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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


学園祭は魔女だらけ!?

「そういえばチケット来てたっけね。ええと…聖セシリア女学院…だっけ?」
 机の整理をしていた麗香は、ふと目に留めた封筒を手に取って呟いた。それはごく小さなものだったが、彼女の部下である三下にとっては重大な呟きであった。
「へっ、へっ、編集長!? 今セシリアのチケットって言いました!?」
「…言ったけど…」
麗香は椅子から転げ落ちた三下を呆れたように眺めた。「あなたの言いたいことは分ってる。『チケットってもしかして、学園祭のですか? 是非僕に下さい!!』でしょ」
 腰をさすりながら麗香に近づいて来ていた三下は、眼鏡の奥からきょとんとした目を見せ小首を傾げた。どうして分ったんですか? と言う視線。
 麗香は言った。
「セシリア女学院は名門中の名門校…生粋のお嬢様たちが通う学校として名高いわ。普段外界から閉ざされている学院に入るには、親族か女性でなければならない。
 唯一男性がその門を潜れるのは学園祭の時だけ。しかもチケットを持っている人間のみ。しかもチケットは万単位の値が付くプレミアもの。という事はあなたがこれを欲しがる目的は…」
ちら、と横目に三下を見下ろし、麗香は哀れむような目をした。「このチケットで入校すること? 可愛い子が一杯居るっていうお話だものね?」
 と言いながら彼女は三下の前にチケットをひらつかせたが、彼の目は一時もそれから離れない。今にも食い付きそうな顔つきに、麗香は「はしたない目的だけど、これだけ女っ気がないのも可哀想だわ…一枚くらいはあげてもいいかな」と思ったが…。
「これさえあれば、今月の家賃も払える…新しいゲームソフトも買えるかも…」
「〜〜っ、この莫迦っ!」
 涎をたらすべき相手が違うではないか。麗香は呆れてチケットを封筒に戻した。
「あ〜…」
 落胆の溜息が三下の口から漏れる。
「これはいつも手伝ってくださる方々に差し上げる事にするわ。なんだか色々他にも付いてるみたいだし…」
 と、覗き込んだ中には『駄菓子屋さん券』『喫茶店券』そしてその他に『占い無料券』だとか『守護天使と話そう講座』とか…。
── アヤシイ。
 麗香は見なかったことにして封筒の口を閉めた。三下はまだ悲しそうな顔をしているが後で麗香に感謝するかもしれない。
 さて…この手のチケットを送っても大丈夫そうなのは…。
 麗香は住所録を取り出して、ページを繰り始めた。

