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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:恋弧
執筆ライター  :紺野ふずき
調査組織名   :草間興信所

------<オープニング>-----------------------

 ジワジワと残り少ない夏を惜しんで鳴く蝉。草間は事務所のソファーで短い仮眠の真っ最中だった。連日の徹夜続きで、体力もかなり落ちている。むさぼるような睡眠の中、一本の電話が鳴った。バッと身を起こすと草間は受話器に手をかけた。
「草間興信所──、……狐?」
 電話は東京o市のとある地主からだった。家の裏の小さな持ち山に狐が出るという。狐と言っても普通の狐ではない。妖狐の類らしい。時には男、時には女に化け山中に人を誘い込むとのこと。
 それと前後して山に小さな崩落があった。山道を塞いでしまって、それ以上進むことが出来なくなっている。狐が誰かを巻き込んだのではと思ったが、今のところ近隣での行方不明者は出ていない。崩落現場へ連れ込まれたという噂が多い事から、いずれまた山が崩され犠牲者が出るのではないかと、不安だという。
『そうだ、もし山で茶色の雑種をみかけたら一緒に連れ帰ってきて下さい。ウチで飼ってるリュウって犬が、裏山に遊びに行ったきり帰ってこないんです。こないだの崩落で道が塞がれて戻ってこれないんじゃないかと思うんですけど……』

