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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


霞峠のヨツンバイと幽霊車


■オープニング
 霞峠。
 霧が発生しやす一帯であり、急勾配の上り坂にヘアピンカーブの連続の下り坂というジェットコースターのような難所を含む場所である。
 週末ともなると、走り屋たちがその難所越えのタイムアタックに賑わうというそこで、最近とある噂が広まりつつあった。
 霧の濃い夜に、白い車が一台でそこを抜けようとすると、後ろから何かがついてくるという。
 バックミラーで確認すると、それは老婆なのだそうだ。皺まみれの老婆が白い着物をつけ、手と足で獣のようにアスファルトをけりつけながら、車の後を変わらぬスピードでついてくる。
 ドライバーはそれに気づくと恐ろしさのあまり、スピードを上げ、振り切ろうと必死になる。老婆はどこまでもついてくる。
 やがてカーブを曲がりきれず、車は峠のどこかで事故を起こす。事故を起こし転落した車を老婆は崖の上から見つめ、にやりと微笑むのだ。

 「俺、その『よつんばい』にあったんです」
 依頼者の青年は額に包帯を巻き、腕を三角巾で吊り、痛々しい姿をしていた。
 草間は、いつものこととはいえ(俺は霊能者じゃないのに)と、少し不満そうな表情を浮かべたまま、彼を見つめた。
 須藤慎太郎と名乗るその青年は、茶髪にピアスをいくつもつけた今風の若者である。走り屋が趣味なのだと自ら語った。
「俺の車シルビアだし、やばいなーとは思ったんだけど、あまり信じてもなかったし、そういうの。…でも、マジでそれついてきちゃってさ、…俺、振り切りたくて気づいたら120キロくらい出してたんだ」
 慎太郎は無事なほうの腕で頭をかいた。
 
 彼の車は、追跡してくる化け物から逃げ続けていた。急なカーブを普段以上のスピードで切りつづける。そのとき、突然彼の右側を一台の車が抜けていったのだという。
 それは黒い車だった。下り坂の急カーブ、しかも一車線。その危険な運転に思わず慎太郎は急ブレーキを踏んだ。
「ばっかやろう」
 叫ぼうとしてその目が見開いた。彼を抜いた車はそのカーブを曲がりきれず、正面のガードレールに激突するとそのまま真下に落ちていったのだ。
 事故だ!
 しかしそれは人事ではなかった。急ブレーキに耐え切れなかったタイヤがスリップし、慎太郎の車も斜め後ろのガードレールに激突し、そのまま後ろ向きに転落していった。
 ただ、慎太郎が落ちたそこは、木々が生茂る林の上で、彼は大怪我はしたものの枝や葉がクッションとなり、命まで失うことはなかったのだ。

「警察には言ったんだけど、そんな車ないって言われたんすよ」
 慎太郎は草間に言った。
「俺も事故現場行ったんだけど、事故の後はあるけど、車はどこにも見当たらないんすよね…あそこから落ちたら多分即死間違いないと思うんだけど…」
 そこは切立った崖だった。下は谷川。200メートルはあるかもしれない高さだ。
「仲間には幽霊車じゃないかって言われて…。もしそれが幽霊車だとしたら、なんとなく俺、助けてもらったんじゃないかなって思うんですよ」
 彼は胸ポケットから一冊の貯金通帳を取り出した。
「ここに30万あります。もしあれが幽霊車だとしたら、その車にお礼してやりたいんです。…どうか調べてもらえませんか?」
 くだけた口調がふと真摯になる。
 草間は軽く微笑み、振り向くと部屋にいた仲間たちに声をかけた。
「おい、みんなどう思う?」 

