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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


金木犀の君(きみ)

「薫る季節になってきたわね」
 珍しくぼんやりとしながら碇麗香は呟いた。
「はい?」
 三下が椅子を回して堤を見る。
「外から…」
 くい、とペン先で開いた窓を指され、三下は鼻を蠢かせた。
「ああ〜なんだかトイレの匂いがしますね」
「莫迦ね、金木犀の花の香りでしょう?」
呆れたように言うと彼女は三下を斜め下から見上げた。「金木犀の花言葉を知ってる?『気高い』『美しい』『高潔な人』」
 じっと見詰められた三下は、しばらくぼんやりとしていたが、はっと慌てて手を打った。
「あっ、そうですね! ま、まるで碇編集長みたいな…」
「そう、そうよね? やっぱりそう思う?」
 冷静沈着才色兼備の編集長は珍しく頬を染めてにっこりと微笑み、三下はこっそり溜息をつく。
── 全くこの人は…おだててないと直ぐ機嫌が悪くなるんだからなぁ〜。
「何か言った?」
「いっ、いいえ!!」
「そう…ならいいけど。あ、そうだ」
「今度はなんですか!?」
 怯えたような三下の態度に気付かずに、碇は呟いた。
「今度の企画記事、思いついたわ。こういうのにしましょ『金木犀の君を探せ』」
 そして訳が分らないといった顔をした三下を横目に、ペンを走らせる。
『季節は秋、あなたの身近な人物で『金木犀』の似合う人を推薦してください。勿論あなた自身でも構いません。つぶらで可愛らしいオレンジの花、薫る香の存在感、もしくはその甘い香りを思わせる方を募集。見事グランプリを獲得された方は週間アトラスにコメント付きで写真掲載、金一封を差し上げます。』
「審査員はアトラスの社員にしましょうか。じゃ、三下君、行くわよ。」
「えっ…どこに?」
「予算を取りに。」


<応募用紙がやってきた>
「結構来たわねぇ」
 そう言ってデスクの上をまじまじと眺める碇麗香の前には、先月の月刊アトラス巻末に載せてあった応募用紙が山積みになっていた。
「選ぶのも一苦労じゃぁないですか〜。なのにこれから選んで返答して…」
 そういった雑事はきっと全部僕がやるんだろうなぁと思っていた三下の目の前で、碇は考え込む様子を見せた。そして事もあろうに写真つき応募用紙を編集室の床にばら撒いた!
「へっ、編集ちょ〜!?」
焦って叫ぶ三下の目の前で尚も応募用紙を撒きながら、碇は高さ3.5センチのハイヒールを脱いだ。「何してるんですかぁ?」
「オーラよ」
碇は答え、散った応募用紙の中央に立ち目を閉じて言った。「オーラを感じ取るのよ。金木犀の花言葉…気高さ、美しさ、高潔さのオーラをね」
「そうか! 編集長はそういう力の持ち主だったんですね。只者じゃないとは思ってたけど」
 だから僕の企画書を一瞥もせずにシュレッダーにかけることが出来るんだなぁ。などと感心している三下に、碇は言った。
「そんな力全然ないわ」
 そうして碇は10名分の応募用紙を床から拾い上げ、参加者名簿を作り上げた。それが本当に金木犀の花言葉に相応しい人物たちであったかどうかは…分らないのだが。


<加賀美由姫(カガ・ミユキ)・今野篤旗(イマノ・アツキ)>
 落ち葉の香り、高い空。大学のキャンパスにはもう秋の気配が漂い始めていた。本当ならば授業の無い土曜日の午後。芝生に座り、紙パックのオレンジジュースを啜りながらぼんやりとしていた今野篤旗は、目の前で足を投げ出し寛いでいる加賀美由姫に向かい、何気なさそうに、しかしとても重大な事をぼそりと呟いた。
「……あんな。ここだけの話やねんけど…。僕が思うに、どーもいっちゃんはミドリさんに気があるらしいんや」
 『いっちゃん』とは、今野と仲良しこよしの大学助教授・神楽五樹(カグラ・イツキ)のことである。 仮にも助教授を「ちゃん」呼ばわりとは何事か、と言われそうな所だがそこはそれ、自分と同じ関西人であり、初めて出会った時から今も変わらない、カジュアルな服装ばかりの神楽を、しばらく学生と勘違いしていた名残で、今野はどうも彼に敬語を使う気になれないのだ。
 そんな今野のヒミツ話に、美由姫は呆れたように軽く肩を竦めた。
「やだなぁ、あっちゃんったら。今更気付いたなんて言わないでよね? そんなのずっと前から分ってたじゃない」
 美由姫と、大学司書を務める守屋ミドリは気の合う友人同士だ。ミドリの、天然そうに見えて実はしっかり者…と見せかけてやはり天然、といった所が美由姫のさばさばとした性格に合うのだろう。
「へっ、そうやったん? いっちゃん、なんやいつも図書館うろうろしとるなぁて思っとったんやけど」
 今野は心底意外そうな顔をして美由姫を見る。
 美由姫は溜息を付いた。彼女が思うに今野はちょっと恋愛事には疎い。ちなみにちょくちょく大学まで遊びに着ている美由姫の方は、神楽のミドリへのアタックにとっくの昔に気付いていた。
「いっちゃんのアプローチは健気だけど、あれじゃミドリさんには通じないよね。ミドリさん天然だもん」
 2人はしばし考え込んだ。
 今野の脳裏には、大学構内で迷っていた所を親切に助けてくれた神楽の、頭が良い癖にぱっと見アホそうな笑顔が浮かんでいたし、美由姫の脳裏には天然大魔王・守屋ミドリの将来に対する不安が過っていた。
「なぁ、先月の月刊アトラス読んだ?」
 妹に対するような気さくさで、今野は美由姫に問いかけた。そう、この2人こうして仲良さげにしているのだが、別段恋人同士という訳ではないのだ。今野には片思いの相手がおり、そんな訳で、美由姫はただいま彼氏絶賛大募集中である。
「麗香さん主催の企画が載ってたね。『金木犀の君』とか言うの」
「僕いっちゃんに言うて、ミドリさんを推薦させようと思うねん」
それをきっかけ2人を接近させようではないか、と今野は美由姫に持ちかける。「それにミドリさんやったら金木犀の花、丁度似合うやろ。小っこくて可愛らしい人やから」
 だったら何で今目の前に居る私を推薦しないのよー! と美由姫は思うが。
「うん、いいよ♪」
彼女は頷き、一見素直に立ち上がった。「じゃあ私、ミドリさんの所へ行って来ようっと」
「募集用紙出してまうまで、ミドリさんにはこの話内緒やで!」
 駆け去ろうとする美由姫に声を掛けるが、美由姫は大丈夫、というように笑って去っていった。今野はその笑顔に何か不吉なものを感じ背中をゾクゾクさせた。
 無論今はまだその理由は分らない。彼も立ち上がると弓道の稽古に出る為、逆方向へ歩いていった。


