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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


三下君爆破指令


■ オープニング

 とある日の昼下がり。
 小腹が空いた三下君は、編集長の机の上に栗まんじゅうが置いてあるのをみつけた。
「……あ、美味しそう」
 思わずつぶやき、どうしようか一瞬迷って……結局それを手にとって食べてしまう。
 と、ちょうどそこに会議を終えた碇編集長が戻ってきた。
「あ、へ、編集長! お早いお帰りで!」
 慌てながら、口の中のものを全部飲み込んでしまう三下君。それで証拠は全て隠滅完了だ。
 が……自分のデスクへと戻った編集長は、しばし机の上をじっと見て、
「……三下君、ここにあった栗まんじゅう、ひょっとして食べた?」
 そう、聞いてくる。
「い、いえ! 全然!」
 即答する三下君であったが、碇はその顔にチラリと目を向けると、
「君、餓鬼魂(がきだま)って知ってる?」
 ふと、今度はいきなりそんな事を口にした。
「はい? なんですか、それ?」
「空腹で死んだ者の念が固まってできたもの……それが餓鬼魂よ」
「はあ……」
 なんで急にそんな事を言い出すんだろ……と思いながらも、頷く三下君。
 けれど、すぐにその理由を知ることとなった。
「実はね、ここに置いてあった栗まんじゅうに、その餓鬼魂が封じてあったのよ。誰も食べてないならいいんだけど、食べたら大変な事になるのよね。本当、どこにいったのかしら」
 と、”三下君を見つめたまま”そう言う碇編集長。
「えええええーーーーーーーーっ!?」
 それを聞いて、三下君は思いっきりのけぞった。
「どどどどどうしましょう編集長!」
「……食べたのね?」
「は、はい……あ、あの、ぼぼぼ僕どうなっちゃうんですか?」
「そうね、聞いた所によると、いくら食べても満腹にならず、ほっとくと際限なく食べ物を口にして……やがては身体が破裂するくらい、とにかく物を食べ続けてしまうらしいわよ」
「そそそそんなの嫌です! 困ります! 身体が破裂するなんて!!」
「まあ、そうでしょうね」
 あたふたする三下君とは対照的に、碇は落ち着いたものだった。
「だいたいなんでそんなものが無造作に置いてあったりするんですか!」
「……知り合いの退魔士が、とある廃寺で野宿した時に、そこにいたそうよ。で、ほっとくと危ないから、たまたま持っていた栗まんじゅうで誘って、その中に封じたらしいわ。私はその退魔士に、後の処理を頼まれたの。まさかつまみ食いするような奴がいるとは思わなかったから、とりあえずここに置いてたんだけどね……」
「そんな〜、無責任ですよ編集長〜〜!」
 今にも泣きそうな三下君であったが、いつのまにかその辺にあったポテチの袋を手に取り、バリバリと食べ出していた。本人はその事に気づいてすらいないらしいが……
「……」
 無言で受話器を取る碇。
「ど、どこに電話するんですか?」
「葬儀屋よ。もうすぐ必要になるでしょ」
「そんな〜〜〜!!!」
 情けない声を上げながら、1.5リットルの炭酸飲料のペットボトルをあっという間に飲み干す三下君。
 編集長はその姿をため息混じりに眺めつつ、なんとかしてくれそうな人物を頭の中でリストアップして、電話のダイヤルをプッシュし始めた。
「なんとかして下さい編集長〜〜!!」


