コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


灰の城


 彼岸を過ぎてもう秋である。
 ここ、月刊アトラス編集部にも開かれた窓から爽やかな風が入ってくる。穏やかな陽射しも心地よい。
 三下は自分のデスクに向かい、ぱらぱらと雑誌をめくっていた。こういう他誌からの情報収拾も仕事と言えば仕事である。
「もう学園祭のシーズンですね」
 三下が編集長である碇に話し掛けた。
「何かおもしろい企画でも載っているかしら?」
 碇が立ち上がると三下に近付き、読んでいた雑誌を取り上げる。
「ちょっと貸してごらんなさい」
「あ…。それまだ僕が読んでるのに…」 
 情けない声で三下がそう言ったが、もちろん黙殺された。
 自分のデスクに雑誌を持ち帰り、ゆっくりとページを捲る碇。関東圏の学園祭の一般公開日、招待アーティストなどの情報が特集されていた。自分の学生時代を思い出し、碇は微笑した。
「灰城女子大学…」
 ふと、思い掛けない校名を目にして息を飲む。
 それは都内にある私立大学だった。こじんまりとしていて、生徒数も少なめの大学である。いわゆる良妻賢母を育てるお嬢様学校として、その名は通っている。
「その学校がどうしたんですか?」
 碇の様子に気付き、三下が声をかける。
「3年前の事件を憶えていないのかしら?」
 碇は冷たく言い放つと、事件についての説明を始めた。

 
 失踪した岩下美和は、オープンキャンパスに参加した女子高生3人組の一人だった。3人は他の参加者と共に、アルバイト学生の案内に従って広くはない構内を順に回っていた。旧館、講堂、そして当時完成間近だった新館の見学を終えて大学の門の前まで戻ってきた時だった。美和は一緒に来ていた友人二人に「忘れ物をした」と言い、構内へと戻っていったのだ。それきりいくら待っても美和は戻って来なかった。
 もちろん、現在も行方は分かっていない。


「大学内の捜査はされたんですか?」
 三下がもっともな質問をした。
「もちろん、念入りに行われたわ。そしてどこにも美和さんの姿はなかったの」
「お友達はずっと門で待っていたんですか?すれ違った可能性は?」
「灰城女子大はいわゆる城塞型の造りで入り口は正門と裏門しかないの。そしてそのどちらにも不審者の侵入を防ぐ為に警備員が常駐しているわ。お嬢様大学だと言われるだけあるわね。もちろん、警備員が美和さんを見逃した可能性がないわけじゃないけれど」
「けれど?」
 含んだ言い方をする碇に三下が聞き返す。
「その後、今年までの3年間、灰城女子大の学園祭に一般公開日は設定されなかったのよ。まるで部外者に探られては困ることがあるみたいに」
 三下は唾を飲んだ。
「じゃあ、そういうことだから調査兼取材、よろしく頼むわ」
 碇は三下の返事も聞かず立ち上がり、編集部を出て行った。




 秋晴れの爽やかな午前中。シュライン・エマは草間興信所にある自分の事務机でキーを叩いていた。もちろん、興信所の書類の整理をしているのである。
 開け放した事務所の窓からは涼しい風が入ってくる。
 どこからか子供の声が聞こえて来るのを聞いて、今日が休日であることを思い出す。