<神楽五樹(カグラ・イツキ)・守屋ミドリ(モリヤ・ミドリ)>
 大学図書館の中はいつでも静かだ。秋の長い光が窓から差して、本の背表紙を焼かないように白いカーテンを閉め、守屋ミドリは蔵書整理を続けようと本棚に向き直った。
 彼女はとても背が低い。細い腕には重そうな専門書を数冊抱えたら、幾段かある踏み台をよろけつつ登らなければ、4段より上の棚に手が届かない位だ。
「おっとっと…」
 6段目に本を押し込めようとして、彼女は背を反らし過ぎてバランスを崩し、もう少しで踏み台から落ちそうになった。
「危ないっ」
 そんな彼女の身体を支えた腕があった。彼女は空中で支えられるようにして、きょとんと黒い瞳を丸くする。
「あら…神楽さん、こんにちは」
 彼女は腕に支えられたままにっこりと微笑んだ。挨拶された神楽五樹は、呆れたように彼女を床に下ろす。
「あのねミドリさん、今俺が来てへんかったら、後頭部から床に激突しとったよ? 危ないからそんな沢山本抱えて登ったらあかん、ていつも言うとるでしょ」
 諭すような口調の裏で、神楽は心臓を跳ねさせていた。ミドリは彼の片思いの相手である。そんな女性を事故防止ながら腕に抱えて、平静でいろというほうがおかしい。
 カジュアルな服装の上に白衣を引っ掛けただけの、この背の高い男性を見上げて、ミドリの顔が青くなる。今漸くその危険性に気付いたようだった。
「ごめんなさい…」
「あ、謝ってもろても」
「ありがとう」
 花がほころぶような柔らかい笑みに神楽は見蕩れてしまう。授業の合い間、出勤の途中、昼飯時。暇を見てはこうして足蹴く通って話しかけているのに、この女性ときたら、一向に自分の気持ちに気付いてくれない。気付かせるにははっきり面と向かって告白するしかないのかと思うものの、そんな勇気は今のところ無く…。
 風が吹いて、白いカーテンを揺らした。外から淡い金木犀の香りが漂ってきた。
「あ、そういえば…」
ミドリはその香りに思い出すものがあった。「月刊アトラスで『金木犀の君』っていうコンテストをやるんですって」
 言いながら、さりげなく積まれた本を手に取って高い書棚に納めて呉れている神楽を、横目に見上げる。彼はとても背が高くて、こんな仕種も苦労無くしているのが少し悔しい。
 言われた神楽はドキリと動きを止めた。
「へ…へぇ? …なんやろその金木犀の君…っていうのは」
 本当は知っていた。学生で友人の今野篤旗から話を持ちかけられていたからだ。ミドリをそのコンテストに推薦して、それをきっかけに親しくなってみたらどうだ?と。
 一も二も無く頷いた神楽は、既に自分の名前でミドリを推薦し応募用紙を出しており、無事出場が決定したなら…いや、ミドリだったら必ず出場できるに違いないのだが…それを口実にお茶の約束くらい取り付けるのだ!と心に決めていた。
 美味しいケーキの店などチェックしておかな…などと神楽が楽しい会話を妄想しつつニヤケていると、ミドリが隣でうふふ、と楽しげに笑った。
「実は私、美由姫ちゃんと相談して、そのコンテストに篤旗君を推薦したんです」
「ぶっ…。そ、それは……初耳」
 内心の動揺を押し隠し、神楽は本を棚に入れる手を早め、ミドリは気付かず楽しげに続ける。
「私結構篤旗君には似合うと思うんですよね、金木犀。あのささやかな花の感じとか」
 でも、篤旗くんには内緒ですよ。とミドリは唇に指を当て、神楽を可愛らしく見上げた。
── 済まん、篤旗。俺にとってミドリさんの言う事は絶対やねん。
 神楽は遠い空(?)の下にいる今野篤旗に向かい、そっと同情の気持ちを送った。
 今野とミドリの出場が決定した、という知らせを受け取ったのは、それから直ぐ後のことである。


<コンテスト会場 〜瀬水月隼の勝手なデータ収集>
 慌しい雰囲気が辺りを包んでいるのは、突然決められて急ピッチで進められたこのコンテストの主催者・碇麗香が、月刊アトラスの平社員たちを手足のように使い、スタジオ内部の飾りつけやらカメラ位置の調整をやらせているからだ。まるでTV番組のプロデューサー並みのセンスと指導力である。
 そんなスタジオの片隅で辺りの様子を眺めているのは瀬水月隼(セミヅキ・ハヤブサ)。整った顔立ちだが、まだ多少の幼さを残す青年である。彼は膝に抱えた薄型ノートPCをこっそり勝手にその辺の電源に繋いで立ち上げていた。ちなみに彼自身は出場者である『瀬水月』桜夜(セミヅキ・サクヤ)という女性の着替えを待っている所だ。
 どうやらこのコンテストは、『金木犀というお題に相応しい得意技披露・兼自己紹介にて審査』されるとの事。桜夜は「仕込まれといてよかったわー! 家元もシッポを巻いて逃げ出す茶道の腕前、ここにお披露目よー!」などと息巻いて着物に着替えに行ったが、果たして家元が逃げ出したのはどういう理由だったのだろうか、と彼は密かに案じていた。
 と、丁度その傍にあった扉が開いて、一組の男女が入ってきた。
 瀬水月はきらりと金の瞳を光らせて、こっそり彼等のデータを取り始める。
「もぅ! 神楽(カグラ)さんったらどうして黙ってたんですか!?」
女性は酷く不服そうな顔をして、背の高い男性を必死の様子で見上げ「私に内緒で応募してたんて」とぷぅっと頬を膨らませている。
「そないに怒らんといてくださいよぉ…ミドリさん」
 元々は篤旗が言い出したことなんですから、とその男性は言い訳めいた事を言っている。
 ミドリと呼ばれた女性は緑の髪を短く三つ編みしているが、その先っぽは肩先でぴんと跳ね上がっており、丸細い眼鏡も鼻からずり落ちそうに引っかかっているせいか、怒っている割にはどことなく愉快そうに見えた。
「あ〜あ、美由姫(ミユキ)ちゃんと今野(イマノ)君が来たら、あの2人もとっちめてあげないとね」
 2人はスタジオの隅のほうへ、なにやら言い合いながら歩いて行ってしまい、次にやって来たのは背の高い美人と迫力ある大男だった。2人の幅に大分差がある。たとえて言うなら綺麗な曲線を描く硝子の水差しと、樹齢1000年の節くれた大木、といった風か。
「お仕事のほうは大丈夫だったの? 荒祇(アラキ)さん」
「多少目を離したところで騒ぐような、情けない部下など持っていないからな」
「あら…」
 大人ムード満点の2人組。女性のほうは、主催者である碇麗香と顔見知りのようだった。シュライン…と名を呼ばれ、2人は瀬水月の目の前を通過して歩いて行くのを瀬水月は見送った。
 と、そこへ一人の少女が息を切らせて駆け込んできた。中学3年か高校生か…兎に角自分と同じくらいの年齢だろう。
「あっ、あのぅっ。もうコンテストの説明終わっちゃいました!?」
 一番手近にいた瀬水月に向い、顔が触れそうになるほど近く彼女は尋ねてくる。
「なんかとりあえず得意技披露とかって言ってたけど。そろそろ始まるんじゃねーの?」
 彼にしては親切にそう教えてやると、相手の顔は真っ青になった。
「ええっ! そんなの聞いてない…な、何したらいいんだろ…」
そんなの知るか。と彼が言おうとしたその時、彼女は先程立ち去って言った美女の姿に気付いたようだった。「シュラインさんだ! 良かったぁ!!」 などと言いながら、あっという間に姿を消してしまう。スタジオの隅の方から「あら…みかねちゃんじゃない。あなたもコンテストに出るの?」などという会話が聞こえてきた。
 その時突然目の前に何かを出され、瀬水月はキーボードから手を離し、反射的にそれを受け取った。見ると金木犀の一枝。ほのかな香りが薫る。
「はい、どうぞ」
その女性は、名前は知らないけれど春先に良く見かける白い花と金木犀とを両方抱えて、瀬水月に言った。「お仕事大変ですね。今日はどうぞよろしくお願いします。頑張って下さいね」
 小首を傾げると柔らかそうな黒髪がさらりと流れる。
「…はぁ」
 何か勘違いされているらしい。と思いつつ彼は、いそいそと碇麗香のほうへ向かって歩いて行くその背中を見送った。見蕩れている、とでも見られたら、彼の連れである桜夜の良く磨き上げられた爪で、悋気の一撃を食らったかもしれないが…。
 と、その時だった。
「おっ、居たぞ!」
「彼でいいんじゃないか!?」
 瀬水月の前にスタッフらしき人影が立ちふさがった。勝手に電源を借りていたことで怒られでもするのか!? などと構えた瀬水月だったが、いきなり両脇をがしっと掴まれ立ち上がらせられた。
「なっ…なんだっ!」
「いやー、済まんね、実は参加するはずの子が一人、風邪で来られないって話になっちゃってねぇ。悪いけど君、出てくれないかな」
「だっ、ちょ…待て!」
「椅子もテーブルも余るとこれから支度が大変だから。ね、助けると思ってくれよ。丁度瞳も金色だし、金木犀の君って事で、ね!?」
 最後の『ね』は有無を言わせぬものだった。瀬水月はスタッフに連れ去られ、後には彼ノートPCだけが、電源を入れられたままポツリと残されていた。


