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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


時を越えて 〜 大怪盗VS死神伯爵 〜


■ オープニング

 郊外にある古い洋館の跡地で、子供が行方不明になったそうだ。
 なんでもその場所には、昔人食い伯爵とか死神伯爵とか呼ばれていた鳳凰院黎旺(ほうおういん・れいおう)なる人物が住んでいた屋敷があったらしい。
 明治後期から昭和の始めにかけての実在の人物で、当時は名の知れた華族だったとの事だ。
 ただ、この屋敷に勤めた使用人や、周りに住んでいた人間がしょっちゅう姿を消すんで、別名の方が有名になったらしいがな。
 警察関係にも派手に金をばら撒いていたらしくて、捜査もほとんどされなかったようだが、50年程前に屋敷が突然火事になり、以来姿を消してる。死体は発見されなかったそうだよ。
 で、焼けちまったこの屋敷なんだが、どういう趣味か、地下にかなり広いスペースがあってな。迷路みたいになっているそうなんだ。もちろんそこは焼け残ってて、子供はここに入り込んで迷子になっちまったんじゃないかって話さ。
 ただ……
 この地下なんだが、どうもトラップがてんこもりで仕掛けられてて、一筋縄じゃいかんらしい。
 警察もほとほと手を焼いて、結果としてうちにも話が来たって流れだな。
 そんな物騒な所にこっちも人を簡単にやるわけにはいかんのだが、思わぬところから協力を申し出てきた人物が現れた。
 それが、東雲界磁(しののめ・かいじ)、当年とって76歳になるじーさまだ。
 が、もちろんただのおいぼれじゃないぞ。これも随分昔になるが、狙った獲物は必ず盗むと言われた連続広域窃盗犯第184号の最重要参考人──要するに容疑者として警察からマークされながら、決して証拠を掴まれなかったっていう男さ。過去に一度だけ、鳳凰院邸の地下に忍び込んだ事があるって言ってるが……詳しいことは俺も良く知らん。協力の理由までは話してくれなかったんでな。
 そっちの世界からはとっくに足を洗ってるのに手を貸すと言うんだから、何か含むところがあるのかもしれん。
 どうする? 誰か行くなら、俺が界磁老人に連絡を取る。あとは現地で行動に移ってくれ。
 警察からは、自由にやって構わんというお墨付きをもらってるんでな。
 行く奴、誰かいるか?


■ 侵入・秘められし過去への穴

 住宅地の中にあって、その場所だけは一種異質な空気を放っていた。
 周囲に広がる家並みから、そこだけ切り取られたみたいにして、木の鬱蒼と茂る小高い丘がある。
 そこを登る道は一本しかなく、舗装もされてはいない。
 50年以上も前、丘の頂には西洋風の大きな屋敷があった。
 主人の名は、法王院黎旺。
 旧華族の出身であり、当時の政財界を始め、各種権力機関に太いパイプを持っていたと言われる人物である。
 そして、当時この屋敷とその主は、こう呼ばれていたのだ。
 ──足を踏み入れたら決して帰って来れぬ魔の館。その主人、死神伯爵……と。


 林を抜けた屋敷跡では、いくつものパトランプが赤く闇を染め上げていた。
 濃くなり始めた夕闇の中、導入された数基のサーチライトも、屋敷の残骸を照らし出している。
 浮かび上がる制服姿のシルエットは、警察と消防の関係者がほとんどだ。
 かつては屋敷の基部を構成していたと思われる巨大な石の塊の間を、皆慌ただしく動いている。
 そんな中、少々離れた闇の中で、その様子にじっと目を向けている数個の人影があった。
「おい、こんなとこにいつまで突っ立ってるつもりなんだよ。やつらに先越されちまうぜ」
 と、1人が言った。
 篠懸(すずかけ)と結袈裟(ゆいげさ)という、典型的な山伏の格好をしたのは、まだ幼さの残る少年だ。
 名前は、北波大吾(きたらみ・だいご)、15歳の高校生である。
 ちなみに篠懸とはベースとなる衣服であり、結袈裟というのは、胸のあたりに付いている丸い飾りを差す。これであとは頭に兜巾(ときん)と呼ばれる六角形の飾りをつけ、背中に笈(おい)という箱を背負い、手には錫杖を持てばどこから見ても格好は立派な山伏なのだが、その3つはなく、代わりに手にはなにやら長い袋を持っていた。
 じろりと一方を見る目は鋭く、口調もそうだが、多少崩れた印象がある。はっきりいってしまうと……不良っぽい。
「……そう焦るな小僧、おたのしみはこれからだ」
 一方、視線を向けられた先では、平然とした声がそうこたえた。
 顔に深く刻まれた皺と、短く刈り込まれた真っ白の頭髪が、いかにも年齢を表している。
 しかし、声も立ち姿も堂々としたもので、小柄な体から風格らしきものをそこはかとなく感じさせていた。
 両手には黒い皮の手袋をつけ、履いているのは靴ではなく地下足袋だ。
 彼こそが東雲界磁──今回の依頼の同行者である。
「誰が小僧だジジイ」
「ジジイとは何事だ、界磁様と呼んで敬え。ついでにガールフレンドの2、3人も紹介しろ」
「ふざけんな!」
「わしは大真面目だ。まあ、お前は見た所ツラも性格もいまひとつのようじゃから、女友達も少ないだろうがな。はじめからあまり期待はしとらん」
「……あのな……」
 思わず腕まくりをしかけた大吾だったが……
「まあまあ、そんなことより、本当にいいんですか? 確かに見ているだけでは何もできませんし。彼の言う事ももっともですよ」
 と、2人を止める新たな声。
 銀縁メガネの下で、人の良さそうな顔が微笑んでいた。
 さらさらの髪で、女性にはいかにもウケが良さそうな雰囲気を感じさせる青年だ。着ている物もそこそこにいい物らしく、どこかのいいとこのお坊ちゃん的な雰囲気を感じさせる。
 実際、家は医者なのだが……まあ、それはこの際置いておくとして。
 彼の名前は桜井翔(さくらい・しょう)。19歳の医学生だ。
「ふん、心配せんでも、あやつらには何もできんさ。まだ子供をみつけた様子もないのがその証拠だ。恐らくは罠に手こずって先に進めんのだろう。ご苦労な事だよ」
 と、ぶっきらぼうに告げた後、界磁老人は急ににっこりと笑い、
「だからと言って、それほど心配する事もない。なに、子供はわしらが無事に保護すればいい。だからお嬢さんがそんな顔をする必要などないぞ、うむ」
 と、翔の後ろに声をかける。
「……は、はい……」
 小さな返事がして……姿がすっと翔の背後に隠れた。
 長い髪がふわりと揺れ、怯えたような瞳が界磁へと注がれている。
 見た目にはかなりな美少女であるのだが、どこか怯えた小動物のような感じを受けるこの少女の名は、神崎美桜(かんざき・みお)という名だった。都内の名門ミッションスクールに通う17歳の少女だ。
「なんですか? 話なら僕が伺いますけど?」
 代わりに、界磁老人の前に翔が出てくる。
「誰がお前などと話がしたいものか、わしは──」
「はい、なんですか? おじいさん」
「……」
 界磁の話を途中で遮り、顔をつきだしてみせる翔だ。完全に美桜と会話しようとするのを邪魔している。顔は笑顔だったが、どことなく挑戦的な態度も見え隠れしていた。
 どうやらこの2人は旧知の仲らしいが、翔がどうしてそこまでするのかはわからない。美桜の方も、単なる引っ込み思案とは思えないのだが……
「……ふん、まあよいわ」
 翔と美桜を交互に見比べて、最後に鼻を鳴らす界磁老人だった。もちろん仏頂面で、である。
「さて、ではそろそろどうするのか、我々にも説明してはもらえないかな?」
 野太い声が、界磁へと放たれる。
 無言で、老人はそちらへと顔を向けた。
 視線の先にいるのは、仕立ての良いスーツを着込んだ偉丈夫だ。
 見上げるように高い上背と、見事なまでの逆三角形の体型は、押しても引いてもビクともしそうにない。
 年は40代くらいに思えたが……正直それは界磁にも判然としなかった。
 引き締まった口元には軽い笑いがあり、それが揺るぎない自信と貫禄を放っている。
 男の名は、荒祇天禪(あらき・てんぜん)。道楽で会社をいくつかやっているなどと言ったものだが……どこかそれ以上に得体の知れない何かを秘めた男であった。
「警察関係者が崩れた瓦礫の隙間から内部に続々と入っているのを見ても、焦る様子もまるでない……という事は、どこか他に入る道があり、それをご老人は知っていると見たのだが……どうかな?」
「ほぉ……」
 天禪の言葉に、界磁老人が薄く笑った。
「なかなか読みがいいな、若いの」
「それはどうも」
 界磁の台詞に、天禪もまた、ニヤリと笑う。
「いかにもそうだ。あやつらが首尾よくやっているのであれば放っておいても良いかと思ったのだが、やはりだめだの。組織としては優秀かもしれんが、やはりこういう事には向いてはおらんようだ。どれ、しんどいがそろそろ動くとするか」
 言いながら、その目が闇の中へと動き、ある一点で止まると、すっと細められた。
 10メートル程離れた草むらの中に、人の高さ位の石像がぽつんとひとつ立っている。
 そしてその前に、細い人影があった。
「おい」
 近づき、声をかける界磁老人。
 こちらへと振り返ったのは……女性だ。
 闇に溶け込むかのような癖のない漆黒の髪に、同色の瞳。
 それとは対照的に、肌の色は抜ける程に白い。
 彼女と目が合うと、なんとなく界磁の足が止まった。
 意志のほとんど読めない無表情の顔がわずかに動き、言葉を発する。
「……入口は、ここですね?」
「ああ……」
 年の頃は、20代半ばといった所だろうか。しかし、そんな見た目とはまったく関係ない、一種近づきがたい存在感を秘めた娘だ。
 その女性の名は、ステラ・ミラ。
 彼女の足元には、影のように1頭の獣が寄り添っている。
 白の毛並みと、はしばみ色の鋭い目を持ったこの動物は、知らない人間が見れば犬と思うかもしれないが、その実は狼である。もっとも、本当は狼ですらないのだが……
 なんとなく雰囲気に飲まれそうになった界磁老人が、ぶんぶんと頭を振る。
「よくわかったな、お嬢ちゃん」
 すぐに普通の表情を取り戻し、言った。
「入口って……どこだよ。何もねえじゃねぇか」
 すぐにやってきて、あたりを見回す大吾。
「この像の下だ」
「下だぁ?」
 全員の目が、石像へと注がれる。
 それは羽を広げた、何かの鳥のように見えた。
「なるほど、朱雀か」
 天禪が、低くつぶやく。
「ちょうどここは、屋敷から見て南にあたります。だからでしょうね」
 静かな声で、そう告げるステラ。
「……つまり四神相応ってヤツだな」
「ほお、小僧の分際で良く知っとるな。まあ、不良とはいえ腐っても山伏、それくらいはわかるか、はっはっは」
「てめえジジイ、俺にケンカ売るつもりかよ」
 目つきを鋭くする大吾だったが、とっととそっぽを向く界磁だ。
 ここで言う四神相応とは、陰陽道における最良の霊地、すなわちもっとも良い霊的波動の集まる土地とされる場所を示す言葉である。
 すなわち、
 東に流水のあるのを青龍。
 南に沢畔があるのを朱雀。
 西に大道があるのを白虎。
 北に高山があるのを玄武。
 場所的にそういう地形に囲まれた地点が良いとされたのだ。
 いずれも400年の長きに渡って続いた平安時代の平安京や、江戸時代の江戸城なども、全てこの考え方の元に場所選びがなされている。それは良く知られた有名な話だ。
 この屋敷もまた、そうであった。
 よく見ると、像の周囲が他の場所に比べて低くなっており、堀と思しき溝の跡も見て取れる。50年前はおそらくここに池があったのではないだろうか。
 南に沢畔があるのを朱雀──言葉通りの地形だ。
「朱雀を自分の苗字である鳳凰院と重ねて、特別な意味を持たせたかったのだろうさ。ふん、奴らしい、形にこだわるくだらん仕掛けだな」
 淡々と言いながら、朱雀の頭の部分に手をかけ、回し始める界磁老人。金庫のダイヤルロックのような仕掛けなのか、右に何回、左に何回と法則性を持って作業を続け、最後に両方の羽を持って下へと押し下げた。
 ──ガキン。
 何かと何かが組み合わさる音が響き、続いてさらに重々しい音がして石像全体が後ろへとスライドしていく。
 現れたのは、下へと続く石造りの階段であった。
「へへ、それらしくなってきたじゃねぇかよ」
 明らかに楽しそうな大吾。
「美桜さん、僕から離れないで下さい」
「……」
 翔の言葉に美桜が頷く。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……と言った所かな」
 渋い声と共に、天禪は階段の先を見つめ、
「死神伯爵……死神の伯爵か、伯爵の死神か……どちらでしょうね」
 真面目な顔で、ステラがそんな事をつぶやいた。
「……」
 そして、何も言わず、階段を下り始める界磁老人。
 皆もその後に続き、やがて一行の姿は階段の奥へと消えていくのだった。


