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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:黄泉津比良坂 −千引きの岩−(前編)
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜5人

■オープニング■

 自分が死ねばいい。
 自分が死ねばいい。
 そうすれば、この国は、愛しい人は助かるだろう。
 かつて女神を殺し、男神に殺され、今よみがえろうとしているこの焔の邪神と共に自分が死ぬことで、この世界は救われる。
 愛しい妻である彼女も、自分と彼女の血を継ぐ娘も、この世界に生き続けていけるだろう。
 ――しかし、その世界に自分は居ない。
「彼女は私を憎むでしょうね」
 隣に立っている緑の瞳の魔術師が、同じ警察官であり、自分の上司である男が微笑みながらつぶやいた。
「でも決めているんでしょう?」
 ……警視は俺を犠牲にしてこの国を守るだろう。
 泣きわめいても、懇願しても、怒り狂っても。
 この上なく冷酷に、この上なく優しく。俺を犠牲にすることで破壊を最小限に押さえ、国を守ろうとするだろう。
 寂しいのか、悔しいのか、諦めているのか自分でもわからない。
 ただ……密かに危機を乗り越え、守られ、平和にすぎていくその世界に自分は居ない。
 彼女の、娘の居る世界に自分は居ない。
「二人を頼みます」
 使い古された独創性のない言葉が口から漏れる。最後なのだからもう少し格好の良いことを言えればいいのだが、それ以外に思いつかなかった。
 緑の瞳の魔術師は、微笑みをくずさないまま。だがしっかりとうなずいた。

 白昼夢を見ていた。
 どんな夢なのか思い出せない。ただ、どこかで見た誰かがいた気がする。過去なのか、予感なのかわからない。
 そんなことをぼんやり考えながらソファーにもたれかかり、髪をかき上げていると、そろそろと興信所の扉が開き、一人の女の子が現れた。
 背中に背負った赤いランドセルが重いのか、しきりに肩を動かしている。
「パパを探してほしいの」
 と、鈴を転がすような声で開口一番にのたまった。
「おいおい、ここは交番じゃないぞ」
 今まで子供が依頼者という事件を幾つか担当してきたが、どれも金がとれない……つまり骨折り損の事件ばかりだった。
 その為、子供が関わる以来は極力避けたい。というのがありありの口調で草間はぼやく。
「パパを探してほしいの。お仕事先からも居なくなってみんな心配してるの」
 負けじと少女は繰り返す。
「パパ、どうしていなくなったのかな?」
 子供を放っておけないのか(便宜上)草間の妹の零が、しゃがみこみ、少女と同じ目線で語りかける。
「パパね、由良とお約束したの。由良の誕生日に本当のパパを連れてきてくれるって。由良の本当のパパは「ほのおがくち」の悪い神様が「ふしのやま」から出てこないようにする為に「よも」に行ったの」
 舌っ足らずな声で言うが、要領を得ない。
「ママが「し」のあがないに「よも」の坂にある「まかる」の玉を持ってきなさい。ってパパを怒ったから、パパも「よも」に行ったの」
「うううううーん」
 零が頭を抱え込む。何を言いたいのかさっぱりわからないといった処だろう。
 草間が面倒くさげな仕草でタバコをくわえた瞬間、けたたましく電話が鳴り響いた。
 いそいそと受話器を取り上げ、草間は肩をすくめた。
 少なくとも子供の戯言よりは電話の向こうの相手が金になる仕事だ、と思ったのだろう。
 しかし、電話を受けて10秒たたない内に草間の顔がこわばった。
「……なんで警察が……榊が行方不明?」
 警察庁に所属し、怪奇事件の調査解決を指揮する男。
 しばしばここに来てはやっかいな事件を押しつけていく彼――榊千尋の名前を何度かつぶやくと、草間はとうてい判読不可能な文字で忙しげにメモを取っていく。
 ふと気になって、少女の方をみる。
