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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


歪みを断つもの
++プロローグ++
 時計台の上から飛び降りた少女は、『世界を終わらせ、歪みを正す』と書き残してこの世を去った。
 マスコミは競うように彼女が死という手段をとって伝えようとした言葉の真意を探ろうとした。だが、いつしか真実はそれらの嘘や憶測の中に埋もれようとしていく。
 これは、そんなある日の出来事だった。

「本当のことが、知りたいんです」
 草間興信所を訪れた少女は、綾杉みのりと名乗った。彼女の着ている制服は、都内にある全寮制の私立女子高のものだ。
 元々ミッション系の学校であったらしいその学園は、礼儀作法などに力を入れているという、いわゆるお嬢様学校であった筈だった。そしてつい最近、学園内にある時計台にて自殺した生徒がいたという事件も記憶に新しい。
「学園内で……それもあの時計台に幽霊が出るっていう噂があるんです。みんなが言っています。あれは……あれは葉月の幽霊なんだって……!」
 時計台の上から飛び降りた少女の名は桐生葉月。
 彼女はみのりのクラスメイトであり、ルームメイトでもあった。
 そして葉月は、不思議な力を持つ少女だったのだという。
「葉月は、見えないものを見て、聞こえない声を聞くことができたんです。葉月はいつも言っていました。この力は大人になるにつれて、失われていくものだけれど、本当は私たちも――みんなが子供の頃に持っていたものだって。みんなは見ていたことを、忘れてしまっただけだって。あの葉月が、自殺なんて……」
 みのりの言葉によれば、葉月という少女は非常に優秀な生徒であるにもかかわらず、それを鼻にかけるようなことは一切なかった。そして、その独自の存在感から生徒たちにも、そして教師陣にも一目置かれるような存在であったのだと。
「葉月が生きているときは、みんな葉月の言葉を疑ったりすることはなかったんです。でも……」
「ちょっと待ってくれ」
 状況を把握するためには、もう少し話を整理する必要がありそうだった。そもそもみのりは、『本当のこと』が知りたいのだという。彼女の欲する真実とは何なのだろう。
 草間は幾つかの質問をして、状況をまとめる。

○時計台から飛び降りた少女、桐生葉月は『世界を終わらせ、歪みを正す』と書き残していた。
○葉月は見えないものを見、聞こえない声を聞くことのできる――いわゆる霊能力といった類の力を持っていると主張していた。
○最近になって時計台に幽霊が現れ始めた。葉月の持っていたとされる力が嘘だったのではないか? そんなことを話していた生徒の前に決まって霊が現れるのだという。

「私は知りたいんです。葉月は何を伝えようとしているのか。葉月の正そうとした歪みとは何だったのか――そして、もしも時計台に現れる幽霊が葉月なのだとしたら、何故生徒たちを怯えさせるのか……いいえ、そもそもその霊とは葉月なのかどうかを」
 草間はふと、依頼内容がまとめられた書類のファイルを開く。『時計台の幽霊』に関する依頼――すぐに目当てのものを見つけ、彼はその書類を抜き出してしげしげと内容を眺めた。
 それは、みのりが通う学園の学園長からの依頼だった。時計台に現れる幽霊について――生徒たちの噂だけに及ばず、実際に学園長が動いているとなると、学園側もこの幽霊騒ぎを重く見ているようだ。それに草間の記憶によれば、この校長という男は依頼内容を語るときも終始びくびくと怯えた様子で、どこかひっかかるものがあった。
 みのりは震える手を握りしめながら言った。
「私と葉月は親友でした。だから、尚更に知りたいんです。葉月がどうして――あんなことをしたのかを」