■ 罠・そして分断

 階段を下りきると、そこは壁、床、天上と全て石造りの回廊となっていた。
 どういう仕掛けなのか、その個々の石自体が淡く青い光を放っており、照明などがなくても、なんとか周囲を見渡す事ができる。
 ただ、それでも回廊の奥は闇の中に沈んでおり、ずっと先まで見通せるわけではなかったが。
「さて、ここから先はわしの指示に従ってもらうぞ。嫌ならとっとと出てってくれてよろしい。1人で先に進もうなどという抜け駆けもなしだ。勝手に罠にかかってくれるのは結構だが、それで床や天上が崩れ、通路が埋まってしまったのでは元も子もないからな」
 まず、最初に皆にそう言い下す界磁老人。
「ちょっとよろしいでしょうか」
 界磁の言葉が終わるのを待って、ステラが手を上げる。
「うむ、何かな、べっぴんのお嬢さん」
「ありがとうございます。そのべっぴんの私ですが、霊的、及び魔術的な攻撃に対して効果のある護符を皆様の分作ってまいりました。是非お渡ししたいのですが、皆様受け取って頂けますでしょうか?」
 相変わらず無表情のまま、言った。
「おぉ、そうかそうか、それはなんとも素晴らしい。お前さんは優しいの。そういえば目元などは亡き妻にどことなく似ておると最初から思っておったのだ」
 と、ステラへと近づき、手を握ろうとする老人だったが……
「草間様に、界磁様はずっと独身だったと聞きましたが」
 じっと見つめられ、すぐにそう返される。
「……む、あの探偵め、余計な事まで調べおって……」
「こちらです、どうぞ」
「うむ」
 おとなしく手のひらサイズの長方形の紙を受け取るしかない界磁老人だ。
 材質は羊皮紙らしく、表面には緑のインクでいくつかのマークが記されていた。
「……ほう、カバラだな」
 感心したように、天禪がつぶやく。
「なんだかしらねえが、そういうのはありがたいぜ」
「はい、美桜さんの分です」
「……ありがとうございます……ステラさん」
「いえ、礼には及びません。お気になさらず」
 全員に行き渡ったのを見て、界磁があらためて口を開いた。
「よし、では始めるとするか。まずお嬢さん方は、そこの窪みの中に立ってくれ」
 彼が指差したのは、傍らの壁だ。
 真っ直ぐに続く回廊にあって、その部分だけが幅2メートル、奥行きが1メートル程に渡って引っ込んでいる。見るからに何かありそうである。
 ステラと美桜が言葉のままにそこへと入り、さらに翔が続こうとしたが、
「まて、お前は違う、そこに立て」
 と、界磁老人が呼び止めた。
 彼の指は、今度は通路の少し先を示している。
「いえ、でも……」
「わしの言った事をもう忘れたか? 嫌なら出てけ、若造」
「……桜井さん、大丈夫ですから」
 界磁に言われたというより、美桜にそう告げられたのを聞き入れたらしく、いかにも不承不承といった顔で従う翔。
「残りの2人は、若造の隣に並べ」
「なんだよ、なんの意味があるってんだよ?」
「いいから黙って言う通りにせい。じきにわかる」
「へいへい。わぁったよ」
 大吾が進み、無言の天禪もそれにならった。
「次に男共はそこから3歩前に進め。麗しの女性陣は何もせんでよろしい」
「3歩だな?」
 天禪が、聞いた。
「ああ、そうだ」
 神妙な面持ちで、界磁は頷いてみせる。
「なんなんだ、ったくよ」
「さあ……」
 大吾にも翔にも、無論何が起こるのか想像すらできない。しかし今は、とりあえず言う通りにするしかなかった。
 ……1歩。何も起きない。
 ……2歩。変化なし。
 ……そして3歩目を男達が踏み出した時──

 ──カチリ。

 どこかで小さな音が、した。
 それと同時に、足元の石がわずかに沈む感覚。どうやらその部分だけが、スイッチになっていたらしい。
「……うむ、どうやら間違いなかったようだな。ではがんばれよ、お前達」
「はい?」
「がんばれって……どういう意味だジジイ?」
 翔と大吾が不吉な台詞に振り返ると、もうそこには既に老人の姿はなく、代わりに……

 ──ズゥン。

 腹に響く重々しい音と共に、天上から目の前に何かが落ちてきた。
 それは……通路を塞ぐほどに巨大な金属製の大玉で……
「100メートル程先の壁に、ここと同じような凹みがある、全力で走れ」
「な……」
「あ……あのクソジジイ……」
 目を丸くする2人だったが、とりあえず悪態をつく暇もない。
 ……ゴゴゴゴゴゴ……
 地響きを立てて、ゆっくりとこちらへ玉が転がり出していた。
「うわーーーーっ!!」
 とたんに背中を丸めて走り出す2人。
 破壊的な音を上げながら、玉もその後を追っていった。
「……人が悪いな、ご老人」
 それを眺めながら、一番先に窪みから顔を通路へと覗かせたのは……天禪である。
「まだここの仕掛けが生きているのか、確かめただけだ。奴らもあの程度でくたばるほどではあるまいて。それより……」
 界磁も窪みより進み出て、じろりと天禪を見上げる。
「玉が落ちてくるあの一瞬で、どうやってここに駆け込んだ、おぬし?」
「さてな。たまたま運が良かったのだろう」
「……ほぉ」
 界磁の刺すような視線にも、野太い笑みを口元に浮かべただけの天禪であった。やはりこの男、只者ではないようだ。
「……」
 続いて、美桜が通路へと出てくる。
 その瞳は、じっと界磁へと注がれていた。
 自分で自らの肩のあたりを手で押さえ、なにやら考えるような顔をしている。
 玉が落ちてきてから転がり去るまで、界磁がその肩を押さえて、窪みの奥へと庇うようにしてくれていたのだった。
「……どうかしましたか、神崎様?」
 そんな彼女に、ふとステラが声をかけた。
「あの東雲さんという方……」
 何かを言いかけたが、すぐに我に返ったようにハッとして、
「い、いえ、何でもありません」
 小声で首を振る美桜だ。
「そうですか……」
 それ以上は、ステラも何も尋ねなかった。


