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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


<凍りついた瞳>

調査組織名   :草間興信所・調査依頼

執筆ライター  :朧月幻尉

------<オープニング>--------------------------------------


「悪いな、これの片付けで俺は動けん・・・」
草間はそう云うとデスクの書類束を叩く。
「まったく・・・何で俺がここに縛り付けられにゃならん」
彼の顔には明らかに疲労のほどがうかがえた。
 吸殻がこんもりと山になり、灰皿の上に鎮座している。『フィールドワークに出掛けたい』とぼやいている草間を見るのは一度や二度ではない。
「今回の依頼だが、ばあさんの幽霊が出るって噂の住宅街に行ってくれ。場所は品川区 港湾 5丁目だ。団地の公園に『居る』らしいんだが、『居座ってる』って感じじゃないらしいな・・・依頼書だと」
ひらひらとその『依頼書』を振ってみせた。
だが、他に気になる事件があるらしく、目はデスク上の書類に目を奪われたままだ。
 こちらに顔も向けず、没頭していた草間は、ふと思い出したように云った。
「子供・・・・・・声がするってよ。現場から離れたところで」
 そう云った彼はたぶん本日数十本目になるであろう煙草を消し、吸殻の山に 丁寧に乗せた。捨てに行くのも面倒らしい。
「まかせた」
 目だけをこちらに向け、草間は云った。
 幾分、疲労を乗せた声音には確かに『信頼』という意志がある。
 ここは自分たちの出番らしい


●The tear which gathered in the heart.

「品川区 港湾 5丁目ねえ・・・・・・随分と辺鄙なところね」
 シュライン・エマは切れ長の瞳を細めて云った。
 軽く頭を振り、束ねた黒髪を後ろに回す。真っ赤なシャツの襟を大きく開けた豊かな胸元には、色付きガラスのおしゃれな眼鏡が下がっている。オフィスワークのせいなのか、目があまり良くないらしい。
 シュラインはデスク上の吸殻の山に目が行くと溜息をついた。
 草間は放っておくといつまでも吸殻を貯める。
 灰皿を掴むと零れないように手で支えた。
「ホント、何にも無いところよ」
 流暢な日本語を話すが、彫りの深い鼻梁と青い瞳を見ると外国人であることがわかる。しかし、それ以外は表情、仕草の何処を取っても日本人にしか見えない。
 本業は翻訳家だが、生活費の足しにするために草間興信所でバイトもしていた。もっぱら、最近はボランティアに徹している。
 鼻歌を軽く口ずさんで簡易キッチンへ向かう。
 聞きなれた歌だなぁと遼は思った。去年開催された冬季オリンピックのテーマソングであるが、今年に入って東京に来た遼はそのことを知らない。ただ、良く買い物に行く店でかかっているので覚えていたのだ。
 微妙な音の高低まで再現している。シュラインは何気なく歌っているようだが、相当の腕前であることは確かだ。
「東京都が30年程前に建てたアパート郡がまだ残ってる地域だからな」
 椅子の上で一つ伸びをすると、草間は云った。
 シュラインは灰皿を片付けるためにゴミ箱を開け、吸殻を捨てながら話に口を挟んだ。
「都知事が団地の全面改築案を出してたと思うけど」
「えぇ・・・・・・昨日、MXTVでやってましたね」
 MXTVは東京都専用テレビ局である。
 アニメなども放映するが、都知事がよく出演することでも有名であった。
 都知事出演の題目は勿論のこと『都の行政』についてだが、宣伝過多な番組ではなく、至極真面目に執り行われている。
 都の新しい情報はこのテレビ局を見たほうが確実なので、遼は毎日見ていたのだ。
「情報集めにはTVが一番ですね。俺、何処に買い物に行けばいいかわからないのでTVは助かります」
 ソファーに座り、膨大な羊皮紙の巻物を読みながら、遼・アルガード・此乃花は云った。