■■■■■
「噂には聞いてたけど…」
 助手席に座っていた高山・湊(たかやま・みなと)は少し青ざめた頬を、色白の手のひらでそっと包み、ため息をついた。
 16歳とは思えない抜群のスタイルを誇る彼女も、何故か少し小さく思える。その膝の上には漆黒の毛の猫が、深紅の瞳で、飼い主を見上げ、にゃあと声を出す。
「あら、酔っちゃった?」
 運転席にいるのはシュライン・エマ。大人の女性を思わせる、彫りの深い端正な顔立ちに、切れ長の美しい瞳を持つ美人だ。
「さっきから急カーブの連続で…」
 湊は小さく息をついた。いつもならこんなこと無いんだけどなぁ。考えごとをしていたのがいけなかったのかも。
 シュラインの運転が荒いわけでは決してない。霞峠のカーブの連続がきつすぎるだけだ。
 高い山間の表面をぐるぐると回るようにして伸びている道だ。急傾斜の長いカーブが続く道の真下が、急な崖だったりすることも珍しくない。
 もっとトンネルとか増やしたらよかったのに。
 この道が作られたのは、昭和40年代という。道も大分古くなっていて、アスファルトもずいぶん痛んでいる。
 その頃の技術ではトンネルを作るのに、今よりも莫大な費用がかかったのだろうか。全長で53キロメートルもあるその霞峠の間に、トンネルは2箇所しかないらしい。
『このくらいでへたばるとはね』
 黒猫の姿を今はとっている…膝の上の存在は使い魔と呼ばれるものだ。名前はサムという。
「もう、うるさい」
 ぽんぽん、とその小さな頭を小突き、湊はシュラインを見た。
「小豆町まであとどのくらい?」
「もうすぐよ。次の分岐で町に降りる道があるみたいだから」
 シュラインは、カーナビの画面を指差して、微笑んだ。
「事故現場はもっと先だよね」
「ええ。ここからもう少し先ね。先に小豆町の方から回りましょう」
「はーい」
 湊は返事をし、ふと膝の上に目をうつした。黒猫が何かにやりと笑った気がして、その鼻先をつん、とつつき返してやる。
『何すんだよっ』
「しーらない」
 具合の悪さも手伝って、湊はちょっと不機嫌だった。

■■■■■
 小豆町。
 そこは谷あいにある小さな町である。
 二人はそこで一度別れて、それぞれに情報を集めることにした。

 シュラインは資料館に行き、霞峠で起こった最近の事故や、そこに伝わる伝説や伝承などを調べてみることにした。
 こんなちいさな町では、滅多に見ることのない異国の血の流れを持つ美人を前に、資料館の職員も軽く頬を染め、緊張した面持ちで答えてくれた。
「…霞峠の伝承…ですか?」
「ええ、それを調べたいのです」
「それなら…」
 と職員が手渡してくれたのは、その一体の都市の歴史を載せた文献だった。
 その本によると、霞峠の辺りは一千年程前までは、龍の住む谷と呼ばれるものがあったり、修行僧達が荒修行に励む滝があったり、そこに住む仙人がいたりしたらしい。
 また平安時代にはちょうど今の山中遊園地のある辺りに立っていた城主が、隣国に攻め入られ、奮闘むなしくも敗残し、霞峠を命からがら逃げ帰るも、追っ手と裏切り者のためにはさみ討ちにあい、谷に突き落とされて多くの兵と共に亡くなったという。
 幾度かの干ばつや飢饉、流行病、大火事などにも見舞わているが、これはどこでも同じことか。
 シュラインはメモをとりながら、歴史書を熱心に見ていると、向かいの席に座っていた老人が話しかけてきた。
「…こんな辺鄙な町のことを調べて面白いかね?」
「ええ、興味がもてますわ」
 シュラインは老人に自分の名刺を差し出した。
 彼女の本業は翻訳作家であり、フリーライターだ。とはいえライターとしての仕事のほとんどは、他人の名前で出版される書籍の隠れた執筆者、ゴーストライターとしての仕事ばかりだが。
「ほう、作家さんか」
 老人は目を細めた。
「霞峠は不思議な場所じゃ。昔から色々な伝説があってのぉ、噂には事欠かない場所じゃよ。いろいろ調べてごらん」
「霞峠の中に、碑のようなものがありますか?」
 シュラインは思い切って老人に質問してみた。
「色々あるとも。古戦場の後の慰霊碑もあるし、交通事故の霊を慰める合同慰霊碑もある。昔は峠の下にちいさな集落があったんだが、がけ崩れで全部埋もれてしまったところにも碑がある」
「…なるほど…」
 交通事故の慰霊碑。そこかな、とシュラインが考えを巡らせると、職員席の方から一人の若い茶髪の青年が近づいてきた。
「ね、霞峠のこと調べに来たんですよね? もしかしてヨツンバイの噂?」
「それもあるけど…」
 シュラインはここがあまり私語をしては、いけない空間だと言うことは知っていた。
 なのに、皆が話しかけてくる。答えていいものなんだろうか。まあ職員が話しかけてくるくらいだし、いいか。
「幽霊車の方をね」
「…あれは半年前に死んだドライバーらしいよ。そういう評判」
 茶髪の職員は、シュラインの前に回りこむようにして座ると、にこにこしながら言った。
「オレ、この町でいちばんの情報通なんだって。なんでも聞いて。お姉さんみたいな美人の人のお役にたちたいなぁ〜」
 …ナンパか。
 シュラインは少し困りながら、彼から、その死んだドライバーの所属していたチームが、よく集まる喫茶店の名前を教えてもらって、向かうことにした。