「妖かしの狐か。調査してみない事には、何が狙いかわからないな」
 寝覚めのタバコを銜えながら、草間は大きくノビをした。

 
 -----------------------------------------
 

 恋し恋しや 月影踏んで 鳴けど応えぬ 岩の下 
 
   恋(れんこ)狐
 
 ── 城田宅 ──
 
 依頼人『城田源太郎』の家は茶畑の中に立っていた。垣根に囲まれた雑然と広い庭には、至る所に使われなくなった農業用具が転がっている。平屋造りの民家で、納屋から察するに相当古い。ガラスの破れた木戸の奥には、朽ち果て動かなくなったトラクターが見えた。縁側の脇には、空っぽの犬小屋がある。錆び付いた鎖がとぐろを巻いていた。放し飼いで使った事が無い、と夫婦は言った。
 東京都青梅市。背後に奥多摩山系を控えたそこは、自然の色も濃い土地だ。草間から連絡を受けた七人は、源太郎の家の縁側に腰掛け、『城田自家製』のお茶を啜っていた。空には鳶が鳴いている。
 源太郎の妻に勧められ、豆大福を旨そうに頬張っているのは、カリフォルニア市警の名物警官、現在では白バイ隊に交換留学中のゴドフリート・アルバレストだ。大の甘党らしく、勧められるがままに二個、三個と口に放り込み。
「これがカスタードクリームならなぁ」
 ガハハと笑う。気取らない性格らしい。筋骨隆々の逞しいガタイは、隣にいる行脚層の大阿闍梨、浄業院是戒と二人、まるで大きな岩のようだ。是戒の方は茶を啜り、深く呼吸を吸い込んでは、山並みに目を細めている。ゴミゴミとした雑踏を離れホッとしているようだ。
「何ともいい所よ」
 ほころぶ二つのいかつい顔。もてなす老夫婦も嬉しそうだ。
「こんなにたくさんの方に来て頂けるって分かってたら、もっとたくさんお菓子を買ってきたのにねえ、お父さん」
「そうだなあ。ケーキなんかもあればなあ。茶と大福に饅頭じゃ若いお嬢さんには悪かったか」
 六十に手が届くという、畑仕事で日に焼けた顔を苦笑に染めて、源太郎は居間の細身へと目をやった。がらんとした畳の上、受話器を手に佇むのはシュライン・エマ。怜悧な横顔が、ややむくれている。
 着くなり草間の伝言を受け取ったシュラインは、電話にかかりきりで、まだ一度も腰を下ろしていない。シュラインに、と渡されたお茶は、手つかずのまま縁側で白い湯気を立てていた。
「前後がはっきりしていないんじゃ、狐が悪いとは限らないわよぅ。もしかしたら狐も崩落で誰かを助けたくて、人を呼んでるのかも知れないんだし」
 翻訳家に作家という肩書きの他、興信所でのバイトと忙しいシュラインだが、探偵の目にはそのどれでもない別の肩書きで映っているようだ。言い忘れと称し、その身を案じている。
「分かったわ。崩落が起きたらそうするように『皆にも』伝えるから。それより──」
 シュラインは声を潜める。
「体調大丈夫なの? 武彦さん」
 睡眠不足の探偵を気遣いながら、二,三の言葉を交わして電話を切った。青い瞳が、縁側の真名神慶悟とかち合う。シュラインは肩をすくめた。
「いつからあんなに心配性になったのかしら。山が崩れ始めたら、なゆちゃんの所に集まれって」
「サイコキネシスか」
 白金の髪と黒いスーツの陰陽師は、そう言って茶を啜った。酒やタバコを飲む毎日。だが、こういった物に手を出すのは、どれくらいぶりか。クールな視線を盆にやる。慶悟は大福の脇に山とある、ビニールがけの茶饅頭を手に取った。
「いい考えだな」
「そうね」
 遠い目で二人、饅頭を喰う。塩味の利いた餡は絶妙だった。
「あら、おいしい」
「そうだろう? 残ってもしょうがないから、良かったら持って帰ってくれ。俺は甘い物が苦手でなあ」
 源太郎に言われシュラインと慶悟は顔を見合せた。饅頭は軽く見積もっても一箱以上。人数分を差し引いてもまだ残る。
「……武彦さんに持ってってあげようかしら」
「疲れは取れるかもな」
 それぞれ一つづつポケットにしまうと、先の噂の当人、鬼頭なゆが、間からその小さな顔を覗かせた。『異』の力を持つが故に、同世代との隔たりを感じているなゆは、本来なら行くべきはずの幼稚園へはあまり顔を出していない。だが、寂し気な様子は微塵にも見せず、お気に入りのクマのぬいぐるみを抱えニッコリと笑った。
「なゆも、もらって帰るぅ!」
 源太郎の妻が「どうぞ」と声をかけると、なゆは二つを手に取った。一つはぬいぐるみの分だ、と微笑む。シュラインは先ほどの草間の話をなゆに伝えた。
「うん! もしお山が崩れたら、なゆがサイコキネシスで守ってあげるから安心してね♪」
