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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


堕ちた天使


「最近はネットで何でも出来るのよね〜」
 穏やかな昼過ぎ、瀬名雫は椅子に深く腰掛け、雑誌をペラリと捲りながら何とはなしに声に出した。
「例えば…殺しとか」
 突然物騒なことを云う。

「冗談じゃないよ?ちょっと耳に入った噂なの。何かね、『殺し屋』を雇うことが出来るHPがあるんだって。その中で自分のプロフィールと、殺して欲しい相手のプロフィールを入力すると、HPの中で『殺し』てくれるの。なんか世も末って感じよねえ。でも気にならない?なるでしょ?えへへ、実はあたしも気になったんだ〜」

そう云うと、雫は自分の目の前のノートパソコンの画面をずらして見せた。

その画面は黒一色、その中に白い文字が躍っていた。

「探してみたら見つけちゃったんだよね。多分、コレだよ。ネットの中だけなら問題ないかなぁとは思うんだけど、もしかしてこれが現実にまで干渉してるって可能性も無きにしも非ず?そんなわけで、誰かちょこっと探ってきてくんないかなあ?」

画面の白文字はこう詠っていた。

――――『比較的すみやかに、完全なる死をお届けします』
             
               







「…はッ、馬ッ鹿馬鹿しい」
 ノートパソコンの画面を一瞥し、瀬水月隼(せみづき・はやぶさ)は肩をすくめた。
「こんなもん、頭のイカれた奴が遊びでやってるに決まってる。真面目にとりあうだけ時間の無駄だぜ、無駄。…って、桜夜…お前何やってんだよ?」
 隼の横では、艶やかな長い茶髪を持つ彼の同居人が、鼻歌を口ずさみながらキーボードをパチパチと打っていた。無論、画面はいまだ件の『殺人依頼』のHPである。隼は引きつった笑いを浮かべながら、片手で同居人の肩を掴んだ。
「ちょっと待て、何考えてんだお前」
「別にィ?」
 何よ、と隼のほうに振り向いたのは、朧月桜夜(おぼろづき・さくや)。
「いいじゃないの、時間の無駄でもアタシは面白そうだなって思ったからやってんの。何か文句ある?」
「文句とかそういうんじゃなくてだな…別にお前が関わりたいと思って関わるんなら、俺は何も言わない。でもな」
 隼はそこで一呼吸して、パソコンの画面を人差し指で指した。
「何だ、これは?」
 画面の中の入力欄には、ハッキリと入力されている『朧月桜夜』の名前。桜夜はその隼に、口をとがらせて言い返した。
「だってェ、手っ取り早いじゃない?そのほうが」
「手っ取り早いってなぁ、お前…。これじゃ自殺依頼じゃねぇか。もしこれが本当なら、お前自身の命が狙われるんだぞ?」
「ふふ、それなら返り討ちにしてやるわよ。こんなモンにビビるような桜夜さんじゃないっての…まァ黙って見てなさいって」
 隼をピシャリと黙らせて、桜夜は手馴れた手つきでマウスを動かした。画面上にある『依頼する』のボタンにカーソルを合わせ、ポチッと一回右クリック。隼はそんな桜夜の様子を呆れた目で眺めていた。だが決して見放してその場を去ったりはしない。それが隼の隼たる所以だ。隼の心境などそっちのけで、桜夜は画面に見入っていた。画面には短い一行の文章と、その下に二つのチェックボタン。
「なになに…。『あなたは彼or彼女の良いところを知っていますか』。この彼or彼女って、アタシのことかしら?」
「そりゃそうだろ。お前がお前自身を『殺す』依頼を出したんだから」
 我関せず、といった風に雑誌をぺラリと捲っていた隼だが、しっかりと桜夜の動作はチェックしているらしい。
桜夜は暫し考えてから、『yes』と書いてある方のチェックボックスをクリックし、『次へ』のボタンを押した。
「…また質問があるわ。『彼or彼女はあなたにとって必要な人間ですか』」
 そして桜夜は順調に数々の質問に答えていった。その質問の一つ一つを声に出して読み、隼は雑誌に目を通しながら耳をピクピクと動かした。合計で10個ほどの質問に答えたほどだろうか。隼は雑誌を机に伏せ、桜夜のほうに身を乗り出した。
「…その質問、何か変じゃないか?何で全部良い方にばっかり聞いてくるんだ」
「アタシに聞かないでよォ、そう書いてあるんだもん。仕方ないじゃない」
 隼の云う通り、画面から桜夜に向けられる文章は全てプラスの方向ばかりだった。
 あなたは彼or彼女に好意を持ったことがありますか。信頼していますか。不快に思ったことはありませんか――――
「しかもお前、全部イエスかよ」
「だってその通りだしィ」
 あっけらかんと答える桜夜。当たり前じゃない?とその顔に書いてある。隼ははぁ、とため息をつき、パソコンの画面にもう一度目を通した。そして「ン?」と一言。
「何よ?」
「…何か変な質問が出てるぞ」
「変?」
 隼に急かされ、桜夜がパソコンの画面に目を向けると、そこには相も変わらない黒の背景に白い文字。

