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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


時空図書館

●プロローグ
 ある日の午後のことだった。
 珍しくデスクワークにいそしんでいた草間は、大きく伸びをし、コーヒーでも入れてもらおうと、零を呼んだ。だが、返事がない。怪訝に思って彼は、奥へと入って行った。家の中をあちこち覗いてみたが、どこにもいない。出掛けた様子はなかったのだが。
 怪訝に思いつつ草間は、最後に彼女の部屋を覗く。ここにも姿はなかった。ただ、ついさっきまで人のいたような気配はある。机の上には、分厚い本が広げたまま置かれ、その上に、小さな紙片が乗っていた。
 草間は、眉をひそめてそれを拾い上げた。そこには、印刷した文字で、
「零さんをお預かりします。迎えに来ていただければ、お返しいたします」
と書かれていた。署名は「時空図書館管理人、3月うさぎ」となっている。
 最初は零のいたずらかと思ったものの、広げられた本を見やって、草間は目を見張った。そのページには、広大な図書館の一室らしい絵が描かれており、その中に、書架に背を預けて本を読んでいる零の姿があったのだ。
 どうやら、零は何らかの不思議現象に巻き込まれてしまったらしい。草間は小さく溜息をついた。
「しかたない。迎えに行くか。……といっても、一人じゃどうやってこの図書館へ行ったらいいかもわからないしな……。誰か、助っ人を呼ぶしかないか……」
低く呟き、彼は助っ人になりそうな連中に電話をかけ始めた。

●草間興信所にて
 電話を受けて、シュライン・エマが草間興信所に出向いた時、事務所には草間が一人きりで待っていた。
 彼の電話から、シュラインが連想したのは、『不思議の国のアリス』の中のキャラクターの一人だった。原文ではたしか、「mad as a March hare」……つまり、「気まぐれな3月うさぎ」あるいは「狂気じみた3月うさぎ」と表記されていたように思う。
 どちらにせよ、もしも零を連れて行ったのが、その《3月うさぎ》であり、あの物語の世界なのなら、さほど心配はいらないような気がシュラインはしていた。
 彼女は、草間にもそう言ったが、彼はそれを、単なる慰めと取ったようだ。零が普通の人間ではないことはわかっていても、メッセージの内容がどうとも取れるものだけに、不安なのかもしれない。
 そこへ、同じく草間から電話を受けたのだという、陰陽師の真名神慶悟が姿を現した。
 シュラインより六つ年下の彼は、すらりと長身の体に、いつも通りスーツをまとい、髪は金に染めている。白皙の美貌もあって、彼の職業を知らなければ、水商売関係かと思ってしまうだろう。
「なんだ、あんたも呼ばれたのか」
顔を見るなり、慶悟は言った。
「ええ、まあね」
彼女は小さく肩をすくめてうなずく。二人は、旧知の間柄だ。
 彼女は、草間をふり返った。
「武彦さん、助っ人を頼んだのは、私たちだけ?」
「いや……。無我とレイベル、それに小暮にも電話したんだが……」
かぶりをふって、草間は眉間にしわを寄せた。名前を上げた三人にも、ほぼ同時に連絡を取っているので、本当ならそろそろ来てもいいころだ、と彼は付け加える。
 そこで、しばらく待ってみたものの、無我たち三人は、現れない。草間は、小さく吐息をついて、とりあえず、二人を零の部屋へと招いた。
 零の部屋は、彼女がいなくなった時のままにしてあるという。と言っても、草間がそれに気づいてから、さほど時間は経っていない。まず、二人は《3月うさぎ》からのメッセージの書かれた紙片を見せられた。だが、それは何の変哲もないただの紙片だった。書かれている言葉も簡潔だ。だが、相手の意図が今一つはっきりしない。
(この最初の文面は、零ちゃんを誘拐した、とも取れるわよね。でも、だとすると、相手からの要求は、武彦さんが零ちゃんを迎えに来ることと取れるけど……)
シュラインは、そこまで考え、首をひねる。
(でも、それって、どういう意図があるのかしら。たとえば、武彦さんに何か恨みでもあって、それを晴らしたい、とか?)