++来訪者たち++
 都心から二十分ばかり電車で揺られ、さらに駅前からただひたすらに真っ直ぐ、電車で揺られたのと同じほどの時間を歩いた末に、問題の私立北条学園があった。駅からのバスの本数もあまり数がなく、タクシーそのものもあまり見られないために結果的に徒歩で訪れるほうが効率がいい。
 学園は色の古びた煉瓦の壁で周囲を取り囲まれている。そして正面には、鉄製の門があった。それは中央が一番高いアーチ型をしており、ところどころに蔦を模した彫刻が施されているためか、あまり重苦しさを感じさせない華奢な印象を見るものに与える。
 正門から真っ直ぐに進むと、まずは日頃授業が行われている校舎が目に入る。校舎は上から見るとちょうど逆さにしたT字型をしていた。その突き出た部分には、図書室や特殊教室の類が並んでいるのだという。
 そしてT型の突き出た部分の先端から、さらに渡り廊下を通った先に学生寮があった。時計台は、学生寮に向かって渡り廊下を歩くと丁度右手に見える。
「あれじゃない――あの高さから落ちれば、そりゃあ死ぬわよねぇ」
 時計台の方を指差した女――村上・涼(むらかみ・りょう)が指し示した方角を見やると、月杜・雫(つきもり・しずく)はじっと時計台を見やる。
 二人が出会ったのは、時計台を探していた雫を、この学園の生徒と勘違いした涼が声をかけたのが始まりだった。雫も涼も、草間興信所に依頼された『時計台の幽霊』に興味をひかれてこの学園にやってきたということが分かると、雫よりも少し先に学園を訪れ、内部をうろついていた涼が時計台まで案内する、と言い出したのだ。
 雫はしばし、放心したようにじっと時計台を見上げていた。あそこに、桐生葉月の霊がいるのだと思うと、自分では意識せずとも体に力が入ってしまう。
 緊張と戦おうとするから辛いのだ。緊張する自分をも認めてしまえばいい。それも自分であることに変わりはない。
 雫はごくりと喉を鳴らすと、ゆっくりと歩き出した。
 そして、思い出したように立ち止まり、涼のほうを振り返るとぺこりと一礼する。
「行ってみます。もしかしたら、葉月さんと話をすることができるかもしれませんから」 それには答えずに、じっと時計台のほうを見つめていた涼が、ゆっくりと言葉を紡ぎだす。
「ねえ……『見える』ってことは、幸せなことなのかしら、それとも――」
 それは分からない。きっと誰にも。
 幸せというものは、人それぞれに感じ方が違うものだ。それを定規で測ったように定めることなどきっとできはしない。
「見える者にも、苦悩も幸せもあるでしょう。見えない者にも、苦労や幸せはあるのだと私は思います。それぞれの場所でそれぞれの幸福を見つけることはできるでしょう。けれど、そのどちらかが幸せなのかは、私には答えられないんです。私は、『見える』景色しか知らない。当たり前のようにその世界で生きてきましたから」
 見える者と見えない者。
 そこには多分、とてつもない壁があるのだろう。そしてその見えない壁の間で、悩み、傷ついていくものたちがきっといるのだ。
「どうかしましたか?」
「――なんでもないわ。キミは時計台に行くのよね? 私もちょっと野暮用をすませたら行こうと思っているから、後で合流する? 一人でふらふらするのも不安ではあるし」
 涼の申し出にはにかんだような笑みを浮かべつつ、雫が頷く。
 どこに、意味があるのだろうか?
 そして葉月は何に悩み、何を正そうとしてあの場所から飛び降りたのだろう――?
 時計台への道を足早に歩きながら、雫はただひたすらに考えていた。
 葉月が、自分を取り巻く世界を終わらせてしまった――その理由を。

++時計台++
 時計台の中は薄暗く、足元すら危うい。
 ちらちらと揺れる電灯の明かりだけを頼りに、雫はきょろきょろと周囲を見回した。巨大な歯車や、何に使われているのか、そしてどんな役割を担うのか分からない部品がひしめくその中で、雫は上に続く小さな階段を見つける。
 葉月もまた、この階段を上ったのだろうか?
 どんな気持ちで?
「聞こえますか、葉月さん」
 葉月の気持ちを知りたかった。見えないものを見ることができたという彼女が何を思い、何を憂いてこの世を去ったのかを。
「聞こえますか、葉月さん。私は、あなたと同じ力を持っている者です。あなたが自らをかけてでも正したいと願った歪みとは、何なのですか?」
 薄暗い空間には、雫の呼びかけと彼女が階段を上る小さな足音が響く。
 じっと、静寂に身を委ねれば遠く小さく歯車の回る音が耳に届く。
 だが、雫の呼びかけに答えるものは誰もいない。返って来るのは沈黙ばかりだ。
 階段の踊り場まで上った雫は、その場でしばし目を閉じる。視覚を封じたことにより、聴覚だけがひどく研ぎ澄まされていくような感覚――それでも、周囲には霊の気配はおろか人の気配すら感じられない。
 何が足りないのだろう、と雫は思う。
 この時計台で、そしてときには学生寮でも葉月の姿は目撃されている。そこには何かの法則でもあっただろうか?
 収穫もないままに雫は元来た道のりをそのまま戻り始めた。
 もしも葉月に出会ったそのとき、自分は彼女のために何をしてやれるのだろうと、それだけを考えながら。