 湊は、走り屋さんなら情報を持っているのではないかと思い、自動車工場の立ち並ぶ道のほうを黒猫のサムと共に歩いていた。
 そのうちの一つの修理工場で、休憩中らしいツナギを着ている青年を選び、声をかけた。
「ねえ、あのー」
 なんて聞けばいいのかな。悩んでいると、青年は声をかけてきた。
「どうした迷子か? この辺りじゃ見ない顔だね」
「いや、迷子じゃなくて。ちょっと噂を調べにきてるんだけど…聞いてもいい? 黒い幽霊車の話なんだけど」
「ほえ。噂を調べにか。…そりゃ、物好きなことだ」
 彼は汚れた手で頭をかきながら笑い、ふと、その手を止めた。
「ああ、そういえば、誰かが事故りそうになったの、変な車にすくわれたっていってたな。それってさ、黒のワンビアでなかった?」
「わんびあー?」
 湊はきょとんとする。
「シルビアにさ、ワンエイティのボディの前面部分だけ改造したやつだよ。結構、街中とかよく走ってるの、知らない?」
「…知らないけど、それが出るの?」
「ああ。最近の話なんだけどさ、峠の練習場で記録会してて、その中の一人がさ記録にこだわっちゃって、スピード異常に出しすぎてて、カーブで後輪もってかれそうになってるのに、そいつ無茶してそのまま次のカーブ行こうとしたんだよ。そしたら、突然後ろから、黒いのが追い抜きかけてこようとしたんだって。
 驚いてブレーキ踏んで、車を止めたらしいんだ。そしたらその黒い車はもうどこにもいなくて、他の仲間も誰もその車が峠から出てくるの見てなかったって話。
 そのままカーブ入ってたら、間違いなくスピンしてどっかに激突してただろうから、幽霊車が現れて助けてもらったんじゃないかって噂でね」
『…似てるね』
 サムが呟いた。湊も頷く。
「その人にこれから会えないかしら」
 修理工の青年はああ、それなら、と簡単な地図を書いて、二人に渡した。喫茶店の名前らしいものも書いてある。
「ああ、それならここに行くといいよ。黒ワンビア運転してたのは峠じゃ一人しかいないんだ。その人が所属してたチームの溜まり場だから」
 過去形の言葉を不審に思って問い返す。
 そのドライバーは半年前に既に事故死して、生きている人間ではもう無いらしい。
 そして、その喫茶店の名前は、合流したシュラインの聞いてきた名前と同じものだった。