だが、草間も《3月うさぎ》に心あたりがないようだった。
 ともあれ、メッセージの意図はわからないものの、紙片自体には問題はないようだった。やはり、怪しいのは本の方だ。
 きちんと整えられた部屋の中、草間からの電話にあった通り、机の上に本が広げたままになっていた。彼女は、その本を覗き込む。草間と慶悟も、同じようなことを考えたのか、やはり、開かれたままのページを覗き込んだ。
 そのページは、右側に文章が綴られ、左側には図書館の一室に、書架を背に本を読み耽っている零の姿を描いた絵があった。零は、読書に熱中している風情だ。シュラインは、いったい何を読んでいるのだろうと、首をかしげる。だが、本の表紙は見えなかった。むろん、こちらの騒ぎが聞こえているようでもない。一応、絵を隅々まで眺めて、『不思議の国のアリス』の原文に従い、野兎が隠れていないか探してみた。が、そこにいるのは、零だけのようだ。むろん、耳を研ぎ澄ましてみても、そこからは何の物音も聞こえない。
 右側のページに綴られた文章は、どうやら時空図書館の説明らしかった。彼女は代表するように、声に出して読む。
「『時空図書館――世界中の、さまざまな時代の書物を全て収蔵しているといわれる伝説の図書館。世界中のあらゆる場所・あらゆる時間とつながっているといわれ、そこに行きたいと真に望みさえすれば、その扉は開かれるともいわれる。中は迷路状になっており、意志の力が行く場所を決めるともいわれている。そのため、意志の弱い者は、一度入ったが最後、二度と出られないとの伝説もある。一説には、エドガー・ケイシーやノストラダムスなどの、有名な霊媒や預言者は、自在にこの図書館に出入りして、そこから必要な時に、必要な知識を得ることができたので、一般人の目からは、不思議な技を持つ者と見えたのだともいわれている』……ですって」
「真に望みさえすれば……か……」
草間は呟き、慶悟を見やった。
「おまえの術で、その扉を見つけることはできないか?」
草間の言葉に、彼女も慶悟を見やった。たしかに、陰陽師である彼なら、それができるかもしれない。
 慶悟はうなずいた。
「とりあえず、空間を歪ませる術を試してみる」
二人に後ろへ下がるよう言うと、彼はその本の絵の上に軽く片手を置き、呪を唱え始めた。
「我……陰陽五行をここに奉じ……現世・異なる世、移ろいし狭間の戸を開かん……」
 彼の唱える呪と共に、術は発動し、本を中心にして、まるでかげろうが立ち昇っているかのように、空間が揺らぎ始めた。それは、次第に範囲を広げ、やがて、慶悟の体をも包み込んだ。そして、大きく空間が揺らめいたと思うと、彼の姿は、一瞬にしてそこからかき消えた。
「……!」
「真名神……!」
シュラインと草間は、思わず息を飲み、声を上げた。まだ、本を中心として机の周辺にはかげろうのような揺らめきが残っていたが、シュラインは構わずそちらへ駆け寄った。草間も、ほとんど同時に駆け寄る。
 だが、彼女には、その姿を確認している余裕はなかった。ふいに激しいめまいに襲われて、思わず目を閉じたためだ。途端に、体はエレベーターに乗った時のような浮遊感に包まれ、彼女は気を失った。

●書庫の中
 シュラインが気を失っていたのは、ほんの数瞬だったようだ。だが、目を開けた彼女の前に広がっていたのは、見慣れた草間興信所の中の、零の部屋ではなかった。
 大理石で造られたその部屋が、書庫であるらしいことは、すぐに知れた。整然と並べられた書架の中には、ぎっしりと本が詰まっており、棚の最上部にはどれも、文字の書かれたラベルが貼られている。おそらく、何らかの項目にしたがって、分類が施されているのだろう。室内には窓がなく、四方の壁に、常夜灯らしい明かりが灯されている。だが、中はかなり広いのか、その明かりだけでは、部屋の隅々まで見渡すことはできなかった。