「てめこのクソジジイ! どういうつもりだ! 今すぐ殺すぞ!」
 こちらへと戻ってきた大吾が、真っ先にそう叫んで界磁に詰め寄る。
「……説明してもらいたいですね、僕も」
 対照的に、翔の方は落ち着いた声音で微笑みも絶やしてはいなかったが……目は笑っていない。人好きのする好青年という仮面の下で、冷たく暗い炎がメラメラと燃えている……そんな感じだ。
 が、2種類の激しい怒りを前にして、当の界磁は、
「はっはっは、いや、無事で何より。よかったなお前等」
 とか言いつつ、爽やかに笑っていた。いかにも好々爺といった表情で。
「ふざけんなこの野郎!!」
 それを見て、ますます激昂する大吾。ただでさえ気が短い彼なので、まあ当然といえば当然だが……
「年寄りだと思ってこっちが甘い顔してると思ったら大間違いだぞてめえ!!」
 言いながら、胸倉を掴もうと手を伸ばす。
 しかし、
「ふっ、わしだって何もお前みたいな小僧に甘い顔してもらおうなんぞとおもっとりゃせんわい」
 寸前で界磁は身を捻り、大吾をかわしていた。
「どうせなら、そういうのはそっちのお嬢さん方にお願いしたいんでな」
「このエロジジイがっ!!」
「エロと大人の色気を一緒にするな、糞餓鬼が」
「誰が餓鬼だ!!」
「お前だ、お前」
「てんめぇ……殴る!!」
「はっはっは。やれるものならやってみぃ」
「上等だ表へ出ろ!」
「入ってきたばかりで表になぞ出られるか、この阿呆」
「うるせーーーーーっ!!!」
 界磁の挑発にムキになり、拳や蹴りを繰り出す大吾であったが、そのことごとくをかわされていた。
 だからと言って、大吾の攻撃が甘いものだというわけでは決してなく、大吾自身もほとんど手を抜いてはいない。一度頭に血が上ると、大吾は手加減などという言葉とは無縁になるのだ。
 この場合は、界磁の体術を褒めるべきだろう。恐るべき年寄りである。
 むしろ楽しげに大吾をあしらう老人の姿に、天禪もわずかな笑みを浮かべ、目を細めていた。止める気などは毛頭ない。
 唯一この中では美桜のみが痛々しげな瞳の色で界磁と大吾を見ていたが……彼女自身は進んで争いを止めるほど積極的ではなかったので、今はオロオロするばかりだった。
「桜井さん、あの人たちを止めてくれませんか?」
 とはいえ、黙って見ているわけにもいかず、隣の翔に助けを求める。
 が、その彼は渋い顔で、
「……ほっといても大丈夫ですよ」
 そっけなく、そう言ったものだ。
「でも……」
「それより美桜さん、考え直すべきかもしれませんよ」
「……え? 何をですか?」
「こんな所は出て、帰った方がいいかもしれないという事です」
「そんな……それじゃ子供はどうなるんです……」
「……それは……」
 予想通りの美桜の返事に、言葉を詰まらせる翔だった。
 正直に言ってしまうと、翔は見ず知らずの子供より、美桜の方がよっぽど心配なのだ。そんな事を言ってしまうと、この優しい少女が悲しむのが目に見えているので、決して口には出さないが。
 このメンバーに、この得体の知れない場所……
 自分だけならなんとでもする自信はあったが、美桜が一緒となると、話は別だ。
 少なくとも、彼女だけは守りたいと思っていたし、悲しむような目には会わせたくない。
 彼女に言えばそれは過保護だと少々怒られるかも……とは思ったが、仕方がなかった。
 誰にだって、大事にしたいものはある。自分にとっては、それが美桜なのだから。
 ……しかし……本当にどうするか。
 この先を思うと、嫌でも気分が滅入ってくる翔だ。
 思わずため息をついて、壁によりかかる。
 と──
「馬鹿者! その壁に触るな!!」
 とたんに界磁の声が飛んできた。
 今まで耳にした中で、一番真面目で鋭い声だ。
 思わず大吾の攻撃の手も止まり、全員の目が老人へと向く。
「え……?」
 顔を上げ、界磁老人へと何事かを尋ねようとして──
「うわぁっ!?」
 その時は、もう遅かった。
 突然寄りかかった壁が崩れ、暗黒の空間が口を開ける。
「きゃぁっ!!」
 美桜も、彼に近づきすぎていた。
 悲鳴を上げ、暗闇の中へと翔と共に落ちていく。
「いかん!」
 慌てて界磁も寄ったが……もはや2人の姿を穴の先に見る事はできなかった。
「落とし穴……というより、急な傾斜の滑り台のようですね。界磁様、この先はどうなっているのですか?」
 一目で構造を見抜いたステラが、老人へと尋ねる。こんな事態でも表情に変化はなく、声も平然としたものだ。
「どこに繋がっているのかまではわからんが……少なくとも下層部はここよりももっと危険だ」
「なるほど」
 界磁の説明にコクリと頷くと、ステラは、
「では、私もその下層部にまいりましょう」
 あっさりと、言った。
「……なに?」
 いきなりの提案に、界磁の目が大きく開かれる。
「オーロラを残していきますので、罠の囮から雑用まで、遠慮なく申し付けてやって下さい。それでは」
 それだけを言い残すと、後は迷った様子もなく、ひらりと身を躍らせる。
「こ、こら待て!」
 さらに自分も穴へと近づいたが、
「危ないぞ、ご老体」
 ごつい手が、その肩を押さえる。
 3人と1頭の目の前で、ガラガラと石が崩れ出し、あっという間に暗い入口が塞がっていった。
「な、なんという事だ……このわしが付いていながら……」
 やがて完全に埋もれたその場所を前にして、拳を振るわせる界磁老人。
 協力者として同行しながら、突発的に起こってしまったこの事態に責任を感じているのだろうか……
「……まあ、なっちまったモンはしょうがねえだろうよ。あんまり気にすんな」
 その姿に、さっきまでとは打って変わってそんな言葉をかける大吾だったが……
「おのれ、おのれおのれ!! 女が1人もいなくなってしまったではないか! ガキとオヤジと犬っコロ相手でどうしろというのだ!! 楽しくない! 華がない! やる気も失せるわくそくそくそっ!!」
 わめきながら、げしげしと崩れた岩を猛然と蹴り始める界磁老人だった。
「……てめえ、何考えてやがる……」
 頭を押さえ、完全に呆れ帰る大吾。
「ふっ」
 天禪は笑みを浮かべ、
「…………」
 オーロラは不安そうな瞳を、崩れた壁へと向けていた。
 主の事が心配……というわけではなく、彼の場合は「罠の囮から雑用まで、遠慮なく申し付けて……」と、ステラが最後に言った台詞が引っかかっているのだが……さすがにそこまでは、他のメンバーにはわからなかったろう。


■ 落下・拷問部屋脱出行

「くっ……!」
 狭いトンネルを滑り、いきなり視界が開けたと思ったら石の床へと放り出される翔。
 とっさに頭を片手で庇い、身を捻って受身を取りつつ背中から落ちたのは、なかなかのものだといえよう。
「きゃ……っ!」
 続いて、美桜が飛び込んできた。
 翔が素早く身を起こし、受け止めて、そのまま一緒に床に倒れる。もちろん美桜が上だ。さすがに今度は受身も取れず、翔は後頭部を石の床に強打した。苦鳴はなんとか歯を食いしばって耐える。
「ご、ごめんなさい桜井さん! 大丈夫ですか?」
 すぐに状況に気づいて翔の上から離れる美桜だ。
「ええ、大丈夫です。美桜さんは?」
「……ええと、平気……です」
「ならよかった」
 にっこり微笑むと、美桜もわずかに微笑した。後頭部がズキズキ痛んでいたが、それは意地でも顔に出さない。
 つかの間、ほっとした空気が流れたが……
「失礼致します」
 そんな声と共に、今度はステラが飛び込んできた。
 空中で鮮やかに身を回転させ、すとんと足から着地する。ほとんどオリンピック級の身のこなしだった。
「が……っ!」
 唯一問題だったのは、着地したのが翔の顔の上だったという事だろう。
「……これは大変失礼を。お怪我はございませんか?」
「え……ええ、なんとか……」
 すぐに床へと降り立ち、翔に頭を下げる彼女だったが、声にも表情にもまるで変化がないのは相変わらずである。
 そうこうしているうちに、しだいに周囲の暗さに目が慣れてくると、まず美桜が表情を変えた。
 そこは……10畳程の部屋だ。四方が石壁なのは相変わらずだったが、置いてあるものがどれも異彩を放っていた。
 一番目立つのは、中央に据えられた大きな石のテーブルであり、4隅には先に枷のついた鎖が垂れ下がっている。上には、これも鎖で天上から吊るされた、さまざまな器具がぶら下がっていた。先が尖っていたり刃がついていたりと、なんとなく歯医者の光景を連想させるが、それよりもずっと無骨であり、大きく、そして形状が凶悪だ。
 壁へと目を転じると、淀んだ水が溜まっている水場と、大きな水車、石炭をくべて燃やすと思われる鉄製の炉などが見て取れる。他には、巨大なハサミやペンチ、鎌、斧等、あまり使い方を想像したくない物ばかりが立てかけられていた。
 鉄製のものは全て錆を吹き、中には原型を留めない程に朽ちてしまっていたものもあったが……それは年月のせいだろう。
 ステラが壁へと歩を進め、そこにあった器具のひとつに手を置いた。
 見た目は人の形をした金属製の箱で、大きさもちょうど人間くらい。蓋の内側にはびっしりと太く長い針が生えている。その形状から、使用法もおのずと想像できるだろう。
「鉄の処女──アイアンメイデンですか……こんなものをわざわざヨーロッパから輸入するような方とは、あまりお近づきにはなりたくないですね」
 静かな声が、部屋に流れた。
「なんですか、それ?」
 翔が尋ねる。
 振り返ったステラは、淀みなくこたえた。
「中世ヨーロッパにおける魔女狩り……それで使われた拷問器具のひとつです」
「拷問……」
「ええ、ですが魔女狩りなどという愚かな歴史がなかったはずのこの国で見ることになるとは、私も思いませんでしたね」
「…………」
 説明を受けて、あらためて部屋を見回す翔。
 ということは、この部屋と、ここにある物の使用目的は全て……
 よく見ると、石のテーブルの上の部分や、床の石材の表面が、何やら所々ドス黒く変色しており、液体が流れたような、あるいは飛び散ったような染みもあった。
 ここで何が行われていたのか……想像すると背筋が寒くなる。
「……」
 背後で、こちらへと寄り添ってくるひとつの気配。
「……桜井さん……」
 小声で自分の名前を呼び、身体を震わせているのは……言うまでもなく美桜だ。
「こんな所早く出ましょう」
 いささか硬い声で、翔は言った。
 すぐに美桜の手を引いて、一方の壁にある鉄製の扉へと近づいていく。
 取っ手に手をかけ、迷うことなく手前に引いた。
「あ、そのドアはやめた方が……」
 ステラが言った時は……既に翔が大きく扉を開いていた。
 扉の向こうは、ただの石壁……
 それを見て、翔の顔色が変わる。
 さらに、部屋のどこかで、

 ──カチリ。

 と、実に嫌な音がした。
「そのドアはダミーではないかと思うのです。しかもなんらかの罠を起動させるスイッチと兼用ではないかと……」
 淡々とステラがそんな事を言ったが……完全に遅い。

