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■ 青山変質霊騒動 ■
■ オープニング
最近、青山周辺、特に青山墓地近辺で幽霊を見たという者がえらく多いんだそうだ。
しかも、ただ見ただけじゃなく、襲われた奴も少なくないらしい。
で、こりゃいかんということで、青山の商店会の連中が慌ててウチに依頼をしてきたってわけなんだが……なにもウチじゃなくてもいいもんだろうに。
……まあいい。
とにかく、依頼を受けた以上、やる事はやらなきゃならん。
この事件の調査を頼む。できればとっとと解決しちまってくれ。
あ、そうそう、何故か幽霊に襲われたって連中は、みんな男ばかりなんだそうだ。
それと、なんか白衣を着た怪しい外人を見たって話もある。
まあ、今わかっているのはそんな所だな。
後はよろしく頼む。
……気をつけてな。
■ 青山墓地・集合
国道246号線と青山通りとが交わる場所の近くに、そこはあった。
付近には、日露戦争の折に軍神と崇められ、明治天皇崩御の際に殉死した乃木将軍を祀る乃木神社や、サイクリング、ジョギング、散歩のコースとしても知られる神宮外苑をはじめ、若者の街、原宿表参道なども、歩いてそうかからない距離にあったりする。
春には桜の名所であったり、刺激を求めるカップル達のデートコースとしても利用されたりしているようだが……本来はそのような目的で訪れる場所では決してない。
そこの名は、青山霊園。
明治5年に寺社等に帰属しない共同墓地という形の第1号として造られ、以来、志賀直哉、吉田茂、犬養毅、尾崎紅葉などといった教科書にも載っている数多くの著名人がここに埋葬されている。その事でもたいへんに有名な墓地である。
余談ではあるが、渋谷駅前に銅像があるハチ公の墓も、実はここにあったりする。
そして……この幾多の者が眠る場所には、もうひとつ、有名な顔があるのだ。
近隣はおろか、全国的にも名高い「心霊スポット」としての顔が──
「ごめんなさい、ちょっと遅れたかしら」
と、その場に最後に現れたのは、長身で切れ長の瞳を持った中性的な美女だった。
名は、シュライン・エマ。
翻訳家にして幽霊作家、およびそれだけでは生活にならないので時折草間のアシスタントもこなしているという才気溢れる女性だ。
もっとも、その中の最後のひとつは、大して実入りがあるわけでもなく、ネタの仕入れと、知的好奇心、探究心によるところが大きかったりする。
「いえ、俺達も今顔を合わせたところですから」
最初にそうこたえたのは、笹倉小暮(ささくら・こぐれ)。17歳の高校生である。
全体的におっとりとした雰囲気を持っており、口調も穏やかだった。
今回はたまたま草間の所に顔を出した折にこの話を聞かされ、なんかご近所の人達も困ってるだろうし、大変だよなぁ……とか思い、ここへとやってきた。
あまり深く考えて行動するタイプではないのかもしれないが、そこの所は不明だ。
「まあ、約束の時間にはまだ早いわけですし、気にしないでいきましょう」
そう告げてがははと豪快に笑った男は、大八五郎(だいはち・ごろう)と名乗った。
都内の体育大学に通う学生であり、空手をやっているのだという。
身長は190以上あり、上半身は鍛えられた筋肉で、今にもはちきれそうな印象を与える。
握られた拳も赤ん坊の頭ほどもあり、さらには拳ダコが派手に盛り上がって猛々しい装飾を施していた。
なんとなく、殴られる方の瓦にでも同情したくなるような感じだ。
「へえ、あなた美人ね、ちょっと妬けちゃうな」
などと、いささかずれた事を口にしたのは、香月千那(こうづき・せんな)。目にも鮮やかなワインレッドのスーツに身を包み、爪も同色を基調としたネイルアートに飾られている。年は10代後半から20代前半くらいと思えた。
この場所の雰囲気を考えれば、ずれているのは言葉だけでなく、服装も同様と言えるだろう。
が、しかし、こう見えても実はその道でもかなり名の知れた土御門系陰陽道を脈々と培ってきた家の出で、しかも次期当主だったりするらしい。
