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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


時空図書館

●プロローグ
 ある日の午後のことだった。
 珍しくデスクワークにいそしんでいた草間は、大きく伸びをし、コーヒーでも入れてもらおうと、零を呼んだ。だが、返事がない。怪訝に思って彼は、奥へと入って行った。家の中をあちこち覗いてみたが、どこにもいない。出掛けた様子はなかったのだが。
 怪訝に思いつつ草間は、最後に彼女の部屋を覗く。ここにも姿はなかった。ただ、ついさっきまで人のいたような気配はある。机の上には、分厚い本が広げたまま置かれ、その上に、小さな紙片が乗っていた。
 草間は、眉をひそめてそれを拾い上げた。そこには、印刷した文字で、
「零さんをお預かりします。迎えに来ていただければ、お返しいたします」
と書かれていた。署名は「時空図書館管理人、3月うさぎ」となっている。
 最初は零のいたずらかと思ったものの、広げられた本を見やって、草間は目を見張った。そのページには、広大な図書館の一室らしい絵が描かれており、その中に、書架に背を預けて本を読んでいる零の姿があったのだ。
 どうやら、零は何らかの不思議現象に巻き込まれてしまったらしい。草間は小さく溜息をついた。
「しかたない。迎えに行くか。……といっても、一人じゃどうやってこの図書館へ行ったらいいかもわからないしな……。誰か、助っ人を呼ぶしかないか……」
低く呟き、彼は助っ人になりそうな連中に電話をかけ始めた。

●草間興信所の前にて
 電話を受け、レイベル・ラブが草間興信所に出向いてみると、事務所のドアはどうやっても開かず、声をかけても返事がないという状態だった。だが、留守ではないのは理解できた。何より、周囲の空間がなんとなく妙な感じである。
 彼女が考え込んでいるところへ、笹倉小暮が、続いて無我司録が姿を現した。
 笹倉小暮は、長身で垂れ目の高校生だ。相手に言われて、彼女も以前仕事で一緒になったことを思い出した。その時も思ったが、今回も、どうして草間がこんなただの少年に助っ人を依頼したのか、よくわからない。
 一方の無我司録は、探偵と名乗ったが、さほど寒くもないのに、黒いコートを衿を立てて着込み、黒いつば広帽子を目深にかぶった、いかにも胡散臭い感じの男だった。だが、同時に彼からは、何らかの力を感じるので、草間に呼ばれたという言葉自体は、簡単に信じることができた。
 レイベルが小暮と首をひねっているところへやって来た無我は、小暮が中に入れないのだと言うと、呟くように返した。
「入れない? まさか、留守というわけでもありますまい。我々を、電話で呼んでいるわけですからな……」
レイベルは、肩をすくめる。
「そういうのじゃなく、たぶん、何らかの呪術的な空間の中に、事務所が封じられている。時空図書館とやらに、取り込まれてしまったのかもしれない」
「ほう?」
無我は、わずかに驚いたような声を上げる。が、すぐに事務所のドアを見やって言った。
「だが、なんにせよ、事務所に入れないのでは、話になりませんな」
「中に入る方法は、なくはない」
レイベルはおもむろに言う。
「特殊な、呪的歩法があるのさ。それを使えば、どうにかなる。だが、あなたたちが私が歩く通りについて来られるかは、疑問だな」
 いかにももったいぶって言ったものの、実を言えば、彼女にも本当にどうなるのかは、わかっていなかった。事務所へ入れない原因は、彼らにも言った通り、呪術的空間に封じられてしまっているせいだが、どうすれば中に入れるかは、彼女にも見当がつかないのだ。だが、ここでそう告げるのも、何やら格好が悪い気がする。それに、呪的歩法を使うのが、封じられた空間に入るのには、最も効果的だというのも、嘘ではない。
 彼女の言葉に、無我は、少し考え言った。
「そうですな。私には、呪術の素養などありませんが……見よう見真似で、どうにかなるかもしれません」
「俺も、なんとかなると思うな〜」
のんびりと、横から小暮が声を上げた。
 そこで、レイベルは二人を従えるようにして、呪的歩法で歩き始めた。もしも見ている人間がいれば、それはなかなか、奇妙な光景だったろう。だが、幸い、誰も通りがかる人間はいない。
 レイベルは、小暮と無我を従えて、数歩進んではまた戻り、一ヶ所を何回もぐるぐると歩き回り、時には蛇行し、また戻りと奇妙な歩行を繰り返した。
 だが、そうやって歩き回った後、やっと足を止めたレイベルが、事務所のドアに手をかけると、ドアは、難なく開いたのだった。

●事務所内
 草間興信所のドアをくぐると、事務所には、草間の姿があった。いるのは、彼一人きりだ。
(呼んだのは、私ら三人だけか?)
