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動向(急転直下)
●バブルの遺産
真夜中の都内――といっても23区内ではなく、少し西へ行くことになるのだが――某所。1軒の廃屋がそこには建っていた。廃屋といってもそれは屋敷と言っていい大きさで、近所の者の話ではバブル経済崩壊後に手放されて、買い手のつかないまま放置されているのだということだった。ちなみにこの廃屋は、周囲の家々より離れてぽつんと建っている。
「ここね……」
廃屋の前に背の高く中性的な容貌の女性が立っていた。他には誰も居ない。その女性――シュライン・エマただ1人であった。
(本当に虚無の境界のメンバーが出入りしているのかしら)
目の前の門は壊れてこそいないが、開けるのは容易そうであった。それに、何度となく出入りがあった形跡も見られる。
「んー……」
シュラインは難しい表情を浮かべ、昼間の出来事を思い返していた。
●信頼
時間は同日の昼間まで遡る。シュラインが草間武彦たちを『誰もいない街』より救出して2日後のことである。
シュラインは月刊アトラスの編集長・碇麗香によって編集部まで呼び出されていた。その時は用件こそ伝えられなかったが、何とはなく『誰もいない街』に関わることかなという予感はあった。そしてその予感は見事に適中していたのである。
「廃屋があるらしいのよ」
開口一番、麗香はシュラインに向かってそう言った。
「廃屋?」
「虚無の境界の連中が出入りしてる、ね」
それを聞いて、シュラインは編集部員の三下忠雄の方を見た。三下は慌てて手を振って否定する素振りを見せていた。『僕じゃありません!』と言いたいのだろう。
「大丈夫よ、その話をつかんできたのは私だから」
にこりともせず麗香が言った。
「あの。何で呼ばれたか、何となく分かった気が……」
虚無の境界の名が出てきた時点で、シュラインは何故に自分が呼び出されたかはっきりと自覚した。
「そう。それは手間が省けるわ。じゃ、偵察お願いね」
(やっぱり)
さらりと言う麗香に対し、シュラインが苦笑いを浮かべた。
「三下くんに行かせると、またドジ踏むでしょうし。そうなったら、今度こそ殺されるかもね。ま、コンクリート詰めにされて、冷たい東京湾に沈められるんならまだましでしょうけど。別に私が行ってもいいけれど、向こうには完全に顔がばれているはず。でもあなたは、ばれていない可能性は高いわよ。だから、ね?」
麗香がにっこり微笑んで、こちらを見た。そしてこう言葉を続ける。
「……信頼してなきゃ、こんな話なんてしてないわよ」
そこまで言われたら本望である。どうせ草間が巻き込まれた時点で自分も関わってしまっているのだから、中途半端に終わらせるよりは行き着く所まで行った方がいいはずであった。
シュラインは麗香の頼みを受けると、すぐに三下に質問を投げかけた。
「ねえ、三下くん」
「はっ、はい!?」
「以前相手に気付かれた時って、どのくらいの距離だったのかしら」
「……です」
よく聞こえない。シュラインが思わず尋ね返した。
「え?」
「……ほぼ至近距離です」
うなだれる三下。これにはシュラインも呆れてしまった。
「至近距離……ね。今こうして生きてるのが不思議だわ」
冷ややかな視線を向け、溜息を吐くシュライン。
「それで? 気付かれた相手はどんな感じだったの?」
情報は期待出来ないかなとも思いつつ、質問を続けるシュライン。だが三下は珍しく明確な答えを返してきた。
「えっと……ロマンスグレーの紳士風です。銀髪の……前髪は上げていて……あっ、細いフレームの眼鏡もかけてました! 僕が見た時は、携帯でどこかに指示を出してるみたいでしたけど……」
「ん、三下くんにしては上出来だわ」
くすっとシュラインが笑った。