 ゴゴゴゴゴゴゴ……

 ほどなく、部屋全体が重い音と細かい振動に襲われはじめた。
「な、何が!?」
 左右を見回す翔。と、ステラがすっと上を指し示す。
「……天井が……下がってきてる……」
 小さくつぶやいたのは、美桜だった。
「な、なにっ!?」
 慌てて翔も上を見ると……その通りだった。
 間違いなく、じわじわと石の天井が迫ってきている。
 部屋の出口は見当たらず、自分達が落とされた穴も、いつの間にか石組みで埋まっていた。
「宇都宮名物吊り天井ですか……これは初めて見ましたわね」
「は、はあ? 宇都宮名物?」
「2代将軍秀忠公が日光東照宮に参詣の折、当時の宇都宮城内にこの仕掛けを施して将軍を暗殺しようとした計画があったのです。もっとも、それは政敵の流した単なるデマだったそうですが……とにかくそれ以降、宇都宮といえば吊り天井が有名なのですわ。水戸黄門などでも、ご老公が宇都宮に立ち寄るたびに、悪代官が吊り天井で黄門様一行を葬ろうとします」
「そ……そうですか……」
 なんだかよく知らないが、そんな説明をされてしまう翔だった。
 この状況においても、ステラはまるでマイペースである。
 ここは、自分がなんとかしなければ……!
 そう感じた翔は、早速行動に移った。
「美桜さん、ステラさん、ちょっと下がっていて下さい」
 2人に告げると、腰を落とし、壁に向かって拳を構える。
「はぁぁぁぁぁ……」
 気合と共に、拳に”力”を集中させ、一点を睨んだ。
 そして──
「はぁっ!!」
 突き出した拳と共に、一気にパワーを開放する。
 ドン! と壁が爆発したように爆ぜ、石が破片となって四方に飛んだ。
 もちろん、それらが女性2人の方向に行かないように、ブロックする事も忘れない。
 翔の生まれ持った異能力、念動力であった。
 念そのものを力へと変えるこの能力は、ある時は高密度の重力波として対象を粉砕し、ある時は鉄壁の防御壁として用いる事もできる。使用者の使い方で、様々に応用可能なのである。
 ──が、
「な、なにっ!?」
 粉砕したはずの石壁を目にして、翔は目を丸くした。
 確かに、石は打ち砕く事ができた。それはいい。
 だが、その下には光沢を放つ金属の壁の表面が姿を現していたのである。
「ふむふむ……鋼鉄製で、厚さは約300ミリといった所ですね。戦車の前面装甲並かと」
 ステラが近づいてきて、片手でコンコンと叩き、そのように判断を下した。
「……な……」
 ピクリと、翔の片頬が引きつる。
「く……ならばっ!」
 負けじと、今度は天井へと力を放つ。
 ……だが、そこも同じだった。
 四方の壁、天井、床、それら全てが同じ構造だと知れるまで、ものの数分とかからなかったが……それがわかった所でどうなるものでもない。
 それでも諦めず、あちこちの石を砕き続ける翔。
 一方、部屋の片隅では、美桜がしゃがみ込み、じっと床に目を落としていた。
「……どうしたのですか?」
 破壊魔人と化した翔を横目で見つつ、ステラが彼女の側へと寄る。
「あ……はい、この子が抜け道の場所を知っているらしいので……聞いていました」
 ステラにじっと見つめられると、恥かしそうにすぐに視線をずらしてしまう。対人恐怖症という程でもないようだが、人見知りはかなり激しいようだ。
「……この子」
 が、別にステラはそんな美桜の様子も別に気にした風もなく、床の上へと視線を転じる。
 そこにいたのは……小さなネズミだった。鼻をひくひくと動かしながら、黒い瞳でステラを見上げている。
「で、なんと言っているのでしょうか、こちらの方は」
 すぐに、美桜に尋ねた。
 普通だったらネズミと話す少女なんてメルヘンな話は簡単に信じないのだろうが、ステラ自信もあまり普通ではない……というか、ただ者ではありえないので、そこらへんの抵抗はまったくないようだ。
「ええと、その、テーブルの上に乗っている1枚岩の台がスイッチになっているそうです」
「……なるほど」
 それを聞いて、ステラがテーブルの前へと移動する。
「これをどうすれば良いのでしょう?」
「はい、なんでも横に90度ずらすそうなんですが……」
 美桜の言う通り、テーブルは石の土台の上に、さらに表面が磨かれた平らな石を乗せた造りになっているようだ。
 大きさは、大体長さが2メートル、幅は1メートル半程で、上に乗っている石の厚さは30センチくらいだろうか。それだけでも重さは数百キロは優にあるだろう。
「大変そうですけど、なんとか3人で動かして──」
 と、言いかけた美桜の口が、途中で止まっていた。
 ステラが手をかけて動かすと、ゴリゴリという耳障りな音を上げて、簡単にそれは横を向いてしまう。
 片手で、しかも美桜には、彼女がほとんど力を入れた様子が感じられなかった。
「これでよろしいのですね?」
「え、ええ……たぶん」
 平然としたステラに、美桜の目が点になる。
 数瞬の間の後に、壁の一角が下へとスライドし、そこにぽっかりと出現する出口。
 が、それと同時に、天井の降下が目に見えて速くなった。
「早く出た方がよろしいですわね」
「桜井さん、こっちです!」
「わかった!」
 美桜の呼びかけに、奥で壁を壊し続けていた翔が応じる。すぐにこちらへと駆け出したが、その目の前に増した部屋の振動により壁から外れた水車がごろごろと転がってきた。
「な、このっ!!」
 間髪入れず、”力”で粉砕する。
「桜井さん! 急いで!!」
 美桜の声が悲鳴に変わった。このままでは翔は間に合わない!
 と──
 その翔をひょいと持ち上げる細い影。
「わっ!」
「ステラさん!?」
 美桜の隣にいたはずの彼女が、いつのまにかそこにいた。
「頭はガードしてくださいね」
「……は、はい?」
 言われた意味を翔が理解するより先に、
「よいしょ」
 全然力が入っているとは思えない掛け声と共に、翔の身体は出口へと放り投げられた。
「ぅわーーーーーーーーっ!!」
 弓矢から打ち出された矢みたいな勢いでまっすぐに外の通路へと飛び出し、向かいの壁に衝突する。
 なんとか身体を捻り、頭からぶつかるのを避けるだけで精一杯だった。
「桜井さん! 無事ですか!?」
 ずるずると床に崩れる翔へと駆け寄っていく美桜。
「……あの人……ムチャクチャだ……」
 力のない声で、心からの感想を漏らす彼であった。
 ──ズゥン。
 2人の耳に、重々しい音が飛び込んでくる。
 そちらに顔を向けると……今出てきた出口が完全に塞がっていた。
 どうやら落ちてきた天井は、かなりの厚さを持っていたらしい。重さなど、一体どれくらいあるのか想像もつかない。
 そして……2人は気づいた。
「……あの人……ステラさんは?」
「えっ?」
 あたりを見回したが、彼女の姿はどこにもない。
「……まさか」
 呆然と、今は単なる壁と化した出口を見る翔。
「そんな……」
 美桜は声を震わせて……その場にペタンと座り込んだ。


■ 3人と1頭・回廊強行突破行

「ええいくそ、かくなる上はここを掘り返してくれようか」
 翔、美桜、ステラの3人が穴の中に消えた後、そんな事まで言い出す界磁老人だったが……
「それはご老体の勝手だが、その暇が果たしてあるかどうか……だな」
 むしろのんびりとした口調で、天禪がそう言った。
 顔は、通路の先へと向けられている。
「……ふむ」
 界磁も、チラリとそちらを見た。
「げ、なんだよあいつら」
 大吾も右に倣って……とたんに嫌な顔になる。
 暗闇の向こうから、何かがこちらへと近づいてきていた。
 カシャン、カシャン……という音が、いくつも聞こえる。
「少々騒ぎ過ぎたようだな。番犬共が目を覚ましおった」
「番犬なら、こちらにもいると思うが」
「ふん、あやつらはこんなに可愛くはないさ。何しろ飼い主が最悪の奴じゃからな」
「ほう……」
 界磁と天禪のそんな会話を聞きながら、
 ──こちらの主も、一筋縄ではいきませんがね……
 などと思うオーロラだ。
 やがて姿を現したのは、古めかしい戦国時代風の甲冑の群れだった。
 ただし、着ている者の姿はない。
 兜や胴、小手や具足や刀などが、着込んだ形で宙に浮かび、ゆらゆらと揺れながら進んでくる。
 ただ、目の部分にだけ、それぞれ禍々しく輝く赤い光点が2つあった。
「端午の節句には、少々季節外れだな」
「なんならお前、あいつらに祝ってもらうか? ん?」
「……ふざけてる場合かよ、どーすんだジジイ」
「さて、どうすると言われてもな……」
 大吾に問われて、ニヤリと笑う。
「道はまっすぐ、ここひとつしかない。無理にでも通るしかあるまいよ」
「まあ、それが道理だろう」
 界磁の言葉に、天禪もすぐに頷いてみせた。
「……やれやれ、結局そうなんのかよ。楽じゃねーな」
「まあそう言うな。楽な仕事なんぞというものは、えてして実入りも少ないものだからな」
「こいつはたんまり稼げる仕事だってのかよ?」
「そうさな……まあ、お前次第だ」
「どういう意味だ、そりゃーよ」
「この奥には、鳳凰院の溜め込んだお宝が眠っておる。邪魔者を蹴散らしてそれを手に入れれば、一生楽に暮らせるぞ」
「な……本当か!?」
 それを聞いて、大吾の目の色が変わった。
「ああ、それは確かだ。もし見つけることができたら、好きなだけ持って帰るといい」
「……よーし」
「ふっ、やる気が出たか小僧? その調子でとりあえずお前が先鋒を務めろ。援護してやるから適当に遊んで来い。いい仕事をしたら、わしの分け前もお前にくれてやるぞ」
「本当だな?」
「ああ、男に二言はない」
「よっしゃ、忘れんなよ!!」
 元気良く言うと、鎧武者軍団へと駆け出す大吾だった。
「……ふっ、単純な坊主だの、可愛いものだ」
 後姿を見送りながら、1人つぶやく界磁。笑顔を浮かべたその表情は年相応であり、孫でも見ているかのように和やかだ。
「しかし随分と気前がよいな、ご老人」
「あん、なにがだ?」
「鳳凰院黎旺といえば、当時は政界、財界とも深いパイプを持っていた人物だ。日露戦争後の満州開発で莫大な富を築き上げ、嘘か本当かはわからぬが、皇族とも血の繋がりがあったのではないかと言われていた。そんな者のお宝といえば、相当な物だろう。火事以降の官憲の調査でも、それらが見つかったという記録はないしな。なのに、それを簡単にくれてやるという……どういう事なのかと思っても不思議ではあるまい?」
 界磁を見て、天禪が言った。
 口調も表情も穏やかだが、底の知れぬ目だ。
 彼の表の顔は某大企業の会長であり、その凄まじいまでの手腕から「凍れる獅子」と呼ばれて敵味方共に畏怖の対象となっている。そんな男であった。
 対して、界磁は、
「……どこで調べたのかは知らんが、随分詳しいな、お前さん」
 恐れるでもなく、正面からじろりと見返していた。
「暇な身の上なのでな。色々と調べる時間もある。それだけのことだ」
「そりゃご大層な事だ。貧乏暇なしのわしとは、えらい違いだよ」
「ふ、ならば俺の下で働いてみるか? ご老人の経歴ならば、喜んで迎えるが」
「……ふん、何を勘違いしとるのかは知らんが、わしはただの老いぼれだ。買いかぶるのはやめてもらおう」
「そうか、これは失礼した」
「まったく失礼だわい」
 聞く者には、どこまでが本心か判断しかねる会話であった。
 少なくとも、両者とも胸の内には相当な古狸を飼っているに違いない。
 ふと、界磁の視線が流れ、再び回廊の奥へと向けられる。
「……宝など、わしには不要なのさ」
 低い声で、つぶやいた。
「……」
 それまでと違い、一瞬だけ見せた真面目な表情に、天禪の目が細められる。
「さて、では我らも行くか」
 が、すぐに普通の表情に戻り、歩き出した。
「現場は若いモンの仕事だ。そしてその後でうるさく注文をつけるのが、年寄りの仕事だからな」
「ああ、まったくだ」
 天禪も心から頷き、後に続いた。


