香は呟いた。
「はい?」
 三下が椅子を回して堤を見る。
「外から…」
 くい、とペン先で開いた窓を指され、三下は鼻を蠢かせた。
「ああ〜なんだかトイレの匂いがしますね」
「莫迦ね、金木犀の花の香りでしょう?」
呆れたように言うと彼女は三下を斜め下から見上げた。「金木犀の花言葉を知ってる?『気高い』『美しい』『高潔な人』」
 じっと見詰められた三下は、しばらくぼんやりとしていたが、はっと慌てて手を打った。
「あっ、そうですね! ま、まるで碇編集長みたいな…」
「そう、そうよね? やっぱりそう思う?」
 冷静沈着才色兼備の編集長は珍しく頬を染めてにっこりと微笑み、三下はこっそり溜息をつく。
── 全くこの人は…おだててないと直ぐ機嫌が悪くなるんだからなぁ〜。
「何か言った?」
「いっ、いいえ!!」
「そう…ならいいけど。あ、そうだ」
「今度はなんですか!?」
 怯えたような三下の態度に気付かずに、碇は呟いた。
「今度の企画記事、思いついたわ。こういうのにしましょ『金木犀の君を探せ』」
 そして訳が分らないといった顔をした三下を横目に、ペンを走らせる。
『季節は秋、あなたの身近な人物で『金木犀』の似合う人を推薦してください。勿論あなた自身でも構いません。つぶらで可愛らしいオレンジの花、薫る香の存在感、もしくはその甘い香りを思わせる方を募集。見事グランプリを獲得された方は週間アトラスにコメント付きで写真掲載、金一封を差し上げます。』
「審査員はアトラスの社員にしましょうか。じゃ、三下君、行くわよ。」
「えっ…どこに?」
「予算を取りに。」

<応募用紙がやってきた>
「結構来たわねぇ」
 そう言ってデスクの上をまじまじと眺める碇麗香の前には、先月の月刊アトラス巻末に載せてあった応募用紙が山積みになっていた。
「選ぶのも一苦労じゃぁないですか〜。なのにこれから選んで返答して…」
 そういった雑事はきっと全部僕がやるんだろうなぁと思っていた三下の目の前で、碇は考え込む様子を見せた。そして事もあろうに写真つき応募用紙を編集室の床にばら撒いた!
「へっ、編集ちょ〜!?」
焦って叫ぶ三下の目の前で尚も応募用紙を撒きながら、碇は高さ3.5センチのハイヒールを脱いだ。「何してるんですかぁ?」
「オーラよ」
碇は答え、散った応募用紙の中央に立ち目を閉じて言った。「オーラを感じ取るのよ。金木犀の花言葉…気高さ、美しさ、高潔さのオーラをね」
「そうか! 編集長はそういう力の持ち主だったんですね。只者じゃないとは思ってたけど」
 だから僕の企画書を一瞥もせずにシュレッダーにかけることが出来るんだなぁ。などと感心している三下に、碇は言った。
「そんな力全然ないわ」
 そうして碇は10名分の応募用紙を床から拾い上げ、参加者名簿を作り上げた。それが本当に金木犀の花言葉に相応しい人物たちであったかどうかは…分らないのだが。


<シュライン・エマ 荒祇天禪(アラキ・テンゼン)>
 人が出払った草間興信所の留守番をしながら、暇そうに月刊アトラスのページを繰っていたシュラインが「金木犀の君」という記事を読んで真っ先に思い浮かべたのは、荒祇天禪という男の姿だった。彼は草間興信所でバイトするシュラインと度々顔を合わせたことのある、頑丈な体躯としっかりとした顎を持った苦味のある良い男で、彼女の中ではまた一風変わった知り合いの一人である。
 では彼の何処が変わっているのかといえば、日本屈指…いや世界屈指の大企業の会長様であるという所にほかならぬ。それも、流通・政界・宗教と、ありとあらゆる世界に影響力を及ぼす影の支配者といっても過言ではない程の。
 彼女がそれを知ったのは偶然に過ぎ無かったが、それを知ったからと言って彼に対するイメージが変わったわけではない。むしろ強く納得した、ただそれだけの事だった。
 ただし…さしもの彼女も、荒祇天禪の真の姿が齢980年を重ねた『鬼』であるとは知らない。まして彼にとってはその980年でさえ、人間の姿となってから他愛も無く数えたものであることや、言いたいことをはっきりと言い、尚且つ人が振り返るほどの美しい女性であるシュラインを、興味深い『人間』だな、などと面白がって見ているという事には気付いていなかった。
「でもねぇ。勝手に推薦したら、あの方なら絶対グランプリ取ってしまいそうだし、写真掲載なんて事になったらもしかして会社の方に迷惑とか掛けちゃうのかしら?」
 とか何とか言いながら、彼女の手は巻末にあった応募用紙を切り離し、せっせと必要事項を記入し始めている。
 氏名:荒祇天禪
 性別:男性
 推薦理由:『金木犀の、傍に居ると頭がくらくらとする程の強い花の香りは彼の人の他を惹きつける魅力を、離れていてもその場所が分るのは彼の存在感を、それから伸びた枝の青々とした葉の中に鮮やかに咲く金の花々は、彼の瞳を思わせます。金木犀の君にこれ以上ぴったりとした人はいないかと思いますので、推薦させていただきます』
 彼女は最後に切手の裏をペロリと舐めると、にっこり笑って貼り付けた。
 後で月刊アトラスには、彼のような大物を推薦しても構わなかったのか? とでも聞いておけばいい。ダメならそれで仕方が無いし。そして彼の方は…まぁ、細かいことなど笑い飛ばして逆に面白がるようなタイプであるから、大丈夫だろう。
 彼女は草間の机の中から荒祇天禪の写真を取り出すと、しばし考えた後小さく切り取って用紙に貼り付けた。あとで焼きまして置けば問題なかろう。きっと草間は気付きもしないに違いない。まぁ、これで後は投函するのみ。と彼女はうきうきした様子で興信所を出て行った。
 …留守番だった筈なのに。

***
 秘書からの電話にハンドレスで出ると、相手は草間興信所で知り合ったシュライン・エマだという。荒祇はその時東北地方で行われる音楽祭のスポンサーとの話し合いを控えていたのだが、彼女が持ってくる話というのは大概、力も地位も持て余すくらいに持っている彼の気を良く惹くものであったので、彼は硝子越しに控えた秘書に軽く目配せすると、そちらを待たせて回線をつなぎ、彼女からの電話を取った。
 受話器の向こうの心地良い声がなにやら楽しげに語る所に寄ると、どうやら自分は「金木犀の君」という企画に推薦されたらしい。
「うむ…」
 推薦理由を聞かされて、高層から街を見下ろしつつ一つ唸る。この街に金木犀はあるのだろうか。狭いビルの隙間、小さな公園の片隅…彼は昔を思い出した。
 この自分に、積もる年月など無いも同然ではあったが、確か今よりまだ少しは若かった頃、かの花は大陸より大事に大事に港へ寄せられてきた。…1000年以上も前の話だ。
「まぁいい。暇を見つけよう」
 彼はそういうと内線を切った。
 その焦がれるような香りを不思議なほど遠くにまで飛ばす花、金木犀。
 それは初めての恋に胸焦がす者の甘い心、いるだけでその場を穏やかにさせる淡い空気、そして気高いが故に素直になれぬ思いを秘めた、かすかな仕種に似ている。
 荒祇はシュラインと草間のやり取りを思い出して苦笑する。
── 彼女こそ草間の為に薫る金木犀ではないのか…?
