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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:was it a cat i saw...
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜4人

------<オープニング>--------------------------------------

 夜明け前というのが、一日で最も気温の低い時間帯だ。
 ぴりりとした冷気を頬に感じながら、草間武彦が空を見上げる。
 闇の勢力が、最後の抵抗を見せるかのように深さを増していた。
 街は、すでに秋の装いを始めている。
 と、怪奇探偵の異名を持つ男が舌打ちした。
 秋の到来が気に入らなかったわけではない。
 女性の服の布地が増えていくことを憂慮したわけでもない。
 煙草が切れたのだ。
 紙箱の中に指を突っ込んで調べてみても、細い円筒状の感触はない。
「まいったな。事務所に戻るのもタルいし‥‥」
 勝手なことをほざく。
 だがまあ、気持ちは判らなくもないだろう。
 自動販売機は午前五時にならないと稼働してくれないのだ。
 まったく、そんなことで未成年者の喫煙を防げると思っているのか。
 いつものことなから、政治屋の考えることはワケが判らない。
 善良な愛煙家をいじめて、なにが楽しいんだか。
「‥‥散歩がてら自販が動くのを待つか‥‥」
 無意味な感慨を置き去りにして歩き出す。
 張り込みの最中ではあるが、べつに草間一人でやっているわけではないで問題はなかろう。
 いつまでも所長に頼っていては成長はない。
 煙草に関する言い訳なら、幾らでも湧き出る草間だった。
 我ながらたいしたモンだ。
 意味不明の自己満足に浸りつつ、夜明け前の空を見上げる。
 と、その視界を何かが横切った。
「なんだ?」
 声が洩れる。
 屋根から屋根へ、電柱から電柱へと飛び移る影。
 人型に近いが、動きはどこか違う。
 まるで‥‥。
「ネコ‥‥だな」
 しかし、人間大の猫など存在するはずがない。
「こいつは、ちょっと面白いことになりそうだぜ」
 唇の端を釣り上げた怪奇探偵が、影の消えた方へと駆けだした。
 東雲が、男の背中を照らしている。






※水上雪乃の新作シナリオは、通常、毎週月曜日と木曜日にアップされます。
 受付開始は午後8時からです。


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was it a cat i saw...

 明度を増してゆく街を、赤と黒にカラーリングされた「カタナ」が奔る。
 草間興信所の社用車だ。
 自動車が三台とバイクが一台。
 なかなかの物持ちに見えるが、すべて中古品である。
 探偵などという職業には、どうしても機動力が必要になるのだ。
 維持費も馬鹿にならないが、これは仕方がない。
 フルフェイスのヘルメットの下、溜息が漏れる。
 わずかに色の付いた風防に映る蒼い瞳が、苦笑をたゆたわせていた。
 シュライン・エマという。
 興信所の事務員を務める二六歳の女性だ。
 もっとも、彼女の仕事は事務にとどまらない。
 大蔵大臣という、いささか古めかしい異称が、シュラインの立場を如実に表している。
「‥‥でも、私バイトなんだけど‥‥」
 呟きが風に千切られてゆく。
 いまさらの話である。
 彼女の本業が翻訳家であることなど、幾人が憶えていることか。
 まあ、忘れられているからといって仕事がないわけではない。
 ここ数日、なかなか恋人たる草間武彦に逢う時間が作れなかった。
 忙しいのも善し悪しだが、シュライン自身としては、けっこうこの二重生活を楽しんでいる。
 あるときは怪奇探偵の一員。あるときは翻訳家。
 充実感が幸福の範疇に入ることであるとすれば、彼女はいま、それなりに幸福であろう。
 少なくとも退屈だけはしないのだから。
 と、無作為な思考が中断される。
 視覚的刺激によって。
 前方に人影をシュラインの瞳がとらえていた。
 見覚えのある後ろ姿が走っている。
 彼女の記憶が正しければ、あの男が早朝ランニングなどするわけはないのだが。
 バイクの速度を緩め、
「‥‥武彦さん?」
 声をかける。
「よう。シュライン」
 飄々と応える草間。
「なにしてるの? 張り込みの最中だと思ったんだけど」
「いや。タバコが切れたんで買いに来たんだが、その途中で変なもの見つけてな」
「変なもの?」
「人型の猫。それとも、猫型の人かな?」
「なにそれ?」
「よく判らんよ。俺にも。ただ、電柱の上をぽんぽーんって‥‥」
「‥‥‥‥」
「なんだよ。その目は‥‥」
「べつに。綾さんの心理学研究室の電話番号、思いだそうとしてただけよ」
「‥‥どういう意味かな? シュラインさん」
「そのまんまの意味よ。武彦さん」
 恋人同士の間で、無明の火花が飛び散る。
 深刻な対立、というわけではない。
 いつものじゃれあいである。
 まあ、好きなだけやらせておいても良いのだが、
「朝からお熱いこった」
「羨ましい限りです」
「左様でございますねぇ」
 闖入者の声が、ラブシーン未満の二人を硬直させた。
 巫灰滋。那神化楽、草壁さくらである。
 男性二人は、草間と一緒に張り込みをおこなっていたメンバー。
 女性は散歩中だった。
 偶然という言葉で片付けてもよいが、この場合はもっと適切な表現がある。
 すなわち、類は友を呼ぶ。
「自分だけズルイぜ。武さん。俺だってタバコ切れてるんだ」
 巫が笑った。
「電柱から電柱へ。面白そうな話です」
 那神が興味津々の体で身を乗り出す。
「縁は異なもの味なもの、ということにしておきましょうか」
 嫣然と微笑するさくら。
 まったく、怪奇探偵の周辺に退屈という文字が記された石は、ひとつも落ちていない。
 朝日が、恥ずかしそうに顔をあげはじめている。