++再会++
 最終的に時計台に集まったのは雫と、彼女と約束を交わしていた涼。
 そして、涼が出会った久我・直親(くが・なおちか)という男と、彼の顔見知りであるらしい雨宮・薫(あまみや・かおる)、そしてシュライン・エマ(しゅらいn・えま)だった。
 雫は降り始めた雨に、そっと手をかざしていたが、そのすぐ横で涼がてい、と渡り廊下の柱に蹴りを入れているのを視界に入れてしまう。
 どうやって静止したらよいのか分からず、思わず直親に助けを求めるような眼差しを送ると、彼は苦笑しつつも涼に声をかけた。
「気持ちは分かるがな。暴れるのはどうかと思うが」
「気持ちが分かるなら放っといて。あのオヤジを殴れないぶんをこうやってストレス発散してるんだから。それとも蹴られたい? 変わりに蹴られてくれるの?」
「それは遠慮する。なんなら今から戻っていって学園長を蹴ってきたらどうだ?」
「あんなオヤジに手も触れたくないわ」
 学生寮で話を聞いていたという薫たちの話によれば、葉月の能力が疑われるようになったのは教師たちが話をしているのをたまたま生徒が聞いていた、といったことが原因であったらしい。
「葉月さんは、『皆に注目されたい』という理由から自分に特殊な力があるという嘘をついてしまったんです。けれど、嘘を重ねるうちにそれが苦痛になってきた……そして、学園長に相談をしたのですが、たまたまそれが生徒に漏れてしまったそうです……」
 ここにやってくる少し前に涼と合流した雫は、学園長についての話を二人から聞いていた。どんな事情があるにせよ、やはり『何もしなかった』学園長に対して、避難めいた気持ちを抱いてしまうのは自分が子供だからなのだろうか?
 だが、その時点で学園長が何らかの手段を講じていたならば、葉月の自殺は止められたのだ、恐らくは。
「それなら自分でちゃんと責任取ればよかったのよあのオヤジが。その時点ならまだ幾らでも、葉月を救う手段はあったはずでしょう。それなのにあのオヤジはどうしたと思う? そしてどうして草間興信所に時計台の幽霊に関する調査を依頼してきたと思う? ああ嫌。もう同じ空間の空気吸ってるのも不快だったわ」
 涼は気持ちいいほどに自分の感情を隠そうとはしなかった。そんな彼女の様子に、直親が頷いて見せる。
「信じられないことだが、学園長はなにもしなかった。葉月が死に、彼女を疑ったものたちの前に霊が現れると知って、葉月が復讐をしようとしていると考えた。そして――」
「自分が危険になって初めて、草間興信所に依頼してきたということか」
 薫が顔をしかめるとシュラインが歩き出す。時計台に向かって。
 雨は強く彼女の体を濡らしたが、それに構うことはなかった。そして、ふと薫のほうを振り返る。
「式は、あそこにいるのね?」
「ああ――」
「一体呼び戻して。武彦さんが依頼を受けたときに、学園長のデータもとっていたはずだから、それも使うわ。それを、学園長に見立てましょう。写真があれば大丈夫?」
「やってみないと分からないな。姿さえ似ていれば問題ないのか?」
「声は、私の得意分野よ――外見さえ似ていれば何もいらないわ。そう、何もね」

