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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:黄泉津比良坂 −千引きの岩−(前編)
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜5人

■オープニング■

 自分が死ねばいい。
 自分が死ねばいい。
 そうすれば、この国は、愛しい人は助かるだろう。
 かつて女神を殺し、男神に殺され、今よみがえろうとしているこの焔の邪神と共に自分が死ぬことで、この世界は救われる。
 愛しい妻である彼女も、自分と彼女の血を継ぐ娘も、この世界に生き続けていけるだろう。
 ――しかし、その世界に自分は居ない。
「彼女は私を憎むでしょうね」
 隣に立っている緑の瞳の魔術師が、同じ警察官であり、自分の上司である男が微笑みながらつぶやいた。
「でも決めているんでしょう?」
 ……警視は俺を犠牲にしてこの国を守るだろう。
 泣きわめいても、懇願しても、怒り狂っても。
 この上なく冷酷に、この上なく優しく。俺を犠牲にすることで破壊を最小限に押さえ、国を守ろうとするだろう。
 寂しいのか、悔しいのか、諦めているのか自分でもわからない。
 ただ……密かに危機を乗り越え、守られ、平和にすぎていくその世界に自分は居ない。
 彼女の、娘の居る世界に自分は居ない。
「二人を頼みます」
 使い古された独創性のない言葉が口から漏れる。最後なのだからもう少し格好の良いことを言えればいいのだが、それ以外に思いつかなかった。
 緑の瞳の魔術師は、微笑みをくずさないまま。だがしっかりとうなずいた。

 白昼夢を見ていた。
 どんな夢なのか思い出せない。ただ、どこかで見た誰かがいた気がする。過去なのか、予感なのかわからない。
 そんなことをぼんやり考えながらソファーにもたれかかり、髪をかき上げていると、そろそろと興信所の扉が開き、一人の女の子が現れた。
 背中に背負った赤いランドセルが重いのか、しきりに肩を動かしている。
「パパを探してほしいの」
 と、鈴を転がすような声で開口一番にのたまった。
「おいおい、ここは交番じゃないぞ」
 今まで子供が依頼者という事件を幾つか担当してきたが、どれも金がとれない……つまり骨折り損の事件ばかりだった。
 その為、子供が関わる以来は極力避けたい。というのがありありの口調で草間はぼやく。
「パパを探してほしいの。お仕事先からも居なくなってみんな心配してるの」
 負けじと少女は繰り返す。
「パパ、どうしていなくなったのかな?」
 子供を放っておけないのか(便宜上)草間の妹の零が、しゃがみこみ、少女と同じ目線で語りかける。
「パパね、由良とお約束したの。由良の誕生日に本当のパパを連れてきてくれるって。由良の本当のパパは「ほのおがくち」の悪い神様が「ふしのやま」から出てこないようにする為に「よも」に行ったの」
 舌っ足らずな声で言うが、要領を得ない。
「ママが「し」のあがないに「よも」の坂にある「まかる」の玉を持ってきなさい。ってパパを怒ったから、パパも「よも」に行ったの」
「うううううーん」
 零が頭を抱え込む。何を言いたいのかさっぱりわからないといった処だろう。
 草間が面倒くさげな仕草でタバコをくわえた瞬間、けたたましく電話が鳴り響いた。
 いそいそと受話器を取り上げ、草間は肩をすくめた。
 少なくとも子供の戯言よりは電話の向こうの相手が金になる仕事だ、と思ったのだろう。
 しかし、電話を受けて10秒たたない内に草間の顔がこわばった。
「……なんで警察が……榊が行方不明?」
 警察庁に所属し、怪奇事件の調査解決を指揮する男。
 しばしばここに来てはやっかいな事件を押しつけていく彼――榊千尋の名前を何度かつぶやくと、草間はとうてい判読不可能な文字で忙しげにメモを取っていく。
 ふと気になって、少女の方をみる。
「パパの名前教えてくれるかな?」
 零の頭越しに少女に向かって問いかける。と、少女――由良は汚れない純真な瞳を輝かせながら、予想通りの言葉を返した。
 ――パパの名前は「さかき・ちひろ」なのだ、と。


■15:00 草間興信所■

 ほろ苦いコーヒーの香りが鼻孔をくすぐる。
 その心地よさを楽しんでいた武神一樹は、草間が漏らした言葉に眉根をよせ顔をしかめてみせた。
 ――「し」のあがないに「よも」の坂にある「まかる」の玉か。
 黄泉津比良坂? まさかな。
 思いつつも、めがねの奥の瞳は彼らしくもなく揺れていた。
 そう、まるで手にあるカップの中の漆黒の液体が、かすかな身動きにも揺らめき、波紋を広げるように。