 その細い指は滑らかで、とても男性のものとは思えない。
 桜貝色の形の良い爪。節も細く長い指。手首の細さも、滑らかさも完璧だった。名だたる名工が、己が人生を傾け生涯にたった一つ作り上げたかのような造詣美を持つ手だ。
 その手がくるりと羊皮紙を丸めた。
「遼くん。アンタ、何読んでたの?それ羊皮紙でしょ」
「えぇ、そうです」
「魔法使いの高校に通ってるんだっけ?テストはやっぱり魔法なんでしょうけど、勉強しなくていいの?学生でしょうが」
「いいえ。俺は先生ですよ」
 魔王さえ恋焦がれ、彼の足に額を擦り付けるであろう美貌の少年が笑う。
それは冷たさを感じさせるどころか、穏やかな午後の光を感じさせた。
「へぇ・・・・・・じゃあ、それは答案用紙か何かなの?」
「これは【魔法界騎士団会報の今月号】ですよ。・・・・・・ええっと、こっちは【最新術師批評研究論】【金錬術における近代科学との共存】。これは【魔法通販センターカタログ誌】」
「はぁ??」
「あと、【バチルダ・エミントンの楽々魔法薬、これで貴女もベテラン主婦!!】と・・・・・・」
「わかったわかった・・・・・・」
 シュラインは半ば呆れたように云った。
 真面目な魔法関連の文面に、いきなり所帯じみたモノが混じっていたのでシュラインはこの少年の意外な一面を見たような気がした。
 いかにも家事の下手な魔法使いの主婦が買いそうな物を、この子は必要としているのだろうかといぶかしむ。

――先生っていうけど大丈夫かしら、この先が思いやられそうだわ。

「これからどうしますか、シュラインさん?」
「う〜ん、『事件は現場から』っていうし。まず、その団地に行きましょうか」
「そうですねぇ・・・・・・」
 しかし、どうしても頭から離れないことがシュラインにはある。
 老婆の姿と共にあったという子供の声のことだ。
 老婆との関係はあるのだろうか?それとも関係は無く、ただ単に近所の子供の声だったのだろうか?
 無関係ではないと思っているのは自分だけか。
「遼くんはどう思う?」
「はい?」
「聞こえるって言う声のことよ」
「『いつも一緒に』って事でしたら、関係あるっていえますよね・・・・・・どうなんですか、草間さん?」
ふいに呼ばれ、草間の背はびくっと跳ねた。
「え?」
「声ですよ、声。」
「武彦さん・・・・・・聞いてませんね」
「あぁ・・・・・・すまん。子供の声なら、ばあさんが出る時と同時らしいな」
「やっぱり」
 シュライン・エマは云った。
 自分の【勘】が『無関係ではない』といっている。恐らく、血縁者だろう。
 何だか胃の辺りがムカムカしてきた。
 今日の【勘】は良いものではないらしい。いつもは勘などを強く意識することも無かった。しかし、今日は違う。
 何か嫌なことが起こるような、胸を押しつぶされそうな予感。
 シュラインの額に細かな汗の粒が浮かんだ。
「シュラインさん?」
 シュラインの顔を心配そうに遼は覗いた。
「何でもないわ・・・・・・行きましょう」
 そういうとシュラインは事務所を飛び出した。
 遼は慌てて羊皮紙の束を引っ掴む。コートに手早く袖を通し、とナップザックを持つと、シュラインに習って事務所を飛び出した。


●嘆きの声・・・

「ここね・・・・・・」
 シュラインは呟いた。
 ペンキの剥げたコンクリートの壁に覆われた、お世辞にも綺麗とは言いがたい都営のアパート群や団地の中に、その公園はあった。
 ここは東京湾のすぐ近くのせいか、風は湿っぽい海の匂いがする。
 古びたコンビニや商店がちらほらと建ち並んでいたが、かえってそれがこの団地の不健康さを浮き彫りにしていた。
 公園には人影もまばらで、行き交う人たちさえもこの公園に立ち寄ろうとはしない。
「誰かいないかしら・・・・・・」
「シュラインさん」
「何?」
「あの子・・・・・・」
 丁度、木の影で見えなくなっていた人影を発見し、指差した。
 小学生ぐらいの女の子がベンチに座り、つまらなさそうに足をぷらぷらさせている。
「え、何処?」
「あの子ですよ・・・・・・声かけてみますか?」
「そうねぇ、突っ立っててもしょうがないものね」
 そう云うとシュラインは歩き出す。遼も後ろからついていった。