 ―――――――『それは本当ですか?』

…ドクン。その文字を見た瞬間、桜夜は己の心臓の音が高まっていくのを感じた。

 『私は彼女の良い所を知っています』
 『私にとって彼女は必要な人間です』
 『好意を持ったことがあります』
 『信頼しています』
 『不快に思ったことはありません』

 ―――――――『それは本当ですか?』

 ―――――――『それは本当なのですか?』

震える手でマウスを操作する。隼が口を真一文字にして見守る中、桜夜は『次へ』のボタンをクリックした。
 次に桜夜を待っていたのは、単なる質問ではなかった。黒い背景は変わらないが、そこはそう、まるで―…
「…チャットじゃねーか」
 桜夜の横から画面を覗き込んでいた隼が漏らした。隼の言う通り、画面は幾つもの線に仕切られたチャット―…会話のための部屋だった。桜夜がキーボードに触れる前に、画面の上部に短い文章が現れた。

 『いらっしゃい』

「…ケッ、巫山戯てやがる。おい桜夜、こんなモンに真面目に答えてやるこたねえよ。IP割り出して居場所突き止めてやりゃあ―…」
「隼は黙ってて」
 桜夜は隼のほうを向かず、静かな声で云った。
「アタシ、話してみたいのよ。だから今は放って置いて頂戴」
「はぁっ!?」
 桜夜の言葉に、思わず眉を潜める。
「バッ―…お前、何考えてんだよ!?こんなモン…!」
「黙っててって云・っ・て・る・で・しょ?」
「―…………!!!」
 勝手にしろ、と隼はそっぽを向いてしまった。桜夜はそんな隼に心の中で謝罪して、もう一度画面に神経を向けた。
 画面の上部から出てくる文章は、多分この『殺人依頼』のサイトの管理者のものなのだろう。その発言に名前は表示されていない。桜夜が発言欄に何を書き込むか迷っているうちに、また新しい発言が画面上部に現れた。
 