「こンの野郎っ!」
 威勢のいい声と共に、大吾の蹴りが鎧武者を弾き飛ばす。
 中身がないので相手は軽く、あっけなく壁まで飛んでぶつかると、衝撃で各パーツがバラバラとなり、2度と動かなかった。
 さらに、武者達はステラの護符のせいか、一定以上の距離からは近づけないらしい。
「あの姉ちゃんには感謝だな。こりゃ楽なケンカだぜ」
 もちろん大吾はそんな相手にも一切手を抜く事はなく、自分から突っ込んでいっては破壊の限りを尽くしていた。相手は通路を埋め尽くすほど大量だったが、それでも大吾の方が明らかに優位だ。
「ふむ、こりゃ本当にまかせても大丈夫なようだな」
「ああ、今の所は……な」
 と、やや離れた位置で、界磁と天禪も観戦を決め込んでいる。
「へっ、ジジイ共はそこで見てやがれ!」
 大吾の方も、背後を振り返り、そう声をかける余裕まで見せていた。
 が──
 鎧武者達の攻撃パターンが、ふいにガラリと変化する。
 それまでは単に押し寄せてくるだけだった彼らが、その動きを止めた。
「なんだよ、怖気づいたってか?」
 大吾は笑ったが……そうではなかった。
 いくつもの瞳が妖々と輝くと、手にした刀が、槍が、ひとりでにふわりと浮き上がる。
 既に倒れ伏した武者達の物までもが、次々と空中に持ち上がっていく。
「超能力──というよりは、この場合は騒霊、ポルターガイストと言うべきか」
「なるほど、こりゃたいしたもんじゃな」
「て、てめえら! 感心してる場合か!!」
 のんびりとした界磁と天禪とは対照的に、それらの凶器に一気に襲いかかられる事となった大吾からは、とたんに余裕の2文字が消えうせる。
 前から後ろから横から上から、ありとあらゆる方向から飛来する刃の群れ。
 さすがに素手や素足で受けるのも問題があるので、大吾はその全てをかわしまくっていた。
 そこに、風を巻いて新たな影が参戦する。
 今まではしばみ色の瞳で静かに成り行きを見守っていたオーロラだった。
 目で追うのも難しい程のスピードで鎧武者の間を駆け、爪と牙が閃くと、一気に数体の鎧が引き裂かれて四散する。その間、鳴き声も唸り声も、足音すら一切立てない。
「やはりただの生物ではない、か。面白い」
 誰にも聞こえない声で、天禪がつぶやく。
「どうした小僧、大口叩いた割にはその程度か? 犬の方がよっぽど役に立っておるぞ」
「うるせー! なめんじゃねぇっ!!」
 叫んで、手にした包みを縦に一閃させる大吾。
 ──キイン!
 弾かれた刀槍の類が、澄んだ音を立てて跳ね返った。
「……野郎……そんなら本気出してやろうじゃねぇか」
 包みに手をかけると、ゆっくりと中身を引き出す。
 それは、まっすぐに伸びた一振りの刀であった。
 軽く振り下ろすと、何かに押されたかのように鎧の群れが後退する。
 彼らには、それがどういう力を秘めたものかわかったのである。
 見た目はごく普通の刀剣だが、それなりの目を持った者ならば、刀身をほのかに包む霊光を目にすることができるだろう。
 ──霊紋刀。それがこの武器の名だった。
「いくぞこん畜生ッ!!」
 叫んで、一直線に鎧達の中に身を躍らせる大吾。
 霊紋刀を振るうたびに、直接剣に当たった対象だけでなく、触れてもいない周囲の鎧武者までもが力を失い、ガラガラとその場に崩れた。
 さらに、
「壊・滅・崩!!」
 気合と共に印を結ぶと、空中にいくつもの青い火の玉が浮かび上がる。
 それらがゆらゆらと空中を漂い、鎧武者達に当たると、たちどころに単なる鎧一式と化して無力化してしまう。
「霊刀に言霊の験力か。そこそこの術は使えるようだな」
「小僧にしては、まあ上出来かの」
「だが……まだまだ荒削りで甘い。注意を一方向にしか払っておらんようだ」
「いわゆる香車侍というやつだな。まあ、普通の相手であれば、それでもさして苦にはならんだろう」
「今の相手は、普通ではあるまいよ、ご老体」
「ふふ、かもしれん」
 などと、相変わらず傍観者として、大吾の後方から悠々と進む2人。
 もちろんこの2名にも攻撃は襲ってきていたが、それが鎧武者でも飛来する刀でも、天禪が一睨みすると、それだけで全て真っ二つになって消し飛んだ。
 最初はその光景に多少目を剥いた界磁老人だったが、今ではもうすっかり慣れている。
 今も、天禪へと飛んできた槍が、彼の前で2つにへし折れ、床へと落ちた。
 ……どういう術なのかはさっぱりだが、まあそういうものだと思えばいいだろう。界磁は最早、そう思うのみだ。
 天禪の目が、今度は大吾の背後へと向けられた。
 死角から大吾へと突き立てられようとしていた刀が、空中で粉々になり、弾け飛ぶ。
 さらにもう1本、違った角度から少年修験者に飛来する凶刃。
 そちらに天禪が視線を送ろうとして……
 キン、という金属音と共に角度が変わり、刀が石の床に突き刺さった。
「……む」
 チラリと横を向くと、界磁老人がわざとらしくそっぽを向く。
 大吾の近くの壁を見ると、何か細長いものが食い込んでいた。
 20センチくらいの棒状で、先端の片方に刃がある。持つような部分はなく、完全に1本の金属から作られているようだった。形状からして、ナイフというよりは棒手裏剣を思わせる。
 それが、大吾へと向けられた刀を弾き飛ばしたのだ。
 だが、投げたのは一体誰か……
 天禪の顔に、ニヤリという笑いが浮かぶ。
「……なんじゃい」
「いや、なんでもない」
 界磁がこちらの技の事を何も聞かないように、自分もまた、界磁の技について、何も尋ねるつもりはない。
 ただ、素直にこう言った。
「鮮やかなものだな。俺にも投げた瞬間の気配が掴めなかった」
「はて、なんの話だ?」
「気にするな、独り言だ」
「ふん、妙な奴じゃな、お前さんは」
「お互い様だと思うが」
「冗談を言うな。わしは善良でしがない一般市民だ」
「俺もそうだ」
「……よく言うわい」
 界磁もさすがに苦笑する。
「やいこらジジイ共! てめえらも少しゃ役に立ちやがれ!!」
 前方では、しっかりフォローされている事にまったく気付いていない大吾が喚いていた。


■ 合流・子供発見

「ステラさん……」
「……」
 天井が完全に落ちてしまうと、先程までとはうってかわって、場が静寂に包まれる。
 それは2人にとって、耳が痛いほどの静けさだった。
 部屋の奥から翔を放り投げた後、ステラが一体どうなったのか……
 ここはいないという事は、結果はひとつしかありえないだろう。
 どうすることもできず、ただその場で凍りついたように落ちた天井の部屋を眺める翔と美桜だった。
 と──
「お2人とも、どうかされたのですか。このような場所に留まるべきではないと私は思うのですが」
 横からふいにかけられる静かな声。
「え……?」
 2人が顔をそちらに向けると、自分達のすぐ隣に、平然とステラが立っていた。
「わぁっっ!!」
「ス、ステラさん!」
 翔がのけぞり、美桜が目を丸くする。
「そのように驚かれて……何かあったのですか?」
「な、なにかあったって……あの……」
 とりあえず聞きたい事、確かめたい事、ツッコミを入れたい事等が山程あったが……
「ですが今は後です。まずはあちらをご覧下さいませ」
 と、あくまでマイペースのステラが、すっと通路の先を指差す。
 2人が目を向けると、無数の何かがこちらへと近づいてくるのが確認できた。
 暗がりから徐々に姿があらわになってくると、それは中身のない鎧武者の集団だと知れる。
「なんですか、あれは?」
「思うに、低級の霊を鎧に封じ込めて、侵入者を襲うように命じた傀儡ですね。個々の力は大した事もないと推察できますので、数で押すタイプの番人でしょう」
「番人……」
「ちなみに、こちらの言葉や意志を理解するだけの知能はありませんので、話し合いや説得は一切無理かと」
「……なるほど」
「そして、続いてはあちらをご覧下さい」
 と、今度は通路の反対側を示すステラ。
 そこには鎧武者の姿はなく、代わりに床に倒れている小さな人影があった。
「あれは……!」
 思わず、美桜が声を上げる。
「行方不明の子供というのは、あの子の事でしょう。天井に穴がありますので、私達同様に上からここに落ちてきたものかと。さて、そこで提案なのですが」
「なんですか?」
「私が鎧さん達の相手をしますので、お2人は子供を連れて、どこか安全な所へ避難してください。では、そういう事で」
 それだけを告げると、スタスタと武者軍団へと歩き出す。散歩にでも出かけるような気軽さに見えた。
「……いや、待って下さい」
 その後姿に、翔が声をかける。
「なんでしょうか?」
 立ち止まり、振り向くステラ。
「そっちは俺が行きます。子供は美桜さんとステラさんで保護して下さい」
「はあ……私は構いませんが……」
 言われたステラは、美桜に目を向ける。その美桜は、翔を見上げた。
「大丈夫ですから」
「……」
 翔が微笑み、美桜が頷く。それで話が決まった。
「では、まいりましょう」
「あの、無茶しないで下さいね、桜井さん……」
 そんな言葉を残して、女性2人が小走りで駆けていく。
 しばし見送ってから、翔は鎧武者へと振り返った。
「……美桜さんにはああ言われたけど……」
 ゆっくりつぶやきつつ、眼鏡を外してポケットへと入れる。
「ここは全力で行かせてもらうよ」
 彼の顔から、人の良さそうな笑みが完全に消えていた──