 薄麦色の髪を揺らして大きく頷くと、なゆはクマをギュッと抱きしめた。幼い顔が無邪気に微笑むのを見て、源太郎の妻も目を細めている。
「崖崩れかあ……まだ崩れるんだろうかなあ」
 源太郎は自宅裏にひっそりと佇む小山へ目をやった。庭の終わりから始まる茶畑の向こう、青々と茂る木々に覆われた小さな山。標高にして三百メートルしかない。頂上付近の斜面に一部崩落が見え、雑木林ごと落ちてその直ぐ下に留まっていた。崩れたのは一週間前との事だった。
「ここんとこの雨続きで崩れたと思いたいんだが……やっぱりアイツのせいなんだろうか」
「アイツって言うと、例の狐だな?」
 話が本題に入った所で、くつろいでいた影が一つ動いた。影崎雅だ。縁側の端にいた雅は、源太郎の声が聞きやすい場所まで移動した。剛毅な二人の前に立つ。是戒とゴドフリートが顔をあげた。
「今日は是戒のオッサンが二人いるな」
 全く嫌味の無い軽快な声。堅苦しい住職稼業を兄弟に任せ、何でも屋と励む雅の口調には、細かい事を気にしない性格が表れている。強面の二人はマジマジと互いの顔を見合わせた。
「言われてみれば、似てなくもないか?」
「どうだかな。自分じゃわからねえ」
「私も二人はよく似ていると思っていたんですよ」
 輪に加わった長身が、雅に向かって笑いかける。九尾桐伯。都内に店を構えるバーテンだが、その笑みにはスキが無い。客商売を生業とする流暢な物腰は、常連であり友人のゴドフリートとは対照的な人当たりだ。まさにデコボココンビだろう。
「さぁ、ゴドー。本題に入りますからよく聞いて、たまには人の役に立つんですよ。普段弱い物苛めしてるんですから」
「おい! 人聞きの悪い事言うな! 違反さえしなけりゃ良いだけじゃねえか」
 二人のやりとりに皆、クスリと笑った。では、と源太郎が居直る。
「狐のヤツは元々この辺りに住みついていてなあ。小さい時分には、山の中で何度か見かけた事もある。真っ白な体と二本の尻尾の綺麗なヤツだ」
「じゃあ、やっぱり妖怪の類なのね」
 シュラインの言葉に夫婦は首を縦に揺すった。
「フラッと出てきて、フラッと消える。でもそれだけだ。ヤツが悪さをした事なんざ、一度も無い。祖父さんも、ひい祖父さんも知ってる、昔っからいる狐なんだ。でも、あんまりにも近所の連中が騒ぐもんで電話をな」
「皆、あの崖崩れが狐のせいじゃないかって、言うんです。それで、もしかしたらイタズラ半分に誰かを下敷きにしようとしてるんじゃないかって。ウチの山だし何とかしろと苦情も来ていて……」
 噂だけなら否定も出来る。だが、どうやら夫婦も同じ目に遭ったようだ。それだけに不安が大きいという。慶悟がその詳細を尋ねると夫婦は顔を見合わせた後、溜息混じりに話し始めた。野良仕事から帰る夕まづめ、山裾を取り囲む道を歩いているとこの世の者とは思えない程に儚げで美しい──
「若い女」
「男の子」
が、立っていたと言う。
「……? 二人? ってことは狐も二匹いるって事なのかね」
 雅が首を傾げると、源太郎はイヤイヤと手を振った。
「一人だった。でも確かに俺は女を見たんだ」
「あれは白い服の男の子でしたよ、お父さん」
「いいや、女だ! 白い服は間違いないけどな」
 どうやら見る者によって、その様は変化するらしい。桐伯は興味深そうに目を細めた。
「ふぅん……それは不思議ですね。それからどうなったんですか?」
「その時はまだ狐が悪さするなんて考えてもみないし、手招きされて着いてったら、崩落現場でなあ。そこで人の姿をやめたもんだから初めて狐と分かったんだ。子供の頃以来、随分と久しぶりに見たな」
「その崩落の周辺に、狐が根城としていたような社は無かったか?」
と、是戒。しかし源太郎は緩く首を振った。狐は山そのものに住みついているらしい。ゴドフリートが眉を潜めて腕を組む。
「連れ込まれた他の連中は何て言ってるんだ? 皆、同じか?」
「大体似たようなもんだ。男だったり、女だったり。風に飛ばされる一万円札を追っかけたってのもいる。人によって違うらしいなあ。けど同じなのは、歩いている時はほとんど記憶が無いんだ。それで、崖崩れの場所で目が覚めて、崩落を起こされちゃならんと、走って家に帰る。狐につままれるってのはまさにこの事だなあ」
 騙された者は全部で十人。皆、山の周囲に居を構えており、内八人が地元育ちだと言う。あの山で遊び親しんだ年寄りばかりのようだ。
「じゃなきゃ、整備もされていない山へなんぞ入ろうと思わないだろう? 崖崩れの場所まで、歩いて四十分はかかるからなあ」