<校門前>
 青く高い空の下、聖セシリア女学院では、女子高生たちの明るく軽やかな笑い声や、お祭り花火の威勢いい音が響いていた。
「…遅いな。何をしてるんだ、あいつは」
 左手首の時計に目を落とし、万年金欠病陰陽師の真名神慶悟(マナガミ・ケイゴ)は人待ち顔で呟いた。
 ここで11時に会いましょうと言った相手、シュライン・エマは時間に遅れるような人間ではない。門柱に背中を預けて煙草をふかしながら、真名神は金髪に隠れた眉根を、苛立ちではなく多少の心配に寄せた。
 校門を出入りする生徒の視線が、好奇心を含んで彼を見る。良識ある父兄が囁きを交しながら通り過ぎて行く。夜の街には溶け込む着崩れた黒いスーツも細いネクタイも、真昼の女子高前ではどうやら目立ち過ぎのようである。
 ふん、と鼻を鳴らして彼は携帯灰皿を取り出した。嘘か真か煙草は彼にとっての精神集中剤なのだそうだが、最近では精神云々より体調を考慮せねばならぬ程の消費量になりつつあるのだが、たとえ彼にそう提言できる人間が現れたとしても、今のように鼻で笑われるか、一般人には分らない『陰陽師語』を使って言いくるめられてしまうだけだろう。
「遅くなったわ。ごめんなさい」
 良く通る声がして、煙草を揉み消した真名神は起こった様子も無く顔を上げた。
「遅刻だぞ」
 と、辺りからどよめきが起きた。余りチケットを求めて校門前にたむろしていた男達のものだ。きっと真名神の事をダフ屋か何かだと思っていたのだろう。なのに彼がすらりと背の高い美人に声を掛けられたものだから、驚きと羨望の声が上がったのだ。
「途中で声を掛けられちゃったもんだから」
 だが当のシュラインは、周りの様子には全く気付かぬまま、半歩身を捻って後ろを振り返った。
 彼女の後ろにはひょろりと背の高い茶髪の男が一人立っていた。赤いデザインフレームの眼鏡を掛けた奥に金の瞳が陽気な色を湛えて輝いている。
「こちらは神楽五樹(カグラ・イツキ)さんよ。私の顔見知りなんだけれど丁度そこでナンパされたの」
 笑いを含みながら、シュラインは道の先を指差した。セシリア女学院は丘の上に作られており、なだらかで長い長い坂道を登ってこなければたどり着けない。その代わり見晴らしは良く、下界の様子が豆粒のように見て取れた。シュラインが言うのは、つづら折りの向こうにある、バス停での事だ。
 いきなり肩に手を置かれたのには驚いたが、振り返ったら頬に指を差される、という初歩のギャグをかまされた事の方にもっと驚いた、というのはとりあえず脇に置いておこう。
「あんたが真名神さん? 宜しゅうな!」
シュラインからの紹介が終わる前に、神楽はついと一歩踏み出して真名神の前に立った。二人とも長身だが、僅かに真名神の方が線が細い。「シュラインさんとは腐れ縁なんやて? 道々色々と聞かしてもろたわ」
「シュラインを引っ掛けてくるとは、いい腕してるな」
 色々という台詞は聞き捨てて、真名神は言った。
 シュラインほどのレベルになると普通声は掛けにくくなる。その上彼女は見た目より身が硬い。顔見知り程度、と先程シュラインはそう言ったし、本当にナンパしたなら良くぞやってのけたものだ。
「いやいや。釣り上げられたのはどっちかていうたら俺のほうやで」
 それでも三十路前の男、神楽は少し後ろ体重気味に立ち、ニッと笑ってフレームを押し上げた。
 碇からチケットを貰ったはいいが、一人で祭りに行く事ほど味気ない事は無い。といって知人を誘おうにも肝心のチケットはプレミアもので手に入らない。だがお祭り好きの彼は、折角の物珍しい楽しみを人に譲ったり金品に変えるなどと思いつきもしなかった。
 結局一人でやって来た所に、知った顔を見つけたのである。食いつかずに居れようか。
「あら、口が上手いのね」
神楽の真意、というか関西人のナンパの概念を知ってか知らずか、シュラインは多少嬉しそうな顔をして、手に持ったバックの中を探り一枚のチケットを取り出した。「はい、これ」
 再び辺りがざわめいた。今度は先程の比ではない。立ち昇る物欲のオーラを感じとり、真名神は思わず溜息を付いた。
 女子高の学園祭には…いや女子高生そのものに興味が無いゆえプレミアチケットと言われてもピンと来ない。だがそういう評価があるならばこれは売り払ったらいい値になるに違いなく、彼は今ここで本当にダフ屋になりたい気分だった。けれどそれがバレた時の碇女史の怒りは想像するだに恐ろしく。
── タダ喫茶、タダ駄菓子、タダ占いの方が良い筈だ…売ってもせいぜい2.3千円だろう。
 彼は瀬戸際で考えを改めた。
「なんで真名神さんだけ郵送ちゃうの?」
 神楽が真名神に尋ねた。彼自身の所にはきちんと麗香本人から手紙を添えてチケットが送られて来ていたからだ。だがそれに答えたのは真名神ではなくシュラインだった。
「この人は、いつも夜の街をふらふらしてるから、家に送っても手元には届かないのよ」
「あ〜、繁華街の帝王やて言うたっけ?」
 その言葉でシュラインが真名神をどう紹介していたのかが知れる。神楽は一人で何事か納得したように幾度も頷いていたが、真名神を見るとこう言った。
「したらあんた今日の目的はナンパやろ!」
「…は?」
 きょとんとした真名神の隣に神楽がすすっと寄り添い肩に手を掛ける。
「ええんや、ええんや。恥ずかしい事無いわ。なんせ聖セシリア女学院て言うたら、女の子のレベルが高いんで有名やんか? 俺も可愛ええコがおったらええな〜なんて考えとったんや」
 これでも大学ではモテとるんやで〜。などと嬉しげに語る神楽を他所に、真名神はシュラインに耳打ちした。
「本当に、一体何者なんだ?」
「実はこう見えて某有名歯科大学の助教授なのよ。医師免許も持ってるって聞いたけど?」
「こいつの目の前では絶対に怪我も病気もしないようにしよう」
「同感かもね」
 頷き合う二人に気付かぬまま、神楽はガッツポーズに大きな声で宣言した
「よっしゃ! 今日は俺もナンパしよ! 決〜めたっ!!」
 では先程シュラインに声を掛けたのは、今日のナンパのうちに入らなかったのであろうか、などというのも置いておこう。なぜならば今はそれより重要な事があるのだ。
「…ナンパですか」
 聞こえたのは若い女性の声。
 真名神とシュラインは振り返り、その声に酷く聞き覚えのある神楽は、そのままフリーズ。
 そこには二人の女性が立っていた。一人は長い黒髪をポニーテールに結い上げた、元気よさそうな少女、もう一人は光の加減なのか青っぽい緑の髪を今時珍しくお下げにした、眼鏡の女性。
「神楽さんは、そういうことがお好きなんですね、知りませんでした」
 淡々とした声と眼鏡の奥の丸く大きな黒い瞳には、興味深げな色が浮かんでいる。
「あら。ミドリさんに美由姫ちゃんじゃないの」
シュラインは軽く微笑んで二人に歩み寄った。「元気だった?」
「ええ、お陰様で。シュラインさんも今日はもしかして、碇さんからチケットを?」
 声を掛けられた守屋(モリヤ)ミドリは、じっと見ていた神楽の背中から視線を外し、シュラインを見上げた。彼女は大変背が低く、シュラインと並ぶとその幼い顔立ちも相まって、学生ですと言われても分らない程だ。これで立派に就職を済ませた大学司書とは思えない。
「そうなのよ。でもどうせ呉れるなら二枚呉れればいいのに、なんて」
 と、シュラインは今頃某所でぐうたらソファに寝ているかもしれない人のことを想像したが、ここが女子高である事を思い出して、口を噤んだ。
「お礼の電話をした時聞きましたが、余り枚数がなかったそうですよ」
 受話器の向こう、アトラスの忙しげな気配に直ぐ切ってしまったが、碇はなぜか、『とりあえず気をつけろ』と言っていた。言葉の意味は分らないものの面白い事が起きそうだ。いいや、ミドリもこのチケットが高く売れることを知っており、なのに碇のその一言が原因でこれを売り払って先日出た全集を買うことを諦めたのだから、面白いことが起きてくれなければ困る。まぁ、どこに行けばチケットを売ることができるのか、知らなかったのもあるが。
 4人の様子を見ていた真名神は、彼等が知人同士であるらしいと気付いて、傍で見守っている。
 そしてもう一人の少女は、神楽の傍に寄ってきて、溜息を付くように彼に向かって言っていた。
「ミドリさんが来るって教えといてあげれば良かったね、いっちゃん」
 いっちゃん、とは神楽五樹の事。そして彼女の名前は加賀美由姫(カガ・ミユキ)と言う。
 気の毒そうな声と台詞の割には瞳が輝いていて、明らかに楽しいでいる風に見える。
「なんで先に言うてくれへんかったんっ」
「だっていきなりの方が嬉しさ100倍かな〜と思って」
 本心からの言葉である。美由姫は、神楽がミドリに片思いをしている事を知っていたし、応援する気はいつでも満々だ。時々うっかり食べ物などに釣られて二人の間にお邪魔してしまうけれども、それはご愛嬌。
「今は悲しさ一万倍や」
 泣き出しそうと言っても過言ではない様子の神楽。だがおかげでフリーズ状態からは立ち直り、シュラインと笑顔で言葉を交わしている守屋ミドリの傍におそるおそる、といった風にだが近づく勇気も持てた。
「あの…み…ミドリさん?」
「シュラインさんは今日はどんなご予定ですか?」
「そうねぇ。この学校は歴史が古いでしょ? だから珍しい書籍があるなら見たいなって」
「まぁ! シュラインさんも? 実は私もこちらの図書館には興味があって…」
 見事に神楽を無視する女性二人。
 ぽん、と神楽の両肩を叩く手が二つ。
「…哀れだな」
「頑張って、いっちゃん! ファイトあるのみだよ!!」
 さてはて、どうなる事やら。
「まぁ、兎も角行きましょうか?」
 シュラインの声が掛かる。そして彼等は5人で校門を潜ることになったのだが。
── ん…っ?
 美由姫は頬に視線を感じて校舎を振り仰いだ。誰かが彼女を見ている…そんな気がしたのだ。
 しかし、一瞬のことだった。辺りを見回しても、誰とも視線が合うことがない。
── 気のせいだったのかなぁ。
 何事もなく先を行く4人の後を、美由姫は小走りに追った。


