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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


東京怪談・草間興信所「心の宝石【後】」

■オープニング■
『ごきげんよう。またお会いしましょう、その日までご壮健で』

 草間は荒々しく電話を切り、拳をデスクに叩き付けた。これで三度目になる、完遂という形ではなく依頼が終了するのは。
 草間は眉間に皺を刻み煙草を噴かした。
 月刊アトラスの今月号にこんな記事が載っていた。
『記憶強盗、現る!』
 女性が人事不省状態で保護される。数週間前から連発していた事件の犯人が、思い出屋という店の店主だったという記事だ。思い出屋は彼女らから商品…つまり記憶を奪い取り、そして『記憶を奪い取られた』と言う記憶をも奪って路上に捨てていたという。
 その記事を見た被害者が麗香経由で依頼を出してきていた。『記憶を取り戻してくれ』と。
 完遂でなく終了したのはどれもその依頼だった。一人は入院、もう二人は自ら命を絶った。
『売り物になるような記憶ってどんなものだと思う?』
 資料を差し出しながら麗香はそう言った。
 大切な記憶。売りに出せるほど、心地良い、大切な。
 奪われた彼女らの不安、そして空白は如何ほどのものだったのだろう?
 その答えがこれらの依頼であり、そして終了だ。彼女らは喪失に耐えられなかった。
 彼女らは救いを求めてこの事務所を訪れた。そして草間らはそれに応えられなかった。
 だからその依頼者達の訪れは草間興信所の面々をこれ以上なく奮起させた。
「坂下まみです」
 女ははっきりとそう名乗り、そして隣に腰掛けたもう一人の女を示した。こちらはまみと名乗った女とは対照的に、哀れなほどに青ざめている。
「そして…水野巴さんです」
 草間は目を見開き、二人を交互に伺った。それは報道された限りのあの事件の最後の被害者の名であり、そして被害者となるところを免れた女の名である。
「私の記憶を取り戻して欲しいんです。…そして、彼女の」
「…私の…私の記憶を守って下さい」
 巴は一枚の紙をテーブルに乗せた。極彩色のチラシである。外枠の白い部分に、小さくメッセージが記されている。
『ごきげんよう、近くお伺いいたします』
「…巫山戯た野郎だな」
 草間は忌々しげに吐き出した。
 そして二人に視線を戻し、大きく頷いた。

■本編■
「…外科医?」
 シュライン・エマ(しゅらいん・えま)はモニターに表示された項目に眉を顰めた。
 警察のデータベースなどと言うものは一般人に使用は出来ない。だがそこはそれ、蛇の道は蛇と言う奴である。草間興信所の名はまあそれなりに有名で、そこの一応の従業員であるシュラインは、そこそこ警察館内に融通が利いた。
 思い出屋の素性を探ろうと店周辺を調査したシュラインだったが、案の定というか大した収穫は得られなかった。
 何しろまだ新しい店で、その上既に閉店となった店だ。絶対的な情報量が少なすぎる。ご近所に顔を覚えてもらえるほどの期間も営業していなかった事になる、あの思い出屋は。
 最後の砦とばかりに警察を当たったが、そちらが寧ろ大当たりだったのだ。
 武蔵野にあるあの店の登録者の名前を、時間がかかるのは覚悟の上で全検索にかけた。そうしてHITしたいくつかの人物の中から二十代後半の男を更に検索する。
 その数三人。そして東京在住の者はその中にたった一人。
「三越孝治。二十八歳。外科医…」
 そのデータをプリントアウトしながら、シュラインは細い指をこめかみに当てた。
 本名よりもそして年齢よりも、
「外科医、か」
 その一項目だけがどうしても気にかかった。
 何かがどこかに、酷く引っかかるような気がした。