 秘書に導かれて入ってきた商談の相手に荒祇は向き直り、笑みを消してスーツの襟を正した。
 暇つぶしと興味。
 荒祇のもとにシュラインから、出場決定の報が入ったのはそれから一週間の後の事だった。


<コンテスト会場 〜瀬水月隼の勝手なデータ収集>
 慌しい雰囲気が辺りを包んでいるのは、突然決められて急ピッチで進められたこのコンテストの主催者・碇麗香が、月刊アトラスの平社員たちを手足のように使い、スタジオ内部の飾りつけやらカメラ位置の調整をやらせているからだ。まるでTV番組のプロデューサー並みのセンスと指導力である。
 そんなスタジオの片隅で辺りの様子を眺めているのは瀬水月隼(セミヅキ・ハヤブサ)。整った顔立ちだが、まだ多少の幼さを残す青年である。彼は膝に抱えた薄型ノートPCをこっそり勝手にその
辺の電源に繋いで立ち上げていた。ちなみに彼自身は出場者である『瀬水月』桜夜(セミヅキ・サクヤ)という女性の着替えを待っている所だ。
 どうやらこのコンテストは、『金木犀というお題に相応しい得意技披露・兼自己紹介にて審査』されるとの事。桜夜は「仕込まれといてよかったわー! 家元もシッポを巻いて逃げ出す茶道の腕前、ここにお披露目よー!」などと息巻いて着物に着替えに行ったが、果たして家元が逃げ出したのはどういう理由だったのだろうか、と彼は密かに案じていた。
 と、丁度その傍にあった扉が開いて、一組の男女が入ってきた。
 瀬水月はきらりと金の瞳を光らせて、こっそり彼等のデータを取り始める。
「もぅ! 神楽(カグラ)さんったらどうして黙ってたんですか!?」
女性は酷く不服そうな顔をして、背の高い男性を必死の様子で見上げ「私に内緒で応募してたんて」とぷぅっと頬を膨らませている。
「そないに怒らんといてくださいよぉ…ミドリさん」
 元々は篤旗が言い出したことなんですから、とその男性は言い訳めいた事を言っている。
 ミドリと呼ばれた女性は緑の髪を短く三つ編みしているが、その先っぽは肩先でぴんと跳ね上がっており、丸細い眼鏡も鼻からずり落ちそうに引っかかっているせいか、怒っている割にはどことなく愉快そうに見えた。
「あ〜あ、美由姫(ミユキ)ちゃんと今野(イマノ)君が来たら、あの2人もとっちめてあげないとね」
 2人はスタジオの隅のほうへ、なにやら言い合いながら歩いて行ってしまい、次にやって来たのは背の高い美人と迫力ある大男だった。2人の幅に大分差がある。たとえて言うなら綺麗な曲線を描く硝子の水差しと、樹齢1000年の節くれた大木、といった風か。
「お仕事のほうは大丈夫だったの? 荒祇(アラキ)さん」
「多少目を離したところで騒ぐような、情けない部下など持っていないからな」
「あら…」
 大人ムード満点の2人組。女性のほうは、主催者である碇麗香と顔見知りのようだった。シュライン…と名を呼ばれ、2人は瀬水月の目の前を通過して歩いて行くのを瀬水月は見送った。
 と、そこへ一人の少女が息を切らせて駆け込んできた。中学3年か高校生か…兎に角自分と同じくらいの年齢だろう。
「あっ、あのぅっ。もうコンテストの説明終わっちゃいました!?」
 一番手近にいた瀬水月に向い、顔が触れそうになるほど近く彼女は尋ねてくる。
「なんかとりあえず得意技披露とかって言ってたけど。そろそろ始まるんじゃねーの?」
 彼にしては親切にそう教えてやると、相手の顔は真っ青になった。
「ええっ! そんなの聞いてない…な、何したらいいんだろ…」
そんなの知るか。と彼が言おうとしたその時、彼女は先程立ち去って言った美女の姿に気付いたようだった。「シュラインさんだ! 良かったぁ!!」 などと言いながら、あっという間に姿を消してしまう。スタジオの隅の方から「あら…みかねちゃんじゃない。あなたもコンテストに出るの?」などという会話が聞こえてきた。
 その時突然目の前に何かを出され、瀬水月はキーボードから手を離し、反射的にそれを受け取った。見ると金木犀の一枝。ほのかな香りが薫る。
「はい、どうぞ」
その女性は、名前は知らないけれど春先に良く見かける白い花と金木犀とを両方抱えて、瀬水月に言った。「お仕事大変ですね。今日はどうぞよろしくお願いします。頑張って下さいね」
 小首を傾げると柔らかそうな黒髪がさらりと流れる。
「…はぁ」
 何か勘違いされているらしい。と思いつつ彼は、いそいそと碇麗香のほうへ向かって歩いて行くその背中を見送った。見蕩れている、とでも見られたら、彼の連れである桜夜の良く磨き上げられた爪で、悋気の一撃を食らったかもしれないが…。
 と、その時だった。
「おっ、居たぞ!」
「彼でいいんじゃないか!?」
 瀬水月の前にスタッフらしき人影が立ちふさがった。勝手に電源を借りていたことで怒られでもするのか!? などと構えた瀬水月だったが、いきなり両脇をがしっと掴まれ立ち上がらせられた。
「なっ…なんだっ!」
「いやー、済まんね、実は参加するはずの子が一人、風邪で来られないって話になっちゃってねぇ。悪いけど君、出てくれないかな」
「だっ、ちょ…待て!」
「椅子もテーブルも余るとこれから支度が大変だから。ね、助けると思ってくれよ。丁度瞳も金色だし、金木犀の君って事で、ね!?」
 最後の『ね』は有無を言わせぬものだった。瀬水月はスタッフに連れ去られ、後には彼ノートPCだけが、電源を入れられたままポツリと残されていた。


<コンテスト前の一騒動(?) 〜荒祇天禪も時には微笑む>
「一人一芸、だと?」
