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エンド・オブ・ワールド
▼終わりの始まり
「…あの、編集長?」
控えめな部下の声で、碇麗香(いかり・れいか)は顔をあげた。
「なに、三下君…頼んでた原稿が出来あがったの?」
「それはまだですけど…お客さんですよ」
慌てる三下の指し示す方向には、見覚えのある服を着た少女が立っている。
(あら…あれは)
麗香の母校、セント・ジョルジュワード女学院の制服に間違いがなかった。
モスグリーンのブレザーに、紺色のネクタイ。
胸元には、十字架とステンドグラスをあしらったエンブレム。
少女を奥の応接間に通すと、麗香は人払いをした。
「はじめまして。セント・ジョルジュワード女学院の、四方聖(よも・ひじり)と申します」
「用件はわかってるわ。これね?」
胸元から、今朝、編集部に届いていた白い封筒を取り出してみせると、聖はコクリとうなずいた。
その封筒は、OBに毎年送られてくる学園祭の開催案内である。
ただし、今年は少しばかり勝手が違っていた。
「『終わる世界』――この呪われた芝居をやるんですって?」
「はい」
詰問口調の麗香にも臆することなく、聖はまっすぐにその目を見ていた。
『終わる世界』とは、麗香が1年生だった頃に、当時の演劇部員が創った演劇のタイトルである。
麗香の記憶によれば、1週間後に終焉を迎える異世界【イセルハーサ】で、主人公の少女が自立していくというストーリーだったはずだ。
だが、この芝居は呪われていると言われるようになった。
なぜならば、主役を演じた少女が、芝居のラストで本当に死んでしまったからだ。
原因不明の謎の死。
その3年後、再び演じられた『終わる世界』で、またもや主人公の少女が死んでからは、永久にこの芝居は封印される――そう聞いていた。
「はじめに死んだのは、私の姉でした。姉に報いるためにも、なんとしてでも成功させたいんです」
「主役を演じれば、死ぬかもしれないのよ?」
それは決して、脅しではない。
だが、聖の決心は揺るがなかった。
「主役を演じるのは私です。死ぬのが怖くないと言ったら嘘になります――だから碇先輩、この芝居の呪いを解くのに、協力していただけませんか?」
「――わかったわ」
知り合いには、そういう方面に詳しい者が何人かいる。彼らに頼めば、きっとなんとかしてくれるだろう。
それに、若き日の麗香にとって、目の前で先輩の死を目撃したことは、少なからず衝撃的だった。
今でも、鮮明に覚えているほどに。
▼終末の世界
月刊アトラス編集部の近くにある喫茶店【アルジャーノン】は、手ごろな価格と美味しい料理、お洒落な雰囲気が相まって、OLを中心とした女性に大人気の店である。
「遅いわね、麗香さん」
ため息とともにコーヒーカップを皿に置き、黒髪、切れ長の瞳の美女がテーブルの下で足を組み替えた。
膝丈のスカートのスリットからこぼれる足が、妙に色っぽい。
通りがかったウェイトレスにコーヒーのお代わりを注文してから、美女は頬杖をついた。
「また三下さんが何かやらかしたのかしら」
「あ、それあり得るかも!」
美女の向かいで、二つに結い上げた銀色の髪を揺らしながら、中学生くらいの少女がクスクスと笑う。
「けど、無理言ってお願いしたんだし、仕方ないわよね」
今まででいちばん大きなため息をついて、美女は自分の隣に座る人物に目をやった。
彼女は先程から上品に紅茶を口に運んでいるが、あまり会話に参加してこない。
「砂山さん、元気…?」
聞いた後で、我ながら間抜けだったと頭を抱えたくなったが、砂山優姫(さやま・ゆうき)は気にした風でもなく、微笑を浮かべた。
「はい。ごめんなさい…私、初対面の方とお話しするのが苦手で」
申し訳なさそうに目を伏せる優姫に、美女――シュライン・エマは慌てて胸の前で手を振る。
「ううん、いいのよ」
その時、銀髪の少女、神楽弥琴(かぐら・みこと)が表を指さした。
「ねぇ、碇さんが来たみたいだよ」
その言葉に、シュラインも優姫も店の入り口のほうに目を向ける。
颯爽と扉を開けて、やや大きなストライドで入店してくる麗香は、後ろに、サングラスをかけた金髪の女性を連れていた。