ちなみに土御門系陰陽道とは、かの有名な陰陽道のスーパースター、安倍清明を源流とする流れであり、現在では天社土御門神道としてその命脈が伝えられている。本庁は福井県名田庄村にあり、毎年8月1日に行われる名越祓(なごしのはらい)及び八朔祭(はっさくさい)は、例年多くの参拝者が訪れる事で有名だ。
……もっとも、千那の家は、そういう「表の」面とはかけ離れた所に位置するわけであるが。
「──どうぞよろしく」
お互いの簡単な自己紹介の後、シュラインがあらためて軽く礼をする。
この4人が、今回の「事件」の調査を行う面々であった。
■ 調査開始・出現
時刻は17:00を示そうとしていた。
それが、約束の集合時間である。
最後に現れたシュラインも、それより5分前には来たわけであったから、時間に関しては全員が合格というわけだ。
「で、どうしましょうか、これから?」
と、小暮。全員を見渡して、そう尋ねた。
その視線を受けて、シュラインが口を開く。
「……ここに来る前に、商店会の方に寄って、色々と話を聞いてみたんだけど、いいかしら?」
一番後に現れたのには、それなりに訳があったようである。
皆が頷き、話を続けるシュライン。
「まず、人を襲っているとされている霊についてだけれど、これについては色々な話が聞けたわ」
「というと?」
「どうやら出現している霊は1体だけというわけではないみたいね。老人だったり、若者だったり、腕がなかったり声だけだったり、その他いろいろいるようよ」
「じ、じゃあ、幽霊がいっぱい現れて、次々に人を襲っているという事ですか?」
「話に聞く限りでは、そうなるわね」
「確か、襲われているのは男のヒトばっかりだったって話よね? その他に何か共通点みたいなのはないのかしら? そーいう話は、聞けなかった?」
今度は千那が尋ねる。アゴに人差し指をちょこんと当て、小さく微笑んでいた。
シュラインはそちらにチラリと目だけを向けると、
「10代後半から、60代まで、被害者には年齢的、外見的な特徴は特にないようよ。ただ……」
「ただ?」
「被害者にも話を聞いた方が参考になるかと思っていたのだけれど、それは揃って断られたわ。なんでも"2度と思い出したくもない"って、皆が逃げるのよ」
「ふうん…」
「だから、被害者達が何を見て、何をされたのか、具体的にはさっぱりね。時間をかけて信頼を得られれば聞けるかもしれないけれど」
「でも、草間さんの所の仕事料で、そこまでやるのもねぇ」
「まあ、それもちょっとはあるわね。それに、実際その幽霊とやらに出会えば、もっと早く何か掴めるかもしれない」
「結局は、それが手っ取り早いって事ですね?」
「多少強引かもしれないけど、ね。ああ、それともうひとつ」
「なーに?」
「襲われている側だけじゃなく、襲っている側も、どうやら皆"男"らしいわ」
「それって……つまり、出現してる幽霊も男だけって事ですか?」
「ええ、そうみたいよ。少なくとも私の聞いた限りでは」
「どういう事でしょうね?」
「……さあ」
小暮の素朴な、そしてもっともな質問に、肩をすくめるシュラインだった。
「大八さん……でしたっけ、あなたはどう思います?」
と、これまでずっと黙っていた大男にも話を振ってみる小暮だったが、
「別にどうも。俺は出てきた奴に、片っ端から拳を打ち込むのみだ。自分の鍛えた技がどこまで幽霊という非常識な連中に通用するか、それを確かめるためにここに来たのだからな」
「は、はあ……」
ニヤリと笑った五郎に、ぎこちなく返事を返すのみだった。
「とにかく、もっと奥に進んでみましょうか。運がよければ、出会えるかもしれないわ」
シュラインが言い、皆が頷く。
「あ、でもその前に……」
ふと、小暮が傍らの小さな墓へと向き直り、その前へと進むと、手にした紙袋から何かを取り出す。
それはごく普通の線香と、マッチだった。
火をつけると、苔むした古い墓の前に、そっと置く。
ちょうどしゃがんだ小暮と同じくらいの高さの石の表面には、無縁仏と刻まれていた。
「これからちょっと騒がしくするかもしれませんから、これくらいはしとこうかと思って」
のんびりとした調子で言って、手を合わせた。
背後の3人も、その様を静かに見守る。
ただ、彼とは違って、他の面々は手までは合わせなかった。
死者に対する敬虔さという意味では、この中では小暮が一番なのかもしれない。