 シュラインからその話を聞かされて、荒祇は鼻先で軽く笑った。それが一体金木犀とどういう関係があるものか、なかなか面白いことを考えるではないか。
「そうなの。今碇さんから初めてお話を聞いたんだけれど…ごめんなさいね。いきなりで」
「そうだな…シュライン、お前だったら俺の何を見てみたい?」
 傍から聞いたらそれは口説き文句ではないか、とでも思えるような台詞でもって荒祇はシュライン・エマを見下ろした。彼女もスラリと背の高い女性だが、荒祇の隣にいると小柄に見えてしまう。
「あら、あなたには謎が多すぎるわ。見せてもらえるものならなんでも見てみたいけど?」
 シュラインは平然として答えた。彼女が頬を染めるのは、感動ものの映画を見てちょっぴり泣きそうになる時と某興信所の所長と会話をしている時だけで、後は至って冷静なのである。
 荒祇は面白げに彼女を見る。何を言っても冴えた答えの返ってくる女性だ。切れ長の丸い瞳は理知的で意志が強く、彼の大変好むタイプの人間。
 だが一芸をどうするか。まさか力を解放し、鬼に変化して見せるわけにもいくまい。それも面白そうだがな、と彼は思い頭をめぐらせていたがその時だった。
「シュラインさーん!」
 スタジオ中に響く明るい声がして、その主が2人の元に駆け寄ってきた。
「あら、みかねちゃんじゃないの」
「良かった…知ってる人が居て」
 みかねの呟きにシュラインの口元が綻ぶ。「あなたもコンテストにでるの?」と言う会話に、荒祇はどうやら2人が知り合いのようだと気付く。だがみかねと呼ばれた少女は傍まで来ると、丸い目で荒祇をじっと見て、それからシュラインの袖を引っ張り耳打ちした。
「こちらはヤク○の方ですか…??」
 どうやらシュラインの身を心配しての言葉に、シュラインは噴出し、耳のいい荒祇は口端を軽くあげるに留めた。今日のスーツは一応、コンテストについて知った秘書が金木犀がどうのといってコーディネートしていたのだが…どうやら染み出る威圧感というのは、隠し切れぬものらしい。
「あ、あのねみかねちゃん、この人は荒祇天禪さんって言ってね、ヤ…じゃなくて会社の会長さんなの。分る?」
「会長さん…」
笑いを含んだシュラインの話を聞いて、ぺこっとお辞儀したみかねは、まじまじと荒祇を見上げた。「初めまして、志神みかねです」
「ああ」
 まるで突然寺社仏閣見学ツアーに連れて来られ、仁王でも見せられているかのような表情である。彼女の肩は彼の腰辺りだし、見下ろせば可愛いつむじもばっちり見える。体重など荒祇の三分の一も無いだろう。
 そしてその視線はどうやら、彼からみかねへ『ああ』以外の何か一言、を求めているらしい。
「志神みかね、だな。…分った、覚えておこう」
 と言うと同時に、彼は軽く口端を上げた。
 が、逆効果だったかもしれない。みかねはシュラインの背中に吃驚した顔で隠れてしまう。 熟女から老婦人、果ては男性までも惹き込む彼の笑顔も、今はまだ綻びかけの花には早かったらしい。だがそれでも、みかねはシュラインの背中から興味深そうに荒祇を見ていたから、そう言い切る事も出来ないかもしれない。
「みかねちゃんは、一芸の方どうするの?」
 背中越しに尋ねられてはっと我に返ったみかねは、シュラインに言った。
「それが全然思い浮かばないんです。シュラインさんは何をするんですか?」
「私は今回は推薦者なのよ。出るのはこちらの方…所で、もうそろそろ始まるみたいだけど」
 照明の微調整が終わった、という声と共に騒がしくスタジオの扉が開いて、荒祇は一同と共に振り返った。


<コンテストが始まるぞ 〜朧月桜夜(オボロヅキ・サクヤ)の華麗なる変身>
「まぁ…ステキ」
 颯爽とスタジオ入りした朧月桜夜(今日は瀬水月桜夜と名乗っている)は、秋月霞波(アキヅキ・カナミ)の感嘆の溜息を聞きつけて、そちらに向かって上品に微笑んだ。先程、更衣室で今野篤旗(イマノ・アツキ)と瀬水月隼(セミヅキ・ハヤブサ)をその腕にとっ捕まえ、強引に化粧を施していた人物と同じとは、到底思えない。
「金木犀の時期に冬の重ねとは粋な事をする方がいたものだわ。…荒祇(アラキ)さん、頑張ってよ?」
「…さて、な」
── うふふ、これよ! これ! イヤーん、視線が気持ちいいっ。
 末はモデルか花嫁さんよね、と常日頃思っている彼女の正体は、実の所は陰陽師なのだが今日はそちらの出番が無いといいなと思っている。怨霊調伏の時は、つい下品な言葉遣いやらになってしまう事が多いから。それでは金木犀の君とは言いがたくなってしまうだろう。
 だが、その時彼女はスタジオの視線が彼女だけではなく、後ろの2人組みにも注がれていることに気付いて、はっと振り返った。
 一人は勿論、彼女が衣装のスペアにと持ってきていたターコイズブルーのチャイナドレスを着せられた瀬水月隼。元々顔立ちの整っている青年なので、桜夜の加工の腕前も相まって女性と見まごうかという出来栄え。故に桜夜は大事なダーリンが注目を集めている事にも大変満足。だがやはり本人は相当不満気なご様子。
 だが問題はもう一人。
 俺に化粧するならコイツにもしてやれ! とは瀬水月の台詞で、彼は全く偶然その場に居合わせたというだけで、巻き込まれた哀れな青年である。
 けれど彼の言う『用意されていた衣装』には黒髪セミロングのカツラも入っていたし、彼もそれを望んでいたと思うんだけれども。などと桜夜は先程の更衣室での出来事を思い返し。
 弓道着姿の今野と、チャイナ姿の瀬水月を横目でちらりと眺めた。
── うん、大丈夫、やっぱりアタシの方が美人だわ!!