 絶え間なくいくつもの考えが揺れ、一つの考えが次の考えを呼び起こす。
 死の贖いに黄泉津比良坂にある死反玉を取ってくる。
 子供の舌足らずの言葉ではあるとはいえ、立派につじつまが合う。しかも取りに行ったのは怪奇事件を専門に調査・解決する部署の調査官なのだ。
(草間に珈琲をたかりにきて黄泉津比良坂の名を聞くことになろうとはな)
 この場合、近所の喫茶店ではなく事務所内の買い置きの豆で「珈琲をおごった」という、草間のせせこましさが幸したのかしなかったのか……。ともあれ、事件の背後関係は全くわからないが、その名を聞いた以上、一樹が黙って居られる筈もなかった。
 黄泉津比良坂。
 かの地はこの国の防人に取って、知らぬではすまされぬ禁忌の地である。
 榊がいかなる目的で近づいたのかは定かではないが、その地に踏み込んだ者がいるとなれば、最悪、この国を滅ぼすほどの災厄を呼び込みかねない。
 それだけはなんとしても阻止しなければならない。
 それが、歴史の陰、吉備の地において人と妖の調停役を担ってきた物部氏残党末裔としての、自分の役割であり使命であった。
 普段であれば、そのような先祖代々の使命など意識することもなく、ただ、自分の生き甲斐。ただ、それのみにより、事に当たるのだが、今回の場合は、事情が違った。
 はらり、と目の前に落ちてきた闇の色をした髪を指先で疎ましげに払い、一樹は顔を上げた。
 と、均整のとれた体をぐん、とのばしながら一人の男がこの緊急時にしてはやたらとのんびりとした口調で言葉を放つのが見えた。この興信所を遊び場の一つのように利用している大上隆之介である。
「う〜ん……なんだか日本神話に出てくるような単語だけど……この辺の講義マトモに受けてねーからなぁ」
 頬を指さきで書きながら、光の加減で金色にも、影の差した琥珀のようにも見える不思議な色合いの瞳を曇らせる。
 己の知らない過去の片鱗を手にできれば、と歴史を専攻してみたものの、日本神話となればいささか「遠すぎ」る。
 長い手足をあやつり、軽くストレッチを繰り返す。と、ぽきぽきという音がした。運動不足なのか、はたまたいっときもじっとしてられない性質が体にまで繁栄されているのか、体も心もすっかり事件に飛び込む気である。
「黄泉・火之迦具土・富士の山? って事は榊さんの居場所は富士山か?」
 由良のつぶらな瞳をのぞき込みながら、肩をすくめた。
「それじゃ、由良ちゃんの本当のパパが犠牲に火山噴火を止めてると?」
 事務所の影の実力者。泣く子も黙る財務大臣であるシュライン・エマが挑むように蒼い瞳をきらめかせて大上に聞き返す。
 電話の受話器をおいた草間が、ぎょっとしたように目を見張った。
「ちょっとまて! どこからおまえらその火之迦具土だの火山だのの情報を知ったんだ?」
「え?」
 草間に指摘されて、今初めて気がついたというようにシュラインと大上が顔を合わせた。
「武彦さんがみた白昼夢の邪神の話から……だけど」
「俺は……そういえば、何でだろう」
 数々の怪異にあたり、たいていの事には驚かなくなった草間興信所常連の面々だが、この事象にはさすがに驚いたようだ。
 と、鈴の音が聞こえた。
 高く、低く、まるで神楽の曲を奏でるように。

 自分が死ねばいい。
 自分が死ねばいい。
 そうすれば、この国は、愛しい人は助かるだろう。
 かつて女神を殺し、男神に殺され、今よみがえろうとしているこの焔の邪神と共に自分が死ぬことで、この世界は救われる。
 
 歌うように緩やかに、ささやくようにかすかに、言葉が繰り返される。
 それは耳から入る音ではない。心に密やかに滑り込み、意識のうたかたに消える何か。
「霊体……いや、残留思念だな」
 彫像のように身動きもせず、ただただ呆然とする一同の中にあって、武神一樹だけが「それ」が何でもない事のように言った。
 由良のそばに寄りそうだけであった零が、おずおずとした調子で一樹の意見の後に言葉をつなげた。
「あの……由良ちゃんの腕にある鈴が……」
 ――鳴っております。
 その言葉に反応するように、由良の腕に赤い糸で結びつけられた鈴の音が止み、静寂があたりを満たす。
「由良ちゃん、それは……」
「二年前にパパからもらったの。本当のパパがいるんだよって。ママは捨てなさいって言っていたけど……由良、この鈴好きだから」
 瞬きをしながらシュラインを見上げ、手を差し出す。
(何の変哲もない……ただの鈴に見えるけれど)
 素材は金だから子供の持つものにしてはいささか高価すぎるが、それでも、鈴は普通に見えた。
 指先でつまみ、振ってみる。と、音がしなかった。
「音が……しない……。中に何も入ってないわ」
