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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


時空図書館

●プロローグ
 ある日の午後のことだった。
 珍しくデスクワークにいそしんでいた草間は、大きく伸びをし、コーヒーでも入れてもらおうと、零を呼んだ。だが、返事がない。怪訝に思って彼は、奥へと入って行った。家の中をあちこち覗いてみたが、どこにもいない。出掛けた様子はなかったのだが。
 怪訝に思いつつ草間は、最後に彼女の部屋を覗く。ここにも姿はなかった。ただ、ついさっきまで人のいたような気配はある。机の上には、分厚い本が広げたまま置かれ、その上に、小さな紙片が乗っていた。
 草間は、眉をひそめてそれを拾い上げた。そこには、印刷した文字で、
「零さんをお預かりします。迎えに来ていただければ、お返しいたします」
と書かれていた。署名は「時空図書館管理人、3月うさぎ」となっている。
 最初は零のいたずらかと思ったものの、広げられた本を見やって、草間は目を見張った。そのページには、広大な図書館の一室らしい絵が描かれており、その中に、書架に背を預けて本を読んでいる零の姿があったのだ。
 どうやら、零は何らかの不思議現象に巻き込まれてしまったらしい。草間は小さく溜息をついた。
「しかたない。迎えに行くか。……といっても、一人じゃどうやってこの図書館へ行ったらいいかもわからないしな……。誰か、助っ人を呼ぶしかないか……」
低く呟き、彼は助っ人になりそうな連中に電話をかけ始めた。

●草間興信所の前にて
 電話を受けて、笹倉小暮が草間興信所に出向いてみると、玄関に一人の女性がいるのが見えた。長い金髪と緑の目、白い肌というその姿に見覚えがあると思いながら近づいてみると、女性は、以前に別の仕事で一緒になったことのある、ストリートドクターのレイベル・ラブだった。
「こんにちは。レイベルも草間に呼ばれたんだ」
のんびりと声をかけると、彼女はちょっと怪訝そうに首をかしげ、だが、すぐに彼を思い出したのか、愁眉を解いた。
「ああ……いつかの廃病院の時の……。もしかして、あなたも草間に呼ばれたのか?」
「うん」
「なら、無駄足だったな。事務所に入れないんだ」
うなずく小暮に、レイベルは言った。
「入れないって……でも、俺、ついさっき電話もらったとこだよ?」
小暮は、小さく首をかしげて言うと、目の前にあるドアを開けようと試してみる。だが、たしかにドアは鍵が掛かっているのか、押しても引いてもびくともしない。中へと声をかけてもみるが、しんと静まり返ったままで、返事はなかった。
「な?」
「うん。……でも……」
レイベルにうなずき、珍しく小暮は考え込む。普通、他人をわざわざ電話で呼びつけておいて、留守をするだろうか。しかも、電話があって、小暮はすぐに出て来たから、さほど時間も経っていない。
 考え込んでいた小暮は、人の気配にふとふり返った。まだそう寒い季節でもないのに、黒いコートを衿を立ててまとい、つば広の帽子を目深にかぶった、見るからに怪しげな男が一人、こちらに近づいて来るのが目に入った。男は、まっすぐに彼らに歩み寄ると、草間から呼ばれたのかと、声をかけて来た。
 レイベルがそうだと答えると、男は探偵の無我司録と名乗り、自分も草間に呼ばれて来たのだと告げる。何をしているのかと問うので、今度は小暮が、中に入れないのだと話した。
「入れない? まさか、留守というわけでもありますまい。我々を、電話で呼んでいるわけですからな……」
呟くように言う無我に、レイベルが肩をすくめて返した。
「そういうのじゃなく、たぶん、何らかの呪術的な空間の中に、事務所が封じられている。時空図書館とやらに、取り込まれてしまったのかもしれない」
「ほう?」
無我は、わずかに驚いたような声を上げる。
小暮は、黙って二人の会話を聞いていたが、レイベルの言葉に、なるほどと胸の中で単純に感心する。
「だが、なんにせよ、事務所に入れないのでは、話になりませんな」
無我が、事務所のドアを見やって言う。
「中に入る方法は、なくはない」
レイベルは、自信ありげに言い出した。
「特殊な、呪的歩法があるのさ。それを使えば、どうにかなる。だが、あなたたちが私が歩く通りについて来られるかは、疑問だな」
「そうですな。私には、呪術の素養などありませんが……見よう見真似で、どうにかなるかもしれません」
少し考え、無我は答える。
 彼の言葉に、小暮も少し考えてから、のんびりとした声を上げた。
「俺も、なんとかなると思うな〜」
そこで、彼らはレイベルを先頭に、彼女が歩く通りの歩き方でもって、その後をついて行くことになった。もしも見ている人間がいれば、それはなかなか、奇妙な光景だったろう。だが、幸い、誰も通りがかる人間はいない。
 小暮と無我は、レイベルにならって、数歩進んではまた戻り、一ヶ所を何回もぐるぐると歩き回り、時には蛇行し、また戻りと奇妙な歩行を繰り返した。
 だが、そうやって歩き回った後、やっと足を止めたレイベルが、事務所のドアに手をかけると、ドアは、難なく開いたのだった。

●事務所内
 草間興信所のドアをくぐったと思った途端、小暮は、零の部屋に立っていた。
(あれ?)