<コンテスト前の一騒動 〜今野篤旗のささやかな災難>
「何で僕まで出なあかんねん! 聞いてへんよ!」
 駄々をこねる今野篤旗の首根っこは、彼の友人である加賀美由姫の細腕でしっかり捕まえられ、更衣室の室扉に押し付けられていた。
「ミドリさんも確かそう言ってたけど、やっぱりそこは大人よね。お願いしたら渋々だけどきちんと引き受けてくれたよ。あっちゃんと『全く』同じ立場だっていうのにねぇ、ウフフ」
 これは私を推薦しなかったからよ! などと彼女が心の中で呟いていた。かどうかは今野には分らないが、少なくとも美由姫はこの状況を酷く楽しんでいる様子だった。
 コンテストでは各々得意技とやらと示さねばならないのだという。当然ながら参加するつもりは無かった今野にそんな用意などなし、まさか特殊能力である温度調整で、炎の発火とか氷作りなどできない。違う意味で雑誌に載ってしまうに違いないから。
「一芸の事なら心配しなくていいよ。ちゃーんと中に用意してあるし」
更衣室をちらっと見る。「それにあっちゃんを優勝させるべく! 私たちが『スパイ&暗躍』してあげるから」
「頼むから余計な事せんといて…っ」
 その時突然、隣のドアが開かれた。
「ちょっとぉ! うるさいわねぇ、お化粧に集中できないじゃないの!」
 仁王立ちになっているのは、濃赤紫の地に淡桃の小袖を着た、栗茶色の髪の女性だった。
「す、すんません!」
 今野が思わず謝ってしまったのは、彼女が顔立ちのはっきりとした美人でありながら、彼と同じ位背が高く多少ハスキーでドスの効いた声をしていたからだ。
「やーい、あっちゃん怒られた〜!」
 子供がからかうように美由姫が言う。誰のせいやねん! という突っ込みは心の中でのみ。
 だが、相手は突然はっとしたような顔になり、今野と美由姫の後ろを見てにっこり艶やかに微笑んだ。
「やだ、そんな所で何やってるの」
 振り返るとそこにはスタッフと思しき二人組みに両脇を抱えあげられ、じたばたしている青年が居た。
「瀬水月さんのお知り合いの方ですか? 済みませんがこの方を出場者として登録させていただきました。人手が足りなかったもので。宜しければとっ捕まえてご一緒に参加していただけたらと」
 今野の見ている目の前で、その瀬水月と呼ばれた青年は、彼女の腕に引き取られた。
「嫌だ…俺は…っ コンテストなんか…っ!」
「人手が足りないなら私が出てあげるのに」
 などと隣で呟く美由姫の言葉は聞こえなかったようだ。スタッフは行ってしまい、今野は更衣室の中に連れ去れる瀬水月とやらの後ろ姿を、同類病哀れむ視線で見送った。
「今の女の人、男子更衣室に入って行っちゃったけど、いいのかな…」
美由姫がポソリと呟いた。中からはなぜか悲鳴が聞こえる。「ま、いいよね! あっちゃん、頑張ってね〜! じゃ私はとりあえず碇さんの所に遊びに行ってきま〜す♪」
 そうして彼は、更衣室の前にぽつんと一人取り残され、恐る恐る扉を開けた。
 そこには阿鼻叫喚の元となる風景が広がっていた。
 すなわち先程の着物美人が、連れて来られた若者の上に馬乗りになり、裸にひん剥こうとしている、という場面。
 今野篤旗は思わず扉を閉めた。
── 良い子は見たらあかん図やった…。
 顔を青くしながら扉の前で竦む。だがしばらくすると中の悲鳴は止み、すすり泣く声に変わった。そして突然、扉が開かれた。
 そこには先程の青年が、…いや、青年…か?
 髪色は深い青、瞳は金で彼に間違いないのだが…ああ、何と言う事か。
 大変素敵なターコイズブルーのチャイナドレスを着てらっしゃった。 
「ごつい別嬪さんにならはったね…」
 今野はぽつりと呟いて、それから有無を言わさず更衣室に連れ込まれたのだった…。