 なるほど、と一同は頷いた。しかし何故、狐は山へ人を誘い込むのだろうか。なゆが空の犬小屋を指さした。
「ワンちゃん、本当にお山にいるのかな?」
「そうだ。犬が山以外にいる可能性は?」
 慶悟の肩越しに見える山を見つめて、源太郎は遠い目をした。
「無いと思う。元々リュウは山で拾った犬でな。ケガをしてたのを見つけて連れて帰ってきたんだ。飼うようになってからも山が好きでなあ。畑仕事を手伝った後、山へ散歩しに行くのがリュウの日課なんだ」
「手伝いって言っても、茶畑をウロウロするだけなんですけどね。リュウは優しい子なんです。目の前をネズミが走ろうと、タヌキが通ろうと眺めているだけで」
「それに滅多に鳴かない犬でな。時々、何かに向かって吠えてたが、もしかしたら狐が見えていたのかもしれないなあ。まあ臆病なヤツだし、あの崖崩れの音に驚いたか、道が塞がれて戻ってこれないか……そんな所だと思ってはいるんだが」
 確かに動物は音に敏感だ。源太郎の話には一理ある。だが、慣れた山で犬が迷うなど考えられない。また、どんなに奥へ進んでも、さして大きくない山だ。それは反対側の出口へと繋がるだろう。崩落で道が潰されたとはいえ、相手は犬なのだ。戻ろうと思えば林や藪を抜けるのではないだろうか。シュラインは崩落と事の前後を確認した。
「崖崩れが起きる前に狐を見たという噂は?」
「聞かないなあ。多分俺達が一番始めだろう」
 近い者同士の視線が走る。崩落の直後から現れるようになった妖狐。何を意味するのか。犬の行方が気にかかった。
「とにかく一度、その場所へ出向かん事には何が起こっているのか分からんな」
 是戒の言葉を合図に一同が動き出すと、源太郎は山への行き方を教えてくれた。裏の茶畑を突っ切れば、道一本挟んで直ぐに入口だと言う。そしてその入口は崩落現場へ繋がるらしい。
「小さな山だから、入ろうと思えばどこからでも林を縫って入れる。けど足場が悪いし湿ってるから、あっちこっちにある歩道を行くのがいいだろう。皆、山頂の広場で繋がってるから、どこから行っても大丈夫だ」
 一行は茶の礼を言って裏庭から続く茶畑へと向かった。七人の最後尾、掴み所のない笑みを浮かべて、桐伯は相棒の横に並んだ。
「さあ、ゴドー。力仕事は任せましたよ」
「ッチ、面倒な事はそうやっていつも押しつけやがる。まぁ、しょうがねえ。その分、酒で返してもらうか」
 ゴドフリートは調子のいい顔で笑った。
 七人はバラバラと茶畑の畝の間を進む。頭上には秋独特の薄青い空が広がっていた。やがて一行は畑を抜け、狭い車道へ突き当たった。目の前には問題の山がそびえている。
 山道と言えば粗末な入口が、目の前と左手に見えた。どちらも剥き出しの土が上へと伸びている。周囲には背の高い杉が密集して生えており、陽の当たらない暗く湿っぽい雰囲気に慶悟は呟いた。
「……確かに滑りそうだな」
「靴に縄を巻くといいぞ」
 旅慣れた是戒は、慶悟にそう言って笑った。慶悟は足の裏をさりげなく覗き、そして肩をすくめる。いくつかの顔が同じように靴の底を気にして俯いた。桐伯がそこにゴドフリートの姿を認めて、クスリと笑う。
「それで……どうしますか? 全員で同じルートを行きましょうか。それとも別々に?」
「上で繋がってるんだろ? だったら全員バラバラでもいいんじゃねえか? 俺はとりあえずお前と同じルートにしておくか。力仕事を授かってるからな」
 ゴドフリートが依頼後の打ち上げを期待して目を細める。
「そうね。別行動の方が狐と遭遇する確率が高いかも」
「リュウ探しもその方が効率がいい、か」
 シュラインと慶悟の言葉に頷いた一同の目は、小さななゆに集まった。一人でも大丈夫だと言うなゆに、是戒は難色を示す。
「いや、それは危険だ。儂が一緒に行こう」
 プーッとふくれた小さな頬。半人前扱いされた幼い少女は、物言いたげな顔で是戒を見上げている。やれ参ったと、是戒は頭へ手をやった。やがて腰をかがめると。
「……うむ、そうだ。自然の力は儂の手に負えん。もし、崩落が起きた時には、儂を助けてくれんか?」
と、穏やかに言う。それがなゆの瞳を輝かせた。
「うん! いいよ、なゆが助けてあげる!」
「よし、じゃあ、決まりだな。頂上から崩落現場へ回って、そこで落ち合おう! 是戒のオッサンとおチビちゃんはそこの入口でいいよな」
 雅は近い入口を指す。縦に振られた顔々は、そこでひとまずの散となった。分かれていく七つの背中を、茶畑の畝の間から白い影が見つめていた。
 