■ 飽く事なき食欲との戦い、はじまる

 ──それから30分後。
「何かまた厄介事だってね、麗香さん」
 明るい声と共に編集部に現れたのは、ラフな服装の若い女性だった。
「ああっ! きょきょ、京香さんっ!!」
 カップラーメンをひたすら胃袋へと流し込んでいた三下が、ぱっと顔を上げる。
「こここ今度のライブ絶対行きますもうチケット買ったんですファンなんですお腹へった!!」
 あんぱんを2つまとめて口に押し込めながら、その女性へと駆け寄る三下君だったが……
「ストップ。それ以上近づくとブン殴るよ」
「……う」
 ピタリと鼻先にアコースティックギターを突きつけられ、急停止する。
 それから彼女はあらためて麗香へと振り返って、
「意外と元気そうだね。ちょっと残念かも、はは」
 屈託のない笑顔を見せた。
 彼女の名前は九重京香(ここのえ・きょうか)。今ヒットチャートを赤丸急上昇中のロックバンド、ローズマーダーのギタリストだ。
「そうね。ちなみに私はかなり残念だわ」
 と、肩をすくめてみせる麗香にまたひとしきり笑って、一応変装用のサングラスを外した。
「とはいえ……えらいもんだね、こりゃ」
 綺麗な瞳が三下へと動き、軽いため息をつく。
 その時には、もう彼は自分の席へと戻って……食欲魔人と化していた。
 スナック菓子の袋に手を突っ込んで中身を掴むと無造作に口へと押し込み、おにぎりを頬張り、ペットボトルのお茶を飲み、ショートケーキを丸ごと1個食べ、板チョコを齧り、ポッキーを10本くらいまとめて口の中へと突き立て……
「……編集部のみんなのお菓子や夜食用の食料は、もうあと10分と持たないわね。三下君が後で皆から血祭りにされるのは構わないとして、とりあえず今どうするかよ」
「そうなんだ、じゃあ……」
 麗香の言葉に、ギターを構える京香。
「子守唄でも歌って眠らせようか? あたしが”その気で”やれば、それくらいはできるし」
「そうねえ……」
 言われて、麗香は顎に手を当てた。
 他に方法がなければ、まずはそうしてみるか……と思い始めた時──
「いえ、それはいけません」
 ふと、新たな声。
「え?」
「わっ!」
 振り返ると、2人のすぐ後ろに1人の女性が立っている。
 腰にまでかかる漆黒の髪と、それとは対照的に抜けるような白い肌。
 聡明さの光をたたえた深い湖のような瞳が、じっと三下を捉えていた。
 そして、その足元には、1頭の白い獣が主にぴたりと寄り添っている。
 はしばみ色の不思議な光を放つ目を持ったその動物は、知っている者が見れば狼であるとすぐに知れるだろう。
 女性の名はステラ・ミラ。付き従う狼の名はオーロラといった。
「麗香様、ひとまず任せて頂けませんか?」
 感情があまり読み取れない、それでいてよく通る静かな声。
「え、ええ、いいけど……どうするの?」
 いきなりの出現と提案に多少戸惑いつつ、麗香が尋ねる。
 ステラの返事は短かった。
「こうします」
 言いながら、手にした何かを軽く放る。
 金色の細くて長いもの──麗香と京香の目にはそう映った。
 それは弧を描いて三下へと飛び、彼の体に当たると思われた瞬間──
「わわわわわーーーーーっ!?」
 生き物のようにひとりでに体に巻き付き、あっという間に椅子に体を固定してしまう。
「なんだい、これ?」
 指をさして尋ねる京香には、
「16世紀、ヨーロッパ各地で行われた魔女裁判によって殺された、無実の女性千人分の髪の毛で編まれた縄です。それに込められた恨みの念は凄まじく、1度絡みついたら最後、何があろうと絶対に取れません。戦車で引こうが、妖刀村正で切ろうが、メギドの火で焼こうが無駄です。保証します」
 流れるような鮮やかな口調で説明をするステラだ。
「……えらい物騒なモン持ってるね、あんた」
「お褒めに預かり恐縮です」
「いや、別に褒めてるわけじゃないけど……」
「それで、あとはどうするのかしら?」
「はい、万事抜かりはありません」
 麗香に頷いてみせると、ステラは入口へと振り返った。
「皆さん、入ってきてください」
「……皆さん?」
 麗香の眉が寄る。
 が、すぐにその表情は軽い驚きへと変化した。
「お邪魔します!」
「へい毎度!」
「この度はありがとうございます」
 口々にそんな事を言いつつ入ってきた人間の多くは、コックが着るような服装をしていた。
 手にはそれぞれ岡持ちや大皿やその他ケース、食器類などを持っている。その全てに、ありとあらゆる種類の料理の姿があった。
「うわ、うわ、うわ! 美味しそうっ!!」
 とたんに三下の目がキラキラと輝き出す。
 編集部の机の上に置かれた未整理の書類やパソコンなどが次々に床に降ろされ、代わりに料理が乗せられて艶やかに占領していった。それにつれ、編集部内には、胃袋を刺激する匂いが充満していく。
「あ、イタリアンはそちらにまとめて下さい。フランス料理はそちらに、お寿司はそこがよろしいですね」
 などと、ステラが的確に指示を出し、10分とたたずに、編集部のデスクは世界の料理が居並ぶ豪華絢爛な姿へと変貌した。最早どこかの貴族か王族の晩餐会でも開かれるような光景である。
「……どうするんだい、これ?」
「もちろん食べます」
「そそそそそうですよね! 食べるんですよねっ!! うわーーー! 食いますよ! 食いまくりますよーーーっ!!」
 喜色満面で喜びを現す三下君であったが……
「三下様はだめです」
 あっさりと、ステラが言った。
「…………ゐ?」
 それを聞いて、三下の動きが凍りつく。
「貴方の身体に宿る餓鬼魂に見せつけるのが目的です。そうやって、相手を追い込むのがこの場合は一番かと思います」
「あ、なーるほど」
「ふむ、確かにそういう手もあるわね」
 麗香と京香はそれぞれに納得したようだったが……
「じょじょじょじょ、冗談じゃないですよ! 僕だって食べたいですよ! こんな美味しそうなものがあるだけで、もう気が狂いそうになってるのに!!」
 叫んで、頭をぶんぶん振り回す。
「三下様、その食欲こそが餓鬼魂の恐るべき妖力の成せる技なのです。私達の事など気にせず、存分に戦って下さいませ」
「うんうん、そうだね。あたしらも辛いけど、ここは心を鬼にして食べる事にするよ」
「三下君、男ならがんばってみせなさい」
「うわーーーーーーーーーー!!!」
 3人の言葉に、ただただ絶叫の三下忠雄であった。
「さて、ではそういうことで私達は早速」
「そうだね、それじゃあ♪」
「冷めないうちに、食べましょう」
 女性達の声が綺麗にハモった。