 どんな鈴も外側の殻と、中の玉。二つがそろわないと音を奏でない。
 しかし由良の鈴には玉が入ってなかったのだ。
「古来、鈴の音は「玉音」といい、鈴を振る事を「玉振り」……ひいては「霊魂(たま)振り」といい、神祭りの場の穢れを祓い、邪をのぞく作用があるというが……この場合は」
 骨董屋であり、いにしえの日本をよしとする彼らしい含蓄をよどむことなく口にしていた一樹がふと口ごもった。
 しかし言わなくても、その場の全員にはわかっていた。
 ――この場合は魂がない。
 あるいは。
 由良の父親の「魂」こそが「玉」というのだろうか。では、由良の守護霊、あるいはそれに近い存在として「本当のパパ」が居るというのだろうか。
(それにしても、ひどく、半端な)
 本来守護霊とは、しっかりと意志をもつ……つまり霊魂の状態で存在し、またある程度の霊力やその心得があるものは感じられる筈である。だが、今の由良にまとわりついているのは、守護霊にもなりきれない、残された強い想いだけなのだ。
(以前、榊千尋に接触したさくらの話を想い起こすかぎりでは、一筋縄ではいかない輩のようだったがな)
 何を考えて鈴を渡したのか。それはわからないが。ともあれ、最悪の事態を防ぐにはかの地に向かったという榊の意図と動向を探らねばなるまい。
 そう思って一樹が顔をあげると、シュラインが彼女らしくもない、トーンのはずれた声を上げた。
「由良ちゃん、このあざどうしたの?」
 小さな手の、その手首にぼんやりと虫さされのような赤いあざができていた。
 と、由良は頭をふった。
「知らない。あのね、ママはね、鈴をつけているから、鈴があたってあざになってるんだって、だから鈴を捨てなさいって」
 鈴を取られるとおもったのか、シュラインの手から自分の手をはなし、鈴を隠すように左手で手首をぎゅっと握りしめる。
「変ねぇ」
 草間の残したメモを取り上げながら、全員の心中を代弁する。
 鈴を外せ、はともかく捨てろというのはおかしい。無き夫の遺品でもあるはずの鈴を捨てろとは、どこかずれている。
(まあ、世の中には別れた男に関連するものすべて捨てちゃう人もいるし。一概には言えないけれど)
 鈴をつけているから痣になる。もおかしくはない。畳の上で昼寝して畳の後が顔につくようなものだろう。しかし……。
(あそこまで赤くなるのかしら……まるで……)
 ――炎のような形の赤い痣だった。
 訳の分からない恐怖が足の裏から心臓まで、じわじわと浸食してくるような気がした。不吉な予感。と言い切ってしまうにはあまりにも重苦しい何かが喉をしめつけた。
 ぞくり、と身をふるわせ、嫌な考えをあたまから振り払う。
「死のあがないにまかるの玉ってなんなんだよ。禍津の玉?」
 シュラインが感じた何か、に気づかなかったのか、隆之介がすう、と目を細めていらだたしげにつぶやいた。
「違うわ。多分……まかるの玉……十種神宝のまかるがえしの玉かしら? 死反玉て事は生き返りの為のものよね……そんな事可能なの? 現在は石上神社か玉置山にっていわれてるらしいけど。うーん。でも由良ちゃんが行ったのは黄泉津比良坂」
 何かのたとえだろうか。それとも死体だけでも持ち帰るとか。
「石上神社には、無い」
 端的に一樹が否定する。
 隆之介とシュラインがわからない、と行った面もちで一樹の方へと視線を集中させた。
 かつて各地の国津神を高天原系の神々の支配下におくべく、天皇家が行った政策の一つに、地方の神宝・呪物の徴発があった。
 神宝や、ご神体であるモノを集め、それらすべてを大和神話系に組み込んだのである。
 集められた神宝は奈良の石上神社に集められた。という。
 当然、十種神宝も石上神社に集められ。その祭祀権を持つ氏族……物部氏が管理を担当することになっていたのだ。
「祭神であるニギハヤヒが持って降臨した、十種の宝の一つに確かに「死反玉」はあるが。しかし十種神宝自体は死者をもよみがえらせるほどの霊験がある一方で、その実体はもちろん、その入れ物でさえ見た者はいない。という」
 腕を組み、眉根を寄せたまま一樹は頭をふった。
「現在の石上神社に残され、保存されているのは形を模した「古図」だけだ。本体そのものではない」
 他の者が言ったなら、そうだろうか、と反発したくもなるが。骨董屋を経営し、古の品にまつわる情報のネットワークを保有する……しかも、この場合はその神宝を代々守ってきたと言われる一族の末裔だ……の一樹が言う事に、誰も反論できなかった。
 つまり石上神社には、死反玉はもともとから「ない」という事になる。
 と、シュラインは草間が電話を受けながら取っていたメモを拾い上げ、肩をすくめた。
「どうやら、そのようね」