一瞬、何がどうなったのか理解できず、彼はきょとんとしてあたりを見回した。後ろを振り返ってみたが、ドアは固く閉められており、レイベルと無我の姿はどこにもない。
(もしかして、まだその『呪術的空間』とかってのの中にいるのかなあ)
ぼんやりと、そんなことを考える。そして、今の状況もなんとなく『不思議の国のアリス』に似ているなあとも思った。それは、草間から電話をもらった時にも思ったことだ。
 電話があった時、彼はちょうど、『不思議の国のアリス』を読んでいた。そのせいもあって、話を聞いた時に、とっさに「似ている」と思ったのだった。むろん、《3月うさぎ》という名前のせいもあっただろうが。
 机の上には、草間からの電話にあった通り、分厚い本が、ページを開いたまま、置かれている。彼は、ともかく、それを調べてみようと、そちらへ歩み寄った。
 そのページは、右側に文章が綴られ、左側には図書館の一室に、書架を背に本を読み耽っている零の姿を描いた絵があった。零は、読書に熱中している様子だ。
 右側のページに綴られた文章は、どうやら時空図書館の説明らしかった。小暮は、その文章を読み下した。
「時空図書館――世界中の、さまざまな時代の書物を全て収蔵しているといわれる伝説の図書館。世界中のあらゆる場所・あらゆる時間とつながっているといわれ、そこに行きたいと真に望みさえすれば、その扉は開かれるともいわれる。中は迷路状になっており、意志の力が行く場所を決めるともいわれている。そのため、意志の弱い者は、一度入ったが最後、二度と出られないとの伝説もある。一説には、エドガー・ケイシーやノストラダムスなどの、有名な霊媒や預言者は、自在にこの図書館に出入りして、そこから必要な時に、必要な知識を得ることができたので、一般人の目からは、不思議な技を持つ者と見えたのだともいわれている」
そこには、そう書かれていた。
(ふうん。じゃあ、もしかしたら、この絵が扉になっているかもしれないんだ)
胸に呟き、彼は、絵に向かって間延びした調子で、声をかけた。
「すいませ〜ん、入れてくれませんか?」
なんとも間抜けな図だが、彼にしてみれば、親切に置手紙を残して行くような人物なのだから、頼めば入れてくれるかもしれない、という発想があった。
 だが、何も起こらない。彼は小さく首をかしげ、もう一度声をかけようと、絵のある方のページに手をついて、身を乗り出した。その途端。
(えっ?)