「ねえ・・・・・・ちょっといいかな?」
 びっくりさせないようにシュラインはゆっくり近づいていった。
 女の子は顔を上げた。ほっそりした顔立ちの女の子だ。
「なあに?」
「あのね、お姉さん達はこの街について調べてるんだけど・・・・・・」
「編集者のひと??」
「え?!」
 いきなり言われ、シュラインはたじろいだ
「編集のひとがここで待っててっていったの。お姉ちゃんは編集のひとでしょう?」
 遼とシュラインは顔を見合わせた。
「違うわ」
「なんだぁ、違うんだ・・・・・・留美はね、ここでよく遊ぶの。幽霊見たから大人のひとに教えたの、そしたら雑誌社の人が留美にお話聞かせてって・・・・・・」
 留美は鼻をすすった。
「じゃ、その人たちに教えてあげたの?」
「ううん。来ないの・・・・・・ずっと留美待ってるのに」
 どうやら大人たちは相手が小学生と知って、約束をすっぽかしてしまったらしい。ずっと一人で寂しかったに違いない。シュラインは憤りを感ぜずにはいられなかった。
「お姉ちゃん」
「なあに?」
「留美、嘘つきって思われたのかなあ・・・・・・学校で今日『嘘つき』って言われたの。だから大人の人もそう思ったのかなあ?」
「嘘じゃないんでしょ?」
「留美、嘘つきは嫌いだもん!!・・・・・・でも・・・ちょっと忘れ物したら嘘ついちゃうけど・・・・・・」
 留美はちらりとシュラインのほうを見て笑った。
「調べれば判る事だよ、留美ちゃん」
 遼は微笑んだ。
「留美、調べられないよォ」
「大丈夫、俺たちがやるよ・・・・・・でも、留美ちゃんが手伝ってくれないと出来ないな」
「留美、手伝う!」
「じゃあ、私たちに何を見たのか教えてくれるわね?」
「うん!」
 聞いてくれるのがよほど嬉しいらしく、留美は塾をサボった日に見た霊のことを事細かに話してくれた。
 その霊はベンチに座り、こちらに向かって何事かを云ったらしかったが、留美はびっくりしたのと怖いのとで泣き出してしまったという。そのまま泣いていると、留美の肩を叩くような仕草をして消えたということだった。
「なんかね、優しかったの・・・・・・でもね、何か言ってたみたいなのに、留美はお話聞いてあげられなかったの・・・・・・」
「仕方ないわよ・・・・・・びっくりしたんだから」
「う・・・ん・・・・・・」
「もう帰りなさい、こんな時間よ」
「ん・・・・・・まだ6時半だよ・・・・・・わぁ!塾があったんだ!!」
「あッ、早く行かなくちゃ!」
「うん。じゃーね、お姉ちゃんたち」
「気をつけてね」
「飛び出しちゃ駄目だよ」
「うん、気をつける。バイバイ!!」

「・・・・・・さて、どうしよう」
「おばあさんの霊を呼んで聞いてしまったほうが、早いような気がします」
「そおねぇ・・・・・・アンタ魔法使いでしょ?」
「??・・・・・・そうですけど」
「交霊術出来ない?」
「できますよ」
「じゃあ、やりましょ。何か手伝えることある?」
 そうですねぇと云ったまま、遼は少し考え、小首を傾げた。
「シュラインさん・・・・・・聴音は得意ですよね」
「ええ・・・・・・何で?」
「さっきの歌を聞いて、そう思いました。素晴らしかったです」
「ただの鼻歌じゃない」
「いいえ、ご本人よりお上手でした。俺、ずっと聞いていたいと思いました」
「ありがと。どんな音でも模写できるわよ」
 シュラインはフフッと笑った。
「えぇっと・・・・・・俺がリードしますから、後をついてきて下さい。同じ小節を繰り返します。音を覚えたら、一緒に歌いましょう」
「アンタ、歌を使って交霊する気!?」
「はい」
 シュラインは肩をすくめた。
 そんなやり方は聞いた事が無い。
 しかし、この少年がどんな声で歌うのか、聞いてみたいとシュラインは思った。
「わかったわ」
 じゃあ決まりね、というとシュラインは背伸びをする。
「お先をどうぞ」
「ありがとうございます」
 遼はシュラインにちょこんとお辞儀をした。
 舞台に初めて立った少女のお辞儀のようで、シュラインは笑ってしまった。

 軽くハミングから始め、次は三度音程のフレーズ。
 それはとても小さく、聞こえるか聞こえないかの音だ。
 遼がまったく『声帯を使っていない』という事実にシュラインは気が付いた。
 不純物が一切混入していない水のような声。なのに、柔らかく暖かい。
 一点から無限に広がる響き。
 声帯を使わない発声など初めてだが、どんな音も創り出すシュラインにとって、出来ないことではなかった。
 遼はシュラインが同じように出来ると理解っているのか、音を止めて尋ねることもしない。無心に切れ目の無い、なだらかな旋律を何回か繰り返した。
 徐々に、それは意味のある音・・・・・・旋律となり、まるで蝶が孵化するように『詠唱』(うた)へと変化していった。

The Lord.
Self is fathers. Direction at which it hints a high place.
May this person is embraced in your hand!
That's right, it is a coming here.
A trouble mainly delivers and is the wishes with the Lord itpeacefully.