なぜだか、妙な感じがして胸に呟き、ふと後ろをふり返ると、一緒にいたはずの、小暮と無我はいなくなっていた。
(途中で、歩き方を間違えたか……)
眉をひそめた彼女は、そう考えた。彼女が使った歩法は、一歩でも歩き方を間違えると、目的地に着けず、迷ってしまう。
(あの連中なら、大丈夫という気もするが……後で助けに行ってやるか)
二人の顔を脳裏に思い浮かべて小さく吐息をつくと、彼女は草間に歩み寄った。
「待ったか?」
「いや……そうでもないが……何かあったのか?」
かぶりをふって問い返され、彼女はわずかに眉をしかめた。
「気づかなかったのか? この事務所も時空図書館とやらに、取り込まれていたようだぞ。だが、とりあえず、私が呪的歩法で事務所を封じた空間に道を通したからな。呪的空間も崩れるだろう」
「迎えに行かなくても、零は戻って来る、と?」
言われて、草間が問う。
「ああ」
うなずきながら、彼女は草間の様子が電話から受けた印象と違うことを、奇妙に思っていた。
 電話の向こうの草間は、もっと取り乱していた。零が何者かに誘拐されたのではないかと、案じているようだった。普通の人間ではない零を誘拐できるような相手なら、連れ去られた彼女が、どんな目に遭っているかもわからない、という風に。
 だのに、今レイベルの目の前にいる草間は、やけにおちついていた。
 そんな彼女の思いには気づかないのか、草間は立ち上がると、零の部屋へ行ってみようと言い出した。彼女もうなずき、共に、奥へ向かう。
 だが、そこには誰もいなかった。草間からの電話にあった通り、机の上に、分厚い本がページを広げたまま置いてあるだけだ。
(やはり、あれだけでは解放されなかったのか?)
レイベルは眉をひそめて、そちらへ歩み寄り、ページを覗き込んだ。
 そのページは、右側に文章が綴られ、左側には図書館の一室に、書架を背に本を読み耽っている零の姿を描いた絵があった。零は、読書に熱中している様子だ。
 右側のページに綴られた文章は、どうやら時空図書館の説明らしかった。レイベルは、その文章を読み下した。
「時空図書館――世界中の、さまざまな時代の書物を全て収蔵しているといわれる伝説の図書館。世界中のあらゆる場所・あらゆる時間とつながっているといわれ、そこに行きたいと真に望みさえすれば、その扉は開かれるともいわれる。中は迷路状になっており、意志の力が行く場所を決めるともいわれている。そのため、意志の弱い者は、一度入ったが最後、二度と出られないとの伝説もある。一説には、エドガー・ケイシーやノストラダムスなどの、有名な霊媒や預言者は、自在にこの図書館に出入りして、そこから必要な時に、必要な知識を得ることができたので、一般人の目からは、不思議な技を持つ者と見えたのだともいわれている」
そこには、そう書かれていた。
(ということは……この絵のが扉になっているってこともあり得るわけだ)
胸に呟き、そっと手を伸ばし、指先で絵をなぞるようにした。途端、あたりの風景が大きく揺らぐ。
(えっ?)