テーブルの着く前に申し訳なさそうに両手を合わせる麗香に、3人は顔を見合わせて苦笑する。
「ごめんね、遅れちゃって」
「しょうがないなぁ、碇さんの奢りってことで許してあげる♪」
「うっ!」
弥琴の台詞によろめいて心臓の辺りを押さえながら、麗香が金髪の女性の肩に手を置いた。女性は、麗香たちのやりとりを微笑みながら見守っている。
「紹介するわね。コレ、私の友達の麻生奈津(あそう・なつ)。演劇部のOBよ」
「はじめまして、麻生です」
サングラスを外して、奈津は一礼した。
事の起こりは、四方聖(よも・ひじり)が編集部を訪ねてきた、2日前までさかのぼる。
麗香はまず、たまたま他誌のインタビューのためにオフィスビルにやって来た、天才バイオリニストである弥琴をつかまえ、そのあとは携帯のメモリーからランダムにシュラインと優姫を呼び出した。
突然のことに戸惑っていた3人だが、話を聞いていく内にどんどん表情が険しくなっていく。
「学園祭の演目で死亡者が出るなんて…」
つぶやき、優姫がうつむいた。艶やかな長い黒髪が、胸元にこぼれ落ちる。
ソファの背に身体を沈めた弥琴の表情も冴えない。だが瞳だけは、好奇心旺盛な色をとどめていた。
「呪い…かぁ」
結い上げた髪の先を人差し指でくるくると弄びながら、独りごちる。
シュラインも同様の暗い顔つきではあったが、なにやら思案しているようだった。
「…麗香さん」
「なに?」
「この劇の台本って、手に入るかしら?」
シュラインの言葉に、優姫も顔を上げてうなずく。
「まずは内容や、登場人物などを把握したいですね」
「呪いを解くには呪いの種類を特定しなくちゃ。そのためにも、当時の演劇部員の人にも会ってみたいな」
弥琴も続けた。
「わかったわ。友達に演劇部出身の子がいるから、相談してみる」
ちなみにもうひとり、偶然にも聖と顔見知りだった久喜坂咲(くきざか・さき)は、一足先に学院に出向いているという。
ならばこちらは、自分たちに出来るやり方で、情報を収集するしかないのだ。
奈津は、髪を脱色し、両耳に3つずつピアスを開けた派手な外見をしてはいるが、竹を割ったような性格の女性だった。
「まずはこれ。約束の『終わる世界』の台本よ」
椅子に座り、肩に掛けたバッグからボロボロになった冊子を取り出して、テーブルの上に無造作に置いた。
「すっかり読み込んだから、汚くて申し訳ないんだけど」
苦笑しながら、麗香のほうをチラリと見る。やれやれと言った風に麗香は肩をすくめると、
「奈津は当時、1年生で唯一キャストを貰ってたの。そりゃーもう、熱心な部員だったから」
と口添えした。満足そうに笑う奈津だったが、すぐに意気消沈し、肩を落とす。
「本番にあんなことが起きるなんて、予想すらしてなかったからね」
「お察ししますわ――拝見してもよろしいですか」
控えめに尋ねるシュラインに、奈津はニカッと歯を見せて笑った。
「もちろん!そのために持ってきたんだもの」
シュラインが台本を繰り始めると、弥琴と優姫がそれぞれ横からのぞき込む。その間に麗香と奈津は注文を済ませ、一言断ってから、奈津は煙草に火をつけた。
物語の舞台となる【イセルハーサ】は、有翼人種の住む世界だ。
世界を造った神様に守られて、みんな平和に暮らしていた。
だが、ある日突然、神様が【イセルハーサ】に終わりを告げる。理由はわからない…だけど神様の言うことは絶対なのだ。人々は悲しみに暮れながらも、世界が終わる一週間後を待つことになった。
しかし、主人公のキュロだけは違った。
「どうして、みんな諦めてしまうの?私は死にたくない!」
そういって、少女は残されたわずか一週間を利用して【イセルハーサ】を巡る旅に出るのだ。
その途中で出会う人々との会話を通し、キュロは成長していく――。
「特に重要なキャラクターは、キュロだけなんでしょうか?」
「そうね。あとは精霊ニドムっていうのがいるけど…そんなに重要にキャラじゃないわね」
優姫の問いを、冷水を一気に飲み干してから、奈津が肯定する。
精霊ニドムとは、旅の途中でキュロに出会い、歳が近いことから意気投合し、しばらく共に旅をする――というキャラクターだ。