 事務所に戻って来たシュラインは入口でまず立ち尽くした。
 数人の依頼人や見知った顔、そして己がひしめき合う室内に、流石に怯んだ。
 敵を撹乱する為に式に依頼人、水野巴や坂下まみ、そして自分達の姿を取らせると聞いてはいた、いたがしかしそれがこうまで不気味なものであるとは思いもしなかったのだ。
 それでもどうにか素早く立ち直ったシュラインは、相も変わらず下らない言い争いを続けている真名神・慶悟(まながみ・けいご)と冴木・紫(さえき・ゆかり)の間に割って入った。
「懲りないわねあんた達も」
 慶悟が憮然とした顔で腕を組む。
「俺をこれと一緒にしないで貰えるか?」
「いい暇つぶしにはなるのよこれはこれで」
「ちょっと待て、あんたそう言う目的で俺に絡んできてるのか?」
「他に何があるっての?」
「ああもう、いい加減にしなさいっ!」
 年長者に一喝されて、二人は押し黙った。
 シュラインは痛み出したこめかみに指先を当てて眉間に皺を刻んだ。どう見ても前回より悪化している。くだらなさも激しさもだ。
 コホンと咳払いを落とした慶悟は空いているソファーをシュラインに指し示した。シュラインはふうと息を落として、それからそのソファーに腰を下ろした。
 既に深夜、巴とまみは資料室で横になっている。そちらの方は今草間と零、そして慶悟の式が見張りに付いている。
 紫が淹れてきた紅茶を一口啜り、人心地ついたシュラインはその日の調査結果を語りだした。
 思い出屋。本名三越孝治。二十八歳。外科医。
「分かったのはそのくらいのことよ。警察のデータベース使わせてもらってこの程度。逮捕暦なし」
「え? だってこの間のは?」
 思い出屋は逮捕されている。他ならぬこの三人が警察に突き出したのだから間違いはない。
 慶悟が忌々しげに吐き捨てた。
「あれが記憶をどうこうできる事を忘れたか? 通報があった記憶をその場に居る全員から根こそぎ奪って、後はそら惚ければ済むことだ」
 それよりもと簡単なプロフィールの中の一つの項目に慶悟が反応した。
「…外科医?」
 シュラインは大きく頷き、膝の上で手を組んだ。紫もまた身を乗り出してくる。
「それってやっぱり脳外科、ってことなの?」
「らしいわよ」
 紫は少し考える顔になった。
「…脳外科と記憶…符合はするけどどうもピンと来ないわね。何が目的なの?」
「というよりも医療技術なんかをまともに学んだやからがなんだってこんなことに手を染めてきてるんだ?」
 さあ、と、シュラインは肩を竦めた。
「単に宝石集めたかった…? そうねどうにもしっくり来ないわ」
 でしょー? と紫が応じる。
 横合いから軽い調子の声が会話に混じったのはちょうどその時。
「おやお分かりになりませんか?」
「さっぱりだ。_____!?」
 やはり軽い調子で応じた慶悟は一拍の間の後目を剥いた。
 聞き覚えのあるその声、その人を食ったような口調。
 全員が弾かれたように腰を浮かせ、入口へと視線を投げる。
「ごきげんよう。またお会いできましたね?」
 思い出屋は人好きのする笑顔を浮かべ恭しく腰を折った。