<図書館>
 3人と別れたシュラインとミドリが広い校内で場所を聞きつつ漸くたどり着いた図書館は、彼女たちの期待以上、貴重な蔵書の宝庫であった。普通、高校の図書室と言えば校内の一角に部屋を設けているものだが、この聖セシリアでは文字通り別館として図書館が存在する。
 生徒も教師も学園祭に参加している為か、他に人気は無い。シュラインは大きく取られた窓から差し込む秋の日を背に浴びながら、手に取った書籍を夢中になって読んでいた。
── くぅううっ!! 幸せっ!!
 図書館の品揃えは彼女の期待通りだった。キリスト教系という校風のせいなのか、なかなか見つからない原書あり、幻の一品あり。「初版にはこういう記述が入ってたのか」などと自分で所有している本とは違う部分を見つけては取り出したメモ帳に転記しながら、彼女は幸せをかみ締める。ゴーストライター兼翻訳家兼某興信所のバイトであるとは言え、きちんとその道で収入を得ている彼女である。胸高鳴らせるのも無理はあるまい。
 すると、ふぅ…という溜息が本棚の向こう側から聞こえてきた。
「どうしたの、ミドリさん」
「えっ?」
 本と棚の隙間からいきなり声を掛けられたミドリは、驚いたように本から顔を上げた。シュラインの青い瞳がこちらを見ている。
「元気が無いみたいだけれど?」
「そんなことはないですよ。大丈夫」
 ミドリは微笑んで見せたが、自分でもそれが本気の笑みではないと分っていた。
── なぜかしら?
 大好きな本に囲まれて、しかも今までいくら探しても見つからなかった絶版まで見つける事が出来た。今読んで置かねば次いつ読めるか分らないし、このチャンスにこんなに胸躍らせているのに、ページを繰る手は先程からちっとも進んでいなかった。
 思い悩んだ様子のミドリを見て、シュラインは微笑んだ。
「はは〜ん、もしかして、神楽さんが気になる?」
 ミドリが丸い大きな目を見開いて、もう一度本から目を上げる。
「神楽さんが? なぜですか?」
「あら…違うの?」
 拍子抜けしたようにシュラインの肩が落ちる。普段クールに見られる彼女とて女性である。色恋の話も普通程度には興味ありなのだが。
「違いますよ。きっとあんまり沢山本があるから、感動しちゃったんです」
 図書館に入れるかどうか、分らなかったがやはり期待してはいた。もし無理ならこの容貌を生かして(?)在校生のフリをするつもりでさえいたが、流石に上手く行くとは限らなかったし、ゆえにこうして入れて貰えたのは小躍りしたいほどに嬉しい。なのに先程から何かが気になって集中できないのだ。
「確かに、これは感激ものだわね」
シュラインは大きく開かれた窓の外に目をやった。中庭を挟んで向かいの建物の窓が見えたが、そちらも実はこの図書館の続き館なのである。窓に歩み寄り見下ろせばパティオ風の中庭に陽光が降り注いでいる。「でも、気分転換に休憩しない? ミドリさん。もうお昼だわ」
 本と一緒に居る時の時間はあっという間に過ぎる。日差しの加減で初めて腕時計に目をやったシュラインは、自分の空腹にも気付いて本棚越しにミドリを誘った。
「そうですね。そういえば私も少しお腹が減ってきました」
「なら丁度良かった。ね、駄菓子屋さんに行ってみましょうよ。私、お嬢様の思う駄菓子が一体どんなものなんだか、チケット貰ったときから気になってたのよ」
 ミドリはその悪戯気な微笑みに、つられた様に微笑んだ。
「いいですね、行きましょうか」
 その顔にはもう物憂げな様子は無い。先に立つシュラインの背中を追って出口へと向かう。だが、突然シュラインが足を止めたせいで、ミドリは彼女の背中に低い鼻…年齢を若く見られる原因でもある…をぶつけてしまって、慌てて立ち止まった。
「どうしたんですか?」
 尋ねると、シュラインは不審そうな顔をして新着図書の棚を見つめ、一冊の本を何気なく手に取った。
「ヘンね…」
── なぁんでこんなに怪しい本ばかり置いてあるのかしら?
『呪い初めて物語』『HOW TO 魔術』『初めての君でも立派な魔女に! レッツ召還魔法』
 ミドリも本の背を眺めて異様さに気付き、目を丸くしている。
「そういえば、最近流行ってるって話でしたっけ」
 ミドリは碇と美由姫から伝え聞いたその話をシュラインに語った。シュラインは興味深そうに頷いて、ページを繰った。
「へぇ。そんな事あるのね。でも見て御覧なさいよ。この魔方陣なんてスペル間違いだわ。これじゃカエルの代わりにウシに変えられちゃうわよ、怖いわね」
 そんな事をなぜ知っているのか。幽霊作家兼翻訳家というのは恐ろしい人種である。
 だがミドリは平然として答えた。
「どちらかというと牛の方がマシなんじゃないかしら」
「そういえば生徒たちの格好もなんだかおかしかったし、看板も怪しいのが沢山あったわね」
「ああ…ありましたね」
ミドリはぼんやりと思い出していた。「先刻通りかかった喫茶店なんて、一見普通のハーブティのお店でしたけど、お品書きの隅の方に、原材料『シュロシュラ茸』とか『アオミコナ茸』って書いてありました」
 そうだ、先刻から気になっていたのは、その事だった。…と思う。
「あら〜。もし本物だったらシビレて幻覚を見るわね」
 …訂正しよう。大変な読書家で図書館司書というのもまた、極めて恐ろしい人種である。
「まぁそんな事ありえないと思いますけれど。…違法ですから」
「そうね、違法だものね」
 二人は肩を竦めて本を棚に戻し、改めて図書館を出て行った。