「あら?」
 シュラインがパソコンのモニタに視線を遣る。メールが一通届いていたようだった。シュライン個人宛にだ。
 えーと、ああ、三下君からじゃない。何かしら?
 マウスで操作し、届いたメールを開封する。メールを読み、シュラインはしばし考え込んだ。
 …そうかもう3年、いや4年になるのね。
 三下からのメールは灰城女子大での学園祭が再び一般公開される、という内容だった。
「武彦さん」
 思わずシュラインは机で煙草を燻らせながら雑誌に目を通している草間を呼びつけた。
「なんだい?」
 草間が雑誌から目を上げる。
「灰城女子大の学園祭が今年からまた一般公開されるそうよ」
「灰城、か」
「確かここにも依頼が来ていたのよね?私は、関わっていないけれど」
 調査書類をまとめているシュラインは過去に草間興信所が扱った事件を完璧に近い程度には把握していた。
「ああ」
「そして、調査らしい調査はできなかった」
 草間は苦笑を浮かべるとシュラインを見遣った。
「その通りだ。大学内への立ち入りは警察関係者を除いて一切禁止、というか、まあ排除されていたからな」
 シュラインは三下から来ているメールの件を話して聞かせた。
「今から何ができるって訳でもないと思うけれど」
「そうだな。行って来るといい。俺は午後から別件で用事があるから一緒には行けないがな。確か今日の7時までだったかな。7時から後夜祭のようだ」
 草間は先程まで読んでいた雑誌を掲げてシュラインに見せた。
「まあ!」
 めずらしく慌てると、シュラインはモニタを見る。
「三下君ったら。このメール今日中に開封されなかったら、どうするつもりだったのかしら」
 三下からのメールは今日の午前10時に送信されていた。
「三下らしいじゃないか。まあ何もないとは思うが、気を付けてくれよ」
 草間は目を細くすると、当時の調査資料をシュラインに手渡した。

 
 高い塀が続いていた。途中3m程までは完全に目隠しされていて、かろうじて上部1mが格子になっている。それにしても4mという高さはどうなのだろうか。
「まるで城塞ね」
 思わずシュラインは声を上げた。
 とにかく正門へ辿りつかなくてはならない。塀にそってシュラインは歩いていった。
 中からは明るい声が響いてくる。出入りは正門と裏門しかないようだが、漏れてくる声までもが閉ざされてしまっている訳ではない。シュラインの表情が緩んだ。

 正門に着くと、シュラインは中を見渡した。広くはない構内に鮮やかな色彩が目に入った。校舎の窓には手作りの垂れ幕、ポスター、そして種々の模擬店、学生達。先程抱いた「城塞」というイメージとは程遠い、明るい喧噪がそこにはあった。
 とりあえず、話を聞いてみるか。
 草間から手渡された調査ファイルにシュラインの知りたいことはおおよそ記載されていた。当時調べる事ができなかったのは唯一点。構内での情報。立ち入りが禁止されていた構内の様子とそこから入手できる情報であった。

 正門から入ってすぐ大学の中央とでも呼べる通りが続いていて、その両脇には数々の模擬店が並んでいた。
 シュラインは最初に目に入ったクレープを売る模擬店に近づいた。女子学生が上手にクレープ生地を次々と焼いている。
 あれって結構むずかしいのよね。
 学生の手捌きを微笑みながら眺めていると別の学生に声を掛けられた。
「いらっしゃいませ。何にいたしましょうか?」
 二十歳くらいだろうか。ショートカットにオレンジ色のカーディガンを着た彼女は元気に挨拶をするとにっこりと笑っていた。皆お揃いのエプロンを付けている。
「ええと…」
 急に声を掛けられてシュラインは少しだけ狼狽した。きょろきょろと辺りを見回す。
「メニューでしたら、こちらにございます」
 やはり笑顔で言うと、女子学生は模擬店の前に立て掛けてある看板に書かれたメニューを手で指した。
 今どきめずらしく言葉遣いがしっかりしている。
 この子でいいかしら。
「それじゃあチョコカスタードクリームにしようかしら」
「はい。ありがとうございます」
 言うと彼女は後方で調理をしていた友人達に声をかける。
「チョコカスタードを1つお願いします!」
 溌溂とした声が気持ち良い。
 後ろではあらかじめ焼いてあった生地にトッピングをしている作業が見えた。
 焼き立てじゃないのね。
 一瞬そう思ったシュラインの考えを読んだように、目の前の学生が答える。
「焼き立てだと、熱すぎてクリームが解けちゃうんですよ。勿論、今お作りしている分も温かいですけどね。冷めても美味しいですし、お土産にもどうですか?」
 案外商売上手である。シュラインは少し苦笑した。
「そうね。この後の用事が済んでからまた寄らせてもらうかもしれないわ。…ところで少し聞きたい事があるのだけれど…」
 シュラインはクレープを受け取りながら目の前の学生に話を聞くことにした。