思わず目をしばたたき、彼女は周囲を見回した。その視界から、零の部屋が消えて行き、同時に、草間の姿もかき消えた。

●兎叩きの迷路
 気がつくと、レイベルは、背の高い生垣で形作られた通路の入り口に立っていた。いわゆる、英国風の庭園というやつだ。入り口には、看板が立っている。
「ご来園の皆様へ。この通路には、性質の悪い野兎が何匹か隠れています。悪戯をして、人を困らせる兎なので、ハンマーで殴って退治て下さい。中は迷路になっていますので、くれぐれも迷わないようにお気をつけて」
そう書かれているのを読み、レイベルは、眉をひそめた。
「なんだ、これは」
だが、見れば看板の下には巨大なハンマーが置かれてあった。普通の女性には、とうてい無理そうだが、レイベルは軽々とそれを持ち上げた。彼女は、怪力の持ち主だ。肩に担ぐようにして、通路へ足を踏み入れる。
 歩き出してほどなく、看板にあった通り、通路の端から、野兎が、ひょいと姿を現した。野兎は穴兎に較べると、顔が細く、足が長い。そして、その特徴からもわかる通り、けっこうすばしこいのである。
 レイベルは、見つけるなり、手にしたハンマーをふり降ろしたが、簡単によけられてしまった。何度もハンマーをふり回すが、まったくかすりもしない。
「この〜!」
頭に来て、逃げる野兎をハンマーをふり回しながら追いかける。そのうち、兎は、一匹ではなく、方々から現れ、数匹になった。
 かろうじて、その中の一匹を殴り倒し、彼女は額の汗をぬぐった。倒れた兎の耳を取って持ち上げる。そして、彼女は目を疑った。それは、本物そっくりに作られたぬいぐるみだったのだ。
「なんだ、これは?」
思わず呟いた彼女は、ぬいぐるみの兎が、口にカードをくわえているのに気づいた。手に取って読んでみる。
「迷路を抜けられたら、お茶に招待いたします。汗をかいて、おなかを空かせて来て下さい」
カードにはそう書かれ、「時空図書館管理人、3月うさぎ」の署名があった。
「兎の親玉が、人を馬鹿にして!」
わめいて彼女はカードを片手で握りつぶす。それでも、わずかに残った冷静さで、ここがどのあたりか確認するように、周囲を見回した。が、兎を追って夢中で走っていたために、どこをどう来たのか、まったく覚えていない。したがって、ここがどこなのかも、まるでわからない。彼女は、再び腹を立てて拳を握りしめたが、怒りで我を忘れては、相手の思うツボだと自分に言い聞かせ、兎のぬいぐるみを投げ捨てると、再び歩き始めた。
 もっとも、彼女はすでに自分がその「相手の思うツボ」にはまっていることには、まったく気づいていなかった。
 草間からの電話で、《3月うさぎ》の名を聞いた時、彼女は、以前治療した患者の夢の中で、出会った相手かもしれないと思った。根拠はない。ただの直感だ。その時の相手は、退屈を紛らわすために、遊び相手を欲していた。今度も、そうだと考えた。
 彼女が今ここにいるのは、そのせいなのだ。そして、あの零の部屋にあった本の内容を思い出せば、彼女にもすぐにそれと知れたし、ここから出るすべも見つかるはずだった。だが、彼女は怒りのあまり、そんなことはすっかり忘れてしまっている。
 その後も、彼女は兎の姿を追って、通路の中をぐるぐると歩き回った。だが、通路は、時に行き止まりになることはあっても、出口にたどり着くことはなく、兎は、殴っても殴っても、どこからともなく現れた。
 体力も消耗していたし、何より苛立ちは頂点に達していた。今度こそ、出口だと信じた通路の先が行き止まりだったのを目にした時、彼女の中で、何かが音立てて切れた。彼女は、座った目で、前を遮る自分の倍の高さがある生垣を睨み据えると、手にしたハンマーをふり上げた。それを、生垣めがけて、思いきり叩きつける。途端、樹木のへし折れるいやな音が響いた。
 そして、次の瞬間、彼女の周囲の風景は、いきなり全てかき消えた。

●3月うさぎの部屋
 レイベルは、一瞬、虚をつかれて目をしばたたいた。周囲の風景は、まったく違うものに変化していたのだ。
 今度の場所は、優雅な雰囲気に整えられた、こじんまりした一室だった。アンティーク風のテーブルと椅子が並べられ、その椅子の傍に、一人の青年が立っていた。
 一見すれば、25、6歳といったところだろうか。ほっそりとした体には、白い中国風のゆったりした衣服をまとっている。薄紅色の髪の間から、耳が覗いていたが、それは途中から羽と化し、まるで飾りのようだった。彫りの深い、整った顔立ちをしており、目は、髪と同じ薄紅色だ。