<駄菓子屋さん>
「ショートブレッドにキャンディ」
「それとスコーンにビスケットにレモネード。なんだか駄菓子と言うには…」
 二人の呟き通り、教室は薄暗く木の香りがする駄菓子屋さんと言うよりは、レースとお花で飾られた、手軽に作れて立食できるお菓子屋さん、といった雰囲気に飾られていた。
「まぁ、こんな事じゃないかと思ってたけど」
 シュラインは額から片頬に流した一房の髪を掻き上げた。お嬢様はきっと本物の駄菓子を見たことが無いに違いない。そう、串カステラだとか、リングチョコであるとか、色とりどりのゼリージュースとか…ああいった懐かしい代物。
 白い制服の上に白いレースで縁取られたエプロン姿の女生徒達の姿はいかにも愛らしく、お菓子には製作者である彼女たちの名前が書かれている。チケットにプレミアが付くのも良く分かる気がした。
「食べ放題? 本当に?」
 ちょっぴりガッカリしているシュラインを他所に、ミドリは早速生徒たちに話しかけ始めていた。職業柄生徒慣れしているのか、それともその小柄な外見のせいなのか一分もしない内に情景に溶け込んでいるのは流石といえよう。
 ミドリは、寄って来たシュラインを捕まえ、皿に乗せたお菓子を差し出す。
「見てください、こんなに小さいチョコレート。可愛いですけど、一口で終わっちゃいますね」 言うが早いか、摘まんで口の中に放り込んだ。片頬が膨らんで、美味しいのか美味しくないのか吟味するような表情に変わる。ピンと跳ねた肩までのお下げと相まってなんとなく可愛らしい。
「どう、お味の方は?」
 シュラインがからかいがちに尋ねると、ミドリは真面目な顔をして深く頷く。
「秋ですね、マロンゼリーが入ってました」
 シュラインが聞きたかったのはそういうことでは無かったような気がするが、ここがミドリのミドリたるゆえんなのであろう。
「こっちはなぁに? もしかして…フォーチュンクッキー? 面白そうじゃない」
 不思議な形をした菓子をを指差して尋ねると、傍に居た生徒がはいと答える。フォーチュンクッキーはよく中華料理の食後に出される、薄焼きクッキーだ。空洞になった中にはおみくじが入っている。ミドリはといえば、占いなど女の子風なものは信じない性質だったが、こういったオマケイベントには興味がある。
 彼女達は一枚ずつ手に取ったクッキーを、カリン…と二つに割って小さく畳まれた紙を取り出した。まずはシュラインから声に出して読み上げる。
「なになに…? 『人を訪ねる事になる。言葉に気をつけるべし』」
「私のほうは…『思いがけぬ事態に合う。のち忘るるなかれ』」
 空になったクッキーは、ほんのりジンジャーの香りがした。
「人に会う…? 心当たりは一杯あるけど」
「思いがけぬ事って、良いのかな悪いのかな」
 二人は顔を見合わせ同時に肩を竦める。身長差があるゆえに、一風滑稽な仕種に見えた。
「もし気になるようでしたら、ちょっと面白いことが出来ますよ」
 と、その時二人に声を掛けてきたのは、先程クッキーの説明をした女生徒だった。
「面白いこと?」
 尋ね返すと、生徒は言った。
「これから礼拝堂で『守護天使と話そう講座』というのが始まるんですけれど、そこではご自身の守護天使様を呼び出して、色々お話が聞けるそうです。だから、その占いの意味も分るかも」
「…相当怪しくない? それって」
 シュラインの呟きはき越えなかったのか、生徒は窓の外を指差した。
 目を向けると先程まで居た図書館の影に隠れるように小さな建物があり、屋根の端に掲げられた十字架だけがこちらからは良く見えた。
「行ってみる? ミドリさん」
 シュラインが尋ねると、窓に寄って外を眺めていたミドリは頷いた。
「そうですね。私はそういうの信じない方なんですけれど…」
そしてその下を指差す。「丁度、美由姫ちゃんたちも行くようですよ」
 やけに目立つ3人組が、その教室の丁度真下の庭先を、可愛い女生徒に案内されつつ歩いていた。振り返ったミドリの眉間にちょっと皺が寄っていたような気もするが、気のせいだろう。
 兎も角二人は生徒に礼を言ってその場を立ち去ったのだが、その間際。
── それにしても、何の香りなのかしら、これ。
 シュラインは鼻を蠢かせた。この教室にはお菓子の甘い香りにまぎれて、脳天を付くような刺激のある香りが漂っていたのである。ほんの微かなものであったから、気付くのは余程敏感な人間であろうが…シュラインはなぜか深く追求する気になれなくて、ミドリの後について教室を出て行った。


<占い>
 あまりに広い構内に迷い、途中で声を掛けた女生徒を案内役にして、美由姫、真名神、神楽は礼拝堂にやってきていた。こじんまりとした建物だから、集会所を兼ねている訳ではないのだろう。だが吹き抜けの天井と窓には見事なステンドグラスがはめ込まれ、正面の祭壇はいわずもがな、片隅に寄せて並べられた長椅子の背にまで細やかな細工が施されていた。
「見事なもんだな」
 芸術と宗教に興味がなくても、素晴らしいものを素晴らしいと感じる感性は、余程鈍くない限りは万人共通であるようだ。真名神は感心しながら礼拝堂の丁度中央に立って天井を見上げ、機嫌よく後ろを振り返ったが。
 他の二人はと言えば早速礼拝堂の片隅に置かれたテーブルの前に並んでいた。
 美由姫は受付と思われる生徒に、神楽の封筒から抜き出したチケットを差し出して彼の背中を押した。どうやらその後ろ、礼拝堂の角を使って張られた天幕の中で、占いが行われている様だ。
「ほらー、早く占ってもらいなよ」
 神楽はといえば照れつつもまんざらではない様子。
「生年月日を教えていただけます?」
 受付と思われる少女が、小首を傾げて尋ねる。
「1973年1月23日ですわ。え〜と、同じ職場に守屋ミドリゆう人がおるんですけど、その人との相性なんて占って貰えるんやろか〜なんつって大の男が占いやて、はっずかしいぃー!」
 自分ツッコミをしている神楽に、女生徒は困ったように頬を赤らめる。
「あの…何を占いたいかは、中で仰っていただければ大丈夫ですから…」
「あ、そやったん? いやぁ…」
 頬を掻く神楽は放っておいて、美由姫は振り返ると長椅子に座った真名神に声を掛けた。
「真名神さんは? 何か占いたい事はないの?」
 彼は両腕を背に掛けて座った椅子から顔だけ振り返らせて答えた。
「生年月日が必要なんだろう? 遠慮しておこう」
「何で?」
 理由の訳が分らずに美由姫は真名神の隣に腰掛けて尋ねた。神楽はといえばもう既に天幕の中に姿を消している。
「シュラインから聞いているかどうか知らないが、俺は一応陰陽師なんでな。そういったことは内緒なんだ」
尚も分らぬという顔をしている美由姫に、彼は説明した。「例えば真名(マナ)というのがある。通り名…俺の場合は『真名神慶悟』だな…それ以外に持っている真の名の事なんだが、もしそれを敵に知られて呼ばれると、俺は相手に絡め取られて支配されちまう」
「へぇ…なんか大変そうだね」
 陰陽師などTVや本の中でしか出会ったことのない美由姫は、物珍しそうに真名神を見上げた。
「真名を呼ばれる程じゃないが、生まれ月なんかも陰陽道には結構重要な意味があるからな。むやみに人に教えられないんだ」
── おいおい、なんで俺はこんな事まで話してるんだ?
 真名神はいつになく饒舌な自分に気付いて、頭の隅で不思議に思った。懐を探る手が煙草を求めるがここが礼拝堂の中だと思い出して、留めた。しかし、吸わないとどうも集中力に欠ける。
「で、真名神さんの真名って何? 教えて?」
「…人の話全然聞いてなかっただろう」
悪気なさげにきょとんとした美由姫に、真名神は言った。「それに占い云々なら、俺は自分で星を読めるから必要ない。それよりあんたはどうなんだ。占いたい事はないのか?」
 すると美由姫はポニーテールにした頭を傾げて、軽く顎先に指を添えた。
「面白そうだから後で何か占ってもらうけど、でもなぁ…何にしようかな。恋占いも気になる相手がいないし」
 だが言葉ほど気にしていない様子で美由姫は笑った。快活なその笑顔はまだ少女のもの。だからこそ、本当の恋を知ったらきっと、今の何倍も綺麗に微笑むようになるだろう。
 からかい半分でそう伝えてやろうか、と真名神が口を開きかけたとき。
「どう? 調子は?」
 という声を共に彼と彼女は肩を叩かれた。
「シュラインさん。それにミドリさんも」
美由姫が身体を捻って後ろに立った二人を仰ぎ見る。「調べものは終わったんですか?」
「ちょっと休憩しましょうって事になってね。あの図書館じゃ毎日通っても一ヶ月は掛かるし」
「でもこの学園祭の時期しか外部の人間は入れないんですって。だからまた行くつもりでいるけど…」シュラインの言葉を継いで、ミドリが答えた。「さっきヘンなおみくじ引いちゃって」
 額に手を当てながら、美由姫に先程の紙を見せる。真名神が横から興味深そうに覗き込んでシュラインに尋ねた。
「あんたも引いたのか?」
「引いたっていうか、クッキーの中に入ってたのよ。ホラ、これ」
 受け取った紙をちらりと眺めて真名神は、小さく笑う。
「『想い人』ねぇ…」
「な、なによ」
シュラインはポゥっと頬を染めて、真名神の手からそれを引ったくった。「ゲン直しなのっ」
 一方の美由姫もミドリに紙切れを返しながら、言った。
「『思いがけぬ事態』かぁ」
「何か心あたり、ありそう?」
「うーん。あるといえばあるし、ないといえばないし…」
 美由姫はちらりと天幕の向こうに目を走らせる。そろそろ神楽が出てきてもいい頃だが。
 とその時だった。
「ほんま!? ほんまに? いやー! それやったら絶対そうしますわ!!」
 黒い天幕を思い切り寛げ、神楽が大きな声と大きな笑顔を満面に湛えて出てきた。彼は占い師役と思われる女生徒の手を、最後に両手できつく掴んでこう言った。「今日告白する。に決定や! 上手くいったらホンマ君のおかげ様やで? ありがとな〜」
 一同は目を丸くして神楽を見、その視線に振り返った神楽はその中にミドリの姿もあることに気付いて身を硬くした。
「…やっぱり、心辺りすっごくあるや」
 美由姫がぽそりと呟き。そしてミドリは。
「懺悔室なら、あちらにあるみたいですよ」
 と、出てきた神楽に向かって慈愛の微笑を浮かべた。