「女の城だな」
 構内は明るい喧噪に溢れていた。ノートパソコンを手に、慌ててここまでやってきた瀬水月・隼は軽く息をついた。
 朧月・桜夜が先にここへ来ているはずだったが。
「この人込みから探すのか」
 いっそ発信器でもつけておけば良かったと後悔した。とにかく桜夜を探さねばならない。首を捻り息を吐くと隼はその城へと乗り込んでいった。

 模擬店を覗きながら学内をうろろと物色、情報収拾していた桜夜とシュライン・エマは同じくうろうろしていた今野・篤旗と守屋・ミドリに出会った。
「あれ?篤旗君」
「あ、桜夜ちゃんやん。シュラインさんも。二人で何?」
「調査調査。ここで昔失踪事件があったっていうやつ?」
 桜夜は手にクレープを持っていた。
「もう一人、後から相棒が来るはずなんだけど」
 桜夜の後ろでは、シュラインも片手にクレープを持っていた。
「入り口のクレープ屋さんで会ったのよ」
「どうも」
 篤旗が人なつこく笑うと、シュラインに向かって頭を下げた。
「みなさん、やはり三下さんのメールで?」
 篤旗の隣にいたミドリが尋ねてみる。彼女の手には綿菓子が握られている。
「ええ、あなた達も?」
 シュラインがミドリと篤旗を見る。
「はい。シュラインさんらは、先にいろいろ見て回ったはるみたいですけど、どうですか?何か手がかりはありましたか?」
「うーん。式、鶺鴒を飛ばしてみてるけど何も…あ?あれは隼かしら?」
 桜夜が答えた。
「一応、興信所の資料、それから学生さん達に聞き込みしてみたんだけど、さっぱりね」
 シュラインは肩を竦めた。
「先に失踪した女子大生、ええと、大谷恵子さん。彼女が行方不明になったのは1回生の秋なのよ。その当時から数えるなら今はちょうど4年だから」
「恵子さんを知る同級生も、先輩もここには残ってない、ってことですね。留年でもしていれば別でしょうけど」
 ミドリが続ける。この女子大には大学院は付属していない。
「その通りよ。美和さんにしても同じ。入学もしていない生徒を詳しく知る人なんていないわね。失踪そのものについても、当時の学生はみんな卒業してしまっていて。学校側が上手く隠したからかしら、その後入学した学生で失踪の事実を知っている生徒って少ないのよ」
 シュラインは苦笑した。ミドリが口を開く。
「図書館で何か調べられないかって思うんですけど」
「図書館までは公開していないの」
 桜夜は首を振った。もう先に調べに行ったのだろう。
 大学や研究機関に付属する図書館というのは入館者に対して慎重である。入手しにくい専門誌、雑誌や貴重な資料が置かれているからである。大学図書館では学生証や図書館用のIDカード無しでは入館を許されない所がほとんどではないだろうか。
「そうか。やっぱりそうよね」
 同じく大学図書館で司書をしているミドリは呟いた。
「まあ、もうすぐデータが届くころだから」
 桜夜が言うと、式が帰ってきた。
 その方向からノートパソコンを携えた隼が姿を表した。

「結構早かったね」
 隼に桜夜が話し掛ける。
「お前は。独りで行動するなって言ってるだろうが」
 桜夜捜索の気疲れからか、隼が声を上げる。
「独りじゃないもん」
 桜夜は言うと皆の方を見た。
「そういう意味じゃなくてだな…」
「それより、調べてくれたんでしょ?」
 桜夜が上目遣いで隼を見上げる。隼はしばし目を瞑る。
「まあとりあえず、座って話せるところへ行こうか」
 皆を促した。