 と、その時彼女の耳にこんな会話が聞こえてきた。
「ちょ…ちょっとヤダあれ、あっちゃん!?」
「…篤旗、芸の為なら我を捨てるか…流石は関西人だ!」
 びっくり顔の加賀美由姫(カガ・ミユキ)となぜか拳を固め感涙にむぜぶ神楽五樹(カグラ・イツキ)。その隣で守屋(モリヤ)ミドリが溜息を。
「今野君、とっても似合ってるわ」
「え…今野…篤旗…って」
と言ったのは結局一芸が思いつかずにいた志神(シガミ)みかね。「あれは今野さんなんですか!?」
「あれっ、あっちゃんと知り合いなの?」
 美由姫が人垣越しに尋ねると、みかねはこくりと頷いた。
「でも以前お会いしたときは男性でしたけれど…」
 今も男性です。と神楽は心の中で突っ込んだ。
 桜夜は、ニヤリと微笑んだ。なるほど彼があれほど嫌がっていたのはそういう訳であったか。
 すすすっと、その後ろに瀬水月を従えて近寄って行く。
「こちらも実は男性なのよ♪」
瀬水月は、余計な事を言うなぁ! と言わんばかりに桜夜の袖を引いたが、彼女は全く気付かない。「そちらのあなたもいかが?」
「いっ…俺!?」
 ぎょっとした神楽の表情を楽しんでから、桜夜は「冗談ですわ」と付け加え、女性陣の会話の中にするりと入り込んだ。
「今日出場される方たちでしょうか? …初めまして、瀬水月桜夜、と申します」
深く丁寧な礼をして、普段は使わぬ言葉を使う。「で、こちらは夫の瀬水月隼ですの」
「だ、誰が夫…! 痛あっ!」
 草履を履いた足が彼の足を思い切り踏んだのを、その場に居たほぼ全員が見た。
「まぁ…変わった旦那様をお持ちですね」
見ていなかったのは霞波だけ。「お若く見えますけど、お似合いのご夫婦です」
「有難うございます」
 おいおい、という心突っ込みがいくつか…。
 そこに、背中を丸めながらも、今野篤旗が大股で歩いてきた。
「美由姫ちゃん…ミドリさん…」
わなわなと震えているのは、決して恥ずかしさだけではあるまい。美由姫はここに従姉妹が居なくてよかったなぁと思っていた。彼女の従姉妹に今野は惚れているし、従姉妹というのは冗談が通じない人だから。
 ちなみにその従姉妹を『金木犀の君』に推薦しようと話を持ちかけた時、彼女はただ薄っすら笑って無言の威圧を掛けてきた。
── あれは、金木犀っていうか…黒薔薇って感じだった?
 思い出し、身を震わせた美由姫の心情など知らず、今野がミドリと神楽に突っかかっていた。
「なんなんやこれ!女ものやないですか!」
 桜夜に付けられたマスカラで重くなった目を尖らせ、胸当てを叩く。
「だって、金木犀の君って、女性じゃないとダメかしらって思ったから」
 しれっとミドリが答え、それを聞いた神楽がぷッと噴出す。
「そんなに嫌なら着なければ良かったのに」
 ちなみにそれ、私のだよ。丈がやっぱり足りなかったねぇ。と言った美由姫の言葉に、今野は後ろを指差した。そこには荒祇と話している瀬水月と桜夜の2人の姿。
「あの人らに押し倒されて無理矢理っ…」
 だが『あの人ら』といわれた桜夜たちは、いつの間にか荒祇天禪となにやら低い声でぼそぼそと相談事をしていた。
「ほぅ…だったら俺もそれで行くか。…というわけだシュライン。それでいいな?」
「貴方がいいならいいわよ。勿論。楽しみにしてるわね」
 何やら異様なオーラを放つ一団である。色をつけるなら紫とか黒とか朱とかパッションピンクに違いない。が、桜夜たちは勿論それには気付かずに、怪しい…いや違った。たとえ正当だとしても怪しげに見える相談を続けている。
「だけどその場合、優勝はどっちになっちゃうの?」
 荒祇の考えを聞かされた桜夜は、納得しながらも探るように荒祇の瞳を覗き込んだ。
「俺はそこまで知らんが。同じ事をするなら、審査員もそこで判断するだろう」
「うふふ…それは宣戦布告…って捕らえてもいいかしら?」
 それは桜夜の化けの皮が剥がれ掛けている瞬間であり。
「どちらとでも取ればいい」
 2人の間に火花が散った瞬間でもあった…。
 瀬水月はもう何も言うまい、と諦めてシュラインに目配せし。
 シュラインは呆れたような面白がって居るような目をして、他の皆に合流するべくその場を退散する。
 そこで、じっと何事かを考えていた霞波が、小さな声で言った。
「ええと…日本にある金木犀は…全部雄株なんですけれど……」
振り返り、言い合いしている二つの集団を眺める。「…別に、関係ないみたい…かな?」


<コンテストは序盤戦 〜志神みかねの「一人じゃないって素敵なことね♪」>
 三下忠雄が、こほんと息をついてマイクスタンドの前に立った。暑ささえ感じるほどに照らされた灯りで、どうやら酷く緊張しているようだ。
「このたびは『金木犀の君』コンテストに参加してくださって有難う御座います。先程発案者であります碇麗香編集長からの開催の言葉もありましたので、早速、こちらに並んでいただいた参加者の皆さんに、これより金木犀の君を思わせる一芸を披露していただこうと思います」
 志神みかねは、そんな三下を舞台の端から眺めつつ震える足で立っていた。ここに至ってもまだ芸が決まっていなかったのである。
 どうやら、先程まで同じく芸について悩んでいた(と書くとなにやら高尚な感じがするが)荒祇はさっさと、あの瀬水月桜夜という女性と共同で何かをすると決めてしまったようだ。
 取り残された状態のみかねなのである。
── どうしようぅぅ! 始まっちゃった
「では…エントリーナンバー1番、守屋ミドリさん、こちらへどうぞ」
 言われて出て行くのは、勿論名前を呼ばれたミドリだ。その背中をはらはらした様子で見送るのは更に勿論神楽五樹。
