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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>



++『Aの死』++
10/5日 とある美術館学芸員の書き込み

 私が勤めている美術館にて、おかしな事件がありました。
 美術館職員であり、私の友人でもあるAという男(ネット上のため本名は伏せます)が行方不明になりました。タイムカードを見ると、その日Aは館にやってきていることは確かです。そのため皆は、Aが美術館のどこかに潜んでいるのではないかと懸命に探したのですが、結局その日Aを見つけることはできませんでした。
 今思えば、この時に警察に届けておくべきであったのだと思いますが、事件はそれから一週間後に発覚しました。Aが、変わり果てた――まるで精気を吸い取られてしまったかのような、がりがりに痩せこけた姿で発見されたのです。老人のように変わり果てた彼の死体は、美術館正面ロビーに放り出されており、出勤した職員が見つけたとのことです。
 そして、その日私は不思議な発見をしました。
 美術館に展示されている絵画が、一枚増えているのです。当美術館の目録を照らし合わせてみても、その作品の名は発見されませんでした。何より奇妙なのは、そこに描かれていたのはAの今まさに死を目前に控えたような恐怖の表情だったのです。そして、作品の下のタイトルには、

『Aの死  久世俊光』

 と……久世俊光という画家の作品は、当美術館にも一枚だけ展示してあります。それは彼が死に際に書いたという作品なのですが、タッチを見比べてみたところ、おそらく当人の作品に間違いはないでしょう。ですが、久世俊光は三年前に死んでいるのです。
 誰かのいたずらでしょうか? 
 ですが、ただのいたずらとも思えないのも事実です。現在、個人的に調査中ですが、また何か分かったら書き込みをします。では。






10/8日 とある美術館学芸員の書き込み

 見てはならないものを見てしまいました。また一枚、絵が増えるかもしれません。






 以上二点の書き込みを残して、美術館学芸員はネットから完全に姿を消した。彼女と個人的に親交があるという人物が、メールを出してみたところ、全く連絡が取れない状態なのだという。そして、とうとう勤め先である美術館に電話をしてみると、彼女――目黒理沙は数日前から行方不明であり、彼女が消えたときの状況はAが消えたときのそれとほぼ一致するのだという。
 目黒理沙は今、どこにいるのだろうか?
 そして、美術館ではいったい何が起きているのだろうか?