(ここって、時空図書館の中なのかしら)
周囲を見回しながら、シュラインは胸に呟く。耳を澄ませてみても、何の物音も聞こえない。慶悟と草間はどうなったのだろうかと、ふと考える。二人を、呼んでみようかとも思ったが、あまりに静かなこの中で、声を発することもためらわれて、彼女は、ともかく出口を探して歩き始めた。
 だが、どれだけ歩いても、出口らしいものは見つからなかった。ただひたすら書架の列が続いているだけだ。
(本を扉にして入って来たのなら、本に何かの手掛かりがあるのかも)
ふと、そんなことを思いつき、彼女は手近の棚から、本を一冊抜き取った。美麗な装丁のその本の表紙は、フランス語で書かれていた。だが、そのことよりも、彼女はそのタイトルに目を丸くする。それは、他でもない『不思議の国のアリス』だったからだ。どうやらそれは、フランスで翻訳出版されたものらしかった。
 彼女は、その本の中身をざっと見た後、それを書架に戻し、隣の本を手に取ろうとして、更に目を見張った。その時になって、彼女は気付いたのだ。そこに並ぶ本の背表紙全てが、フランス語で『不思議の国のアリス』と書かれていることに。
(もしかして、これは全てフランスで翻訳されたアリスってこと?)
胸に呟き、書架の一番上の棚のところに貼られたラベルをたしかめる。そこには、英語の表記で、「フランス」と書かれていた。
 彼女は、改めて他の書架をも見て回り始めた。
 すると、フランスだけではない。イタリア、ドイツ、ポーランド、ベルギーなどなど、世界各国の『不思議の国のアリス』が、ここには収められているのだとわかった。むろん、日本のものもある。
(ここは、世界中の『不思議の国のアリス』を収蔵した書庫、というわけね。でも……じゃあ、どうして本国イギリスで出版されたものの棚がないのかしら)
彼女が首をひねった時、ふいに目の前に、開けた場所が現れた。
 ちょうど、書架と書架の間に、読書用の空間を設けたという雰囲気だった。丸いテーブルを囲むようにクッションの効いた椅子が配置され、その傍には、幾分小さめの書架がしつらえられている。そして、その中に、英語の『不思議の国のアリス』が並んでいた。
 シュラインは、その内の一冊を手に取ると、おくづけを確認した。イギリスで出版されたものだ。
(なんだか、私が今そう考えたから、ここにこのスペースが現れたような感じね)
本を手にしたまま、胸に呟き、彼女はふと思い出した。あの、零の部屋の机の上にあった本に書かれていたことを。
(意志の力が、行く場所を決める……あの本には、そう書いてあったわね。そういえば……)
彼女はふいに気付いた。自分が、草間からの電話を受けてからずっと、『不思議の国のアリス』を連想し、無意識にその内容や自分が以前読んだことのある本の装丁を思い出していたことを。
(つまり、私自身の意志が、私をここへ連れて来たってことね)
彼女はうなずき、手にしていた本を書架に戻した。そして、深く深呼吸すると、目を閉じた。脳裏に、あの本にあった絵を思い描く。
「私は、零ちゃんの所に行きたい」
はっきりと、声に出して口にする。その途端、彼女は再びあの浮遊感に体が包み込まれるのを感じた。

●図書館の一室
 がくりと、墜落するような感じと共に、シュラインは、目を開けた。
 そこは、広々とした図書館の一室だった。壁や天井は全て大理石で造られ、高い天井には、ステンドグラスを張った採光用の大きな窓があって、そこから柔らかな光が射し込んでいる。四方の壁は書架になっており、更に、間を置いて幾つか書架が並べられている。
 そして、その書架の一つを背にして、零が立っていた。もっとも、彼女は一人ではない。慶悟が一緒だ。更に、シュライン自身の傍には草間の姿もあった。草間はしかし、彼女には気付かない様子で、零に駆け寄る。今までどこにいたのか知らないが、その態度には、少しだけムッとするものがあった。だが、元気そうな零の姿を目の前に、安堵の笑顔を見せている彼を見れば、しかたないかと言う気にもなって、彼女は小さく肩をすくめた。