 ミドリは明るいライトに多少まぶしげな様子を見せたが、しかし演台の中央に進み出て、にこっと審査員席とそれから応援席にいる皆に向かって微笑んだ。
 どうも、緊張という言葉を知らないタイプの人間らしい。
「では…」
逆に見守っている方が息を呑む程だ。「…金木犀茶の効能について発表させていただきます」
 会場中が一斉にズッコケたのは言うまでも無い。
「じ…自信満々だったから安心してたのにミドリさんったら」…と、美由姫。
「天然もいいとこや…」今野は額に手を寄せる。
 神楽だけが「流石はミドリさん…教養が深い!」などと感動していた。
「上品な香りが特徴で、アロマテラピー効果も期待できます…」
 みかねは、そんなミドリの発表を聞きながら、次は自分の番だー次は自分の番だー!と混乱の極みであった。
 カタカタカタ…
 そんな音がし始めたのは、その時だった。
 ん? といった様子で皆が辺りを見回す。天井の照明が微かに揺れている。
「地震かしら…」
 と、言いかけたシュラインは、舞台裾で立ちすくんでいるみかねの様子に気付いた。
── あの子って確か…。
 今まで友人として付き合ってきた彼女の、その特殊能力に思い至る。
── 確か、極度に緊張したりするとコントロール不能の念動力が…。
「荒祇さん、ちょっと失礼?」
 同じく天井を見上げていた荒祇に一声掛けると、シュラインは彼女の傍に素早く歩み寄った。みかねは気付かずじっと舞台の方を眺めている。
「みかねちゃん」
 ぽん、と肩に置かれた手に、彼女の『力』が弾けた。シュラインの頬脇を何かが掠める。
 それに気付いたのは、陰陽師・桜夜と荒祇だった。
「伏せてッ!」
 桜夜は咄嗟に瀬水月の身体に手を掛け、床に倒れこむ。そして荒祇は
「破ッ!!」
 気合、一声。みかねの作った力の塊を四散させた。信じられない、と言った風の桜夜の視線が荒祇を見る。だが荒祇は何事も無かったかのようにただ舞台に視線を戻した。
「何しやがる、桜夜っ、どけってば!」
 何も気付いていない瀬水月は床の上でじたばた暴れ。
「まぁ…本当に仲良しなんですね」
 2人を見て、ぽっと頬を染めるのは霞波。
 治まった地震にホッとしたのか、舞台の方は暢気に続いている。
 一方、文字通り気の抜けたみかねに、薄々何が起きたのか知りつつシュラインは話しかけた。
「大丈夫? みかねちゃん」
「あ…シュラインさん。私、まだ何をしていいのか決まってなくて…凄く困っちゃって」
 我に返ったみかねは、自分が何をしでかしかけたか気付いていないようだった。
「そうねぇ…できることなら私が手伝ってあげたいけれど」
 自分は出場者ではないし、今から何かを用意するとなると。
「あの…差し出がましい申し出かもしれませんが…」
と、声を掛けてきたのは霞波だった「みかねさん、宜しければ私と一緒に何かしてみますか?」
「え…」
「本当に、宜しければ…なんですけど」
「いいじゃない、みかねちゃんやってみたら? 私も出来る限りは手伝うわ」
「は、はいっ!!」
 その時、みかねは霞波とシュラインの背中に天使の羽を見たという。
 こしょりと小声でなにやら相談した後、彼女達は材料を集めるべくスタジオを出て行った。


<コンテストは中盤戦 〜美由姫、ミドリのお騒がせな暗躍>
 自分の芸がすんなり済んで、ミドリは神楽たちのやんやの声に押されつつ舞台袖に戻った。
 後ろで次のエントリー者が呼ばれている。兎に角終わった事には万々歳だ。結果の方は気にしないし、後やる事といったら美由姫と今野をとっちめる事くらいだろうか。
「へぇ、次はコンビ組むらしいなぁ」
 そうとは知らない今野は舞台を見た。志神みかねと秋月霞波が審査員に向かい、一緒にペコリとお辞儀をしている。まるで仲の良い姉妹のようだ。
「篤旗ぃ、折角美人さんになったんやから、その態度をどうにかせぇや」
 腕組みをして足を開き立っている姿は大変男らしく。カツラを被っていようと化粧をしていようとどうにもならないものらしい。少しはチャイナでその気になっている瀬水月を見習って欲しいものだ。
「放っといてんか」
「そないなわけ行くか。ミドリさんはお前の事優勝させたいて言うとったんやから。…ねえミドリさん。…って、あれっ」
 神楽が振り返ったその先には、ミドリの姿もそして美由姫の姿も無かった。彼女等が何処へ何をしに行ったかといえば。
「ここからが本番、ってね♪」
 加賀美由姫は薄暗がりの中、後ろを振りかえってウフ♪と笑った。四つんばいになって進むその場所はちょっと空気が蒸していて狭い。
「しー、静かに!」
 小声で答えるのは守屋ミドリ。そして今2人がいるのは…審査員席の『中』である。
 すぐ傍で、人の足が蠢いている。彼女等はその足に触れないように一生懸命、長い布の掛かったテーブル下を移動していたのだ。
「ミドリさん、準備はいい?」
 2人がこんな所に忍び入り、一体何をしようかというと、ミドリの特殊能力を使い、ちょいと審査員に細工をしよう、という事なのである。
 ミドリは意識的に保存した記憶を再生する能力を持っている。更にその時他人に触れることが出来れば、触れた相手にそのビジョンを送りこむ事も出来るのだった。
 彼女等が優勝させようとしている今野篤旗の順番になったら、ミドリが保存しておいた金木犀の記憶を審査員達に見せればいい。そうするだけでかなり今野の優勝の確立が高くなる筈だ。
「うん、大丈夫。あとは今野君の出番を待つだけね」
 そういって2人は顔をあわせると、審査員席の裾をこっそりと持ち上げ、舞台を見た。