「パパの名前教えてくれるかな?」
 零の頭越しに少女に向かって問いかける。と、少女――由良は汚れない純真な瞳を輝かせながら、予想通りの言葉を返した。
 ――パパの名前は「さかき・ちひろ」なのだ、と。

■15:30 子供の領分■
 
 ランドセルを背負い直し、コンビニの袋をざわめかせ、御崎月斗は居候先の叔父の家のドアを開けた。
 兄弟はまだ帰ってきていないのか、家の中はしんと静まりかえっていた。
 家具が少ないリビングの隅にはゴミに出し忘れた週刊の漫画雑誌とペットボトルの山。
 かごに無造作に突っ込まれているのは、最近売り出し始めたスナック菓子の小袋。
 飾りのない瓶のなかには、数種類のキャンデー。
 タロットカードのようにテーブルに並べられているのは、小学校で人気の退魔を主題にしたシリーズのトレーディングカード。
 大人が見たら顔をしかめる以外の何者でもない雑然とした無法地帯も、子供から見れば魅力的この上ないネバーランドである。
 叔父が頓着しないからか、それともその手の裏家業をこなすため家を空けがちで気にならないのか。
 家の中の居候をしている子供達――月斗とその兄弟達によって支配されていた。
 やや固めの髪の毛を面倒くさげな仕草でかき混ぜ、コンビニの袋からおやつ代わりに買ってきたコロッケパンをつまみ出し、月斗はパソコンのスイッチを入れた。
 ランドセルをおろし、味わうというより詰め込むようにコロッケパンを胃の中に放り込むと、ようやくパソコンが起動終了し、見慣れたデスクトップ画面が映し出された。
 マウスを操作して、ブラウザを起動する。と、黒い背景を主体にしたオカルトチックなHPが現れる。
 それは月斗が運営する、退魔系ホームページだった。
 ナビゲーションや言葉遣いにも気を使った様をみれば、人目でそれが趣味ではなく、実用をかねているのがわかる。
 実際、月斗はこのホームページに舞い込む依頼を処理する事によって、ともにすむ兄弟三人の生活資金を稼いでいるのだ。
 そう。稼いでいる。
 そもそも月斗は両親とともに暮らしていた。
 家系は平安時代から続く陰陽師の血筋で一応そこの長男にあたり……つまり跡継ぎで、世が世ならば陰陽寮の長も望める者であった。
 だが、いつの頃からか、その枷が嫌になった。
 陰陽師が嫌な訳ではない。事実、この年齢にして十二神将クラスを使役することができるのだ。ただ才能があるだけ、血筋があるだけでは式神はついては来ない。
 当然術を覚える修行が嫌になったとか、そういう訳でもなかった。
 ただ「何か」が重苦しかった。
 歴史の長さなのか、それとも物心つく頃に未来が定められている、という状況がなのか、今の月斗にはまだわからない。
 ただ、もし、家を継ぐのであれば、それは心から自分が「継ぎたい」と思った時でなければ駄目なような気がした。
 操り人形のように、運命だとか、血だとかしがらみだとか言う糸が手足にからまり、勝手に動かされるのではなく。
 自分の意志で動いていきたい。と、思ったからかもしれない。
 別の理由からかもしれない。
 明確な答えを出しても、多分、どれもこれもがずれているのだろう。
 言葉は言葉にすぎないのだ。ちまたにあふれる単語をどう当てはめても、月斗の本当の心情の複雑さを完璧に表すことなどできない。
 ともあれ、そういったしがらみを断ち切るために、三つ子の兄弟三人で東京の叔父の家に転がり込み、現在に至るという訳である。
 本来ならば認められるはずもない、奇妙なこの生活形態が親も叔父も認めている(あるいは認めざるをえなかった)のは、兄弟一の策略家である月斗の説得が聞いたに他ならない。
 ホームページをチェックして、月斗は顔を画面に近づける。
 食べこぼしたパンくずがぱらぱらと落ちた。あまり散らかすとあとで兄弟に怒られるかも知れない。叔父に怒られるのはさほど答えないが、兄弟に怒られるのは避けたい。
 どこか超然として、造形物めいた固い表情を見せる顔に困惑の色が浮かぶ。