「零ちゃん、無事だったのね」
「シュラインさん」
声をかけて歩み寄る彼女に、零も笑顔を向けて来る。
 そこへ、ふいに人の気配が立って、柔らかな声がかけられた。
「ようこそ、お客人方」
一瞬、ハッとして全員がそちらをふり返る。
 そこに立っていたのは、一人の青年だった。一見すれば、25、6歳といったところだろうか。ほっそりとした体には、白い中国風のゆったりした衣服をまとっている。薄紅色の髪の間から、耳が覗いていたが、それは途中から羽と化し、まるで飾りのようだった。彫りの深い、整った顔立ちをしており、目は、髪と同じ薄紅色だ。
「管理人さん!」
青年の姿に、零が声を上げた。
「管理人? ……ってことは、おまえが《3月うさぎ》か?」
零の呼びかけに敏感に反応したのは、草間だった。彼は、今にも飛びかかりそうな様子で、青年を睨みつける。シュラインと慶悟も、いつでも戦闘態勢に移れるよう身構え、相手を見据えた。
 だが、青年は涼しい顔で笑っているだけだ。
「そうです。私が、この時空図書館の管理人、《3月うさぎ》です。もちろん、ただの通り名ですけどね」
言って、彼は慶悟をふり返ると、手のひらに握りしめていたものをさしだした。
「これは、あなたのでしょう? 申し訳ありませんでしたね。ここは、人間以外のものは入れないように、セキュリティが施されていますので」
さしだされたのは、慶悟の呪符だった。どれも、半分以上が焼け焦げている。式神たちのなれの果てだ。セキュリティというのは、結界か何かのことだろう。
 慶悟が、黙ってそれを受け取った。
 それを見やって、《3月うさぎ》は、一同を見回す。
「さて……では、詳しい話は奥で、お茶でもしながらしましょう。あなた方のお友達も、来てますしね」
「友達?」
シュラインたちは、思わず顔を見合わせた。
「お友達って、誰が来てるんですか?」
零が尋ねた。彼女には、まったく《3月うさぎ》を警戒する様子がない。
「ええっと……たしか、無我司録さんと、レイベル・ラブさん、それに、笹倉小暮さんとおっしゃっていましたよ」
その名を聞いて、更に三人は顔を見合わせた。それは、草間が助っ人を頼んだ残りのメンバーだ。
 零は、彼らの困惑をよそに、うれしそうだ。書架に、今まで読んでいた本を戻し、草間の手を取る。
「大勢で、お茶をするのは楽しいです。さ、草間さん、行きましょ」
言って、困惑する草間の手を引いて歩き出した。狐につままれたような気持ちで、それを見送るシュラインと慶悟を、《3月うさぎ》は更に促した。

●お茶会
 彼らが、《3月うさぎ》に促されるままに、奥の扉をくぐると、そこは優雅な雰囲気に整えられた、こじんまりとした一室だった。アンティーク風のテーブルと椅子が並べられ、そこに、無我、レイベル、小暮の三人が座していた。
「おまえたち、なんでここにいるんだ?」
草間が、シュラインたちを代表するように三人に訊いた。
「それはこっちの台詞だ。私らは、妙な空間に入り込んで、苦労したっていうのに……」
レイベルが、恨みがましい顔で草間に言葉を返す。
「レイベルさん……あれは何も、草間さんのせいじゃありませんよ」
無我が、笑いに肩を揺らせて横から言った。
「でも……」
口をとがらせるレイベルに、小暮ものんびりと言う。
「そうそう。それに、ちゃんとここにたどり着いて、草間とも会えたんだし〜、零も無事みたいだし〜、いいんじゃないの?」
だが、彼にまでそう言われて、レイベルはふくれっ面になる。
 草間は、苦笑して「すまなかったな」とだけ言った。
 《3月うさぎ》は、そんな彼とシュラインたちに席に着くよう促した。そして、零に手伝ってもらって、彼らにそれぞれ紅茶のカップと焼きたてのスコーンの皿を配る。
