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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


無垢

■ オープニング

 郊外に建つさる屋敷で、何かが起きているようだ。
 そこは世界的にも高名な植物学者が研究室兼住居として住んでいた屋敷なんだが、3週間ほど前に主が亡くなって、現在は空家になってる。
 で、問題なのは、この学者の死因だ。どうも普通じゃなかったらしい。
 警察の調べでは、原因不明の急激な衰弱によるものだという結果が出たんだが、すぐに屋敷を調べる事にしたそうだ。まあ、当然だな。
 が、中に入った警官達が、30分としないうちに皆何故か生気を抜き取られたみたいに疲れ果ててしまい、1人じゃ動けなくなる奴まで出て、とてもじゃないが捜査になんかならなかった……
 ……そこで、ウチの出番というわけだ。困ったもんだな、まったく。
 とりあえず、警察に裏から回してもらった情報によると、今の所次のようなことが分かってる。

・住んでいた植物学者は独身で家族も身寄りもなく、親しい友人や近所づきあいもなかった。
・研究していたのは、主に植物の交配や遺伝子操作による新種、改良種の開発。
・屋敷の周りにはいくつかの温室があったが、そこにあった全ての植物、また屋敷周囲の雑草に至るまで、ありとあらゆる植物が皆枯れ果てていた。そして同時に、ひからびた虫やネズミ等の死骸も多数見られたという。
・屋敷の中に入った警官のうちで、何人かは性別、年齢不明の「声」を聞いたとの事。ただし、その姿を見たものは誰もいない。その声の主が1人なのか複数なのかも不明。

 ──これ以上の事は、残念ながらわからん。あとは現地に行って、実際に自分の目で見るのが早いかもしれんな。
 現場は今、警察によって封鎖されているみたいだが、ウチの名前を出せば入れてくれるように話はついてる。
 誰か元気のあり余ってる奴、行ってみるか?
 もし出向くなら、栄養つけて行けよ。でないと身が持たんかもしれんぞ。
 ……気をつけてな。


■ 侵入・貪欲なる館

「まず、私はあの屋敷に関する事で、品物の出入りを調べてみたの。いくら人付き合いがなかったといっても、そこに人が暮らしている以上、生活用品とか、必ず何らかの物の出入りはあるはずだから、そこから何か掴めないかと思ったのよね」
 その場に集まった面々を前にして、まず最初にそう言ったのは、シュライン・エマだった。
 中性的な容姿に知的な瞳が印象的な女性だ。
 翻訳家にして幽霊作家、及び草間興信所においては事務一般から家事手伝いまでこなしている……という肩書きを持つ26歳の才女である。
「俺もそんな事をちょっと調べてみました。ただしこちらは、主に研究に使用したと思われる機材や資料の出入りとか、この博士が研究のためにどういった場所に出向いたかとか、そんな所を中心に」
 次に口を開いたのは、スラリとした、一見優男風の青年である。
 表情も語り口も柔らかく、どことなく育ちの良さを感じさせる。
 彼の名は、灰野輝史(かいや・てるふみ)。日英ハーフの整った容姿の裏に、ドルイド魔術の使い手という面も併せ持つ青年であった。
 ちなみにドルイドとは、古代ヨーロッパに広く住んでいたケルト人達が伝えてきたとされる魔術的秘法、それを扱う者達の事である。ドルイド達が用いていた魔術が、ドイルド魔術というわけだ。
 後に全ヨーロッパを支配したローマ帝国が、他の民族に対しては比較的寛容であったのに対し、ケルト人に対してだけは徹底的に弾圧を行った。それの主な理由が、自然の声を聞き、その力を自在に行使する事ができたと言われるこのドルイド達の魔法を恐れたため……などという説もある。
「……なるほど、それで?」
 クールな声が、短く問うた。
 背の高いがっしりした体の上に、涼やかな瞳を持つ端正な顔がある。
 龍堂冬弥(りゅうどう・とうや)。彼もまた草間などと同じ探偵であった。
 ただ、自ら進んでこのような事件に乗り出して来る事からして、ただの探偵ではありえない。
 彼の隣には、腕組みをしてじっと話を聞いている女性の姿がある。その身体の幅は、冬弥と同じか、あるいはそれ以上にあるのではないだろうか。
 しかしそれはもちろん、無駄な肉のせいなどではない。鍛えられた筋肉の鎧がそう見せているのだ。
 彼女の名は龍堂玲於奈(りゅうどう・れおな)。冬弥のつれあい……つまり妻である。
 シュラインと輝史が視線を交わし、まずはシュラインが話を始めた。
「生活用品のほとんどは、品物の配達をしてくれるスーパーやホームセンターなどから配達してもらっていたみたいね。それ以外からはほとんどゼロ。博士自身はここしばらく外にも出ていなかったみたいだわ」
「ふむ、逆はどうだ? 何かをここから運び出したり、あるいは定期的にやりとりしたような形跡は?」
 冬弥が尋ねる。
「調べた限りでは、特にないわね。一応、郵便や宅急便なんかのメジャーな経路は、ネット経由で裏から探りを入れてみたんだけど、これといって興味を引かれるような点はなかったわ」
「……そうか」
 シュラインのはっきりとした返答に、軽く頷く冬弥。
「最後に大規模に荷物が運び込まれたのは、5年前だそうですよ」
 代わって、輝史が口を開いた。
「5年前、博士は南米の自然調査団の一員として、アマゾンの奥地へと出向いています。そしてその時に、大量の現地の土と、あとは何らかの植物を持ち込んだようです。当時の検疫の記録にそれが残ってました」
「ほう……」
「そしてそれ以降、彼はほとんど人前には姿を現さなくなった……もっとも、この博士が厭世的になったのは、8年前かららしいけど」
「ふうん、その時に、何かあったのかい?」
 シュラインの捕捉に、玲於奈が尋ねた。
 彼女をチラリと見て、シュラインは、
「奥さんを亡くされたのよ。かなりの愛妻家だったって、仲間内では言われていたみたいね」
 事実のみを、あっさりと告げる。
「……そうかい。なるほどね」
 それを聞いて、眉を潜める玲於奈。背後を見ると、そんな彼女に冬弥がわずかに微笑みかけていた。
「ということは、なにかおかしな物品が搬入されたとすればその5年前であり、以降は特にこれといって着目するような物品の出入りはなかったと……そういうことでよろしいのですね?」
「!?」
 暗がりからいきなり声がして、全員の目がそちらに向く。
 言葉が投げかけられるまで、誰一人としてそこから気配を感じてはいなかった。
 一瞬にして全員に緊張が走り、玲於奈が必殺の拳を構える。
 が──
「ごきげんよう、皆様」
 その場所で軽く一礼をしたのは、20代半ばと思われる女性であった。
 わずかな風に、腰までかかるまっすぐな黒髪が揺れている。
 対照的に、手や顔など、表に見える肌の色は、抜けるような白。
 落ち着き払った表情は、どこにでもあるようであり、そのくせ一種近寄りがたい雰囲気を持って、静かに皆へと向けられていた。
 女性の足元には、1頭の白い獣が寄り添っている。
 犬……に見えるかもしれないが、知る人間が一見すれば、すぐに狼だと見抜いて腰を抜かすに違いない。
 それぞれ、女性はステラ・ミラ。付き従う獣はオーロラという名を持っていた。
「5年前にアマゾンから運び込まれたという植物の名前はわかりませんの?」
「え、ええと……」
 ふいに言葉を向けられて、ややたじろぐ輝史。しかしすぐに気を取り直すと、
「古代の蘭の一種……と記録にはありました。未発見の種だったらしく、正式な学名登録はされていません」
 そう、説明する。
「5年も前に発見されているというのに、いまだに学名登録が成されていないのですか?」
「そうなりますね」
「……なるほど」
 それを聞いて、じっと屋敷へと眼を向けるステラだった。
 変化のない表情の内側で何を思っているのかは、誰にもわからない。
「マンドラゴラとか、そういう剣呑なものではないようですが……何しろ相手は植物学だけでなく、遺伝学の権威でもあります。この5年間でどういった研究をしていたのかもよくわかりませんし、なんにせよ、用心するに越した事はないでしょう」
「……結局、虎穴に入らずんば虎子を得ず……という事だな」
「マンドラゴラねえ……薬にはなるって聞いたけど、あったら2、3本もらってこようか」
「お前にそれ以上元気なられたら困る」
「なんだと、この」
 輝史の説明に、そんな会話を交わす龍堂夫妻。
 玲於奈が夫の腹に軽くパンチを入れ、冬弥が苦笑した。
 随分と余裕があるように見えるが、実際それくらいでないと、こういった常識外れの事件に関りあいにはなれないだろう。
 ちなみにマンドラゴラとは、ドイツではアルラウネ、日本では曼陀羅華(まんだらげ)とも呼ばれる、人の形をした根を持つ植物の事である。地面から引き抜くときに恐ろしい悲鳴を上げ、聞いた者をたちどころに死に至らしめると伝えられる魔草だ。
「じゃあ、行きましょうか」
 シュラインが言い、皆が小さく頷く。
 そして5人と1頭は、迷うことなく屋敷の門をくぐって行ったのだった。