 ── 幻影 ──
 
 崩落現場から一つ右。シュラインはその入口を選んだ。果てしなく続くと思われるような緩やかな直線。葉の屋根から落ちる木漏れ日がキラキラと揺れている。人二人が並べば一杯の山道には、虫や鳥の声が溢れていた。
「やっぱり巻き込まれているのかしら」
 犬と崩落と狐。シュラインには、狐が山を崩して人間を襲おうとしているようには、どうしても思えなかった。源太郎の話を聞いて、それはますます否定を強くする。やはり狐は何かを教えたくて、山中へと人を誘い込むのではないだろうか。そしてそこにいるのは行方不明の犬と考えるのが、自然のような気がする。飼い主である源太郎夫婦が一番始めだったという事が事実なら、それが何よりの裏付けになるのではないだろうか。
 しかし、それを源太郎に伝える事は出来なかった。源太郎夫婦は、犬は山で迷子になっていると信じている。崩落に巻き込まれたとあっては、犬の無事を確かめるまで心配だろう。いらぬ不安を与えぬよう、シュラインはその考えを口にしなかった。
「それにしても長い坂道ねえ……」
 山道を見上げる。単調で変わらない景色。山頂までは四十分と源太郎は言っていた。シュラインの思考が徐々に狐から外れていく。それはいつしか、あの探偵へと移った。大丈夫かと問う声に『いつも通りさ』と答えた口調。どこかに諦めが感じ取れた。
「今日は手伝いに行こうかしら」
 呟いたシュラインの目が、前方を見つめてハタと停まる。そこにいたのは──。
「まさか……でも」
 十メートル程先の斜面に佇んでいる影。それは紛れもない草間の姿だった。「よお」と上げた手、銜えタバコ。見間違えるはずがない。呆然と立ち尽くしていると、草間の方から近づいてきた。ポケットに手を突っ込み、危なげなく斜面を降りてくる。草間はシュラインの前に立つと、眼鏡の奥を細めて微笑った。手を差し伸べてくる優しい眼差し。事務所にいる時には見せる事のないそれは、シュラインだけが知っている表情。微かなコロンの香りにシュラインは苦笑した。
「参ったわね。これじゃついていかないワケにはいかないじゃないの。ズルイわよ──『武彦』さん」
 草間はウンと頷いた。穏やかな笑み。着いておいでというように、先だって歩きだす。シュラインの足下を気にし、距離が空いては立ち止まる草間は、あの汚く散らかった事務所で束の間の休息に寝息を立てている野暮さが無い。
「どう思う? 武彦さん」
 探偵は化けられているとも知らず、くしゃみでもしている事だろう。シュラインはクスリと微笑った。
 草間に化けた狐は山道を外れ、左手の雑木林へと入って行く。足首丈の草。入っていけない事はないが……。草間は振り返ってシュラインの様子を気にしている。
「そっちが近道なのね?」
 シュラインは肩をすくめながら、林の中へ足を踏み入れた。斜面に濡れ草だ。歩くのにはかなり気を遣う。
「やっぱり本物の方がいいかも」
 シュラインは呟いた。
 