<コンテストが始まるぞ 〜朧月桜夜(オボロヅキ・サクヤ)の華麗なる変身>
「まぁ…ステキ」
 颯爽とスタジオ入りした朧月桜夜(今日は瀬水月桜夜と名乗っている)は、秋月霞波(アキヅキ・カナミ)の感嘆の溜息を聞きつけて、そちらに向かって上品に微笑んだ。先程、更衣室で今野篤旗(イマノ・アツキ)と瀬水月隼(セミヅキ・ハヤブサ)をその腕にとっ捕まえ、強引に化粧を施していた人物と同じとは、到底思えない。
「金木犀の時期に冬の重ねとは粋な事をする方がいたものだわ。…荒祇(アラキ)さん、頑張ってよ?」
「…さて、な」
── うふふ、これよ! これ! イヤーん、視線が気持ちいいっ。
 末はモデルか花嫁さんよね、と常日頃思っている彼女の正体は、実の所は陰陽師なのだが今日はそちらの出番が無いといいなと思っている。怨霊調伏の時は、つい下品な言葉遣いやらになってしまう事が多いから。それでは金木犀の君とは言いがたくなってしまうだろう。
 だが、その時彼女はスタジオの視線が彼女だけではなく、後ろの2人組みにも注がれていることに気付いて、はっと振り返った。
 一人は勿論、彼女が衣装のスペアにと持ってきていたターコイズブルーのチャイナドレスを着せられた瀬水月隼。元々顔立ちの整っている青年なので、桜夜の加工の腕前も相まって女性と見まごうかという出来栄え。故に桜夜は大事なダーリンが注目を集めている事にも大変満足。だがやはり本人は相当不満気なご様子。
 だが問題はもう一人。
 俺に化粧するならコイツにもしてやれ! とは瀬水月の台詞で、彼は全く偶然その場に居合わせたというだけで、巻き込まれた哀れな青年である。
 けれど彼の言う『用意されていた衣装』には黒髪セミロングのカツラも入っていたし、彼もそれを望んでいたと思うんだけれども。などと桜夜は先程の更衣室での出来事を思い返し。
 弓道着姿の今野と、チャイナ姿の瀬水月を横目でちらりと眺めた。
── うん、大丈夫、やっぱりアタシの方が美人だわ!!
 と、その時彼女の耳にこんな会話が聞こえてきた。
「ちょ…ちょっとヤダあれ、あっちゃん!?」
「…篤旗、芸の為なら我を捨てるか…流石は関西人だ!」
 びっくり顔の加賀美由姫(カガ・ミユキ)となぜか拳を固め感涙にむぜぶ神楽五樹(カグラ・イツキ)。その隣で守屋(モリヤ)ミドリが溜息を。
「今野君、とっても似合ってるわ」
「え…今野…篤旗…って」
と言ったのは結局一芸が思いつかずにいた志神(シガミ)みかね。「あれは今野さんなんですか!?」
「あれっ、あっちゃんと知り合いなの?」
 美由姫が人垣越しに尋ねると、みかねはこくりと頷いた。
「でも以前お会いしたときは男性でしたけれど…」
 今も男性です。と神楽は心の中で突っ込んだ。
 桜夜は、ニヤリと微笑んだ。なるほど彼があれほど嫌がっていたのはそういう訳であったか。
 すすすっと、その後ろに瀬水月を従えて近寄って行く。
「こちらも実は男性なのよ♪」
瀬水月は、余計な事を言うなぁ! と言わんばかりに桜夜の袖を引いたが、彼女は全く気付かない。「そちらのあなたもいかが?」
「いっ…俺!?」
 ぎょっとした神楽の表情を楽しんでから、桜夜は「冗談ですわ」と付け加え、女性陣の会話の中にするりと入り込んだ。
「今日出場される方たちでしょうか? …初めまして、瀬水月桜夜、と申します」
深く丁寧な礼をして、普段は使わぬ言葉を使う。「で、こちらは夫の瀬水月隼ですの」
「だ、誰が夫…! 痛あっ!」
 草履を履いた足が彼の足を思い切り踏んだのを、その場に居たほぼ全員が見た。
「まぁ…変わった旦那様をお持ちですね」
見ていなかったのは霞波だけ。「お若く見えますけど、お似合いのご夫婦です」
「有難うございます」
 おいおい、という心突っ込みがいくつか…。
 そこに、背中を丸めながらも、今野が大股で歩いてきた。
「美由姫ちゃん…ミドリさん…」
わなわなと震えているのは、決して恥ずかしさだけではあるまい。美由姫はここに従姉妹が居なくてよかったなぁと思っていた。彼女の従姉妹に今野は惚れているし、従姉妹というのは冗談が通じない人だから。
 ちなみにその従姉妹を『金木犀の君』に推薦しようと話を持ちかけた時、彼女はただ薄っすら笑って無言の威圧を掛けてきた。
── あれは、金木犀っていうか…黒薔薇って感じだった?
 思い出し、身を震わせた美由姫の心情など知らず、今野がミドリと神楽に突っかかっていた。
「なんなんやこれ!女ものやないですか!」
 桜夜に付けられたマスカラで重くなった目を尖らせ、胸当てを叩く。
「だって、金木犀の君って、女性じゃないとダメかしらって思ったから」
 しれっとミドリが答え、それを聞いた神楽がぷッと噴出す。
「そんなに嫌なら着なければ良かったのに」
 ちなみにそれ、私のだよ。丈がやっぱり足りなかったねぇ。と言った美由姫の言葉に、今野は後ろを指差した。そこには荒祇と話している瀬水月と桜夜の2人の姿。
「あの人らに押し倒されて無理矢理っ…」
 だが『あの人ら』といわれた桜夜たちは、いつの間にか荒祇天禪となにやら低い声でぼそぼそと相談事をしていた。
「ほぅ…だったら俺もそれで行くか。…というわけだシュライン。それでいいな?」
「貴方がいいならいいわよ。勿論。楽しみにしてるわね」
 何やら異様なオーラを放つ一団である。色をつけるなら紫とか黒とか朱とかパッションピンクに違いない。が、桜夜たちは勿論それには気付かずに、怪しい…いや違った。たとえ正当だとしても怪しげに見える相談を続けている。
「だけどその場合、優勝はどっちになっちゃうの?」
 荒祇の考えを聞かされた桜夜は、納得しながらも、その鮮やかな赤い瞳で荒祇の顔を覗き込んだ。
「俺はそこまで知らんが。同じ事をするなら、審査員も純粋な芸の出来不出来で判断するだろう」
「うふふ…それは宣戦布告…って捕らえてもいいかしら?」
 それは桜夜の化けの皮が剥がれ掛けている瞬間であり。
「どちらとでも取ればいい」
 2人の間に火花が散った瞬間でもあった…。
 瀬水月はもう何も言うまい、と諦めてシュラインに目配せし。
 シュラインは呆れたような面白がって居るような目をして、他の皆に合流するべくその場を退散する。
 そこで、じっと何事かを考えていた霞波が、小さな声で言った。
「ええと…日本にある金木犀は…全部雄株なんですけれど……」
振り返り、言い合いしている二つの集団を眺める。「…別に、関係ないみたい…かな?」