■ 接触・主亡き館に住まうもの

 門を入ってしばらくは、別になんともなかった。細い砂利道が、まっすぐに屋敷へと続いているだけだ。
 この場所自体は、一番近くの街の中心部から10キロ程離れている小高い丘の上にある。周りにある他の家は、民家というよりは、別荘とかバンガローというような趣のものがほとんどだ。
 都市近郊に残された数少ない自然を利用した別荘地──とでも表現できるだろうか。そんな場所である。
 やがて、先頭を歩いていた輝史の足が、ふと止まった。
「ここからは、俺が結界を張りましょう」
 前方を見つめたまま、低くつぶやく。
 ちょうど彼の足元の地面から、様相が一変していた。
 それまでは道の両脇に雑草が青々と茂っていたが、そこからは全てが茶色くしなだれて、枯れ果てている。
 よく見ると、屋敷を中心として20メートルほどの土地が、少々形の崩れた円形状にそうなっているようだ。
「俺からそれほど離れなければ、たぶん皆さんも守れると思いますから」
「わかったわ」
「任せよう」
 皆の返事を待って、輝史が一瞬眼を細めた。
 ……それだけだ。
 後は普通に、再び歩き始めた。
「今、なんかしたの?」
 あまりのあっけなさに玲於奈などは眼をぱちくりさせたが、
「ああ、彼はどうやら優秀らしい」
 夫の方は自信たっぷりにそう言って、すぐに後に続いた。
「ドルイド魔術ですか……なるほど」
 とかつぶやきながら、ステラも普通に歩き出す。
 効果の程は、すぐに発揮される事となった。
 枯れ果てた領域に入ったとたん、結界が反応を見せたのだ。
 淡い燐光のように、5人を包む不気味な光──多少なりとも力のある者には、その様をはっきりと目にする事ができたろう。本来不可視の結界が、屋敷から発せられているらしい「力」とぶつかり合って、そのような現象を起こしているのだ。
「ふむ……」
 感心したように、冬弥が声を漏らす。結界と、屋敷を包むおかしな力……その両方に対してだった。
 力そのものはたいして強くはないが、自分達のように守られながらでなければ、恐らくは「吸われる」。そして、その状態が長く続けば、生物はやがて死ぬだろう。それが容易に予想できる。
 問題は、これを創り出しているのが何かという事だ。
 何事もなく進み、一行は玄関へと辿り付いた。
 地面がコンクリートへと変わり、赤い三角屋根が上に張り出している。扉はごく普通の木の扉だった。
「博士はちょうどこの場所で亡くなられたそうよ」
 シュラインが、言う。
「食料品を届けに来たスーパーの配達員が呼び鈴を押したら、しばらくして博士が出て来て、そのままばったり倒れ……2度と目覚めなかった。ほとんど骨と皮の状態だったらしいわね」
「……」
 シュラインの話を聞きながら、あたりを見回す冬弥。
 が──何も感じない。何もだ。
「では、入りますか」
 輝史の方も同様だったようで、すぐにドアへと移動する。
 無論、鍵などはかかっていない。ノブを回すと、意外に大きな音がして、家の中で反響した。豪華……というより、建て付けが悪いらしい。
 4人は音もなく屋敷へと侵入したが……
「お邪魔します」
 最後のステラが、丁寧に告げて軽くお辞儀をした。
 思わず4人が振り返る。
 ステラの顔は……真面目そのものだ。
「あ、あのね……」
 シュラインが何かを言おうとしたが……それは途中で止まった。