 ミミズがの悶絶したような、汚い字を、いかにして解読したのか。それともつきあいの長さがなせる技なのか。
 シュラインはため息をついたあと、米子空港。とつぶやいた。
「米子? 榊さんの足取りはそこで途絶えてるのか?」
 話についていくのがやっと、という体だった隆之介が目を見開いた。
 不死の山というからてっきり富士山だと思いこんでいたのだ。
 かつて、中国の風水龍にまつわる事件の時のように、何かを犠牲にして富士山の噴火を止めているのだろうと。
 同じく大学生で暇をもてあましている(と、隆之介が勝手に認識しているだけなのだが)友人の幸弘――浅田幸弘に車で富士山まで送ってもらい、五合目以降は身一つで火口を目指すつもりだったが。
 点で予想が外れてしまった。
(何をやろうとしているかは知らないけど)
 何としても止めてやる。
 心中でつぶやいて、唇をかみしめる。
 手は、無意識的にポケットの中を探っていた。
 そこには、かつての事件で「国を守る」という名の下に榊が抹殺した陶磁器人形……緑(リュー)の欠片が密やかに、忍ばされていた。
(榊サンの事だ……また何かを犠牲にして……下手すりゃ自分自身を犠牲にして……何かを守ろうとしているに違い無い)
 今度は、今度こそは止めたい。例えそれがどんな大儀の元でも生け贄の様に犠牲になる存在など、あってはならないのだ。
 みんなが幸せになるなど、青臭い幻想でしかない。そんなことがわからないほど子供ではない。
 しかし、そんな簡単な事すら信じられないほど、隆之介は「大人」ではなかった。
 欠片を握りしめる。
 固く鋭い陶器の欠片は、手のひらを傷つけるではなく。まるで励ますかのようにぴったりと隆之介の手になじんだ。
(……そうだよな、緑(リュー)?)
 人ではない。しかし、人ではないと言い切ってしまうにはあまりにも人じみた、風水人形の顔が隆之介の脳裏に浮かんで消えた。
「ともかく、由良ちゃんを預けにいって、ついで母親から事情を聞くか」
 感傷を吹っ切るように、わざと明るい声で隆之介は言う。
「うーん。多分奥さんに何かを言われて榊さんが行方知れずなんだとは思うけど」
「時間がもったいないな」
 一樹がシュラインの言葉を追うように言った。
 確かに全員が同じ行動をするのは、時間がもったいない。
 先ほどの不思議な現象が、ただの偶然や錯覚ではないとすれば、事態が差し迫ってるのは明白だ。
「由良ちゃんは、俺が家まで送り届けよう」
「武神が?! 大丈夫か?!」
 草間の素っ頓狂な叫びに、さすがの一樹も憮然とした表情で答える。
 確かに保父になれるようなタイプではないと、自認しているが。よりによって草間武彦につっこまれたくはない。
「どういう意味だ。それは」
「いや、あー、うー。ああ、そうだ。子供には子供の方が話があうだろう。ちょうど良い相手がいる。そいつと一緒の方がいいだろう」
 などとお茶を濁しながら、草間はノートパソコンを操作し始めた。今更止めても止まらないだろうし、人手は少ないより多い方がよい。
「ともかく私は米子から東出雲町揖屋にあるっていう黄泉津比良坂、千引きの岩へかしら」
 そういうとシュラインは由良の頭に手を乗せて、柔らかい髪の毛をなでて整えてやる。
「具体的に榊さんが何をするつもりかわからないけれど、見つけてこなきゃ。由良ちゃん本当のパパじゃなくて榊さんを心配してるんだもの」
「本当のパパって……榊さんの娘じゃない……のか。そっか、そうだよな。子連れには見えないもんな」
 今更気づいたかのように、大上が肩をすくめて口笛を吹いた。
「いろいろ不安だらけだけど……武彦さん、零ちゃん。行って来るわね」
 由良を武神の手に預けながら、シュラインが言う。
 その声にも、青い瞳にも。
 もう迷いはなかった。


■18:00 黄泉津比良坂 死反玉■

”いやはてに、その妹(妻)いざなみの命みずから追い来ぬ。
 しかして、千引き岩をその黄泉比良坂に引き塞ぎ、その岩を中に置いて、おのおの対かい立ちて、事戸を渡す”――古事記より。

 水の都、松江市から東に進み、意宇川を渡ると神話の町・東出雲へとたどり着く。
 そこからさらに東に進むと緩い坂に突き当たる。
 左手に森、右手に何の変哲もない民家の群を見ながら道をすすむと、やがて揖屋町比良坂――古事記に言う黄泉津比良坂が見えてきた。
 森の奥に向かう細い道、だらだらと続く登り道が、神話の舞台とは、説明が無ければ気づけない。
 レンタカーを運転しながら、シュラインは目を細めた。
 ――榊さん、まゆらさんの時、亡くした部下の人を思いだしたのかしら。
(どうして女の人は――愛した記憶に愛された記憶に何もかもをなげうてるんでしょうね?)