++世界は残酷に++
 歯車が回る音と、激しい雷雨の音が交じり合った中、雫たちは時計台の中へと足を踏み入れた。そこには巨大な時計を動かすための歯車の数々と、その中にひっそりと隠れるようにして、上へ上へと続く階段があった。
「一人でいたくないなんて感情は、きっと誰にだってあるわ。だからといって『特別な力がある』なんて安易な嘘をつくのもどうかと思うけれど」
 シュラインの後には、校長の姿をした式が無言で階段を上がり続けている。おそらくシュラインは、ああやって葉月の霊を挑発することで、葉月を呼び出そうとしているのだろう。
 雫は、一人で時計台にやってきたときに何故葉月が現れなかったのかをやっと悟る。葉月は救済を求めているのではなく、『歪みを正そう』としているだけなのだ。彼女が『歪み』であると判断したもののところに現れる――例えば、彼女の能力が偽物であると、そういった類の言葉を口にしたもののところへ。
「夕方、私もここで葉月さんの霊に話を聞きたくて語り掛けてみたのですけれど、結局会えなかったんです。けれど、そういえば『葉月さんの力を疑う人のところに霊が現れる』って、みのりさんも言っていましたから。多分シュラインさんはああやって葉月さんを呼び出そうとしているのではないでしょうか……?」
 シュラインの背に視線を注ぎながら、直親が頷いた。
「そうか……とにかく出てきてもらわないことには話しにならないからな」
「葉月さんの願いが、私に出来ることならばいいのですけれど……」
「見ろ。あれが桐生葉月だ」
 ようやく、シュラインの言葉に葉月の霊が現れたようだった。
 みのりが着ていたものと同じ、セーラー服を着込んだ少女の霊――真っ直ぐな髪と、精巧に作られた人形のような顔立ちは、確かに人をひきつける『何か』があった。空気感とでもいうのだろうか? 女子高生にありがちな浮ついた様子は微塵も感じられず、あらゆるものを遠い高みから見下ろすような達観した眼差し。
 けれど、その眼差しが学園長の姿を捉えた途端、感情を――それも憎しみをあらわにする。美しい顔を歪ませた葉月の髪がふわりと揺れた。外に続く小さな小窓が、次々に音を立てて割れていく。
「葉月さん……待って、憎しみに捕らわれては駄目です。その方法は、その方法では何も変わったりしません!」
 風が吹き込んでくる中で、雫は懸命に葉月に呼びかけた。だが葉月はその声には耳を貸そうとはしない。
 時計台の中を照らしていた小さな電球たちが破裂する。思わず耳を塞いで雫がその場に座り込むと、破片で怪我をしないようにという配慮だろう。直親が上着をかけてくれたらしいふわりとした感触が身を包んだ。
「……キミ、なんでこんなところにいるの!? 戻りなさい」
 涼の言葉に新たな人物の出現を感じた雫が、ふと顔を上げる。
 そう、そこに現れたのは綾杉みのりだった。たった一人でここまでやってきたらしいみのりは、緊張からかうっすらと額に汗が浮かんでいた。だが、涼の言葉にみのりは首を横に振る。
「戻りません」
「彼女は、キミにだけはこの姿を見られなくはなかったのよ。彼女の選んだ手段は確かに間違いだらけだったかもしれないけれど、彼女が最後まで守りたかったものくらいは、守ってあげてもいい筈。だから……」
「葉月がどんな嘘をついていたって、友達は友達です。それに本当のことを知りたいと言ったのは私自身ですから」
 みのりはじっと葉月に視線を注いでいた。逸らされない視線に、物静かなみのりの中にある芯の強さが見え隠れしていた。自分に寄せられている思いに、みのりのこれだけ真っ直ぐな感情に、何故葉月は気づかなかったのだろう?
 たとえ葉月が嘘をついていたとしても、そのくらいのことでみのりは葉月の元を去ったりはしなかっただろう。ただの女子高生であるみのりが、ただ一人で夜――幽霊が現れると噂される時計台にこうしてやってくる。どのくらいの恐怖があっただろうか? それでも、みのりはやってきたのだ。葉月のために。
 葉月がもう少しだけ、勇気を出せば彼女は自ら命を絶つような必要はなかったのだ。
「あんたがやりたいのは、こいつに対する復讐でしょう?」
 シュラインが指し示したのは、学園長の姿をした式だった。
 割れた電球や、ガラスの破片が音もなく宙に舞い上がる。
「やめろ!」
 薫の制止の声には構わず、それらの破片が真っ直ぐに学園長へと切っ先を向けた。そして次の瞬間、数え切れないほどの破片が学園長を切り裂く――だが、もともと式であったそれは、白い紙片となってゆらゆらと地面に落ちていくだけだった。
 そして、学園長が偽物であるのを察した葉月の怒りは、シュラインへと向けられた。
 床に突き立ったガラスの破片が音もなく、再び宙に舞い上がる。直親と薫が緊張した面持ちでシュラインを庇うべく駆け寄ろうとしたが、破片が動き出すほうが僅かに早いようだった。心の中で直親が舌打ちをする。
 その時、雫と涼に守られていたみのりが、駆け出した。