ついた腕が、絵の中にめり込むような感触があって、慌てて手を引いた彼は、周囲を見回し、さすがに愕然となる。いつの間にか、周囲の様子は一変していたからだ。

●広大な図書館
 気がつくと、小暮は、建物の中二階に立って、階下に広がる図書館を見下ろしていた。図書館といっても、かなりの広さがある。もしかしたら、彼が通っている高校の体育館より広いかもしれない。しかも、図書館はその部屋の向こうにもまだ続いているようだ。
 その広い中に、整然と書架が並べられ、所々に読書用の長方形のテーブルと椅子も置かれている。小暮がいる中二階も、けっこう広く、壁には造り付けの書架があって、読書用の丸テーブルと椅子が並べられていた。
「もしかして、これが時空図書館なのかなあ。すごいな〜」
小さく感嘆の声を上げ、小暮はさっそく、中二階の本を見て回り始めた。彼は、これでも本好きだったし、図書館の雰囲気も好きなのだった。そもそも、彼が草間の依頼を引き受けたのは、零救出よりも、単純にここに来てみたいと思ったことが大きかった。
 書架に並べられている本は、どれも彼が初めて読む本ばかりだった。中には、以前から読みたいと思っていて、読めなかったような本もある。
 何冊かを選んで、丸テーブルに運び、椅子に腰を降ろして読み耽った。
 零の救出に関しては、あの絵を見る限りでは、何の危険もないように思えたし、何より、常に危機を知らせてくれるくしゃみが出ない。とりあえず、心配ないだろうと考えていた。ので、彼は自分の欲求の方を優先することにしたのだった。
 本を読むのに飽きると、今度は階下へ下りて、そちらを探索して回り始めた。こちらでは、小さい頃に読んだことのある本を数冊見つけ、改めて、読み耽ったりもした。
 更に彼は、観音開きの扉を抜けて、隣の部屋へも行ってみた。こちらも、最初の部屋と同じような広さで、同じような造りになっている。
 書架の間を歩き回りながら、小暮はふと、あの机の上に広げられていた本の一節を思い出した。
(『意志の弱い者は、一度入ったが最後、二度と出られない』……かあ。それ、わかるかも。こんなに一杯本があったら、家に帰らないで、ずうっと本を読んでいたいって気になるもんねえ)
のんびりと胸に呟く。蔵書の分量もだが、どの本を手に取っても「ハズレ」がないのだ。ここに足を踏み入れた者が本好きならば、夢中になって当然だろう。
(でも……それってちょっと変だよねえ。だって、手にする本全てが俺の興味のある本だ、なんて……)
小暮は、小さく首をかしげた。
 ある程度大きな図書館や書店を利用しても、目当ての本がある場合は別として、そうではなく、漠然と本を探していて好みの本に当たるのは、かなり確率が低い。面白そうだと思って読んでみても、期待はずれのこともある。だのに、ここでは、ほとんど百発百中だ。
 小暮は、しばらく首をかしげていたが、
(ま、いっか〜)
気にしないことに決めて、再び歩き出す。
 その後も彼は、探索を続け、やがて、その部屋の中二階にまでたどり着いた。中二階には、別の部屋へ下りて行く階段がついており、どうやら、そちらにも今まで同様の場所が広がっているらしい。だが、さすがに彼も疲れ果てていた。歩き回って喉も渇いているし、何より空腹だった。椅子に腰を降ろし、思わず呟く。
「おなか空いたな〜」
途端、彼の周囲の風景は、小さく揺らいで、いきなりかき消えた。

●3月うさぎの部屋
 小暮は、思わず目をぱちくりさせた。再び彼は、さっきからとは全然違う風景に取り囲まれていたからだ。
 今度の場所は、優雅な雰囲気に整えられた、こじんまりした一室だった。アンティーク風のテーブルと椅子が並べられ、その椅子の傍に、一人の青年が立っていた。
 一見すれば、25、6歳といったところだろうか。ほっそりとした体には、白い中国風のゆったりした衣服をまとっている。薄紅色の髪の間から、耳が覗いていたが、それは途中から羽と化し、まるで飾りのようだった。彫りの深い、整った顔立ちをしており、目は、髪と同じ薄紅色だ。
 更に、小暮の隣には、レイベルが、少し前の方には無我が立っていた。レイベルは、なぜか手に巨大なハンマーを握っており、青年に向かって喚く。
「おまえが、あの兎どもの親玉だな!」
そのまま、殴りかかろうするのへ、小暮は間延びした声をかけた。
「あの〜、その人、兎じゃないよ」