「奈津さん、イセルハーサっていう名前には意味があるの?」
「さぁ…脚本を書いたのはあたしじゃないしなぁ…」
奈津の返答に、ふぅん、と弥琴は不満そうなため息を吐いた。ソファ状の椅子に手をつき、両足をブラブラさせる。
「台本を書いた方にお話を伺うことはできますか?」
いつの間にか台本はシュラインから優姫の手に移っており、台本に目を落としたまま、優姫が尋ねた。
ちょうどその時、麗香たちが注文したケーキセットが運ばれてきて、会話は一時中断する。「うわぁ、美味しそう」と歓喜の悲鳴をあげる弥琴に、シュラインが微笑をこぼした。
しかし、オーダーしたものが届いた当の2人は、何故か難(かた)い表情のままである。
無意識なのか、胸ポケットに挿したサングラスを触りながら、奈津が無理やりに笑みを作った。
「脚本家は――死んだの。だからもう会えないわね」
依頼主の聖の姉、望(のぞみ)がキュロを演じて命を落としたあとすぐ、脚本家の少女は死んだ。
――自殺だったという。
「残念ながら、あたしは望先輩や脚本家の先輩とは学年が違ったから、詳しくは知らないのよ。あまり役に立てなくてごめんなさい」
「そんなことないですよ。こうして台本を読むことができたし…本当に、ありがとうございます」
シュラインが丁寧に頭を下げると、奈津は照れたように笑った。
その他に必要なことを聞いた後、奈津と彼女を送るという麗香は喫茶店から去っていった。もちろん伝票を持って、だ。
「なら私は、台本を作るときに参考にしたって言う本を調べてみるわね」
シュラインが、奈津が覚えている範囲での参考書のタイトルを記したメモを、ポケットにしまう。
もう何年も前のことだから、と渋っていた奈津に頼み込んで書いてもらったものだ。もしかしたら、何か魔術書のような物を参考にした可能性もある。片っ端からあたってみるつもりだった。
「では私は、もう少し別のOBの方にお話を聞いてみます」
優姫も、何かを決心したかのような表情で宣言する。
呪いと言われても、霊能力には自身のない優姫にできることは、足を使って情報を調べることしかない。
あまり他人と接触することは得意ではないのだが――聖や、その姉の望の気持ちを思うと、自然と出掛けなくてはという気分になれた。
「本当は私もそっちを手伝いたいけど、みんなで分担した方が早いものね」
シュラインが励ますように、優姫の肩をそっと叩いた。優姫はコクンと頷く。
最後に残った弥琴は、クリームソーダを飲みながらしばらく考えていたが、
「じゃあ弥琴は、学院に行ってみるね。もし死んでしまった子がそこに留まってたら、話が聞けると思うし…」
「お願いね。よかったら役者の立ち位置が呪術の役割を果たしているかもしれないから、注意して見てみて?」
シュラインに言われ、弥琴は元気いっぱいに返答した。
「了解!」
▼謎の書物
奈津にあった日から3日間、シュラインは毎日いろいろな図書館を訪ねた。
近所の図書館から国会図書館まで、普段の仕事――翻訳とゴーストライターと、草間興信所の事務のバイトに差し支えない程度にではあるが、足を棒にして通った。
リストアップした本のほとんどを発見し、読んでみたが、これといって呪いに繋がるような事象は見つからない。
自分の予想が外れたのかと落胆気味だったが、一冊だけどうしても見つからない物があった。
タイトルは『異世界への誘い』。
これだけがどうしても見つからず、奈津の記憶違いなのかと諦めかけた――その時。
(あった…!)
街角にひっそり建っていた小さな図書館で、待ち焦がれていたその本を発見し、背表紙の上部にかけた人差し指が思わず震えてしまった。
総頁は300といったところだろうか。汚れて擦り切れそうなハードカバーの本で、よく見れば『寄贈』印が押してある。
早速、書架から持ち出して閲覧席に腰を落ち着けると、ひとつ深呼吸をしてからシュラインは表紙を開けた。
くだらない世界に嫌気がさしている諸君へ。
この書物には、素晴らしき異国の扉を開ける方法を記しておいた。
我らの手で、この世界に終焉をもたらし、新たな世界を造りあげようではないか!