++世界とは何処に?++
 仄かな光を放つパソコンのディスプレイは世界に繋がっているのだという。
 そこから繋がれるインターネットと呼ばれる世界には、嘘やごまかしが溢れているがそれだけではなく当然の如く真実も含まれる。ただし、それが締める割合はひどく低いものではあるのだが。
 草間興信所のパソコンを我が物顔で操作しているシュライン・エマ(しゅらいん・えま)の背中を、村上・涼(むらかみ・りょう)は何をするでもなく眺めている。草間興信所のソファは主に接客用に使われることが多いのを意識してか、腰掛けると非常に心地よくはあるが、今はその心地よさに眠気を感じることは許されなかった。表向きは呆けているように見えても、涼の頭の中ではめまぐるしい勢いでさまざまな推理が展開されているのだから。
「Aという人物が殺されたのは間違いなく館内よね。行方不明になったのと、発見された日にズレがあるから、犯行時刻を特定するのは難しいし」
 勝手に紅茶を入れてソファに陣取った涼は、誰に聞かせるでもなく――あくまで自分の考えをまとめるために呟いた。だが、その呟きはシュラインにも聞こえていたようだ。パソコンに向かったままのシュラインが、振り返ることなく短く言葉を返してくる。
「タイムカード」
「そんなの誰にでも押せるでしょ。タイムカードに刻印された時刻自体が犯人の工作ってこともありうるし」
「関係者が絡んでいるのは確かじゃないかしら?」
「関係者がわざわざ美術館でそんな危険なことを? あんなところでやったら、捜査の手が自分に及ぶのなんか予測するまでもないのに?」
「この場合、犯人と仮定できる人が一人だけいることに気づかない?」
 シュラインが指摘した可能性とは、涼にとって頭の隅に常に存在していたにもかかわらず、ぎりぎりになるまで持ち出すつもりのないのものだった。
 警察が出てきて解決するような事件であれば、解決するのにさほどの苦労はしないだろう。だが、今回のような事件においては、間違いなく解決を阻んでいるのは自分を今まで取り巻いてきた『常識』というものなのかもしれないと、涼は思う。だからといって今までの自分のやり方をそう容易く変えることはできはしないし、そのつもりはないが。
 霊というものを頭から否定するつもりはないが、それを妄信するのも危険なのだから。
 シュラインはまだこちらを見てはいないにもかかわらず、涼は彼女に見せ付けるように肩を竦め、そして言った。
「……ゴメンね地に足つけて生きてきたのよ今まで。単なる殺人だとか、そんなことじゃ説明つかないことくらいは分かっているのよ私も。でも、常識と照らし合わせてそれでもどうにもならなかった時だけにしておきたいの。そういったことを持ち出すのは」
「で、結論は出たの?」
 シュラインが振り返り、プリンタから出力された用紙を涼に手渡しながら問いかける。
「出たわ――多分この事件には久世俊光が絡んでる。彼が生きていようと死んでいようと、それだけは確かだわ」
 おそらくは涼と同じ思いなのであろうシュラインが、かすかに頷きながら涼に手渡した用紙を視線だけで指し示した。
「久世俊光はさほど有名な画家ではないのだけれど、彼にはマニアともいうべきファンがついているので彼の絵は時に非常に高額な値がつけられるそうよ。彼は絵を書きながらも迷っていたのね。作風は迷走を続けた――それを見て」
 シュラインに指示された紙片に涼が目を落とす。そこに描かれているのは森の中の光景。
 木々の狭間から光が筋となって幾つも降り注ぐ。緑は溢れ、まばゆいばかりの新緑が描かれた心和む風景画。
「『光』――久世画伯は特に『形なきもの』を描くことに執念を燃やしたわ。その作品が、例の美術館に本来展示されているものよ」
「本当に、見事に作風バラバラね。同じ人物が書いたとは思えないわ」
 牧歌的な光景の絵画。薄暗い場所で膝を抱えた人物の絵。それらに目を通していた涼が、絵のリストと写真の下にあったものに目を留める。それは幾つかの建物の写真だった。
「これは? この一番下の右側のこれって、あの美術館でしょう?」
「ええ。久世画伯は元々建築学科を出ているみたいね。幾つか建物の設計も手がけているわ。そして、彼の建物には地下通路だとか、秘密の部屋というか――隠し部屋みたいなものが発見されることがあるらしいわ。どう、これは使えそうでしょう?」
もしかしたら、犯行現場とは人の目に見える場所にあるところではなく、生前久世俊光が残した隠し部屋なのかもしれない?
 そんな予感に、二人は現場である美術館に足を運ぶことにした。