ただ、のほほんとした本人がそこまで考えているかどうかは、かなりの謎ではあったが……
──と、
「っくしゅん!!」
その小暮が、不意に大きなくしゃみをした。
それは、彼に備わった霊感が発動するサイン。
同時に、シュラインと千那の目が同じ方向へと動く。五郎だけがやや遅れた。
夕暮れと共に次第に濃くなりだした宵闇……
その中に、それよりももっと暗いものがじわじわと湧き出しつつあった。
■ 逃亡と追跡・男達
それは最初、漆黒のもやのようだった。
渦巻き、うねくりながら、しだいに人の形を作りだしていく。
やがて、頭と思える部分にどろりとした2つの光点──目が確認できるようになると、ゆっくりとこちらへと近づいてくる。
「出たわね」
静かにシュラインがつぶやいた。
自然と霊に対して半身になり、体の力を抜く。どう来ても、対処ができるように。
他の3人は、自然にそのまま立っていた。少なくとも恐がる者はいない。千那などは、ニコニコと微笑んでさえいる。
出現した霊は……1体ではなかった。
サラリーマン風のスーツに身を包んだものや、工事現場にでもいそうな労務者風、外国人に向けた墓の区画もあるせいか、外人の姿もある。さすがにここは明治以降の歴史しかないため、侍や落ち武者みたいなのまではいなかったが……その数は30体を下らないだろう。シュラインの話にもあったように、全員が男だ。
「随分……出てきますね」
さすがに、小暮もやや緊張した声を出した。
それらがぞろぞろと列を作り、4人の前へやってくると、ピタリと静止する。
「私達に、なんの用かしら?」
最初に、シュラインが問うた。
声にも態度にも怯えの色は皆無。立派なものだ。
「……」
が、霊達はそれには何の反応も示さない。
それどころか、一斉に同じ方向へと首を向けた。
「……え?」
不意に30対以上の死人の瞳に見つめられ、一歩後ろに下がったのは──小暮だった。
と、一団の中から1人の霊が音もなく彼の前へと進み出ると、傍らの煙立つ線香を指差し、
「あれをやったのはお前か?」
そう、尋ねてくる。
「は、はあ……そうですけど……それが何か?」
「そうか……優しい奴だ」
「い、いえ別に……」
いきなり話しかけられて、どう対処すべきか戸惑う小暮だ。
……やっぱり、なんで人を襲うのか、その辺をとにかく聞いてみるべきなんだろうな、うん。
そう思い、口に出そうとしたのだが、まさにその瞬間、目の前の霊は、小暮に向かってこう言ったのだ。
「愛してる」
「………」
「………」
「………」
「………」
その場にいた4人の生者の動きが、一瞬にして凍りついた。
「お前のその優しさが、俺の腐りかけたこの心に癒しの風を送ってくれる。愛してる、俺はお前を愛しているぞ」
大体20代の半ば位だろうか、生前は結構の美男子だったと知れる顔つきだったが、死因は事故か何からしく、その顔の半分が無残に潰れており、片方の眼球が飛び出して、振り子のようにぷらんぷらん揺れていた。
「いいや待て! お前などに任せておけるか! 俺だって狂おしいほどにそのお方を愛しているぞ!」
「何を言う! 俺だって!」
「俺もだ!」
1人の告白を合図に、次々と声を上げる霊の皆さん。
「ちょ、ちょっと待って下さい! そんな事言われても困ります!」
あまりの事態に頭の中が真っ白になっていた小暮だったが、さすがにハッと我に帰り、叫んだ。
「そうか、照れているのだな、可愛い奴め」
「違ーーーう!!」
「心配するな、お前には俺がいる。共に悩み、成長する事こそ愛の素晴らしさというものだ。まずは交換日記から始めよう」
「ならば俺は愛の歌を君に捧げよう!」
「おおお俺の肋骨をやる!」
「一緒の墓に入ってくれ!!」
「じょ、冗談じゃないってば!!」
押し寄せる霊の集団とその勢いに、ついに小暮は背中を向けて逃げ出した。
「あ、待ってくれマイハニー!」
「愛しい人よ! いずこへ!」
「そうか、おいかけっこだな! まてまて〜、あはははは」
そして、霊がその後を追う。
「………」
「………」
「………」
残された3人は、とりあえずどうすべきかわからなかった。
と…
「……俺は、あんたみたいなタイプが好みなんだ」
ふと、五郎を見つめる1体の霊。
「……」
無言のまま、彼はその顔面のど真ん中に拳を振るう。