<守護天使と話そう講座>
 しょぼくれた神楽とヤニ切れ寸前の真名神を長椅子両端に座らせて、女性陣は各々見回ってきた出し物について楽しげに語らっていた。これから『守護天使と話そう講座』が始まる。
 先程皆は生年月日を聞かれ、そこから割り出された自分の守護天使が誰かを知り、どんな意味を持っているのか書かれた紙を貰っていた。
 1985年5月28日生まれの美由姫と、1973年1月23日生まれの神楽の守護天使は同じらしい。
『行動力と積極性、神の火、正義を司る力の天使 カマエル』
 美由姫と神楽は額を寄せ合って紙を見ている。
「積極性が人の為に働くことに繋がり、その強い情熱を持って他の人間の為に行動する、やて。美由姫ちゃんらしいわ」
 と、神楽が言うと。
「でも自分で推し進めようとする力が強い故対立もありえるって。いっちゃん教授たちには嫌われてんねん〜って言ってなかったっけ?」
「いやいや、それよかここ見てみぃ。第5のセフィラーであるケブラーに属し、神の外科医と呼ばれる、やて。うーん、俺ってやっぱり生まれついての医者やったんやね〜」
「セフィラーとかって何だかわかんないけど…取り合えずいっちゃん、内科医でしょ」
 その隣で、ミドリとシュラインが膝を付き合わせている。
 1976年1月12日生まれのシュラインの守護天使は
『基盤、神のメッセンジャー、母性の天使 ガブリエル』
 1979年4月5日生まれのミドリの守護天使は
『公正と法則、冷静さと慈悲の視点を持つ天使 ザカリエル』
「ガブリエルさんのお仕事は多忙なようね」
説明を読んでシュラインは苦笑した。「終末のラッパを吹くのも、受胎告知も、天使の統括もするの?」
 兼業三昧の自分そのものだ。思い当たるフシありありである。
「男性体が多い中で女の天使と現されることが多いって書いてありますね。だから繊細さと感受性も表すそうです」
「そう言うミドリさんの天使は寛容・楽天的なんて書いてあるわね。ぴったりじゃない」
「どうして『公正と法則』がそんな所に繋がるのかしら?」
と、ミドリが紙を繰る。そこには『悪が転じて善となる事もある。成り行きを見守る心と、その法則を知り裁く者』と書かれていた。納得である。
「あら、ここは? ほら…『力を司るカマエルとの連携を持つ』だって」
 シュラインの呟きを聞きつけた神楽の耳がぴくりと動く。
「ミ、ミドリさん! 俺のってカマエルやん!?」
「美由姫ちゃん、これからも仲良くしてね」
「あはは…」
 そんな3人を他所に、シュラインは一人頑なに自分の生まれを明かさなかった真名神に声を掛けた。
「今、ちょっと後悔してるでしょ」
 講座を担当する生徒には嫌な顔をされるし、皆の話には置いていかれるし。だが彼は何食わぬ顔をして鼻を鳴らした。
「俺に付いてる守護天使が、どれだけ別嬪か見逃すのは癪だが」
「まぁまぁ、ふてくされないで。私がいいの選んでおいてあげるわよ」
「別に…」
 いらない、という真名神の言葉むなしく、彼女はページを捲って彼に向かい一点を指差した。
「『神の火 神の目 伝統の天使 カシエル』火の厳しさと、火を操る力を持ち人間の番をする天使。忍耐を表し受け継がれる伝統を守る者として扱われることがある。…似合うじゃない。これにしときなさい」
「しときなさい、って何だ」
 苦虫を噛み潰したような顔をした真名神に、シュラインは「待って」と言う風に手を上げた。
「やっぱりダメだわ。『節制』の意味もあるって。もし煙草を止められたらこれで良いかもね」
 いつの間に聞いていたのか、彼女の言葉に神楽達も大笑いしており、真名神はますます無表情になる。額にちょっぴり怒りマークが浮いているような気もした。
 美由姫は一しきり笑ってから、息を整えて言った。
「結構面白いもんだね。実は一番興味あったんだけど、守護天使なんて言われてもピンと来なかったから、どんなもんかなって思ってたんだ」
 その言葉に、シュラインが頷いた。
「キリスト教でははっきりと認められていないけれど、一人の人間に二人の守護天使が付いているとされているわ。右肩には人を善き方向へ導く天使。左肩には悪に誘う天使」
「え? 悪い事に誘うのも天使なの?」
 驚いたような顔をして聞き返す美由姫に、今度はミドリが説明する。
「下級天使が大天使から命じられるの。そこで悪い事をするかしないかって試すのね」
「二人とも物知りだねぇ」
 感心したように美由姫が言うと、真名神が横から更に言った。
「じつはキリスト教で『悪霊』と呼ばれるのも、悪い事をしろと命じられた下級天使なんだ。だから言うだろう?『神の御名において命ずる。退散せよ』とか」
陰陽師もそれに近いものがある。怨霊であれば怨霊の、妖狐なら妖狐を支配する階級を呼び出し、まずは説得するのである。無論それが無いはぐれ者や応じない頑固者が多いから、符や道力で対抗するのだが…。「まぁ、俺としては悪霊払いなんざ根底は皆一緒で、言葉や表現が違うだけだと思うがな」
「それやったら俺も分るで」
真名神の呟きを継ぐように、神楽が一番端から言った。「守護天使ゆうても色々種類があるらしいわ。宗教やら論説の違いでな、今の話みたいに1人に2人ずつ付いてるゆうのもあるし、一国に一人とか、一人に一万一千人付くいうのもあった」
「いっちゃんも知ってたの? 凄いよー!」
 美由姫の賞賛に、神楽はまんざらでもないように頬を染めたが、言った。
「いや〜ほら、碇さんからの手紙に、聖セシリアでは魔術やら魔法やら流行っとるらしから気ぃ付けぇて書いてあったやろ? 俺それ系苦手やし、少しは調べとこなんて魔術関係の本読んでから来たんやけど、途中からオモロなってきてもうてね」