 校内の教室を使った喫茶店で5人は話していた。
 隼はキーを叩き、モニタを見ながら自らが収拾した情報について説明をした。
 失踪については当時メディアで取り上げられた以上の情報はほとんど掴めなかったこと。そして当時ネット上のある個人の日記に書かれていた失踪の噂----過去に遡って、公になっていない灰城女子大での失踪が多数あるという噂----を書き込んだページがあったということ。やはり特に有益な情報は手に入らなかったようだった。
「じゃあ、失踪者って二人だけじゃないんだ」
 桜夜がミルクティーの入ったカップを両手で持ちながら隼へと話し掛けた。隼がモニタから顔を上げる。
「ああ。この情報を信用するなら、ってとこだがな」
「信用…できるのかしら?」
 シュラインがカップから目を上げた。
「さあ。あくまでも個人の「日記」で、しかも失踪者は名前を伏せてあるからな。調べようがない」
「でもこれ、この、最初の失踪者だけ日付けが入っているのが気になるわね」
 モニタを覗き込んでいたミドリが言う。言われて篤旗が横から覗き込む。
「ほんまや。他の人のは「M子さん失踪」としか書いてあらへんのに」
 最初の失踪者とされるS子だけがその失踪の日付けまで詳細に記されている。
 M20、06、10
「明治20年、6月10日」
 篤旗が口に出して言ってみる。
「明治、20年、6月」
 シュラインが考え込んだ。
「それって、この学校の創立前じゃないかしら?」
 確か資料にあったはずだ。創立、明治20年10月、と。そして学園祭自体がその事を記念して、10月のこの時期に行われているはずだった。
「共通項…」
 ミドリがふいに口にした言葉に皆ハッとした。
 失踪した二人。例えば出身地、家族構成、誕生日、名前、等など。およそ目立った共通項はなかった。
 ただ、この明治20年に失踪したとされるM子の、この情報が真実だとしたら。
「恵子さんと美和さんが失踪した期間、新館建設が行われていた。そしてそのM子さんの時はきっと」
「旧館の建設が行われていたのでしょうね」
 シュラインの後を桜夜が続けた。
 皆の間に沈黙が訪れる。共通項が分かったからといって、どう手を施せばいいのか。
 目を伏せて、じっと考えていた篤旗が口を開いた。
「せやけど、新館建設中に新館に近付いた人間はその二人だけとちゃう。一緒に見学してた人らには何も起こらへんのに、なんで美和さんだけが…」
 ミドリは篤旗を見ると、ゆるゆると首を振った。
「違うわ。篤旗君。オープンキャンパスに参加した子のうちでも美和さんは、美和さんだけはきっと一人で新館に入ったのよ。忘れ物を取りに、ね?」
 優しく、子供を諭すように優しく呟いた。


 くるくるとスプーンでミルクティーをかき混ぜていた桜夜が口を開いた。
「んー。とりあえず例の新館に行ってみない?ここじゃあないんでしょう?」
「そうね。私も見学するつもりだったし」
 シュラインも同意した。
「見学だけならいいが、調査するつもりなら俺は反対だ。危険だと思わないのか。十分な準備もできていないだろう」
 隼が真剣な顔つきで桜夜に言う。真に桜夜の身を案じているのだろう。
「さっきの日記にしてもそうだ。あれは、おそらく警告なんだ。日記の体裁を取ってはいるが、失踪が話題になった当時にただあれだけが書き込まれている。以降の更新は全くない」
「ユーザーは特定できないの?」
 桜夜が隼に尋ねる。
「貸し掲示板のようだが、登録にはおそらく架空の名義に架空の住所が登録されている。使用料はクレジットカードで行われているようだが、そこから使用者を特定する時間はなかった」
 桜夜は隼の目を見つめ返した。
「分かった。ありがとう。でも、アタシは行きたい。行って確かめたいよ。あと数時間もすればここはまた1年閉ざされてしまうのよ」
 もう、美和失踪の引き金とも思われるオープンキャンパスは行われていない。入学式、卒業式、学内で行われる講演などあるが、やはり大学に関わりのある者のつてでもなければ、侵入はむずかしいだろう。
「大丈夫よ。何かあるなら今までにもっと何かが起こっていた筈よ。工事も終了しているし、何よりここの学生は元気に通っているでしょう?」
 シュラインはクレープ屋で話した明るい女子学生を思い出した。
「それに「一人」ではないでしょう?篤旗君も勿論行くわよね?」
 ミドリが声を掛けた。
「乗りかかった船やし、まあもともとは調査が目的やしね。君は、どうする?ここで待ってても…」
「勿論行くに決まっている」
 篤旗の言葉を遮り、憮然として隼は言った。