「大丈夫でしょうか、この子……」
「ええ、片方の足の骨は折れていますが、それ以外は別に。命に別状はないですわね」
「そうですか……よかった」
 ステラの言葉にほっと胸を撫で下ろす美桜だった。子供は気を失ってはいるようだが、規則正しい呼吸のリズムは感じられる。
 そっと子供の頬に手をやり、もう片方の手を、折れている方の足に当てた。
 次の瞬間、ポゥ、と柔らかい光が美桜の全身から放たれ、緩やかに子供へと流れ始める。
「……」
 表情ひとつ変えないステラは、それが治癒能力だとすぐに理解した。
 この優しい少女、美桜には、そんな力が備わっていたのだ。
 みるみる子供の痣が消え、おかしな方向に曲がっていた足もまっすぐになっていく。
「……これで……大丈夫」
 ややあって、ほっと彼女が息をつくのを待って、
「ひとつ伺ってもよろしいですか?」
 ふと、ステラが口を開いた。
「は、はい。なんでしょう?」
「この場所に入ってすぐ、大きな玉から隠れる際、界磁様に触れましたよね?」
「……はい」
「その時、何を感じましたか?」
「え……?」
 問われて、一瞬言葉に詰まった。
 自分にはこの治癒能力の他に、精神感応能力──つまり他人の考えや思っている事をある程度感じる能力──もあるのだが……それがこの人にはわかるのだろうか。初めて会ったばかりの、この短い時間で、そこまで見破ってしまったのだろうか……
 そう思ったが、わからない。
 ……でも、この人になら、分かってもおかしくはないかもしれない。
 同時に、彼女はそうも感じていたのだった。目の前の、この不思議な女性から……
「……表面的な事しか伝わってはきませんでした。深い部分は、何も。だからきっと、とても強い意志で、何かを心の奥に秘めているんだと思います。私にわかるのは……それだけです」
 気が付くと、美桜は素直に言葉を口にしていた。人見知りの激しい彼女にしては、珍しい事だ。
「なるほど……」
 一方のステラは、一言つぶやいて……それだけだった。表情の変化ももちろんないので、なにがなるほどなのか、推理する事すらできない。
「ちなみに……」
 と、そのステラが何を思ったのか、今度は何の前置きもなく美桜の手を取った。
「あ……」
 驚く美桜だったが、
「私の考えていることが、わかりますか?」
「……え……」
 聞かれて……さらに驚く。
 全然、わからないのだ。
 それが普通の事なのだろうが、美桜にとっては充分驚愕に値した。
「女性の心は、謎だらけですから」
「……はぁ……」
 その言葉は冗談だったのかもしれないが、それも不明である。ステラは無表情のままだった。
「さて、どうやらちょうど良いタイミングだったようですね」
 言いながら、ステラが回廊の奥に目を向けた。
「くたばりやがれぇーーーーーっ!!!」
 聞き覚えのある怒声と共に、鎧武者が吹き飛ぶ光景が飛び込んでくる。
 それに続いて、大吾、オーロラ、界磁、天禪の3名と1頭が、こちらへと近づいてくるのが見えた。


■ 終結・時の封じられた部屋

「おおお! 無事で何よりだ! 心配したぞ、そりゃもう心配したぞうんうん!」
 満面の笑みで真っ先に2人へと走り寄ったのは、もちろん界磁老人だった。
「……それはどうも、心配してくれてありがとうございます」
 と、界磁の言葉にこたえたのは……
「桜井さん、大丈夫でしたか?」
 声の主へと、美桜が駆け寄っていく。
 界磁達とは反対の方向から近づいてくるのは、翔だ。
「ええ、おかげさまで怪我ひとつありません。あの武者も全部片付けましたから、心配いらないですよ」
 今はもう眼鏡をかけ、微笑を浮かべている。ちなみに鎧武者の方はちょっとやりすぎてしまい、壁も壊して通路が少々埋まってしまったのが……そこまでは言わなかった。
「……お前も無事だったか……ちっ……」
 一転して顔をしかめ、正直な感想を述べる界磁老人。声を潜めるような遠慮も一切なかった。
「僕もまたお会いできて光栄ですよ。途中でボケて迷子なってないかと、とても心配で」
 翔も負けじと言い返す。笑顔の額には、血管の青筋が浮かんでいた。
「で、どうする? 子供が見つかったのであれば、地上に戻るか?」
 睨み合う両者をよそに、天禪が言った。
「おいおいちょっと待て、ここで戻ってどうすんだよ! お宝はどーしたお宝は!!」
 とたんに、大吾が声を荒げる。肩ではぁはぁ息をしているのは、大量の鎧武者を相手にしたせいらしかった。
 界磁はちらりと見ただけで、すぐに美桜へと向き直り、
「その子は大丈夫なのか?」
 と、尋ねた。
「はい。体の方は特に何も。ですが一応お医者さんには診せたほうがいいと思います」
「そうか……よし」
 それを聞いて、珍しく優しげな微笑を見せたが、それも一瞬の事で、すぐに表情をあらためる。
「では、少々付き合ってもらおうか。なに、手間は取らせん。場所もちょうどここだしな」
「ここ……? ここってどこだよ? 何もねえじゃねえか」
 大吾の言う通りであった。
 確かに、左右に長く続く通路の他は何もない……ように見える。
 界磁は天禪を見上げると、
「……お前さんなら、わかるか?」
 そう、聞いた。
 その時には、既に天禪は壁の一角をじっと見つめており、太い声がこうこたえる。
「わずかだが、壁に継ぎ目があるな」
「な、なにっ!! どこだどこだええおい!!」
 壁に擦りつける程に顔を近づける大吾だったが……さっぱりわからない。
「ここですわね」
 ステラも気付いたようで、白い指がすっと壁に線を描いた。
「うむ。よくわかったな。さすがにべっぴんさんは目も違う。お見事だ」
 老人が笑った所を見ると、それも正解だったらしい。が、しかし他の人間にはそこまで言われても、継ぎ目がどこにあるのかまったく判然としなかった。それくらい、巧妙に隠されている。
「この奥に秘密の部屋があるのだよ。厚さ1メートルの特殊合金で囲まれた宝の部屋さ。並みの工具などでは歯が立たず、爆破しようとすれば、周りを全て吹き飛ばすほどの火薬がいる。指向性の爆薬を使えばなんとかなるかもしれんが、それをやるためには、爆弾を抱えて罠だの番人だのの相手をしながらここまでこなきゃならん」
「それは少々ハードですわね」
 人事のように、ステラが言った。
「まったくだ」
 老人の方も、簡単に頷く。
「扉を開ける仕掛けは内側にしかない。だがなに、押せば開く。重さはざっと7、8トンといった所だがな」
「な、7トンって……おいジジイ……」
 さすがに大吾もあきれた声を出した。
 しかし、界磁は一切意に介さず、
「できるか?」
 と、尋ねる。
 視線の先にいるのは、天禪だった。
「……やってみよう。ただし期待はするなよ」
「もちろんだ、そんなものは最初からしとらんさ」
「なら結構だ」
 内容を抜きにすれば、両者共ほとんど世間話でもするような気軽さだ。
 扉……と思しき場所の前に立つ天禪。
 手を当て、眉が少々寄る。
 すると──

 ──ズズズズズ……

 重苦しい音を上げて、壁がしだいに後退しはじめた。
「ちょ、ちょっと待て、7トンを片手で押してんのかよあのおっさん!」
「実際は床との摩擦がありますから、それよりも重いでしょうね。大したものです」
 ステラが補足する。彼女が言うと、全然凄い事のように聞こえないから不思議だ。
「ま……まあいい。それより、確かにこの中にお宝があるんだな?」
「ああ、そうだとも。そしてもうひとつ」
「なんだよ?」
「この屋敷の主、鳳凰院も中におる」
「なにぃーーーーーっ!!!」
 大吾の声が、暗い通路内にこだました。


 そこは、20畳程の部屋だった。大体、旅館の大広間くらい……といった所だろうか。
 ここまでの通路と同じ仕掛けか、あるいは違うものかは不明だが、ここも壁自体が淡い光を発しており、視界には不自由がない。
 界磁老人が宝の部屋と言ったが、それは正しかった。
 壁にはいかにも高価な絵画や掛け軸、タペストリーなどが飾られ、床にも千両箱やケースに収められた宝石、貴金属、陶磁器、彫刻等、さまざまな物品が無造作に置かれていた。
 霊紋刀を片手に部屋の中に真っ先に入った大吾が用心しながら部屋の中を見回して……一瞬で目がくらむ。
「うぉ〜、ここ、こりゃすげぇ〜!」
 瞳をまん丸にして呆然となる大吾だ。
「いいからどかんか、邪魔だ」
「おわっ!」
 その背中を、界磁がいきなり蹴飛ばした。
 つんのめって転びそうになったが、なんとかこらえて振り返る。
「てめこのジジイ! 何しやがる!!」
「やかましい、とたんにお宝に心を奪われおって。そんな事では大物になれんぞ」
「よ、よけいなお世話だ!」
 痛いところと突かれ、そっぽを向く大吾。
「てめーがここに鳳凰院がいるっていうから、こっちは慎重ぶちこいてたんだよ! なのになんでぇ、気配もまるでしねぇじゃねぇか! 担ぎやがったな!」
 と、いい訳じみた事を言う少年修験者に、界磁ははっきりとため息をついた。
「……良く見ろ小僧、お前の後ろにいる」
「はぁ……?」
 また騙す気か……と言いかけたが、とりあえず背後へと顔を向けた。
 少なくとも生者の気配などないのは、大吾も既にわかっていたのだが……
「……?」
 すぐそこに立派な椅子があり、何かが座っていた。
 気配は……ない。
 なんだろうと思ってよく見ると……
「ぉわぁっっ!!」
 思わず叫び、横へと飛んだ。
 気配など、するわけがなかった。
 そこにいたのは……いや、そこにあったのは、ボロボロに朽ち果てたミイラだったのである。
「……!」
 その光景を目にして、美桜が声を失う。
「見ない方がいいですよ」
 彼女の前に翔が立ち、視界をさりげなく塞いだ。
「……これが50年前に人食い伯爵と呼ばれた男の末路か……どうりで死体も発見されなかったわけだ」
「この状態ですと、確かに死後50年といった所ですね」
 一方、まるで動揺している様子のない者もいた。天禪と、ステラだ。
「……50年前、この男はあるものを貪欲に求めていたのだ」
「あるもの?」
 ふいに話し始めた界磁に、天禪が聞く。
「莫大な富を得、それにより権力も手に入れた。今も昔も、大概の人間が欲しがるものは金で買える。だが、この鳳凰院という男はそれだけでは飽き足らず、さらに馬鹿げたものを本気で欲しがったのだよ。それがなにか……わかるか?」
「……」
「……」
 静かな目で、全員を見渡す界磁。だが、誰も何も言わなかった。
 少しの間沈黙が流れ、老人が答えを口にする。
「……永遠の命さ。この男はそれを求め、ありとあらゆる事をした。命というものはなんなのか……それを知るために、思いつく事は全て実験したのだ」
「…………ひどい」
 ポツリと、美桜が言った。
 自分達が見たあの拷問道具の数々も、そのためだったということらしい。
 そこまでの事を、この鳳凰院はやっていたのだ。自分を生き長らえさせる……ただその事のためだけに。
「だが、それも結局は失敗したというわけか。悪の栄えた試しはない……という言葉があるが、案外真実なのかもしれんな」
 そう言う天禪の目は、2つのものを捕らえていた。
 ひとつは、ミイラの頭に深々と突き立った”棒状の何か”だ。恐らくはこれが直接の死因なのだろう。つい先程もこれと同じ物を見た気がするが……それを口にする気はない。
 そしてもうひとつは、ミイラの膝の上に乗っている、あるものだ。それはどう見ても人間の左手のミイラなのだが、目の前の鳳凰院のものではなかった。なぜなら、彼にはきちんと両手ともついており、膝上の第三の左手を、しっかりと握り締めていたのだから。
「……」
 無言で、界磁がその左腕に”右手”を伸ばす。第三のミイラの左手は、何かを強く握り締めていた。界磁は”右手のみで”それをこじ開け、中のものを取り出す。
 出てきたのは、古めかしいデザインの、1個のブローチだった。
 ただし、周りの宝に比べると明らかに貧相であり、どう好意的に見たとしても高価なものとは思えない。
「……50年前、自分には盗めないものなどないと信じている自信過剰な泥棒の若造がおった」
 唐突に、老人の話の内容が変化した。
 しかし、それついて、誰も口を挟まない。
「色々と世間を騒がせ、義賊などとも呼ばれて得意になっておったこの馬鹿は、次の獲物として黒い噂の絶えなかったこの屋敷を選んだのだ。そして……あろうことか、そこで出合った使用人の娘に一目惚れしてしまった。ほんに大馬鹿者だな」
 老人は、決してそれが自分の過去だとは言っていない。
 まるで独り言のような淡々とした調子で、さらに話は続いた。
「……気立ての良い娘でな。盗みの下見をしにこの屋敷に忍び込んだ泥棒に告白されると、自分の部屋に連れて行って、そんな事はやめろと説教を始めるような気の強い所もあった。泥棒をやめたら付き合ってやってもいい、とな。一方泥棒は泥棒で、この屋敷から出るようにと、会うたびに娘を説得し続けた。ここはロクでもない噂ばかりの所だったからな。しかし、娘はここの給金が破格で、貧乏な家族のために辞めるわけにはいかないと言って……結局辞めなかった。そしてある日……消息をぷっつりと絶ったのだ。泥棒は下調べもそこそこにこの地下へと忍び込み……これを見つけた。初めてまともに働いた金で買った、娘へのプレゼントだ。あとは……鳳凰院を見つけて、本人が何より大事にしているものを頂戴してやった。もっとも、代わりに左腕を取られたがな」
 ……界磁老人の話は、そこまでだった。
 鳳凰院の最も大事にしているもの……とは、すなわち自身の命であろう。永遠の命を求めるものにとって、それ以上の宝などありえない。
「ひとつだけ、よろしいですか?」
「なにかな、べっぴんさん」
「ありがとうございます。ええと、確かこの部屋の扉は内側からしか閉められないとの事でしたが……それでは50年前のその日は、どうやって閉めたのでしょう? 死体が閉めたのですか?」
「ああ、それなら話は簡単だ」
「と言いますと?」
「扉が閉まる寸前に、頭にそれを打ち込まれたのだよ。ついでに言うと、扉を閉めるスイッチは、その椅子の肘掛にある」
「……なるほど。だからその泥棒さんも、その後はここに入れなかったわけですね」
「まあ、そういう事だ」
「そして50年後に戻ったか。長かったか、あるいは短かったか、どちらかな、ご老人」
「……何か勘違いしとるようだな。今話したのは、わしの話ではないぞ」
「うむ、それはわかっているつもりだが」
「ふん、どうだかな」
 天禪の言葉に、顔をしかめる界磁だった。
「さて、それよりも仕上げだ。おい小僧、こんな宝より、もっとたまげるものを見たくはないか?」
 と、大吾へと声をかけた。
「……あン? なんだよそりゃ?」
「ふっ、そこの壁に風景画があるだろう。そいつを外してみろ」
「あ、ああ……」
 言われて、なんだかよく分からないが従う大吾。
 その通りに絵を外すと、下から真鍮製と思しき小さなボタンが現れた。いかにも秘密のスイッチという感じだ。
「押してみろ」
「どうなるってんだよ?」
「押せばわかる」
 ……まあ、それもそうだ。
 界磁老人があまりにも簡単に言うので、大吾も深くは考えず……押した。
 そのとたん、