Although what is desired comes here, it is good.
The Lord told.
I continued waiting also at the what 100 million time.
It waited how much and is the same thing.
Your wish is surely fulfilled.
However, my wish has not been fulfilled even only 1%.
My wish.
You need to notice a true figure, and it both helps each other, and build Heaven on the ground.
 Only one person must not leave, either but rise in Heaven.
 I want to also help the evil spirit caught by its desire in hell.

It is to here now. It is good, although it is wrapped in the wings of peacefulness and rests.
That's right, it is a coming here.
A trouble delivers and it is my wish peacefully.
A trouble the Lord delivers and is the wishes with the Lord it peacefully・・・

 ふと、遼が詠唱を止めた。
「どうしたの・・・・・・はっ!」
 ベンチの横には老婆の姿があった。薄ぼんやりとしてはいるが存在感はある。
 間違いなく噂の老婆の霊だ。
 顔をこちらに、向けた。
『・・・・・・ユウヤヲ・・・・・・』
「ユウヤ?誰のことなの??」
『助ケテ・・・・・・孫ヲ』
「ユウヤって、貴方のお孫さんなのね?」
『ソウデス。私ハココデ、良ク遊ンデアゲマシタ』
「その子は何処にいるんですか、俺たちに教えてください!」
『アノ女・・・・・・ユウヤヲ殺ス』
「殺す?」
 シュラインと遼は顔を見合わせた。
「まさか・・・・・・」
 シュラインは喘いだ。
 事務所で感じたあの予感はこれだったのだ!
 まさに今一人の人間の命が失われようとしていた。
 一刻も早く助けなくてはと思うものの、老婆の霊は団地の向こうの埠頭を睨んだまま動かない。
 段々、老婆の顔が憎しみに染まってゆく。まるで、白紙にインクが滲んでゆくようだ。老婆の心が歪みんでゆくのが、シュラインには解かった。

 ―だめ・・・・・・駄目!

「おばあちゃん、助けたいんでしょう!」
シュラインは夢中で叫んだ。
『アノ女・・・・・・』
「憎んでしまっては駄目です。お孫さんのところに俺たちを連れて行ってください!」
 老婆の霊の醜く歪んだ顔にふと、正気が戻る。
『コッチ・・・・・』
 そう云うと、埠頭の方へと向かってゆく。
「行きましょう!」
「はいっ!」
 二人は老婆をの後を追った。


●愛情

 埠頭方面へ向かうと、橋を渡った。
 東京湾へと繋がる水路が、ここを港だと教えているようだ。
 水面は揺れて、冴え冴えとした月の光を跳ね返している。
 吐く息が白い。どおりで寒いはずだ。
 シュラインはブルッと震え、身を抱きしめた。今朝、家を出る時に、マフラーと手袋を持って出てこなかったことを悔やんだ。
 あと百メートル程で埠頭の端まで着きそうだと思ったところで、老婆の霊は止まった。
『ココ・・・・・・』
「わかったわ・・・ここは、私たちに任せて」
『・・・・・・デモ、アノ子ハ・・・・・・』
「大丈夫ですよ・・・・・それに貴方では助けられません。この次元で生きる者しか、この世は動かせませんから」
「哀しいけど、この世は生きてる人間に委ねられてるのよ」
「後は俺たちが何とかしますから」
『アノ子・・・・・・オ願イシマス』
 老婆の霊は云うと、小さなアパートを指差した。