 穏やかに答えながらも、その瞳はどこか鋭い光を宿していた。
 今思えばその鋭い光は、何かへの怒りの様にも感じられる。
 榊は、国を守るという。
 それが日本政府という組織に守られた国なのか、それとも神世から続いてきたこの土地、あるいはそこに住まう人々なのかわからない。
 ただ、シュラインが知っているのはただ、かたくななまでに、冷酷なまでに「国を守る」という事にこだわる榊の姿勢だけである。
 こだわる、否、あれは信念だ。
 ただ一つ犯すことの出来ない信念故に、国を守っているように見受けられる。
 だから冷酷なのだ、その信念を崩してしまえばおそらく自分自身という存在に疑念を抱かざるを得ないから。
 では、その信念とは何だ。
 国を守るには理由がある。
 自分の住む生活エリアだから守る、愛する人がいるから守る。使命だから、宿命だから守る。
 草間興信所に現れる術者の中にも、大なり小なりそういう感情を持ち、それを信念として国を守っている者がいる。
 しかし、榊はどこかが違う。
 まるで国を守ることを止めたら、すべてが無くなってしまうかのような「刹那」さを感じる。
(恐れ?)
 恐れている? 国を守る事を自分に架さなくなったら何かが変わってしまうと。
 ふと思いついた考えが、みょうにしっくりと榊という人物像になじんだ。
 滅私奉公。
 榊はそうみえた。しかし逆によめば「私」を殺すために「公」に打ち込み、それだけを考えているのではないか?
 であるならば、そこまで恐れる榊の「私」とは何なのだろう。
「シュラインさん」
 呆れたような口調で大上隆之介がつぶやいた。
「赤信号」
「え? ええ?!」
「運転中に考え事は、良くない――なんつって。考えるなっていう方が無理ですよね」
 日が沈んだ為か、深く暗い琥珀の瞳を半分閉じながら隆之介はため息をついた。
 人通りが居なかったのが幸いだった。信号無視をしてしまうとは。
 シュラインは暗くなった道を照らす為、ヘッドライトを点灯した。
 沈黙をごまかすために流しているラジオは、どこか空虚だ。
 警察側の情報により、榊の姿は空港から途絶えたという。
 それが昨日の事。
 いまさら黄泉津比良坂に言ったとして、彼がそこにいるのかどうか。
「それにしても、おかしな話ですよね」
「そうね、警察からの依頼なのに、情報がやたらと中途半端ね。島根県警の力を借りれば彼がタクシー、あるいはバスでどこへ向かったかわかりそうなものね、それに」
「由良ちゃんの家にとっくに聞き込みしていて、黄泉津比良坂を包囲していても、おかしくない」
 シュラインの言葉を継いで、隆之介は両手を頭の後ろで組んだ。
 ここまで、警察らしき人影はもちろん、車両すら見なかった。
 行き先を知らない筈がない、とすれば、わざと放置している?