 後ろにのびた一房だけ金に輝く髪さえも、どこかしょげて見える。
 他人からは何を考えているかわからない、小学生にはみえない、落ち着きすぎた。と言われる月斗だが、生まれたときからともに居る兄弟には、すぐに感情がばれてしまう。
 今、自分以外がこの部屋にいたら、きっと「しょげる位なら、こぼさないようにすればいいのに」とくすくす笑いでからかわれてしまったことだろう。
(それもこれも草間のおっさんの性だ)
 かなり強引な責任転嫁をして、月斗は舌打ちをした。
 子供のお守りを頼む。子供同士なら話が通じるだろ? ウチのクライアントの義理の娘の様でまあ、いろいろと訳アリだ。ともかくすぐ来い。
 と、素っ気ないメールが届いていたのだ。
「ったく、何が子供同士話が通じるだろ、だ。人をなんだと思ってるんだ。いっとくけど請求はキチンとしてもらうからな。だいたい草間のおっさんの依頼は安い割に仕事にならないんだよなぁ。あーあー」
 でも今月は、あまり依頼をこなしていないから生活費が苦しいのも確かだ。
 お金は余裕があって困る者ではない。
 メールを仔細に読み尽くす。
 「まかる」の玉って事はやっぱ「死反玉」の事だよな。そうなると十種神宝御法が関係してくるのか……?
(となると、黄泉路にまつわる神話関係が怪しいから一度調べてみるか)
 検索エンジンを駆使して単語を入れる。
 死反玉・黄泉・十種……など。
 しかし引っかかって来るのはどれもこれも、既知の情報でしかない。
 火之迦具土によって陰を焼かれ死んだイザナミを追って、黄泉へ下るイザナギ。
 しかし、黄泉の食物を取り、すでに死に犯されたイザナミの姿を見て、逃げるイザナギ。
 そして黄泉と現世の境目「黄泉津比良坂」に封印の「千引きの岩」をおいて、二人の夫婦神は決定的に離別するのだ。
(でも勝手だよな。約束を破ったイザナギが悪いのに、一方的に離縁なんて)
 現世的な目で解釈を加え、月斗は肩をすくめた。
 ともかく他の情報収集には十二神将の式神を使って調べることにするか。
 パソコンの電源を落とし、机の引き出しにしまってある、十二枚の式符を丁寧にハンカチで包んでポケットにしまいこむ。
 こぼれ落ちたパンくずをハンドクリーナーで始末して、ゴミを片づけあたりを見回す。
「これで、よし。と」
 これなら兄弟に文句をいわれまい。
 そう思ってつぶやいた月斗の横顔は、先ほどまでの退魔師の厳しく冷たい顔ではなく。
 どこにでもいる、無邪気で悪戯好きな小学生の、混じりけ無い親愛の笑顔だった。
 

■17:00 禍津火神の使徒■

 歩くたびに由良の手首にある金の鈴が揺れる。
 玉がないためか鈴口から音が漏れることはなく、ただ、秋の夕日をうけて静かにゆらゆらと輝いている。
 小さい手は、しっかりと少年――草間が子供のお守りに最適だ、とよこした術者の少年の手を握りしめていた。
 握りしめられている方、つまり御崎月斗といえば、どこか困惑したような呆れたようなぶっちょう面で武神の隣を精一杯の早足で歩こうとしていた。
 しかし由良の歩みが小さいためかうまく行かず、二歩歩いては半歩タイミングをずらし、タイミングをずらしてはまた歩き始めるという事を飽きることなく繰り返していた。
 それはどことなく年齢に似合わない無理を重ねているようで、武神としては苦笑するしかなかった。
「パパねぇ、由良の幼稚園の運動会にも来てくれたんだよ。今度の小学校の運動会にも来てくれるって約束したんだよ。本当はものすごぉく仕事が忙しいから来るの無理な筈なのに、いつも由良との約束まもってくれるの」
 にこにこと無邪気なことこの上ない笑顔で、由良が舌っ足らずな口調で言う。
「誕生日に、おっきーな由良よりおっきーなピンクの象さんのぬいぐるみくれたし」
「由良ちゃんは榊――パパの事がすきなのだな」
 ほほえましさから来る笑いを堪えながら武神一樹が問うと、由良は「うん」と大きくうなづいて月斗とつないだ手を力一杯振った。