 ── 救出 ──
 
 四方から集まった一同の目の前に広がったのは、木を巻き込んで行く手を阻む大量の土砂だった。完全に道を潰している。上を見上げればまだ新しい剥き出しの岩肌が、無惨な姿をさらしていた。
 是戒、なゆ、桐伯そしてゴドフリートの四人は土砂を挟んで、山道の上側にいる雅、シュライン、慶悟と対面した。
 視線は一様に土砂の上の狐に注がれている。前足で地を掻く動作を何度も繰り返しては、そこに鼻を押しつけた。訴えかけてくる必至な瞳。桐伯は怪力の友人を振り返った。
「ゴドー、出番ですよ」
「ちょ、ちょっと待てよ! これ全部どかせってのか? 岩ならともかく土砂だぜ? 何とかしてやりてえが、素手でどうしろってんだ。下手すると全部崩れちまう!」
「なゆが、どかしてあげる」
 並び立つ大きな体の大人達の前に、躊躇いもなくなゆは踏み出した。クマをギュッと抱きしめ、神経を集中させる。狐は気配を察知したのか、その姿を土砂の上から、崖の上へと移動した。
「皆、下がっててね!」
 えい! という掛け声と共に、道を塞いでいた土砂が宙に浮かびあがった。数本の木が残っているが、これなら問題はない。誰からともなく、やったと歓声が上がった。戻ってきた狐が、その木々の間に潜って行く。弱々しいが確実に聞こえた犬の声。一同の顔に喜びが走った。シュラインが大木の傍へ腰を下ろし名を呼ぶと、犬は鼻を鳴らした。リュウに間違いないようだ。
「あの木なら何とかならぁ」
 ゴドフリートが一番下の大木に手をかける。しかし。
「ん? 結構重てえな、こりゃ」
 土の水分を吸って重みを増した木は、二十センチほど浮いただけだ。這い出てきた狐は、心配そうにウロウロと落ち着かない。もう一人の怪力自慢、雅がゴドフリートの横に並んだ。
「早く助けてやらないとな」
 二つの顔がニヤリと笑う。「せーの」という合図。大木が地面から離れていく。腰まであがったその下に、狐色の毛並みが横たわっていた。慶悟と是戒とに助けられた犬は、すぐに狐の歓待を受けた。耳が少し裂けてはいるが、他に目立った傷は無いようだ。ただ、飲まず喰わずでいたせいで、かなりの衰弱が目立った。
「食べ物か水でもあれば良かったですね」
 ポケットの茶饅頭。桐伯の言葉にシュラインと慶悟は顔を見合わせた。
「……食べるかしら」
「どうだろうな」
 そう言って二人はリュウの前に饅頭を並べた。匂いを嗅ぐ間も無く、リュウは丸飲みに近い形でペロリとそれをたいらげた。その早さには、誰もが言葉を無くした。
「足りなさそうね」
 シュラインの苦笑に、是戒はポンと手を叩いて頓狂な声を上げた。
「待て待て! 饅頭ならまだあるぞ!」
 なゆから山道で預かった二つの茶饅頭。袂をたぐりつつ、一応の断りをと、目が少女に走る。輪の後方。なゆは頬をふくらませていた。
「む〜……皆、ひどいよ! なゆ、せっかくこれをどけたのに!」
と、空を指す。一同はなゆの指を辿って頭上を見上げた。青い空。そこに大量の土がフワフワと浮かんでいた。
「どうしていいかわかんないもん!」
 雅と桐伯は思わず吹き出した。犬に気を取られて、どかした土砂の事を忘れていたのだ。だが本当に、これをどう処分をしたらいいのだろう。元に戻せばいずれは崩れ、犬だけでなく人間を巻き込む可能性も大いにある。大人達は途方に暮れた。
「いっそ、どっか遠い海にでも捨てちまったらどうだ?」
 ポケットから出したレモンキャンディーを口に放ると、ゴドフリートはあっさり言った。躊躇。目がそれぞれを伺う。
「海に捨てていいの?」
 なゆは六つの顔を見上げた。以外にも一番先に動いたのは是戒だった。クルリと背中を向け。
「儂は知らんぞ! この先は何も見ん事にする」
 目をつぶった。桐伯が笑みを浮かべて是戒を模す。それならと皆、次々に背を向けた。なゆの声が空に響く。
「それじゃあ、遠くの海まで飛んでけー!」
 土砂は茶色の雲のごとく、青い広がりを滑っていった。
 