「エマ! 冴木!」
 慶悟の鋭い叫び声に、二人ははっと我に返った。
 呆然としている場合ではない。既に慶悟は符を構えて立っている。
 思い出屋は三人を満足げに見やり、拳を口元に当ててクスクスと笑った。
「そう殺気立たなくとも。私は別にあなた方に危害を加えに来たわけではありませんから」
「人を襲って記憶取ろうってのが危害じゃないとでも言う訳?」
 冷ややかな紫の声に、思い出屋は肩を竦めて見せた。
「なにも総ての記憶を頂戴しようとは言ってないでしょう? 無害だという事はあなたは身を持って知っているはずだ」
「私はね」
 ふんと紫が鼻を鳴らした。それに乗じるようにそしてシュラインと紫の二人を背に庇うように、ずいと慶悟が身を乗り出す。
「無害だと? 既に二人…自殺に追い込んで、その上で無害だというつもりか?」
「無害ですよ」
 思い出屋はチロリと紫を一瞥した。
「無害だったはずです。彼女達が『自分が何かを失ったかもしれない』と知覚することがなければね。そう…あんな記事さえ見なければ」
 はっと紫が口元を抑える。その記事を書いたのは確かに紫だ。
 紫に微笑み、思い出屋は尚も容赦なく言葉を継ぐ。
「あの記事を見ていない人の中に自殺を試みた人など居ません。記憶を無くしたという意識がなければ彼女達は何も気付きはしなかった、知らぬままなら何一つ問題は無かった筈です。あなたが、お書きになったあの記事をね」
「…それは…っ」
 紫は思わず思い出屋から顔を背けた。よろめく紫を、シュラインは慌てて支えた。
 多分ずっと、その事は紫の意識のどこかにあったのだ。それを指摘されて動揺しないでいられるほど人間味の薄い女ではない、紫は。
 シュラインはぎっと思い出屋を睨み据えた。
「話をすりかえないで。そもそもあんたが人の記憶なんか抜かなければこんな事にはならなかったはずでしょ?」
「それは勿論」
 あっさりと思い出屋は頷く。
「私にはそれが必要でしたから」
「…何故だ?」
 慶悟の問いに、思い出屋はさもおかしそうにクックと喉を鳴らす。
「私は脳…感情、記憶のメカニズム総てを解明したいだけです」
 言って思い出屋は手を振り上げた。いっそ優雅なほどの動きで翳された手の後ろからずるりと、既に紙から現出してしまっている獏が姿を現す。一頭ならず。
 宙に浮かび上がり岩を擦りあわせたような低い唸り声を上げる獏の姿に、慶悟は振り返らぬままに叫んだ。
「エマ! 冴木!」
 肘で突き飛ばされ、紫ははっと我に返った。
 引き起こした結果に混乱するのも後悔するのも後だ。今すべきはそんな内に向かう思考などでは断じてない。
 シュラインと顔を見合わせた紫はばっとソファーの向こうにあるドアに飛びついた。少し遅れてシュラインもそれに続く。
「任せたわよ!」
 後方から襲われる不安はあった。だが心配はしなかった。その程度には紫は慶悟を信用しているのだ。
 そんな事態ではないことは分かっていたが、シュラインは少しだけ笑んだ。
 何だかんだと言い争いを続けてはいても、その程度には互いに信用が出来てきているのだろう。
 同じくそう感じているらしい草間と視線を合わせたシュラインは、肩をすくめてから脱出用に用意してあった縄梯子に手をかけた。
「気をつけろよ」
「分かってるわ」
 かけられた草間の声もまた、シュラインの笑みを深くさせた。