「──いただきます」


■ 悪・即・食

「僕も食べたい僕も食べたい僕も食べたい僕も食べたいーーーーー!!!」
 ガタガタと身体を揺するが、無論そんな事では呪いの縄は解けない。
 と──
「……ふむ、苦しんでおいでのようですね」
「へ……?」
 三下がふと隣を見ると、そこにいつの間にか1人の男が立っていた。
 黒のロングコートを着て、同色の鍔広帽を目深に被った男である。
 表情はその帽子と立てられたコートの襟により、ほとんど見ることができない。
 ただ、ニヤリと微笑んだ口元のみが見て取れる。
 食欲の権化に取り付かれ、まともな思考力が薄くなっているはずの三下でも、目にした瞬間に漠然とした不安に捕らわれた──そんなおかしな雰囲気を全体的にまとった人物だ。
 彼の名は無我司緑(むが・しろく)。自称探偵である。
 いつこの編集部に入ってきたのかは、誰にもわからなかった。
「さて……」
 司緑は三下に向かって、ゆっくりと語りかける。
「アナタの求めるものは何ですかな…? 幸い今、ここには甘露……獣肉……米穀……様々な品が揃っています。その気になれば何でも口に入る……ただ……」
 一旦言葉を切り、デスクへと振り返ると、そこから大皿のひとつを取って、再び三下へと向き直る。
 司緑の手には、見事な大きさの七面鳥の丸焼きがあった。
「わっ、わっ、うわーーー! 美味しそうーーーーっ!!」
 鼻先まで近づけ、匂いだけを嗅がせると、すっと遠ざける。
「……今の三下サンには、手を出すことができない……辛いでしょう? 切ないでしょう? 違いますか?」
「ちちち違いません! 苦しいです切ないです悲しいですお腹減ってます!!」
「そうでしょう、そうでしょうとも。ククク……」
 低く笑いながら、七面鳥の足をもぎ取り、自らの口へ。
「あ、あ、あーーーーっ!!」
 目の前でバリバリと食べる姿を見せられ、とたんに情けない声を上げる三下だった。
「ふむ、さすがに美味い。ところで……知っていますか?」
「なななな、何をですか?」
「七面鳥は、アメリカやヨーロッパでは、クリスマスに食べる最もポピュラーな食べ物のひとつです。向こうではローストターキーと言いましてね……」
「そそそそ、それで?」
「4、5キロもある立派な七面鳥を、5時間近くもかけてじっくりと焼き上げるのですよ。焼くに従い、その旨みが油と共に表面にジワジワと湧き出して、飴色に焼けた皮にキラキラとした装飾を施すのです。ほぉら、これもそんな風ではありませんか。見ているだけでも唾が沸いてくる」
「あ……あぅ……あぅあぅあぅ……」
「そのふっくらとした形を崩さないために、よく詰め物をしたりもするのですが……ほぉ、どうやらこの付け合せのマッシュポテトがそれのようですな。鳥の旨み成分を程よく吸って……美味そうではありませんか」
「はぅぅ……うぅぅ……」
「このソースは……なるほど、クランベリーソースですか。甘い中にも程よいほろ苦さがある。まさに絶品。うむ、素晴らしい、実に素晴らしい」
「あ゛ーーーーっ!! あ゛ーーーーっ!! もぐぁ〜〜〜っっ!!!」
 解説されながらほんの数センチ手前で食べる姿を見せ付けられ、自分は一切手を出す事すら叶わない……
 普通でも充分拷問に近いが、今の三下は腹の中に餓鬼魂という狂える食欲を持っているわけであるから、その苦痛は想像を絶するだろう。
「……うわー、あのおっさん、えぐいことしてるねぇ……」
 三下と司緑のやりとりを見て、思わずつぶやく京香だった。
 とはいえ、それも上トロの寿司を食べながらなので、あまり気にしているようには思えない。
 一方、その隣ではステラが華麗に食事を摂っていた。
 前菜のひき肉とレタスのタイ風サラダを食べ、ポタージュスープを飲み、生ハムメロンを切り分けつつ食べ、メインの鴨肉のオレンジソースを食べ、同時に生春巻きも食べ……
 山と盛られた世界各地の極上料理の数々を、各種類に応じて10数本ものナイフ、フォーク、スプーンを的確に使い分けて食べていく。
 そのスピードたるや、もはや手先が霞んでよく見えないほどだ。
 そのくせ、一切の音を立てず、咀嚼音すら周りには聞こえない。
 完璧なマナーではあったが、見守る麗香と京香は、どちらかというと三下よりもむしろこの無表情な女性の方に脅威を感じつつあった。
「……あ」
 と、ふとステラの手が止まる。
「なに? どうしたんだい?」
「私とした事が、大変な事を忘れていましたわ」
「え? 何をさ?」
「それが……」
 じっと前方を見つめるステラ。
 あくまで真面目な口調と表情に、京香がなんとなく緊張する。
「飲み物を注文するのを忘れていました」
「…………はい?」
「過ちは直ちに修正されなければなりません。麗香様、少々電話をお借りしますわ」
「え、ええ……」
 麗香が頷くのを待って、白く細い手が受話器を取った。同時に眼にも止まらぬ速さで番号をプッシュする。どうやら番号は既にそらんじているらしい。
「──もしもし、酒屋さんですね? 注文をお願い致しますわ。何かお勧めの品はございまして? はい? ボジョレヌーボーですか? 嫌ですわ、そのような流行物などに興味はございません。そうですわね……ロマネコンティはありまして? はい、はい、ええと、個人的には戦前の1929年あたりが好みなのですが……そうですか。では85年でも結構です、ええ、2本ほどお願いします。それから……」
 と、ここで一旦受話器を手で押さえ、2人へと振り返ると、
「皆様は何がよろしいですか?」
 そう、尋ねる。
「あたしは日本酒がいいかなぁ……」
 少し考えて京香はこたえ、
「何でもいいわ、任せる」
 麗香は深く考えずに、言った。
「かしこまりました。では……」
 軽く頷くと、再び電話に向かって話し出すステラだ。
 麗香は大ぶりのミートローフにフォークを突き刺しながら、その姿を眺めていた。
 さっきステラが口にしたロマネコンティとは、ブルゴーニュ地方産の最高級ワインの事だ。ドメーヌ・ラ・ロマネコンティ社がぶどう1粒1粒に至るまでこだわり抜いて造られるこのワインは、好事家の間では”人類の作り出した最高の飲み物”などとも評されている。
 年間に生産される量は、多い年でも2万本あまりであり、最低ランクの物でも日本円で万単位を下る事はない。高いものは、それこそ上限などないのだ。オークションサイトでは、これの空き瓶すら万単位で取引されているというシロモノなのである。
 電話に向かって、他に純米大吟醸だの高級シャンパンの代名詞であるドンペリニヨンだのの名前を遠慮なく注文しているステラに、麗香は、
 ……ある所にはあるものね……
 などと思うのみであった。
 ──が、
「とりあえず、以上でお願いしますわ。届け先は白王社月刊アトラス編集部です。請求書も全てそちらに回してください。それでは」
「……っ!!!」
 ステラの最後のセリフに、思わず麗香の全身が硬直する。
 手にしたフォークから、ミートローフがぼとりと落ちた。
「ちょ、ちょっと待──」
 声を荒げて立ち上がる麗香の前で、受話器はおごそかに下ろされ、電話が切れる。
「……なにか?」
 小首を傾げてみせるステラの顔は、あくまで真面目であり、無表情。
「……」
「……」
 2人はそのまましばしじっと見つめあい……
「…………なんでもないわ」
 やがて、疲れきった声で麗香が腰を下ろすのだった。
 ステラの勝ちである。
「あんた、そうとうの食わせモンだね」
「はい、美味しく頂いております」
「……そういう意味じゃないけど」
 京香は京香で、笑顔でこのやり取りを見守っていた。
 ……麗香さんには悪いけど、楽しくなってきたね、あはは。
 彼女は根っからの祭り好きであり、楽しい事には特に目がないのだ。