彼は単に思ったことを口にしただけだったが、レイベルは毒気を抜かれたのか、手にしたハンマーごとたたらを踏んで、その場にどうっと倒れた。幸い、椅子やテーブルを避ける形で倒れたので、部屋に被害はないようだ。
 それを見やって、無我が小さく肩をすくめた。
「お二方にも、説明する方がいいのではありませんかな? ……でないと、そちらのお嬢さんは、この部屋をめちゃくちゃにしてしまいかねないと思いますが」
嗚咽するような、独特の笑い声を響かせて、彼は忠告とも取れる言葉を口にする。
 青年は、小さく肩をすくめて、よろよろと立ち上がったレイベルと小暮に向かって口を開いた。
「私は、時空図書館の管理人で、《3月うさぎ》と申します。もちろん、ただの通り名ですがね。レイベル・ラブさんと、笹倉小暮さん……ですよね? おかしな招待の仕方になってしまったのを、お許し下さい。ここは、人間以外のものはセキュリティが掛かっていて、弾いてしまいますのでね。異質な存在であるあなた方を、できるだけスムーズにこちらへ来させるために、こうせざるを得なかったのです」
どうやら、彼が言っているのは、草間興信所が異空間に取り込まれていたことや、そこから、場所を転々とさせられたことについてらしい。
 だが、小暮にとっては、あの図書館はけっこう楽しい場所だったので、あまり気にしてはいない。それよりも、この空腹をどうにかしたい。
 彼が、何か食べ物はないのかと訊こうとした時、《3月うさぎ》は、ふと何か外の物音を聞くような仕草をした。
「どうやら、他の方々も到着したようです。ここで少し待っていていただければ、すぐにお会いできますよ。あなた方が迎えに来た、草間零さんにもね」
言って、彼らの返事も待たずに、そのまま部屋を出て行ってしまう。小暮は空腹を我慢するしかないかと、小さく溜息をつく。
 後に残された三人は、思わず顔を見合わせた。
「結局、何、私らはあの兎野郎に踊らされていたってわけか?」
最初にむっつりと口を開いたのは、レイベルだった。彼女は、ハンマーを部屋の隅にころがすと、勝手に椅子に腰を降ろす。
「そのようですな」
うなずきつつ、無我も彼女にならって椅子に腰を降ろした。小暮は、空腹だし疲れてもいたので、ソファの方に腰を降ろして手足を伸ばした。のほほんと笑って言う。
「でも、零は無事みたいだし〜」
「無事かどうかなんて、わかるもんか。あの兎野郎が勝手に言ってるだけだろ」
乱暴にテーブルの足を蹴飛ばして、レイベルが返した。小暮は、ちょっとびっくりして彼女を見やる。
(何か、嫌なことでもあったのかなあ)
そういえば、現れた時から不機嫌だったと、今更ながらに思う。
 そんな二人に苦笑しながら、無我が訊いて来た。
「事務所のドアをくぐった後、お二方は、どうされたのですかな?」
「どうもこうもあるもんか。気がついたら、私一人になってて、でも、中に草間がいたから、奴と話したんだ。そしたら、零の部屋へ連れて行かれて、本の絵に触ったら、また別の所にいて……」
腹立たしげに言いかけて、彼女は途中で口をつぐむ。あまり、話したくないらしい。
 小暮も、ぼやーっと笑ってうなずいた。
「俺もそう。気がついたら、一人になってて、零の部屋にいたんだ〜。で、本の絵に触ったら、別のとこにいてね〜、俺は、けっこう面白かったよ。でも、広いから、歩き回っておなか空いちゃって。『おなか空いたな〜』って言ったら、ここにいたんだ」
答えた後、無我にも、その後どうしていたのか訊くべきだろうか、とちょっと考えてみる。だが、結論が出ないうちに、《3月うさぎ》が戻って来た気配があった。

●お茶会
 戻って来た《3月うさぎ》は、言葉通り、零を伴っていた。もっとも、一緒に来たのは、彼女だけではない。草間と、翻訳家で、時々事務所のバイトをしているシュライン・エマ、それに陰陽師の真名神慶悟の三人を連れていた。《3月うさぎ》の言っていた「他の方々」というのは、彼らのことだろう。
「おまえたち、なんでここにいるんだ?」
小暮たちの姿を見るなり、草間が声を上げた。
「それはこっちの台詞だ。私らは、妙な空間に入り込んで、苦労したっていうのに……」
レイベルが、恨みがましい顔で草間に言葉を返す。
「レイベルさん……あれは何も、草間さんのせいじゃありませんよ」
無我が、笑いに肩を揺らせて横から言った。
「でも……」
口をとがらせるレイベルに、小暮ものんびりと言う。
「そうそう。それに、ちゃんとここにたどり着いて、草間とも会えたんだし〜、零も無事みたいだし〜、いいんじゃないの?」