 新館の校舎もやはり旧館と同じ、きれいな煉瓦造りであった。あと何十年とすれば旧館のような味がでてくるのだろうが、立てられてほんの数年のその建物は、どことなくきっちりと枠にはまった、例えば絵に描いた建物のような印象だった。
「かわいい」
 声を上げたのは桜夜だった。
「やっぱりこういうのんが女子に受けるんやろうなあ」
 不況の中でも、この大学を志望する女子は多い。女子中学生に制服で進学する高校を選ぶ者がいるように、こういう建物に惹かれてこの大学を選ぶ者もたくさんいるのだろう。
「やっぱり新しいだけあってきれいね」
 4階立てのその四角い建物を見上げてミドリは言った。
 シュラインがあらかじめ調べた興信所の資料によると、美和と恵子が失踪した当時、この建設中の新館には全面に白いシートが掛けられていた。美和が見学した時には工事中立ち入り禁止が一時的に解かれ、内装が比較的進んでいた1階と地下階が見学されたようだった。
「すいません。ちょっと僕気になったんやけど」
 資料からの説明をしていたシュラインに篤旗が話し掛けた。
「何かしら?」
「草間興信所への依頼って、一体、当時誰がやったんですか?」
「あ!本当。アタシも気になる!」
 桜夜も声を上げた。
「一応、守秘義務があるのだけれど、まあいいかしら。依頼者は当時一緒にオープンキャンパスに参加した高校生よ」
「なる程。高校生やったら真っ当な興信所に払う小遣いなんか持ってへんやろうしなあ…、あ!いや、別に草間さんとこが真っ当やないって意味やなくて」
「はいはい」
 慌てて言い繕う篤旗にシュラインは苦笑してみせた。
「その当時の高校生からは話を聞けなかったのですか?ええと、今は大学生ね」
 ミドリが首を傾げながら聞いてみる。
「その二人はここへ入学していない、だろ?」
 隼は学生名簿を検索してみたが、当時一緒にいた二人の名前は無かった。入学していればまだ今4回生の筈だ。
「それに三下君のメールがね」
 もう少し時間があれば何らかの手は打てたかもしれない。同じことを考えて皆は顔を合わせ、苦笑した。
「じゃあそろそろ中に入ろうか?」
 桜夜が言うと一同、新館の開け放たれたガラス戸へと進んで行った。


 入ったホールは1階のスペースを広く取っている。天井の高さも合わさり、閉息感は感じられなかった。正面のガラス戸や電灯で明るく、清潔な印象だった。学祭期間中ということもあって、ホールの壁には種々の宣伝ポスターが貼られていた。
「あ、紅茶の美味しい喫茶店、だって」
 桜夜が目敏くポスターを見つけて指差した。
「野点とかもやってるんやなあ。新館裏庭にて」
 篤旗も貼ってある赤いポスターを見て呟く。
「調査が終わったら覗いてみる?ほら、まだ綿菓子しか奢ってもらってないし」
 ミドリは言うとにっこりと微笑んだ。
「ほらほら、置いて行くわよ?」
 シュラインと隼はさっさと階段の方へと進んでいた。
「やはり本命は地下、だろうな」
 階段を下りながら隼は独り呟いた。


 地下1階は食堂になっていた。
 地下、といっても片方の壁一面はガラス張りで、外への吹き抜けスペースから陽光が差し込んでいた。
 テーブルにはちらほらと学生の姿が見られた。
「特に、何の変哲もなさそうね?」
 シュラインは能力者達の顔を伺った。
「んー。ここには何もないみたい」
 桜夜が答える。
「ここよりも、さっきあった扉が気になるなあ」
「扉?」
 隼が聞き返した。
「ほら、さっき壁際に扉があったでしょ?」
「とりあえず行ってみましょうか?」
 もと来た通路を引き返す。
 地下のスペースは先ほどの食堂の為のスペースとトイレ。それだけに使われていた。
 階段を降りてすぐ、踊り場に桜夜の言う「扉」はあった。階段の両脇に二つ並んでいる。
「扉って、これは防火扉だ」
 火事の際に延焼を防ぐ為に備えられた扉である。
「じゃあ、勿論この先は」
「壁だな」
 桜夜の言葉をあっさりと隼が切り捨てた。
「いや、せやけど僕も何か違和感を感じるわ」
「え?やっぱり?」
 篤旗の言葉に桜夜が飛びついた。
「ねえこれ、開くことってできないかな?」
「うーん。たまに悪戯で開いてるのを見たことがあるから、無理ではないのでしょうけど」
 ミドリが難しい顔をする。
「そうね…試しに引いてみましょうか?」
 シュラインが提案し、男子二人が扉に手をかけた時だった。