「でも由良悪い子なの。ママがね榊のぱぱに頼んだらきっと「本当のパパ」連れてきてくれるって。約束で契約したら、ぱぱは約束破れないんだって。由良、本当のぱぱにちょっと逢いたかったから……ほんとかなぁってママに言われた通りに言ったの。そしたらパパちょっと怖い顔してた。由良がママの意地悪どおりにしたから由良の事嫌いになっちゃったのかな」
 うつむいて、立ち止まる。
 人気のない夕方の住宅街のアスファルトに、三人の影が長くのび、刻み込まれる。
 たったそれだけのことが、訳もなく月斗には悲しくて悔しかった。多分、つないでる由良の手から感情が伝染したのだ。自分は人より心の――精神の動きを察知しやすい術者なのだから。と思いこもうとして、やめた。
 事件の背後関係はしらないが、由良は多分踊らされている。
 大人達の都合によって。
「ま、俺がなんとか二人のパパを捜し出してやるから心配するな。大船にのったつもりでいろよな」
 まとわりつく、由良の寂しげな感情を振り払うように、月斗が元気良く言った。
 と、由良はふたたび大きくうなずくと、手を離し一気にかけだした。おそらく家が近いのだろう。
「無理をするな」
 月斗の頭に手を置き、一樹が言う。
 人と妖。その調停役を担う武神は、人と人との間にも容易に解きほぐすことのできない、感情の糸のもつれがあることを知っていた。
 大人でさえうんざりとして、なげうちたくなる糸だらけの世界を、子供である月斗が自力だけで生きていくのは容易ではない。
 しかし。
「世界はおまえ一人を受け入れられないほど狭くはない。おまえが一人で受け入れなければならないほど広くもないがな」
 ふ、と息をもらして言うと、プライドを傷つけられたとおもったのか、月斗が乱暴に一樹の手を払った。
「わかるかよ、そんなの」
 頬を上気させ、ふくらませて反論する。
 何が言いたいのかわからない。矛盾している様にも聞こえる。
 しかし「わかって」いるのだ。一樹が何を言いたいのか。ずっと自分で分かっていたのだ。ただ、気づきたくなかっただけで。
 常に落ち着いた言動で、とても小学生には見えない。
 しかしどう言おうと、まだ手も足も細く頼りない事が否定できない事実だ。だから少しでも大きくみせようと。そう無理をしていたのかもしれない。していないのかも知れない。
 ただ、兄弟がいる時のように純粋に人前で笑うことはできない。
 自分には守らねばならないものがある。だから強く無ければならないのだと。
 しかし一樹を見てると、やはり自分は無理をしているのかもしれない、と感じずにはいられない。
 一樹には今まで見てきたどの大人にもない、自然体の強さがあった。
 無理をするわけでもない、怠惰に自分の力を無いものと見なしているわけでもない。
 ただ、千年も昔からある杉の巨木が、無理に枝をざわめかせるでもなく、周囲の木々を圧倒するでもなく、「ある」ということ。ただそれだけで自然の強さを、命のたくましさを伝えるように。
 そういう強さがあり、それが月斗にはまぶしくも、そしてねたましくも感じられた。
 言葉を失い、ただ、黙々と二人で由良の後を追いかけていたが、ふと、月斗が足をとめた。
「どうした?」
 一樹が尋ねると、月斗がつい、と手を空にのばした。
 そこには美しく、輝いているのではないかと思えるほど、ただただ白い小鳥が飛びさえずっていた。
 小鳥は最初からそうなることが決まっていたかのように、月斗の指先にとまり、その羽を毛繕った。
 十二神将が式神化した存在――情報収集の為にとばした「迷企羅(メイキラ)」だった。
 迷企羅は指先から肩へと飛び移ると、月斗の耳をついばむような仕草をし、しばらく戯れるように羽を耳元でばたつかせた後、再び赤から黒へと染まりつつ空へ飛び立った。
「由良の家の周りに警察と……神道系の術者が……いるらしい」
 かすかに顔を強ばらせ、月斗がぼそりと言った。
 一樹はめがねを押しやり住宅街の奥、まだ建てられたばかりの小さな二階建ての家を見た。
 警察が……いる?