 眠っていたまみと眠れもせずに布団に包まっていた巴の二人を布団から追い立てて、一同は避難用の縄梯子を使って窓から脱出した。草間と零に警察への通報と後始末を託して。
 事務所から離れた児童公園で四人は足を止めた。走っていた為に誰もが息を乱れさせている。叩き起こされたまみと巴は既に走る事も出来ぬほどに消耗していた。紫もシュラインもまだ走る事は出来る。だがこの二人がこの状況では少し、少なくとも呼吸が整うまではここに腰を落ちつけるしかない。
 まみと巴をベンチで休ませた二人は、薄暗い公園の中央に立ち予断無く周囲に視線を這わせた。今のところ周囲には何の気配もない。
「…脳のメカニズム総てを解明したい、か」
 シュラインと背中合わせに立った紫が、ポツリとそう吐き出した。
「なあに、行き成り」
「いやなんとなくだけどね。分かった気がしたのよ。思い出屋がなんで店なんかやってたか」
 虚空を睨みつけ、紫はぎゅっと拳を握り締める。
「…多分、サンプルなんだわ」
「成る程」
 シュラインは頷いた。確かにそう考えれば理解できない事も無い。
「…そう言えば言ってたわね。『記憶の結晶がこんなにも美しいものであるとは思いもよりませんでした』って」
 ご丁寧に思い出屋の声で言ってやると、紫はそんな場合ではない事を分かっていても笑いを禁じえなかったようだ。クスクスと言う小さな笑い声が聞こえてくる。
「そう、思いもよってなかったってことよ。取ってみて初めて気が付いた。あいつが欲しかったのはそもそも記憶で、それが宝石だったってのは後から付いてきたオプションなのよ」
「だから店も始めたってことね。より多くのサンプル獲得と、既に用済みになったサンプルを処分する為に」
 女二人は背中合わせのまま語り合う。急激な運動で上がった体温が背中越しに感じられてそれに少し安堵した。
 しかしその安堵は長く続かなかった。シュラインの背がぴくりと反応したのだ。
「…この…足音…」
 カツカツとアスファルトを叩く男の足音。革靴の踵が鳴るその音。
 聞き覚えがある、そして聞き逃してはならない足音だ。
「足音? 真名神…それとも草間さん?」
「…いいえ」
 きっぱりとシュラインは言い切った。
「来るわ」
 それに重なるように男の声が聞こえる。
「歓迎していただけますか?」
「誰が!」
 ゆっくりと現れた思い出屋に、紫が吐き捨てるように言った。