『だれ』

 ふいにその場に響く、声。
 いや、それは正確には「声」ではなかった。
 全員の視線が、思い思いの方向に流れる。
 ……そんな……わからない!?
 シュラインは、やや狼狽した。
 こと、聴音に関しては自信がある。その自分が方向すら掴めないのだ。

『だれなの』
『だれ』
『なんのごよう』
『どうしてここにきたの』
『だれ』
『だれ』
『あなたたち、だれ』

 それは、次々に頭の中に響いてきた。
 ……頭の中……?
 ハッとするシュライン。
 そうだ、これは耳から入ってくる「音」じゃない。まるでこれは……
「精神感応──テレパシーの一種みたいなもののようだな」
 虚空を見つめ、冬弥がつぶやく。
「警官たちが耳にした声とは、これの事ですね……」
 輝史も考える顔をして、頷いた。

『だれ』
『だれなの』
『なんでここにきたの』

 その間にも、同じ事を繰り返し聞いてくる意志。
 耳を塞いでも、無駄だった。
 何しろ、頭の中に「言葉」をダイレクトに送り込んでくるのだから。
「貴方達こそ、誰なのですか?」
 静かな声が、逆に問うた。ステラだ。

『わたし』
『わたしのことをきいてるの』
『きいてるの』
『どうして』
『わたしは、わたし』
『それだけ』
『それだけ、だよ』
『ほかのだれでも、ないよ』
『それだけ』
『だよ』

 意外にも素直に、それは返事を返してきた。
 聞いたことの答えにこそなってはいなかったが、コミュニケーションを取るのは可能のようだ。
「博士を殺したのはお前か?」
 と、続けて冬弥が言った。

『ころす』
『ころすって、なに』
『なんなの』
『わからない』
『それ、なに』
『なんなの』

「命がなくなるという事です」
 輝史が応じる。

『いのち』
『いのちって、なに』
『なんなの』
『それ、なに』
『いのち』
『わからない』

「……」
「……」
 無言で一同は顔を見合わせる。
 馬鹿にされているのだろうか……それとも……
「あなた達は、今どこにいるの?」
 今度はシュラインが尋ねた。

『どこ』
『どこって』
『ここは、わたしのいるところ』
『そうだよ』
『いるところ』
『そこにいるの』

「だから、そこはどこなのか教えて頂戴。私達が今からそこに行ってあげるから。お互い直接話しましょ」

『……』
『………』

 そう告げると、それは急に黙り込んだ。
 そして……

『はかせ、どこ』

 ポツリと、言う。

『はかせじゃないひととは、あっちゃいけないって、いわれた』
『いわれたの』
『だからだめ』
『だめなの』
『はかせ、どこ』
『どこなの』
『おしえて』
『おしえて』

「それは……」
 ……どうするか?
 言うべきか言わないべきか迷い、シュラインが皆へと振り返る。
 しかし、迷わない男もいた。
「博士とはもう会えない」
 静かな声が、はっきりと告げる。
 冬弥だった。
 全員の目が、彼に集まる。
「博士は死んだんだ。だからもう、誰も会う事はできない」
 同じ台詞を、冬弥はもう一度ゆっくり繰り返した。

『どういうこと』
『しんだって、なに』
『なんなの』
『あなたたち、なにをいっているの』
『わからない』
『わからないこと、いわないで』
『そんなひとたち、きらい』
『きらい』
『こないで』
『こっちにこないで』
『こないで』
『きらい』
『きらい』
『きらい』

 全員の頭の中に「きらい」という最後の声が一際高く響き、そして唐突に途切れる。
 あとは……その場に静寂が戻った。
 夕暮れ時の、ほの暗い薄闇だけが残される。
 しばしの間、皆無言だった。
 ……今の声は、一体なんなのか。
 少なくとも、博士の事は知っているようだ。
 それならば、無関係ではありえない。
「嫌われたようだが、行くしかあるまい」
 冬弥が、言った。
「……誰のせいで嫌われたんだか」
 玲於奈が夫をじろりと横目で見る。
「とりあえず、博士の私室か、研究室を探すのがいいかしら」
「そうですね。今のままでは、なんにせよ情報が少なすぎます」
 シュラインと輝史は、そんな提案をした。
「では、手分けして事にあたりましょう。その方が効率的です」
 穏やかな声は、ステラだ。
「ですが、全員でまとまって行動した方が安全かもしれませんよ。それに、結界から出たらどうなるか……わかるでしょう?」
 輝史はそう言ったが、
「大丈夫です」
 ステラはピクリとも表情を動かさず、平然とこたえた。
「あなたも結界を張れるのですか?」
「ええ、できますけれど……別の方法を使います」
「……別の方法?」
「こうするのです」
 言葉と同時に、ステラの身体がいきなりかき消える。
 オーロラの姿も、同様に見えなくなっていた。
「……な」
 思わず眼が点になるシュライン。
「影の中に身を潜ませたのです。どうやらこの吸い取る力は、普通の空間内でしか効果を現さないもののようですので」
「……なるほど」
 ステラの解説に、頷く輝史。声は床に落ちた壁の影の中からしていた。気配も確かにそこから感じられる。
「私は2階を探してみますわ。何かあったら知らせますので、皆さんは1階をお願いします。それでは」
 という言葉を残して、遠ざかっていく気配……
「……面白い奴だな」
 ポツリと、冬弥がつぶやいた。