「さて……次はこんなのはいかがですかな?」
 と、司緑が手にした皿には、真っ赤にボイルされた巨大なロブスターが山盛りにされていた。
「ロブスターといえば、アメリカのメイン州が産地として有名ですが、これはそこから空輸で直送されたものらしいですね。ほぉら、ハサミもこんなに大きくて実に美味しそうではありませんか」
「おおおおおおお願いです! 足の先っちょ数ミリでいいですから食べさせてください〜〜!!!」
「こちらは2つ切りにした断面にパン粉をまぶして香草焼きですね。こちらは……ほうほう、レモンバターソースですな。ボイルしたロブスターに実に良く合う。あっさりしていますが、それもまた良し」
「お腹減って死にそうです! うわーーーーーーー!!」
「こう見えて、ロブスターというのは 低脂肪、低カロリー、低コレステロールなのですよ。以前は捨てるほどに取れていたそうですが、今では乱獲がたたってすっかり高級食材の仲間入り……とはいえ、その味は今も昔も絶品ですがねぇ……」
「ふンがーーーーーーーーーーー!!!」
 バリバリと美味そうな音を立てながら、ロブスターを食す司緑に、三下が悲鳴を上げて足をばたつかせた。
 もちろん、司禄の方はそんな事には一切お構いなしで、うんちくをたれながらマイペースで食べ続ける。
 ちなみに先程まで食べていた七面鳥は、今やすっかり骨と化して、三下の目の前の床に置かれていた。
 ……そろそろ頃合ですかね……
 あぅあぅともがく三下をじっと見つめて、誰にも聞こえない低い声がつぶやく。
 それはとても暗く、そして楽しげな響きを持っていた。