 『貴方は何故死にたいのですか』

桜夜も負けずと書き込む。

 『貴方こそ、何故人を殺すの?恨みもないくせに』

 『貴方が死にたいと望むから』

 『死を望む人を死へと導くのが僕の仕事です』

 『確かに私は私の死を望んで書き込んだけど、そうじゃない人もいるでしょう』

 そして数秒間の無言状態が続いた。痺れを切らした桜夜が、追い討ちをかけてやろうとキーボードに手を伸ばしたそのとき、新しい発言が現れた。

 『僕は己の死を望んでいる人間しか助けない』

「ちょっと待ってよ、これ…どういう意味?」
「桜夜?」
 桜夜の戸惑いを他所に、『彼』の発言は続く。

 『貴方は自分のことを好きだと云った』

 『本当に自分のことを好きですか』

 『貴方は自分のことを許せますか』

 『己の冒してきた過ちを』

 『許すことが出来ますか』
 
 『貴方の過ちを許すのは誰ですか』 

 『誰に救いを求めますか』

 『誰が貴方を救ってくれますか』


      ―――プツンッ…―

















「ふッざけんじゃないってのよッ!!!」
 桜夜は茶色の長い髪を揺らして、街の大通りを大股でズンズンと歩いていた。目を吊り上げ、怒りで頬は高揚している。その桜夜の少し後ろから、隼は呆れた顔で付いて来ていた。
「おい、いい加減落ち着けよ」
 ネットカフェを出てからというもの、ずっとこの調子だ。
「こっちを何だと思ってんのよッ!!過ち!?ハン、冗談じゃないわ」
「…でもお前、あの後すぐは変だったぞ?」
 あの一方的な『彼』の発言が続いた後、一瞬でチャットルームは消え失せてしまった。まるで用は済んだといわんばかりに。
 だが隼曰く、桜夜は暫く呆然としていたという。
ボソボソと、「…アタシを、救うもの―…」と呟いたかと思うと、虚空を見つめ虚ろな目をしたり。そして我に返ったかと思うと、突然怒りで足音を荒立てながら、ネットカフェを後にして今に至る。
「…そうよ、それが一番腹立つのよねェ」
 桜夜はふいに足を止めると、隼のほうに振り向いた。
「あれは呪よ」
「呪?」
 思わず聞き返した隼に、桜夜は腕組みをして指を振った。
「…呪、とかいてまじない。特別な作法を用いなくったって、呪をかけることは出来るわ。言霊って知ってるでしょ?アイツの言葉は、直にアタシの頭に入ってきた。アイツはアタシを肯定してるようで否定してたわ。だんだんアタシの頭自体が、アイツの言葉を受け入れてしまってたの。ホントに、アタシは誰にも許して貰えないし、誰もアタシを救ってくれやしないんだわ―…そう思ってた」
 桜夜はそこで台詞を一旦切り、はぁとため息をついた。
「その時点でアイツの呪にかかっちゃったワケね。全く…不覚だったわ」
 桜夜は手を口元にやり、考え込む様子を見せた。
「でも、一つ不思議なのが―…アイツ、自殺にのみ手を貸す、みたいなこと言ってたのよ。これ、どういうことだと思う?」
 桜夜が隼のほうを見ると、彼は肩をすくませていた。
「だからお前は用意が足んねーんだよ」
「何よォ」
 桜夜は口を尖らせる。隼はその桜夜に人差し指をピッと突きつけた。
「その結論は一つしかない。アイツは、―…自殺にしか反応しない」
 そして背中に背負ったデイパックから、プリントアウトしたと思しき紙の束を取り出してペラペラ捲った。
「お前がアイツと呑気にチャットやってる間、俺もボケッとしてたわけじゃねーんだよ。あそこのHPには、名前を書いて依頼するってボタンとは別に、掲示板のページもあったからな、そこで調べてみた。
その掲示板じゃ、確かに他人が『殺されて』たな。しかもそこら中で。でも俺が思うに、ありゃお前がチャットで話してた『僕』の仕業じゃねえ。色んな奴が勝手に色んな奴を脳内で殺してる。掲示板だけが一人歩きって感じだったな。だがそこでも、一つだけだがこーいう書き込みがあった」
 隼は束ねた紙を一枚捲り、桜夜に向かって差し出した。
「…え、なになに?―…わたしは、自分が嫌いです。でも、自殺する勇気はありません。こんな自分も嫌いです。お願いです、私を殺してください」
 桜夜は紙を隼に突っ返すと、ハンと鼻で笑った。
「自殺するのを勇気って言うワケね。馬ッ鹿じゃない、このコ?」
「まあそう言うなよ。その書き込みした奴の名前と住所、割り出してみた」
 ヒュウ、と口笛を吹き、「隼、さッすがァ」。
「そんで、このお馬鹿なコ、どうしてた?」
 桜夜の問いに、隼は短く一言で返した。
「死んでたよ」
「―……………え?」
 好奇の表情のまま固まる桜夜。
「都警のデータベースにもハックしてみたから間違いねえ。今年の2月に変死体で発見、都内の某高校に通う女子高生。勿論のごとく、犯人は未だ不明。雫の予想通りだな、現実にまでバッチリ干渉してやがる」
 目を丸くしたまま微動だにしない桜夜の目の前で、隼はヒラヒラと手を振ってみせる。
「おい、大丈夫かー?」
「大丈夫よッ!」
 そう叫んだかと思うと、桜夜は拳を握り固めていた。
「ますますもって腹立って来たわァ…これはもう返り討ちじゃ済まされないわよッ!!」
「へいへい…桜夜のやる気が増したのは別に良いことなんだけどよ…大体からして、お前何処に行こうとしてたんだ?」
 既にネットカフェは遥か遠く、隼はズンズンと突き進む桜夜の跡を付いてきただけだった。呑気な声を出す隼に、桜夜はビッと紙切れを突きつけた。
そこには住所と思わしき単語が羅列してある。
「…これは?」
「チャットが切れる寸前に表示されてたのよ。つまり此処に行けってワケよね?上等じゃない!桜夜さんをナメたらどーなるか、コイツに思い知らせてやるわッ!!」




