 更に、隣には小暮が、少し前の方には無我が立っていた。だが、その状況に呆然としたのも、一瞬のことだ。レイベルは、青年に向かって喚く。
「おまえが、あの兎どもの親玉だな!」
「あの〜、その人、兎じゃないよ」
そのまま殴りかかろうとした彼女は、間延びした小暮の声に思わず虚脱した。手にしたハンマーごとたたらを踏んで、その場にどうっと倒れる。幸い、椅子やテーブルを避ける形で倒れたので、部屋に被害はないようだ。
 それを見やって、無我が小さく肩をすくめた。
「お二方にも、説明する方がいいのではありませんかな? ……でないと、そちらのお嬢さんは、この部屋をめちゃくちゃにしてしまいかねないと思いますが」
嗚咽するような、独特の笑い声を響かせて、彼は忠告とも取れる言葉を口にする。
 青年は、小さく肩をすくめて、よろよろと立ち上がったレイベルと小暮に向かって口を開いた。
「私は、時空図書館の管理人で、《3月うさぎ》と申します。もちろん、ただの通り名ですがね。レイベル・ラブさんと、笹倉小暮さん……ですよね? おかしな招待の仕方になってしまったのを、お許し下さい。ここは、人間以外のものはセキュリティが掛かっていて、弾いてしまいますのでね。異質な存在であるあなた方を、できるだけスムーズにこちらへ来させるために、こうせざるを得なかったのです」
どうやら、彼が言っているのは、草間興信所が異空間に取り込まれていたことや、そこから、場所を転々とさせられたことについてらしい。
 ここに至って彼女も、やっとあの本の一節を思い出す。「意志の力が行く場所を決める」……まさに、彼女は己が考えた通りに、「兎と遊んでやれる」場所へ出たのだ。とはいえ、それが自分の意志だけで実現されたことではないのは明白だ。彼女は、そのことを《3月うさぎ》に問い質そうとした。その時、彼は、ふと何か外の物音を聞くような仕草をした。
「どうやら、他の方々も到着したようです。ここで少し待っていていただければ、すぐにお会いできますよ。あなた方が迎えに来た、草間零さんにもね」
言って、彼らの返事も待たずに、そのまま部屋を出て行ってしまう。
 後に残され、しかたなく問いを飲み込み、レイベルは他の二人と顔を見合わせた。だが、気持ちは収まらず、ややあって彼女はむっつりと言った。
「結局、何、私らはあの兎野郎に踊らされていたってわけか?」
彼女は、ハンマーを部屋の隅にころがすと、勝手に椅子に腰を降ろす。
「そのようですな」
うなずきつつ、無我も彼女にならって椅子に腰を降ろした。小暮は、ソファの方に腰を降ろし、のほほんと笑って言う。
「でも、零は無事みたいだし〜」
「無事かどうかなんて、わかるもんか。あの兎野郎が勝手に言ってるだけだろ」
彼のあまりに平和そうな様子がしゃくに障り、乱暴にテーブルの足を蹴飛ばして、レイベルは返した。小暮は、驚いたように彼女を見やる。
 そんな二人に苦笑しながら、無我が訊いて来た。
「事務所のドアをくぐった後、お二方は、どうされたのですかな?」
「どうもこうもあるもんか。気がついたら、私一人になってて、でも、中に草間がいたから、奴と話したんだ。そしたら、零の部屋へ連れて行かれて、本の絵に触ったら、また別の所にいて……」
腹立たしげに言いかけて、彼女は途中で口をつぐむ。自分がどんな風にあの兎どもに翻弄されたかなど、他人に言いたくない。
 小暮も、ぼやーっと笑ってうなずいた。
「俺もそう。気がついたら、一人になってて、零の部屋にいたんだ〜。で、本の絵に触ったら、別のとこにいてね〜、俺は、けっこう面白かったよ。でも、広いから、歩き回っておなか空いちゃって。『おなか空いたな〜』って言ったら、ここにいたんだ」
のんびりと答える小暮の声に、レイベルは、ますます苛立って来るのを感じた。だが、無我はどうだったのだろうかと、彼が話し出すのを待った。が、その前に、《3月うさぎ》が戻って来た気配があった。

●お茶会
 戻って来た《3月うさぎ》は、言葉通り、零を伴っていた。もっとも、一緒に来たのは、彼女だけではない。草間と、翻訳家で、時々事務所のバイトをしているシュライン・エマ、それに陰陽師の真名神慶悟の三人を連れていた。《3月うさぎ》の言っていた「他の方々」というのは、彼らのことだろう。
「おまえたち、なんでここにいるんだ?」
レイベルたちの姿を見るなり、草間が声を上げた。