 影が交錯する。
 肉眼で捉えるのが難しいほどの速さ。
 見るものとてない早朝の街。
 点滅する信号機を背に、爪と短剣がぶつかる音が木霊する。
 戦い。
 人知れずおこなわれる暗闘。
 ある神を信奉する青年と、どんな神をも信奉しない独立種族。
 本来なら接点はないはずだが、
「知ったかぶりのバカのせいで、僕たちの仕事が減りませんよ」
 青年‥‥星間信人が呟く。
 苦々しさを込めて。
 対峙している相手は、屍食鬼(グール)という。
 個体名もあるのかもしれないが、この場合、種族としての名にしか意味はない。
 これから抹消する相手の氏素性に興味を持つほど、星間は酔狂ではなかった。
 本来、グールが市街部に現れることは滅多にない。
 狡猾で用心深い彼らは、必要以上に人間に接近しない。
 しかし、呼び出されれば話は別である。
 召喚術という。
 魔法陣や発現法則に基づいておこなわれる高度な技術なのだが、オカルトブームなどの影響で、知識の一部は流布している。
 断片だけが。
「半端な知識で召喚などおこなうから、こんなことになるんです。まあ、いまさら言っても手遅れですが」
 シニカルな笑いが口元に刻まれた。
 まともな召喚術を持たずに秘術を弄んだ低能は、すでに冥界の門をくぐっている。残念ながら教訓の活かしようがない。
 まあ、自業自得というところだろう。
 馬鹿の後始末は面倒だが、これも真理の探究者の使命のようなものだ。
 笑みを絶やさぬまま、青年が屍食鬼に斬りかかる。
 一閃。
 怪物の咽が切り裂かれ、噴水のように血が舞い上がる。
 苦痛の叫びはあがらなかった。
 あげられなかった。
 声帯を切断されたからだ。
「無粋な声を出されては、善良な市民の迷惑になりますから」
 冷然と星間が嘯く。
 彼の口から善良な市民などという言葉が出るのは、ある意味、異様なまでにグロテスクであろう。
 ハスター教団の残虐さは、オカルティストの間では有名である。
「僕と出会った不運を嘆きながら、消えなさい」
 言葉とともに、風の刃が怪物を切り刻む。
 数秒後、グールの肉体は完全に消滅した。
 すべてを腐らせる狂風によって。
「はい、終わり。あっけないものですねぇ」
 何事もなかったかのように呟く。
 たしかに彼にしてみれば、屍食鬼との戦いなど昼食前の運動にもならない。
 もっとずっと手強い相手と、幾度も死闘を演じてきているのだ。
 グールごときに相手がつとまるはずがなかろう。
「さて、戻って朝食にでもしましょうか」
 さらりと言って踵を返す。
 と、その視界を影が横切る。
「‥‥?」
 振り仰ぐ先は電柱。
 頂上部分を、猫とも人ともつかぬ何かが、飛ぶように駆けてゆく。
 無言のまま身構える星間。
 黒い瞳に緊張感が走る。
 屍食鬼がもう一匹いたと思ったのだ。
 だが、グールの造形は猫というより犬に近い。
 それに、あそこまでしなやかな動きはしないはずだ。
 ゆっくりと緊張が解れてゆく。
 そして瞳に苦笑が宿った。
 飛び去った影を追うように、数人の人間がひとかたまりになって走っている。
 しかもそのうち幾人かには見覚えがあった。
「巫さんとさくらさんじゃないですか。早朝からご苦労なことです」
 自分のことを遠くの棚に上げて笑う。
「東京でも、どうやら面白い劇が見物できそうですね」
 穏やかな微笑を浮かべたまま、青年が探偵たちのあとを尾行しはじめた。