 久しく使われていないと思われる廃ビルが立ち並ぶ、まるでゴーストタウンのような静けさを持つ区域。その廃ビルの間に空いた、大人一人が通れるほどの隙間に桜夜は足を進めた。一歩進むごとに足元から耳障りな音が聞こえる。埃だか細かい機材だかは知らないが、確かめる気にもならない。廃ビルの間を進むと、やがてポッカリと開けた場所に出た。鉄骨やらの廃機材が、奥に積み上げられている。小さな家一軒なら立つのではないかと思われる程の広さの空き地に、桜夜は独りで立っていた。穏やかな風が吹き、桜夜の髪と長めのスカートを揺らした。
 桜夜はふぅ、と一呼吸すると、声を張り上げた。
「ちょっと!居るんでしょ?アタシは朧月桜夜。アタシがちゃんと来たんだから、アンタも姿を見せなさい!」
 桜夜の透った声がビルの合間から反響し、辺りに響き渡った。そしてそのまま数分間。立ち尽くしていた桜夜が小さくため息をつき、元来たほうに身体を向けようとしたが、次の瞬間―…
 
     しゅるり

「…ッ!!!?」
 背後からゾクリと悪寒を感じたと思うと、桜夜は反射的に喉の辺りに手をやっていた。その手と首に、細く固い糸のようなモノが纏わりついた。
(糸…じゃない、ワイヤー!?)
 そんなことを脳裏に浮かべる前に、ワイヤーがグッと締まり、桜夜の手に食い込んだ。首の後ろの辺りで交差し、そのまま一気に締まる力が強くなる。
プッという小さな音を立てて、手のひらが切れる感触が伝わった。
「……ッ!!」
 もうダメだ、と思った瞬間、ワイヤーの力がふいに弱くなった。それと同時に、ドシャァと地面と何かが擦れる音が背後から聞こえた。桜夜は未だ首に纏わりついていたワイヤーを剥ぎ取り、地面に叩きつけた。その先端の方には、取っ手のようなものが付いていた。
「…ハァッ、ハァ…!!」
 胸を抑え、新鮮な空気をせかすように身体に取り込もうとする。
「ハァー、…」
 肩で息をし、首のところに手を当ててみる。どうやら首に痕はついていないようだ。桜夜は胸を撫で下ろし、背後に振り返った。そこには当然のように踏ん反り返っている隼の姿。
「…隼ァ…」
「だッから言ったろ!?ンな危ねーことしなくてもなぁ…!って大丈夫か?傷付いてねーか?」
 しかめっ面から一転、心配そうに桜夜に駆け寄る隼を見て、桜夜は思わず微笑んだ。
「大丈夫よぉ、アンタが後ろに潜んでくれてたお陰で、アタシは無事よ!」
 手の平を向けてヒラヒラと振ってみせる。だが隼は目ざとく、桜夜の手のひらに流れている赤い血に目を向けた。バッと桜夜の手首を掴み、手のひらの傷の具合を調べてみる。
「あーあ…お前、大丈夫じゃねーじゃん。まあ皮一枚で済んで良かったものの―…」
「えっ!!?」
 隼の言葉に、桜夜は改めて自分の両手を眺めた。手のひらを見た瞬間、桜夜の顔色が変わった。
「なッ…な…!!!あ、アタシの体…傷ッ!!?」
 わなわなと震えだした桜夜の肩を、右の口の端を上げて苦笑しながら隼が叩いた。
「あー…だから、皮一枚だって…すぐ治るって、そんなの。ツバでもつけときゃあ」
「皮一枚でも二枚でも、アタシの身体を傷つける奴ァ、何人たりても許しちゃアおけないのよッ!!!」
 そう吠えると、桜夜はダンッと地面を踏んだ。
「隼、何処ッ!!?アタシの身体に傷を付けた奴はッ!!」
「だからそこに居るだろ?俺がついさっきぶん殴って―…」
 呆れた顔で、地面を指差す隼。だがその指した先には、地面が擦れた痕しか残っていなかった。
「…いないじゃない」
「あ、あれっ!?いや、確かに俺は―…」
 慌てて辺りを見回す。
「は、隼の馬鹿っ!!!捕まえとかなくてどーすんのよォッ!?あンの腐れ×××野郎にアタシの正義の鉄槌を―…ッ!!」
「…流石に伏字は止めといたほうがいいと思いますよ、お姉さん」
 桜夜の台詞を遮るように、桜夜とも隼とも違う声が響いた。その声に、二人はバッと後ろを振り返った。背後には鉄骨が積み上げられている。その上に、一人の男が足を組んで軽く腰掛けていた。男が右手を軽く振ると、桜夜の地面に落ちていたワイヤーがキュルキュルと勢いをつけて引き戻された。
「アンタね、腐れ×××野郎」
 桜夜が眉を吊り上げ、恨みのこもった目で睨みつける。男は肩をすくめると、鉄骨の上に立ち上がり、そのまま地面にトン、と音を立てて飛び降りた。