 地図のとおりに歩いていくと、古びた喫茶店についた。民家の一部を改造して作ったようなそこの奥には、大きなガレージらしいものがあり、成る程車好きが集まりそうな場所である。
 店に入ると、そこには数人の若者が集まって、話していた。
「タケルのいってた人たち?」
 小柄な青年が、ドアを開けて店内を見回していたシュラインと湊に近づいてきた。タケルとはさっきの修理工の名前らしい。
「黒い幽霊車のことでお伺いしたいのですが…」
「俺、知ってるよ! その車のこと」
 青年は二人に大きな声でいった。
「黒いワンビアだろ。それって、秋平さんの車だよ!秋平兄貴、峠の守り神になったんだ!」
「…?」 
 湊とシュラインは顔を見合わせた。シュラインが尋ねる。
「秋平さんってどなたですか?」
 奥から初老のマスターが、「ケン、ともかく席にでも座って」と苦笑する。彼は二人をテーブル席に案内し、二人の正面に腰掛けて真剣な表情で語った。
「霞峠を常連にしている走り屋のグループはいくつかあるんだけど、その中に「サプライズ」っていうグループがあって。そこのリーダーが、河野秋平…。オレのアニキ分な人。
 滅茶苦茶カッコよくてさ、走り方もスマートで、峠じゃ誰もかなわなかったんだ。性格もよくて、みんなに慕われてて、…だけど半年前、事故を起こして200メートルの崖からまっ逆さまだよ。…即死だった」
 ケンは顔をしかめて、悪い思い出を振り払うようにクビを横に振った。
「それからしばらくして、峠に時々黒いワンビアが走るって噂が出るようになって。しかも大抵、事故を起こしそうなひどい運転する奴を止めるために現れるらしいんだ。
 間違いなくそれは兄貴だよ。兄貴はそういうやつだもん…死んでからもそうやってみんなのことを守ってるんだ…」
 そう言ってケンは深くうなだれると、紙袋をテーブルの上に出した。
「もし、もし兄貴に会えたら、これ渡してくれないかな」
 黒猫のサムがテーブルの上に乗り、紙袋を覗き込む。
「もうお行儀悪い!」
 湊が叱ろうとすると、サムは『バナナが入ってるな』と伝える。
「バナナ?」
「ん、正解。よくわかったね。兄貴の大好物なんだ。…すぐには行けないけど、近いうちにオレも花供えに行く。そう伝えてくれよ」