 ──ズズズズズズズズ……

 地の底から響いてくるような低い音とともに、部屋が細かく振動しはじめる。
「な、なんだぁ!?」
 なんとなく嫌な雰囲気を感じて界磁を見ると、
「それはこの地下部分全体を崩壊させるスイッチだ。よくやった。褒めてやろう」
 重々しく頷き、衝撃の事実を告げた。
「なにーーーーーーーーーーーーーっ!?」
 飛び上がらんばかりに驚く大吾。
「ばばば馬鹿野郎! 却下だ却下! 取り消しスイッチはどれだ!!」
「安心しろ、そんなものはない」
「ふざけんなーーーーーーーー!!!」
 慌てふためく大吾とは対照的に、老人は落ち着いたものだった。
「小僧、お前はどっちを選ぶ?」
「ななな何がだよ!!」
「宝と命……お前はどちらを取るかという事だ」
「……な……」
 そう言って自分を見る界磁の目には、それまでにないくらいの真面目な光が宿っていた。
 言いたい事は山のようにあったし、殴ってもやりたかったが……そんな気が不思議と失せていく。
「決まってんだろ、このクソジジイ!!!」
 一言叫んで、出口へと走り出す。
「子供は僕が背負うから、行こう!」
「で、でも……」
 自分を見て不安そうな顔をしている美桜には、微笑みながら頷いてみせる界磁老人。
「美桜さん、早く!」
「う、うん……」
 翔に手を引かれ、優しい少女も駆け出した。
「……そうだ、それが正解だ」
 若者達の後姿を見送って、界磁は満足そうにつぶやく。
「オーロラ、あなたも先に行って、あの方達をサポートしなさい」
 ステラの声に従い、白い獣も走っていった。
 残ったのは、ステラと天禪である。
「ご老体自身はどうなのだ? やはり宝の方を選ぶのか?」
 天禪が、聞いた。
「そうさな……」
 考える顔はしたが、それも長くは続かず、すぐにニッと笑う。
「わしは欲張りでな。両方だ」
 ぬけぬけと、そう言ったものだ。
「長生きの秘訣は、それか」
「ご立派なものです」
「ふっ、そう褒めるな」
 そして、3人もまた、その場を後にするのだった──


 ……50年前、死神と呼ばれた男がいた。
 ……同じく50年前、義賊とまで言われた泥棒がいた。
 泥棒と死神は人知れず戦い、片方が生き残った。
 だが、泥棒はその時、左腕と、自信と、愛するものを失い、全てを捨てた。
 ……それから50年。
 泥棒はその場所で子供が行方不明になった事を知り、責任を感じた。
 あの時、自分が完全に屋敷を破壊できていれば……
 屋敷の地上部分は自分が火を放ち、完全に灰にした。
 しかし、地下は生き残っていた。
 入口は全て塞いでいたはずだし、入る物好きもいないだろうと思っていた。
 が……50年という月日は、思った以上に長かったらしい。
 風化し、朽ち果てた残骸の隙間に、50年前へと通じる口が開いてしまっていたのだ。
 1人で行く事も考えたが、今度は完璧を期さねばならない。泥棒には、腕の立つ同行者が必要だった。
 結果は……満足の行く出来だった。
 忘れようとして、忘れたもの。つけなければならない決着。全ての清算……
 それらを片付けるのに、結局50年もかかった事になるだろうか。
 長いのか短いのかは、泥棒にも最早わからなかった。
 ただ、崩れゆく鳳凰院邸の地下から逃げ出しながら、これでようやく終わったという思いがあった。
 それだけで、充分だった……


■ エピローグ 天禪 & 大吾

 ──1時間後、夜の街角。
「ジジイ、一体どこ連れてく気だよ?」
「ふっ、この近くにわしの馴染みの店がある。ぱーっと祝杯を上げるに決まっておろうが」
「……なにが祝杯だ。結局お宝もなんもなしじゃねーかよ」
「小僧の分際でそんなせせこましい事を言うな。それにどうせタダだ、せめて好きなだけ飲んで食え」
「うるせー! 小僧って言うなつってんだろーがよ!!」
 界磁の言葉に、すかさず大吾が噛み付いてくる。
 が、もちろん老人の方は、そんな事をまったく気にする風もなく、愉快そうに笑っていた。
「タダという事は、ご老体のおごりという事でよいのかな?」
 と、天禪が尋ねる。
 対して、界磁は、
「何を言っておるか、おごるのはお前だ」
 さも当然とばかりに、言い渡してのけた。
「俺がか?」
「あたりまえだ。一番金持ちが出すに決まっておる。ちなみにわしは今、金など1銭も持っておらんでな」
「なるほど、最初からそのつもりで、俺をこの場に誘ったのだな?」
「わしとて女性の方が良かったのだが、そっちは全て断られたのでしょうがあるまい。そんなわけで徹底的に飲むぞ、付き合え」
「……かなわんな、ご老人には」
「ふん、年の功という奴よ」
「年の功、か」
 それを聞いて、天禪も小さく笑う。
 経てきた年月という点では、本当は界磁老人など足元にも及ばない程の時の流れの中を生きてきた彼ではあるのだが……それを言ってもしょうがあるまい。
「よかろう、付き合おう」
「決まりだな」
 ニンマリと笑う界磁であった。
 子供のような邪気のない顔を見て、天禪もまた、たまにはこんな酒も悪くないと思う。
「で、そのジジイの知ってる店ってのは、どんな所なんだ?」
「ふふ、美人の女将がやっておる小さな小料理屋よ。なんでも未亡人だそうでな。お前等、上品にせえよ。わしの品格が疑われるでな」
「……こっちはもうとっくに疑ってるってんだよ」
「なーに生意気言っとるかこのクソ餓鬼が。今日は吐くまで飲ませてくれる。いや、吐いても飲ませるから覚悟せぃ」
 言うが早いか、拳を大吾の頭の両脇に当ててグリグリ押し付ける界磁老人。
「痛っ! 何しやがるこのイカレジジイ! 死ね!」
「お前が死ね!」
「あんだとこの野郎ーーっ!!」
 霊紋刀を抜き放った大吾がすかさず反撃を開始する。が、しかし鮮やかな身のこなしの界磁にはかすりもしない。
 ちなみにこの大吾、屋敷に入るまでは界磁が実は鳳凰院ではないかという疑いも持っていたのだが……ある意味、大吾にとっては界磁の方が厄介かもしれない。そういう意味では、彼の読みは当たっていたといえよう。
 目の色を変えて斬りつける大吾と、全てを笑いながらかわす界磁。
 一方の天禪はというと、そんな微笑ましい光景を見ながら、久しぶりに楽しい酒になりそうだと思っているのだった。無論、2人を止める気などもさらさらない。

 ……結局、その日の酒宴は朝まで続く事となり、当然というかなんというか、最初に潰れたのは未成年の大吾だった。
 界磁も頑張ったのだが天禪には及ばず、最後に再戦の杯を交わすと、そのまま店の床へとひっくりかえったとの事だ。