「おやめなさい」

 白髪の老婆が声を掛けた。その凛とした声の調子に一同がびくっとする。
「あなたたち、見たところうちの学生ではないようだけれど、一体ここで何をしようと言うのです」
 厳しい声だった。
「あなたは…?」
 シュラインがおそるおそる声を掛けた。
「わたくしはこの大学の理事をしておる蓑輪(みのわ)です。さあ、今度はそちらが名乗る番でしょう。事と次第によっては警察を呼びますよ?」
 蓑輪は険しい顔でこちらを睨んでいる。シュラインが一歩前に進んだ。
「私達は、4年前に起こった岩下美和さんの失踪事件について調べておりました」
 下手に隠して事を荒立てたくはない。そう判断したシュラインは正直に、訳を話した。
 話を聞いた老婆はゆっくりと目を閉じ、首を項垂れた。

 一同は食堂まで戻って来た。
 ミドリと篤旗が食堂のプラスチックの湯飲みにお茶を汲んで、人数分トレーに載せてテーブルに置いた。熱い焙じ茶だった。
 蓑輪・咲和(さわ)はお茶を受け取ると少し口を付け、目を閉じると深く息を吐いた。
「この土地にはもともと屋敷が建っていたのですが、それをわたくしの曾祖父の代に、学校にした、と聞いております」
 咲和は遠くを見るような目で話を続けた。


 その土地は代々、蓑輪の家が守って来たのだと言う。女学校を建立しようと動いたのは咲和の曾祖父、芳治だった。
 
 ミドリは湯のみを手に、目の前に座る咲和に視線を向けた。
「それでは当時、創立前に行方不明になったのは」
「はい、わたくしの祖母美都子の姉、咲和子(さわこ)様だと聞いております」
「敷地内でいなくなったのは確かなのですか?」
「覚悟の上での失踪だと。いえ、失踪という言い方はおかしいかもしれません。咲和子様はわたくしの祖母に、当時はまだ6歳だったそうですが、祖母にも『地を鎮めに行く』とそう言い置いて家を出たのだそうです」
 咲和は持っていた湯飲みを机に戻した。
「一家は建設の始まりました当時には、もう神奈川のほうへ移っておりましたが、建設中に起きた事故などの噂は幼い祖母の耳にも入っていたようです。特に本館の完成間近だった頃、建設に使われていた多量の煉瓦材が積み場から崩れ落ちるという事故がありまして、その時作業をされていたお二人が亡くなられたということです。これは、後で祖母が調べたようです」
 皆、真剣に咲和の話に聞き入っていた。
「咲和子様が失踪された6月10日は、咲和子様の14の誕生日だったと聞いております。失踪されてからはこまごまと起こっていた事故はぴたりと止んだそうですし、家の者も皆、全てを悟ったように、咲和子様の行方を探すことはなかったそうで。当時の祖母にはずっとそれが不思議であったそうです」
 桜夜が湯のみから顔を上げた。
「咲和子さんの話は分かりました。でもアタシ達が調べに来たのは美和さんと恵子さんの事件なの」
「あの、防火扉の向こうに、何かあるのですね?」
 シュラインが咲和を見つめる。咲和は、小さくうなづいた。
「気が不安定なのだそうです。今はその道の方にお願いして封じてあるそうです」
「そんな…それじゃあ帰って来たくても帰ってこられないじゃない」
 桜夜の言葉に咲和は静かに首を振った。
「咲和子様でさえ、これだけの年月戻られないのです。きっと戻ることは…」
「行こう」
 きっぱりと言い、桜夜が立ち上がった。