■ 滅び・無垢なるもの達の館

 ──それから20分程して、再び一同は1階へと集まっていた。
 1階にあったのは、リビングやダイニング、キッチン、バストイレといった生活に密着したような部屋で、2階は寝室、客室などといった部屋が主だった。
 そのどちらにも、博士の研究室や私室らしき部屋は含まれていない。
 共通しているのは、どこも長らく使ってはいないらしいと思える点だ。
 一様にカーテンが閉じられ、ドアすらほとんど開けられてはいないようで、空気がこもり、薄く埃が堆積していた。
 さすがにバスやトイレは使った形跡はあるものの、それはまあ当然だろう。
 ただ……
「2階に亡くなられた婦人の私室であったと思われる部屋がありました。そこだけは掃除も行き届いていて、綺麗でしたわ」
 ステラが、皆にそう告げる。
 他は全て打ち捨てられたようなこの家で、亡き妻の部屋だけは綺麗に保ち続けた博士……
 恐らくは、未だに想いを抱いているのだろう。
 そしてもうひとつ、世捨て人同然の彼が、ひたすら研究に没頭していたであろうもの……
 それは、どこにあるのか?
 全員の目が、開け放たれたひとつのドアに向けられていた。
 四角く区切られた暗闇の中に、下へと続く階段がある。どうやら、地下室があるらしい。
 あと、調べていないのはこの先だけだった。
「……では、行くか」
 冬弥が言い、全員で降り始める。階段は狭く、一列にならねばならなかった。
 そのまま、数段下った時──

『こないで』
『あなたたち、きらい』

 また、声がした。
 一瞬だけ皆の足が止まりかけたが、降りるペースは変わらない。

『こないで』

 ヒュッと前方から何かが飛んできた。
 無言のままで、先頭の冬弥がそれを手で受ける。
 指の頭程の、単なる小石だった。
 勢いもまるでなく、当たったとしても怪我ひとつしなかったろう。
 問題なのは、階段の先は突き当りであり、そこにはひとつの閉じられたドアがあるだけという事だ。
 つまり、誰もいないところから、この小石は投げられた事になる。
 霊的、魔的なパワーを感じたものは誰もいなかった。
「PK──念動力でしょうか?」
「わからんが、そんな所だろう」
 輝史と冬弥がそんな会話を交わしつつ、一行はさらに階段を進んでいく。

『こないで』
『きらい』

 なおも何度か石が飛んできたが、全て冬弥が掴むか叩き落とすか、あるいは無視した。攻撃力など、ほぼないに等しい。ただでさえ、ここにいる面々は全員が並ではない能力を有しているのだし、動じる者も皆無だった。
 やがて何事もなく20段程の段を下りきり、冬弥がドアのノブに手をかける。

『こないで』
『いや』
『こないで』
『いや』
『いやだ』
『きちゃいや』

 とたんに頭の中で声が騒ぎ立ててきたが、構わず開けた。

『やめて』

 悲鳴と共に、ゆっくりと中の光景が明らかになる。
「……これは……」
 目を細め、シュラインが息を飲んだ。
 そこは、10畳ほどの部屋だった。
 本来なら、倉庫か何かに利用されるような場所なのかもしれない。
 中には、3つのものしか存在してはいなかった。
 ひとつは、部屋の隅にポツンと置かれたデスクと、その脇に山と詰まれた本、資料、書類の山。
 ひとつは、整然と並べられた金属製の整理棚。これが部屋の面積の大部分を占めており、高さも天井スレスレまである。
 そして最後のひとつが、全ての整理棚に乗せられ、並べられた鉢植えの植物だった。数は数百を下らないだろう。
 植物は全て同じもので、ほとんどが白い花弁の花を咲かせている。よく見ると、花だけでなく、茎も葉も、全てが白一色の植物だった。
 さらに、まったく照明のない部屋の中で、個々がぼうっと薄い光を放っている。その妖しげな光のおかげで、内部を見渡す分にはなんの支障もない程だ。
 ただ、これだけの花が咲いているというのに、それらしい甘い香りなどは一切ない。部屋の中はほとんど無臭だった。

『なんできたの』
『でていって』
『こわいよ』
『かえって』
『はかせ、どこ』
『きらい』
『でていって』
『こわいよ』
『はかせ、どこ』

 風などまったくない室内で、花達がさわさわと揺れ、光がわずかばかり増す。
 それと同時に、全員の頭の中に、声が響いてくる。
「……この花が、こちらに語りかけていたというわけですね」
 輝史が部屋を見渡し、言った。
「こちらにあるのは、博士の研究用のデスクと資料のようですよ」
 と、その机の側で、ステラの声。
 また影の中へと入ったらしく、姿は消えていた。
 全員が、そちらへと移動する。
 デスクの上には小さな本棚があり、年度らしい数字が書き込まれたファイルが収められていた。一番古いものは5年前の日付だ。
 本棚の前には、写真立てがひとつ、置かれている。中では20代半ばくらいの男女が、どこかの研究室と思しき場所で並んで微笑んでいた。たぶん、博士とその妻の若き日の姿だろう。
 シュラインが無言のまま一番古いファイルを手にとり、開いた。

 ●月▼日
 突然のスコールに見舞われ、雨宿りに偶然立ち寄った小さな洞窟で、私はその可憐な花をみつけた。
 蘭の原種だろうとは思われるが、少なくとも私の知識にはないものだ。どうやら、偶然という形で新発見をしてしまったらしい。
 が、しかし、私が一番心躍らせたのは、発見の喜びではなかった。
 この花を一目見たとき、私は亡き妻の姿を強く想い描く事ができたのだ。
 それが何故かは、自分でもうまくは説明できないが、気がつくと私は、その花を眺めつつ涙を流していた。
 この花の事を知りたい。いや、知らねばならぬ。
 私はこの場所の土と一緒に、花も日本へと持ち帰ることにした。