 ── 家路 ──
 
 なゆの潰した饅頭二つを食べた後、リュウはヨロヨロと起きあがり歩きだした。狐はふらつく体にピタリと寄り添っている。右へ倒れかけると右へ。左へ倒れかけると左へ。回り込んでリュウが倒れないようにするその甲斐甲斐しい様子は、まるで恋人同士のようだ。何とも微笑ましい。
 七人は犬の歩に合わせてゆっくり進んだ。決して早いとは言えない歩みだが、リュウは確実に家路を辿る。やがて山道を抜け車道を越えると、目の前に源太郎の家が見え始めた。茶畑を越え、庭へ入る。リュウはとうとう限界に達したようだ。ペシャリとその場へ座り込んだ。
「リュウ!」
 居間にいた源太郎が叫ぶ。駆け寄ってくる主人の姿に、リュウもフラフラと立ち上がった。二歩、三歩。震える足。しかし、気力も体力も使い果たしている。そこでまた腰を落とした。舌は乾き、腹を大きく波打たせているその姿を、源太郎は抱き締めた。
「リュウ! お前、どこ行ってたんだ! 心配したんだぞ。腹がペシャンコじゃないか……今、水とメシをやるからな!」
 源太郎はリュウを抱き抱えると、慌てふためいて家の中へと駆け込んだ。庭先に介す七人の耳に、夫婦の忙しないやりとりが聞こえる。狐は庭の隅にチョコンと座り、こちらをジッと見つめていた。
 エサと水をもらったリュウは、心許ない足取りで自分の小屋の前に身を横たえた。夫婦は目を細めてその姿を見守っている。狐に助けられた事を告げると、源太郎は絶句した。
「それじゃあ、俺達をあそこへ連れてったのも……」
 探していた飼い犬がまさにその下敷きになっていたなど、考えもしなかった源太郎はただただ驚いている。
「狐のヤツはどこに?」
「きつねさんなら、あそこにいるよ」
 なゆは庭の隅を指さした。しかし、夫婦にはその姿が見えないようだ。源太郎は寂しそうに言った。
「あんた達は迷いも無く、狐が『見える』と思っている。だから『見える』んだろう。俺達は大人になって『見えなくなった』と思っている。だからきっと……」
「あれ? でも化けた姿は見えたんだよな?」
 雅の問いに慶悟が答えた。
「『見せよう』としていたから『見えた』んだろう。神通力だ。実は、気になる事が一つある。式神が動きを封じられた。あの狐……『白狐』かもしれない」
「うむ。だとすれば『正一位』。『善狐』に違いない」
「『白狐』? 『正一位』? 『善狐』?」
 声を揃えられて是戒と慶悟は頷いた。
「狐には『野狐(やこ)』と『善狐(ぜんこ)』がおる。善狐は大日如来にも関係のある神の使い。この狐らには位があるのだが、『正一位』は中でも最高位とされておる。悪さをするのは野狐の方でな。善狐は人を悩ます事を嫌う。恐らく犬の為に、仕方なく化けて出たのだろう」
「ああ、印象づけて逃げる。そうやって後を追わせたりな。白狐は善狐のうちの一つだ。陰陽の徒を生んだ母とも言われている霊狐で、妖力が強い者は集団催眠能力を持つらしい。恐らく、同じものを目にして違うものが見えたというのは、この力のせいだろう」
 全員の視線を受けながら白狐はリュウの元へと向かった。鼻先をリュウの頬に押しつけると、そのまま立ち去る素振りを見せる。
「あ! おい! もう帰るのか?」
 白狐は雅の声に振り返った。周りの表情から悟ったのか、源太郎は見えない狐を必至になって探している。
「おい、狐! 山へ帰るな。ここにいろ! お前はリュウの命の恩人だ」
 狐はできないと首を振った。シュラインにそれを告げられ、源太郎は肩を落とす。
「落ち着かないのかもしれないわね。山には身を隠す場所がたくさんあるし」
「うむ。どこかに小さな稲荷か社でもあればな。狐の居場所となろう」
 是戒の考えに源太郎の妻は、それならと頷いた。元々、狐に対して悪い思いは抱いていなかっただけに、すんなりとそれを受け入れたようだ。
「お父さん、庭の隅にお稲荷さんを作ったらどうかしら。その方がきっとリュウも喜ぶし、家を守ってくれるかもしれませんよ?」
 源太郎は妻に笑いかけると、七つの顔に向かって深々と頭を下げた。狐は話しの一部始終に耳を傾け、やがて犬の傍らに腰を下ろした。
 気持ちばかりと渡された『金一封』の封筒と、茶饅頭が一つずつ。ゴドフリートは嬉しそうにそれを頬張って、桐伯の肩に手をかけた。顔がにやついている。
「おい九尾。確か今日はおごりだったよなあ」
「そうでしたか?」
「おいおい! 約束を破る気かよ! 俺は──」
「そんなに怒鳴らないでください、冗談です。よかったら皆さんもどうぞ。珍しいカクテルをご馳走致しますよ」
 桐伯はにこやかに微笑む。雅と慶悟がやったと顔を見合わせるその横で、シュラインは肩をすくめてみせた。疲れた顔の怪奇探偵が頭を過ぎったのだ。その他にも冴えない表情が二つ。桐伯が問うと三種三様の答えが返ってきた。
「なゆ、お酒飲めない」
「む、『かくてる』が肉なら儂は」
「行きたい所だけど……仕事が溜まってるの」
 是戒の言葉に雅が後ろで吹き出した。「オッサンらしい」と小声で言う。是戒はカタカナが苦手なのだ。桐伯は全て了解と頷きながら、三つの顔に微笑んだ。
「残念です。ではシュラインさんは、また次に。それからお二人は、日本酒を使ったカクテルから、アルコールの無いものまで色々とありますので心配なさらずにどうぞ」
 話は決まった。ゴドフリートはパンと手を打ち鳴らす。リュウが眠たげな顔を上げた。
 山に秋風。夫婦が手を振っている。歩きだした一同の背を、恋狐は目を細めて見送っていた。