「だぁー なんて速さだ! 全然追いつけねぇぜ!!」
 影の追跡を続ける一行。
 巫が憤慨する。
 怒ってどうなるものでもないのだが、そこはそれ、人間とは感情の生き物である。
 とはいえ、最も体力に自信のある浄化屋がこのありさまだから、他の者の疲労は相当な量だ。
 万事に超然としたさくらを除いて、そろそろ皆の息も上がりはじめている。
 なかでも、一番の重傷は那神だ。
 名実ともにインドア派の絵本作家。
 早朝ランニングなどするのは、何年ぶりのことだろう。
「待って、く、だ、さーいぃ‥‥」
 呼びかける声も切れ切れである。
 まあ、足手まといなことこの上ないが、まさか見捨てることもできまい。
「‥‥‥‥」
 先頭で足踏みをしていた巫が、まるで悪戯小僧のように瞳を輝かせて、絵本作家に視線を送る。
 現状を打破する腹案が、この時すでに浄化屋の脳裡に描かれていた。
 那神は運動神経が鈍い。
 それは周知の事実である。
 だが、ある方法を用いれば‥‥。
 音もなく絵本作家の背後に忍び寄る巫。
「とりゃ☆」
 いきなり蹴り飛ばす。
「ふぐぅあ!?」
 疲労困憊の極にある那神が、奇天烈な悲鳴をあげながら前方に飛んだ。
「え?」
 突然の奇声にシュラインが振り返る。
 ぽふん、と軽い音をたて、絵本作家の頭部が興信所事務員の胸に埋まった。
 男性の七二.四パーセントばかりが憧れる状態である。
「しゃ☆ 計算通りだぜ☆」
「ぱふぱふでございますね」
 巫とさくらの声が交錯する。
 楽しんでいるような気がするのは、きっと邪推というものだろう。
「あああうあうあうあう」
「‥‥‥‥」
 混乱する那神。
 無言のシュライン。
 不毛な時間は、だが、長くは続かなかった。
「きゃぁぁぁ!」
「俺のシュラインになんてことしやがる!」
 蒼い目の美女の平手打ちと、黒髪の怪奇探偵の真空飛び膝蹴りが、ほぼ同時に絵本作家に襲いかかった。
 むろん、那神には回避する技能などない。
 それどころか、現状を正しく認識していたかどうかも、微妙なラインである。
「ああ‥‥意識が遠くなっていきます‥‥」
 やたらと余裕のある呟きを漏らしながら、那神の意識は闇へと落ちていった。
 身体はずるずる崩れ落ち‥‥なかった。
「よう。相変わらすイイ乳してるな。シュライン」
 乱暴な口調。爛々と輝く金色の瞳。
 那神のもうひとつの人格である。
 便宜上、仲間たちが「那神ベータ」と呼んでいる男だ。
「あの影を追えば良いんだな?」
 言うがはやいか、するする電柱を登る。
 普段からは想像もつかない運動神経であった。
 金瞳の男は、こと運動においては常人を遙かに凌ぐのだ。
 ちなみに、この状態をベータとする以上、元の状態がアルファになるわけだが、アルファはベータの存在を知らない。
 逆に、ベータはアルファの事を知っていて、その知識を利用することもある。
 公平な関係、とは、なかなかいかないようだ。
 それでも、那神自身は時々意識が途切れることを自覚しつつあり、カウンセリングなどにも通っている。
 あまり効果はないが。
「よっしゃ! いくぜ!」
 気合い一番。再び走り出す巫。
 その横に草間が並んだ。
「灰滋、てめー‥‥」
 猛然と苦情を浴びせるつもりで口を開く。
 が、
「俺のシュライン☆ 言うねぇ、武さん」
 機先を制する浄化屋。
 この手の台詞は、他人から突っ込まれると致命傷である。
「ぐはー」
 脱落してゆく怪奇探偵。
 恋人の様子を横目で見遣りながら、シュラインが溜息をついた。
 憶えてなさいよ‥‥灰滋‥‥。
 なにやら不穏当な決意を固めながら。
 母親のような優しい視線で友人たちの様子を眺めていたさくらが、ふと速度を落とす。
 その顔は、やや真剣みを帯びていた。