「開きそう?」
 扉の前で懸命に把手に手をかける二人の男子にシュラインが声をかけた。
「こう、把手を回してっと、ちょっと隼君ひっぱってみてくれへん?」
「こうか?」
 隼が引くと、ギーっと、鈍い音をたてて扉が開いた。そこには壁があった。地下であり、壁の奥にも部屋は存在しない。そして壁には1枚の札が貼られていた。
「むー。封じてある割りには、なんだかまだ不安定な感じがするのよね」
 壁を見つめて桜夜が言う。
「不安定、ですか?」
 その辺のアンテナがないのかミドリが不思議そうに首を傾げた。
「取りあえず、この札取っちゃうね」
 ビッと音がして札が剥がされた、その瞬間だった。
「待っ!!」
 予想外の桜夜の行動に隼が待ったをかける間もなかった。一瞬桜夜の姿がぶれたかと思うと、かき消えてしまったのだ。
「桜夜さん?!」
 驚いたミドリが壁に手をついた瞬間、ミドリも同じように消えた。

「ちょっと待ってえや」
「くそっ」
 事態に慌てた篤旗と隼が同じように壁に駆け寄ったが、壁にぶつけた拳の音だけが空しく響いた。
「男子禁制なのでしょうね」
 少し遠巻きに見ていたシュラインが呟いた。
「え?」
 篤旗が振り返る。隼が少し考えて口を開いた。
「そうか。でなければ工事作業員が無事であるはずがないな」
「そういう事ね」
 桜夜は魂の質が女だってことだろうな。隼は苦笑した。
「大丈夫なんやろうか…」
 篤旗が心配そうに壁を見上げる。
「多分な…。勝算がなくてあんな行動に出るやつじゃない…筈だ。多分」
 そう、信じたかった。


「ところで、さっきは聞けなかったんだが…」
 隼はいつの間にか、食堂入り口からこちらを見ている咲和に話し掛けた。
「蓑輪さん」
「はい…」
「岩下美和が失踪した当時に『灰城失踪の噂』を日記の体裁でネットに書き込んだのはあんただな?」
 隼の視線は射るように咲和に向けられている。
「咲和子さん、最初の失踪者の話は、身内でないものが簡単に知り得る物ではない。確か捜索も行われなかったとあんたが言っていたよな」
「新館の建設で、実際に事件が起こるまで、わたくしは祖母の話を信じてはおりませんでした。…恐ろしくなったのです」
 老婆は口元に手を当てた。
「他にも失踪者がいた、と書いていたけれど」
 シュラインが聞く。
「いえ、実際に失踪したのは咲和子様と先の二人だけでございます」
「大袈裟にして、まさに警告っちゅう訳か」
「新館が建設されるまでに、これ以上の事が起こらないように、と思ったのです」
 建設されるまで、と聞いて隼が口を開く。
「婆さん。用が済んだらさっさと掲示板レンタルを解除しないとな。無駄なレンタル料をずっと払ってることになってるぜ?」
「そうなのですか。実は…あれは小学生の孫が手伝ってくれたもので、わたくしにはさっぱり」
「ったく。これだから金持ちは…」
 隼は溜め息をついた。





「着いたー!」
 大きい声が地下に響いた。
「桜夜!」
「ミドリさん!」
 二人は帰ってきていた。桜夜が壁を叩く。
「もう大丈夫。よね?」
 桜夜がミドリを見る。
「の、はずね。咲和子さんがあちらから封じてくださったから」
 ミドリの言葉にシュラインが驚く。
「咲和子さんですって?」
「あちらで、お会いできました。お綺麗な方だったわ」
 ミドリはにっこりと笑った。桜夜がきょろきょろする。
「ところで、美和さんと恵子さんは?先に戻ってるはずなんだけど?」
「いや、ずっと誰も来やへんかったよ?」
 篤旗の言葉に桜夜とミドリは一瞬固まった。
「もしかしてはぐれてしまったんじゃあ…」
「そんな…」
 桜夜が叩いた壁はもう、ただの壁だった。



