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廃屋と猫と亡くした記憶
我輩は猫である。名前はまだ無い。
いつの頃からか朽ちかけた廃屋の前に佇んでいた。
己が何者なのか、何故ここにいるのかわからずに
ただ、佇んでいる。
「……ってそう言ったんですか?猫が」
「言ったんです!猫が」
草間は目の前でぐぐっと拳を握り締め、力説した女性に困ったように頬を掻いた。
「で、あなたはどこでその猫を見たんです?」
「愛知県のT村の廃屋前です」
「愛知県?なんでまたそんな遠くで…」
「え〜?知りたいんですかぁ?」
眉を寄せ、口を尖らせている女性に草間は
「調査の為ですから」
と話を促す。
「実は、彼と心霊スポットに行こうって話になって。で、彼がその村には出るって言ったんです。でもぉ、本当は〜キャッ!」
何が恥ずかしいのか、照れながら顔を押さえた女性に草間のこめかみが引き付く。
「……で、どうするんです?調査依頼されるんですか?」
草間は今にも投げやりになりそうな気持ちを抑え、事務的な口調で言った。
「もちろん!だって気になりますから」
そう言って頷いた女性は正式に依頼人となった。
シュライン・エマはふっと本から顔を上げた。
役所の資料室に置かれた壁時計が真っ直ぐ目に入り、エマは一つ息を吐いた。
「……そろそろ着く頃ね」
エマは一人、先乗りして猫がいたという廃屋のある村の事について調べていた。
が、そろそろ後から来るメンバーと合流する約束の時間だった。
調べる事も一段落していたエマは、今まで読んでいた村の歴史について書かれた本を閉じると、席を立った。
「ここが例の廃屋?」
笹倉小暮は後部座席から降り、言った。
「あぁ、あの依頼者の証言が正しかったらな」
運転席のドアを閉めながら言った真名神慶悟を振り返り、小暮はまた視線を廃屋へと戻した。
廃屋は車道から離れたところにあった。
なだらかな山の斜面の中腹。
周りの木々がまるでトンネルのように生い茂り、その先に目的の廃屋が荒れたその姿を見せている。
「ふぅん・・・なかなか良いところじゃないか」
「そうか?俺はゴメンだね、こんな所は」
藤の木の化身である風見藤夜嵐が周りを見渡し嬉しそうに言った言葉に、慶悟は眉を寄せ、煙草に火をつけた。
「そーいえば、エマさんは?」
「あぁ、そろそろ来る頃だが…」
腕の時計を見、慶悟がそう言うのを見計らっていたかのように、一台の車がやって来た。
「…来たか」
慶悟達の後ろに停めた車から、一人の切れ長青い目が印象的な美女が降りる。
エマは三人の側へと歩くと、斜面の先を見た。
「あそこが廃屋なのね」
「あぁ。何か分かったか?」
慶悟の問いに、エマはこの短時間で調べ上げた事をまとめた用紙を誇らしげに顔の横にかざした。
「うわぁ〜すごい。エマさん」
感心しているらしいが、そんな風にはちっとも見えない小暮は眠そうな目を少し大きくさせ、エマの集めた情報を一枚取った。
「で、なんだって?」
藤夜嵐の言葉に、エマは入手した一部を読み始めた。
「この廃屋は山脇太一郎という人の所有物で、山脇家はこの山のふもとにあって現在もちゃんと人は住んでいるわ」
「……の割には荒れ放題だな」
「山脇太一郎さんは十五年前に他界してるわ。なんでも、彼の遺言らしいのよ。自分の死後もあの家には一切手を触れるな、だそうよ」
紙面から視線を外し廃屋を見たエマにつられ、皆視線を向けた。
「…一体、どう言う事かしらね?」
十五年の長きに渡り、ただそこに存在し続けた家。
きっとなんらかの秘密があるはず……
「ま、何にしても今回の依頼は猫だ」
慶悟の言葉に小暮は大きく頷く。
「そうそう。猫だよ、猫!待っててね、太郎〜♪」
「何?太郎って」
「その喋る猫の名前。考えて来たんですよー」
ヘラヘラと嬉しそうに言う小暮に、慶悟は眉を寄せる。
「太郎〜?猫といえば、タマに決まってるだろう」
どうやら、慶悟も猫の名前も考えてきていた模様。
「あら、ネコよ。音鼓!雄か雌かまだ分からないじゃない。だから、雄雌兼用の名前で音鼓。良いでしょう?」
ニコニコと言う藤夜嵐。
それぞれがそれぞれ名前を考えてきたらしく、お互いの間に見えない火花が散る。
それを外から傍観していたエマは呆れたように苦笑を漏らした。
と、そんなエマに小暮がいきなり矛先を向けた。
「エマさんは猫の名前、どれが良いですかー?」
「え?」