が、空気を切り裂いた必殺の拳は、霊の顔をあっさりと突き抜け、空しく宙を駆け抜けただけだった。
「ああン……積極的なオ・カ・タ」
見たところ、ダメージはゼロ。
それどころか、青白い頬を朱に染めて、くねくねと身体を震わせている。
「……」
五郎の額にタラリと流れる一粒の汗。
そしてやっぱり無言のまま、彼もまた背中を見せてスタコラと逃走を始める。
「まって〜、愛しい人〜!!」
「俺もあんたが好きだー!」
「夜明けまで愛を語ろう!!」
小暮と同じく、霊の一団がその後を追う。
その時、それまで思考が一時停止状態だったシュラインが、ようやく動いた。
「──ちょっと待ちたまえ。なんなら俺と話をしないか?」
彼女の口から出たのは男の、それも草間の声だった。
シュラインの特殊技術、声帯模写だ。
ただ、彼女のそれはTVのモノマネ番組でやられているようなレベルを遥かに超えて、本物とまったく同じ音を繰り出す事ができる。対象が生物、非生物を問わず、音が出るものなら、彼女の声帯に真似のできないものはない。
うまくいけば、これでこちらに注意が向いて、話ができるかも……しれなかったのだが……
「……」
霊の一団は、チラリとシュラインに振り返っただけで、すぐにまた男達を追い始めた。
「……」
「……」
後に残されたのは、麗しい女性が2人だけ。
なんとなく、冷たい風が吹き抜けたような思いを感じるシュラインであった。
「……ねえねえ」
と、そのシュラインの袖を引っ張る千那。
無言のまま振り返ると、彼女が何かを指差している。
それは、逃げる男達と追う霊達を墓石の陰から覗くように見ているひとつの白衣姿。
草間の情報にもあった、噂の人物だろうか。
「行く?」
「……ええ」
コクリと頷くと、2人も静かに移動を始めた。
■ 真相・博士
「──ちょとあんた」
背後から近づき、声をかけると、
「む、な、なんだ貴様はでございますか! こんな時間にこんな場所で! 怪しい奴だでござる!」
ビクッと立ち上がり、指を突きつけてくるその人物だった。
鷲鼻でボサボサの髪とヒゲの白衣姿で、瞳の色は青だ。初老のゲルマン系……とシュラインは踏んだ。
ついでに言うと、見た目はもちろん、おかしな言葉遣いもその挙動も、向こうの方がシュラインの100倍は怪しい。
が、あえてその辺はツッコまず、
「レディに対して何かを聞きたいなら、まず自分の事を語るのが紳士ではないかしら?」
クールに、そう告げる。
「むむむ、そうだっちゃですね」
意外に素直に頷くと、今度はとたんに胸を反らし、言った。
「聞いて驚くでごわす! オラは世界を駆け巡る漂泊の科学者! プロフェッサー・フランツだべさ!!」
どこで学んだかは不明だが、イントネーションも滅茶苦茶なら、方言も各種混じってデタラメな日本語だった。
「……で、その天才科学者さんが、こんな所で何をしているのかしら? あの幽霊の異常さぶりも、あなたのせいだと言うの?」
「ふふふ、聞きたいでおじゃるか?」
「そうね、是非」
「そうか……レディの頼みとあらば、聞かせてやるずら! わはははは!」
「……それはどうも」
だめでもともと、と思ってズバリ聞いてみたのだが、これが当たった。
喜ばしい事なのかもしれないが、シュラインはなんだか頭痛がしてくる。
「実は、我輩は旅の果てに辿り付いたこの極東の島国で、恋に落ちてしまたのデスだよ」
「……恋?」
「そう……六本木のクラブの順子ママにであーる」
「へえ……」
「ところが順子ママには言い寄る男が多くての、そこで考え出したのが、惚れ薬大作戦というわけだっぺよ」
「惚れ薬?」
「左様、言い寄る男共にこれを飲ませれば、たちどころに男にしか興味を示さなくなるっちゅうことやねん。そうやってライバル共に共食いをさせれば、自然と順子ママの元に残るのは、おいどんただ1人というわけになるべさ」
「はあ……」
「オイラは頑張った。そして見よ! 完成した薬は、それが霊体であってもイチコロですのよ! 実験は大成功! やはり私は天才にょ! うはははははは!」
「そう……でも、ひとつ言っていかしら」
「なんズラ?」
「そんな回りくどい事をしなくても、女性用の惚れ薬なり媚薬なりを作って、そのママに飲ませればいいんじゃないの? で、その後であなたがママの前に現れれば、それでOKじゃない」