 ……そんな一文から、ファイルは始まっていた。5年前、アマゾン奥地で、博士はこの花と出会っていたのだ。
 そこからは、花の生育に関する記述、記録が延々と続いていた。
 光を極端に嫌い、闇の中でのみ生きる事。
 成長のための栄養分は、わずかばかりの水と、あとは他の生物の生体エネルギーを吸っているのではないかと論じられていた。これについて、博士は一般的な植物は光合成で自らを養うが、この植物は光の差さない環境下に適応させるため、そのように変性していったのではないか……という仮説を立てている。
 彼は、この植物の育成に没頭したようだ。
 栽培が失敗し、全滅の危機に瀕したのも1度や2度ではない。その度に記録の中で、自分の力のなさを罵り、嘆いていた。
 少しづつ、少しづつ、砂粒を積み上げて城を形作るみたいな苦労と模索の日々……
 品種改良を重ね、遺伝子レベルでの変性も行い、この地で順調に生育できるようにするまでに、丸5年の月日を要したようだ。
 いつしかファイルからは「花が」という表現が消え、代わりに「妻が」と書かれるようになっていた。
 それは偏執なのか、あるいは愛なのか……
 いずれかはわからないが、その博士の想いが奇跡を生んだようだ。

 ×月○日
 なんという事だろう、24世代目に咲かせた株が、私に語りかけてきたのだ。
 おお、これは神の仕業か!
 私はかつて最愛の者を失った時、貴方を呪い、憎んだ。
 だが、今は貴方に感謝しよう。
 私の下に、妻を戻してくれたのだから! おお神よ! ありがとう! ありがとう!

 ……が、その日を境に、ファイルの文字は急に弱々しいものへと変わっていく。

 ▲月×日
 今日、表の温室で育てていた花が全て枯れていた。
 かつて、妻が愛していた花達ばかりだが、なに、それも構わない。
 私は今、こうして妻に囲まれているのだから。
 最近、過去の事をよく思い出す。
 輝いていたあの日々を。
 妻よ、お前は幸せか。
 もしそうなら、私もこれに勝る幸せなどない。
 それだけが、私の望みなのだから。
 それだけが──

 ……最後のファイルに書かれた文字は、そこで終りだった。
 あとは、判別不能の曲がりくねった線が、かすれ気味に記されている。もうペンを持つ力すらなかったのだろう。
「…………」
 何も言わず、ファイルを閉じるシュライン。
 研究の成果か、あるいは博士の言うように神の仕業か……今となってはそれはもうわからない。わからないが、とにかくこの植物は新たな力を得た代わりに、それまで以上の大喰らいとなってしまった……
 この事件の真相は……そういう事か。

『でていって』
『こわいよ』
『はかせ、どこ』
『どこなの』
『はやくきて』
『はかせ』
『はかせ』
『はかせ』

 何も知らず、というより理解する事ができず、言葉を発し続ける彼ら。
 一体、どうすればいいというのか。
 無論、このまま放っておくのは危険すぎる。
 現実に、彼らは育ての親である博士を殺してしまっているのだから。
 一番問題なのは、彼らがそれを意識してやったおではないという事だ。
 生物の死という概念を知らず、それでいて命を喰らうもの……
 彼らの正体は、そう表現できるだろう。
 いわば、無邪気な殺戮者だ。

『はかせ』
『はかせ』
『はかせ、どこ』
『わたしは、はかせのためにおおきくなるの』
『はかせがよろこんでくれるの』
『だから、はかせが、すき』
『はかせ』
『はかせ』
『はかせ、どこ』

 繰り返される、花達の言葉。
 ──もういない。
 と、誰かが思った。
 ──博士は死んだのよ。
 と、誰かが胸の内でつぶやいた。

『しぬって、なに』
『はかせがいないって、なんで』
『どうして』
『しぬって、なに』

「……!?」
 全員が、顔を見合わせる。
 すぐに、ある事に思い当たった。
 彼らはテレパシーが使える。ならば、一方的にこちらに意識を送るだけでなく、こちらの意識を「読む」ことができても不思議ではない。
「……」
 誰かは、必死に何も考えないようにした。
「……」
 誰かは、死というものについて、わかりやすくイメージしようとした。
 そして、誰かが胸の内でこう言った。

 ──博士を殺したのはお前だ。

『え』
『え』
『ころす』
『ころす、なに』
『わたしがはかせをころす』
『ころす、なに』
『なに』
『なんなの』

 再び、全員がお互いを見る。
 この中の1人が、彼らにはっきりと事実を突きつけようとしていた。
 ただし、それが誰なのかはわからない。

 ──お前は自分の成長のために、他の者の命を食う。それで博士は死んだ。死んだ者には、もう2度と会う事はできない。それが定めだ。

『しぬ』
『しぬと、あえない』
『はかせ、しんだ』
『わたしが、くう』
『せいちょう』
『しぬ』
『はかせ、しぬ』
『あえない』
『はかせ、あえない』

 ざわざわと、花達が大きく揺れ始める。
 あきらかな動揺のイメージが伝わってきた。
 それを見て、ステラが影の中から姿を現し、花の群れへと近づいていく。完全に輝史の結界の範囲外だ。
「ちょっと! 一体何をする気!」
 慌てて声をかけるシュライン。
「心配いりません。吸われ始めてすぐに死に到るというわけでもないようですし。それから、これから私が何をするかは、説明すると長くなりますので、割愛させて頂きます」
 丁寧に言うと、彼女は片手をすっと花に差し伸べた。
 そのまま、空間を撫でるように動かすと、その場に霧状の白い塊が生じる。
 一体何をしようとしているのか、どんな意味があるのかは、誰一人として理解できなかった。
 彼女は超一流の指揮者みたいな手さばきで、何もない空間に「なにか」を形作っていく。
 しかし──

 ──お前達が、自らの力で博士を殺したんだ。

 誰かが、心の中でとどめの一言を放っていた。

『ころす』
『ころす』
『わたし、ころす』
『はかせ、ころした』
『ころすと、あえない』
『しぬ』
『はかせ』
『もうあえない』
『いや』
『いや』
『そんなの、いや』
『はかせ』
『はかせ』
『はかせ』

 容赦のない誰かの言葉に、花達の意識が怒涛となって渦を巻く。
 ごうごうと花が波を打って揺れ、何個かは床に落ちて植木鉢を割った。
「……っ!」
 頭の中に響くあまりの意識の量に、シュラインや玲於奈は思わず耳のあたりを押さえる。
 冬弥と輝史も、眉を潜めた。
 しかし、それも長くは続かなかった。