このような書き出しから、本は始まる。
(魔術書というよりは、宗教的なものみたい…)
読み進めていくと、どうやら前書きの思想こそがこの本の趣旨のようで、どんどんヒートアップしていく『我らの世界を造ろう』という主張に、シュラインは薄ら寒いものを覚えた。
このままでは、洗脳されてしまいそうだ。
自らの肩を掻き抱くように書物から手を離すと、ちょうど良いタイミングでバッグの中の携帯が鳴った。
マナーモードにしていたため、テーブルの上に軽い振動が走る。
シュラインは携帯とバッグを持ち、小走りに図書館から出た。
「もしもし?」
「シュラインさん?連絡が遅くなってごめんなさい」
電話の相手は、セント・ジョルジュワード女学院に調査に行っているはずの弥琴だった。
「練習風景を見せてもらったんだけど、特に不審なところはないみたいなの」
以前に死んだ子が地縛霊になって留まっている、などということもないという。
「例えば、お芝居を利用して何か呪術を行ってるとしたら、邪気のようなものが発生するはずよね?」
「うん。でも、そういう気配も全くナシだわ」
これは当てが外れてしまったかもしれない。シュラインは落胆した。
電話を切ると、重い足取りで再び閲覧席に戻る。
唯一手がかりになりそうな『異世界への誘い』の貸し出し手続きをしようと、机の上に目をやるが――
(本が、ない…!)
確かに置きっぱなしにしたはずの本が、忽然と姿を消していた。
係員が書架に戻したのかと思い、探してみたが見当たらない。
ほかの利用客が読んでいたり、あの短時間に借りてしまったのではないかと係員に尋ねてみたが、そのような利用客はいないという。
(どういうことなの…?)
狐につままれたような釈然としない状況に、シュラインは首を傾げるしかなかった。
▼迫る終焉の日
時は流れ、ついに学園祭前日を迎える。
シュライン、優姫、弥琴、咲の4人は、退社時刻の過ぎた月刊アトラス編集部に集まっていた。
オフィスからは残業中の三下らに麗香の叱責が飛ぶのが聞こえたが、反面、彼女たちのいる応接室は静かなものだった。
「結局、呪いを解とことはできなかったわね…」
シュラインが、ため息とともにそう吐きだした。異国風の端整な顔立ちに、すっかり影が落ちてしまっている。
『終わる世界』を書く際に参考にされたという本、『異国への誘い』を見つけ、内容を確認することはできたシュラインだったが、何故かその本自体は煙のように消失してしまった。
内容は、終末思想と呼べるもので、我らの手で新しき世界を、としつこいぐらいに唱えていた。
「もう少しという気はするんですが…」
何かあと1本足りないのだ、と優姫は指摘する。
優姫がOBをあたった結果、得られたのは、どうやら聖の姉の望が、脚本家の美理(みり)という少女を好きだったということくらいだ。
「いわゆる同性愛者ってこと?」
それを聞いた咲は、とくに嫌悪するでもなく、あっけらかんと言う。
「でも、好きになっちゃったものは仕方ないわよね。男も女も関係ないし」
咲は聖と顔見知りだったので、上手い具合にセント・ジョルジュワードの演劇部にスタッフとして合流し、調査を進めていた。
しかしこちらも、これと言っておかしな点は見当たらない。
「聖さん、大丈夫かしら…」
咲に合流し、一緒に舞台の調査を行った弥琴も、不安そうに眉根を寄せた。
舞台そのものや、キャストの立ち位置などに、呪術的な要素は感じられなかった。
ならば怪しいのは、美理が自ら選曲したという音響用のテープなのだが、こちらにも特に異常はなかったのである。
「ゲネプロ(通し稽古)は上手くいったんだけどねー」
「とにかく、明日のお芝居のラストまで、聖さんから目を離さないでおきましょう。いざとなったら、私なんて役に立たないと思うけど…」
弱気なシュラインの提案に、全員が力強く頷いた。
▼残された彼女の想い
『どうして、どうして誰も抵抗しようとしないの!?私はこのまま終わるなんて嫌だ!!』
『仕方ないんだよ、キュロ…神様のお決めになったことだから』
学園祭当日。芝居がスタートしてから、早くも10分が経過した。
体育館には大勢が詰めかけている。もともとこの演劇部のレベルが高いと言うこともあるが、呪われた芝居を演じるという噂が、思わぬ集客効果を生んでしまったようだ。