「……おお!」
シュラインの言葉に、ポンと手を打つと、
「それは気づかなかったダス」
感心したように目を見開くプロフェッサー……フランツ教授であった。
……こいつ……ダメだわ。
シュラインは大きくため息をついて、心の中でつぶやいた。
天才とナントカは紙一重と言うが、その紙一重の差が完全に埋まっている人物のようである。
と、その時、
「そっちの調子はどうかしら〜?」
平和な声がして、その場にひょっこりと千那が現れた。
後ろには、五郎と小暮が続いている。
男達の額には、それぞれ一枚のお札が貼られていた。
それが結界の役目を果たし、霊には彼らの姿が見えなくなっているのだ。
「どうやら、無事だったようね」
「ええ、千那さんのおかげで助かりました」
疲れきった声で、小暮が言った。
それはそうだろう、幽霊に愛を告白されるなど、尋常の事ではない。しかも相手は男だ。
他の被害者だって、このような事は2度と思い出したくもないに違いないはずである。
「ふっふっふ、そのようなまやかしで、我が科学力から逃げられると思うのはどうかと思い思われで候」
男達の無事な様子を見て、教授の目が輝いた。
「何を──」
まずいものを感じたシュラインが止めようと駆け寄ったが、遅かった。
「くらえなのですよ!」
言いざま、白衣の懐から何やら怪しい色彩の液体が入った試験管を取り出すと、地面に向けて叩きつける。
ボン! と軽い音がして、白煙がもうもうと上がった。
「逃げて!!」
瞬間、シュラインの声が飛ぶ。
千那は一気に5メートルも飛び下がり、男2名もまた口元を押さえつつ思い思いの方向へと駆ける。
やがて……あたりを包んだ煙が薄れていくと、4人がまた目を合わせた。
「……無事?」
全員を見渡して、シュラインが問う。
彼女自身は、もちろん何の変化もなかった。
そもそも、これは男にしか効かないはずなのだから。
「何ともないわよ」
千那も同様だった。
「今の、なんなんですか?」
と、小暮。どうやら彼もなんとか煙を吸わずに済んだようだ。
あとは、もう1人だが……
「……」
その大男は、いつのまにか小暮の隣に立っていた。
無言で、じいっと小暮を見下ろしている。
「な……なんですか?」
その表情に恐るべきものを感じて、頬のあたりをひきつらせる小暮。
「君……笹倉くんと言ったね」
「は、はい」
「今まで気づかなかったが……なんて可愛いんだ……」
「……ゑっ?」
「俺と交際してくれぇーーーー!!!」
「わーーーーーっっ!!!」
そして、再び始まる恋の追いかけっこ。
ただし、今度は人間同士である。
どちらにせよ、かなり間違っている事には何の変わりもないが……
「あららー、さすがのわたしでも、あれはどうしようもないわ」
遠ざかっていく2人を見ながら、千那がつぶやいた。
「ふっふっふ、アタクシの技術の前には、何者の力であっても無力なのですたい! はーっはっはっは!」
などと、1人満足そうに笑う教授。
「……ちょっと」
その前に、シュラインが静かに立つ。
「む、何かなお嬢さん。サインなら後にしてくれなのよ」
「あいにくだけど、そんなのいらないわ。それよりひとつ確かめたいんだけど」
「ふむ、言ってみるが勝ちではないかと思う次第」
「そう、なら聞くけど、あんた、さっきの煙を確かに吸っていたのに、なんともなっていないわね。ということは、何か解毒剤みたいなのがあって、あんた自身はそれを使ってるんじゃない? 違う?」
「ほう……よくぞ見破ったとですね」
「今すぐそれを渡しなさい」
「ふっ、何をお馬鹿さんな事──はぉぅっ!!」
途中まで言いかけた教授の言葉が、悲鳴に変わる。
シュラインが思い切り彼の弁慶の泣き所を蹴飛ばしたのだ。
「……出しなさい」
「く……拙者は脅しには決して負けは……」
──げし☆
「ぬひょあぁぅっ!!」
今度は反対の足の同じ所を蹴られて、教授が飛び上がった。
「うわー、痛そう」
と、思わず千那も顔をしかめる。
「いいからお出し」
「だ、だから嫌だと……」
──げし☆
「もふぁああぁぁっ!!!」
「出すまで蹴るわよ」
「わ……私が悪かった……っちゃ」
かくて──めでたく事件は解決したのだった。
■ 事後報告・大団円