 家の中なら分かる、失踪した仲間――しかも、エリートであり、一応幹部候補生の榊が失踪したのだ、警察が捜査の為に由良の母親に事情聴取するのはありうるだろう。
 しかし、家のまわりにいるとはまるで。
「張り込みか」
 きな臭い。ただの失踪ではないな、と確信した。もっとも予想無いの出来事だったのでそこまで意表はつかれなかったが。
 問題は神道系の術者とやらだ。
 榊の部署の人間なら問題ない。だが何かが引っかかる。
 引っかかると言えば先ほどの由良の話もだ。
 ――約束で契約したら、ぱぱは約束破れない。
 ママに言われて、約束で契約した。だ。
 約束と契約は違う。特に術者あるいはそれに関わる者にとっては。
 では榊は何らかの罠にはめられて、何かと引き替えに「由良の誕生日」という期限までに「死反玉」を手にいれなければならない状況に陥ったというのだろうか。
 そして、それは彼の立場と相反していた。だから警察官として動くことはできず、単独で行動したというのだろうか。
 ――ならばすっきりと、収まる。
 かつて榊に関わったさくらから得た人物像では、榊は「国を守る」為にはあらゆる手段を辞さない冷酷さを持ち合わせていると見えた。
 おそらく、国を守る、というのが彼のなにがしかの信念にかかっているのだろう。
 国――否、国家だ。
 この国に息づく者ではなく、この国の秩序、人間が人間のために、人間が生きやすい社会となるために作った秩序を守る彼が、その組織から抜け出し、単独で動く。その気持ち悪さが先ほどの由良の言葉で納得が行った。
 裏切らざるを得ない……何故?
(まだ、足りない)
 おそらく、事件の全体という設計図を描くには、まだ足りないパーツがあるのだ。
 そしてそれを「由良の母親」が持っているに違いない。
「思ったより、やっかいな事になりそうだな」
 暮れゆく空には、厚く黒い雲が徐々に立ちこめており、夜半ともなれば雨が降り出しそうな気配だった。
 じっとりとまとわりつくような、湿気の多い空気をどこか息苦しく感じながら、一樹と月斗は走り去った由良の赤いランドセルを見つめていた。

 嘉数透子は、日本人形のように綺麗に切りそろえられた髪を払い、自動人形のように感情を感じさせない動きで月斗と一樹の前にお茶を出した。
 通された居間はテレビドラマで良くみかけるような、ありきたりの風景だったが、どこか生活感がかけていた。
「榊さんは、本当に由良に良くしてくれたと思います」
 ぽつり、とうながされるでもなく透子が言った。
「学校の行事も、クリスマスや七五三なんかも、お忙しい仕事に無理矢理都合をつけて、いろいろとしてくださって。本当に――由良の父親代わりとしては、最高の方だと思います。良介が生きていたとしても、榊さん程の「理想の父親」にはなれなかったと思います」
 「理想の父親」に、かすかな皮肉を込めながら、透子は唇をゆがめた。
 生来なのか、それとも夫を失ってからそうなったのか、不健康に乾き、紫がかった唇が、ぎこちなく動く。
 その笑いに、すべてが込められていた。
 由良の父親代わりとしては、最高だ。
 しかし、由良の父親――自分が愛した男ではない。
 自分が愛した男の代わりにはなり得ない、なることを許さない。と。
「私と良介は、伊勢・伯家という違いはありましたがともに神道の術者であり、榊さんがいらっしゃる部署が設立される前から宮内庁・警察と、いくつか表沙汰にすることができない事件に携わってきました。だから「宮」が――ああ、国家は便宜上「火神教」と呼称しておりますが――が、富士を活性化させ日本転覆させようとしているのは、重々承知しておりました」
 火之迦具土――日本神話から忘れられた、宮を持たない祭神。