「だめだよ葉月! もうやめて!」


 その時初めて、葉月はみのりの姿に気づいたようだった。怒りと憎しみに歪んでいた表情が、生来の彼女のものへと戻る。葉月は、悲しそうな笑みを見せた。
 葉月にとってみのりは大切な友人だった。そして大切であったが故に、葉月はみのりに自分の真実の姿をさらせなかったのではないだろうか? 誰でも、自分の大切な人には、自分の良いところだけを見て欲しいと思うものだ。それが不可能であると知りながらも――。
 本当の姿を見せたら、失われてしまうのではないだろうか?
 そんな恐怖に怯えながら完璧な自分を演じ続けなければならなかった苦痛。それにも増して、相談した学園長が原因で葉月の力が嘘であるという噂が流れたとき、彼女は何を思ったのだろう?
 結局彼女が選んだのは、死によって自分の人生を、世界を閉じてしまうことだった。
 そして、彼女を裏切った学園長を――彼女の能力を疑った歪みである人物達に復讐をしようとしたのだ。歪みを正すために。
 皆が沈黙して、みのりと葉月を見守る中で、最初に動いたのはみのりだった。
「……葉月が嘘をついてたことなんかどうでもいい……そんなことより、私達の部屋に今葉月がいないことのほうが、もっと……ずっと辛いよ」
 透明な涙が、みのりの頬を濡らす。
 葉月が、自分の生を終わらせることさえしなければ、まだやり直しはできたはずなのだ。
 けれどもう遅い。彼女はもう自ら死を選んでしまった後なのだ。
 事件の原因はもう雫の目の前にさらけ出されている。それなのに、自分に対処することができないという現実が悲しい。
 涼がぎゅっと拳を握り締めながら、葉月と対峙する。
「キミが終わらせなければならなかったのは、理想の自分を演じ続けることよ。本当の歪みは、キミが憎んだ他者の中にあったわけじゃなく、キミ自身の中にあった。多分、それって誰にでもあるものだわ――キミは自分が死ぬことを、世界が終わらせるなんて書いたけれど、人一人が死んだって世界は残酷に存在し続ける。キミが死んでも、世界は変わらないし、何も変わらない。世界は終わったりはしないのよ。世界はただ一人のためには変わったりはしない。自分が、変わるしかなかったのに」
 その場にぺたんと膝をついていた葉月の霊が、ゆっくりとした様子で涼を見上げる。
『生きていれば、変わったのかしら。今はもうできないけれど、もしあの時、別の選択をしていたら――……』
「生きていれば、多分ね」
 葉月はみのりのほうを見た。泣いている彼女が痛ましい。けれどそんな顔をさせているのはほかでもない葉月自身だった。
『ねえ、みのり。私は嘘をついていたし、最後まで本当のことは言えなかったけれど――』
 手を伸ばす。頬に触れようとした指先はするりとみのりの体をすり抜けてしまう。触れることすらできない――これが、自分のしてしまったことなのだ。
『ねえ、みのり……』
 最後に小さく囁かれた問いに、みのりはこくりと頷いた。
 時計台の時計の針がちょうど12時を示す。夜には鳴らない学園のチャイムが、まるで葉月の消滅を悼むように学園内に響き渡った。