 だがそれではおかしいのだ、それでは行方不明にならない。
 なら行方不明という事にして、密かに何かを狙っているのだろうか。
「イヤな予感がするわ」
 駐車場に車を止め、ステアリングを爪ではじいた。
 ここからはもう、歩くしかない。
 ドアを開けて外にでる。少し肌寒い。
 秋風に両腕をかき抱き体を一度震わせると、ふわり、と大きな上着が空から振ってきた。
 隆之介が着ていたジャケットであった。
「草間さんには悪いけど、震えている女性を見て何もしないのは、俺の流儀じゃないんでね」
 緊張を和ませようというのか、わざと道化めいた仕草でウィンクをしてみせた。
 そうして隆之介はのびをするように、両手を広げた。
 まるで森の空気を吸い取り、己が力に変えようというように。
 事実、隆之介は力を感じていた。
 自他共に認める都会人だが、何故か森は心地がよかった。
 深く、未踏であればあるほど、不思議と心の奥がふるえ、解放されたように体が軽く感じられた。
「堂々としたものね、そう、まるで狼みたいだわ。前世は狼だったんじゃないの?」
 先ほどの隆之介の冗談を受けて、今度はシュラインが軽口を返した。
「ああ、名字が「おおかみ」だから?」
 ははっ、と笑いを漏らして夜空を見上げた。
 悪くない。
 何故か正しい感じがした。何故そんな馬鹿げた――前世が狼だという冗談が耳に心地よいのか、自分でもわからなかったのだが。
 秋風にあおられて森の木々が揺らめく。
 葉擦れの音が、二人をせき立てるように右から左へ、前から後ろへと連なっていく。
 懐中電灯で足下を照らしながら歩いていた二人は、すぐにそんなモノは不要だということに気がついた。
 ぼんやりと明るいのだ。
 細く森の奥へ続く道の向こうに、白とも青ともつかない光がぼんやりと灯っていた。
 そして、その光を二つに分けるようにひょろりとした黒い人影がのびていた。
「榊さん!」
 光の中心には苔に覆われた二つの巨石がお互いがお互いを支えるようにしてせめぎ合い、打ち立っていた。
 ――黄泉と現世を分ける境界点。
(黄泉津比良坂・千引きの岩)
 イザナギとイザナミの離別が言い渡された場所、光と闇、生と死の境界。
 ――そういえば榊って、神と人を分ける境界線って意味があったんだよな。
 緊迫した雰囲気のなか、突如その言葉が隆之介の頭の中に浮かんだ。
「ちょっと、どういう事かしら? 警察はあなたが行方不明だって事で草間興信所に依頼をかけてきたのよ」
「行方不明? ああ、表向きはね」
 シュラインと隆之介の方を振り向くこともせず、柔らかい茶色の髪を風におもうままになぶらせながら、榊はじっと千引きの岩を見ていた。
「由良ちゃんも、パパを探してたぜ」
 たった数歩の距離なのに、何故か光の中に近寄りがたく、その場に立ったまま大上が言った。
 と、ぴくりと榊の肩が動き、続いて喉をふるわせながら笑って見せた。
「そう――透子さんは、そこまでやったんだ」
「透子さん? 由良ちゃんの母親?」
 強く吹き付けてくる風に目を細めながら聞くと、榊がようやく振り向いた。
 大上とシュラインが、全く同時に息をのんだ。
 瞳がぼんやりと輝いていた。
 深い森のように、あるいは鮮やかな新緑のように、いっときも同じ色をとどめず、榊の瞳が輝いていた。
 柔和で人好きがする顔は、今や笑っては居らず、隠すこと無い怒りにあふれていた。
「ああ。シュラインさんはそんな顔をしていたんだ」
「え?」
 聞きようによっては、ひどく失礼な質問にシュラインは面食らった。
「いつもはね、力を押さえる副作用であまり頭が働かなくてね。人の顔もぼんやりとしたイメージでしか記憶できないんですよ」
 ぎこちなく唇の端をつり上げて、作り笑いをしてみせる。
 それだけの事がとてつもなく怖かった。
「ごまかさないで。由良ちゃんの母親が「そこまで」やったというのはどういうこと?」
 圧倒的な威圧感の前に、ふるえそうになる声を、それでも何とか律し、平常を装いながら挑戦的にシュラインは聞いた。
「警察の――いや、あなた方の足を封じる為に由良を草間興信所に差し向けたという事です」
 輝く千引きの岩に寄りかかり、顎をそらし、傲然とした表情で榊はシュラインと大上を見据えた。
 ――二年前、火之迦具土をあがめる教団との戦いがあったこと。
 己を過信した為に、追いつめられ、榊の能力――他人の力を際限なく増幅させる――を発動し、部下の力を暴走させ、敵もろとも、そう、自分以外のすべてを殺したこと。
 それによって由良の母親――嘉数透子に憎まれたこと。
 まるで他人事のように、事件の概要を部下に説明するように淡々と榊は語った。