「だから伏字は止めときましょう、それに僕にも名前ぐらいはあります」
 男はそう言うと、一歩、二歩と二人のほうに歩みを進めた。男が近づいてくるのにつれて、二人の顔には驚愕の表情が浮かんだ。
(―……若い―…!?)
 男ー…いや、少年と呼んだほうがいいだろう。身長は二人よりもかなり低く、150センチも無い。あどけなさの残る整った顔は、まだ12,3歳ほどに見えた。
「…とりあえず、キリエと呼んでください」
「誰が呼ぶか、この―……」
 また悪態を吐こうと思っていたのだろうが、桜夜は次の言葉が出てこなかった。それは少年―…キリエがまるで絵本か何かから抜け出してきたように整った顔をしていたからだろう。その顔に、可愛らしい笑みを浮かべている。そして右の頬を手でさすった。
「痛テ」
「…?」
「お兄さん、いいパンチ持ってますね。…なかなか痛み続くや」
 言うと、プッと何かを地面に吐き出した。隼が目を凝らして見てみると、それは血にまみれた白い歯だった。
「―……じゃあ、やっぱりアンタが」
 隼は未だ信じられない、という顔でキリエを見た。確かに背後から桜夜の首を締めているところを見て、少しばかり小柄な奴だな、とは思った。だがそんなことを気にしている暇はなかった。まさか…こんな幼い少年だったとは。
 桜夜は首をブンブンと振り、(キリエが美少年だということを頭から追い出したのだろう)ずい、と一歩踏み出した。
「アンタ、どういうつもりなワケ?アタシの身体に傷つけておいて、今更言い訳が効くとは思っちゃいないでしょうね」
 キリエは穏やかな笑みを浮かべたまま、桜夜を見つめ返した。
「…お姉さんこそ、どういうつもりなんですか」
「…ハァ?」
 桜夜は拍子抜けしたように、間の抜けた声を出した。
「何故、ここに来たんですか?僕は云った筈だ、己の死を望む人間しか救わない、と」
「…アンタは何か勘違いしてるわよ。人間は死によっては救われないわ」
「お姉さんは確かにそうかもしれない。でも、死によって救われる人間も居るんです。僕は、その手助けをしているだけだ。『死にたくない』のなら、邪魔しないで下さい」
「こンの…ッ!!!」
「ちょい待て」
 キレかけた桜夜を抑え、隼がキリエの前に立った。腰を落とし、キリエと同じ目線になり、正面からキリエのこげ茶色の目を覗きこんだ。
「…自殺の手助けだか、救うんだか知らないが、お前のやってるこた只の犯罪だぜ?何でまたお前みたいなガキがこんなことしてるんだ。まだ家でTVゲームでもしてるか、外で友達と遊んでるような年頃だろうに」
「僕は貴方たちのほうが不思議です。何故、こんなことをしてくるんだ。放っておけばいいじゃないか。死にたい人間が死んだからって、貴方たちに何も害は無いでしょう?」
「あーもうッ!!!」
 隼の後ろで桜夜は髪の毛をかきむしって叫んだ。
「アタシはねェ、そーいう思考の人間を見ると、どうにもこうにも腹が立つワケよ!!確かに死にたいと思ってる人間が死んだからって、アタシは知ったこっちゃないわよ。でもねェ、それって結局死に逃げてるってことでしょうが!人間いつかは死ぬんだし、生きてるときぐらいは精一杯、それこそ死ぬかと思うほど生にしがみ付いてみなさいよッ!!!」
 一気に息も付かずに云い切り、桜夜は肩を上下させた。少々呆然としている隼とキリエを、キッと睨みつけて続けた。
「生にしがみつく…か」
 キリエはボソリと漏らした。
「僕は、お姉さんが羨ましい」
「…?」
「そう言い切れるのは、今を精一杯生きている人だけだ。僕には…云えないよ。お姉さんが僕になれないように、僕もお姉さんにはなれない」
 桜夜はキリエの台詞を聞き、ハァとため息をついた。
「別にアタシになろうなんて思わなくってもいいのよ。…大体からしてアンタだって、そういう奴らとは関係ないでしょ。何でこーいうことしてんのよ?実際何人そのワイヤーで殺ったか知らないけど、女子高生一人は確実に殺ってんでしょうが」
「……関係無くは無い」
 キリエはそう呟くと、ワイヤーの取っ手を両手に持ち、キュイと伸ばした。細いワイヤーがキラリと陽に反射して光る。
「さっき、貴方方は僕に聞きましたよね。何故こういうことをしているのかと」
 二人に儚げな笑みを向けた。