 いわゆる、英国風のアフタヌーンティーだ。紅茶とスコーンの芳ばしい香りが室内に広がり、少しだけ彼らをくつろいだ気分にさせた。だが、誰も手をつけようとしない。まだ幾分警戒気味に、草間は訊いた。
「おまえが零を誘拐したわけじゃないんだな?」
「しませんよ、そんなこと。ただ、零さんがあの本を見て、ここへ来たいと言っていたので、お誘いしたまでです。その際に、あなたに心配をかけたくないというので、私があのメモを残したのです。……まあ、多少、紛らわしい書き方をしたことは認めますがね」
にこやかに答えた《3月うさぎ》は、最後にそう笑って付け加えた。
「紛らわしいどころじゃないぞ。俺はてっきり……」
草間は、むっつりと相手を睨んで言いかけるが、零がすまなそうな顔でこちらを見ているのに気づき、残りの言葉を口の中に飲み込んだ。
 それを見やって、《3月うさぎ》はまた、声をたてて笑う。
「すみません。でも、おかげで、お友達を連れて来て下さった。お茶の時間は賑やかな方がいいですからね。うれしいですよ。いっそ、最後まで悪役で通して、あなた方と、大決戦を繰り広げるというのも、面白いかと思ったんですが……それをすると、この図書館の空間も危険ですし、あなた方もセキュリティに弾かれてしまいかねませんからね。断念しました」
言って、彼らに紅茶を飲むように勧める。
 二人の会話に、本当に紛らわしいメッセージを残したものだと思いながらも、悪意はないらしいと察して、シュラインは紅茶のカップを手にした。考えてみれば、さんざんあの書庫の中を歩き回って、喉が渇いていたし、空腹感も覚えていた。
 口にした紅茶は、アール・グレイだった。それも、かなり上質の茶葉を使っているようだ。スコーンも、さっくり焼き上がっている。リンゴのジャムとクロテッドクリームをたっぷりかけると、なかなか美味だった。
 他の者たちも、それぞれに出されたものを口にして、やっと本当にくつろいだ雰囲気となった。
「この時空図書館は、いったい何なんだ? あの蔵の中にあった巻物は、本物なのか?」
ややあって、慶悟が問うた。どうやら彼もシュラインと同じく、どこかで迷っていたらしい。
「あなたが見たものに限らず、ここの蔵書は、本物であってそうではないものです」
《3月うさぎ》は、紅茶を一口、口に含んだ後、言った。
「この図書館は、時間と空間の狭間に位置していますが、ここを存在させているのは、人間の無意識です。人は、無意識の底に共通の知識や概念を持っている。それらが、この図書館の建物を構築し、蔵書の数々を存在させているのです。……もともと、本自体が人間の無意識を刻みつけ、形にしたものですからね。人の無意識は、『文字』に刻まれることで形を成し、『本』となって一つの世界を形作る」
言葉を切って、彼は肩をすくめた。
「だから、ここに来た人は、自分自身が見たいと望む本のある場所へ行き、そこで、自分の望む本を手にすることができるのです。ですが、それがその人のいる世界で作られた『本物』かどうかは、私には答えられませんね。なにしろ、ここでは、以前読んだことのある本は……あまり手に入りませんので」
 その言葉に、シュラインは、やはりそうなのかと、改めて思う。
 結局、この図書館にある本は、それを読みたいと願った人間が作り出した想像の産物だということだろう。むろん、『不思議の国のアリス』は、現実に世界各国で翻訳出版されている本ではある。それに、彼女自身もそれを読みたいと願ったわけではなかった。だが、中身をじっくり読んでいたら、どうだったろうか。
(案外、面白い訳をしたアリスがあったかもしれないわね)
胸に小さく苦笑して、彼女はスコーンを一口ほおばった。さっくりとした食感のそれを噛み砕きながら、ふと思う。
(これも、もしかして想像の産物なのかしら?)