    * * * * * * * 
 
 ── 恋狐 ──
 
 それは、悪事を好まず、貧困の者の力となり崇められ。しかし世の移り変わりと共に無用となったそれを、人は認めず、目に入れず。やがて山中に身を寄せて隠れ暮らす。
 獣はそれを恐れて近寄らず。数千年の孤独の後、それは言葉を忘れ声無くし。
 ある時、それは若犬と会う。「朝ネズミ・夜はタヌキ」と犬の声。なれば昼。犬は自らの食事を分け与え。それは犬に驚き。
 人は認めず、目にいれず。獣は恐れて近寄らず。数千年の孤独の後、それは言葉を忘れ声無くし。
 名は白狐。犬に惚れた狐。



                        終




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 (年齢) > 性別 / 職業 / 個別パートタイトル】

【0086 / シュライン・エマ(26)】
     女 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
     幻影
     
【 0332/ 九尾・桐伯 / きゅうび・とうはく(27)】
     男 / バーテンダー
     旧友とカクテル
     
【0389 / 真名神・慶悟 / まながみ・けいご(20)】
     男 / 陰陽師
     陰陽師と霊狐
     
【0838 / 浄業院・是戒 / じょうごういん・ぜかい(55)】
     男 / 真言宗・大阿闍梨位の密教僧 /
     クマと少年
     
【0843 / 影崎・雅 / かげざき・みやび(27)】
     男 / トラブル清掃業+時々住職
     
【0969 / 鬼頭・なゆ / きとう・なゆ(5)】
     女 / 幼稚園生
     クマと少年
     
【 1024/ ゴドフリート・アルバレスト(36)】
     男 / 白バイ警官
     旧友とカクテル
     
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■        ライター『痛』信         ■
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 桐伯様、ゴドフリート様、初めまして。
 なゆ様、またお逢いできて嬉しいです。
 シュライン様、慶悟様、是戒様、雅様。
 いつもありがとうございます。
 
 さて改めましてこんにちわ、紺野です。
 大変遅くなりました『恋狐』をお届け致します。
 狐は皆さんの前に、様々な形で姿を現しました。
 もし興味があってお手透きなら、ぜひ他の方のお話も
 読んでみてくださいませ。
 
 それから、機会あってまたご一緒できるような事がありましたら
 プレイングにはここぞと言う時の台詞や仕草など、
 どんどん書き添えて下さいませ。
 ライターとしてはまだまだ全然不慣れですので、
 どんな事でも皆さんとの大切な橋渡しになります。
 また、それによってお話に花が添えられるのは言うまでも
 ありません。ぜひ宜しくお願いします。
 
 それでは皆様、この度は本当にご苦労様でした。
 山登りの疲れは茶饅頭で吹き飛ばして下さい。
 今後ますますの皆様のご活躍をお祈りしつつ……
 また、お逢いできますよう。
 
        コメント下手 紺野 ふずき 拝