<コンテストは序盤戦 〜志神みかねの「一人じゃないって素敵なことね♪」>
 三下忠雄が、こほんと息をついてマイクスタンドの前に立った。暑ささえ感じるほどに照らされた灯りで、どうやら酷く緊張しているようだ。
「このたびは『金木犀の君』コンテストに参加してくださって有難う御座います。先程発案者であります碇麗香編集長からの開催の言葉もありましたので、早速、こちらに並んでいただいた参加者の皆さんに、これより金木犀の君を思わせる一芸を披露していただこうと思います」
 志神みかねは、そんな三下を舞台の端から眺めつつ震える足で立っていた。ここに至ってもまだ芸が決まっていなかったのである。
 どうやら、先程まで同じく芸について悩んでいた(と書くとなにやら高尚な感じがするが)荒祇はさっさと、あの瀬水月桜夜という女性と共同で何かをすると決めてしまったようだ。
 取り残された状態のみかねなのである。
── どうしようぅぅ! 始まっちゃった
「では…エントリーナンバー1番、守屋ミドリさん、こちらへどうぞ」
 言われて出て行くのは、勿論名前を呼ばれたミドリだ。その背中をはらはらした様子で見送るのは更に勿論神楽五樹。
 ミドリは明るいライトに多少まぶしげな様子を見せたが、しかし演台の中央に進み出て、にこっと審査員席とそれから応援席にいる皆に向かって微笑んだ。
 どうも、緊張という言葉を知らないタイプの人間らしい。
「では…」
逆に見守っている方が息を呑む程だ。「…金木犀茶の効能について発表させていただきます」
 会場中が一斉にズッコケたのは言うまでも無い。
「じ…自信満々だったから安心してたのにミドリさんったら」…と、美由姫。
「天然もいいとこや…」今野は額に手を寄せる。
 神楽だけが「流石はミドリさん…教養が深い!」などと感動していた。
「上品な香りが特徴で、アロマテラピー効果も期待できます…」
 みかねは、そんなミドリの発表を聞きながら、次は自分の番だー次は自分の番だー!と混乱の極みであった。
 カタカタカタ…
 そんな音がし始めたのは、その時だった。
 ん? といった様子で皆が辺りを見回す。天井の照明が微かに揺れている。
「地震かしら…」
 と、言いかけたシュラインは、舞台裾で立ちすくんでいるみかねの様子に気付いた。
── あの子って確か…。
 今まで友人として付き合ってきた彼女の、その特殊能力に思い至る。
── 確か、極度に緊張したりするとコントロール不能の念動力が…。
「荒祇さん、ちょっと失礼?」
 同じく天井を見上げていた荒祇に一声掛けると、シュラインは彼女の傍に素早く歩み寄った。みかねは気付かずじっと舞台の方を眺めている。
「みかねちゃん」
 ぽん、と肩に置かれた手に、彼女の『力』が弾けた。シュラインの頬脇を何かが掠める。
 それに気付いたのは、陰陽師・桜夜と荒祇だった。
「伏せてッ!」
 桜夜は咄嗟に瀬水月の身体に手を掛け、床に倒れこむ。そして荒祇は
「破ッ!!」
 気合、一声。みかねの作った力の塊を四散させた。信じられない、と言った風の桜夜の視線が荒祇を見る。だが荒祇は何事も無かったかのようにただ舞台に視線を戻した。
「何しやがる、桜夜っ、どけってば!」
 何も気付いていない瀬水月は床の上でじたばた暴れ。
「まぁ…本当に仲良しなんですね」
 2人を見て、ぽっと頬を染めるのは霞波。
 治まった地震にホッとしたのか、舞台の方は暢気に続いている。
 一方、文字通り気の抜けたみかねに、薄々何が起きたのか知りつつシュラインは話しかけた。
「大丈夫? みかねちゃん」
「あ…シュラインさん。私、まだ何をしていいのか決まってなくて…凄く困っちゃって」
 我に返ったみかねは、自分が何をしでかしかけたか気付いていないようだった。
「そうねぇ…できることなら私が手伝ってあげたいけれど」
 自分は出場者ではないし、今から何かを用意するとなると。
「あの…差し出がましい申し出かもしれませんが…」
と、声を掛けてきたのは霞波だった「みかねさん、宜しければ私と一緒に何かしてみますか?」
「え…」
「本当に、宜しければ…なんですけど」
「いいじゃない、みかねちゃんやってみたら? 私も出来る限りは手伝うわ」
「は、はいっ!!」
 その時、みかねは霞波とシュラインの背中に天使の羽を見たという。
 こしょりと小声でなにやら相談した後、彼女達は材料を集めるべくスタジオを出て行った。