だが、それはどう考えても、ちゃんと空腹を満たしてくれる質感を伴ったものにしか感じられなかった。

●帰還
 美味しいお茶とスコーンを堪能したシュラインたちは、やがて、《3月うさぎ》に見送られて、時空図書館を後にした。
 彼らが戻った先は、草間興信所の零の部屋である。扉は、机の上に広げられた本の中の絵だった。
 戻ってから見た絵には、もう零の姿はなく、代わりに、《3月うさぎ》がにっこり笑って、こちらに片手を上げている図が載っていた。彼の話では、絵を描いた人物もまた、時空図書館に行きたいと望んでいたために、零の望みと同調して、そこが扉になったのだろうという。
 零は、本を閉じると、シュラインたちの方をふり返った。
「今日は、皆さんにまで心配をかけて、本当にすみませんでした」
言って、ぺこりと頭を下げる。
「気にしなくていいわよ。結局、武彦さんの早とちりだったんだし」
「と言うより、あの男の悪戯だろ」
笑って言うシュラインに、レイベルが肩をすくめて付け加えた。
「どっちにしろ、無事だったんだから、よしとしよう」
「紅茶も、お菓子も美味しかったし〜」
取りなすように言う慶悟に、小暮が、のほほんとした声を上げる。
「変わった体験も、できましたしね……」
無我が、相変わらずの嗚咽するような笑いと共に付け加えた。
「みんなの言う通りだな」
草間もうなずいて、軽く零の頭に手をやった。
 零は、その草間を見上げて、安心したように微笑んだ。そして、そっと机の上の本を手に取る。
「でも、またあそこへ遊びに行きたいなあ……」
思わず、という風に漏らした彼女の言葉に、その場の全員が顔を見合わせた。
 零は、随分とあそこが気に入ったらしい。たしかに、シュライン自身もあの図書館とその蔵書が本物ならば、興味があった。自分が読みたいと思う本のある場所へ、自在に行くことができれば、翻訳家としても、幽霊作家としても、どれだけ役に立つか知れない。だが。
(手にする本全てが、私自身の想像の産物だということは……想像の元になる私の知識が間違っていれば、本の内容も間違っているかもしれないということよね……。それって、意味がないわ……)
胸に呟いて、彼女は思わずこめかみを押さえた。
 もっとも、あの紅茶とスコーンは、なかなか美味しかった。たとえ想像の産物だったとしても、あれは悪くない。
(そうね。《3月うさぎ》とお茶をするためなら、また、あそこへ行ってもいいかもしれないわね)
そんなことを思って、彼女は小さく微笑み、何事か話している草間と零へ視線を巡らせたのだった――。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0389/真名神慶悟/男性/20歳/陰陽師】
【0441/無我司録/男性/50歳/自称探偵】
【0990/笹倉小暮/男性/17歳/高校生】
【0606/レイベル・ラブ/女性/395歳/ストリートドクター】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。織人文です。
依頼に参加していただきまして、ありがとうございます。
今回は、かなり長くなってしまいました。
更に、草間を含めて6人が一度に動くと収集がつかないため、
二組に分けさせていただきましたが、いかがだったでしょうか?
少しでも、楽しんでいただければ幸いです。

なお、予定していました「カメリア・ランプ SIDE B」の
依頼アップは、申し訳ありませんが、11月に入ってからとさせていただきます。
まことに申し訳ありません。

●シュライン・エマさま
3回目の参加、ありがとうございます。
今回は、深い付き合いがあるということで、草間&真名神さまと一緒に行動して
いただきましたが、いかがだったでしょうか?
また、兎に関する知識や、お茶会など、参考にさせていただきました。
それでは、またのご参加をお待ちしています。