 丁度霞波とみかねの芸が始まった所だ。いつの間にか舞台の上には金木犀の花が飾り付けられている。
 霞波が両手に包み込むように、コップに一杯の水を持っていた。
「水は我が友、我が力、水は決して私を傷つけたりしない…」
 澄んだ声が響く。と、手にした水が微かに揺らぎ始め、大変細かい霧となって、あたりに漂い始めた。
「うわぁ…綺麗ね」
舞台袖からそれを見ていた桜夜は瀬水月の腕を取る「水が生きてるみたい。…どうやってるのかは分らないけど」
「ふん…まあまあ、かな」
 そこで、みかねの出番だ。彼女は何処からか持ってきたストローを吹いて、シャボン玉を作り始めた。霧の中、なぜか割れる事も無くそれはゆらゆらとのぼり、シュラインが照明係りに指示して、金木犀を照らし出す。みかねと霞波は、ゆっくりと舞台奥に数歩下がる。
「なる程。主役は花そのもの、というわけか」
 荒祇が呟く。その通り、霞波は初めから自分が前面に出る事は考えていなかった。
── あのね、お花を綺麗、って思って貰えたらいいなって、そう思うのよ…。
 とは霞波がみかねとシュラインに言った言葉で、みかねもそしてシュラインも勿論頷いた。
 この方法は、それから3人で考えたものだが、まるで初めから打ち合わせたようにしっかり呼吸があっている。ライトの下で何重にも虹が出来、オレンジの香りがシャボンの中に閉じ込められ水滴に乗って、審査員にも舞台袖の皆にも届く。思わず皆の顔が綻んだ。
「天然芳香剤、て奴やろか」
「いっちゃんアホやろ?」
 とりあえず突っ込みを入れてから、今野は困った顔をする。この後で出て行くのはかなり勇気がいりそうだ。
 霞波とみかねは最後に深くお辞儀をして舞台を降りた。みかねはかなりほっとした様子。
「次は、エントリーナンバー4番の今野篤旗さんです」
 三下の声に、テーブル下の2人の目がきらん☆と光った。
 今よ、と言わんばかりに布の中に姿を消す。後は審査員の足に触れればOKなのだ。
 だが、そうとは知らぬ今野は舞台の上に立ち、女性陣がいなくなってしまったのを不審に思いつつも、美由姫がやるはずだった的の設置を神楽が終える。ちなみに化粧はそのままだが、カツラはとっくの昔に取っていた。別段女装趣味があるわけではないのだから。
 と言うわけで今はショートカットの美人に変身した今野は、腰を据えて弓を構え、打ち起こして引いた。
 美由姫が今野を表現する所の、『和』の空気が漂う。彼の喋る京都弁であるとか、彼の素朴な雰囲気が、金木犀に相応しいとは、彼女もミドリも認める所なのだ。
 一呼吸の後、矢は放たれてタン…と小気味良い音を立てて的に当たった。見事なものである。
 皆に注目される中の事で流石に緊張していたのか、今野は残心を終えて舞台を降りほっとした顔つきになった。審査員席からは拍手が上がる。
 そして美由姫とミドリがその隙を見てテーブル下から抜け出してきた。ささっと舞台裾に戻りつつ会話を交わす。
「ミドリさん、どうだった?」
 美由姫の問いに、ミドリは小首をかしげる。
「うーん…大丈夫だと思うんだけれど…なんだか手ごたえが??」
「?」
 ビジュアルが素直に伝わら無かった気がする。何か目に見えぬものに邪魔されていたような。「ふ…」
 荒祇天禪が、微かに笑った。


<コンテストは終盤戦 〜シュライン・エマの冷静なる視点>
 なかなか楽しい時間が過ぎている。シュラインと荒祇は割と静かなものだが、先刻から審査員席のテーブルの下に出たり入ったりしている者やら、ボケと突っ込みを繰り返している者。すっかり打ち解けた様子で言葉を交わしている姉妹のような2人も居る。
「さて、出番ね」
 そしてシュラインは、某コント番組のようにセット変えが始まっている。アトラスの社員達はいつもこうして麗香にこき使われているのだろうなと思うと、なんだか涙をそそられた。
 彼女はその時ふと、舞台のあちら側から送られて来る燃えるような視線に気付いた。
 栗色の髪の和装美人が、こっちを見ているのだった。
「けしかけたのは貴方なんだから、きちんと責任とってらっしゃい」
「さて、どうだったかな…」
 荒祇は、整った舞台…茶室を模したその座敷に上がっていった。そこには既に亭主である桜夜が待っている。荒祇は迷わず上座に座った。場がピリッとしたのは言うまでも無い。
 風炉に生けてある花は紫のヤマトリカブトであったりして、この勝負の行方を暗示しているかのようだ。
 そんな中、チャイナ姿で後からのこのこと座敷に上がり込んだ瀬水月は明らかに場の雰囲気に似つかわしくなかったが、得意技と言われてそのプログラミングの腕前をこの審査員達に見せても大した効果は無いだろうし、こんな場で披露する気も無い。データはタダではないのだ。
 そう、元々彼は桜夜の付き添いだけではなく、このコンテストに参加する『人間のデータ』のデータを取りに来ていたのだ。
── 人ってのは面白いもんだ。桜夜みたいに見た目あっけらかんとした奴にも、ヘンな意地とか隠し持ってる秘密はあるし…
 と、彼は横目に袱紗捌きを披露している桜夜に目を向け、それから隣の荒祇に目をやる。
── 人間じゃねぇレベルの威圧感持ってる奴も、それと平気で付き合ってる奴も居て。
 人のデータを取る、ことを趣味としているだけあって、彼は人を見る目を持っていた。但しだからと言って人と積極的に交流を持とうというタイプでもなかったが。
 こっそりペロリと舌を出している瀬水月に気付いて、シュラインはにっ、と笑った。
── あらあら。綺麗にしてるのは外見だけ、中身は一筋縄じゃ行かないかしら?