■■■■■
 真名神・慶悟(まながみ・けいご)は小豆町の駅前に降り立ち、一台のタクシーを止めた。
 白いマークツーの個人タクシーだ。
「お客さん、ここいらの人じゃないね」
 運転手は四十代くらいだろうか。威勢がいいくらいの元気な声で、バックミラー越しに慶悟の姿をじろじろと見る。
 確かにこんな静かな田舎町では見かけないタイプなのだろう。黒いスーツに派手な色のシャツ。奇抜なネクタイ。金に染めた髪、片耳だけのピアス。
「すまんが、霞峠を抜けて、山中遊園地の方向に向かってもらえないかな」
「なんだって」
 慶悟の声に、運転手は驚いてみせる。
 時計の針はもう18時を過ぎていた。遊園地は休業中で、隣接している動物園も19時には終わる。
「何しに行くんだい、あんなとこまで」
「まあ、待ち合わせみたいなものだな」
 慶悟は苦笑した。
「料金かかりますよ、旦那」
「ここに請求書まわしてもらっていいかな」
 そう言って差し出したのは、一枚の名刺。草間興信所の草間の名刺だった。
「ほぉ、探偵さんですか」
 名刺を受け取ると、運転手はあんまりこういうのはやんないんですよー、と苦笑しながら胸ポケットにしまいこんだ。
 タクシーは走り出す。雲行きの怪しくなってきた空を気にして、運転手はぼやくように言った。
「こんな時間に走って、霧が混んでくると化け物が出るっていう噂があるんですよ」
「化け物? もしかして、路上を四足で走るという老婆の話か?」
 慶悟が聞くと、運転手はよくご存知ですね、と頷いた。
「タクシーの運転手仲間じゃ結構有名な話でねえ」
「見たことは?」
「ありゃしませんよ。見たら事故を起こすってんだから、見るわけにはいきませんって」
 運転手は笑った。
「なんで後を追ってきたりするんだろうな…」
「白い車が憎いんでしょうよ。老婆老婆っていうが、あれはまだ30そこそこの女って噂もあるんですよ?」
「ほう」
 慶悟は興味を示すように運転手を見た。運転手はははは、と軽く笑いながら、先を続けた。
「昔…30年くらい前ですかね、この峠で一人息子をひき逃げで殺された母親があったんだそうで。その母親の目の前で息子は跳ねられたそうなんですよ。なんとか犯人を見つけようと警察も必死になって捜査したんだが、つかまらない。
 どうしても許すことのできない母親は、もう一度あの車を見つけてやる、といって、この道の横に椅子を運んできてね、一日中道路を睨みつけていたらしいんですよ。
 そりゃもう、雨の日も風の日もね。あんまりその執念がすごくて、そのうち旦那からも愛想をつかされて、一人きりになったんだが、それでもあきらめなかった。一人になったことをいいことに、夜中でも家に帰らず、見張り続けてた。
 だが、ある朝、死体で発見されたそうなんですよ。道路の真ん中で倒れて死んでいた。どうやらその女もひき逃げにあったらしいってわけで。
 その女が、あの化け物に姿をかえたっていう噂話ですよ」
 話しなれている感じだ。
 創作されたものかもしれない、と慶悟は思ったが、でも信憑性が皆無というわけではないだろう。
 女の恨み憎しみ執念、そして自らもひき逃げにあい死んだ無念。それが妖怪になった。ありえない話ではない。
「ちょっと怖かったでしょう」
 運転手が少し意地悪な笑みを浮かべた。
 慶悟はああそうだな、と話を合わせるつもりで、軽く苦笑してみせた。ふと窓の外を眺めると、まだ雨は降り出していないのに、峠には霧が出始めている。
 ふと、背後を振り返る。
 何もいない。 
「何かついてきてませんか?」
 運転手が慶悟に笑う。慶悟は大丈夫だ、と口にしてから、遠目に何やら白いものが見えるような気がして眉を寄せた。
「…あれは?」
「んー」
 運転手はバックミラーでそれを確認すると、突然アクセルを踏み込んだ。
「まーた出やがったな、アイツめ。…また振り切ってやる」
「また?」
 慶悟は再び白いものを目で追った。
 白い着物、否、ワンピースをつけた老婆が、皺だらけの恨みと憎しみに満ちた表情で、アスファルトの地面を蹴りつけながらタクシーの後を追っているのだ。
 しかも、どんどん近づいてきている。
「お客さん、しっかり捕まっててくださいよー」
 運転手が言った。
「ああ…あれに会ったことは無いんじゃなかったのか」
「そういわないと怖がるでしょうが。…峠最速のタクシーに勝負を挑もうっていう根性がつまらないねっ、ばーさん!!」
 完全に自分の世界に入ってしまったのか、運転手はアクセルを踏み込みながら、すばやいハンドルの切り回しで峠のカーブを次々とクリアしていく。
 後を追うヨツンバイの方も、これまた上体を斜めに構えたり、足を上手く使ったいいバランスで、大きくふくらみながらもその距離はなかなか変わらない。
「相変わらずいい走りするな、ばーさん」
 運転手の呟きを聞きながら、慶悟はシートの取っ手につかまり、胸元から何枚かの符を取り出した。
 そして気づかれないように呪を唱える。符は小さな道士の姿に変わり、車の外に出て行くと、車体の両側に張り付いた。
 もし事故を起こしそうになった時のために、両側から車を支えバランスをとらせるためである。しかし、猛スピードの車体の横で、式神たちも振り払われないように必死のようにも見えた。
「慣れて…るんだな」
 慶悟が少し呆気にとられながら話しかけると、
「当たり前田のクラッカーってなもんよ三度笠だ、ちきしょうめっ!」
 時代錯誤なギャグを言い、運転手はさらにアクセルを強く踏み込んだ。
 