++『光』++
 閉館時間を過ぎた美術館は、静寂に包まれていた。
 少しでも気の弱いものならば、足がすくんでしまいそうな雰囲気の中を、シュラインと涼の二人はパンフレット片手に目的の展示物のあるところへと足を進めていく。
「時間に余裕があれば、じっくり鑑賞できるのに残念ね。タダで入れるなんて滅多にないのに」
 涼がしみじみと呟くと、シュラインが苦笑にも似た笑みを返す。
 二人が向かっているのは、この美術館に一つだけ展示してあるという久世俊光の作品のあるところだった。
 パンフレットに描かれている館内のマップと展示物を交互に見比べていた涼が顔を上げる。
「でも、本当にソコに隠し部屋の入り口なんてのがあるのかしら?」
「久世画伯はこの美術館の建物を設計した際に、『光』を贈りその展示場所まで指定したそうだから……調べて見る価値はあると思うわ――ほら、見えてきたわよ」
 高い天井のホール。絨毯を踏みしめるようにして二人はそのホールに足を踏み入れようとした。だが、そのホールの中央とおぼしきところに、長身の影が見える。
 シュラインと涼は無言で顔を見合わせた。本来ならば、警戒してしかるべきだろう。だがあのシルエットには見覚えがあるような気がしてならない。
 涼はいまいち確信が持てないらしく、しきりに首をかしげている。だが、シュラインはその人影が誰であるのかにいち早く気づいたらしく、すたすたと迷いのない足取りで人影へと歩み寄っていく。
「最近よく会うわね」
「――まったくだ」
 その声に、涼もようやく相手が誰であるのかに気づくことができた。久我・直親(くが・なおちか)だろう。
 相手が知っている人物となればいつまでもこうして立ち尽くしている必要はなかった。シュラインの後を追いかけるようにして直親の元へと向かう。
「もしかして私たちの追っかけでもやってるんじゃないの? それともストーカー?」
「馬鹿言うな」
 涼の軽口に感情を露にすることもない。ふとシュラインがホールを見渡せば、ホール内は直親の配置したらしい符が見える。
「――久世画伯を待っているのね?」
「生きているのが出てくるか死人が出てくるか楽しみではあるな。どちらだと思う?」
「死人でしょう。久世画伯は死んでいるわ。これは事実だもの――そして、画伯のいるであろう場所も想像がついているわ」
 シュラインの言葉を合図に、涼が『光』に歩み寄る。美術館の調査という名目で警報の類は切ってもらっているとはいえ、やはりかなりの金額で取引される絵画であることに変わりはない。緊張のためかかすかに震える指先を、それでも慎重に動かしながら『光』を壁から取り外した
 絵を飾る額の壁に面するところに、小さな釘が頭から数センチ出したような形で打ち付けられていた。それはまるで、何かをぶら下げるためにあるように思える。
「絵を飾るための金具じゃないことは確かよね……問題は重さってことかしら?」
 ひとりごちながら、涼が壁の留め金に手を伸ばすが、目的のところには僅かに手が届かない。思わず顔をしかめると、直親が背後からするりと手を伸ばしてそれに触れた。そして少し、試すように金具を上下させてみる。
「重さ、か。なるほどな――隠し部屋に行くときには、この釘の部分に何か重りの変わりになりそうなものをぶら下げて代用したということか」
 シュラインから、ことの経緯を聞いた直親が留め金にかけた手に力をこめた。するとそれはレバーのように音を立てて下へと下がる。
 小さな、振動が床を伝って感じられた。ホールの隅にあった飾り物の暖炉は、火を入れられることはない――その暖炉の奥がぽっかりと穴をあける。
「問題は、一番最初に誰があそこ入るかってことよね。はいずって埃だらけになるのってかなり嫌だし」
 涼の言葉にシュラインが重々しく頷く。そして二人の視線は、まるで事前に打ち合わせでもしていたのか直親に向けられた。
「俺に行けということだな?」
「察しのいい男って女にモテるわよ」
 最初から自分が先頭に立つつもりではあったが、涼にこんなふうに言われてしまうとひどく複雑ではある。だがここでこうしている時間はなかった――直親は上着を脱いで暖炉へと向かった。