「おや? 気が付きましたか。さすがです」
 笑いを含んだ星間の声。
「なんの用ですか?」
 緊張感を漂わせるさくら。
 一行が先を急ぐ間、金髪の美女は尾行してきた青年と対していた。
「そんな怖い顔しないでくださいよ。一緒に戦った仲間じゃないですか」
「邪神の一党が、仲間という言葉を弄びますか?」
「今日は、べつに敵対するために来たワケじゃないですよ。偶然です偶然」
「どこまで信用できるやら‥‥」
「ホントですって」
「‥‥‥‥」
「あ、あとで櫻月堂に寄りますね。武神さん骨董類、見せて下さいよ」
「‥‥‥‥」
 無言のまま駆け出すさくら。
 どうも勝手が違う。
 余計なことを言わぬ方が良いだろう。
「待ってくださいよぅ」
 笑みを浮かべたまま、星間が続いた。

「なかなか速いな‥‥」
 空中を滑るように高速移動しながら、金瞳の男が呟く。
 じりじりと距離を詰めつつあるが、まだ追いつけない。
 さすがに相手は猫である。
 犬と猫とは、淵源を同じくする生物だ。
 一方はサバンナでの生活を選び集団戦闘能力と持久力を強化していった。それが犬のはじまりである。
 もう一方は、森の中で生きることを選択し、個体戦闘能力と瞬発力を特化してゆく。それが猫の始祖だ。
 どちらが優れているということはないが、このような追いかけっことなった場合、犬の方が有利である。
 不規則に軌道を変える猫に追いつくのは容易ではないが、ねばり強く持久力勝負に持ち込むのだ。
「へへへ。そろそろバテてきやがったか‥‥」
 肉食獣の笑みを浮かべる金瞳の男。
 先を走る影の動きが、悪くなってきている。
 速度自体は変わらないが、フェイントの回数などが目に見えて減っているのだ。
 むろん、ここまできて焦ったりはしない。
 じわじわと追い詰め、体力を消耗させることによって抵抗力を削ぐ。
 それが目的の一つである。
 この段階で、手荒な真似をする意志は、金瞳の男にはない。
 だからこそ相手を疲労させる。
 どれほどトリッキーな動きで視界から消えようとも、嗅覚と視力で、必ず追い詰める。
 とんでもない次元の鬼ごっこが、執拗に続いている。