(指示を出してるってことは、少なくとも下っ端じゃなさそうよね。問題はその指示の内容だけど)
シュラインはじっと三下の顔を見た。三下はきょとんとした表情をこちらに向けている。
(……そこまで聞くのは無理そうねえ)
ま、三下だからそんなもんだ。
●侵入
再び真夜中、廃屋の前。
「さ、行きましょうか。ここでじっと立ってると、逆に怪しまれるわよね」
意を決したシュラインは、門を静かに開けて敷地内に侵入した。当然のことながら、両耳に神経を集中させて警戒を怠らなかった。
(私の場合、視覚より聴覚重点に頼った方が無難だし)
とりあえずシュラインは、廃屋に入ってからは聞こえてくる音で相手の居場所を突き止め、様子を窺うつもりであった。
庭を抜け、いよいよ廃屋へと入るシュライン。廃屋だけあってさすがに荒れている部分も見られ、何とも静かなものである。ただ、その静けさがある意味怖くもあるのだが。
(……まさか罠じゃないでしょうね)
シュラインが眉をひそめた。考えられなくもないことだ。わざと情報を流し、相手を誘き寄せるというのは常套手段である。
シュラインの脳裏に、『誰もいない街』から脱出する際に見た謎の少女の顔がふと浮かんだ。
(あの少女が境界のメンバーで、もしも例の空間を作り出してる本人だとしたら……武彦さんたちが脱出したことは知られているわよね、当然。ただ、わざとあの空間から解放したようにも見えるんだけど……気のせいなのかしら)
何にせよ、こちらの動向はある程度向こうに認識されていると考えた方がよさそうだ。けれども、それにしてはあまり警戒されていないような気もする。
シュラインは足音に気を付けながら、廃屋を歩いていく。と、そこでシュラインの耳に声らしき物が聞こえてきた。1人ではない、複数人のようだ。
シュラインはその場に立ち止まり、一層耳を澄ませてみた。
●会議中
聞こえてきた物は、やはり声であった。
「……準備は整いつつある。作戦の実行日は近い。各自、なお一層の活動に励んでほしい」
男の声だ。渋みを感じられるいい声であることから、ある程度年配の男かもしれない。
「ねえねえ、ニーベルちゃん。その作戦って面白いのぉ?」
今度は女の子の物と思しき可愛らしい声が聞こえてきた。
「もちろんだとも、アズ。このニーベル・スタンダルム、嘘は吐かないとも。面白い作戦となるだろう……『誰もいない街』を使うのだからね」
「そうなの? わーい、アズ楽しみだなぁ♪」
ニーベル・スタンダルムと自ら名乗った男の答えを聞いて、アズと呼ばれた女の子は嬉しそうな声を上げていた。
(『誰もいない街』を使った作戦……? テロリズム?)
シュラインは疑問を感じつつも、ニーベルたちの会話を聞き続けた。
「しかしニーベル。その作戦とやらは、いつ行うというのだ。場所もまだ聞いてはいないぞ」
別の男の声が聞こえてきた。それはシュラインにとってありがたい質問であった。心の中で思わず拍手してしまったほどに。
「今、本部と調整中だ。もうしばらく待ってほしい」
「……そうか」
けれども、肝心の内容は分からなかった。ただ、ニーベルが本部と連絡しうる立場であることは分かった。
「Ω、君にも活躍してもらうから、そのつもりでいてほしい」
(Ω?)
シュラインの眉がピクッと動いた。コードネームか何かだろうか?
「心配いらないわ。最強の霊鬼兵の力……私が十分に見せつけてあげるから」
ニーベルの言葉に、Ωと呼ばれた相手が答える。それは少女の声だった。
「!」
シュラインが驚きの表情を浮かべ、慌てて口を両手で塞いだ。こうでもしないと、声を出してしまいそうだったから。
(霊鬼兵ですって!?)
それはシュラインにとって、聞き覚えのある単語だった。何故ならば、今現在草間の所に居る草間零の正体が、その霊鬼兵であるのだから。しかし霊鬼兵は零1人だけだったような気もするのだが……。
(他に居るってことなの?)