 母を殺して生まれ、生まれすぐ父に殺された。
 親殺し、子殺しをその一身に背負いあらわれ、すぐに表の歴史から消し去られた存在。
 静岡県周智郡春野町の秋葉山(あきはさん)山頂にある秋葉神社本宮が、祭神としてまつってはいるが、信仰しているというよりは、むしろその力を恐れ、封じる火防(ひぶせ)信仰として、かろうじて組み込まれているのみである。
 イザナギ・イザナミの直系であるにしてはあまりにもささやかで、伊勢などに比べれば遙かに零細なまつられ方である。
 しかしその影で、火之迦具土こそが主神であるという神話解釈をする術師があらわれた。
 すなわち、イザナギ・イザナミの国生みは失敗であり、その失敗を正すために火之迦具土は生まれたのだと。
 すべてを生み出したイザナミの女陰(ほと)を焼き、国土を焼き、新たに炎の中からすべてを生み出し、それこそが完璧な国になるはずであったと。しかし、父により殺されたが故になし得なかったのだと。
 そして今の日本はイザナギの子殺しの罪の上にあり、「だから」争いや苦悩が耐えないのだと。
 正す方法は一つ、不死の山において火之迦具土を復活させ、日本という国を炎で浄化せねばならないのだと。
(強引ではあるが、つじつまは合うな)
 苦笑しつつ一樹は頭を振った。
 世界終末思想と選民思想の良くあるパターンだ。
 世界は滅ぼさねばならない。自分たちが信じている神によって滅ぼさねばならない。しかし神を信じている自分たちは特別だから生き残るのだ。と。
「それを阻止するために、良介と榊さんは富士において「宮」の者達と対峙しました。不利なのは明らかな戦いでした。でも、良介は榊さんを信じておりました。また、榊さんや良介が判断するとおり、あの時――あの二年前に止めなければ、本当に日本は富士噴火という天変地異によって、立ち直れないダメージを受けたかもしれません」
 そして戦い――かろうじて「宮」の意志は防がれた。
 嘉数良介という一人の術者の犠牲によって。
 だが、だからといって許せる訳がない。
 納得するには、あまりにも良介の存在は大きすぎた。
 そこには一人の子供がいた。
 愛する人を返して、とひたすらに泣きじゃくる小さい幼女が。
 由良の母親としてではなく、ただただひたすらに愛する者を求める女として。
 嘉数透子が泣いているように見えた。
「だから、あんたはその榊とかいう奴をなじった訳か」
 そんな事をしても、死んだ奴は帰ってこないのに。
 大人のくせにそんな当たり前の事も知らないのだろうか。
 どこか冷淡に透子を突き放しながら月斗は言った。と、透子はうっすらと――怖気がするほど冷えた笑いを浮かべた。
 尋常ではない。
「俺は、人と妖の調停役をしている。だが人と妖が反目するのを快く思わないのと同じように、人同士が反目するのも黙っては見ていられない質でな」
 いつの間にか空になってしまった湯飲みを、テーブルの上に戻しながら一樹は深く静かな夜の森のような闇色の瞳で、じっと透子を見た。
「ことここに至るまでの榊の意図と動向を尋ねさせてもらおうか。彼の行動にも、貴女の行動にも不明瞭な点が多すぎる」
「例えば?」
「例えばあんたが榊とかいう奴を何らかの罠に陥れた事だ」
 一樹の言葉につづけるように、辛辣に月斗がいうと透子の眉がぴくりと上がった。
「そう、随分と賢い方々なのですね。確かに私は由良の口を借り、彼が由良の誕生日までに死反玉を持ってくるようにし向けましたわ。約束ではなく神の名に基づく契約として」
 引きつるように透子の喉が動いた。
「無意味だ、死んだ人間を生き返らせるだなんて!」
 いつになく感情的に月斗が叫ぶ、大人の勝手な都合で由良が踊らされている。