「僕も、死にたがっているからです」

 そう言うと、ワイヤーを自分の首の後ろに回し、一気に両手を交互させた。二人が目を丸くしている間にも、細く頑丈なワイヤーはキリエの細い首に食い込んでいく。
ハッと我に返った隼が、慌ててキリエの腕を掴んだ。必至に引き戻そうとするが、外側に向かう力のほうが強い。
「この馬鹿ッ!!」
 桜夜は一言叫ぶと、思いっきりキリエの頬を平手打ちした。パァン、と場に似合わない良い音を立て、キリエの小柄な身体は地面に叩きつけられた。
「む、無茶すんなお前」
「そういうこと言ってる場合じゃないでしょ!」
 桜夜はそう云い捨てて、倒れたキリエの首に絡まったワイヤーに手をかけた。
「ああン、まだ絡まってる…ッ!早く解かなきゃ、このコ息してないわよ!?」
「やべ!さっきよりも絡まってんじゃねーか!って真っ青だぞ!?」
 二人は慌ててワイヤーを解きに掛かった。二人の指を傷つけながら解かれたワイヤーから解放された首には、痛々しい食い込み痕が残っていた。
 桜夜はキリエの口の辺りに耳を持っていった。
「息…してないわ」
「じ、人工呼吸だ!」
 隼は桜夜を押しのけて、キリエの鼻をつかみ、あごを押し上げた。
「…やり方知ってんの?」
「この前高校で習った!」
 そう言うと、隼は大きく息を吸い込み、キリエの口からフーッと吹き込む。そして口を放し、もう一度息を吸い込み、吹き込む。それを3度ほど繰り返したときだろうか。
「……ッ、カハッ!」
 キリエの口から息が漏れた。
「や、やった…」
 ゼェゼェ、と肩で息をしている隼の背中を、桜夜はドーンと叩いた。「でかした、隼っ!」
「な、何で…」
 掠れた声を出すキリエ。その顔色はまだ真っ青だ。
「こら、喋るなっ!病院だ、病院!救急車!」
「う、うん」
 慌てて携帯電話を取り出そうとする桜夜を、キリエの声が制止した。
「なんで……死なせて、くれないんですか」
 桜夜と隼は顔を見合わせた。
そして桜夜が、キリエにほんの少し笑いかけて答えた。
「何でって云われても…アンタにまだ生きてて欲しかったから、じゃダメかしらね。このまま終わったんじゃ明らかに後味悪いし、何でアンタが死にたがってんのか、その理由も聞いてないし。…って、こんなことはどうでもいいのよ。ただ、…ね?」
 隼に目配せする。隼は桜夜の後を継ぐように、
「苦しんでる奴がいたら、助ける。これも、人間の習性…だからかな」
「…変な人たち、だな…」
 キリエの顔がスッと安らいだ顔になり、目が閉じられた。
「おい、桜夜救急車。呼んでくれよ」
「うん。ちょい待って」
 ピ、ポ、パと救急を呼び出し、早口に此処の場所を知らせ、救急車を要請する。その桜夜を横目で見ながら、隼はキリエに問い掛けた。
「さあ…救急車が来るまでの間、何でこんなことをしたのか、理由ぐらい聞かせてくれよ」
「そうよォ、このままじゃ黙っちゃいないからね」
 手早く電話を済ませた桜夜が、キリエの横に座る。
キリエはフ、と笑って云った。「…本当…変な人たちだ」
 そして、掠れた声で話し出した。
「僕には…兄が居ました。双子の兄で…僕そっくりだった」