いきなり自分に話が振られるとは思っていなかったエマだったが、しばらく考え、苦笑交じりに三人に言った。
「そうねぇ……坊ちゃん」
『は?』
「坊ちゃんよ。漱石の小説のような事を言っていた猫だったから、話を聞いた時からずっと坊ちゃんと自分の中で呼んでいたのよ」
エマの答えに、四人は顔を見合わせ苦笑を漏らした。
「みんなバラバラですね〜」
「ま、その問題の猫に会ってから決めましょ。名前は」
そう言って歩き出した藤夜嵐に続き、小暮も歩き出す。
「だから、猫の名前が依頼じゃねーって」
「まぁ、良いんじゃない?名前が無いのは不便だわ」
「…あのなぁ」
くしゃっと頭を掻いた慶悟に笑みをこぼしたエマと慶悟も廃屋へと歩き出した。
廃屋に近づくにつれて、鬱蒼と茂った木々のせいか昼間なのに薄暗く、ひんやりとした空気へと変わってゆく。
緩やかな坂を登りながら、見えてきた廃屋の下草が絨毯のような玄関の前に猫が一匹、いた。
灰色と白の縞模様のどこにでもいそうな細身の猫。
「あ〜いた!」
途端に頬を緩ませ猫の側へと駆け寄る小暮に、猫は気付き振り返る。
「…いたな」
慶悟の呟きを聞きながら、エマは猫を観察する。
「やぁ。こんな所で何してるの?」
これまた笑顔で猫の側へとしゃがみ込み、藤夜嵐は猫の頭を撫でながら尋ねた。
『…わからん』
「わかんないんだ?何でわかんないんだろーねぇ?」
小暮はワシャワシャと体を撫で、後ろから猫の体を抱かかえる。
その間、猫は少し嫌そうながらもされるがまま。
それを良い事に、二人は猫を撫で続ける。
「本当に喋ったわね」
「あぁ・・・とりあえず、呪の祓いをやってみる」
慶悟の言葉にエマは頷く。
猫へと数歩近寄った慶悟は猫と戯れる二人に気にせず、印を切り始める。
「我、陰陽五行気を律し、ここに歪みし律を正さん…急々如律令…」
その言葉に反応するように、猫の体が震え、その小さな体から霊体が出てきた。
着物を着た一人の老人。
真っ直ぐ伸びた背と頑固そうに引き締まった口を持った老爺は、悲しげな瞳を地面に向けていた。
「どうやら、この人が猫に憑いていたようね」
エマは老爺に近づき、丁寧な口調で尋ねた。
「失礼ですが、あなたのお名前はなんとおっしゃいますか?」
エマの問いに老爺は首を横に振った。
『わからんのだ…己が何者なのか…』
「まぁ、それは大変ね。山脇さん」
猫の耳の後ろを掻きながら言った藤夜嵐に皆の視線が集まる。
「あんた今なんて言った?」
「山脇さんよ、この人。ほら、キミが調べたじゃないの」
藤夜嵐は、周りの木々から目の前の霊がこの家の所有者であると聞いたのだ。
そう、この家の所有者は一人。
エマははっとして持っているメモをみた。
「……山脇、太一郎さん?」
『山脇……太一郎……』
「何か思い出した?お爺さん」
小暮の問いにしばらく黙っていたが、やがてゆっくり首を振る。
「ダメかぁ…」
がっくりと首を垂れる小暮。
「ふむ…この家の周りには何も特別なものはなさそうだ」
帰ってきた式神たちを見て、慶悟は言う。
「何か、覚えている事。なんでも良いんです、頭に浮かんだ事とか気に入っている場所とか、何か無いですか?私たちはあなたの手助けをしたいのです」
エマの問いかけにしばしの沈黙。
やがて、山脇太一郎は廃屋を振り返った。
『……本…文机』
「それは家の中ね?入っても良いかしら?」
藤夜嵐の問いに山脇は頷いた。
家の中は淀んだ空気が満ちていた。
長年人が使っていなかった室内は、それでも形を留めていた。
「うわぁ…埃っぽい」
猫をまだ抱えたまま、小暮は鼻と口を抑えた。
「仕方ないだろう。十五年も無人だったんだからな」
渋い顔をしながら言った慶悟の脇をすり抜け、藤夜嵐は足早に廊下を進みながら言った。
「とりあえず、窓でも開けたいわ。空気の入れ替えしましょ」
「そうね。危険は無さそうだし、手分けしてしましょう。ただ、床を踏み抜かないようにだけは気をつけて」
エマの言葉にそれぞれ分かれて片っ端から窓という窓、扉という扉を開けてまわった。
お陰で家の中の間取りもすぐに把握する事が出来た。
そして、文机のある場所も。
「文机に……本。ここね」
そこは六畳ほどの和室で縁側に面した窓からは、松葉色した百合のひょろ長い茎が見える。
壁側に置かれた本棚には所狭しと本が並べられており、エマは背表紙を眺めた。
「…漱石の作品が多いのね」
並べられた本の内、一人の作家の作品が全て揃っているのは漱石だけで、大半を占めていた。
「ここがお気に入りの場所?」
藤夜嵐は訊く。