それでも気負わずに、聖は舞台に立っている。
芝居が始まる直前、舞台裏で一同は聖と話すことができた。
「私は呪いなんかに負けませんから。フォロー、よろしくお願いしますね」
気丈に微笑む聖を抱きしめ、咲は自らの髪を結っていたリボンをほどく。それを手渡し、聖の顔をのぞき込むようにゆっくりと告げた。
「これ、幸運のお守りなの。御利益があるのよ。だから今日は絶対、成功するわよ!」
陰陽師としての咲が、結界術を施したリボンである。
聖はそれを受け取ると、衣装のホットパンツから伸びた太股にガッチリと結んだ。
「じゃあ私は、客席の方から様子を見てるわ。何かあったらすぐに連絡する」
いざというとき目立たずに行動できるように、という優姫の配慮で、黒いワンピースを着たシュラインが、優姫と弥琴の肩を叩く。
もちろん優姫と弥琴も黒を基調とした服を身につけている。
3人は視線を交わし、大きく頷くと、それぞれの持ち場に移動した。
優姫と弥琴の担当場所は、上手(かみて)の舞台袖である。
「何か変なことがあったら、すぐに教えてね、優姫さん」
クイクイと服のすそを引っ張る弥琴に、優姫は静かに微笑んだ。
そして、特殊効果の担当である咲は、下手(しもて)にスタンバイする。
物語は、終焉が迫っていることを知ったキュロが旅に出る場面にさしかかった。
『私は、神様に会いに行くよ。世界を終わらせないでもらうんだ』
客席から舞台を見守るシュラインは、ずっと違和感を感じていた。
聴力とヴォイスコントロールに自信のあるシュラインだからこそ気付いたのだろうが――
(何か、音楽に声が…?)
先程から、要所要所でかかる音響に、音楽以外のものが混じっている。
シュラインは、両の耳に手を添えて、目を閉じた。
(汚れた世界を終わらせて、我らの手で新しい世界を――)
同時に、弥琴も異変に気付いた。
一度聞けば大抵の音楽は記憶できる弥琴にも、その声が届いたのである。
「優姫さん、このテープおかしいよ…!」
「えっ…?私には、何も…」
歯噛みする弥琴に、優姫はどうしてやることもできない。
『ねぇニドム。神様って、本当にいるのかな?』
いよいよ終焉が近づいた世界で、キュロは精霊ニドムに問いかける。
旅の途中で知り合った精霊は、力なく首を振った。
『わからない。でも僕はもう…この旅を続けるのは無理だ』
そう言って去るニドム見送り、キュロは道ばたに崩れ落ちる。
「弥琴ちゃん、優姫さん、大変…テープに呪文が吹き込まれてるわ!」
客席から舞台裏に駆け込んできたシュラインが、大きく肩で息をしながら説明した。
「でも、練習の時には――」
異常はなかったのに、と言い募ろうとする弥琴の隣で、優姫がハッと顔を強ばらせる。咲は何と言っていただろうか?
「練習用のテープと本番用のテープは違うんですよね?ならば、本番用にのみ呪文が吹き込まれているのでは…?」
そう、ご丁寧にも美理は練習用と本番用のテープを別に作っていたのだ。
だとすれば、練習中に異常が発生しないのにも頷ける。
「要するに、洗脳よ…きっと、このままだと会場にいる全員に、何らかの異常が発生するはず…」
「でも、全員が死に至るような呪いなのかしら?」
慌てるシュラインに、弥琴の冷静な指摘が飛んだ。その手はしっかりとシュラインの手を握っている。
「落ち着いて、シュラインさん。弥琴たちがしっかりしなくちゃ」
「例えば小さな呪いだったとしても、この場にいる全員の分を誰か1人が一身に受けたら――」
独り言のような優姫のつぶやきに、シュラインと弥琴が顔を強ばらせた。
その時、パタパタと音を立てて、下手から舞台裏の通路を通って咲がやってくる。
「なに、どうしたの!?」
特殊効果の仕事は、別の生徒に任せてきた。咲は3人の顔をぐるりと見回す。
「何かあった?」
「あの…四方さんのお姉さんは、霊感体質だったのでしょうか?」
呪いをかけたのは、台本を書いて音響のテープを作った美理だ。
彼女は、世界が終わることを願っていた。
だが、世界は終わらず、望が死んで、この呪術にはあっけない幕切れが訪れる。
「もし、会場中に広がった呪いを全て、お姉さんが自分の身に集めたのだとしたら…?」
そのために、望は死んだのではないだろうか?