 研究職に付くものの性とでも言おうか、調べ出すと止まらないのが神楽の性格らしい。見た目は軽そうな兄ちゃんだが、中身はしっかり大学助教授である。
「あ〜、それなら私もホラ、持って来たよ。役に立つかどうか判んないけど…聖水でしょ。十字架でしょ」
 だが彼等の言葉に、眉を曇らせた人間が一人。
「おい…なんだその話は? 俺は何も聞いてないぞ」
 真名神ある。確かめるようにシュラインを見ると、彼女は肩を竦めて答えた。
「私も知らなかったけど、どうやらそうらしいわね。私はさっきミドリさんから聞いたの」
 その時だった。真名神の目の前を何か白いものが過ったのは。無論それは生徒ではなく、彼はその異常さに思わず身を固めた。
 メェ。 メェ…。 …メェ。
 山羊である。真っ白な生後3ヶ月程度の子山羊である。礼拝堂に山羊。何の変哲も無い山羊が。
「………」
 真名神の視線はじっとそれを追い、それからゆっくり女性陣の方を振り返った。
「ヤギ? うぉおお! 可愛ええやんか〜!」
 彼の行動に気付かぬまま、動物大好き人間である神楽は早速手を出そうとして、山羊を連れた女生徒に留められた。
「あの…可愛がらないほうがいいですよ…情が移っちゃうと何ですから……」
 静かな一言に、すっとさりげなく席を立とうとするミドリと真名神とシュライン。きょとんとしたままの美由姫。
「どうしたの、皆〜? もう始まるみたいだよ」
「美由姫ちゃん…もう一つ教えたるわ」
 あの暢気な神楽さえ声色を変えた。既に山羊は連れられて、正面の祭壇の上に括り付けられようとしている。
「守護天使を呼び出して、そいつに命じて悪魔を従わせようゆうアブラ=メリン魔術、ゆうのがあるんやわ」
「油みりん?」
 ナイスボケをかます美由姫の腕を取り、真名神が彼女を取り立ち上がらせる。美由姫は促されるまま礼拝堂の出口へ向かったが…彼等の目の前で、扉は大きな音を立てて閉められた。しかも外から鍵をかける鈍い音が響く。
「どちらへ行かれるんですか? 直ぐに講座は始まりますよ?」
 屈託ない微笑を浮かべて、5人の周りを女生徒たちが取り囲む。
「ちょっとお尋ねしますけど…」
ただならぬ気配の中でミドリが軽く手を上げた。「守護天使講座はこれが初めてかなぁ?」
「勿論です」
「じゃ私もいいかしら? もしかして今日のコレは…図書館にあった怪しい本が参考文献かしら? アブラ=メリン文書って書いてあったやつ」
 シュラインの言葉にも、生徒ははっきり頷いた。瞬間!
「逃げるぞ!!」
 美由姫の腕を捕まえたまま、真名神が一番に飛び出した。生徒たちの輪が崩れる。
「な、何で逃げるの〜!?」
 美由姫が叫ぶ。真名神は言った。
「アブラ=メリン魔術はな、執り行った魔術師の気が狂うとかってんで有名なんだよ。一度も成功させた奴はいないんだ」
 言いながら、彼は内ポケットに手を入れ、素早く数枚の符を抜き出した。口の中で禁呪を呟きながら極限まで符に唇を近づけてふっと息を吹きかける。
 一方一瞬出遅れた神楽とミドリ、そしてシュラインは取り囲む生徒たちの手を振り切って美由姫達の後を後を追おうとしていた。
「きゃっ」
「こらっ、ミドリさんに触るんやない! 爪が伸びてて危ないやんかっ」
 ドサクサ紛れでミドリの小さな肩を抱いているあたり、切羽詰った感じを受けられないのは神楽の神楽たるゆえんか。
「言っておくけれどね、あの本なんてあからさまに間違ってる所ばっかりだったわよ! あのまま実行したりしたら、何が起こるか判らないわ! 今なら間に合うから止めなさい!!」
 シュラインは周りの生徒に叫んだが、聞く耳持たない。気付けば礼拝堂の中で一般人は彼女達だけだ。彼女は罠に掛けられたのだとその時初めて気付いた。
── おかしいわ、私がこんなになるまで気付かなかったなんて…
 と、その鼻先を、独特の香りが掠めた。駄菓子屋の教室で嗅いだ刺激のある香り…まさか。
「疾(ト)く! 真名神の名において命ずる。散!」
真名神の手にあった札が散じ、追いすがる生徒の体に張り付いた。「捕縛!」
 彼の陰陽の力を持って、生徒達が突然気を失った様に倒れ、美由姫は思わず拍手。
「凄いよ真名神さん! 漫画みたい!!」
「ったく暢気言ってないで、扉を開ける手伝いしろっ」
「OK! 任せておいて、って言いたい所なんだけど…」
扉の前に辿りついた美由姫は、真名神を見上げて顎先に指を当て首を傾げた「今日って新月だから、力出ないんだよ〜ゴメンっ」
 新月が何に関係あるのか全く真名神には理解出来ない。実は美由姫は能力者で、月の満ち欠けに左右されるパワーを持っているのだが…ここで言っても仕方があるまい。
「神楽…さん…」
 神楽の腕の中で、ミドリの体ががくんと崩れ落ちたのはその時だった。彼女は彼のシャツを掴んだまま床に倒れかける。
「ミドリさん!?」
神楽は生徒たちの手を振り払いながら辛うじて彼女の身体を受け止め、肩膝を付いたまま顔色を変えた。「ミドリさんっ、しっかりしぃ!!」
 だがミドリは力なく神楽の腕の中で目を閉じる。
「…ミ…ミドリ…」
それは、いつもの彼を知るものが見たら、驚くような変化だった。彼は思い切り立ち上がって叫んだ。「…っどいつや! ミドリさんをこないな目に合わせてタダで済むと思うたら大間違いやで! 出て来いや! 片っ端からしばいたる!!」
 だが。
 くらり、と頭の芯が踊った。目の前が歪み、足から、腹から、手から力が抜ける。
「あ…あり…?」
 しっかり立っている筈なのに、天井が、見えた。