++死して尚++
 暖炉の奥にぽっかりと開いた穴は、最初こそ四つんばいにならなければ進めないほど小さなものであったが、五分としないうちに三人が並んで、立ち上がれる程度の通路へと出た。
「空気が悪いわね……ちょっと待って」
 シュラインが足を止めると、二人もそれにつられてように立ち止まった。
 涼たちを呼び止めたシュラインがそっと耳をすませる――シュラインの聴覚の鋭さは涼にも十分すぎるほどに分かっていた。おそらくシュラインには何かが聞こえているのだ。
 やがてシュラインが二人を先導するようにして歩き出す。涼も、直親にも何も聞こえてはいなかったが、やがて遠くから何かを言い争うような声が聞こえてきた。それは涼たちが足を進めるたびに、少しずつ大きく、そして明瞭になってくる。
「魂を、絵に封じ込めたということですか? そして目黒さんを次の犠牲者にしようというのですか?」
 問いを発したのは、冷たさすら感じさせる少女。彼女の足元には気を失った女、おそらくはそれが目黒理沙なのだろう――が倒れている。少女を庇うようにして立っているのは暗闇でも目立つ金髪の男だった。
「私は絵を描きたかっただけだ。おそらく君達には理解できまい――私は、絵を描き続け、そして道を究めたかった。描けないものを描きたかっただけだ」
 穏やかな口調ではあったが、答えを返した男からは鬼気迫る空気が感じられた。思わず息を呑まずにはおれないほどの威圧感は、男からこれだけ距離を取っている涼にも感じられた。だが至近距離でこれ以上の威圧感にさらされているにもかかわらず、男と対峙する少女は恐れを抱いているようにも、そして臆しているようにも見えない。
 物陰から、涼たちはそっと男たちの方を覗き見る。男の背後には巨大な――久世俊光が描いた彼自身の肖像『久世俊光の死』。
「絵が描きたきゃ誰にも迷惑かけねえ方法でやればいいじゃねえか」
「私は見えないものを描きたかった。例えばそれは光であり闇であり、生であり死でもある。人が生まれて最初に見るものが光ならば、人が死す最後に見るのは闇だろう。それほどに人に密接したものでありながら、それらには形がないのだ。だが、私はそれを描きたかった。分かるかね? 人の死の瞬間を絵の中に封じ込めることにより、私は近づいたのだ! 私の望むものに」
 金髪の男が、久世の言葉とその不気味なまでの気迫に思わずたじろいだようだった。だが、彼はあくまで少女を庇おうとしている。
「死の瞬間は『死』そのものではありません。あなたは絵を描くことに夢中で、人として大切なものをなくしてしまった――死して尚も絵というものに執着を抱くその姿勢は尊敬に値しますが、今のあなたには決して『光』は描けない。あなたは何も気づいていない」 少女が初めて、僅かに悲しげな顔を見せたように思えた。だがそれは本当に一瞬だけのことで、もしかしたら自分の気のせいなのかもしれない、と涼は思う。
 だが、一つだけ分かったことがある。
 もう、久世俊光に理性など残ってはいないのだ。今の彼を動かすのは、ただ人の死を描こうとする歪んだ妄執のみ。
「久世画伯の動きを止めたら、すぐに彼女たちを安全なところへ移動させてあげて」
 シュラインが涼の耳元で囁く。思わず視線を上げて、涼が問い返した。
「彼女たちっていうのは、目黒さんとあの二人?」
「ええ、お願い」
「で、動きを止めるというのは俺の役目か? 今日の俺は随分と働き者だな」
「働きモノの男はモテるわよ」
 軽口を叩きながらシュラインの持っているものに視線を落とす。小さなライター――シュラインが煙草を吸っているのを、涼は見たことがない。おそらくそれは、草間から借りてきたものなのだろう。
 シュラインはそれをぎゅっと握り締めた。
「久世画伯をこの世界に留めているのは、あの絵しかないわ」
 鬼気迫る久世の姿は、まるで絵画の中から抜け出したかのようだった。
 シュラインの合図を受けて、涼は足音を立てないようにと細心の注意を払いながら移動を開始した。久世の視線を避けるように物陰を利用しながら、少しずつ、少しずつ、少女たちの方へと向かう。ふと視線を上げると、シュラインも同じように久世の背後に回りこもうとしているようだった。
「光が、見えないから描けないなんてことはないはずです。あなたは自分が既に『光』を描いていることに気づいていないだけです」
「あれは光ではない。『光』そのものではない!」
 少女と久世のやりとりを耳にしながら、涼はさらに少女たちへと向かった。シュラインはもう久世の背後に回りこんでいるが、だが彼女はライターの火を点すのに躊躇しているように見える。
「音、だわ」
 シュラインが何故躊躇しているのかが、涼には分かった。すると直親が無言のままに僅かに首をかしげて見せる。
「人一倍音に敏感な彼女にとって、この状況でライターに火をつけるのは辛いことなのよ。私たちにとっては気づかないような小さな音であっても、彼女にとってはそうじゃないんだわ」
「――俺の出番ということか」
 直親がその場から立ち上がり、涼は慌てて身を伏せた。
 彼が久世の注意をひきつけようとしているのは明白だった。そしてシュラインもすぐにそれに気づくことだろう。
 ならば、今はそれぞれが自分にできることをすればいい。
「どちらにせよ、終わりだな」
 声と共に直親が歩みだす。久世の視線が彼に向けられた僅かな隙に乗じて、涼は少女たちから最も近いとされる物陰に身を潜めた。
 少女を守るように立っていた金髪の男が、涼に気づいたらしく不思議そうな視線をこちらに向けてくる。涼は唇の前に人差し指を立てながら、久世の背後に立つシュラインのほうを指差した。すると涼の言いたいことを察したらしい男は、シュラインの姿にことさら反応しないように振舞った。ここで男や少女がシュラインの出現に驚いたりすれば、シュラインの身に危険が及ぶのだ。
 背後のシュラインに気づかず、久世は直親に向けて声を荒げた。
「終わりになどなりはしない! 貴様たち全員の『死』を描き、私はさらに完璧に近づく。死しても尚、私は描き続けるのだ!」
「残すのは絵だけにしておけ。それが、死んだ画家が現世に残すことが許されるものだ」
「――黙れ!」
 キャンバスを前にしていた久世が声を荒げた。直親は片手に符を持つと、少女たちを庇うようにして立った。すると金髪の男がそれに並ぶ。
「鞠たんを守るのは俺の仕事なんだぜ。どこの馬の骨ともわからねぇヤツに譲れるかよ」
「貴様たち全員の死を描き、私は完璧になるのだ!」
 久世の声にまぎれ、シュラインがライターの火を点す音は聞こえなかった。
 誰が、悪かったのか。
 絵の道を志した久世に悪意はなかっただろう。極めたいという欲求が彼を狂気に追いやった。だが、誰しも自分の志す道を、貫きたいという思いはある。
 そんな涼の思いを代弁するかの如く、シュラインの声が響く。
「――哀れだけれど、けれど許すこともできないわ。せめて――せめて絵画が溢れる美術館で終わらせてあげる。さよなら、久世画伯」
 驚愕に目を見開いて振り返る久世に、シュラインが寂しげな笑みを見せた。久世の肖像画が、ライターの火によって燃やされていく。
 火に包まれた肖像画が、音を立てて床に落ちた。振り返れば、久世が呆然と立ち尽くしている。その影が、輪郭が、少しずつ薄くなりやがて久世の姿は見えなくなった。まるで空気に溶け込んでしまったかのように。
「何かに夢中になることは、悪いことじゃない筈なのにね」
「だが、人は死んでる」
「分かってるわ――夢中になりすぎて、他者を犠牲にするなんてロクなもんじゃないもの」
 直親に頷いて見せると、涼は立ち上がった。
「分かってるけど、複雑よね」