 そういうタイプは嫌いじゃない。
「お茶かぁ…私も小さい頃にはやったけど、忘れちゃった」
「お稽古事って必ずやったわよねぇ」
 美由姫が言うのを聞いて、ミドリが答えている。
「ミドリさん…可憐や…」
 何を想像しているのか、神楽がぼんやりしているが。ミドリは気付いているのかいないのか、続けた。
「そろばんとか、公文とか」
「残念やったな、いっちゃん」
 ぽん、と今野が神楽の落ちた肩を叩き、そして舞台上ではお手前が続いていた。
 シュラインは青い瞳に白い肌をした女性だが、日本の育ちだ。茶道具を見てよくも用意できたものだと感心する。桜夜が事前に決めておいたか持ってきたものなのだろうが、彼女の目から見ても上等の部類に入るものだった。
 桜夜が茶を立て始め、荒祇が菓子を取り瀬水月がそれに習う。彼の目には明らかに(作法なんて知らねぇ上に、足がしびれてきたぞ)と書かれていたが今のところは我慢しているようだ。
「どうぞお召し上がりください」
 見蕩れるほどに見事な仕種で桜夜が茶を差し出し、シュラインの元にも濃茶の香りが香った。
対して荒祇は軽く頷くのみにとどめ、大きく細やかな振る舞いでそれを受け取り、作法に則ってはいるが全くその通りでもない方法で、それを頂いた。
「みかねちゃんは、お茶を飲む?」
 霞波が傍に居たみかねを見て尋ねた。どうやらすっかり打ち解けた様子である。
「はい、紅茶も好きですし、日本茶も好きです♪」
「あら、私とおんなじね」
 にこっと微笑みあう二人は、なぜかどこかズレている。
「おい、これどう飲めばいいんだよ」
 荒祇から渡された濃茶に、瀬水月はこそっと桜夜に声を掛ける。だがそこに荒祇が言った。
「好きなように飲めばいい。美味いと思ったらそう言えばいいし、態度で示せばいい。心底からそう思えば自ずとある程度の作法に繋がるさ。特に今日の茶は…」
 と、荒祇はそこで桜夜に向き直った。
「美味い」
 桜夜の顔が、ほころぶ。
「そうね、まずは飲んでみてよ」
と、彼女は瀬水月を見て言った。「本当の作法については帰ってから特訓ってことで」
── お茶はまず相手の事を考えて点てるものだわ。
 様子を見ていたシュラインは軽く頷いた。茶の湯の勝負は、自分の仕掛けた心尽くしに相手が気付くかどうかのもの。そう、負けて嬉しいものなのである。
 どうやら荒祇は勝負に勝ち、桜夜は満足したようだった。
 気付かずとも橋渡しの役目を負った瀬水月は、それでもまだ眉根に考え中の皺を寄せていたが、足の痺れに耐え切れなくなったらしく、飲み干して返した。
 それを合図に、コンテストの最終戦(?)もゆっくりと幕を閉じたのである。


<グランプリは誰の手に? 〜秋月霞波が思う事>
 審査員席では先程からああだこうだの言い合いが続いている。
「やはり第一候補は彼女では?」
「いやしかし、私は彼の意気込みを買うが」
「金木犀という花を想像してみてください。私はあちらの方を…」
「ダメダメ、皆見る目がないな。僕は絶対こちらの2人を推しますね」
「組で選んでもいいならこっちでしょう」
 そして参加者の方はというと、全員控え室に集まって、審査の結果を待っていた。
 漸く化粧を落として普段着に戻った今野と瀬水月はなぜか心が通じ合ったらしく、鏡台の前に椅子を引き語らっているし、美由姫を間に挟んだ状態ではあるが神楽とミドリは、帰り道に寄って行く予定の珈琲が美味い店について話しているようだ。無事2人きりで行くことができればいいが…。
 荒祇とシュラインは部屋の奥のほうで立ったまま壁に凭れ掛かり何事か話している。どこか愉快そうな顔をしているのは先ほどの一芸に満足しているからなのだろう。そして霞波とみかねと桜夜は、月刊アトラスの麗香も含めて、先程みかねが芸に使ったしゃぼんを戯れに吹いてみたり、桜夜とみかねが持ってきていたお菓子などをつまんでいて、ここだけまるで女子高のようだ。ただ少々年齢の高めな方も混じっ…いや、なんでもない。
 霞波はコンテストの最中、終始ひっそりと舞台袖におり、全員の芸をじっくり見て感嘆の溜息など漏らしていたが、こうして終わってみると、このまま店に戻るのは惜しいような気がしてきた。
 考えてみれば、「水使い」としての彼女は水を戦闘の術として使う事も実は多い。色々危険な依頼を受ける事もあるからだ。けれども今日は戦いや争いの為でもなく、自分の身を守る為でもなく、こうして力を使う事が出来た。
── 皆さん喜んでくださって…それに、ここに居る人たち全員がお花好きなんて…幸せです。
 ほぅ、と満足の溜息を漏らす。だが前半はその通りだが、後半の「みんなお花が大好き!」については、大なり小なり個々の差が出そうである。
「碇編集長」
 ノックと共にドアが開かれ、呼ばれた麗香は歓談の間の柔らかい笑顔をすっと引き込めて立ち上がった。
「審査が終わったの?」
「え……ええ。まぁ…一応…」
 スタッフと思しき青年は歯切れ悪く答えた。
「何? 妙な顔して。…まぁいいわ。皆さん、スタジオの方へ移動をお願いします」
 彼女の声に彼等はめいめい立ち上がり、まるで観光ガイドに引率される観光客宜しく彼女の後をついてスタジオに向かった。

***
「え〜、では審査結果をお知らせします」
 いつの間に設えられたのか壇上に上がった審査員長、つまりは月刊アトラスの重役と思しき初老の男性が、おぼつかない声でそう宣言した。
「皆様を大変長らくお待たせし、こちらの審査員10名の意見を取りまとめ分析、検討したところ…」
「うだうだと続くわねぇ。待たせたと思うならさっさと発表しなさいよ」
 俯き加減ながらも小声で言ったのは勿論桜夜だったが、誰も彼女の台詞を否定はしなかったし、彼女の言葉遣いについても疑問を持っていなかった。
「え〜、あ〜、優勝者は…」
── 篤旗には悪いがここはやっぱりミドリさんやろ! …と神楽
── これだけ酷い目にあってまだ何かある…訳ないよな …と瀬水月
── はぁ…疲れた。もぉ帰りたなってきたわ。 というのは今野で。 だだ面白げに黙って見ているのは荒祇であり、シュラインは彼が優勝した場合、写真掲載も会社名を載せる事もNGだと断る術を考えていた。
 桜夜は勿論自信満々に背筋を伸ばし、もう優勝コメントを考え始めて居り、隣のみかねは、文化祭のお知らせは優勝した人にして貰えばいいんだ! と思い付いて明るい顔をしていて、優勝する気などさらさら無かったミドリとそして美由姫は、『本当は臭かった審査員の足元』まで忍んでいった苦労が報われます様に! と胸元に手を組んで祈っていた。
「優勝者は〜…え〜…」
 彼は、勿体ぶって紙を開いた。どうやらその中に結果が書かれている様子。
「荒祇、天禪氏と決定いたしました」
「えぇ!!」
 素っ頓狂な声が上がる。納得したような声も上がる。落胆の溜息も聞こえ、それからほっとした様な吐息も。
「皆さん大変金木犀の君に相応しく、可憐さ、気品、備えてらっしゃいました。しかしそれゆえ甲乙付けがたく…審査員一同大変頭を悩ませました。今回個人的なコンテストであった訳ですが、チームを組まれた方もあり更に審査は難航し、…我々はこの中であれば誰であっても優勝する資格があると考え……っ 涙を飲みつつ!!」