「逃げなさい!」
 シュラインは鋭い声でベンチで未だにへばっている二人の女に命じる。言いつつ虚しいものを感じない訳でもなかったが、それでもいわないわけにも行かなかった。
 そう多分…
 まみと巴はベンチから立ち上がりこそしたものの動こうとはしなかった。動けない訳ではなかろう、巴はまだしもまみはそうそう気の弱い性質でもない。
 知っているのだ。シュラインと同じく。
 多分、今逃げても無駄だという事を。
「別に逃げて下さっても一向に構いませんよ?」
 思い出屋はあっさりとそう言った。シュラインが眉間に皺を刻む。
「…随分と舐めてくれるものね」
「いえいえ、そう言う意味合いではなく」
 ゆっくりと思い出屋の腕が差し出される。巴でもまみでもなく、シュラインと紫に向けて。
「寧ろ私が用があるのはあなた方なのですから」
「…なんですって?」
「極普通の女性の記憶よりも、極普通でない女性や男性の記憶の方が私には遥かに意味があります」
「へえ…」
 紫が口の端を吊り上げて凶悪な笑みを形作った。シュラインもまた眼差しを険しくする。
 この男に対する恐怖は強い。強いがしかし今は怒りがそれを凌駕して余りあった。
「つまりあの子はエサだった訳ね? 私たちを釣り上げる為の?」
 予告紛いの真似を目の前で被害にあい掛けた女に仕掛ければ確かに慶悟も紫も、そしてシュラインも動いただろう。事実動いている。
 ただそれだけのために、釣るエサとする為だけに、蒼白になって怯え怪奇事件専門探偵などと言う妖しげな場所を頼るほどの恐怖を巴に与えたというのか。
 思い出屋はさも意外という顔で二人を見据える。
「その通りですがそれがなにか?」
「性根から腐りきってるわねあんた…」
 シュラインは嫌悪も露わに吐き捨てた。
 二人に、思い出屋はクスリと笑った。
「私はね、曖昧さが許せないんです」
 そう言って思い出屋は自らの頭を指差す。
「脳は謎だと言ったのはチャールズ・シェリントンでしたか…そんな謎はね、無くていい。脳もまた人体である以上真実を究明する手から逃れていいはずがない。『心』と言う概念も本来生物学の領域であるべきなんです」
 うっとりとどこか夢見るように思い出屋は語る。着崩す事無くきっちりと着込んだスールも物柔らかな声も硬質の美貌も初めてこの男を見たときから変わることはない。
 だが今思い出屋には決定的に欠けているものがあった。
 正気と言う、その一つだけが決定的に。
 サンプル。つい先刻紫が口にした言葉がシュラインの中に蘇った。
 その為に、感情や記憶と言う曖昧な概念を生物学の領域にまで持ってくるその為により多くのサンプルを欲しているのだ、この男は。
 愉悦などではない。その方がまだ可愛げがある。
 それは怒りであり、恐怖であり、屈辱でさえ、あっただろう。
 この男にとって自分達はサンプル。実験用のモルモットに過ぎないのだ。
「…よくもそこまで…っ!」
 紫がぎりっと奥歯を噛み締める音が聞こえる。
 しかしその怒りは思い出屋には届かない。
 両手を広げ、思い出屋はにっこりと笑った。両腕に被さるように二頭の獏がぬっと暗闇から顔を出す。
 獣のものとも人のものとも取れない奇怪な唸り声を上げて、獏は宙に爪を立てた。ちょうどネコ科の獣が獲物に向けて跳躍する直前のような、そんな姿勢だった。
 シュラインと紫はざっと腰を落とし身構えた。
 どこまでも勝ち目がない。それでも黙ってこの男にサンプルを提供してやる気には到底なれない。
「…どうする?」
 紫は思い出屋から目を離さず、傍らのシュラインに低い声で訊ねた。シュラインもまた紫を見ないまま少しだけ首を振る。
「…命は取られないわけでしょう。無駄でも何でも、殴るわよ、他に出来る事なんかないんだし」
「まー妥当ね」
 他に手がないとも言うが。
 二人は更に重心を低くした。勝機など無くとも、と言うより勝敗になど関係なく、あの思い出屋の取り澄ました顔を殴ってやりたかったのだ、もうこの際なんでもいいから。
 獏の唸り声が大きくなる。その前脚が宙を抉る瞬間と、二人が呼び動作を追える瞬間が重なる。思い出屋を除く四つの影が、その瞬間跳躍した。
 この拳は思い出屋には届かない。それを紫もシュラインも覚悟していた。
 だから、
「え?」
「…あ?」
 腹部に食い込む拳、そして顎を弾き飛ばす拳。
 その手ごたえに、紫は目を瞬かせる。シュラインもまた不思議そうな顔で紫と己の拳を見比べた。
 そして何より、思い出屋が倒れているのはどういうことだ?
「言ったろう? 主役は遅れて登場するもんだってな」
 火の付いていない煙草を指先に挟んで、思い出屋の向こうに慶悟が立っていた。