 そのことがこの上なく悔しかった。この上なく許せなかった。
 怒りが熱となり胸の奥でぐるぐると渦巻いていた。
 しかし怒りの対象である筈の透子は、氷結した彫像のように顔色一つ変えずさらりと言い放った。
「ええ、私だって神道の術を使う巫女の端くれ。死反玉が「死体すらない人間」を生き返らせるなどできないと、そんなこと当たり前にしってます」
 では、何のために。単に榊を苦しめたいのか。
 ただそれだけなのか。
 一樹は頭の中でめまぐるしく状況を理解し、先を推理しようとした。
 何を犠牲にしても国家を守るという榊の冷酷な信念、その信念すら曲げさせる「契約」。
 死体すらない人間なと死反玉では生き返らせられないと言いつつ、死反玉を求める透子。
 刹那。
 一樹はすべてを悟った。
 シュラインが事務所でみた、赤い痣。
 鳴り響いた黄金の鈴。
 鈴を捨てろといった透子。鈴を渡した榊。
 めまぐるしく記憶が交差する。
「契約の代償は由良――娘を契約の代償に、人質にしたのか!」
 あの痣は透子が施した契約の代償、契約が守られなかった時の為の神々への生け贄の印。
 鈴は榊が施したささやかな封印であり、抵抗。
 しかし契約の期限が近づくにつれ、封印することができなくなってきたのだろう。
 当然だ、契約は「契り」なのだ。決して破ることは許されない誓いなのだ。
 おそらく死の間際に際して良介は、榊に妻と子供を頼むとでも言ったのであろう。
 そして榊は罠にはめられてなお、誰の約束も破ることが出来なかった。
 亡くなった部下との約束も、誕生日にパパを連れてきてと言った由良との約束も、そして娘の命を代償に死反玉を持ってくるようにと榊を罠にかけた透子との約束も。
「その死反玉を、何に使うつもりだ!」
「――おわかりの、癖に」
 ゆらりと陽炎のように透子が立ち上がった、そしてリビングの片隅で絵をかいていた由良をその腕に引き寄せると、首に自分の腕を絡め抱き寄せた。
「ママ?」
 喉がくるしいのか、身じろぎしながら、由良が透子を見上げる。
 しかし透子は誰も、何も見てはいなかった。
「「宮」に、火之迦具土に捧げ、富士の眠りを覚ます為にきまってるじゃ、ありませんか」
 陶然と夢見心地のようにゆったりとした声があたりに響いた。
「火之迦具土が解放されれば、「ソレ」を封じている良介も解放される――いいえ、解放されなくてもいいの。だって、私が生きてる世界に良介は居ないんですもの」
 糸が切れるかすかな音がした、そして鈴の落ちるかすかな金属音。
 そして鼻をつく何かが腐ったような異臭。
「由良を草間興信所に行かせたのは私。榊に何かがあれば警察があそこに連絡を入れるのはわかっていたもの。でも駄目よ。榊が死反玉を手に入れるまでは、誰にも邪魔させない」
 妙に息苦しい。
 透子の怨嗟の性なのか、由良の苦しげな顔の性なのか。
 下手に動くこともできず、にらみ合う一樹と透子の間に、月斗の声が入り込んだ。
「武神さん! ガスだ!」
 悲鳴の様な声に合わせて透子が、けたたましく笑い出した。
 そして、由良の赤い――契約の痣から炎が吹き出した。
 充満したガスに、炎が引火する。
 閃光、そして爆音。
 かろうじて生きて居られたのは、術者としての本能であるいは、月斗をしたう十二神将の守護が結界となり二人を守ったからに他ならない。
 燃え落ちていく、カーテン、写真立て、ソファー、絨毯。
 術の炎とガスに引火した炎が合わさって、結界の外はつきること無い焔獄と化していた。
 外で透子を張り込んでいた警察が連絡したのか、けたたましいサイレンの音が家屋が崩れ落ちる轟音の向こうから聞こえた。
「一度撤退だな」