 シュラインと遼はアパートに近づくと、一階の端から人が出てくるのが見えた。
 手がかりは名前だけだった。
 二人はユウヤという人物、または子供がいるかどうかをその人に聞いてみることにした。
「あの、ユウヤという名の・・・・・・」
「なッ、何よ!!」
 そういうと二人を睨みつける。
 年は二十代後半ぐらいだろう。派手な造りの顔立ちがキツイ印象を与える女性だった。表情にはどことなく怯えの色が見える。
「ゆ・・・・・・裕也なんて知らないわッ!」
「ま、待ってください。近所に・・・・・・」
「知らないわよ、退いてよ・・・・・・」
「ちょっ・・・・・・」
「邪魔だっていってンだろ!どけよ!!」
 口汚く怒鳴ると振り払うようにその場を去ろうとした。
「待って!!」
 シュラインは女の腕を掴んだ。
「離せよッ!痛ぇンだよ、バぁ〜カ!!裕也なんてゴミ知らねぇしよ。あんなのあたしのガキじゃねぇ!すぐ泣くわ、汚すわ、いちいち腹立つンだ!」
 止め処も無く女の口から罵りの言葉が溢れ出る。
「いるのね・・・・・・」
 シュラインは確信した。
 この女性は『ユウヤ』の母親だ。
 シュラインは女の腕を放し、反射的にドアノブを掴んだ。ドアは鍵が掛かっていない。シュラインは部屋に飛び込んだ。
「何だよ、人ンち入るなよ!!」
 しかし、女は次の瞬間逃げ出そうとした。
 遼は女の腕を素早く掴むと、部屋のほうへ女を引っ張った。
「痛い!」
「逃げちゃだめです!!」
 遼は女を部屋の中へ連れていった。

 洗い物が溜まったキッチンを見て、シュラインは絶句した。
 素足で歩くのが躊躇われるような、シミだらけの絨毯には、カップラーメンの食べカスが転がっている。
 部屋は足の踏み場もなく、黒ずんだ壁が不潔さを際立たせていた。
 何処となく腐乱したような匂いが立ち込めている。
 シュラインはキッチンの隣の部屋を覗いた。
 そこは四畳半の部屋だった。
 こちらも例外なく洗濯物が散らばり、布団も引きっぱなしだ。
 シュラインは洗濯物の山を踏み越えて『ユウヤ』がいないか探す。
「ん??」
 シュラインは布団の下に固いものを感じ、布団を剥いだ。
 その瞬間、女がシュラインを突き飛ばした。
「ヤめてよォッ!!」
 女が部屋に飛び込んで来ると、シュラインに飛びつき、押し倒す。
「ちょっと!!やめ・・・・・・」
「見んなよ!」
「だめです!シュラインさんを離して下さい!!」
 遼は女をシュラインから引き離した。
「はっ!!」
 布団に横たわった『それ』は幼稚園に行っていないぐらいの子供だった。
「この子が・・・・・・ユウヤくん・・・・・・」
 その子供はピクリとも動かない。
 身体には無数の切り傷があり、火傷痕もあった。多分、母親が付けた煙草の痕だろう。肌は紫色に腫れ上がり、傷口は腐って黒ずんでいた。ぬるりとした肉色も覗いている。
「ッ!!!」
 シュラインは吐き気を催した。
 うっすら開いた『ユウヤ』の眼は、虚空を彷徨っている。
 まだ、生きてはいるらしい。
「シュラインさん、ちょっと退いていてください」
 そういうと、遼はユウヤの脈を取った。パジャマから覗く青く腫れた腹を見かね、遼は触診する。
「内臓が・・・破裂してます・・・・・」
「あ・・・・・・あたし・・・・・・」
 母親はへたりこんでいる。
 他人に自分の罪を知られ、自失呆然となっているようだった。
「あたしが悪いんじゃない!」
「アンタ以外に誰がこんな事したってのよ!!」
 女をシュラインは睨んだ。
「だって・・・・・・泣くんだもん!泣くなっていうのに、だからあの人出てっちゃったんだ。あたしを置いて・・・・・・」
「勝手な事言わないで!!」
 シュラインは叫んだ。
「アンタ、母親でしょう!!子供が可愛くないの!!」
「頑張ったのよ・・・・・・親になったら可愛く感じるって・・・・・・そう思ったのに! ちっともいうこと聞いてくれないのよ!」
「そう云う問題じゃないでしょ!!」
「二人とも、静かに!!」
 遼が叫んだ。
 シュラインは、ハッとして振り返る。
 いつも穏やかに笑っている遼。春の陽だまりみたいな暖かな笑顔が、今は青ざめている。
 そんな彼が叫ぶのを、シュラインは初めて聞いた。
「ユウヤくんが何か言ってるんです!!」
 遼はユウヤの痩せてこけた頬を撫ぜた。
 血の気の無い肌は弾力を失っている。瞳には力が無い。命の火も消えかけているのが遼にはわかった。
「・・・ま・・・・・・ママ・・・・・・」
「何がいいたいのかな?」
「・・・・・裕也」
「ご・・・めん・・・・・なさい・・・・」
 ユウヤの瞳から・・・・・・涙が一滴落ちた。
 それがユウヤの最後の姿だった。