「禁呪ね」
 シュラインはほっと息を吐き出し、靴の先で倒れた思い出屋をつついた。思い出屋は倒れたままぴくりとも動かない。
 操り手を失った獏はその場でただうろうろと歩き回っているばかりだった。
 慶悟は思い出屋の頭をとりあえず蹴飛ばしてから二頭の獏に歩み寄った。
「どうするつもりなの?」
 訊ねてくる紫に、慶悟は振り返りざまにまりと笑って見せた。
「まあちょっと見てろ」
 言って獏に向直った慶悟はそのまま口の中で呪を紡ぎ出す。
 それは劇的な変化というわけではなかった。ゆっくりとしかし確実に、獏の体が縮んでいく。やがて獏は小さな石ころほどの大きさにまで縮み、そして小さな破裂音を立てて消滅した。
 瞬間、薄暗い公園にぱあっと光が差す。光が差したかのように見えた。
 様々な色の宝石が公園の小さな明かりに照らされて輝く。まるで波紋のように。宝石の水がたゆたいながらざあっと公園中に敷き詰められていく。
 紫もシュラインも、そして巴もまみも呆然とその幻想的な美しい光景を見詰めた。
 宝石の波紋は紫達の足元を埋め、そしてホタルのように瞬きながら、一つ、また一つと消え去っていく。
「…す、ごい…」
 掠れた声が紫の唇から滑り出る。
「…一体何をしたのよ?」
 シュラインの問いかけに、慶悟は額に滲んだ汗を払いつつ答えた。
「下手に燃やすのもヤバいかも知れないんでな。【水気】と【木気】を吸い上げて…まあ乾かし殺した」
 そして獏が消滅する事によって獏が蓄えていた記憶の宝石が持ち主の元へと帰って行ったのだ。
 瞬き消えていく宝石の光がまみと、そして紫にも吸い込まれていく。
 紫とまみは顔を見合わせた。
「それで、どうだ? 『飲み会の帰りに上機嫌で歓声あげながら鳩追っかけ回していた』のか、あんた?」
 紫が苦虫を噛み潰したような顔で慶悟を睨みつける。
「…言うようになったじゃないの」
「ただでたかられ続けて溜まるか」
 間接的な肯定に、皮肉が返ってくる。まみもまた口元を抑えて硬直していた。気丈なその瞳に、薄っすらと涙が浮かんでいる。巴がその肩をなで、無言でまみを励ましている。
 大方の宝石が消え去ったところでシュラインはパンと手を打ち鳴らした。
「さてと」
 その声に紫と慶悟が反応する。
「後の問題は…」
「これね」
 大またで未だに地に倒れ付している思い出屋に近付いた紫は、その体を足で蹴って上向かせた。
「…どうしたもんかしらね」
 シュラインはうめいた。
 この男をどう罰すればいいのだろう?
 この男が犯した罪は許されざる事だ。だがそれを立証する手立てがない。立証できるのは何人かを襲って人事不省に陥らせたというそれだけの事。第一こんな男に有効な罰などどこにも存在しない。ただ一つ、死刑を除けばだが。立証できるだけの材料でこの男にそんな罰を課せられるはずがない。
「…殺してコンクリで固めて東京湾でも一向に構わない気はするんだけど…」
 うーんと紫もまた唸る。
 唸りつつ固まってしまった二人に、慶悟は笑って言った。
「面白い手があるぞ」
「なによ?」
「コイツの意識に禁呪をかける。脳に関する研究の総てを意識できなくしてやればいい」
 獰猛に笑んで、慶悟は思い出屋を見下ろした。
 シュラインと紫は思わず顔を見合わせる。
 怒っている。これは相当に激しくとことんまで激している。
 何しろそれは今まで思い出屋が培ってきた『医者』としての能力を封じるという事に等しい。
 しかし、
「やって」
 異口同音に、紫とシュラインは言った。
 激しているのはこちらも全く同じ事だったからだ。