 終わりの時は唐突に訪れた。
 地上から投げあげられた紐が、猫のような影の脚に絡まる。
 巫が急造した「ボーラ」だ。
 紐の両端に重りをつけ、遠心力を利用して飛ばす一種の狩猟具である。
 相手を傷付けずに捕縛するには、このようなものが都合がよい。
 なかなか変なことを知っている浄化屋であった。
 もっとも、電柱ほどの高さから落下しては、普通は無事で済まない。
 バランスを崩した影に金瞳の男の男が飛び付き、そのまま抱えるように着地する。
「無茶すんじゃねぇ。巫」
 危なげもなく大地に降り立ったくせに文句を言う。
 このあたりは、まあ、性格に属することだろう。
「悪り悪り。だけどよ、そろそろ人目も気にしなきゃいけねぇ時間だしな」
 素早く身を寄せつつ、巫が笑う。
 やや遅れて、シュラインと草間、それにさくらが到着する。
 住宅街にぽっかりと開いた児童公園だ。
 忘れられのような遊具たちが、寂しげにも滑稽にも見える。
「はなせー!!」
 中央部で巫と金瞳の男に両腕を押さえられながらも激しく身をよじる少年。
 否、人間と称するには無理があろう。
 人間の耳は、側頭部についているはずだ。頭頂部近くに並んだ三角形というのは、あまり見たことがない。
 黒い髪。縦長の瞳孔。
「‥‥ウェアキャット‥‥」
 さくらが呟いた。
 それは、遠く離れた異国の物語。
 セルビア地方に遺る獣人の伝説。
 哀しき血の伝承が語る猫人間。
 キャット・ピープル。ワーキャットなどという呼び名もある。
「猫又とは違うの?」
 シュラインが訊ねる。
 同様の感想を抱いたのだろう。巫や草間もさくらに注目していた。
「少し異なります。歳降る御霊が変化した妖怪や、闇の華より産まれいでたる妖魔などとは」
 血の呪い、そう表現するのが正しいだろうか。
 昂ぶる感情を制御できずに、獣へと変化する一族。
 神の末裔か、魔の眷属か。
 歴史の淵源は、黙して語らない。
「交代‥‥」
 突如として、金瞳の男が口を開いた。
 瞬間、がくりと崩れ落ちる那神の身体。
「おっと」
 拘束力が弱まった少年が動き出し、巫が力を込める。
「‥‥ここは?」
「那神さん?」
「あっと‥‥また意識が飛んでいましたか‥‥」
 沈み行く絵本作家。
「それより、あれをご覧ください。那神さま」
 さくらが少年を示す。
 もうひとつの人格が、いま、ことさらに交替をおこなったからには何かしらの意味があるはずだ。
 たとえば、本来の那神であればもっと詳しい知識を持っているとか。
「‥‥キャット・ピープルですね。本当に実在するとは‥‥驚きです」
 頷く那神。
「放せっていってるだろー!!」
 じたばたともがく少年。
「なんなのよ。一体?」
 冷静なシュラインも困惑気味だ。
「一九四二年に同名のホラー映画が出ています。なかなかの傑作ですから、一度ご覧になるとよいでしょう」
 言い置いて、絵本作家は少年の前に身をかがめた。
「キミの名前は?」
 優しく訊ねる。
「‥‥イーゴラ」
 やや間をおいて少年が応える。
「イーゴラくんですね。では、イーゴラくんはどうしてこの国を訪れたのですか?」
 どこまでも優しく問いかける。
 つい先程まで、執拗な追跡をおこなっていた人物には見えなかった。
「ボクは‥‥」
 やがて、少年がぽつりぽつりと事情を語りはじめる。
 イーゴラ少年は、逃亡者だった。
 彼だけではなく両親も、その両親も、そのまた両親も。
 彼らは常に追われていた。
 追う者の名を、ハンターという。
 狂信的なキリスト教徒たちだ。
 唯一神を信奉するあまり、同一価値観を持たないものたちを狩りたてる。
 べつに驚くようなことではない。
 人類の歴史は、弱者、少数民族への虐待の歴史なのだから。
 ともかく、イーゴラ少年はハンターたちの手を逃れ、日本に渡った。
 両親とともに、である。
「‥‥じゃあ、ご両親はどこに?」
 躊躇いつつ、シュラインが質問する。
 なんとなく答えは判っているような気がしたのだ。
「‥‥殺された‥‥」
 沈痛な声が少年の口から零れる。
 予想していたからといって、衝撃が減るわけでもない。
 探偵たちが固唾を呑んで見守る。
 ハンターたちは、すでに日本へも手を伸ばしていた。
 普通に生きる人々にとっては全く関係ない話だが、獣人たちには死活問題である。
 少年と両親は、ふたたび逃亡を図ろうとする。
 が、わずかに遅かった。
 国外へ逃げる前に、ハンターたちに襲撃されたのだ。
 銀の銃弾を全身に浴びながら、それでも両親は息子を逃す。
 これが昨夜の出来事だった。
 その後、必死の逃走を続ける少年を草間が発見したことで、事態はよりややこしくなる。
 あのまま草間が見過ごしていれば、少年は無事に逃げおおせるか、あるいは殺されるかしていただろう。
 まったく与り知らぬところで。
「武さんが好奇心を発揮してくれたお陰で、巻き込まれそうだな」
 苦笑を浮かべる浄化屋。
 知り合ってしまった以上、いまさら見なかったことにもできない。
「仕方わね。事務所にいらっしゃい」
 やれやれといった感じで、シュラインが少年の服の汚れを払ってやった。
 なんだかんだいっても、年少者には優しい蒼い目の美女なのである。
 穏やかな微笑をたたえ、那神とさくらが見守っている。
 あるいはそれは、怪奇探偵たちの宣戦布告だったのかもしれない。
 能力者を狩るものどもへの。
 少年が当惑したように、五人の男女を見上げている。
 朝露に濡れた遊具が日光に照らされ、きらきらと輝いていた。