 彼は、手に持った紙をくるりとこちらに向けて見せた。
「最終的にグランプリを『アミダクジ』にて決定させていただきました! はるか中国大陸からいつ沈んでもおかしくない船に乗り大海を渡り切ってこの日本という国へやってきた金木犀という花の運!! これを試させて頂いたのです!」
 その時出場者たちの目に映ったのは、彼の持った紙を区切る縦横の線と、「かなみ」「いまの」「あらき」「ミドリ」「さくや」「せみづき」「みかね」と書かれた文字。どうやら漢字が書けない人間が作ったらしい。
「う…運…。アミダ…」
 全力を使い果たした桜夜ががくりと膝を付き、瀬水月は呆れたように、だが一応慰めるつもりで彼女に声を掛けた。
「おい…帰ろうぜ」
 そして差し出した手を叩かれる。
「やれやれだな…帰りに飯でも食うか? シュライン」
「どんなご馳走が出るのかしら? 店を選ぶのは私? それとも貴方?」
 荒祇とシュラインは、壇上の話が終わらぬうちに、さっさと引き上げ始める。
「こんなオチ、関西やったら許されへんで…うおー! ミドリさんを優勝させろやー!」
「ヤバイ、いっちゃんを止めるんや!」
「やっちゃえ、やっちゃえー!」
「どうして『力』が通じなかったのかしら…」
ふぅ、と頬に手を当てて溜息を付くミドリ「今野君が取ってくれたらケーキ代が出たのに」
 案外、可愛い花にもトゲがある…のかもしれない。
 それらの反応を見ながら、霞波はしみじみと納得したように微笑んでいた。
「きっと、とってもとっても悩まれたんですね。その気持ち、私にも良く分ります」
 これだけ『金木犀の君』に似合いの人ばかり集まったのでは、自分が審査員だったとしても、とてもではないが選ぶことは出来ない。
 が、彼女のそんな呟きは、誰の耳にも届いていなかったようだ。
 一緒に芸をしたみかねでさえ、碇の所へ歩いていって、こんな交渉をしていた。
「あのぅ…荒祇さんがいいって言ってくれたので、うちの文化祭のCM、ちょっと載せても大丈夫でしょうか……?」
 上手く行けば、今日のコンテストに風邪で出場できなかったみかねの友人へのいい土産話になる事だろう。
 少し困ったような顔をして、霞波は辺りを眺めた。
 すっかり気の抜けた参加者たちの前で、壇上の人物のみが唾を飛ばしながらこのコンテストの意義について熱く語り続けている。…そんな中。
「なんだかとっても……楽しい一日でしたね」
 彼女だけが、胸躍らせながら表彰式を待っていた。

<終わり>



<番外・三下忠雄の独り言>
 混乱と脱力の現場で、この一部始終をじっと見守っていた三下忠雄は、思った。
── だけどこの人達って大体、初めのあの選び方で選考に残ったんだから、凄い運を持ってるわけだよね。
 彼は、碇麗香のとんでもない出場者選出方法を思い出していた。あの時彼女がぶちまけた応募用紙の数は数千枚に及ぶ。つまりここにこうして居るという事は、彼等が千分の一的最高の運を身に着けている、という証明になるわけだ。
── それに比べて、毎日毎日、気が遠くなるほど碇編集長にこき使われている僕…。
 三下は、この後会場がどうなるのか、目に浮かぶような気がして涙をこらえた。
 どうか、僕にとばっちりが来ませんように。
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0515/加賀・美由姫(カガ・ミユキ) /女 /17/高校生】
【0527/今野・篤旗(イマノ・アツキ)  /男 /18/大学生】
【0703/神楽・五樹(カグラ・イツキ)  /男 /29/大学助教授】
【0557/守屋・ミドリ(モリヤ・ミドリ) /女 /23/図書館司書】
【0086/シュライン・エマ    /女 /26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0284/荒祇・天禪(アラキ・テンゼン) /男/980/会社会長】
【0249/志神・みかね(シガミ・ミカネ) /女 /15/学生】
【0444/朧月・桜夜(オボロヅキ・サクヤ)/女 /16/陰陽師】
【0072/瀬水月・隼(セミヅキ・ハヤブサ)/男 /15/高校生(影でデジタルジャンク屋)】
【0696/秋月・霞波(アキヅキ・カナミ) /女 /21/自営業】
※ 申し込み順に並べさせていただきました。
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■         ライター通信          ■
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『金木犀の君』これにてお終いです。いかがでしたでしょうか?
加賀さん、今野さん、シュラインさん、志神さん。いつも有難う御座います。神楽さん、守屋さん、荒祇さん、朧月さん、瀬水月さん。沢山のライターさんの中から選んでいただけて嬉しいです。有難う御座います! 今回初めて書かせていただきましたが、PCさんのイメージ的には大丈夫でしたでしょうか?(PC名で失礼致します)
今回のプレイングでは、互換性がある物を書かれてきた方もいらっしゃいましたし、PCさんらしい動きを書き込んできてくださった方もいらっしゃいまして、とても面白かったです。けれども、コンテストで何をするか、というのをOPでお伝えしていなかった事…今回の反省点です。次回はもっと明確に、やらせて頂きたいと思います。(しかし、水着審査を予測・希望されていた方が多かったですねぇ…そちらの方が良かったでしょうか…)
さて、ここで2つお伝えしておきたい事が。
一つ目は、「最後のアミダクジは実際にやりました」と言う事です。
ラストでは必ずグランプリを決めなければならず、碇編集長に優勝を横取りさせるという事も考えたのですが、3日ほど悩んだ末、済みませんがアミダで決めました。
(初めは「優勝は望んでいないけれど…」と優しいことを仰ってくださったPCさんは抜いてのアミダにしようとも思いましたが、文中に書かれている通り、7名様参加のアミダです。並びもそのままあの通りでした)当たった方の運というのは…凄いですね。
二つ目は、「今回はテラコンの相関図を使わせていただいたので、過去の依頼で出会っている事があった方同士だったとしても、残念ながら今回の物語上では、初対面になってしまわれた方も居ます」という事です。
当たり前と言えばそうなのですが、PCさんたちがいくつか一緒に依頼をこなすうちに仲良くなっていく過程、というのを描いていきたい…という、わがままな望みを持って居りまして…。
もし宜しければ相関図に複雑なる人間関係を(笑)登録しておいていただけると幸いです。この物語だけに限らず、色んなライターさんの書いた東京怪談も通してPCさん共々PLさんたちにも交流を深めていただけたらいいなぁなどと思っています。
では、またご縁がありましたら、一緒に物語を作って行きましょう!      蒼太より。