『はかせ』

 最後に、ため息のような声が響き……ふいに途切れる。
 あとは、今のが嘘だったかのように、室内は一転して静寂に包まれた。
「……花が……」
 シュラインが、小さく声を上げる。
 あれだけ白く咲き誇っていた花が、一瞬にして茶色く枯れ果てていた。
 1本たりとて例外なく、全てだ。
「……間に合いませんでしたわ……」
 一方で、静かな声。
 そこでは、ステラが相変わらずの無表情で立ち尽くしていた。
 伸ばされた手の前には、すでに何もない。
 作り出されようとしていたものは、夢のように消えていた。
 結局、彼女が何をしようとしていたのか……それは不明である。ステラ自身、ここでは何も語らなかった。
 花が放っていた光が消えた事により、室内は暗闇に覆われる。
 この場に残されたのは、その闇と、重苦しい静寂……
 あとは、色濃く漂う滅びの空気……
 ──それだけだった。


■ 1st エピローグ 〜 シュライン & 輝史 〜

 全てが終わった後、シュラインと輝史の2人は、周囲でこの屋敷の周りを固めている警察関係者の所へと向かう事にした。
 一応、解決した事を報告せねばなるまい。そう思ったからだ。
 他のメンバー、ステラと龍堂夫妻は、いつのまにか姿を消していた。
「私達、何もできなかったわね」
 屋敷から遠ざかりながら、シュラインがつぶやく。
「まあ……そうかもしれませんね。でも、我々でなければ、屋敷の中の探索はできなかったでしょうから、何もできなかったというわけでもないかと思います」
「そっか……そうとも言えるかな」
「ええ」
 言い交わす2人の口調も、足取りも、軽いものには見えない。まあ、当然ではあろうが……
「あの花って、自分で枯れたのよね」
「そうなりますね」
「誰かが、事実を告げた。そしてショックを受けて……っていう事でいいのよね?」
「……はい。たぶん」
「じゃあ、言ったのは誰かしら?」
「さあ、口に出したわけじゃないですからね。俺にはわかりません」
「ちなみに、私じゃないわよ」
「俺だってそうです」
「でも……」
「ええ、それこそわかりません。あの花は全員の心が読めましたけど、こちらはそうじゃない。誰が真実を思ってあの花達に告げたか……それは不明です。俺達には」
「……そうね」
 一旦会話が途切れ、地面を踏むサクサクという音だけが響いた。
「ああするしか、なかったのかしら」
「枯らさずにすむ方法を探すべきだったと?」
「まあ、ね」
「でも、それは……」
「わかってる。難しいわよね」
「はい」
 輝史が頷き、シュラインもそれ以上は続けなかった。
 確かに、そうだろう。
 何しろ命を吸う植物なのだ。放っておいていいはずがない。
 その事は頭では充分理解しているはずなのだが……
 ……納得できないわね。
 胸の中で小さくつぶやき、軽くため息をつくシュラインだった。
 博士はあの植物に亡き妻の面影を重ね、花達も博士の事を慕っていたようだ。
 ならば、それはお互いにとっては、幸せな事であったろう。
 が、その片方が無くなり、結果として今回のような事件となってしまった。
 ……結局、悲劇にしかならなかったのだろうか。
 だとすると、悲しい話だ。
 輝史も無言で歩を進めながら、そのように思っていた。
 やがて2人の前に屋敷の門が見えてくる。門の向こうでは、赤色灯の明かりが光っていた。この場所を封鎖している警察の皆様方である。
 この上取調べまがいの事情説明をしなければならないのかと思うと、さらに気が重くなってくる両名だ。できればそのような手間など省いて、このまま帰ってしまいたいのだが……
 その思いが、あるいは天に通じたのかもしれない。
 2人の背後で、いきなり爆発音が響いた。
「……!?」
 振り返ると、今出てきた屋敷が、激しく炎を吹き上げている。
 どういう手段を使ったのかは知らないが、凄まじいまでの勢いだった。
 たぶん……いちはやく姿を消した誰かの仕業ではないかと感じた2人だったが……
「どうする?」
 と、シュラインが尋ねた。
「調査の後で屋敷が燃えたなんて事になれば、警察がうるさいでしょうね」
 燃えさかる屋敷をみつめ、こたえる輝史。
「じゃあ、ずらかりましょうか」
「それがいいでしょうね。もっとも草間さんは後で色々と面倒でしょうけど」
「ああ、それなら大丈夫。あの人はいつも面倒ばかり抱えてるんだから」
「……そうでしたね」
「そういうこと」
 2人の顔にわずかばかりの微笑が生まれる。
 そして、あとは夜陰に紛れて、そっと姿を消す両名であった。

 後日、もちろんというかなんというか、草間探偵はこの事情説明で警察に呼び出されて結構大変な目に会うわけであるが……
 それでも、本当の真実が語られる事はなかったという話だ。


■ 2nd エピローグ 〜 龍堂夫妻 〜

 誰もいなくなった屋敷の地下に、1人の男が戻ってきていた。
 龍堂冬弥である。
 気配も絶えた暗い室内を静かな瞳で見渡すと、彼は軽く右手を振った。
 次の瞬間、その手の中に巨大な剣が姿を現す。刀身170センチを超える、見事な大剣だ。
 光とて差さぬこの部屋の中で、鋼の表面のみがゆらゆらとした輝きを放ち、周囲の空間まで陽炎のように滲ませていた。
 無論、普通の剣ではありえない。
 その名は、神威。
 冬弥の体内に封じられた、魔の力を秘めし妖剣である。
「……望む、望まずに関係なく、お前達は存在そのものが危険すぎた。その痕跡すら、残さぬ方が良いだろう……許せよ」
 剣が上がり、音もなく振り下ろされた。
 冬弥の目は、軽く閉じられている。
 開けると、神威が溶けるように消え失せた。
 一瞬の後、

 ──ドン!!