「へー、美味いねえ、この赤ワイン」
「そうですわね」
「こっちの日本酒も、冷で充分いけるよ」
「この味ですと、何か100%果汁のジュースで割っても、カクテルみたいに飲めますわね」
「うーん……言われてみるとそうかも。今度やってみようかな」
「そうですね、是非」
 一方の女2人組も、充分盛り上がっていた。
 高級ワイン、高級日本酒、高級シャンパン等を、次々に飲み干している。
 ステラは品良く、京香は豪快だったが、飲むスピードはどちらもたいして変わらない。
 ……人選間違えたかしらね……
 麗香だけはなにやら頭痛を感じ始めていたが、それでもコップで日本酒をあおっている。というか、もう飲まなければやっていられないのだ。
『……ステラ様』
 と、誰かが呼んだ。ステラにしか聞こえない声で。
「なに?」
 ステラもこたえる。これもまた、他の者は一切耳にする事ができない。
 彼女の視線がチラリと向いた先は……オーロラであった。
 どこから持ち出してきたのか、お座りをしたオーロラにちょうど合うくらいの高さのちゃぶ台が置かれていて、その上には既に空となったすき焼き鍋と、半分くらい中身の入ったワイングラスがある。
『あの、本当にこんな事をしていてよろしいのでしょうか?』
「こんな事ってなに? あなたは美味しいものが食べられて、楽しくないの?」
『……ステラ様、まさかとは思いますが、餓鬼魂の事をお忘れではないでしょうね……?』
「……………………………………いやね、忘れるわけがないでしょう」
『……その不自然なまでの会話の間はなんなのですか?』
「オーロラ、細かい事など気にしない事です。ハゲますよ」
『別に毛などなくとも困りませんが』
「私が困ります。使い魔が毛のない犬では、皆に笑われます」
『……ステラ様、犬ではありませんし、狼でもありません。お願いですからお察しください』
「はいはい」
 使い魔の言葉をあっさり片付けて、ワインをひとくちコクリと飲むステラであった。
「ほーら、オーロラだっけ? あんたもコレ食べなよ。美味しいぞー」
 横からふいに、松阪牛のぶあついステーキ肉がひときれ、ひょいと差し出される。
 オーロラに向かってニッコリ微笑んだ京香だった。
「わん」
 反射的にそう口にして、一瞬の後にハッとするオーロラ。
 ……い、いかん。犬ではないのに、犬ではないのに……
 呪文のようにそんな言葉を胸の内で繰り返すが……
「お、ちゃんと返事ができるんだねお前。よしよし偉いぞー」
 と、頭を撫でられて……思わずしっぽをパタパタ振ってしまう彼だった。
「……」
 ……再教育が必要かしら。
 などと無言で思いつつ、ふっと三下へと眼を向けるステラ。
「よいですか三下サン、エビチリ──エビのチリソースというものは、日本における四川料理の父とも、神様ともいわれている故陳健民氏がこの国に広めたのがきっかけであり──」
 ……どうやら今度は、エビチリに関しての講義を始めているようだ。
 しかし三下はというと、もはや完全に目の玉がでんぐりがえっていて、司録の話を聞いているんだか聞いていないんだかさっぱりわからない。暴れる元気すら尽きたようで、完全に放心状態である。
 ……どうやら限界も近いようですわね。ならばもうひと押し……
 そう判断を下したステラは、再び食べ物へと向き直ると、ナイフとフォークを手に、猛然とラストスパートを開始するのだった。
 気のせいか麗香の視線が突き刺さるかのように鋭くなっている気がしたが……それはこの際気にしなかった。


■ 眠れ食欲、この腹に

 メインディッシュはあらかた消え、ステラはデザートのケーキ類を怒涛のごとく食べ始め……
 程よくアルコールが入ってゴキゲンの京香は、なおも一升瓶を小脇に抱えつつギターの弾き語りを始め……
 ジェラートとアイスクリームをそれぞれ手に持った司録は、その違いを三下の前で雄弁に語り始め……
 それらを眺めつつ、なんで自分はこんな人達に連絡を取ってしまったんだろうと、麗香が本格的に後悔し始めた時──

「がっ、が、が……げげ……がっ……がががががががっ……!!」

 ふいに、三下が奇声を発して体を震わせ出した。
 スプーンを置いてナプキンで口元を拭くステラ。
 京香の手と歌声が止まる。
 ニヤリとした司録の顔の中で、白い歯が鈍く光っていた。
「今度は一体何……?」
 怒ったようにつぶやいて、麗香が立ち上がる。
 皆の見ている前で、三下の口が大きく開かれた。
 同時に、そこから小さな腕がにゅっと突き出てくる。
「……我慢できなくなったようですね。まあ、ここまでいたぶられれば、それも当然でしょうが」
 笑いを含んだ、司録の声。
 三下の体から、何かが外に出ようとしていた。
 無論、ここにいる全員が、既にその正体を知っている。
「これが……餓鬼魂ってヤツだね」
 京香が低くつぶやいた。
 それは……よく地獄絵図などに描かれるあの餓鬼そのままの姿をしていた。
 土色の肌、枯れ枝を思わせる細い手足、頭も髑髏に薄皮を貼りつけただけのように見える。
 特徴的なのは、飢餓に見舞われた者特有の突き出した腹と、額のやや上、左右両側にある小さな角。
 ただ、サイズはやたらと小さかった。大体大人の手のひら程しかない。これは三下が十分に食べ物を摂取しなかったせいだろうか。
 三下の口から這い出てキィキィと細く鳴いているそれに近づくと、ステラは無造作にそれの首根っこを掴み、持ち上げてしげしげと眺める。
「さすがに元気がありませんわね」
「へえ、三下君の体の中に、そんな気色悪いのがねぇ……」
「何事も度を過ぎた欲望というのは、かように醜悪なものだということですな」
 ステラ、京香、司録の3人が、そんな感想を漏らした。
「これで一件落着かしら?」
 麗香が尋ねる。
「みたいだね、意外とあっけないんでやんの。あはは」
 京香は明るく言ったが……
「……」
 ステラと司録は、共に無言であった。
 ……簡単過ぎる。
 そう、ステラが胸の中で思った瞬間──

「ぐがががががががががーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 編集部の中に、三下の叫び声が響き渡った。
 呪いの縄からあっけなく抜け出すと、一気に食べ物が並べられたデスクに飛び跳ねる。
 何故……? と思ったステラだったが、理由はすぐに理解した。
 一匹抜け出した事により、三下の体が一回り縮んだのだ。
 最初のはこちらを油断させる囮で、本体はまだ体の中に残っているらしい。
 オーロラが威嚇の声を上げる。
 が、誰よりも先に動いたのは、京香だった。
 ……唐突に流れる、ギターの音色。
 前奏が終わると、それに歌声も加わった。
 柔らかく、そして切なく流れる旋律は……誰もが一度は聞いたことのある子守唄だ。
 しかし、それがひとたび京香の手にかかると、魔性の音楽と化す。
 京香が”その気”で曲を奏でる時、周囲のもの全てが影響を受け、虜となるのである。
 時には癒しであり、時には励ましであり……時には狂気、絶望へと叩き落すことすら可能なのだ。
 果たして……食欲という名の欲求に支配されたはずの三下が、ゆっくりと京香へと顔を向ける。
 京香の音の魅力が、飽くなき食の妖力に打ち勝ったのである。
 そして、振りかえった目の前には、司録が立っていた。
「……どれ、ではあなたの望むものを見せてあげましょうか……」
 不吉に微笑むと、三下の頭を片手で鷲づかみにする。