  断章

「どうやら、こちらも面白いことになりそうですね‥‥」
 笑いを含んだ声が木陰から漏れる。
 黒い髪と黒い瞳を持つ図書館司書だ。
 右手に持ったナイフが、柄まで紅に染まっていた。
 そして、彼の足元に転がる四つの物体。
 先刻までは人間だったものだ。
 ハンターなどと称する、下劣神の信徒どもである。
 切り刻まれたその身体は、すでに腐食をはじめ、土に還ろうとしていた。
「うふふふ。これはサービスですよ。さくらさん、巫さん‥‥」
 楽しげな呟き。
 風が吹けば桶屋が儲かる。
 怪奇探偵たちが事件に巻き込まれることで、利益を得るものも存在する。
「世の中は、けっこう上手くできているものです」
 アルカイックスマイルと呼ばれる穏やかな笑み。
 下級悪魔すら鼻白むような笑みを浮かべ、小柄な青年が児童公園を見つめている。
 ゆるやかな風に髪をくすぐらせながら。





                         終わり

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/ シュライン・エマ /女  / 26 / 翻訳家 興信所事務員
  (しゅらいん・えま)
0134/ 草壁・さくら   /女  /999 / 骨董屋『櫻月堂』店員
  (くさかべ・さくら)
0143/ 巫・灰慈     /男  / 26 / フリーライター 浄化屋
  (かんなぎ・はいじ)
0377/ 星間・信人    /男  / 32 / 図書館司書
  (ほしま・のぶひと)
0374/ 那神・化楽    /男  / 34 / 絵本作家
  (ながみ・けらく)

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■         ライター通信          ■
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大変お待たせいたしました。
「was it a cat i saw」お届けいたします。
じつはこのタイトル。回文になっているんですよ。
楽しんでいただけたら幸いです。

弟の墓参がてら、ちょっと道東方面を周ってきました。
はやいもので、もう8ヶ月になるんですねぇ。
粛々と報告に行くつもりだったんですけど、ただの観光旅行になっていました☆
屈斜路湖、摩周湖、それから網走監獄。
ロケーションハンティングとしては、なかなかの収穫でした。
次回作から、さっそく活かしていきますね☆

それでは、またお会いできることを祈って。