『……良く、ここに座っておった。訳も分からず、気がつくとこの場所にいたのだ』
ゆっくりと室内を見渡して、山脇太一郎は言った。
「この部屋に何か手がかりがあると良いが……」
と、小暮の腕の中の猫が、小暮の腕から離れひらっと文机の上に降り立った。
「どうした?太郎」
小暮が首を傾げ、頭を撫でてやると一声、にゃあと鳴いた。
そして、カリカリと文机を軽く引っ掻く。
「…ここに何かあるの?」
小暮の言葉に今度は反応せず、猫はひとつ伸びをすると机の上で丸くなった。
「開けてみるか?」
「…よろしいですか?」
慶悟の言葉にエマが山脇に確認を取ったのを確認すると、慶悟と小暮は引き出しを開けた。
中には筆や硯などの書道具。
山脇太一郎さんの遺品なのだろうか、眼鏡や煙管などがあった。
「何かある?」
丸くなっていた猫を抱え上げながら、藤夜嵐は二人の手元を覗き込む。
「手紙、かな?」
元は真っ白だったはずの封筒を取り出し、小暮は机の上に置いた。
それを見た、山脇の目にだんだん光が戻り始める。
『…雄一郎…そうだ。思い出した』
そう言って、山脇は天を仰いだ。
『私は雄一郎を…息子の帰りを待っているのだったな。あまりにも長い時が経ち、忘れていた』
「息子さんは今、どちらに?」
『わからん。あいつが十八の時に勘当して以来、会ってはおらん。……もう、二十年近くなるか』
少し自嘲気味に笑むと、山脇は本棚へ目を向けた。
『息子は漱石が好きでな。……家を出て行った後も漱石の作品が目に付けば、買い足してしまったものだ』
「私たちはどうしたら良いかしら?何をして欲しい?」
藤夜嵐の言葉に、老爺は静かに四人を見た。
『手紙を渡して欲しい。……それから、この家はお前にやる、と』
「……わかった」
力強く頷いた慶悟に山脇は頭を下げた。
そして、その姿を静かに消した。
「新しい依頼が増えたな……」
手の中の封筒を見、慶悟が呟く。
「そうねぇ…ただ働きになるでしょうけど、でもほおって置く訳にもいかなかったでしょう?」
「まぁな」
言ったエマに苦笑を浮かべる慶悟。
そんな二人の後ろで小暮と藤夜嵐は猫をかかえ、猫に問い掛ける。
「こんな所で一人寂し〜くいるより、俺と一緒に行こうね♪」
「私と一緒に行かない?おいしいマタタビ酒でもご馳走するわよ」
「俺と一緒に行くんですよ」
「いいえ。私よ」
火花散る二人。
だが、そんな二人を尻目に猫は体を手からすり抜けさせると、地面に飛び降り木々の間へと走り出す。
「あ!太郎〜」
小暮の情けない呼び声も届かず、猫は山の奥へと走り去っていった。
「あ〜あ……行っちゃった」
がっくりと肩を落とす小暮と藤夜嵐。
「野良は野良。あいつはここが気に入ってるんだろうよ」
猫の去って行った方を見ながら、慶悟は言った。
「そうかもしれないわね。……さっ!私たちは私たちの場所に帰りましょう」
エマは小暮と藤夜嵐を促して言った。
そして、廃屋は新しい主の到来を待ちわびて四人の背中を見送った。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0990 / 笹倉小暮 / 男 / 17歳 / 高校生】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家
+時々草間興信所でバイト】
【0389 / 真名神慶悟 / 男 / 20歳 / 陰陽師】
【0485 / 風見藤夜嵐 / 女 / 946歳 / 萬屋 隅田川出張所】
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■ ライター通信 ■
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皆様、初めまして。
壬生ナギサと申します。
今回の『廃屋と猫と亡くした記憶』如何でしたでしょうか?
喋る猫に関する調査は無事、終了しました。
その代り、新しい依頼が出来てしまいましたがそれは次回となります。
手紙の依頼は十月後半を予定していますので、よろしければそちらもよろしくお願いします。
皆様に考えていただいた、猫の名前。
結局猫は逃げてしまいましたが、とても興味深かったです。
ありがとうございました。
では、またご縁がありましたらどうぞよろしくお願い致します。
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