物語は、クライマックスを迎えようとしていた。
間もなく世界は終わる。力尽きかけるキュロの、儚き祈りが木霊する。
『神様、もし貴方がいるのなら、どうか私の話を聞いて下さい――』
音楽も、徐々に大きくなっていく。
「とにかく、あの曲を止めましょう」
シュラインが言って、音響席の方に走っていこうとする。それを静かに制止し、優姫が右手をかざした。
照準は、音響席にあるテープレコーダーに合わせる。
ガシャンという耳障りな音が響き、ぷつりと音楽が途切れた。
優姫の超能力は、破壊に対して絶大な効果を誇る。
「やった――」
弥琴たちの歓喜の声は、すぐに悲鳴に変わった。
次々に舞台の天井につけられたライトが割れていく。
とたんに、会場は騒然としだした。同時に、演劇部の生徒たちにも動揺が広がっていく。
何しろ、突然体育館は闇に包まれてしまったのだ。
「ごめんなさい、制御しきれなくて…」
「大丈夫、こっちはなんとかするわ」
申し訳なさそうな優姫の声に明るく答え、咲は真っ暗になった舞台の裏を、下手に向かって駆けた。
裏方スタッフ全員に渡されていた小型のペンライトで床を照らしながら、急ぐ。
その時ようやく照明スタッフが、客席の後ろの方に設置されていたスポットライトで舞台を照らしたので、舞台の様子が再び見てとれた。
聖は力尽きかけたときのまま、舞台に伏している。
「まさか――」
死んでしまったのかと息を飲むシュラインに、弥琴が、持ってきていたバイオリンケースから愛用のバイオリンを取り出しながら声をかけた。
「大丈夫、まだ死んでないわ!シュラインさん、歌って!」
「歌うって…」
「弥琴のバイオリンに合わせて、適当にハミングでいいから」
言うが早いか、弥琴の腕が美しい旋律を奏で始める。演劇部の練習に立ち会ったことがあるものだったら、すぐに気がつくだろう――音響テープにあったものと同じ曲だ。
始めは戸惑っていたシュラインも、胸を張って美声を響かせ始める。
会場のざわめきが、ピタリと止んだ。
『――泣くのはおよしなさい』
舞台上に、オーロラの色に輝く衣を身につけた姿を現した。
精一杯、力を振り絞って顔を上げるキュロの瞳が、驚愕に見開かれる。
『あなたは――』
彼女こそが――自分の目の前で慈悲深き笑みを浮かべる人物こそが神なのだと、キュロは悟った。
「あれは、久喜坂さん…」
優姫が、美しく着飾った咲に見とれながら呟いた。
よく通る声に、もともとの外見の美しさ――なんと舞台映えするのだろうか。
おそらく、とっさに『神』役の生徒と交代したのだろう。
優姫は、咲が担当するはずだった『雪』の特殊効果を、自らの能力を使って行うことにした。今度は慎重に力を制御しながら、紙吹雪を降らせる。
『神様、どうして世界は終わってしまうのですか?私はまだ生きたい…!』
キュロの必死の訴えに、神は優しく手をさしのべた。
地面を這いながら、ゆっくりとそれに向かっていくキャロ。
『この世界は、汚れすぎました。だから一度、終わらせなくてはいけないのです』
『でも私は、家族や友達のいる、この世界が好きなんです』
キャロの冷たくなった手のひらが、神のそれを握りしめる。
『ならば、もしも貴方の死で、この世界が守られるとしたら――どうしますか?』
神の言葉は、あまりにも残酷だった。
自分が死ぬか、世界が滅びるか、選択肢は二つしかないのだと――
『だったら私は――死を選ぶ』
おそらくそれは、初演の時の望の選択と同じものだ。
愛する美理の選択――『世界の終わり』と、自分の望み――『友や家族を守る』こと。
ふたつを天秤にかけた結果が、自らの死だったのだ。
すべての呪いを一身に集め、望は家族を――聖を守った。
「ねぇ、優姫さん…よく見て」
いつの間にか歌うことを止めたシュラインが、震える指先で舞台を指した。
咲の姿に、見知らぬ少女の姿が被って見える。
「あれは…望さんです!」
望の友人の家で見た写真に写っていたのと同じ、少女の姿だった。