 どう、と床に倒れた長身の神楽と、小柄なミドリの周りを生徒たちが取り囲み、見下ろしている。扉の前では美由姫と真名神が、その直ぐ傍でシュラインが倒れている。すっかり気を失っているようだ。
 礼拝堂のなかには紫煙が立ち込め、そして喫茶店で神楽達が飲んだあのハーブティの香りが強く漂っていた。
「どうして逃げようなんて思うのかしら? 守護天使さまと語らうのは素晴らしい事なのに…。本当の自分に出会えるんです。高次元の自己との会話と対面ですよ?」
 5人は、薄れ行く意識の中でその言葉を聞いた。


<守護天使さまにお願い!>
「…たまえ。私たちの守護天使さまを呼び出す事をお許し下さい…私たちは変わりに…」
 柔らかな詠唱の声を遠くに聞きながら、シュラインはうっすらと意識を取り戻し始めた。体が痛い。どこかにぶつけただろうかと身体を擦ろうとして、気を失う前のことをはっと思い出した。
── とんでもない事に巻き込まれちゃったわ。
 彼女は碇女史に声にならない恨みの念を送った。こうなる事を知っていたに違いない。とすればこれは彼女の取材の一環なのか。自分たちは利用されでもしたのだろうか。後で会ったら是非とも聞いておこう、と彼女は思った。
 冷たい手が彼女の手に触れた。薄く目を開いたシュラインは、き生徒たちに悟られぬようそれが誰の手か確認した。
「シュライン、目が覚めてるだろう?」
 真名神だった。シュラインが微かに頷いて見せると、彼は左肩に凭れた美由姫を揺り起こす。
「う…ぅん…駄目…夕ご飯は回転寿司…はっ?」
 何の夢を見ていたのか、美由姫は目を覚ました。勢い良く身体を起こした弾みで、更に彼女の肩に寄りかかっていたミドリと、そしてその向こうの神楽も意識を取り戻した。
「ミドリさんっ、無事やったんやね」
 心底ほっとしたような声で、神楽が囁いた。だがミドリは神楽の気持ちを何処まで分っているのか、ただ頷いて言った。
「あの香り、何なのかと思っていましたけど、催眠香だったんですね」
「気付いていたの? そうよ。おかげで今も体が軽くしびれているけど、動かせなくもない」
きっと真名神が珍しく良く喋っていたのも香か薬でラリっていたせいだろう。「何を始めるのか知らないけど…あの子達、私たちを生贄にする気だわ」
 生徒たちは皆こちらに背を向けて、祭壇に向かっている。纏っているローブこそ白いが、明らかに魔術儀式の真っ最中。しかも先程より人数が大幅に増えて、まるて朝礼のようだ。全くもって魔女だらけの光景である。
「俺一人なら穏形で逃げるが…」
 真名神は言った。姿を隠す術も陰陽道にはある。一口に穏形と言っても沢山あるが、女子高生の目を眩ますくらいなら、一番お手軽な方法でいいだろう。印を結んで呪を唱えるだけのやつだ。まるで忍者だが忍者に出来ることなら大抵の陰陽師も出来る。
「残念ですが、私はまだかなりしびれているみたいです」
とミドリが言った。小柄ゆえに香の効き目も早く効果も深いのだろう。今は香の元であるらしい紫煙も晴れていたが、回復するには時間が掛かりそうだった。「皆さんはお先にどうぞ。私は後から何とかして逃げますから」
 あっさりとした言葉に、目の色を変えたのは神楽と美由姫だ。
「そんなの駄目に決まってるじゃない。こっちには聖水も十字架もあるんだから、これから何が起きたとしても残って戦うよ!」
 震えながら発せられた美由姫の言葉は、祭壇で動き出した『何か』を目の端に捉えての事だった。仔山羊の声がメェメェ響く。恐怖に駆られた叫び声だ。
「そや、だから安心せぇ。ミドリさんの一人や二人、俺がおぶって逃げたるわ」
── って今の台詞なんか格好ええなぁ…。
 神楽は自分の台詞にちょっぴり酔って、その時のミドリの微笑を見逃してしまった。
「じゃあその言葉、実行に移してもらおうか。10数えたら一気に逃げるぞ。扉は…」
「俺が壊したるわ。これでもちょっとした念動力持ちなんや」
「…ただのアホじゃなかったんだな」
 『場』となっている礼拝堂から外で出る事が出来れば、逃げ切れる筈だ。
「でも…待って」
シュラインだった。彼女は既にもう目覚めている事を隠す気はないらしく、いつものように背筋を伸ばし、すっと長椅子に座っていた。そして、立ち上がった。「アブラ=メリン魔術は危険だわ。このまま続けたらあの子達自身も、危ない」
「何を言ってるんだ、シュライン。そんなの自業自得ってもんだろう」
 真名神が言う。彼の目前の床に書かれた三角形の上では既に何者かが蠢き始めており、もう時間はない。
「いっ…いっちゃん…。何か…何かいるよ!!」
「ええぃ、美由姫ちゃんも纏めて面倒見たるわ、掴まっとき!」
 生徒たちの詠唱の声が、高くなっていく。そして…現れてきたのはそう、天使の姿。
 シュラインが駆けだしたのはその時だ。
「止めなさい! 呪文を唱えちゃ駄目!!」
「今更、もう遅いのです!」
 生徒の詠唱が、止まった。天使の目がゆっくりと開き始める。
「シュラインっ、…クソっ!」
腐れ縁もここまでくると泣きたくなる。放って置けない自分の甘さに真名神は舌打ち、新しい符を持った。「西洋魔術にゃ詳しくないが…効いてくれよ!」
 力を与えられた符が、気を孕んで天使を攻撃する。陰陽も魔術も基本は同じ、と先程彼は言ったが、その通り。符が天使に触れた瞬間、弾けて飛んだ。天使がぐらりと揺れる。
「走れ、美由姫ちゃん。魔法円の中に入らな攻撃される!」
 生徒たちは魔法円の中に、彼等は魔法円の外に居た。この天使の正体が『何』で、生徒たちの目的が何だったとしても、今のままここに居れば攻撃を受けるのは必至。
 同時に真名神も走り出し、魔法円を目指す。天使が彼等を捕まえるべく、動きだす。
「なんで、なんでこんな目に合わなきゃならないの〜!?」
 その時、天使の腕をかわしつつ必死で走る美由姫のポケットから、何かが転げ落ちた。
 聖水の小瓶であった。
 それを、ミドリを抱えて走ってきた神楽が踏んだ。そして…
 思い切り。
 こけた。
「いっちゃん! ミドリさん!」
 二人がもつれ倒れる音に気付いた美由姫が、急ブレーキをかけ振り返る間もあらんや。
「う、うわぁあああ!」
「神楽さんっ、逃げ…」
 ミドリの目が大きく見開かれたのを最後に、二人は天使の腕の中に抱きこまれた。