「・・・あれか?」
 峠の中の林にバイクを止めていた、城之宮・寿(しろのみや・ひさし)は、猛スピードで抜けていく白いタクシーを発見した。
 その後ろには白いワンピースをつけた老婆が獣のようにかけながら、後を追う。
「…なんだあれは…」
 ずきり。
 眉間の間に痛みが走った。邪悪なもの、なのか。
「…後を追うか…」
 あまり乗り気ではないが、見送る訳にはいくまい。
 美しい金色の細い髪を指で触れ、軽くすくように撫でると、思い切ってメットを被り、白銀のバイクにまたがった。
 愛用のチェロケースを固定しているベルトを確認し、エンジンをふかす。よほどスピードを出さなければあの車と老婆には会えないだろう。
 ブレーキペダルはそのままにして、アクセルだけを回し続ける。
(100…110…130…? 一体やつら何キロで走ってるんだ)
 舌打ちしたいような気持ちで、体にかかる重力に耐えながら、寿は前方の車を追った。
 スピードメーターが150キロを越えようかとする時、ようやくヨツンバイの後ろにつけることができた。
「全く…」
 寿は神秘的なものの存在を信じていない。
 ヨツンバイの強靭な手足を眺め、どんな仕掛けなのだろうと思う。
 ヨツンバイの横にバイクをつける。老婆は走りながらも、ぎろりとバイクを睨んだ。
 そして観察するように見ている寿のバイクに、いきなり体当たりをしようと身を寄せてきた。
「うわっ」
 咄嗟に前輪を持ち上げ、それを避ける寿。
 常人であれば、間違いなく事故を起こしているだろう。
 衝撃でスピードを大幅に落とし、下がっていく寿のバイクを、口元でいやらしく笑って見つめ、ヨツンバイはさらに前方のタクシーを追い始める。
「…」
 それは静かに寿の怒りを沸騰させた。
 再びバイクを加速させつつ、寿は胸元から一丁のマグナムを取り出す。
 そして片目をつむって照準を合わせると、迷いもせずに撃ち放った。

 銃声があたりに轟く。
 激しい悲鳴が辺りに響き、ヨツンバイは地面に激しく転がって、のたうった。

「何っ」 
 それに気づいたのは、タクシーの中にいる慶悟も同じだった。
「車を止めてくれ、早く」
 運転手に怒鳴り、タクシーから飛び出すと、慶悟は道を返して走り始めた。
 背後から近づいていたバイクの運転手が誰なのかは、想像がつく。
 引き返してくると、ヨツンバイはそこに大量の血を流し、地面でばたばたと暴れていた。
 まるで本当の人間のようだ。
 バイクから降りてきた寿が、慶悟を見つけて、ヘルメットをつけたまま軽く手をあげる。
「仕留めるしか無いのだろうが、うーん」
 気の毒さを胸に思っていた慶悟は複雑な気持ちで、暴れているヨツンバイを見つめた。
「お前にもいろいろあるんだろうとは思う。だが、暴れすぎだ。おまえのために命を落としたものも多いだろう。……楽にしてやる、待っていろ」
 そういうとヨツンバイの横で小さく呪を唱え始めた。炎による浄化、送るしかあるまい。

 刹那。

『うがあぁぁぁぁっっっっ』
 咆哮を上げ、ヨツンバイは身を起こした。そして寿に向かって駆け出した。
 寿は再びマグナムを構える。しかし、老婆のスピードはさらに増していた。間に合わない。寿の体に鋭い爪が襲いかかる。
「うわっ」
 身を庇った右腕に老婆の爪が食い込んだ。寿は傷口を押さえて、うずくまる。「城之宮!」慶悟はかけつけた。
 腹から血を流し、肩で息をしながら、ヨツンバイはさらに憎しみをこめた表情でその二人を見つめていた。
『憎イ憎イ憎イ 憎イ憎イ憎イ 何モカモ…』


■■■■■ 
 花束を抱えたシュラインと湊は、事故現場にやってきていた。
 依頼人の慎太郎が言っていた事故現場と、秋平の事故現場は同じ場所であった。幽霊車の正体はやはり秋平なのだろうか。
「依頼人さんが見たっていう事故の後は、半年前の事故のものだったのね」
 シュラインは、引きちぎられたように、歪んで途切れているガードレールに手を触れて呟いた。
「この高さから落ちたら、…助からないよね」
 湊もそこから下の谷川を見下ろして、ため息をついた。
 その時である。
 谷の方から強い風が突然吹き上げてきた。
 突風に二人が自分の髪を押さえながら、身を寄せた時、谷から這い上がってきたかのように、黒いワンビアが切れたガードレールの間から現れたのである。
 車はそのまま、霞峠を南下する方の道に走り去っていく。
「今の…今のが幽霊車?」
 湊が叫ぶように言うと、シュラインは頷き、自分の車に飛び乗った。
「追いましょう、早く」
「う、うんっっ」
 湊は助手席のドアを開ける直前、サムに命じた。「あの車に追いついて」 サムは黒いカラスに変化し、弾丸のようなスピードで宙を切っていく。
「行くわよっ」
 湊が助手席のシートベルトをつけるのを確認して、シュラインは勢いよくアクセルを踏んだ。