 術で炎を中和・消滅させることは出来る。
 しかしそれでは何の解決にもならない。透子も、由良も――榊も救われない。
 縺れた感情の糸は解けない。
 由良が泣き叫ぶ声が聞こえた。
 透子が笑う声が聞こえた。
 炎はあの二人を焼く事はないだろう。
 あれは、透子の――否、夫を亡くした透子の心につけいった「宮」の者達からの宣戦布告なのだから。
 十二神将に守られながら、月斗と一樹が燃え落ちる寸前の屋外に出ると、火事の野次馬から離れた所に和服を着た金髪の女性がひっそりと立っていた。
「一樹様」
 と、彼の経営する「櫻月堂」の住み込み店員である、たおやかな女性は唇をふるわせた。
「どうした、さくら?」
 彼女らしくない、落ち着きの無い声に、一樹が聞き返す。と、彼女は「草間様よりの伝言です」と前置きし、しばしの迷いのあと一息に告げたのだ。
 ――黄泉津比良坂に置いて、伊邪那美(いざなみ)の領域を侵し、死反玉を手にした榊千尋が、神の呪いを受け、あと二日の命なのだと。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0173 / 武神 一樹(たけがみ・かずき)/男/ 30/骨董屋『櫻月堂』店主】
【0599 / 黒月 焔(くろつき・ほむら)/男/27/バーのマスター】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 /草間興信所事務員&翻訳家&幽霊作家】
【0213 / 張・暁文(チャン・シャオウェン) / 男 / 24 / サラリーマン(自称)】
【0365 / 大上隆之介(おおかみ・りゅうのすけ)/ 男 / 300 / 大学生 】
【0778 / 御崎・月斗(みさき・つきと) / 男 / 12 / 陰陽師 】
【0908 / 紅・蘇蘭 (ホン・スーラン)/ 女 / 999 / 骨董店主・闇ブローカー】

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■         ライター通信          ■
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 私的事情により、納期を遅らせてしまい大変申し訳ありませんでした。
 プレイングの違いにより文章量にかなり差がでたり、情報量に差が出てしまい、調整しましたが、あまり差を埋められなく、己の至らなさに閉口するばかりです。
 ともあれ、後半解決のヒントはすべて出ております。
 というよりも、むしろ「こう」という解決の答えはありません。
 前編にちりばめられた各種の情報を活用して「自分ならこう解決する」あるいは「こう解決されるべきだ」という行動を貫いてくだされば、事態は落ち着くべき所へ落ち着くのではないかと思います。
 なお、今回はプレイングの内容や、ばらまくべき情報のかみあわせにより、他の方の事件を参考しなければ全貌が見えないという多少面倒な作りになっております。
 一つのファイルにまとめようかと思いましたが、それではあまりにも文章量が多すぎるのであえて分割させていただきました。
 後編にも参加していただけると幸いです。
 では。

・御崎月斗様
 初めまして、参加ありがとうございました。
 母親に会いに行くというプレイングをかけられた方があまりにも多かった為、防御が高い順とさせていただきました。(交渉に値する部分なので攻撃的でない人間が適任という数値判断です)
 防御が二番目に高かった(数値が防御よりだった)為、またプレイングにより母親の調査に全部裂かせて頂きました。
 ご了承の程、お願いいたします。