■ エピローグ 翔 & 美桜

 ──2時間後、夜の屋敷跡。
「……寒くないですか?」
 と、翔が聞いた。
「ええ、大丈夫です」
 小さくこたえるのは、美桜。
 それまで星を眺めていた顔が翔へと振り向き、ニッコリと微笑む。
「なら、いいですけど」
 少しだけドキリとしたが、それが顔に出るほど子供でもないので、翔もまた微笑を返す。
 周囲はまだ警察関係者が右往左往しており、それなりに喧騒もあったが、それほど気になるものでもなかった。
 屋敷の跡は完全に地下部分が崩壊したせいで大きく陥没してしまい、まるで怪獣が暴れたみたいな惨状を呈している。事後調査をするとなると、それはえらく大変な事だろう。
 が、そんな事は翔の預かり知る事ではない。
 とりあえず、美桜と、そして自分も無事だった。
 翔にとっては、それだけでもいい。草間興信所からバイト代も入るが、それはついでのようなものだ。
 今回は美桜に誘われて参加したのだし、金や冒険が目的ではなかったのだから。
「よかったですね」
「……え?」
「あの子供……大した事もなかったそうですよ。救急隊員の方が言ってました」
「美桜さんの能力のおかげですね」
「いえ、私は他の皆さんに比べたら、大した事なんてしてませんよ」
「……そうでしょうかね」
「ええ」
 笑顔で頷く彼女に、それ以上は何も言わなかった。
 実際の所は、彼女がいなければ、あの吊り天井の部屋でも危なかったし、子供の処置にしても、美桜の能力がなければどうなっていたかわからないだろう。
 だから、もう少し胸を張って……といかなくても、自信を持っていいものだと翔は感じているのだが……同時にそんな控え目な姿が彼女らしさなのだという事も知っていた。
 だから、翔には何も言えないのだ。彼女には、彼女らしくいて欲しいと思うから。
「皆さん、良い方でしたね」
「…………ええ」
「そう思っていないのですか?」
「……いえ」
 ほんの少々だけ声がぎこちなくなり、カンの鋭い美桜が尋ねてきた。
 良い方……というより、得体の知れない者ばかりだったという方が正しい表現だと思えるのだが……そんな事は口に出さない方が良いだろう。
 崩壊する地下から出た後、ステラはあのオーロラという獣と共に、いつのまにか姿を消していた。
 界磁老人は祝杯をあげると言って美桜を誘ってきたのだが……それは断固阻止してのけた翔だ。
 たとえ老人といえど、下心みえみえの笑顔で寄ってくる者を美桜に近づけるわけにはいかない。それこそが現在の自分の義務であり仕事だ。
「やっぱり、界磁さんのお誘いを受けて、打ち上げに参加して方がよかったでしょうか……」
「何を言っているんですか、それはいけません。危険です。あの屋敷の地下よりも恐ろしいですよ」
「……何が……ですか?」
「いえ、何がと言われてもですね……」
 正面から不思議な顔で見つめられ、返答に困る翔。
 その姿を見ながら、美桜は小さく微笑むのだった。
 ……あの屋敷の地下でも、この人は側にいてくれた……
 彼女にとって、それは翔が考えている以上に、嬉しく、便りになる事だったのだ。
 薄暗い地下で、かつて残酷な仕打ちによって殺されていった者達の悲鳴、怨念が渦巻き、自分の精神感応の力に絶えず訴えてくる……決して誰にも言わなかったが、美桜にとって、あそこはそういう場所だったのである。
 でも、翔が近くにいると思うと、それに負けずになんとか平静を保つ事ができた……
 ……ありがとう、桜井君。
 胸の内で、そっとつぶやく美桜。
 けれど、翔は美桜の想いには全然気づいた様子もなく、なんと返答するかをまだ必死に考えていた。
 その混乱する彼の意識を感じながら、美桜は優しい微笑を浮かべる。
 もしかしたら、翔が思っているほど、この少女はか弱くはないのかもしれない……
「……ふふっ」
 星空の下に、美桜の笑い声が小さく流れた──


■ エピローグ ステラ & オーロラ

 ──翌日。
 人通りのあまりない路地にある、洋風の小さな古本屋、極光。
 ともすると周りの景色に埋没してしまいそうな程に目立たない店なのだが、実は内部は4次元的に空間が拡張されており、ほぼ無限のスペースを誇る書架には、人類が生まれてから今までに産み出されたありとあらゆる書物、道具の数々が収められている。
 店の主の名は、美しくも妖しい麗人、ステラ・ミラ。
 この世の全ての謎を知るその時まで、彼女の知識への探求は留まる事がないだろう。
 今日も今日とて、店の奥のどことも知れぬ場所から「ふんぐるい・むぐるうなふ・くとぅるー・るるいえ・ふくだん」などと口々に呟く半漁人の大群が現れたりもしたが、とりあえずオーロラと共に適当に相手をしてお帰り頂いた。そんないつもと変わらぬ昼下がり……
「──という事は、比較的通常の方と変わりがなかったという事ですか?」
『……まあ、そうなりますでしょうか』
「普通、怪盗と言えば、特殊メイクでの変装に始まり、探偵と争って最後は気球で脱出するというのがパターンのはずですのに……おかしいですわね」
『……』
 そんな主の言葉に、なんと言っていいのか分からぬオーロラであった。
 どうやら怪盗というものに興味を持ったらしく、調査に向かう前から界磁老人と一緒に行動するようにと、彼は前もって言いつけられていたのである。その報告を聞いての感想が、それだった。
「きっと簡単にはシッポを出さないのでしょう、なにせ怪盗ですから。これはさらなる調査が必要かもしれませんね」
『……はぁ』
 ……本気だろうか、と、オーロラがため息をつきそうになった時、ふと入口のカウベルが音を立てた。珍しく客が来たのであろうか。
 話をそこで一旦区切り、静かにドアへと視線を向ける両名。


 ──5分後。
「……」
『……』
 ステラとオーロラは、ある品物を前にして、しばし沈黙の時を過ごしていた。
 その品物とは……花である。
 別に喋ったり人を食べたりという物騒なものではなく、ごく普通のバラの花束であった。花の宅配サービスによって、今届けられたものだ。
『……あの界磁老人からの贈り物ですか?』
 と、尋ねるオーロラ。
「ええ、そのようですね」
 ステラは花束に付けられていたメッセージカードを手に取り、開いてみる。
「……ふむ、なるほど」
『何と書かれているのですか?』
「どうやらあの方──界磁様は、私とデートがしたいようですね」
『な、なんですと!?』
 その言葉に、オーロラの目が見開き、毛が逆立った。
 壁に飾られた、いかにもいわくがありそうな貴婦人の油絵までもが、まったく同じ顔をする。
『……な、なんという命知らずな……』
「どういう意味ですか、それは」
『あ、いえ、決してそのような、何と申しますか……その……』
 思わず素直な感想を口にしてしまい、ステラにチラリと横目で見られた。
 もちろん、表情は相変わらずまったくの鉄面皮であるから、心の内はさっぱりわからない。
「……まあ良いでしょう。それよりもまさしく好機到来です。早速用意しなくてはなりませんね」
『な、何をですか?』
「もちろん、デートのです」
『い、いい行くおつもりですか!?』
「ええ、私は誰の挑戦でも受けます」
『……挑戦……』
 ……なんだか知らないが、大変な事になってきたと心から思うオーロラだ。
 他の誰でもない、このステラ様がデートとは……
 明日巨大隕石で地球が滅びると言われた方が、まだ信憑性があるかもしれない。
「確か昔、ホラゾム・トルコの王族から頂いたドレスがありましたね」
『……村を襲おうとしていた十字軍を完膚なきまで叩きのめした時のあれですか?』
「それよりもビクトリア調ドレスの方が良いでしょうか」
『……さあ、なんとも申し上げにくいかと……』
「オーロラ、仮にも主であるこの私がデートに望むのです、少しは真剣に悩みなさい」
『……は、はあ……』
 そう言われても、なんと答えればよいのやら……
 デートにそんな大層なドレスを着ていこうと考える事自体が既にどうかとは思うが、それは果たして言うべきなのだろうか……
「……」
『……』
 両者はそれぞれの思いを胸に、無言で顔を突き合わせていた。
 長い一日に……なりそうだった。


■ END ■


◇ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

※ 上から応募順です。

【1048 / 北波・大吾 / 男性 / 15 / 高校生】

【0413 / 神埼・美桜 / 女性 / 17 / 高校生】

【0416 / 桜井・翔 / 男性 / 19 / 医大生】

【0284 / 荒祇・天禪 / 男性 /980 /会社会長】

【1057 / ステラ・ミラ / 女性 /999 / 古本屋の店主】


◇ ライター通信 ◇

 どうもです、ライターのU.Cでございます。
 今回のシナリオは、ダンジョン探索やら行方不明の子供の捜索やら死神伯爵vs大怪盗やらと、物語の要素が多く、文章もそれに従って順調に肥大化してしまいました。総字数で約3万字超。お一人当たりだと6千字くらいの計算となります。字数だけならたっぷりありますので、どうか存分に読んでやって下さいませ。短いのがお好きな方は……素直に謝ります。すみません。(汗)

 大吾様、はじめまして。今回の最年少参加者となりました。ご老体のお相手、ご苦労様です。戦闘で一番働いたのも、間違いなく大吾様でしょう。お疲れ様でした。宝も手に入らないばかりか、最後はとっつあん達の相手で朝まで飲んで潰れております。なんだかとんでもない目に会わせてしまったような気が……

 美桜様、はじめまして。子供も貴女の治癒能力で、まったくの無事です。ありがとうございました。翔様とペアでのご参加という事で、私今回初めてそういう形での依頼を書かせて頂きました。うまく出来ているかどうかはちょっと自身では判断がつきかねるのですが……気に入っていただける部分があれば幸いです。

 翔様、はじめまして。2枚目キャラなのに、この物語では結構3枚目的なご活躍が目立つやもしれません。一応決めるべき所では決めているつもりなのですが……いかがでしたでしょうか? 美桜様を守るナイトとしてのご活躍、今後も見守らせて頂きたいと思います。ありがとうございました。

 天禪様、はじめまして。若者キャラが多い中、書いていて非常に楽しかったです。夜のカウンターバーで界磁老人と本心を決して明かさないような会話を延々と書いてみたいですね。いえ、盛り上がるかどうかは別として。なんにせよ、おかげさまでぐっと物語が引き締まりました。ありがとうございます。

 ステラ様、今回もご参加、ありがとうございます。なにやらステラ様と天禪様の設定上の年齢を合わせると、それだけで1800を超え、今回の全参加者様の平均年齢などは400歳を超えております。400歳て。NPCも年齢が高いので、かなり高年齢化社会に一石を投じる物語となったのではないかと……って、違いますね。なんにせよ、いつもありがとうございます。界磁老人とのデートは、ご愛顧頂いているサービスの一環としてお受け取り下さいませ……って、それもなんだか違いますね。


 なお、各参加者様に納品のシナリオは、全て同じ内容となっております。その点ご容赦下さいませ。

 参加して頂いた皆様、並びに読んで下さった皆様には、深く御礼申し上げます。
 ご縁がありましたら、また次の機会にお会いいたしましょう。

 それでは。

2002/Nov by U.C