 全ての棚が真一文字に分断され、重い音を立てて崩れ去る。
 同時に激しい炎が一気に天井まで吹き上がった。
 炎の色は……白。
 鮮やかな純白が部屋の中で荒れ狂い、全てを焼き尽くしていく。
 その様をじっとみつめる冬弥の身体は、強い光によって守られていた。
 体内に宿る魔剣神威──その力による肉体強化の成せる技だ。
 龍堂冬弥……その力から、彼は「白炎の冬弥」などとも呼ばれている。
 炎を操る者が、自らの炎で焼かれる事など決してない。
 この研究室だけでなく、じきに屋敷全体が焼き尽くされるだろう。
 魔の宿った炎は、それ自体が忠実なしもべと化し、生み出したものの意志に従う。
 放った者が新たに命令を下すか、目的が達成されるまで、決して消える事はない。
 消防車を何台呼ぼうと、無駄である。
 ……やがて、冬弥は燃えさかる研究室に背を向けた。
「とはいえ……やはり許されるものではないのかもしれんな」
 最後に、そんなつぶやきが炎の中に流れて消える。
 それすらも燃やし尽くそうとする程に、白き魔炎は貪欲であった──


「──許せない」
 約束の場所に到着すると、玲於奈にいきなりそう言われた。
 ここは街中にある、小さなレストランである。
 全てが終わったら、今夜はここで食事にしようと言い交わしていたのだ。
「すまない、多少遅れたのは謝る」
 素直に頭を下げる冬弥だったが、
「あたしが許せないのは、そういう事じゃない!!」
 どん、と、玲於奈がテーブルを叩く。
 水の入ったコップが倒れそうになったが、それはすぐに冬弥が押さえた。
「あんた、あの屋敷を燃やしてきたろ?」
「……」
 ズバリと言われ、思わず言葉を失う冬弥。
「炎の匂いはコロンで消してきたつもりだろうけど、普段やりなれない事はするもんじゃないよ」
「……すまん」
 じろりと睨まれ、また頭を下げた。
「それだけ派手な事をしたら、いくらなんでもあたしに隠せるもんじゃない。タイミングを見て言おうとは思ってた……って所なんだろ? 違うかい?」
「……その通りだ」
 次々と見透かされ、冬弥は完全にあきらめた。
 他の事はまったくそうでもないのに、夫に関する事だけは妙にカンが働く妻なのである。
「あたしに気を遣ったのかい?」
「まあ、そうだな」
「見くびられたもんだね」
「すまん」
 3度目に頭を下げると、そこでようやく「もうよしなよ」と玲於奈が笑う。
 実際はそうでもないらしいが、今の彼は傍目で見ると、微笑ましい恐妻家にしか見えなかった。
 妻を失い、その姿を花に重ねたあの博士……
 そしてその花は、生物の命を吸う魔草へと成長を遂げた。
 全てを知りつつ、それを受け入れた博士と、何も知らずに博士に愛された白い花……
 悲劇だとは思うが、だからと言って放っておくわけにもいくまい。花がなくなったとしても、その研究資料があれば、また同じ事が繰り返されるかもしれないのだ。だからこそ、冬弥は全てを灰にしてきた。
 自分はともかく、玲於奈がその場にいたら、悲しい思いをさせるかもしれない。
 そんな顔はしないだろうが、胸の中は、きっと……
 こう見えて、彼女は優しい女性なのだから。
「ま、今回だけは多目に見てやるさ。でも次は許さないからね」
「……恩に着る」
「ああ、せいぜい一杯着てくれなよ。あはは」
 そして、2人は軽くワイングラスを合わせた。
 玲於奈は屈託のない笑みを、冬弥はわずかな苦笑を浮かべながら──