「ひぐぁ〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!」

 三下の口から迸る絶叫。
 司録は、三下の内側にいるものに対して、あるイメージを送り込んでいた。
 ひとつのものを求めつづけ、そしてそれが絶対に満たされることがないという苦しみ、悲しみ、絶望感、無力感……その明確な意識が、津波のように流れ込む。
 まさにただ求めつづけるだけの存在である餓鬼魂には、とうてい耐えられるものではなかった。
 三下の口が限界まで開かれ、そこからメリメリと何かが産み出される。
 先ほどよりも一回り以上の大きさを持った餓鬼魂であった。
 だが、それはぼとりとデスクの上に落ちると、耳障りな声を上げてのたうちまわる。
 京香の天上の音楽に続いて、司録の悪念。
 まさに天国から地獄に墜とされたに等しかったろう。
 すぐにオーロラが飛びかかり、前足で押さえて動きを封じた。
 そこにすっとステラが近づく。
 先ほどまで持っていた小さい方の餓鬼魂はすでになく、代わりにロマネコンティの空瓶をひとつ、手にしていた。
「どうするんだい?」
 と、京香が尋ねる。
「物騒なので封じます」
 簡単にこたえるステラ。
 瓶のコルクを抜くと、その口を餓鬼魂へと向ける。
「………………」
 次に静かに彼女の口から紡がれたのは、日本語ではなかった。
 麗香はラテン語ではないかと感じたが、意味まではわからない。
 すうっと餓鬼魂の体が薄れ……やがて消えた。
 とたんに三下の体から力が抜け、デスクの上にどんがらがっしゃんと派手な音を立てて崩れ落ちる。
「今度こそ、終わりましたね」
 司録が、言った。
「ええ」
 ステラが頷きながら、再び瓶に栓をする。
「あの気色悪いのは、2匹ともその瓶の中ってわけ?」
「ええ、そうです。正確には2匹ではなく、自らを2つに分けて、こちらを混乱させようとしたみたいですが、通じなかったという事になりますね」
「ま、なんにせよあたしらの勝ちってわけだ。やったね!」
 笑顔でガッツポーズをする京香だった。
「……で、三下君はどうなったの?」
 と尋ねたのは、麗香だ。
「おそらくは大丈夫だとは思われますが……司録様の術の影響が出て、若干精神に変調をきたす場合も考えられるかと……あの、つかぬ事お伺いしますが、手加減はなさいましたよね?」
 ステラは司録にそう聞いた。
 司録は……
「……さて……」
 と、返事をして……それだけだ。
 口元には、相変わらず不吉さを感じさせる笑みが貼りついている。
「ちょっと……三下君、無事?」
 声をかけつつ、麗香は机の中より定規を引っ張り出して突っついてみる。
「……うーん」
 やがて、うめきながら彼は上半身を起こした。
「あが、あががーが……」
 麗香と目が会うと何やら話そうとしたが……すぐに目を丸くして、自分のあごに手をやった。
 口は大きくぱかんと開かれたままだ。どうやら間接が外れてしまったらしい。まあ、大きな子供を産み落としたのだから、ある意味それは当然だと言える。
「あがが、が、ががーが、ががっ! ぐ、ぐ、がっ!!」
 なんとか必死に戻そうとする姿を見て……これはいつもの三下だと確信する編集長であった。
 とはいえ、喜びよりもむしろがっかりするような、疲れたような気持ちが大きいのは何故だろう……
「……どうやらなんとかなったようね。ご苦労様」
 と、あらためて今回の功労者達に目をやる麗香だったが……
「…………」
 ──いない。
 3人とも、既に姿を消していた。
 よく見ると、まだ少しは残っていたはずの食べ物や飲み物も綺麗になくなっている。
 さらに、いつのまにか自分の前には紙の束が綺麗にまとめられて置かれていた。
 それには……請求書、とある。
 何枚かめくってみて、思わず力を失い、デスクに手をついてしまった。
 このわずかな時間でどんな食事をしたら、この金額が出てくるというのか……
 やがてなんとか気をとりなおした彼女は、まだ顎を押さえてふがふがやってる部下にびしりと指を突きつけると、
「三下君、君今後半年間減給。ボーナスも大幅カット」
 決然と、言い下した。
「ふンがーーーーーーーーーーーっ!!」
 それを聞いた三下が、後ろにばたりと倒れる。
 最初は栗まんじゅう1個だったはずなのだが、それはとてつもなく高いつまみ食いになったようだった。