「火之迦具土をあがめる教団――ああ、便宜上「火神教」と警察では呼んでますがね。――は富士に眠る火之迦具土を解放し、浄化の炎で日本全土を焼き尽くさなければならない、と狂信している宗教団体でね。イザナギ・イザナミの国生みは失敗だった。だから今の日本には不幸や犯罪が蔓延しているのだと。もともと火之迦具土はイザナギとイザナミを、そして彼らが生んだ神々を殺す為に誕生した「真の主神」で、奇しくもイザナギに殺され、富士の山に封印されてしまった。だからその神をお助けし、「真の主神」を信じる者による浄化された炎の永遠に燃えさかる国を作ろう。という――そういう終末思想と選民思想を併せ持った宗教団体でね」
 馬鹿げている、と言った調子で息を吐き捨てる。
「ああ、話が反れましたね。ともかくそういう教団と戦い大本は根絶したつもりだったのですが――どうもそうはならなかったみたいでね。生き残った「火神教」の奴らが同じように私を憎む透子さんに接触して、懐柔してしまったんです」
「どういう事だ?」
「嘉数良介は「死んで」は「いない」。火之迦具土を「封印」しているのだ。だから「封印」をとけば「帰ってくる」」
 つう、と緑の瞳を細め、シュラインを見た。
 蒼い瞳と緑の瞳。緑の瞳と琥珀の瞳が交差する。
「そう言うことか、納得がいったな」
 死反玉。
 死に生を与える呪物。
 「死」んで居る物に命を与える。ならば「死んでいる火山」を「生き返らせる事」も出来る筈だ。
 富士山は死火山ではないが、噴火しないという点からみれば死んでいるような物だろう。人間の一生より長い間眠り続けているのだから。それを活性化させるために「死反玉」を手にしようと教団が企んだ。
「ちょっとまって、じゃあ何故自分たちで取りにこないの? 榊さんが取りにくる理由がない」
「私が取りに来る理由は簡単です。由良の手首の痣見ました?」
 息をのんだ。
 確かに炎のような赤い痣があった。
「まさか由良ちゃんを盾に取られているって事? だって、透子さんって人は由良ちゃんの母親でしょう?」
 そのまさか、ですよ。とつぶやき目を伏せた。
 由良が言っていた「母親と榊の言い争い」はそこにあったのだ。
 透子は榊に対して「由良を死なせたくなかったら、かつて私の夫を殺した贖いに死反玉を取ってきなさい」と。
 期限は――由良の誕生日までなのだろう。
 そして榊はその条件を飲まざるを得なかった。二人を守ると死んだ部下と約束したから。
 だからどちらをも見捨てることが出来なかったのだ。
「事情が事情とはいえ、警察官が犯罪に手を貸したとなってはマズイでしょう。だから表向き行方不明として処理するしかなかった」
 くすくすと笑いながら千引きの岩をなで回す。
「私を行方不明とした事を、草間興信所に知らせる。そうすれば今までの前例より、術者が事の解決にあたるでしょう。解決する為の線上にはかならず「火神教」が現れる。そうすれば事件に携わった術者は戦わざるを得なくなる。警察の代理としてね」
 そして透子は自分たちの計画を妨害させないよう先手を打つために、由良を草間興信所にやったのだ。
「そんなのって、そんなのあんまりじゃないの!」
 大人の都合で由良を言いように踊らせ、その命すらも手玉にとるなど。
 いくら愛する人を失ったからといって、許される事ではない。
「ですが、それが現実です」
 冷酷に言う。
 突風が吹いた。
 木々から葉がもぎ取られ、まるで雪のように次から次に舞い降りてくる。
 光がひときわ明るくなる。
 目も開けていられないほど強く、鋭く光が明滅し出す。
「ちょっとまて! それじゃあなんで教団はあんたに死反玉を取らせようとしているんだ!」
 大上が叫び、光の内側に向かって駆け出すが、途中で不可視の壁に遮られ、はじき飛ばされる。
 したたかに地面に叩きつけられ、シュラインの手をかり何とか身を起こした時、冷たく冴えた女性の声がした。
「一つは、教団が知る人物で死反玉を取る事ができるほどの人物が榊しか居なかったから」
 声の方を向く、と、ぐったりとした幼女――由良を抱えた日本人形のような一重まぶたの女性が炎とともに唐突に現れた。
 顔を上げ、背を伸ばし巫女然とした姿から、それが嘉数透子だと知覚できた。
 能面のような顔には、憎しみも喜びもない。
 神託を告げるように指を榊に差し向ける。
 と、周囲の風景が変わった。
(違う、光に囲まれてる部分の時間が逆行しているんだ!)
 大木が細くなり、若木になり、芽となっていく。
 苔が消え、こぼれ落ちた岩の割れ目がふさがっていく。
 下映えの草は瞬く間に短くなり、そして土になり、再び生え始め、花を付ける。
 榊の周囲だけが、時間に逆らい、摂理に逆らい、異界となっていた。
 やがて岩が大きくゆれ、二柱の門へと変わる。
(黄泉への入り口?!)