しばしうつむき、思案するシュライン。そして顔を上げると、静かに歩き出した。
(……確認しなくちゃ)
近付き過ぎるのは危険だと分かっている。だけれども、相手の顔を確認しなければならない。そうしなければならないと思ったのだ。
シュラインはきしみを気にしながら、階段を上がっていった。
●ニーベルという男
居場所はもう分かっている。2階に上がったシュラインは、一番奥の部屋に向かった。扉に少し隙間があり、そこから光が漏れていた。光の雰囲気からすると、ろうそくかランプといった所だろうか。
シュラインは扉に近付くと、そっと中を覗き込んだ。中には数人の男女の姿があった。そして――。
(あ!)
そこに居たのだ。三下の話していた、銀髪の紳士風の男が。きっちりとスーツを着こなし、確かにロマンスグレーである。恐らく50代だと思われる。
しかしその男の肩に不思議な生物が止まっていた。背中に蝶のような羽根のある、体長50センチほどの生物だ。髪型はツインテールで、露出度の高めな衣服を着ていた。
「ねえねえ、ニーベルちゃん。アズ、難しい話が続いてて、よく分からないよぉ」
可愛らしい声でその生物、アズが言った。先程シュラインが聞いた声は、このアズが言っていたのだ。
「何、難しくはないさ。私の指示通りに動けばいい……」
笑みを浮かべ紳士風の男、ニーベルが答えた。これも先程聞いた声である。
「Ω、君もだ。くれぐれも我を忘れないように」
ニーベルは目の前に居る、金色の長い髪と冷たい美貌を持つ少女にきっぱりと言い放った。
「大丈夫よ。例え姉さんと会ったとしても……すぐに決着するわ。私こそ、最強の霊鬼兵なのだから」
金髪の少女、霊鬼兵・Ωは自信たっぷりに答えた。
(姉さんってまさか……零ちゃんのこと!?)
そう考えるのが妥当だろう。
(参ったわね、まさかこうなってくるなんて。ともあれ、ここを出て今聞いた話を伝えにゆかないと……)
シュラインは静かに後退りを始めた。だがしかし、思いがけない出来事が口を開いて待っていた。
静かな廃屋にバキッという音が響き渡った。
(しまっ……たっ!)
放置されて痛んでいたのだろう。シュラインは廊下の床を踏み抜いてしまったのだった――。
●脱出
「誰かそこに居るのか!」
ニーベルの物ではない男の声が、部屋の中より飛んできた。ガタガタッという音も聞こえてくる。部屋から一斉に飛び出してくるのも時間の問題だろう。
(万事休す……)
奥歯をぎりっと噛み締めるシュライン。しかし天はシュラインを見放していなかった。突然部屋の中から、窓ガラスが破られる音が聞こえてきたのだ。
「急襲だ! IO2の急襲だぞ!!」
部屋の中より、叫び声が聞こえてくる。この機をシュラインは逃さなかった。
(逃げないと!)
一目散に走り出すシュライン。後ろなど振り返る余裕すらなかった。とにかく今は、この廃屋を脱出することが先決だった。
シュラインは階段を駈け降り、ホールを抜けて廃屋から飛び出してきた。誰かが追いかけてくる気配はない。それはそうだろう、先程の部屋から戦闘らしき音と怒号が聞こえているのだから。
門を抜け、ようやく後ろを振り返ることの出来たシュラインは、目の前の光景に思わず声を漏らした。
「燃えてる……」
恐らく先程の部屋なのだろう。そこから火の手が上がっていたのだ。そのうちに近所の者が通報して、消防や警察がやってくるであろう。それまでにここを離れる必要があった。再び歩き出すシュライン。
(……IO2って何なのかしら)
シュラインが廃屋から離れながらそんなことを考えていると、向こうから黒い服にサングラスをかけ、鼻の下に髭を生やしている金髪の男が歩いてきた。背は高くがっしりとした体格の中年男だ。
男はシュラインとすれ違いざまに、ぼそっとこうつぶやいた。
「素人が手を出す必要はない」
「えっ?」
振り返るシュライン。男はこちらを振り返りもせず、まっすぐに廃屋の方へ向かっていった。遠くから消防車とパトカーのサイレンが聞こえてきていた……。
【了】
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