 かたかたかたかたと事務所内にキーボードを叩く音が響き渡る。
 草間の白い目をものともせずに、紫はその場でアトラスに持ち込む予定の原稿を執筆していた。
 報酬を受け取りにやって来たはいいが、預金を下ろしに出かけた零がまだ帰ってきていない為に、この場に居座っているのだ。
 立場は同じらしく、慶悟もまた来客用のソファーの上にふんぞり返っている。作業用のデスクでシュラインもまた今回の事件の報告書を纏めていた。
「…商売にならんだろう」
 憮然と草間が呟いても、勿論誰も取り合わない。
 シュラインは草間に笑いかけた。
「そんなに気に入らないの?」
「…本気で聞いてるのか」
 草間は実に嫌そうな顔でシュラインを見やった。
 あまりにも憮然としたその顔に、シュラインは笑いを誘われた。
 部屋の隅に追いやられている草間は窓から空を見上げて嘆息する。無論その息は煙草の煙によって白く濁っている。
「平和でいいじゃないの、ね?」
「…それも本気か?」
 草間は空から室内へと視線を戻し、顎で来客用のソファーを指し示す。
「ふう」
 切りのいいところで顔を上げた紫はんーっと思い切り腕を振り上げて伸びをしている。それを見計らってだろう、慶悟が紫に声をかけた。
 どう見てもこれは癖のようにやっている言い争いの序章である。
「ところであんたな?」
「んー?」
 テーブルに置いてあったミネラルウオーターのペットボトルに口をつけ、紫は面倒くさそうに慶悟を見やる。
「あんたこうして見る限りじゃ特に何も『一般的でない』所なんかなさそうだが…何かあるのか?」
「あーそれ?」
 察するに慶悟もまた、昨夜の思い出屋のご高説を聞かされたらしい。
 紫はテーブルの上に置かれていた慶悟の煙草を一本摘み上げ、慶悟の口に咥えさせた。そしてちょいちょいと指先で慶悟を呼び寄せる。
 怪訝そうな表情で、それでも身を乗り出すようにして顔を寄せてきた慶悟の鼻先で、紫はぽっと小さな火を灯した。その指先に。
 おやと、シュラインと草間は顔を見合わせた。極微弱なものではあるが、立派な発火能力だ。
 その火に煙草を寄せ、慶悟はゆっくりと息を吸い込んだ。煙草の先端に赤く火が灯り、紫煙が天井へと向けて立ち昇る。
「成る程」
「煙草に火ィつけるか深夜に油撒いて放火して回る程度の役にしか立たないけどね」
「放火の趣味があったのかあんた」
「お人形さんごっこが趣味の奴よりマシでしょー?」
 ほらな、と、草間がシュラインに目配せを寄越してくる。肩を竦めたシュラインは次の瞬間思わず声を発していた。
「え?」
 全員がシュラインを振り返る。その顔に驚愕がありありと浮かんでいる。
「どうした?」
 草間の問いかけにシュラインは緊張の面持ちで答える。
「…聞き覚えのある足音よ。勿論、零ちゃんのじゃないわ」
 その意味の分からないものなどこの場にはいない。一同は弾かれたように入口のドアを見やる。数秒の間の後、そのドアは開かれた。予想に違わぬ姿を覗かせて。
 ギリギリ二十台といったところだろうか、きっちりとスーツを着込んだ、物腰の穏やかそうな男だ。整った冴え冴えとした美貌の上に丸眼鏡が乗せられその顔の与える印象を緩和させている。
 まごうことなく、思い出屋の姿。
 一同の緊張に気付く事無く、男は硬い表情で口を開いた。
「あの、ここでこの間から連発している行き倒れ事件の調査を行ってくれると聞いたのですが」
 その手に握られているのは現在発売中の月刊アトラス。
「私は三越孝治…書類上は外科医、なのだそうです」
 困惑しきったその様に、昨夜見せた狂気は見受けられない。

 そして勿論、その依頼は、その依頼だけは、草間興信所が受けることはなかった。

『脳は謎である。かつても、そしてこれからも。(中略)それは脳が私たちにその謎を解く鍵を与えないからである』
 サー チャールズ・シェリントン『人間の脳』より。

 いつか解明される日が来ても、それでもきっとどこかが謎のままだろう。
 神秘の、心の宝石。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1021 / 冴木・紫 / 女 / 21 / フリーライター】
【0389 / 真名神・慶悟 / 男 / 20 / 陰陽師】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、里子です。再度の参加、ありがとうございました。

 前編の方にも書きましたが、脳を科学するって言うのはやっぱりどうにもなあと思わないでもないのです。無駄な事だとは決していいませんが。
 こう、どうしてもね。古い考えなのかもしれませんが、想像の余地って言うのかな、残しといて欲しいんですよね。
 その辺りが思い出屋の嫌な奴っぷりに現れてるのかもしれません。

 今回はありがとうございました。また機会がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。
 ご要望などありましたら聞かせていただけると助かります。