 ふさがれる前の黄泉路への門。
 その門の真ん中に白い班の入った瑪瑙の玉が浮いていた。
 榊の指が、死反玉にふれたその時歌うように、宣告するように透子が告げた。
「一つは、死反玉に最初にふれ奪った者は「死」を――それを司るイザナミを冒涜したとして死への呪いを受ける」
 だから、教団は、透子は憎む榊自らに死反玉を取らせたかった。
「やめろ榊さん! あんた自身が犠牲になってどうするんだよ!」
 大上が叫ぶ。
 死反玉に触れていた榊が、ふ、と笑ったようにシュラインには見えた。
 それはいつも通りの、日溜まりのような笑顔だった。

 光が、はじけた。
 
 雷が至近距離で落ちるような轟音がした。
 鼓膜がふるえ、耳鳴りで頭がおかしくなりそうだった。
 眩んだ目を何度も瞬きさせ、無理矢理あたりに視点をあわせる。
「由良を返しなさい」
 まるで法王のように厳かに榊が透子に命じていた。
 差し出した手のひらには、黒とも灰色ともつかない不気味な光を明滅させる死反玉がある。
「いいわ。由良にかけた生け贄の呪いは解いてあげる――でも」
 透子は唇をなめ回して、婉然とわらった。
「あなたは二夜の間、苦しみ抜いて死ぬのよ」
 けたたましい笑いが夜闇を引き裂いた。そして現れた時と同じように、唐突に出現した炎に身をゆだね、時空の狭間へと滑り込み透子は姿を消した。
 胸に、愛し子のように大事そうに死反玉を抱いていた。
 娘である由良は、夜露に塗れた茂みに捨てられた人形のように寝かされていた。
「馬鹿かアンタ! 何なんだよ!」
 混乱しきった頭のまま、大上は由良を抱きかかえ榊に向かってどなりつけた。
「すみません――私は」
 何をいうつもりだったのか、わからなかった。
 榊は、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
 あわててシュラインが駆け寄り、脈をとる。
 かすかに、だが確実に脈拍が上がり始めている。脈拍だけではない、体温も上昇しつつあるように感じられた。
(どうすれば――)
 どうすればいいのか、皆目見当がつかなかった。
 混乱する事態に翻弄される人間どもをあざ笑うように。
 白い月が冴え冴えとあたりをてらしていた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0173 / 武神 一樹(たけがみ・かずき)/男/ 30/骨董屋『櫻月堂』店主】
【0599 / 黒月 焔(くろつき・ほむら)/男/27/バーのマスター】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 /草間興信所事務員&翻訳家&幽霊作家】
【0213 / 張・暁文(チャン・シャオウェン) / 男 / 24 / サラリーマン(自称)】
【0365 / 大上隆之介(おおかみ・りゅうのすけ)/ 男 / 300 / 大学生 】
【0778 / 御崎・月斗(みさき・つきと) / 男 / 12 / 陰陽師 】
【0908 / 紅・蘇蘭 (ホン・スーラン)/ 女 / 999 / 骨董店主・闇ブローカー】

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■         ライター通信          ■
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 私的事情により、納期を遅らせてしまい大変申し訳ありませんでした。
 プレイングの違いにより文章量にかなり差がでたり、情報量に差が出てしまい、調整しましたが、あまり差を埋められなく、己の至らなさに閉口するばかりです。
 ともあれ、後半解決のヒントはすべて出ております。
 というよりも、むしろ「こう」という解決の答えはありません。
 前編にちりばめられた各種の情報を活用して「自分ならこう解決する」あるいは「こう解決されるべきだ」という行動を貫いてくだされば、事態は落ち着くべき所へ落ち着くのではないかと思います。
 なお、今回はプレイングの内容や、ばらまくべき情報のかみあわせにより、他の方の事件を参考しなければ全貌が見えないという多少面倒な作りになっております。
 一つのファイルにまとめようかと思いましたが、それではあまりにも文章量が多すぎるのであえて分割させていただきました。
 後編にも参加していただけると幸いです。
 では。

・大上隆之介様、シュライン・エマ様。
 今回黄泉津比良坂の場所が正解している、もしくは榊千尋を追う事が最優先とされている人に準じるルートです。
 ほとんどが説明というセッションになってしまい、申し訳ない限りです。
 榊の視点から見た事件、あるいは榊の知る情報を重点に平均的に情報がばらまかれています。
 詳細情報は他の方の分を参考にしてくると見えてくると思います。
 今回参加された方は全情報を知っている、という前提で後半のプレイングをかける事ができます。
 榊にかけられた呪いの詳細は、後編のオープニングで明らかになります。
 由良は二人によって無事に保護されました。しかし母親に殺されかけたという記憶があり、ショック状態です。
 後編のプレイングによっては榊千尋は呪いにより死亡します。
 母親に会いに行くというプレイングをかけられた方があまりにも多かった為、防御が高い順とさせていただきました。(交渉に値する部分なので攻撃的でない人間が適任という数値判断です)
 ご了承の程、お願いいたします。