<コンテストは中盤戦 〜美由姫、ミドリのお騒がせな暗躍>
 自分の芸がすんなり済んで、ミドリは神楽たちのやんやの声に押されつつ舞台袖に戻った。
 後ろで次のエントリー者が呼ばれている。兎に角終わった事には万々歳だ。結果の方は気にしないし、後やる事といったら美由姫と今野をとっちめる事くらいだろうか。
「へぇ、次はコンビ組むらしいなぁ」
 そうとは知らない今野たちは暢気に舞台を見た。丁度志神みかねと秋月霞波が審査員に向かい、一緒にペコリとお辞儀をした所で、その姿はまるで仲の良い姉妹のようだ。
「篤旗ぃ、折角美人さんになったんやから、その態度をどうにかせぇや」
 腕組みをして足を開き立っている姿は大変男らしく。カツラを被っていようと化粧をしていようとどうにもならないものらしい。少しはチャイナでその気になっている瀬水月を見習って欲しいものだ。
「放っといてんか」
「そないなわけ行くか。ミドリさんはお前の事優勝させたいて言うとったんやから。…ねえミドリさん。…って、あれっ」
 神楽が振り返ったその先には、ミドリの姿もそして美由姫の姿も無かった。
 さて、では彼女達が一体何処へ何をしに行ったかといえば。
「ここからが本番、ってね♪」
 加賀美由姫は薄暗がりの中、後ろを振りかえってウフ♪と笑っていた。四つんばいになって進むその場所は空気が蒸していて狭い。
「しー、静かに!」
 小声で答えるのは守屋ミドリ。そして今2人がいるのは…審査員席の『中』である。
 すぐ傍で、人の足が蠢いている。彼女等はその足に触れないように一生懸命、長い布の掛かったテーブル下を移動していたのだ。
「ミドリさん、準備はいい?」
 2人がこんな所に忍び入り、一体何をしようかというと、ミドリの特殊能力を使い、ちょいと審査員に細工をしよう、という事なのである。
 ミドリは意識的に保存した記憶を再生する能力を持っている。更にその時他人に触れることが出来れば、触れた相手にそのビジョンを送りこむ事も出来るのだった。
 彼女等が優勝させようとしている今野篤旗の順番になったら、ミドリが保存しておいた金木犀の記憶を審査員達に見せればいい。そうするだけでかなり今野の優勝の確立が高くなる筈だ。
「うん、大丈夫。あとは今野君の出番を待つだけね」
 そういって2人は顔をあわせると、審査員席の裾をこっそりと持ち上げ、舞台を見た。
 丁度霞波とみかねの芸が始まった所だ。いつの間にか舞台の中央には見事な金木犀が飾り付けられている。
 そしてその左手に立った霞波は、両手に包み込むようにコップ一杯の水を持っていた。
「水は我が友、我が力、水は決して私を傷つけたりしない…」
 澄んだ声が響く。と、手にした水が微かに揺らぎ始め、大変細かい霧となって、あたりに漂い始めた。
「うわぁ…綺麗ね」
舞台袖からそれを見ていた桜夜は瀬水月の腕を取る「水が生きてるみたい。…どうやってるのかは分らないけど」
「ふん…まあまあ、かな」
 そこで、みかねの出番だ。右手に居た彼女は何処からか持ってきたストローを吹いて、シャボン玉を作り始めた。淡い虹色、それが霧の中でなぜか割れる事も無くゆらゆらと登り、シュラインが照明係りに指示して、金木犀を照らし出す。みかねと霞波は、ゆっくりと舞台奥に数歩下がる。
「なる程。主役は花そのもの、というわけか」
 荒祇が呟く。その通り、霞波は初めから自分が前面に出る事は考えていなかった。
── あのね、お花を綺麗、って思って貰えたらいいなって、そう思うのよ…。
 とは霞波がみかねとシュラインに言った言葉で、みかねもそしてシュラインも勿論頷いた。
 この方法は、それから3人で考えたものだが、まるで初めから打ち合わせたようにしっかり呼吸があっている。ライトの下で何重にも虹が出来、オレンジの香りがシャボンの中に閉じ込められ水滴に乗って、審査員にも舞台袖の皆にも届く。思わず皆の顔が綻んだ。
 その顔を見て、みかねと霞波がこっそり視線を合わせ、酷く嬉しそうに微笑む。
「天然芳香剤、て奴やろか」
「いっちゃんアホやろ?」
 とりあえず突っ込みを入れてから、今野は困った顔をする。この後で出て行くのはかなり勇気がいりそうだ。
 霞波とみかねは最後に深くお辞儀をして舞台を降りた。みかねはかなりほっとした様子。
「次は、エントリーナンバー4番の今野篤旗さんです」
 三下の声に、テーブル下の2人の目がきらん☆と光った。
 今よ、と言わんばかりに布の中に姿を消す。後は審査員の足に触れればOKなのだ。
 だが、そうとは知らぬ今野は舞台の上に立ち、女性陣がいなくなってしまったのを不審に思いつつも、美由姫がやるはずだった的の設置を神楽が終える。ちなみに今野の化粧はそのままだが、カツラはとっくの昔に取っていた。別段女装趣味があるわけではないのだから。
 と言うわけで今はショートカットの美人に変身した今野は、腰を据えて弓を構え、打ち起こして引いた。
 美由姫が今野を表現する所の、『和』の空気が漂う。彼の喋る京都弁であるとか、彼の素朴な雰囲気が、金木犀に相応しいとは、彼女もミドリも認める所なのだ。
 一呼吸の後、矢は放たれてタン…と小気味良い音を立てて的に当たった。見事なものである。
 皆に注目される中の事で流石に緊張していたのか、今野は残心を終えて舞台を降りほっとした顔つきになった。審査員席からは拍手が上がる。
 そして美由姫とミドリがその隙を見てテーブル下から抜け出してきた。ささっと舞台裾に戻りつつ会話を交わす。
「ミドリさん、どうだった?」
 美由姫の問いに、ミドリは小首をかしげる。
「うーん…大丈夫だと思うんだけれど…なんだか手ごたえが??」
「?」
 ビジュアルが素直に伝わら無かった気がする。何か目に見えぬものに邪魔されていたような。「ふ…」
 荒祇天禪が、微かに笑った。


<コンテストは終盤戦 〜シュライン・エマの冷静なる視点>
 なかなか楽しい時間が過ぎている。シュラインと荒祇は割と静かなものだが、先刻から審査員席のテーブルの下に出たり入ったりしている者やら、ボケと突っ込みを繰り返している者。すっかり打ち解けた様子で言葉を交わしている姉妹のような2人も居る。
「さて、出番ね」
 そしてシュラインは、某コント番組のようにセット変えが始まっている。アトラスの社員達はいつもこうして麗香にこき使われているのだろうなと思うと、なんだか涙をそそられた。
 彼女はその時ふと、舞台のあちら側から送られて来る燃えるような視線に気付いた。
 栗色の髪の和装美人が、こっちを見ているのだった。
「けしかけたのは貴方なんだから、きちんと責任とってらっしゃい」
「さて、どうだったかな…」
 荒祇は、整った舞台…茶室を模したその座敷に上がっていった。そこには既に亭主である桜夜が待っている。荒祇は迷わず上座に座った。場がピリッとしたのは言うまでも無い。
 風炉に生けてある花は紫のヤマトリカブトであったりして、この勝負の行方を暗示しているかのようだ。
 そんな中、チャイナ姿で後からのこのこと座敷に上がり込んだ瀬水月は明らかに場の雰囲気に似つかわしくなかったが、得意技と言われてそのプログラミングの腕前をこの審査員達に見せても大した効果は無いだろうし、こんな場で披露する気も無い。データはタダではないのだ。
 そう、元々彼は桜夜の付き添いだけではなく、このコンテストに参加する『人間のデータ』のデータを取りに来ていたのだ。
── 人ってのは面白いもんだ。桜夜みたいに見た目あっけらかんとした奴にも、ヘンな意地とか隠し持ってる秘密はあるし…
 と、彼は横目に袱紗捌きを披露している桜夜に目を向け、それから隣の荒祇に目をやる。
── 人間じゃねぇレベルの威圧感持ってる奴も、それと平気で付き合ってる奴も居て。
 人のデータを取る、ことを趣味としているだけあって、彼は人を見る目を持っていた。但しだからと言って人と積極的に交流を持とうというタイプでもなかったが。
 こっそりペロリと舌を出している瀬水月に気付いて、シュラインはにっ、と笑った。
── あらあら。綺麗にしてるのは外見だけ、中身は一筋縄じゃ行かないかしら?
 そういうタイプは嫌いじゃない。
「お茶かぁ…私も小さい頃にはやったけど、忘れちゃった」
「お稽古事って必ずやったわよねぇ」
 美由姫が言うのを聞いて、ミドリが答えている。
「ミドリさん…可憐や…」
 何を想像しているのか、神楽がぼんやりしているが。ミドリは気付いているのかいないのか、続けた。
「そろばんとか、公文とか」
「残念やったな、いっちゃん」
 ぽん、と今野が神楽の落ちた肩を叩き、そして舞台上ではお手前が続いていた。
 シュラインは青い瞳に白い肌をした女性だが、日本の育ちだ。茶道具を見てよくも用意できたものだと感心する。桜夜が事前に決めておいたか持ってきたものなのだろうが、彼女の目から見ても上等の部類に入るものだった。
 桜夜が茶を立て始め、荒祇が菓子を取り瀬水月がそれに習う。彼の目には明らかに(作法なんて知らねぇ上に、足がしびれてきたぞ)と書かれていたが今のところは我慢しているようだ。
「どうぞお召し上がりください」
 見蕩れるほどに見事な仕種で桜夜が茶を差し出し、シュラインの元にも濃茶の香りが香った。
対して荒祇は軽く頷くのみにとどめ、大きく細やかな振る舞いでそれを受け取り、作法に則ってはいるが全くその通りでもない方法で、それを頂いた。
「みかねちゃんは、お茶を飲む?」
 霞波が傍に居たみかねを見て尋ねた。どうやらすっかり打ち解けた様子である。
「はい、紅茶も好きですし、日本茶も好きです♪」
「あら、私とおんなじね」
 にこっと微笑みあう二人は、なぜかどこかズレている。
「おい、これどう飲めばいいんだよ」
 荒祇から渡された濃茶に、瀬水月はこそっと桜夜に声を掛ける。だがそこに荒祇が言った。
「好きなように飲めばいい。美味いと思ったらそう言えばいいし、態度で示せばいい。心底からそう思えば自ずとある程度の作法に繋がるさ。特に今日の茶は…」
 と、荒祇はそこで桜夜に向き直った。
「美味い」
 桜夜の顔が、ほころぶ。
「そうね、まずは飲んでみてよ」
と、彼女は瀬水月を見て言った。「本当の作法については帰ってから特訓ってことで」
── お茶はまず相手の事を考えて点てるものだわ。
 様子を見ていたシュラインは軽く頷いた。茶の湯の勝負は、自分の仕掛けた心尽くしに相手が気付くかどうかのもの。そう、負けて嬉しいものなのである。
 どうやら荒祇は勝負に勝ち、桜夜は満足したようだった。
 気付かずとも橋渡しの役目を負った瀬水月は、それでもまだ眉根に考え中の皺を寄せていたが、足の痺れに耐え切れなくなったらしく、飲み干して返した。
 それを合図に、コンテストの最終戦(?)もゆっくりと幕を閉じたのである。