 しん…と辺りは静まっている。
「成功したのかしら?」
 シュラインの目の前で、一人の生徒が呟いた。悪気など全く無い、純真な目をした可愛らしい女子高生である。

 モ… モォ〜ゥ

 間の抜けた、そんな泣き声が聞こえたのはその時であった。
 天使の腕が開いた。そして「役目は果たした」と言わんばかりに大きく笑んで掻き消える。
 変わりにその場に現れたのは。

 一匹の牛と神楽五樹だった。
「ミ…ミドリさんが……牛に…」
 美由姫の唖然とした声。耳の後ろの短い毛がちょっぴり跳ねたその牛は、牛にしては小柄で…何より眼鏡を掛けていた。
「真の姿が牛だなんて…変わった方ですねぇ」
 真名神は事態についていけず立ち尽くしていたが、我に返ると傍に居た生徒に問いかけた。
「これは幻覚とか催眠じゃないんだよな?」
 生徒は満面の笑みを持って頷いた。
「勿論です。わたくしたちは守護天使さまにお願いしたのです。あなた方を実験台に、『本当の己を見出す』力を見せてくださいと」
「私たちにとって、神様の教えは絶対です。ですから、もしそんな事が出来るなら、己と会話し、教えの道に役立てられるのではなかろうかと思いまして」
「でも…牛は…」
「牛になるのはちょっと…」
 彼女たちは、困ったように目を見合わせ囁き合い始めた。
「うぇええん。ミドリさんが牛になっちゃったよー」
 呆然としたままの座り込んでいる神楽の傍で、美由姫が泣き出す。
「モオォ〜ゥ」
 困っているのか、それとも本当に牛になってしまったのか、ミドリ牛は暢気に鳴いた。
 神楽が拳を握り、細かく震えだしたのはその時だった。
「う…牛でも…」
彼は、キッ! とミドリ牛を見上げた。牛になったミドリは座り込んだ神楽よりは背が高かったからだ。「牛でもええ、たとえ牛だろうが馬だろうが、好きや! ミドリさん!! あんたの事はこの俺が一生面倒みたる!! だって中身は変わらへんもん!」
 神楽五樹、泣きながら一世一代の大告白の瞬間であった。
「いっちゃん、男らしいっ」
 ミドリ牛の首根っこに抱きついた神楽の姿に、美由姫が貰い泣きしている。
「………」
 真名神は呆れてものも言えなくなった。
「ばかっ! これがミドリさんな訳ないでしょ! 彼女はね、図書館で『牛になる』方法を読んだから、自己暗示に掛かっちゃったのよ、ああもう…なるなら牛の方がいい、なんて言うからこんな事になるんだわ…ほらっ! ボヤボヤしてないで早く元に戻しなさい!!」
 シュラインは思わず拳骨を作って生徒の前にちらつかせた。
「え…でも…」
「ねぇ?」
 生徒たちは顔を見合わせた。
「私たち、元に戻す方法なんて、知りません」
 真名神、シュライン、美由姫、神楽、そして気のせいかミドリ牛の額に、血管らしき筋が浮かんだのはその時であった。

 この日、礼拝堂の扉は、夕方遅くまで開かなかったそうだ。開いた後には精も根も尽き果てた女生徒たちがうず高く折り重なっていたのだという話が伝わっている。

 そして後日、聖セシリア女学院では
「悪い子はお仕置きするってもんだな…」
 という台詞と。
 なぜか、陰陽道と超能力実験が流行りだしたのだと、そういうお話である。


<シュライン・エマ>
「ど〜いう事だったのかしら、碇さん」
 ミドリを牛から無事に人間に戻せたのは、奇跡であったとしか言いようがない。
 聖セシリア女学院があれほど危険な場所であると、分っていて行かせられたのだと思い込んでいるシュラインは、体力が回復した後、早速月刊アトラス編集部に乗り込んできていた。
 乗り込む、といっても元々彼女は碇女史とは悪い仲でもないのだから、言葉もそうきつくはないのだが、とは言えあれほどの目に合った割には、どうも言葉が柔らか過ぎる。
 そう、実は彼女『人を訪ねる事になる。言葉に気をつけるべし』というあの占いを、最初の一言を発してから突然思い出したのである。
 碇は一筋縄では行かない女性だ。言葉に気をつけろ…気をつけなかったとしたら一体何が起きるのだろうか。
「そう…じゃあ天使の姿も見て、怪しいサバト…って言ってもいいのかしら? の現場も目撃し、あまつさえ自分達で魔法円を書いてミドリさんを元に戻してきたって言うことなのね?」
 碇麗香は頷き頷き、メモを取っていった。
 嫌な予感が、シュラインの胸を過る。後ずさりながら、しどろもどろに言う。
「そ…そうね。確かにそんなことをやったような気もするけど…でも気のせいだったかもね」
「あら…今正にあなたその口でそうだって言ったじゃあないの」
 にっこり、と碇が微笑んだ。
「ん…? そうだったかしら……」
「幽霊作家のシュライン・エマさん」
 シュラインは、突然フルネームを呼ばれ、編集部のドアの前で凍りついた。
「タダより高い物はない、って言葉知ってるかしら?」
振り返ると、碇が受話器を握っていた。「あ、編集部? 今月の特集に穴が開いたって騒いでたわよね? いいお話があるんだけれど、聞く気は…あ、そう。一も二も無く了解するのね。有難う」

 その後、シュライン・エマは二週間ほどいずことも知れぬ場所に監禁されたのだという。
 口は、災いのもと。

<終わり>
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ    /女 /26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0515/加賀・美由姫(カガ・ミユキ) /女 /17/高校生】
【0557/守屋・ミドリ(モリヤ・ミドリ) /女 /23/図書館司書】
【0389/真名神・慶悟(マナガミ・ケイゴ)/男 /20/陰陽師】
【0703/神楽・五樹(カグラ・イツキ)  /男 /29/大学助教授】
※お申し込み順に並べさせていただきました。
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■         ライター通信          ■
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長らくお待たせしてしまいました。「学園祭は魔女だらけ!?」これにておしまいです。
シュラインさん、加賀さん、守屋さん、真名神さん、神楽さん。いつも有難う御座います。そして二度目の以来、有難う御座いました。ライターの蒼太です。
このお話はシュラインさんとミドリさんという本好き2名様のパートと、美由姫ちゃん真名神さん神楽さんというお祭り好き3名様のパートに分かれており、<占い>から一緒になって居ます。
ドタバタコメディというには弱かったかと思いますが、楽しんでいただけていれば、嬉しいです。そして皆さん初めての方ではないので、描写がとても楽しかったです。有難う御座いました。
「え。こんなんじゃないのになぁ」と言うことがありましたら、どんどん教えてくださいね。
プレイングでは、どう逃げるかを書かれた方が出番が多かったかもしれません。でも皆さんのプレイングはいつでも面白いです。意外なことを思いつく方も、ドンピシャなことをやってのける方もいました。そういったことが十分生かせていれば、良いのですが…。
また、次回ご縁がありましたら、是非ご一緒させていただけたら、幸いです。
では、また!
蒼太より