だが、彼にまでそう言わて、レイベルはふくれっ面になる。
 草間は、苦笑して「すまなかったな」とだけ言った。
 《3月うさぎ》は、そんな草間たちに席に着くよう促した。そして、零に手伝ってもらって、彼らにそれぞれ紅茶のカップと焼きたてのスコーンの皿を配る。
 いわゆる、英国風のアフタヌーンティーだ。紅茶とスコーンの芳ばしい香りが室内に広がり、空腹だった小暮は、すぐに出されたものに手をつけようとした。だが、まだ幾分警戒気味に草間が口を開いたので、手を止める。
「おまえが零を誘拐したわけじゃないんだな?」
草間は、真剣な口調で訊いていた。
「しませんよ、そんなこと。ただ、零さんがあの本を見て、ここへ来たいと言っていたので、お誘いしたまでです。その際に、あなたに心配をかけたくないというので、私があのメモを残したのです。……まあ、多少、紛らわしい書き方をしたことは認めますがね」
にこやかに答えた《3月うさぎ》は、最後にそう笑って付け加えた。
「紛らわしいどころじゃないぞ。俺はてっきり……」
草間は、むっつりと相手を睨んで言いかけるが、零がすまなそうな顔でこちらを見ているのに気づき、残りの言葉を口の中に飲み込んだ。
 それを見やって、《3月うさぎ》はまた、声をたてて笑う。
「すみません。でも、おかげで、お友達を連れて来て下さった。お茶の時間は賑やかな方がいいですからね。うれしいですよ。いっそ、最後まで悪役で通して、あなた方と、大決戦を繰り広げるというのも、面白いかと思ったんですが……それをすると、この図書館の空間も危険ですし、あなた方もセキュリティに弾かれてしまいかねませんからね。断念しました」
言って、彼らに紅茶を飲むように勧める。
 今度こそ、小暮は紅茶のカップを手に取った。まず、喉の渇きを癒した後、空腹を満たしにかかる。紅茶もそうだが、スコーンもなかなか美味しかった。彼は、リンゴのジャムをたっぷり塗ってそれをほうばった。
 そうして、腹が満たされると、彼はやっと、他のことを考える余裕ができた。
(そういえば……《3月うさぎ》って、なんで俺の名前を知ってたんだろう? それに、異質な存在って……)
《3月うさぎ》の言葉を思い返して、無我とレイベルに視線を巡らせる。二人とも、ごく普通にお茶とお菓子を楽しんでいるようだ。が、無我は、見るからに怪しげな人間ではなさげな雰囲気だったし、レイベルがとんでもない怪力の持ち主だということを、彼は知っている。なので、二人に関しては、その言葉も間違っていないとは思う。しかし。
(俺は、普通の人間なんですけど……?)
どうして自分が、この「異質な存在」のグループに入れられたのかが、謎だった。
 だが、少し考えてみて結局わからなかったので、気にしないことにする。《3月うさぎ》に尋ねてみてもいいが、ちゃんと教えてくれるとは思えなかった。
(もしかしたら、なんかの手違いかもしれないし)
そう結論付けて、再び食べることに専念し始める。
 他の者たちも、それぞれ食べ物を口にして、なんとなく人心地がついたような雰囲気だ。
「この時空図書館は、いったい何なんだ? あの蔵の中にあった巻物は、本物なのか?」
ややあって、慶悟が問うた。
「あなたが見たものに限らず、ここの蔵書は、本物であってそうではないものです」
《3月うさぎ》は、紅茶を一口、口に含んだ後、言った。
「この図書館は、時間と空間の狭間に位置していますが、ここを存在させているのは、人間の無意識です。人は、無意識の底に共通の知識や概念を持っている。それらが、この図書館の建物を構築し、蔵書の数々を存在させているのです。……もともと、本自体が人間の無意識を刻みつけ、形にしたものですからね。人の無意識は、『文字』に刻まれることで形を成し、『本』となって一つの世界を形作る」
言葉を切って、彼は肩をすくめた。
「だから、ここに来た人は、自分自身が見たいと望む本のある場所へ行き、そこで、自分の望む本を手にすることができるのです。ですが、それがその人のいる世界で作られた『本物』かどうかは、私には答えられませんね。なにしろ、ここでは、以前読んだことのある本は……あまり手に入りませんので」
 その言葉に、小暮は、でも自分が行った場所には、昔読んだ本もあったよなと、ぼんやり考える。もっとも、その理由はわかる気もしたが。つまりは、彼自身が望んだからだろう。同時に、なぜ、あそこにあった本がどれも「当たり」だったかに気づく。