●凍りついた瞳

 母親は警察へと連行されていった。
 自分の罪と子を失ったという事実の間に挟まれて母親は泣いていたが、シュラインは納得できなかった。
 助けられなかったことがシュラインの心に重く圧し掛かる。
「おばあさんとの・・・・・・」
「はい?」
「・・・・・・守れなかったわ」
 そう云うと、シュラインの瞳から涙が止め処もなく溢れてきた。
「どうして、どうして殺せるのよ!!」
「シュラインさん・・・・・」
「自分の子なのにっ!」
「自分の子だからですよ」
 ハッとして、シュラインは遼を見た。
「自分の子だから殺したんです」
「何で!」
「自分の子を『自分の所有物』だと思い込んでいたからです。命なんだと思えなかったんです」
「母親なのに?」
「・・・・・・彼女は、母親ではありません」
「え?」
「彼女は・・・・・・・まだ、子供だったんです。『大人』ってことが解からないまま、時間だけが過ぎて、愛情の与え方も貰い方も知らないで・・・・・・」
「遼くん・・・・・・アンタ・・・・」
「救うべきは母親のほうだったんです。早く気が付くべきだったんだ。彼女も虐待を受けてたんだ、親に。だから、自分の子供にどう接していけばいいか判らなくって、同じ事を・・・・・・きっと、ずっと・・・・・彼女は待ってたんです。一緒に考えてくれる人。笑ってくれる人。受け止めてくれる人を!」
 遼の瞳からも涙が溢れていた。
 ただそれを流れるままにして、少年は泣いていた。
 シュラインは少年の涙を綺麗だと思った。
「何で・・・・・・何でッ!この街は・・・俺を・・・・・・こんな気持ちにさせるんだ・・・・・」
 崩れるように壁にもたれる遼を、シュラインは抱きしめた。
 あの母親が連行されて行く時、彼女の瞳は凍りついていた。
 誰も入れないで、拒絶して。誰かに入ってきて欲しくて。

―怯えて、傷ついて、凍ついた瞳。

最後に「ごめんなさい」と云った少年も同じ瞳をしていた。
そんなところまで親に似ることもないだろうに・・・・・・



 主よ。我らが父。いと高きところにおわす方。
 この者が貴方の御手に抱かれますように。
 さぁ、おいで、ここへ。
 悩みは主に明渡し、安らかに。
 それが主の願い。

 望むものはここへ来るがいい。
 主はおっしゃった。
 幾億の時も私は待ちつづけた。
 幾ら待ったとて、同じ事。
 お前達の願いは必ず叶う。
 しかし、私の願いはただの1パーセントも叶ったことが無い。

 我が願い。
 それはお前達が真の姿に気が付き、共に助け合い、地上に楽園を築くこと。
 たった一人も残さず天国に昇ること。
 地獄で自分の欲望に囚われた悪魔でも、私は助けたい。

 今はここへ。
 安らぎの翼に包まれ、休むがいい。
 さぁ、おいで、ここへ。
 悩みは明渡し、安らかに、それが私の願い。

 ――悩みは主に明渡し、安らかに、それが主の願い。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/ シュライン・エマ / 26 / 女 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト

1006 / 遼・アルガード・此乃花(りょう・あるがーど・このはな) / 男 /16 / 高校生教師




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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、朧月幻尉(ろうげつ・げんのじょう)です。
 今回の話はいかがでしたでしょうか?
 かなり、痛い話になりましたが(汗)シュラインさんが涙もろいと聞いて、ついやってしまいました。
 二人が詠唱(うた)った歌は、自作でして、賛美歌にはございません。
英語の部分と最後の詩は同じ内容です。
あえて題名を付けるとすれば『主の願い』です。
 私としては随分と楽しませていただきまして、小説が書けるということは、なんてラッキーなのだろうと思いました。
 この話は何か大切なものをと思って、考えたシナリオです。
 普遍的で大切なテーマを届けたいと思っていました。
 今、まさに貴方に届けることが出来、嬉しく思います。
とてもとても私は恵まれていると思います。
このような機会を頂きましたこと、誠に感謝しております。
新人ライターですが、今後ともよろしくお願いいたします♪

 P・S:もしよろしければ、私信などで感想・意見・苦情などをお送りください。ぜひとも!今後の参考にさせていただきます。

 本日は誠に有り難う御座いました!!