<グランプリは誰の手に? 〜秋月霞波が思う事>
 審査員席では先程からああだこうだの言い合いが続いている。
「やはり第一候補は彼女では?」
「いやしかし、私は彼の意気込みを買うが」
「金木犀という花を想像してみてください。私はあちらの方を…」
「ダメダメ、皆見る目がないな。僕は絶対こちらの2人を推しますね」
「組で選んでもいいならこっちでしょう」
 そして参加者の方はというと、全員控え室に集まって、審査の結果を待っていた。
 漸く化粧を落として普段着に戻った今野と瀬水月はなぜか心が通じ合ったらしく、鏡台の前に椅子を引き語らっているし、美由姫を間に挟んだ状態ではあるが神楽とミドリは、帰り道に寄って行く予定の珈琲が美味い店について話しているようだ。無事2人きりで行くことができればいいが…。
 荒祇とシュラインは部屋の奥のほうで立ったまま壁に凭れ掛かり何事か話している。どこか愉快そうな顔をしているのは先ほどの一芸に満足しているからなのだろう。そして霞波とみかねと桜夜は、月刊アトラスの麗香も含めて、先程みかねが芸に使ったしゃぼんを戯れに吹いてみたり、桜夜とみかねが持ってきていたお菓子などをつまんでいて、ここだけまるで女子高のようだ。ただ少々年齢の高めな方も混じっ…いや、なんでもない。
 霞波はコンテストの最中、終始ひっそりと舞台袖におり、全員の芸をじっくり見て感嘆の溜息など漏らしていたが、こうして終わってみると、このまま店に戻るのは惜しいような気がしてきた。
 考えてみれば、「水使い」としての彼女は水を戦闘の術として使う事も実は多い。色々危険な依頼を受ける事もあるからだ。けれども今日は戦いや争いの為でもなく、自分の身を守る為でもなく、こうして力を使う事が出来た。
── 皆さん喜んでくださって…それに、ここに居る人たち全員がお花好きなんて…幸せです。
 ほぅ、と満足の溜息を漏らす。だが前半はその通りだが、後半の「みんなお花が大好き!」については、大なり小なり個々の差が出そうである。
「碇編集長」
 ノックと共にドアが開かれ、呼ばれた麗香は歓談の間の柔らかい笑顔をすっと引き込めて立ち上がった。
「審査が終わったの?」
「え……ええ。まぁ…一応…」
 スタッフと思しき青年は歯切れ悪く答えた。
「何? 妙な顔して。…まぁいいわ。皆さん、スタジオの方へ移動をお願いします」
 彼女の声に彼等はめいめい立ち上がり、まるで観光ガイドに引率される観光客宜しく彼女の後をついてスタジオに向かった。