 シュラインの車から先行すること200メートル。
 黒い幽霊車の上にカラスのサムは爪を引っ掛けて、飛び乗った。
『おいおい、傷をつけないでくれよ。まだローン終わってないんだから』
 車の中から声が聞こえた。
 後部席の窓が少し開いている。そこから猫の姿になって、サムはするりと中に侵入した。
 そこには水色のYシャツにジーパン姿の茶髪の青年が、口笛を吹きながら楽しそうに運転しているのが見えた。
『あんたは…?』
『君は? って答えられるのかい?』
 青年は運転を続けながら、カーブミラーでサムの姿を見つけて微笑んだ。
 サムも彼を見つめた。喫茶店でケンが見せてくれた写真と、そこにいる青年は同じ顔をしている。
『秋平…』
『猫のクセに人を呼び捨てにするとはなってないな』
 秋平はサムを振り向き、くすりと笑った。

■■■■■
「オンワカソワカ…」
 慶悟は傷ついた右肩を左手で庇いながら、指にはさんだ符に呪をかけ念をこめる。
「行けっ」
 炎の柱と化した符をヨツンバイに投げつける。ヨツンバイは口元に笑みを浮かべつつ、それをひらりと避けた。
『そんなことじゃ、私を倒せないよぉ』
 ヨツンバイは微笑む。慶悟は悔しそうに小さく息をつくと、アスファルトに膝をついた。
『殺して…あげる』
「…黙れ」
 血に塗れたふるえる手で、寿は自分のバイクに固定してあったチェロケースを引きずりだしていた。
 チェロケースを開くと、そこには愛用のライフルがある。そのライフルを構え、寿は小さく息をついた。
「今度こそ…とどめをさしてやる」
『フ…』
 ヨツンバイはライフルを構える寿にニタリと唇をゆがめてみせた。
 そして地面を蹴って、駆け出そうとする。
 寿はライフルを覗き込み、照準を合わせた。その刹那。
 ブオン。という、大きなエンジン音が辺りに響いた。
 ヨツンバイの動きがそれを聞いて、ぴたりと止まる。 
「今だっ」
 寿はゆっくりと引き金を引いた。
 轟くような銃声が、ヨツンバイの額を突きぬいた。
『うぉ・・・うぉぉぉぉおおおおおっっっっっ』
 目を見開き、苦悶の表情を浮かべる老婆。両手を突き出すように上げ、恐ろしい声でほえている。
 慶悟は立ち上がり、再び符を手に取った。
 それを天に向かって高くかざし、呪を唱える。瞬間、雷光が空からヨツンバイを突き刺すように落ちた。
『うわあぁぁぁぁっっっっぁぁぁぁっっ』
 絶叫を残し、ヨツンバイの姿は、地上から消えていた。


■■■■■
 黒いワンビアの運転席の窓が小さく開いた。
 その隙間から綺麗な毛並みの黒猫が一匹、飛び出してくる。
 同時に、幽霊車の来た方向から向かってきたシュラインの車が、彼らの視界に入ってきた。
 シュラインは車を止めると、怪我をしている二人に駆け寄り、傷の度合いを確かめる。
「大丈夫だ」
 慶悟は苦笑した。深傷ではない。だが、一張羅のスーツが血でベタベタなのがかなり頭にきている。
「クリーニング代出ると思うか?」
 シュラインに尋ねると、彼女は苦笑した。
「さあ、どうかしらね」
「大丈夫ー?」
 サムを拾い上げた湊が、寿に近づく。寿は黙ってライフルをチェロケースにしまうと、バイクにくくりつけた。
「ちょっと、バイクで帰るつもりなの?怪我してるのに」
「これくらい平気だ」
 そう言って、バイクにまたがろうとする。
「ああ、もう待ってよ」
 湊はジャケットのポケットからハンカチを取り出すと、寿の腕に強く結びつけた。
「止血くらいはしといたほうがいいって」
「……すまん」
 寿は小さくいい、そのままバイクで走り出した。湊はサムを抱えて小さく息をつく。まあ…元気そうだし、大丈夫か。