「…という訳で、美和さんは募集要項の用紙を探しに、恵子さんはテニスボールを探しに、新館に入ったらしかったよ?」
 桜夜が皆に説明する。場所を移して新館裏庭で行われていた野点へお抹茶をいただきに来ている。
 桜夜の「紅茶の美味しい喫茶店」と篤旗の「茶道部野点」じゃんけんで桜夜が負けたのだ。野点とは言っても、お抹茶和菓子付きの形式ばらない気軽な物だった。
「テニスボールって部活中やったん?」
「うううん。放課後に壁打ちしてたんだって。荷物纏めて帰ろうかって時に新館のほうへボールが転がっていったらしいの」
 篤旗の質問にミドリが答えた。
「でも、本当にその二人はどこへ帰ったのかしら」
 シュラインが呟いた。
「本当に。あー!手を繋いでれば良かったわ!」
 桜夜は本当に悔しそうだ。
「でもまあ、お前らが戻ってこれて良かったか」
 隼が聞こえないように呟いたが、桜夜が耳聡く聞き付けて反駁する。
「良くないよ!プラマイ0でしょ。意味ないじゃん」
「マイナスになるよりはましだと言ったんだ」
「あ、ほらお茶来たみたいやよ?」
 言い争いになりそうな二人に篤旗が待ったをかける。
 和服を来た女子学生がお盆を手に、静かにこちらへ歩いて来た。
「お待ちどうさまです」
 声を掛けられて桜夜が顔を上げた。
「あ!」
 女子学生と桜夜は同時に、思わずお盆を取り落とす勢いで声を上げる。
「なになの?」
 シュラインが怪訝な顔で桜夜を見た。見開かれた目からは驚きと、そして喜びが見て取れた。
「美和、さん」
 ミドリがそう声をあげると、ようやく一同にも事態が飲み込めた。


「私が気が着くと工事中の新館の前で、門に着くと、お友達には遅いって叱られちゃいました」
 美和は、失踪当時に戻っていたのだった。
「咲和子さんの言った『元の世界に帰る』って本当に『元』の場所って意味だったのね」
 シュラインが何度かうなづくと納得した。
「ちょっと隼、何やってんのよ」
 桜夜が見ると隼はノートPCを触っている。
「考えた事がある………よし、あったな」
 隼はモニタを指差した。卒業生一覧、去年度の卒業生の中に「大谷恵子」が見て取れた。
「…良かった」
 ミドリが呟いた。恵子も無事戻れたのだ。
「そういえば…」
 シュラインがふと気付き興信所の資料が入っているバッグに手を伸ばす。やはり、資料は消えていた。
「遡って、失踪事件そのものがなかったことになっているって訳ね…」
 しみじみと、呟くシュラインにミドリが言った。
「でもきっと、こちらが本流だったはずだわ」
「…そうね」
 二人で微笑みあった。
「でも、あんな事のあった場所によく入学する気にならはったなあ」
 篤旗が美和に言う。
「私、小さい時からこの大学に憧れていて、ずっとここに入るんだって決めていたの。今も通えて嬉しいわ」
 美和は微笑んだ。
 大学を護る為にまだあそこに居るはずの咲和子。
 ここは、たくさんの人に愛されているよ。
 美和の言葉を聞いた桜夜は少し、救われた気がした。




□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0072/瀬水月・隼   /男/15/
          高校生(陰でデジタルジャンク屋)】
【0086/シュライン・エマ/女/26/
      翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0444/朧月・桜夜   /女/16/        陰陽師】
【0527/今野・篤旗   /男/18/        大学生】
【0557/守屋・ミドリ  /女/23/      図書館司書】
 ※整理番号順に並べさせていただきました

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 瀬水月さん、朧月さん、守屋さん初めまして。
 この度はご参加ありがとうございました。
 シュラインさん、今野さんには
 再びお目にかかれて嬉しく思います。

 依頼ですが、かなりブルーなものと今回採用したのもと、
 実は失踪原因を二つ考えていたのですが、どなたも
 「失踪者の死」をプレイングで匂わせる方がなかったので、
 今回のラストになりました。
 終盤に比べて序盤、中盤と冗長になってしまいました。
 尚、途中異界へ入った組、残った組と
 分岐いたしておりますので、
 他の方の文章も読まれると分かりやすいかと思われます。

 設定や画像、他の方の依頼等参考に
 勝手に想像を膨らませた所が多々あると思います。
 イメージではないなどの御意見、
 御感想、などありましたらよろしくお願いします。
 
 それではまたお逢いできますことを祈って。

                 トキノ