■ エピローグ・京香

 ──都内某ライブハウス、楽屋。
 そこには1人でギターのチューニングをしている京香の姿があった。
 他のメンバーは、既にステージへと向かっている。
 ひとつの音がどうしても決まらなくて、彼女だけがギリギリまで粘ることにしたのだ。
 職人気質……というか、せっかく来てくれてる皆の前で、少しでもいい音を聞かせてやりたいという思いがそうさせるのだった。
 単に聞くものを熱狂させるだけなら、京香が”その気”でやればいい。
 が、しかし、京香は公の場ではその力を使ったことはなかったし、その気すらまったくなかった。
 他人にはない力で勝負したって意味がない。
 たとえて言うなら、マラソンの勝負をバイクで走るようなものである。
 そう思っているから、京香は他のメンバーと練習を重ね、自分でも努力して、ここまできたのだ。
 今更それを変えるつもりなど、彼女には毛頭ない。
「あーっ! もうイライラする!!」
 ギターに絡めた指を止め、京香が声を上げた。
 さっきからやっているのだが、全然気に入った音にならない。
 ……もうじき始まるのに、ったくぅ……
 そう思うと、気ばかり焦ってくる。
 焦ったらかえって集中できなくなるのは自分でもわかっていたが、どうしようもなかった。
 気分を変えようと部屋の中を見回していると……
「……お」
 その目に、あるものが止まる。
 お祝いに寄せられた色とりどりの花やプレゼント。その中でひとつだけ異彩を放っているものがある。
 3本ほどまとめて縛られた一升瓶──日本酒であった。
 のし紙に書かれた送り主の名には、ステラ・ミラとある。
 椅子から立ちあがり、それに近寄る京香。
 3日前の事が、なんとなく思い出された。
 三下に取り憑いた餓鬼魂を処理した後、彼女と一緒に編集部から立ち去ったのだ。
 餓鬼魂を封じ込めた瓶はオーロラとかいうあの犬に咥えさせ、自分は日本酒の一升瓶を4本も抱えて無表情のまま歩いていた。
 えらく個性的で面白い奴だったと思う。
「……ふふっ」
 なんとなく、笑顔になった。
 ついでとばかりに封を切り、一本を手にとってそのままダイナミックに飲んでみる。この際景気づけだ。
「ぷは」
 ごくごくと何口か飲み下すと、とたんに体に熱いものが沸いてきた。美味い。これはいい。
 なんという名前の酒なのかと思い、ラベルを見ると……

《タケミカヅチ》

 とだけ書かれていた。他にはなんの説明もない。級数も、種別も、何も。
 ……どこかの地酒とか……?
 そう思ったが、京香にはわからない。
「ま、いっか」
 軽く言って、再びギターに手をかける。
 ……弾いた。
 部屋の中に流れる、ひとつのメロディ。
「……ふっ、やっぱあたし、天才じゃん」
 手を止めて、ニヤリと笑う京香。
「さあ待ってろよ野郎共! 京香姉さんが今行くぜ!!」
 威勢良く言うと、部屋を飛び出していく。
 今夜は熱いライブになりそうだった。


■ エピローグ・ステラ

 郊外にひっそりとたたずむ洋風の概観を持った古本屋、極光。
 あまり訪れる人もいない小さな店なのだが、実はその品揃えはすさまじく、最新刊のコミックからパピルスの束を葦の茎で止めた本まで、古今東西ありとあらゆる商品を扱っている。店主の多趣味の成せる技だ。
 その妖しき店の主の名前はステラ・ミラ。
 全てを見、全てを聞き、全てを知るために旅する求道者である。
 さて、そのステラが現在何をしているのかというと……
「オーロラ、今度はこれを飲んで頂戴」
『……今度は何ですか?』
「すごいわよ、超激辛の日本酒で、その名もホノカグツチ。並の人間なら即炎上ね」
『……どうしても飲まなければなりませんか、それを?』
「不満ならこっちにしなさい。死人すら蘇る効果を秘めた日本酒で、その名もイザナミ」
『……ステラ様、もはやそういう手合いのものは日本酒とは言わないのでは?』
「何を言っているのですか、構成物質は97%以上日本酒と同じなんですよ」
『残りの3%が問題なのです』
「そうかしら……」
『そうです』
「ふむ、まだ改良の余地があるという事ですね。よろしい、やってみましょう」
 真面目な声でそう告げると、店の奥の私室へと去っていくステラであった。
『……』
 後姿を見送りつつ、そっとため息をつくオーロラ。
 編集部で日本酒を飲みまくって以来、妙にその味が気に入ってしまい、連日自ら作成している日々だったりするのだ。
 一旦興味を持つと、納得するまで決して探求をやめないのが、ステラである。
 それを十分理解しているから、オーロラも止めはしないのだが……
 ……こう連日酒びたりでは、こちらの身がもたぬ。
 オーロラは床にくたりと身を伏せ、頭には氷嚢を乗せていた。完全な二日酔いなのだ。
 主であるステラも自分と同じか、それ以上に飲んでいるはずなのだが、あちらはまったく何の変化もない。
 あらためて恐るべき御方だと、オーロラは身に染みて感じていた。
 しかも、最初のうちはごく普通の酒だったのだが、日が進むにつれて、なにやら妖しい特性がどんどん付加されてきている。今ではもう魔道薬となんの変わりもないほどだ。
 そういえば、比較的初期に完成された”タケミカヅチ”は、あの女性ギタリストに贈られたようだが……はたして大丈夫だったろうか……
 あの時点ではまだ普通の酒だったはずなので大事ないとは思うのだが……それでもなんとなく一抹の不安を感じてしまうオーロラだった。
「さて、新しいサンプルができました。今度は巨大化して空も飛べます」
『…………』
 戻ってきた主の声に、思わずその身を消すオーロラ。
 が、ステラは床に落ちた本棚の影に迷わず手を突っ込み、そこからあっけなくオーロラを引きずり出してしまう。
「かくれんぼがしたかったのですか?」
『……いえ』
 もはや全てをあきらめて、運を天に任せる事に決めたオーロラであった。