++『光あるところ』++
 数日後、涼たちはあの美術館を再び訪れた。あの時は夜中で、しかも調査があったためにゆっくりと展示品を見る余裕がなかったが、今日は時間的にもゆっくりとできそうだった。
 シュラインや直親がどんな理由があってここに来たのかは知らない。だが、涼が『美術館に行こうと思う』と告げると二人は当然のことのように同行を申し出てきたのだ。涼に断る理由はなかった。
 今、三人が目の前にしているのは久世俊光がこの美術館のために残したとされる作品。『光』。

 彼にとっての光とは、どこにあったのか?
 彼は本当に光を描けなかったのだろうか?
 問いかけても答えるものは涼の前にはいない。そんな彼女の前を、一組の親子連れが通り過ぎた。まだ小学生らしい子供は、久世の残した作品に魅入られたように足を止める。
「おかーさんおかーさん! ねえこれ見て!」
 母親の手を引いて、久世の絵を指し示す。不思議そうな顔で母親は絵に視線を向けた。
「ねえこの絵キラキラしてる! 日陰から日向に飛び出した瞬間みたいに、キラキラしててここにあるだけで明るくなるみたい!」
 子供の言葉に、涼は息を呑んだ。
 あの時の久世の言葉を、涼は胸の内で思い起こす。


 それらには形がないのだ。だが、私はそれを描きたかった。


 久世は『光』に焦がれていた。形なきそれらをキャンバスの中に留めておきたかった。 木々の狭間から光が筋となって幾つも降り注ぐ。緑は溢れ、まばゆいばかりの新緑が描かれた心和む風景画――『光』。
 それに見入っている子供の背中を見つめていた涼が呟く。
「なんだ――あんな大騒ぎして、ちゃんと描けてるんじゃない」
 彼にとっての道はもっと高いところにあったのかもしれない。
 けれど、この絵の中に紛れもない『光』を見出す者たちもいるだろう。
 子供の後姿に視線を向けていたシュラインが頷いた。
「そうね。あれはやっぱりタイトルの通りに、『光』なんだわ」


 子供が母親の腕を引っ張りながら訴えかける。
「いつか私もこんなふうにキラキラしたのが書けるかな!? 私、こんな絵が書きたい」

 この言葉は、久世に届いているのだろうか?

―End―




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0095 / 久我・直親 / 男 / 27 / 陰陽師】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【0446 / 崗・鞠 / 女 / 16 / 無職】
【0625 / 橘神・剣豪 / 男 / 25 / 守護獣】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちわ。久我忍です。
 漠然と『美術館に関する話が書きたいなー』とぼけぼけ考えていたのが、今回の依頼文を書くきっかけです。結局美術館の話ではなくて、『眼鏡を自分で持っているのに持っていることを思い出せない人の話』というものになりました。馬鹿っぽい例えですが、今はこれ以上の例えが思いつきません。困ったモノです。

 何かに夢中になっている人を書くのは好きです。えてしてそういう人は、それ以外のことに関しては視界が狭くなってしまうこともあるように思えますし、それこそ自分の眼鏡がどこにあるのかも分からなくなってしまったり、ということもあるのかもしれませんが、それでもそのくらいに夢中になれることがあるのはちょっと羨ましいなぁ、と思ってしまいます。

 では、今回は発注どうもありがとうございました。
 まだどこかで見かけましたら、どうぞよろしくお願いします。