(つまり、あそこにあった本は、俺の想像の産物だったってことかなあ。……でも、そうだとしたら、そっか〜、『意志の弱い人は二度と出られない』って、そういうことなんだ〜)
彼は、一人納得して心に呟く。
 たしかに、意志の弱い人間にとっては、自らの想像の産物に溺れることほど、容易いことはないだろう。小暮は、そのことにも改めて気づいたのだった。
 だが、ふと別のことにも気づいて、彼は天井をふり仰ぐ。
(俺、『おなか空いたな〜』って言ったら、あそこから出られたんだっけ。ってことは、俺の食欲って、本好きよりも、勝ってるってことかな〜)
そんなことを再度心に呟いて、「俺の食欲って、すごいかも」などと考え、彼はちょっとだけ悦に入った。そして、その偉大な胃に感謝すべく、スコーンの最後の一つにかぶりついた。

●帰還
 しばしのお茶の時間を過ごした小暮たちは、やがて、《3月うさぎ》に見送られて、時空図書館を後にした。
 彼らが戻った先は、草間興信所の零の部屋である。むろん、今度こそ本当の事務所の中だ。扉は、机の上に広げられた本の中の絵だった。
 戻ってから見た絵には、もう零の姿はなく、代わりに、《3月うさぎ》がにっこり笑って、こちらに片手を上げている図が載っていた。彼の話では、絵を描いた人物もまた、時空図書館に行きたいと望んでいたために、零の望みと同調して、そこが扉になったのだろうという。
 零は、本を閉じると、一同をふり返った。
「今日は、皆さんにまで心配をかけて、本当にすみませんでした」
言って、ぺこりと頭を下げる。
「気にしなくていいわよ。結局、武彦さんの早とちりだったんだし」
「と言うより、あの男の悪戯だろ」
笑って言うシュラインに、レイベルが肩をすくめて付け加えた。
「どっちにしろ、無事だったんだから、よしとしよう」
「紅茶も、お菓子も美味しかったし〜」
取りなすように言う慶悟に、小暮が、のほほんとした声を上げる。
「変わった体験も、できましたしね……」
無我が、相変わらずの嗚咽するような笑いと共に付け加えた。
「みんなの言う通りだな」
草間もうなずいて、軽く零の頭に手をやった。
 零は、その草間を見上げて、安心したように微笑んだ。そして、そっと机の上の本を手に取る。
「でも、またあそこへ遊びに行きたいなあ……」
思わず、という風に漏らした彼女の言葉に、その場の全員が顔を見合わせた。
 零は、随分とあそこが気に入ったらしい。小暮は、少し考え心の中で零に同意する。
 自分の想像の産物だと言われても、あの図書館は、ただ歩き回るだけでも充分楽しかった。願うだけで行きたい場所へ行けるなら、他の部屋へも行ってみたいとも思う。それに何より、あの紅茶とお菓子は美味しかった。
(もし、また零があそこへ行くんだったら、その時には、俺も連れてってほしいなあ。そうだ、後で、こっそり零に頼んでおこうっと)
そう決めて、彼は一人ほくそ笑むのだった――。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0990/笹倉小暮/男性/17歳/高校生】
【0389/真名神慶悟/男性/20歳/陰陽師】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0441/無我司録/男性/50歳/自称探偵】
【0606/レイベル・ラブ/女性/395歳/ストリートドクター】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。織人文です。
依頼に参加していただきまして、ありがとうございます。
今回は、かなり長くなってしまいました。
更に、草間を含めて6人が一度に動くと収集がつかないため、
二組に分けさせていただきましたが、いかがだったでしょうか?
少しでも、楽しんでいただければ幸いです。

なお、予定していました「カメリア・ランプ SIDE B」の
依頼アップは、申し訳ありませんが、11月に入ってからとさせていただきます。
まことに申し訳ありません。

●笹倉小暮さま
2回目の参加、ありがとうございます。
今回は、無我司録さま&レイベル・ラブさまと行動を共にしていただきましたが、
いかがだったでしょうか?
小暮さまの、のんびりした感じや、周囲とのギャップなど、楽しく書かせていただきました。
また、機会がありましたら、よろしくお願いいたします。