■ エピローグ・司録

 熱気渦巻く会場の隅に、黒い影がひとつ、たたずんでいた。
 ……司録である。
 ここは都内の某ライブ会場。
 もうじき、人気グループによるライブが行われようとしている、その寸前である。
 会場を埋め尽くす人間達は、大概が10代の若者であり、それ以外はあまり見ることができない。
 皆、これから始まる事への期待と興奮で、生き生きと輝いていた。
 このような場は、古い言い方をすれば”祭り”の場だと言えるだろう。
 古来より、人は祭りにより、穢れを払ってきた。
 日頃の鬱憤を晴らし、身にたまった穢れを払い、その場に捨てる。
 祭りには本来、そういう意味があるのだ。
 この会場を包む高揚感……それはまさに祭りにふさわしいものだと言える。
 が……
 そんな中にも、もちろん暗さを秘めた者達もちゃんといる。
 最前列にいるカメラを持った若い男は、ただ単に写真を撮って裏の業者に売るための目的だけにこの場に来ているようだ。むしろ周りで騒ぐファン達を、うとましくすら感じている。
 一角では、熱狂的なファンのグループ同士が睨み合っている。何かきっかけがあれば、小競り合いになるかもしれない。
 入口近くの路上では、当日チケットを持ったダフ屋が、ひたすら獲物の品定めをしている。
 ……こんな場でも、ちょっと目を凝らせば、それだけの闇が見えてくるのだ。
 人間の本質は、決して光だけではない。
 むしろ闇の中にこそ、その人物がよく現れるものではないだろうか。
「……」
 司録は、ただじっとそれを見つめる。
 人間の欲求……求める気持ち……
 それは決して果てることがない。
 人は求める。さまざまなものを求め続ける……
 それがあるからこそ、人間という種は発展を続けてきたとも言えるだろう。
 決して満足を知らぬ、人間という生物……
 ……それは一体、どこに向かうのだろうか……
 無論、司録にもわからない。
 そしてわからないからこそ、面白いのだ。
 この人間という生物は……

「あれ、あなたは司録さんじゃないですかー?」
 と、平和な声。
 向こうからネクタイ姿の三下がやってきていた。
「いやー、こんな所で会うなんて奇遇で……ってあれ?」
 が、三下がその場に来ると、もうそこには誰もいない。
 おかしいな……と首を捻る三下だったが、すぐに割れんばかりの黄色い歓声があがり、それどころではなくなった。
 ステージ上に、ローズマーダーの面々が姿を現したからだ。
「京香さーーーん! この間はどうもーーー! おかげで助かりましたーーーー!!」
 手を振りながら、叫ぶ三下。
 もちろんそれは京香には届いてはいなかったが、とりあえず彼は幸せそうだ。

「……よかったですね、三下サン……」

 それを背後でじっと見て……やがて黒づくめの影は静かに会場から出て行くのであった。
 低い笑い声だけを、その場に残して……

■ END ■


◇ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1057 / ステラ・ミラ / 女性 / 999 / 古本屋の店主】

【0441 / 無我・司録 / 男性 / 50 / 自称・探偵】

【0864 / 九重・京香 / 女性 / 24 / ミュージシャン】


◇ ライター通信 ◇

 どうもです。ライターのU.Cでございます。
 ステラ様、司録様、京香様、この度は当シナリオにご参加いただきまして、まことにありがとうございました。
 しかしまあ、アレです。今回は皆さんのプレイングがとてつもなく秀逸でした。
 以下に簡単に列記しますと……

・ステラ様
 三下君を拘束の上、ありとあらゆる高級料理を編集部のツケで注文、目の前で食べまくって反応を待つ。

・司録様
 同じく拘束の上で言葉攻め。相手が出てきても大して気にはしないが、能力を用いて強制的に成仏を迫る。

・京香様
 特殊能力で眠らせる。始末は他の人にお任せ。あとは高みの見物。とはいえフォローは忘れない。

 ……皆さん三下君相手だと容赦の2文字がまったくありません。すばらしすぎます。
 そう来たらこちらも盛り上がらないわけにはいきませんので、思いっきり書かせて頂きました。もうお腹いっぱいです。ごちそうさまでした。たいへんおいしゅうございました。

 ステラ様、今回もご参加、ありがとうございます。今回ある意味大暴れです。とんでもないキャラになりつつあるような予感がしますが……気のせいでしょうか。
 司録様、またのご参加ありがとうございます。ネチネチと責めるお姿は、書いていて楽しかったです。とはいえイメージを壊してなければいいのですが……
 京香様、はじめまして。チャキチャキのお姉さんという事で、ツッコミから戦闘までこなして頂きました。元気で動きのあるキャラというのは、動かしていてとても楽しかったです。

 参加して頂いた皆様、並びに読んで下さった皆様に、厚く御礼申し上げます。
 なお、このシナリオは、各キャラクターとも全て同じ内容となっております。その点ご了承下さい。

 それでは、ご縁がありましたら、またどこかでお会い致しましょう。
 その時まで。
 ではでは。

2002/Oct by U.C