「ふんふん」
 桜夜は呑気そうな相槌を打った。
「父親は、居ません。物心ついたときから…存在しなかった。母親は、酷く駄目な女でした。ことあるごとに、僕らを叩いて、蹴った」
(…虐待ってやつだな)
(そーみたいね)
「母親は、帰ってこないことも、しょっちゅうでした。そんなとき、僕らは二人で手を繋いで寝た。そのときだけは、平和でした。この世に、僕ら二人だけみたいだった」
「…お兄さんが好きだったのね」
「…はい。僕は、兄が大好きだった。母親は、そんな兄を僕よりも殴っていた。気持ち、悪いと。同じ顔で、気味が悪いと。…笑っちゃいます。産んだのは、自分なのに」
「そんなある日、僕が、学校から帰ってくると…廊下が血まみれだった。母親が、リビングで倒れていた。血溜まりの中で。背中には、包丁が刺さっていて…もう、事切れていました。僕は直ぐに分かった。…兄がやったのだと。兄はいつも、云っていたから。いつか、あの女を殺してやると。僕は兄を探しました。家の中を。兄は、ピアノの前で倒れていました。兄の周りの、真っ赤だった。僕は慌てて兄を抱き起こしました。兄は、僕と同じ顔の兄は、血まみれで、…それでも息をしていた。兄の腹は裂かれていて、臓物も中から覗いていました。僕は…もう、兄は助からないと思った。でも、兄は、まだ、息をしていて。肺も傷ついているのか、ひゅう、ひゅうという音しか聞こえてこなかった。でも、僕には聞こえたんです。殺してくれ、と。兄は、ずっと苦しんできて、今も苦しんでいて、僕も、痛くて。だから僕は、兄を、殺したんです。首を締めて殺した。それから、僕は兄の得意だったピアノでレクイエムを弾いたんです。それから、ずっと、僕の心の中では、鳴り止まないんだ…レクイエムが。僕も…兄と同じところに逝きたかった。でも、もう無理かもしれませんね―…」
 キリエの目が軽く閉じられた。目を閉じたまま、笑みは浮かべずに続ける。
「インターネットで、こんなことが出来るなんて―…知らなかった。それから施設で育った僕は、大人の人がインターネットでHPを作ってるのを知った。それが、あのサイトです。僕はそこに間借りをしていて…」
「…死にたがっている人の手助けをしていた、というワケね」
「…はい。苦しんでいるのなら、楽になれるのなら、いいんだ、と思っていました。でも、僕は―……間違っていたのかな―…」
 そしてそのとき、遠くのほうから甲高いサイレン音が聞こえてきた。やがて救急車が到着し、慌しくキリエは中に運び込まれていった。
 桜夜はふと、トトト、と救急車のほうに駆け寄ってキリエの顔を覗き込んだ。そして優しく微笑んで、云った。
「誰が間違ってるとか、誰が正しいとか、そんなの誰にも分からないわ。でも、苦しんでいる人の手助けは、別の形でも出来るわよ。そして、月並みだけど―…お兄さんは、アンタが死ぬことを望んでやしない。同じ顔をしている貴方に、生きて欲しいと思ってるハズよ」
 キリエは一瞬目を丸くしたが、口の端を上げて微笑んで返した。
「―――――……ありがとう、お姉さん」
