■ 3rd エピローグ 〜 ステラ & オーロラ 〜

 ──郊外にある、小さな洋風の古本屋、極光。
 あまり目立たない、それでいていかにも流行っていなさそうな雰囲気をかもし出している店ではあるのだが、その蔵書には恐るべきものがある。
 国会図書館などというレベルを遥かに超え、古代三大図書館と言われるエジプトのアレキサンドリア、ローマ帝国のベルガモ、ケルススの図書館にも収められていた全ての知恵が揃っているという話だ。
 店主の名前は、妖しき麗人、ステラ・ミラ。
 今日も今日とて客の影すらない店内には、狼の姿をした従者のオーロラが、広げられた新聞の上できちんとお座りをしていた。店番をしながら、新聞にて情報収集というわけである。彼もまた主の薫陶を受け、こと情報には敏感なのである。
 そこに、店の奥から、なにやら一抱えほどの包みを携えて、ステラが現れた。
『ステラ様』
 と、オーロラが顔を向ける。
「なんですか?」
『昨夜出向いたあの屋敷ですが、どうやら火事により根こそぎ消失してしまったようですね』
「そうですか……まあ、そうでしょうね」
 まったく動じず、というかまるで表情も変えずに、簡単に言うステラだった。
 もっとも、この主の驚いた顔など、オーロラも見たことはないし、想像すらできないのだが……
『既に予想しておいででしたか?』
「あれをそのままの形で放っておくのは、大変危険な事です。たとえその記録しか残っていないのであっても、そう思って処分する者がいて当然でしょう」
『……なるほど』
 主の言葉に、頷くオーロラであった。
 とはいえ、あの時ステラは、自らの身を危険に晒してまで、彼らを助けようとしたのではなかったのか?
 そんな事を今はまるで感じさせない程、あっさりした物言いである。
 ……それすらも我が主らしい、か……
 ステラを見上げ、胸の内で思うオーロラだ。
『……して、その包みはなんですか?』
「ああ、これですか? これは……」
 と、手にしたものをテーブルの上に置き、包みを解く。
 そこから姿を現したのは──
『こ、これはッ……っ!?』
 目にした瞬間に、思わずオーロラはその場から飛びのいた。
 鉢植えの……白い花。
 間違いなく、あの屋敷にあったのと同じものだ。
『ス、ステラ様、あの場より持ってきたのですか?』
「いいえ、これは違いますよ」
『違う…?』
「ええ」
 言いながら、指先でちょんと花びらをつつくステラ。
 しかし、それでも花は何の反応も示さない。
「これは、ここの奥にしまってあったものです。そういえば随分前に同じものを仕入れたのを思い出して、探してみたのですよ」
『……はあ、そうですか……』
 返事をしながらも、なおも警戒の様子を崩さないオーロラ。
「大丈夫です。これはただの花ですから。確かに命を吸いますが、ここに1日置いておいたとしても、せいぜい蚊を落とすくらいの効果しかありません」
『品種改良されていないもの……という事ですね』
「そうです」
 ステラに告げられて、ようやくほっと一安心するオーロラだった。
 そんな従者の姿を見ながら、ステラの手がそっと植物の表面をなぞる。
 すると、全体の姿がぼうっと薄れ、代わりに白い霧のようなものが現れた。
 霧は全体をゆらゆらと波打たせながら、ゆっくりと何かの形を形作っていく。
 あの研究室でみせたのと、同じ光景であった。
『波動関数への干渉ですね?』
「ええ」
 頷く、ステラ。
 ここで言う波動関数とは、量子力学の用語である。
 簡単に述べるなら、それは物質を構成する粒子の運動を表すものであり、特に原子の中の電子の運動を示す際に、この波動関数を用いるのが一般的だ。
 これに”干渉する”というのは、言い換えれば”物質の原子組成を組み替えてしまう”という意味になる。
 水素を酸素に、砂を水に、鉄を金に、形無きものを形あるものに……
 そして今、鉢植えの植物は白い小さな蝶に姿を変えて、ヒラヒラとその場に舞い始めた。
 あの時、ステラは全ての花をまとめてひとつの形に、人の姿へと成そうとしたのだが……結果は失敗に終わった。
 けれど、今にして思えば、もし成功したとしても、創り上げた存在は生きていられなかったかもしれない。
 彼らは、博士を失った喪失感から、自らの滅びを選んだ。
 形を変えたとしても、それは同じだったのではないだろうか……
 ……あくまでも仮定の話で、実際どうかは分からない。
 それに今となっては、もう答えも出しようがなかった。
「……知っていますか、オーロラ」
 開けられた窓へと飛んでいく蝶を眼で追いながら、ステラが聞いた。
『何をですか?』
「植物というのは、人が話し掛けると、よく育つそうです。それどころか、自分を切ったり折ったりした人間をきちんと覚えていて、次に同じ人間が近づくと、はっきり生体電流の値が変わるそうですよ」
『……そのようですね。聞いた事はあります』
「優秀ですね、植物というのも」
『はい』
「ときにオーロラ」
『なんでしょうか?』
「植物を素体とした使い魔というのも面白いかもしれません。あなた、仲間が欲しいとは思いませんか?」
『……は?』
 いきなり言われて振り返ると、身をかがめた主人が自分をじっと見つめていた。
『冗談……と思ってよろしいのですよね』
「ええ、もちろんです」
 すぐにステラはそう返してきたが……いつもと変わらぬ無表情なので、本心はちっともわからない。
 ……まさか、な。
 胸の中でつぶやきつつ、それでも不安がぬぐえないオーロラであった。


■ END ■


◇ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

※ 上から応募順です。

【1057 / ステラ・ミラ / 女性 / 999 / 古本屋店主】

【0996 / 灰野・輝史 / 男性 / 23 / 霊能ボディーガード】

【0086 / シュライン・エマ 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家】

【0649 / 龍堂・冬弥 / 男性 / 26 / 探偵】


◇ ライター通信 ◇

 どうもです、ライターのU.Cでございます。
 今回お送りする話は、予想以上に物悲しい雰囲気となりました。
 これまでにこちらに書かせてもらいました物語とはかなり毛色が違ってまして、コメディでもありませんし、バトルもありません。こういうのもたまにはいいかな……とか思って頂けると幸いかと思ってはいるのですが……何か御意見等ございましたら、遠慮なくツッコミをお願い致します。

 ステラ様、今回もご参加ありがとうございます。なにやら毎回エピローグでは極光にてオーロラ君と事件を振り返るというのがパターンになってまいりました。ご希望がありましたら変えますので、またの際はよろしくお願いします。無表情に「変えなさい」とか言われたら、慌てて変えます。ええそりゃもう。

 灰野様、またのご参加ありがとうございます。耳栓は、結局使いませんでした。最初は歩き回るマンドラゴラという設定もあったんですが、なんかコミカルなイメージしか沸きませんでしたので、こういう形になったという裏があったりします。しかし……今回は魔剣使いが2人もご参加ということで、なんでもっと派手な敵を設定しなかったんだと、書きながら歯ぎしりしてました。それだけが無念ですね。このメンバーで派手な戦闘とかやったら、そりゃもう楽しいでしょうに。うぅぅ。

 シュライン様、またのご参加ありがとうございます。プレイングの最後で触れられていましたが、彼らは学者を探している可愛そうな存在でした。その通りです。また、今回相手の発するのは「声」ではないので、シュライン様の特殊能力をもってしても対処が難しかったと思われます。結界を張れる能力者がいなかった場合は、結構ギリギリの展開になっていたかもしれません。話の方向性をガラリと変えて、悲鳴を上げて逃げ回るマンドラゴラを追い掛け回すシュライン様というのも、面白かったかもしれませんね。今度はそちらの方向で……是非。(←コラ

 龍堂様、はじめまして。もしかして妻の玲於奈様もご参加の予定だったのでしょうか? ちょうど冬弥様で参加人員の4名が埋まりましたので、締め切りとさせて頂いたのですが……もしそうだとしたら、気づかず申し訳ございません。書いていて、ここで奥さんが壁壊し始めたら面白いだろうなぁ……とか思うところが2、3ありました。奥様の方も、魅力的なキャラクターですね。ご縁がありましたら、またよろしくお願いします。


 最後に……
 果たして、誰が花達に引導を渡す言葉を告げたのか……それは読んで頂いた皆さんの判断にお任せします。
 あの人かもしれませんし、あの人かもしれません。可能性は参加者さん全員にあります。
 明確に「この人」とは私自身設定していませんので、読み手の感じ方によって、色々と想像を膨らませてみて下さいませ。

 なお、参加者各位様のシナリオは、全て同じ内容となっております。その点もどうかご了承ください。

 それでは、参加して下さった皆さん、並びに読んで下さった皆さんには、深く御礼申し上げます。
 次の機会に恵まれれば、その時にまたお会い致しましょう。
 ではでは。

2002/Oct U.C