***
「え〜、では審査結果をお知らせします」
 いつの間に設えられたのか壇上に上がった審査員長、つまりは月刊アトラスの重役と思しき初老の男性が、おぼつかない声でそう宣言した。
「皆様を大変長らくお待たせし、こちらの審査員10名の意見を取りまとめ分析、検討したところ…」
「うだうだと続くわねぇ。待たせたと思うならさっさと発表しなさいよ」
 俯き加減ながらも小声で言ったのは勿論桜夜だったが、誰も彼女の台詞を否定はしなかったし、彼女の言葉遣いについても疑問を持っていなかった。
「え〜、あ〜、優勝者は…」
── 篤旗には悪いがここはやっぱりミドリさんやろ! …と神楽
── これだけ酷い目にあってまだ何かある…訳ないよな …と瀬水月
── はぁ…疲れた。もぉ帰りたなってきたわ。 というのは今野で。 だだ面白げに黙って見ているのは荒祇であり、シュラインは彼が優勝した場合、写真掲載も会社名を載せる事もNGだと断る術を考えていた。
 桜夜は勿論自信満々に背筋を伸ばし、もう優勝コメントを考え始めて居り、隣のみかねは、文化祭のお知らせは優勝した人にして貰えばいいんだ! と思い付いて明るい顔をしていて、優勝する気などさらさら無かったミドリとそして美由姫は、『本当は臭かった審査員の足元』まで忍んでいった苦労が報われます様に! と胸元に手を組んで祈っていた。
「優勝者は〜…え〜…」
 彼は、勿体ぶって紙を開いた。どうやらその中に結果が書かれている様子。
「荒祇、天禪氏と決定いたしました」
「えぇ!!」
 素っ頓狂な声が上がる。納得したような声も上がる。落胆の溜息も聞こえ、それからほっとした様な吐息も。
「皆さん大変金木犀の君に相応しく、可憐さ、気品、備えてらっしゃいました。しかしそれゆえ甲乙付けがたく…審査員一同大変頭を悩ませました。今回個人的なコンテストであった訳ですが、チームを組まれた方もあり更に審査は難航し、…我々はこの中であれば誰であっても優勝する資格があると考え……っ 涙を飲みつつ!!」
 彼は、手に持った紙をくるりとこちらに向けて見せた。
「最終的にグランプリを『アミダクジ』にて決定させていただきました! はるか中国大陸からいつ沈んでもおかしくない船に乗り大海を渡り切ってこの日本という国へやってきた金木犀という花の運!! これを試させて頂いたのです!」
 その時出場者たちの目に映ったのは、彼の持った紙を区切る縦横の線と、「かなみ」「いまの」「あらき」「ミドリ」「さくや」「せみづき」「みかね」と書かれた文字。どうやら漢字が書けない人間が作ったらしい。
「う…運…。アミダ…」
 全力を使い果たした桜夜ががくりと膝を付き、瀬水月は呆れたように、だが一応慰めるつもりで彼女に声を掛けた。
「おい…帰ろうぜ」
 そして差し出した手を叩かれる。
「やれやれだな…帰りに飯でも食うか? シュライン」
「どんなご馳走が出るのかしら? 店を選ぶのは私? それとも貴方?」
 荒祇とシュラインは、壇上の話が終わらぬうちに、さっさと引き上げ始める。
「こんなオチ、関西やったら許されへんで…うおー! ミドリさんを優勝させろやー!」
「ヤバイ、いっちゃんを止めるんや!」
「やっちゃえ、やっちゃえー!」
「どうして『力』が通じなかったのかしら…」
ふぅ、と頬に手を当てて溜息を付くミドリ「今野君が取ってくれたらケーキ代が出たのに」
 案外、可愛い花にもトゲがある…のかもしれない。
 それらの反応を見ながら、霞波はしみじみと納得したように微笑んでいた。
「きっと、とってもとっても悩まれたんですね。その気持ち、私にも良く分ります」
 これだけ『金木犀の君』に似合いの人ばかり集まったのでは、自分が審査員だったとしても、とてもではないが選ぶことは出来ない。
 が、彼女のそんな呟きは、誰の耳にも届いていなかったようだ。
 一緒に芸をしたみかねでさえ、碇の所へ歩いていって、こんな交渉をしていた。
「あのぅ…荒祇さんがいいって言ってくれたので、うちの文化祭のCM、ちょっと載せても大丈夫でしょうか……?」
 上手く行けば、今日のコンテストに風邪で出場できなかったみかねの友人へのいい土産話になる事だろう。
 少し困ったような顔をして、霞波は辺りを眺めた。
 すっかり気の抜けた参加者たちの前で、壇上の人物のみが唾を飛ばしながらこのコンテストの意義について熱く語り続けている。…そんな中。
「なんだかとっても……楽しい一日でしたね」
 彼女だけが、胸躍らせながら表彰式を待っていた。

<終わり>



<番外・三下忠雄の独り言>
 混乱と脱力の現場で、この一部始終をじっと見守っていた三下忠雄は、思った。
── だけどこの人達って大体、初めのあの選び方で選考に残ったんだから、凄い運を持ってるわけだよね。
 彼は、碇麗香のとんでもない出場者選出方法を思い出していた。あの時彼女がぶちまけた応募用紙の数は数千枚に及ぶ。つまりここにこうして居るという事は、彼等が千分の一的最高の運を身に着けている、という証明になるわけだ。
── それに比べて、毎日毎日、気が遠くなるほど碇編集長にこき使われている僕…。
 三下は、この後会場がどうなるのか、目に浮かぶような気がして涙をこらえた。
 どうか、僕にとばっちりが来ませんように。
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0515/加賀・美由姫(カガ・ミユキ) /女 /17/高校生】
【0527/今野・篤旗(イマノ・アツキ)  /男 /18/大学生】
【0703/神楽・五樹(カグラ・イツキ)  /男 /29/大学助教授】
【0557/守屋・ミドリ(モリヤ・ミドリ) /女 /23/図書館司書】
【0086/シュライン・エマ    /女 /26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0284/荒祇・天禪(アラキ・テンゼン) /男/980/会社会長】
【0249/志神・みかね(シガミ・ミカネ) /女 /15/学生】
【0444/朧月・桜夜(オボロヅキ・サクヤ)/女 /16/陰陽師】
【0072/瀬水月・隼(セミヅキ・ハヤブサ)/男 /15/高校生(影でデジタルジャンク屋)】
【0696/秋月・霞波(アキヅキ・カナミ) /女 /21/自営業】
※ 申し込み順に並べさせていただきました。
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■         ライター通信          ■
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『金木犀の君』これにてお終いです。いかがでしたでしょうか?
加賀さん、今野さん、シュラインさん、志神さん。いつも有難う御座います。神楽さん、守屋さん、荒祇さん、朧月さん、瀬水月さん。沢山のライターさんの中から選んでいただけて嬉しいです。有難う御座います! 今回初めて書かせていただきましたが、PCさんのイメージ的には大丈夫でしたでしょうか?(PC名で失礼致します)
今回のプレイングでは、互換性がある物を書かれてきた方もいらっしゃいましたし、PCさんらしい動きを書き込んできてくださった方もいらっしゃいまして、とても面白かったです。けれども、コンテストで何をするか、というのをOPでお伝えしていなかった事…今回の反省点です。次回はもっと明確に、やらせて頂きたいと思います。(しかし、水着審査を予測・希望されていた方が多かったですねぇ…そちらの方が良かったでしょうか…)
さて、ここで2つお伝えしておきたい事が。
一つ目は、「最後のアミダクジは実際にやりました」と言う事です。
ラストでは必ずグランプリを決めなければならず、碇編集長に優勝を横取りさせるという事も考えたのですが、3日ほど悩んだ末、済みませんがアミダで決めました。
(初めは「優勝は望んでいないけれど…」と優しいことを仰ってくださったPCさんは抜いてのアミダにしようとも思いましたが、文中に書かれている通り、7名様参加のアミダです。並びもそのままあの通りでした)当たった方の運というのは…凄いですね。
二つ目は、「今回はテラコンの相関図を使わせていただいたので、過去の依頼で出会っている事があった方同士だったとしても、残念ながら今回の物語上では、初対面になってしまわれた方も居ます」という事です。
当たり前と言えばそうなのですが、PCさんたちがいくつか一緒に依頼をこなすうちに仲良くなっていく過程、というのを描いていきたい…という、わがままな望みを持って居りまして…。
もし宜しければ相関図に複雑なる人間関係を(笑)登録しておいていただけると幸いです。この物語だけに限らず、色んなライターさんの書いた東京怪談も通してPCさん共々PLさんたちにも交流を深めていただけたらいいなぁなどと思っています。
では、またご縁がありましたら、一緒に物語を作って行きましょう!      蒼太より。