「…これで、良かったのかなァ」
 大通りから去っていく救急車を見送って、桜夜はポツリと呟いた。隼はその桜夜の頭に手をポン、と乗せた。
「…多分、もう死のうとはしないだろ」
「そうなのかしら、ね。…ねェアタシ思うんだけど。アタシ、あのコに問い掛けられたのよね。―『誰が貴方を救ってくれますか』って。今思うけど、きっと、あれを問い掛けてたのはあの子自身だったんだわ。あの子自身が、自分に問い掛けてたのね。『貴方は自分のことを許せますか』って」
「…そうかもな。でも、俺は―…」
 隼は、後ろから桜夜の首の辺りに腕を回し、ゆっくりと抱きしめた。
「隼―…?」
 訝しげな桜夜には答えず、桜夜の柔らかな髪に顔をうずめ、
「アイツと、…それにお前が、死ななくて、良かった。そりゃ、いつかは死ぬ…のかもしれないけど、今は、…生きてて欲しいよ」
「…馬鹿。」
 桜夜も隼の腕に手をかけ、そのぬくもりを確かめていた。そしてふと、思い出したように呟いた。
「…アタシ、今度あのコに逢ったときは―…こんな風に、抱きしめてあげるわ。人のぬくもりが、一番生きてるってことを感じる瞬間だと思うのよね」
「ああ…そうだな」

 そして数分後、通り過ぎる通行人からの熱い視線で、二人は我に返るのだった。







                  End.






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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0072/瀬水月・隼(せみづき・はやぶさ)/男/15/高校生(陰でデジタルジャンク屋)】
【0444/朧月・桜夜(おぼろづき・さくや)/女/16/陰陽師】

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■         ライター通信          ■
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初めまして、新人ライターの瀬戸太一(せと・たいち)と申します。
隼さん、桜夜さん、今回の依頼に参加して頂き有り難う御座いました。
お待たせしてしまって大変申し訳有りません。
ライターとなってから初めての依頼ということで、
多少緊張しながらも書かせて頂きましたが如何だったでしょうか。
色々とご不満の残るところもあるかもしれません。
しかし私としては精一杯頑張って書かせて頂きました。
またこの経験を生かして次回にも繋いでいくよう精進致します。

宜しければ私信などで感想・苦情・ご意見等送ってやって下さいませ。

それでは、また何処かでお会いすることを祈って…。