「それはこっちの台詞だ。私らは、妙な空間に入り込んで、苦労したっていうのに……」
レイベルは思わず、恨みがましい顔で草間に言葉を返す。
「レイベルさん……あれは何も、草間さんのせいじゃありませんよ」
無我が、笑いに肩を揺らせて横から言った。
「でも……」
口をとがらせる彼女に、小暮ものんびりと言う。
「そうそう。それに、ちゃんとここにたどり着いて、草間とも会えたんだし〜、零も無事みたいだし〜、いいんじゃないの?」
だが、彼にまでそう言わて、彼女はふくれっ面になる。
 草間は、苦笑して「すまなかったな」とだけ言った。
 《3月うさぎ》は、そんな草間たちに席に着くよう促した。そして、零に手伝ってもらって、彼らにそれぞれ紅茶のカップと焼きたてのスコーンの皿を配る。
 いわゆる、英国風のアフタヌーンティーだ。紅茶とスコーンの芳ばしい香りが室内に広がり、少しだけ彼らはくつろいだ気分になった。だが、誰も手を出そうとはしない。まだ幾分警戒気味に、草間が口を開いた。
「おまえが零を誘拐したわけじゃないんだな?」
草間は、真剣な口調で訊いていた。
「しませんよ、そんなこと。ただ、零さんがあの本を見て、ここへ来たいと言っていたので、お誘いしたまでです。その際に、あなたに心配をかけたくないというので、私があのメモを残したのです。……まあ、多少、紛らわしい書き方をしたことは認めますがね」
にこやかに答えた《3月うさぎ》は、最後にそう笑って付け加えた。
「紛らわしいどころじゃないぞ。俺はてっきり……」
草間は、むっつりと相手を睨んで言いかけるが、零がすまなそうな顔でこちらを見ているのに気づき、残りの言葉を口の中に飲み込んだ。
 それを見やって、《3月うさぎ》はまた、声をたてて笑う。
「すみません。でも、おかげで、お友達を連れて来て下さった。お茶の時間は賑やかな方がいいですからね。うれしいですよ。いっそ、最後まで悪役で通して、あなた方と、大決戦を繰り広げるというのも、面白いかと思ったんですが……それをすると、この図書館の空間も危険ですし、あなた方もセキュリティに弾かれてしまいかねませんからね。断念しました」
言って、彼らに紅茶を飲むように勧める。
 だが、レイベルはなかなか、それらに手をつけようとはしなかった。よほど、あの迷路での経験に懲りたのだろう。他の者が食べるのを見て、やっと自分も手をつける。紅茶は上質のアール・グレイで、スコーンも美味だった。クロテッドクリームをたっぷりつけると、なかなかいける。
 こうして食べ物を口にしてみると、彼女は自分が実は空腹だったことに気付いた。苛立ちも、そこから来ていた部分があったようだ。おちついて来ると、少し考える余裕が出て来る。
(そういえば……この兎野郎は、なんで私の名前を知っていたんだ? それに、異質な存在って、私らのことを言っていたが……こいつは、どう見ても普通の人間だぞ?)
隣で美味しそうにスコーンをほうばっている小暮をちらと見やり、彼女は心に一人ごちる。が、すぐに《3月うさぎ》の言うことなど当てにならない、と決めつけ、その考えを頭の中から追い出した。
 他の者たちも、それぞれ食べ物を口にして、なんとなく人心地がついたような雰囲気だ。
「この時空図書館は、いったい何なんだ? あの蔵の中にあった巻物は、本物なのか?」
ややあって、慶悟が問うた。
「あなたが見たものに限らず、ここの蔵書は、本物であってそうではないものです」
《3月うさぎ》は、紅茶を一口、口に含んだ後、言った。
「この図書館は、時間と空間の狭間に位置していますが、ここを存在させているのは、人間の無意識です。人は、無意識の底に共通の知識や概念を持っている。それらが、この図書館の建物を構築し、蔵書の数々を存在させているのです。……もともと、本自体が人間の無意識を刻みつけ、形にしたものですからね。人の無意識は、『文字』に刻まれることで形を成し、『本』となって一つの世界を形作る」
言葉を切って、彼は肩をすくめた。
「だから、ここに来た人は、自分自身が見たいと望む本のある場所へ行き、そこで、自分の望む本を手にすることができるのです。ですが、それがその人のいる世界で作られた『本物』かどうかは、私には答えられませんね。なにしろ、ここでは、以前読んだことのある本は……あまり手に入りませんので」
 その言葉に、レイベルは、本なんか、一冊もなかったじゃないかと腹立たしく思い返す。むろん、自分が本のある場所へ行けなかった理由は、すでによくわかっていたが。彼女は、最初から最後まで、本のことなど、まったく思い浮かべもしなかったからだ。