一心不乱にバイオリンを奏でながら、弥琴は気がついた。
(望さんはこの場所に思念をとどめていたわけではなくて、聖さんにずっとついていたんだわ――)
だから、彼女の存在に気付かなかったのだ。
これほどまでに妹を思う気持ちが、強く、強く残っていたというのに――。
神はキュロを優しく抱き上げた。その頭を撫で、
『あなたの選択は、私が引き継ぎましょう』
『え――』
戸惑った声をあげるキュロに、優しく雪が降り注ぐ。
『あなたの世界を守りたいという気持ちは、しかと記憶しました。私は、あなたのような人を待っていたのかもしれません』
逆境にも負けずに、世界を終わらせないでと懇願した少女。
その少女の存在そのものが、世界を救う――。
『私は逝きますが、貴方はどうか、いつまでも元気で…』
お別れも言えずに死んでしまってごめんね、聖。今度こそ呪いは全部持って行くから、いつまでも、いつまでも元気でいてね――
『おね……ッ、神様……!!』
舞台上では、固く抱きしめあう二人を覆い尽くさんばかりの雪が舞い散る。
弥琴のバイオリンが、切なく、最後の音を奏でた――。
▼そして、新しい世界へ
碇麗香は、朝一番の編集部でモーニングコーヒーを楽しんでいた。
手元には、シュライン、優姫、弥琴、咲の調査の結果報告書が置かれている。
もちろん演劇部の舞台は、リアルで迫力ある効果や主役の演技力などが評判となり、大成功を納めたらしい。
当然、誰ひとりとして死者など出なかった。
(呪いは全て、四方望が持っていってくれたのね――)
『神』役の咲に宿った望の霊が、すべての呪いを取り払ってくれたようだ。
その証拠に、音響のテープは劇が終わった後には無くなってしまったという。
当日、体育館の一番後ろでひそかに芝居を鑑賞していた麗香は、一瞬だが、ありし日の望の姿を見た気がしていた。
(――さよなら、望)
望の最後の舞台を、網膜に焼き付けて忘れないようにしようと、麗香は固く心に誓った。
―――The world is not finished but the play was finished.
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0495/砂山・優姫(さやま・ゆうき)/女/17歳/高校生】
【0771/神楽・弥琴(かぐら・みこと)/女/13歳/バイオリニスト】
【0904/久喜坂・咲(くきざか・さき)/女/18歳/女子高生陰陽師】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、担当ライターの多摩仙太です。
この度は大変お待たせしまい、申し訳ありませんでした…!
遅くなってしまった分、皆さんに喜んでいただける要素がたくさん詰まっていると良いのですが…いかがでしたでしょうか?
どんな些細なことでも良いので、感想をお聞かせ願えると嬉しいです。
「ここは自分のキャラの設定と違うんだけどなぁ…」という意見も、今後の参考となりますので、是非お聞かせ下さいませ。
さて、今回の作品なのですが…
「OBに話を聞く」というプレイングをかけて下さった方が大半を占めたので、調査の能率をアップさせるために各キャラに別々の調査内容を振り分けました。
いずれも、プレイングに書いていただいた内容からは外れないとは思うのですが、全てを採用することができず、大変申し訳ありませんでした。
己の未熟さを痛感いたします。
シュライン・エマさん。
いつも参加していただいて、ありがとうございます。
今回は、着眼点が素晴らしく良かったと思いますよ。
偶にはと思い、不思議な体験もしていただきましたが…いかがでしたか?
それでは、また別の依頼でお目にかかれることを願いつつ、今日のところはこれにて失礼いたします。
2002.10.30 多摩仙太
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