『本当のことは言えなかったけれど、でも……友達だって、思ってくれて。泣いてくれて、ありがとう。ごめんね』


 葉月の最後の言葉が、チャイムの音にかき消される。けれどそれは間違いなくみのりには届いたのだと、雫たちは思った。

++エピローグ++
 その後、時計台に現れるという霊はぱったりと目撃されることはなくなった。みのりの言葉によれば、今だ葉月に関する噂は生徒の間で囁かれてはいるのだという。
「葉月が語ってくれる不思議なものの話は、とても綺麗で感動したのを覚えています。葉月は見えないものを見る能力はなかったのかもしれないけれど、でも人を感動させる才能はあったんだから、それでいいんです。今も、ずっと前から葉月は私の友達でした。それは変わらないんですから」
 みのりは事件が終わった時、時計台で皆に向かってそう告げた。
 生徒たちはいつか、時計台の幽霊のことを忘れてしまうだろう。ごくごく一部を除いて。
「シケた顔してるわね」
 直親の顔を間近で覗き上げながら涼がいうと、直親はそうか? と曖昧な様子で首を傾げる。
「納得いかないという顔ですよ」
 涼に同意を示す。実際涼が指摘するように、直親はどこか釈然としないとでもいいたげな、物足りなそうな表情をしている。そして、そんな彼が何を考えているのかも、そのおおよそが雫と涼には想像がついてしまっていた。
 おそらく彼は、葉月のことを今だ思い悩んでいるのだろう。
 だが、葉月は決して不幸ではないのだと、雫は思う。
「葉月には理解者がいるもの」
 涼が答えたのはそれだけだった。雫と涼は、視線を合わせ笑みを交し合っている。
 見える景色しか知らない雫も、見えないことが当たり前の世界に生きる涼も、完全に葉月のことを理解することはできないだろう。だが、見える者にも見えない者にも、不幸はあるし幸福はある。それらは、それぞれの世界に避けがたく存在するのだから。
 けれど、葉月が一人ではないなら。
 彼女は不幸ではないのだ。彼女が最も恐れたのは『孤独』なのだから。
「みのりのことか?」
「そうです。生徒たちは葉月さんのことを噂するかもしれません。けれど葉月さんの本当の姿はみのりさんがちゃんと知っているし、みのりさんは決して葉月さんのことを忘れないから、だからきっと最悪の結末ではないと思うんです。だって、葉月さんが一番恐れいていたのはきっと、自分の本当の姿を知って、みのりさんが離れていってしまうことだった――けれどみのりさんは、葉月さんの嘘を知っても、それでも友達だって言いました。だから、最悪の結末ではないんです」
「分かってくれる人が一人でもいる限り、そう悪いもんじゃないわ。きっとね――」
 涼が再び足を踏み出した――三人は駅に続く道を歩いている。この時間では、おそらく駅についたとしても電車はないだろう。
 駅までついたとしても、タクシーは捕まらないだろうし、始発を待つくらいしか手はない。どうやって家に帰ろうか、という涼の言葉に、何かいい案はないものかと雫が首をかしげていると、少し離れて後をついてくる直親の小さな呟きが聞こえた。
 おそらく、彼はそれが彼女たちの耳に届いているとは思っていないだろう。ならば、聞こえていないフリをしてやるのもいいかもしれない、と涼は無言で唇の前に人差し指を立てて見せた。沈黙の合図に、雫も彼女の意思を察したらしく、くすぐったそうな笑みを見せて頷く。
 もうすぐ日が昇る。
 学園は昨夜時計台で起きた事件など知らない生徒たちが朝の挨拶を交わし始めるだろう。


『――ありがとう、ごめんね……』


 あの時の葉月の声が、ふと雫の耳を掠めていく。
 それはもしかしたら、葉月が残した、雫たちに対する謝罪なのかもしれない。


―End―

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0112 / 雨宮・薫 / 男 / 18 / 陰陽師。普段は学生(高校生)】
【1026 / 月杜・雫 / 女 / 17 / 高校生】
【0095 / 久我・直親 / 男 / 27 / 陰陽師】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】

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■         ライター通信          ■
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 始めまして。久我忍です。
 今回は五本の物語を書きました。
 それぞれストーリーの流れは同じですが、PCの行っていた行動が違うように、全く同じという物語は存在しません。
 自分のところに納品される物語だけでも楽しめるようにと気をつけて執筆しておりますが、他の人に納品された物語に目を通して見ると、自分のPCが他のキャラクターからどんなふうに思われているのかといったことが分かったり、といった新たな発見があるかもしれません。

 では、今後もまめに依頼文をアップしていく予定です。どこかで見かけたら、どうぞよろしくお願いします。