 皆の無事を確認していたのか、今まで停止していたワンビアが突然ヘッドランプを点滅させた。
 そのままバックを始める。幽霊車もこの場を去ろうとしているのか。
 シュラインは立ち上がると、ワンビアに向かって走り出した。
「ちょっと待って」
 そして自分の車の後部席から、紙袋を取り出して、ワンビアの運転席の窓に近づける。
「ケンさん、ってわかりますか? 彼からの差し入れ。必ず近いうちに花を供えにくるから待ってて、って伝言つきよ」
 運転席の窓が開く。
 そこには茶髪の優しい顔の青年がいた。
 彼は紙袋を受け取ると、中を見て目を細めた。
『バナナかよ。まったくあいつは…』
 そしてシュラインを見上げて、軽く頭を下げる。
『ありがとう』
 再び窓が閉まる。と同時に、爆音のようなエンジン音と共に、幽霊車ワンビアは峠を走り去っていった。

■エピローグ
「え、ほんとに依頼料もらえるの??」
 湊は少し信じられない様子で、草間に飛び跳ねてみせる。
「ああ、これはお仕事だからな。…未成年なので、1万円と…。交通費はシュラインの車だから、関係ないね」
「待って! 未成年者じゃないといくらなわけ?」
「ん…? いや、それは…」
「未成年者と大人って言っても働きにかわりはないと思うなー。どうして差があるのかなー?」
「…うーん」
 しまったことを口にしてしまったなという表情の草間に、湊はさらに駄々をこねるように言う。
「で、大人はいくらなの??」
「…わかったよ。確かに俺が悪かった」
 草間は机の上の金庫から、封筒を取り出して湊に渡した。
 中を覗いて、湊は「きゃ」と声を出した。なんと三万円も入っている。
「それじゃ帰るねー。またいいお仕事あったら声かけてっ」
 湊は草間が気が変わらないうちにと大急ぎで、興信所を後にした。
 
 興信所の前で待っていたサムが、すぐに寄ってくる。
「サム、今日はご馳走買ってあげようか〜」
『…ご馳走?』
 サムがぴくりと耳を動かす。
「そうだね、ゴールドモンプチ缶とか…」
『猫缶かよっっ』
「嫌?」
『…いや、それでいい…』
 納得したサムを抱き上げて、湊はぎゅっと抱きしめる。サムの柔らかいふわふわの毛並みは最高の贅沢だ。
 上機嫌な彼女の頬をサムはぺろりと舐めて、やれやれと微笑した。

                                              了
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
  0086 シュライン・エマ 女性 27 翻訳家&幽霊作家+草間興信所で時々バイト
  0389 真名神・慶悟 男性 20 陰陽師
  0923 高山・湊 女性 16 高校生アルバイター
  0763 城之宮・寿 21 スナイパー
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■              ライター通信               ■
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 こんにちわ。鈴猫(すずにゃ)です。
 「霞峠のよつんばいと幽霊車」ご参加いただきありがとうございました。ようやくお届けできてほっとしています。
 真名神・慶悟さん8回目、シュライン・エマさん、5回目のご参加ありがとうございます。
 いつもごひいきにしていただいて本当に有難く思っております。
 高山・湊さん、城之宮・寿さん、はじめまして。お会いできて嬉しいです。

 今回は、いつもの私の依頼とはちょっぴり雰囲気が違う出来かな、と思っています。
 戦闘シーンなんてありますし、…真名神さん、城之宮さん、お怪我させてしまってごめんなさい。
 綺麗なお肌に傷が残り、お婿に行けない!なんてことになったら、鈴猫に責任とらせてください!ええ、鈴猫がお婿に頂きますとも!!
(ふふふ…作戦どおり)(ぉぃコラ)

 昭和の時代以降から発生した、新妖怪の登場するお話に最近魅力を感じていまして、
「よつんばい」や「幽霊車」もその妖怪のつもりで書きました。
 次は「口裂け女」が書きたいな、と思っています。リクエスト等ありましたらお気軽にテラコン等で送ってください♪

 また機会がございましたら、違う依頼でお会いしましょう。
 ご参加本当にありがとうございます。