(まあ、いいさ。ここにある本が、自分の想像の産物だというなら、そんなもの、読んでも読まなくても同じだからな)
小さく肩をすくめ、胸に呟く。だからと言って、迷路で兎叩きなどしたかったわけではない。が、それもシェイプアップ運動を兼ねた、貴重な体験だったと思えば、腹立ちも少しは紛れる。彼女は、小さく吐息をついて、紅茶を喉に流し込んだ。

●帰還
 しばしのお茶の時間を過ごしたレイベルたちは、やがて、《3月うさぎ》に見送られて、時空図書館を後にした。
 彼らが戻った先は、草間興信所の零の部屋である。むろん、今度こそ本当の事務所の中だ。扉は、机の上に広げられた本の中の絵だった。
 戻ってから見た絵には、もう零の姿はなく、代わりに、《3月うさぎ》がにっこり笑って、こちらに片手を上げている図が載っていた。彼の話では、絵を描いた人物もまた、時空図書館に行きたいと望んでいたために、零の望みと同調して、そこが扉になったのだろうという。
 零は、本を閉じると、一同をふり返った。
「今日は、皆さんにまで心配をかけて、本当にすみませんでした」
言って、ぺこりと頭を下げる。
「気にしなくていいわよ。結局、武彦さんの早とちりだったんだし」
「と言うより、あの男の悪戯だろ」
笑って言うシュラインに、レイベルが肩をすくめて付け加えた。
「どっちにしろ、無事だったんだから、よしとしよう」
「紅茶も、お菓子も美味しかったし〜」
取りなすように言う慶悟に、小暮が、のほほんとした声を上げる。
「変わった体験も、できましたしね……」
無我が、相変わらずの嗚咽するような笑いと共に付け加えた。
「みんなの言う通りだな」
草間もうなずいて、軽く零の頭に手をやった。
 零は、その草間を見上げて、安心したように微笑んだ。そして、そっと机の上の本を手に取る。
「でも、またあそこへ遊びに行きたいなあ……」
思わず、という風に漏らした彼女の言葉に、その場の全員が顔を見合わせた。
 零は、随分とあそこが気に入ったらしい。だが、レイベルは二度と行きたいとは思わなかった。何より、あの《3月うさぎ》の趣味の悪い遊びに付き合わされるのは、ごめんだ。たしかに、紅茶とお菓子は美味しかったが、それに対する見返りが大きすぎる気がした。
(だがまあ、こんな平和的な解決は、久しぶりだな。たいていは、異空間で、原因をぶち殺して終わり、とかだからな……)
日頃自分が関わる事件の数々を思い出して、彼女はふと心に一人ごちる。
(とりあえず、零も無事だったことだし、めでたしめでたしだな)
 その彼女が、現在のねぐらへ帰って、《3月うさぎ》からのメッセージカード付きの野兎のぬいぐるみを発見するのは、少し後のことである。だが、彼女は自分を待っているその不快な物体の存在を、知るよしもなかった――。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0606/レイベル・ラブ/女性/395歳/ストリートドクター】
【0389/真名神慶悟/男性/20歳/陰陽師】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0441/無我司録/男性/50歳/自称探偵】
【0990/笹倉小暮/男性/17歳/高校生】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。織人文です。
依頼に参加していただきまして、ありがとうございます。
今回は、かなり長くなってしまいました。
更に、草間を含めて6人が一度に動くと収集がつかないため、
二組に分けさせていただきましたが、いかがだったでしょうか?
少しでも、楽しんでいただければ幸いです。

なお、予定していました「カメリア・ランプ SIDE B」の
依頼アップは、申し訳ありませんが、11月に入ってからとさせていただきます。
まことに申し訳ありません。

●レイベル・ラブさま
2回目の参加、ありがとうございます。
今回は、無我司録さま&笹倉小暮さまと行動を共にしていただきましたが、
いかがだったでしょうか?
プレイングの内容は、一部をアレンジして使わせていただくにとどめました。
私の知識不足です。申し訳ありません。
これに懲りずに、また参加していただければうれしいです。
その時には、よろしくお願いします。