それ以降、まるでウソのように幽霊騒動は治まり、青山霊園は"ただの"心霊スポットに戻った。
ここを通りかかったタクシーが夜に女性を拾い、ふと見るといつの間にか消えてシートが濡れていたとか、ジョギング中の人間がいきなり何もない所で足を掴まれた感じがして転んだりとか、そんな事は相変わらずしょっちゅう起こっているようだが、心霊スポットにそういう話は付き物である。むしろ微笑ましい部類に入るだろう。
事件のすぐ後、シュライン・エマは他の面々に草間への報告を任せると、行き先も告げずにブラリとどこかへ旅立っていった。
まあ、心身共に疲れた身体を癒しに行ったのだろう。気持ちはわかる。
しかし、彼女の事だから、そのうちにリフレッシュして、またすぐに怪異渦巻くこの場所に戻ってくるに違いない。
それが草間という探偵と知り合いになった者の、悲しい宿命なのだから。
香月千那は、草間に「今回も楽しかったわ」と笑顔で告げて、どこかへと去っていった。
これまた行き先は、誰も知らない。
神出鬼没が、彼女の信条との事だ。
大八五郎は、己の鍛錬不足を痛切に感じたとかで、現在片眉を剃り落として山に篭り、猛鍛錬中である。
が、いかに修行しようと、この世にはどうすることもできないものが確かに存在するのだ。
彼がそれに気づくのは、いつの日になるであろうか……
そして笹倉小暮は、今日も授業中に昼寝をしたり、草間の所に顔を出しては昼寝をしたり、それでも夜になるとやっぱりぐっすり眠れたり、それはもう普段と変わりない生活を送っている。
ある意味今回一番の被害者は彼かもしれないのだが、本人はほとんど気にしていない様子で、また変な事件にめぐり合う機会を望んでいたりする。
周りはそんな彼を変な奴と思うかもしれないが、小暮自身にとっては、それが普通なのだった。
最後に今回の事件を引き起こした張本人、プロフェッサー・フランツであるが……
事件を起こしたとはいえ、こと幽霊に関する事象に対する日本の刑法など存在するわけもなく、法的には無罪なので、草間の事務所で四方八方から説教してそのまま放免となった。
いちおうそれなりに反省していたようではあるが、だからといって今後何もしないという保証もないわけだ。
何しろ彼は天才だと、自分でも言っている。
天才の思考など、凡人にはわかるはずもない。
まあ、このままおとなしくしていればそれでよし、今度何かしでかしたその時は……
ウチの事務所にだけは、被害者が依頼を持ってこないようにと、ただ願う草間名探偵であった。
■ END ■
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女性/ 26 / 翻訳家&幽霊作家】
【0990 / 笹倉・小暮 / 男性 / 17 / 高校生】
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■ ライター通信 ■
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皆様、お疲れ様でございました。
最初、シュライン・エマ様と笹倉・小暮様の応募があった時点で「おお! ボケとツッコミが揃った!!」などと失礼な思いに憑り付かれて非常なまでに狂喜乱舞し、応募人数に満たないうちに書き始めてしまいました。
……一番ボケなのは、実は私という事なのでしょう。困ったものです。
シュライン様、貴方がいなければ、この事件は解決しませんでした。
主演女優賞は、貴方様です。
小暮様、貴方のおかげで幽霊達も大満足です。
この際ですから、私も「愛してます」と言っておきます。いえ、是非言わせて下さい。
もちろん、主演男優賞は、貴方様です。
お二方を始め、読んでくださった方々に、深くお礼申し上げます。
また、別の変な話でお会いしましょう。
それでは、その時まで。
※ 追伸
2002/10/5 文中の「エマ」という呼称を全て「シュライン」に変更しました。
シュライン・エマ様、大変失礼をば致しました。(土下座)
至らぬ私の弁慶の泣き所を、どうか思い切り蹴ってやってくださいませ。(ぉ
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